マラウイ旅行記   2008.9.4〜2008.9.19

                                                                  Photos by JACC佐藤 ・ yoshipon ・ ハプロ

                                                            Written by ハプロ

現在マラウイ渡航には予防接種の義務はありませんが、とりあえず破傷風とA型肝炎の接種をして行きました。それと事前にMs.Estherから服用を勧められた抗マラリア薬です。 日本ータイーエチオピアーマラウイ。機上時間はトータルで20時間近くになります。写真はエチオピアのアジスアベバ空港です。 やっと到着しました、マラウイ・リロングエのカムズ国際空港です。マラウイの大統領がどこかの国賓でもお迎えするのでしょう。丁度赤絨毯を敷き詰めているところでした。
Ms.Estherの出迎えを受け、空港を出た所でいきなり目に飛び込んできたのがこの木です。美しいバイオレットカラーの花を咲かせていたこの木。思わずこの木の名前を彼女に聞いたのですが…忘れてしまいました(恥) 我々が乗せてもらったMs.Esther専用車のワーゲン・カラベルです。20年ほど前の型だと思われますがマラウイで見た車の殆どが廃車レベルの日本車でしたので欧州車はとても珍しいと言えます。 空港からkambiriのSMG Ltdまでは車で約1時間半。20年前と違って道路は舗装されています。それにしてもドライバーの飛ばすこと、飛ばすこと!平均120キロくらいで走ります。助手席に乗った佐藤さんは凍りついていました。
道中で撮影したマラウイの平均的な家屋です。壁は土壁、屋根は藁葺きが殆どでした。 kambiriのSMG Ltd入り口にある看板です。舗装道路はここまで。ここから数キロは未舗装道路です。流石に暴走運転はここまで…ホッとしました。 ここが正門になります。ここからは社有地ということで写真には写っていませんが直ぐ横には小さな守衛室もあります。
SMG Ltd Director Ms.Esther S. Grantです。私は昔の写真で極めてスマートだった頃の彼女しか知らなかったのでその体型の変化にとても驚かされました。D&Gのメガネがとても良く似合っているマラウイ美人です。 もう1年早く来ていたらお会い出来たのに…庭内に咲いていた花を添え、お参りさせていただきました。このお墓はまだ改修中でより立派なものになるそうです。命日の10月11日には教会で1周忌が執り行われると聞きました。 Ms.Esther邸に招かれました。豪奢の一言に尽きる邸宅です。ふとキャビネットに目をやると家族写真や訪問客からのプレゼント品が沢山置いてあり一番上にはなんと!20年前、故佐藤秀雄氏が持ってきた日本人形が!佐藤さん、感激!
我々もお土産を渡しました。春駒氏から預かった番傘に至極ご機嫌のMs.Estherです。 Ms.Esther邸玄関先にあった水槽です。Di.dimidiatusがいました。 庭園内はとても綺麗に整備されています。もちろんこれらはすべて従業員の毎日の仕事です。
我々が宿泊したロッジです。寝室が2部屋、リビングが1部屋の実に快適なロッジでした。ちなみにこの裏手にもロッジがありました。 yoshiponさんと私が利用した寝室です。天井から蚊帳を吊るす事が出来ます。就寝の際は体の露出部に防虫スプレーを振り撒き、この状態で床に就きました。 サニタリーです。トイレは洗浄便座でこそありませんが水洗式の清潔なものです。
シャワールームです。貯めた水をボイラーで沸かしているからでしょうか水温調節がとても難しかったです。 佐藤さんの寝室です。ベッドサイズもダブルで広々しています。Red Zebraでは最上級の部屋です。 滞在中、我々はこのReception Houseで食事をしました。バーも併設されていてvisiterに限らずファームを訪れた人はここを利用することが出来ます。
Receptionを取り仕切るMr.Mike Msukuです。とても陽気な人物で、ある意味ロッジの顔とも言えるポジションの方です。我々が滞在中、最も会話をしたのが彼ですが「あなたにとって一番恐い物は?」との問いに即答で「白人」と答えたのがとても印象に残っています。 Reception House内の食事テーブルです。手前がMs.Estherの席で佐藤さんが座っている席は生前グラントさんが座っていた席と聞きました。当たり前かも知れませんがファーム内で「日本の佐藤」の知名度の高さには改めて驚かされました。 朝食です。パンに大豆、ソーセージにベーコン、卵に野菜、そしてジュースにコーヒーと味も含め日本のホテルで出される洋朝食となんら相違ありません。
カンパンゴのフライです。身そのものの味は淡白ですが油を使って調理すると本当に美味しくいただける魚です。またフライドポテトはほぼ毎回の食事に添えられていました。 Chiof Campで出たチャンボ(Oreochromis)です。油で揚げたものでしたがこれまた大変に美味でした。 Rhamphochromisです。これも姿揚げでしたが鋭い歯は原形のまま…味は悪くないのですが特に頭部は骨が多くカンパンゴやチャンボに比べるとかなり食べ難かったです。
食事の最後には必ずデザートも添えられます。滞在中、最後までディナーは毎回違ったメニューだったことには驚きました。我々ほど長期滞在するVisiterは稀でしょうからコックもかなり苦労したことと思われます。 ファームセンター横のポールにはマラウイ国旗が掲げられていました。 我々が滞在中に利用したLADY LOUISEU号です。SMG Ltdが所有する最も大きな船で船内にはトイレも設備されています。船内のレリーフに2002年製造とありましたのでまだ6年しか経っていない比較的新しい船です。
Chiofの浜に役目を終えたLADY LOUISET号が朽ちたまま置きっ放しにされていました。佐藤さんによると故・秀雄氏が訪れた際に乗った船だということで記念に一枚。
バオバブの木です。マラウイを象徴する木です。バオバブと言うと私は「星の王子様」を思い出します。あの中では星を壊してしまう恐いイメージとして描かれていますが私には小さな子供が描く木の絵をそのまま具現化したようなむしろユニークな感じの木に思えました。 我々は現地でハクトウワシと呼んでましたが正しくはサンショクウミワシです。木上から湖面の魚を狙って滑空する様は正に猛禽類そのものでした。またThumbi West Is.近くでは驚いたことに口笛でこの鳥を操っている人を見かけました。マラウイの鷹匠と言ったところでしょうか。
ダイバーのMr.Boster,Mr.Maniell,Mr.Mosesの3人です。いわゆるグラント式潜水法で1度で1時間以上に及ぶ潜水をする彼らには本当に驚かされました。ホースの長さは100メートルもあり、見ている私はホースが絡まらないかドキドキしていました。 Chiof辺りの水景です。本やDVDで目にしていたので判っていたことでしたが魚の数の多さには改めて感動させられました。 Chiof Campでのダイバー達の食事です。湖で捕れた魚を油で炒めた物です。
マラウイの主食でシマと呼ばれるトウモロコシの粉を水で溶き火にかけて十分に練ったものです。我々も食べましたが食感は「無味なダンゴ」といった感じです。ダイバー達に限らず現地の人はシマとオカズを軽く手で混ぜて器用に食べます。 Chiof Campです。手前の石テーブルで食事をしました。コックもkambiriから同行してくれたのでここでも食事は美味しく頂けました。宿泊は後方に写っているテントです。ただ電気が通っておらず夜はランプ、シャワー設備も無く、またトイレも不衛生な状態で情けないことに我々としては二泊が限界でした。 Rest DayにKambiriとSengaの中間にあるクロコダイルファームに連れて行ってもらいました。広大なファームには無数のワニが大きさを分けられ飼育されていました。観覧目的というより食肉用、皮製品用に飼育されているようです。
ファームで一番大きなワニは5mを超える大きさでした。こんな大きなサイズのワニが実際、湖に居ると思うととても呑気にダイビングなどする気にはなりません。 Ms.Estherが経営している学校、Mackenzie Schoolです。校長先生の案内で学校内を見せて頂きました。 日本でいうと幼稚園から中学生くらいまでの子供達が学年別で各教室に分けられて授業を受けています。電気が無い上に文具など教育に最低限必要な物が不足している中で子供達は一生懸命に勉強に励んでいました。
学校敷地内にある精米所(と言ってもトウモロコシですが)です。ここは近辺の人も利用しているようで我々が訪問した際にも何人かの人がトウモロコシを持って精米に訪れていました。 井戸の数も十分ではないのでバケツや樽を持って遠くから汲みに来なくてはなりません。これはマラウイに限ったことではありませんが、まずは命の源である水道(井戸)設備が十分に整うことを願わずにはいられません。 Senga Bayの浜に来てみました。老若男女多くの人で賑わっています。特別何かをしている訳ではありませんが何しろ賑わっていました。写真は船に乗り込む人達です。出発時刻など定められておらず満員になった時点で出発するようです。
カヌーに乗った人を覗いてみると大抵は写真のように捕獲した大型のRhamphoを紐で通した状態で持っています。Kiwingeやstrigatusも見られました…勿体無い…。 地図で見ても確かに近いことは判っていましたがSenga Bayの浜からこれ程はっきりとNamalenje Is.が見えるとは少々驚きました。 Cape Maclearでyoshiponさんと私が宿泊したロッジ・FAT MONKEYです。ここはマラウイ有数の観光地のため多くの旅行者が居ました。
MbunaにUtaka、MumboにThumbi。面白いことにFAT MONKEYの各部屋には魚類名や島名が付いていました。ちなみに私達の部屋の名前はDomweでした。 カナダのショップオーナーだそうです。彼は撮影ダイバーを同行し毎年Gファームを訪れているとのこと。彼に撮影した写真を見せてもらいましたが出来の素晴らしさに思わず「あなた方はプロか?」と聞いたら笑いながら「No!」という返事でした。それにしても撮影機材一つとってもとてもアマチュアとは思えませんでした。 Thumbi West Is.の水景です。魚の数にはすでにChiof近辺で驚かされましたが、ここはその比ではありませんでした。国定公園であり、とりあえず漁獲禁止地域だからでしょうか何しろ“気持ち悪いほど”魚が泳いでいました。
ボートドライバーのMr.NkhomaとMr.Hendricksの2人にCape Maclearの街を案内してもらいました。日本で言えば田舎の商店街にあたるところで色々な店があり小さいながら喧騒な街でした。
10cmサイズのシクリッドの干物がきれいに並べられ売られていました。 「Cape MaclearはKambiriと違って危険だ。だから俺達から離れてはいけない」ここに来て最初に彼らに言われたことです。つまり彼ら2人は我々の護衛役でもあったんですね。yoshiponさんがお礼に日本から持ってきたカップ麺を2人にご馳走しました。
Gファームの象徴の一つである桟橋です。100m以上はあると思います。船着場の役目を果たしているものでしょうがここに限っては結構遠浅なのでこのように長くなってしまったものと思われます。我々が乗ったLADY LOUISEUですとかなり先まで行かないと乗ることは出来ません。 桟橋辺りの砂です。他の場所の砂は殆ど濃肌色でしたがここだけは濃肌色の砂に混じって黒っぽい色の砂でした。粒の大きさはとても細かかったです。 Kambiriの岬を隔てて北側がGファームになるわけですがGファーム側は小さな入り江になっているため湖面はもっぱら凪の状態が多いのですが反対の南側の浜に行くと状況は一変します。ほとんど海のようです。地引網漁が見たくて足を運びましたが漁は夜だと聞き諦めました。夜は蚊が恐くて下手に外出しませんでした。
Salimaの街です。人並みはかなり多く、賑わっています。それも当然で銀行や病院などもあり都市としての機能が整っている街です。 偶然にファームを訪れた日本のJICA隊員の方に吸血住虫(ビルハルツ)の話しを聞き、ダイビングをしたyoshiponさんと私は急に不安になりました。そこで薬屋に行けばその薬が売っていると聞きやってきたのがSalimaにあるこの薬屋でした。とても気の良さそうな女主人でしたが、たまたまその薬は切らしているとのことで向かえの医院に行けと言われました。 …と言うことでやってきたのがこの医院です。診察室に通された我々はそれぞれ体重を量った上で何とか薬を買うことが出来ました。yoshiponさん60s、私70s…出された薬は同じ4錠づつ…少々、不安になったので結局帰国後、日本の医者に聞いてから服用しました。そうそう、診察室の電球の明かりが怪しく点滅状態であったことが妙に思い出に残っています。
ファーム内にある応接室です。Mr.Ngwiraとここで今後の入荷に関しての話しをしました。佐藤さんが希望の魚種を言うと呆気ないほどに彼が簡単に承諾するのでとても驚きました。またファームに居ない魚種については我々の目の前でLikomaにいる契約採集者に電話で注文を入れてくれました。Koningsを開きながらの商談でしたが掲載されている魚ならどれも簡単に集められそうなそんな感じさえしました。 Mr.Ngwiraの事務所です。ファームで専用の事務所を持っているのは彼だけです。一度、彼にPCを使わせてもらったのですが電話回線と判り直ぐに接続を切りました。現在マラウイでは残念なことにネット環境はかなり悪いようです。 応接室のボードに張ってあった世界中からのオーダーファクスです。昔に比べたらGファームも少しは暇になったんじゃないかな…などと思っていたらとんでもない!これほどの注文がしかも頻繁に入っているとは!佐藤さんにも頑張ってもらわねば!
到着した翌日だっと思います。スウェーデンに向けての出荷作業です。グラントさん亡き後、Ms.Estherが現場で作業に加わっていたことには少々驚きました。ちなみに現在の輸出量トップ3はドイツ、スウェーデン、フランスとのことです。やっぱりドイツか〜っ! オーダーボードを見ながら魚を袋詰めしているところです。最終的な細かい調整はMr.Ngwiraがしていました。普段はすべて「アフリカタイム」の彼らも流石に出荷作業時だけは忙しそうに従事します。 ファーム全体で大小数百のタタキ池があります。注文の多い魚種に関してはある程度種別に分けられストックしてあるようでしたがたまたまタイミングが良くなかったのか思っていたほど魚数はいませんでした。また、ろ過は実に簡単なエアレーションのみでした。
3m×5mほどのかなり大きなタタキ池です。別段、使用目的がはっきりしている訳でなくストックされていた魚種は様々でおそらく出荷先別用の池等として使われているようです。 毎日のタタキ池や水槽の清掃が彼らの主な仕事です。時間さえあれば彼らとコミニュケーションをとっていたのがyoshiponさんでした。今や彼らの間で「日本のグラントマスター・yoshipon」はかなり有名なはずです。 ファームで使用されていた餌です。フレークですね。
SMG Ltdで幹部クラスの従業員の家はファームの敷地内にあります。小さいながらマラウイの一般的な家とは比べることが出来ないほどしっかりした造りの家です。ちなみにMr.Ngwiraの自宅はこの中の一軒で彼は日本製の軽自動車も所有しています。 マラウイには既製のビニール袋が無いのでしょう。パッキングのビニール袋も自社で作らなくてはなりません。 ビニール袋が無いのですから水槽が無くて当然です。よって水槽もガラス板を張り合わせて作製しなくてはなりません。普段の生活の中でお金さえ払えば簡単に望み通りの物が手に入る我々日本人はとても幸せであることを実感した瞬間でもありました。
ダイバー達が網の修理をしているところです。網目サイズは9mm。思った以上に細かい網目でした。以前、昔に比べると徐々に網目サイズが小さくなっているということを聞いたことがありますがダイビングした時には沢山居るように思えた魚も実際は昔に比べるとかなり少なくなっているのでしょうね。 昔、事務所として使われていた部屋です。現在はダイバー達の詰所として使われています。壁に昔のカレンダーが貼ったままになっていました。ある年のカレンダーに目をやるとTanganyikaの魚ばかり写っているカレンダーを発見。そう言えば90年代、一時マラウイ湖の魚が輸出できなかったことがありました。その年はGファームもTangaの魚を扱っていたんでしょうね。 かなり昔の写真もそのままになっていました。私には誰が誰なのか判りませんでしたが結構貴重な写真だと思うのですが…このままでいいのかとこちらが心配になったほどです。
厳つい顔をしてこちらを見ているのはドライバーのMr.Andersonです。Red Zebra案内看板横には土産店が軒を連ねています。土産物は木彫り製品が殆どで値引交渉は当たり前です。ここでもyoshiponさんは大活躍でした。 敷地内で会った子供達です。従業員の誰かのお子さんかも知れません。この子達は我々に対しても大人しく笑顔で接してくれましたがCape Maclearで会った子供達は観光客に毒されているのでしょう、「Give me money」と言いながら執拗に付き纏ってきました。 マラウイの女性達は大抵の物は頭にのせて運びます。yoshiponさんがトライしてみたのですが運ぶことはおろか上手く頭にのせることさえ出来ませんでした。バランスの良さとかなりの首の力が必要なんでしょうね。
偶然にも滞在中、Gファームで4人もの日本人の方とお会いできました。すべてJICAの方で写真の女性はSalima駐在の隊員歴1年の方です。マラウイの実情等、色々なお話しを聞かせて頂きましたが自分の娘と同年齢ほどの若さでありながらこの地で頑張っている彼女には逞しささえ感じました。 SMG Ltdの敷地内に放し飼いにされている犬…彼女の名前はハシバビー。この犬、我々が敷地内を移動する際、必ずどこからともなく現れ寄り添ってくるのです。また我々以外の訪問者には唸り声をあげるという何とも護衛犬のような可愛い奴でした。犬嫌いの私が心底連れて帰りたいと思った個体です。 庭先のイスでくつろぐMs.EstherとMrs.Nkhwaziです。Mrs.Nkhwaziはまだ18歳ですがもうすぐお母さんになります。そしてMs.Estherはもうすぐおばあちゃんになります。他日、庭でMs.Estherが生まれてくる孫のために自らベビーベッドを洗っていた姿が忘れられません。
Ms.Estherには4人のお子さんがいます。長男のMr.Nkhwaziは現在、ブランダイヤの銀行勤務で同時に彼はSMG LtdのDirectorでもあります。現在30歳の彼には近々、お子さんが生まれる予定でMs.Estherにとっては初孫になるわけです。写真は我々のためにブランダイヤから3時間半かけて駆けつけてくれた彼の車です。トヨタハイラックスの新車でした…流石です。 Reception Houseに置いてあったノートに現地の新聞に掲載されたグラントさんの訃報記事の切り抜きを見つけました。顔写真入りでとても大きく取り扱われています。 我々が帰る前日、ダイバー達はまた採集に出掛けるところでした。これだけの荷物を船まで運ぶだけでもかなりの重労働です。Mr.Boster、頑張ってくれよ!
Senga BayにあるMs,Estherが経営するRed Zebraカフェです。帰国前夜、我々はここで盛大な送別会をしていただきました。
マラウイでの最後の晩餐でしたがここの料理も本当に美味しかったです。
最後のディナーの途中に突然、店内に魚売りが来ました。どんな魚かと覗き込んだら、な、何と!Buccoじゃないですか(写真左の個体)!Mr.Ngwiraに「これって何なの?」と聞くと即答で「nototaenia」という返答。noto?これがnoto?目測で35cmはありました。Ms.Estherが買うよう指示していたのでVisiterのディナーに出すつもりなのでしょうか。 最後にSMG Ltd首脳陣と記念撮影です。
左からMs.Esther , Mr and Mrs Ngwira , 佐藤さん , yoshiponさん , Mr and Mrs Nkhwazi


壁にBOB MARLEYとBeatlesの写真が飾ってあったことがとても印象的でした。
我々が帰る際、最後にMr.Ngwiraがわざわざ見送りに出てきてくれました。

「本当に色々とありがとう!そして日本に良い魚を送ってくれよ!頼んだぞ、Mr.Ngwira!」
マラウイまでの行き帰り、同じ飛行機だった生き写しと思えるほどグラントさんに良く似たこの紳士…あまりに気になったのでアジスアベバ空港で声をかけてみました。我々が日本人だということを伝えると「Very Far!」と仰いましたが彼はこれからフランス経由でブラジルに帰られるとのこと。いやいや、あなたも目一杯「Very Far!」だと思います。それにしてもあまりにグラントさんにソックリで何か因縁めいたものを感じました。 トランジットに時間をとられ帰国にはほぼ丸2日掛かりました。写真はバンコク・スワンナプーム国際空港です。新しくてとても広大な空港です。疲労もピークに達していますが日本までまだ5時間ほど掛かります。

追記

今回の旅行で私は“日本の佐藤”の顧客ということで大変手厚い歓迎を受けました。また出発前から率先して現地の情報収集に尽力され航空チケットの手配までしていただいたyoshiponさん。
何をするでもなくお二人について行っただけの私でしたがお蔭様で生涯忘れられない素晴らしい旅をすることが出来ました。お二人にはこの場をお借りして心よりお礼申し上げます。本当に有難うございました。
私としましては二十数年前のたった1匹の魚との出会いがそれまで全く知らなかった多くの人との出会いを生み、これほど自分の人生を豊かにしてくれたことに感謝せずにはいられません。

最後にSMG Ltd Director Esther S. Grant から預かった日本の皆さんへのメッセージを記しておきます。



I wish our friendship lasts for long . And hope more Japanese people are going to visit Malawi.

これからも変わることなく長いお付き合いを…そしてより多くの日本の方がマラウイを訪れてくれることを願っています。

2008.10 JACC会員 ハプロ