フェイヨンダンジョン。
 前時代、死体を投げ込んで処理していたと言われる洞窟。
 無念の思いを残して死んでいった者達の怨念が、捨てられた死体に負の活力を与え、リビングデッドの徘徊するダンジョンと成り果てた穴ぐら。
 故に、深層で変わり者の魔術師が怪しげな実験を行っている、と言う噂も絶えない。
 事実、洞窟の奥に漂っている火の玉は、ゴーレム製造に使われる魔導心臓を核としていたりする。

 そして、あえて危険にその身を晒す冒険者達は、好んでここに潜っていく。危険と、まだ見ぬ財宝を求めて。
 俺、剣=白鳳(チェン=パイフォン)も、そんな阿呆どもの一人だ。






 フェイヨンダンジョンの最深部。
 打ち捨てられた廃村を抜けた先の、かつては盛大な祭りでも開かれていたことが窺える広場。中心には、くたびれた観音像がどっかりと腰を下ろしている。
 襲い来る女性の亡霊や火の玉型ゴーレムを愛剣で斬り倒して、一息。

「……こんなもんか」

 火の玉、ホロンの攻撃が掠めた傷を、ポーションで癒す。
 女性の亡霊ソフィーの繰り出す短剣ぐらいなら、俺には当たりはしない。当たれば半端じゃなく痛いが。

「しかし、誰がこんなの買うんだかな」

 ソフィーが成仏した後に残った、死後だというのに艶やかさを失っていない髪の毛をザックに放り込む。
 まあ、女性の髪の毛は色々と用途があるらしいけどな。どう考えてもそういう用途に使う訳じゃなさそーなんだが……。

「まあいいか」

 買う奴がいる。集めれば金になる。俺達はメシが食える。
 疑問を挟む余地は無い。
 剣を握り直して、次の襲来に備える。


 りーん ちりーん


「…………」


 りーん ちりーん


 ……おかしい。
 火の玉も、亡霊も、動く骨も、弓を持った骨も、このフロアを余すところなく徘徊している筈のエネミー達の気配が、ぷっつりと途切れた。
 辺りの空気に冷気が混じっていく。


 りーん ちりーん


 ぐ、と気を張った。戦士としての勘が警鐘を鳴らしている。
 立ち込める冷気が濃度を増していく。
 普段感じる洞窟の瘴気とは全く異質の、妖気。

「ッ!!」

 ハンマーでこめかみを殴りつけられるような殺気が、背後から俺を襲った。
 バックステップで距離を取りつつ振り返り、剣を構え直す。

『…………』
「九尾……!?」

 刃を通して見る先には、九つの尻尾を持った狐がこちらに目を向けて立っていた。
 その目は怪しく光を携えていて、明確な殺気をこちらに発している。
 九尾の狐。人語を解して人に化け、一国を滅亡させるほどの強大な魔力と知能を持つという。
 フェイヨンのおとぎ話にはよく出てくるが……。

「まさか実物に巡り会うとは……な」

 他のモンスター達は、こいつにビビって逃げ出したってところか。
 確かに凄い圧迫感がある。相手は跳びかかろうと四肢を踏ん張るでもなく、ただ佇んでいるだけだというのに。
 ……生きて帰れるか。否か。

「半々。ってところか」

 勘のみでそう判断。幸い、雑魚モンスターどもに邪魔される事はなさそうだ。
 舌で唇を濡らす。興奮の味。死ぬかもしれない、という結論を前に、昂ぶる自分がいる。
 じり、と擦ったブーツの底が砂を噛んだ。

「はああああっ!」

 駆け出す。身軽さでは並の盗賊よりも自信がある。グン、と距離を詰め、

「はあっ!」

 振り上げて袈裟斬りに叩き下ろす時には、九尾は既に俺の右横を跳び抜けていた。
 
「クッ!」

 剣を無理矢理止めて振り返る。着地してすぐさまこちらに跳びかかってくる狐。
 鋭い爪が的確に喉元を狙う。身を低くして回避し、すかさず振り返った。

「―――速い!」

 しかも、ただの野生動物の動きではない。例えるなら――格闘技を覚えた動物。
 人の急所や死角を知り尽くしていて、そこを肉食獣の身体能力で的確に突いてくる。
 考えている暇もなく、狐は四本の足を踏ん張って九本の尻尾を逆立て、跳びかかる体勢を作る。
 とにかく初撃を当てなければ話にならない。

 ―――カウンターは好かんのだがな……四の五の言っていられんか……!

 こちらから捉えられないのなら、向こうから跳びこませるしかない。
 黄金に輝く毛皮に包まれた細い体が弓のようにしなり、跳躍のエネルギーを貯める。
 一息と共に、背を伸ばす。
 剣を正眼に構え直し、狐の一挙一動を見逃さないように集中を高めていく。

「…………」

 ピン、と張り詰める空気。
 タイミングが全て。一太刀で、仕留める。外せば喉を掻っ切られてこちらが死ぬ。
 向こうもそれがわかっているのか、迂闊に仕掛けてはこない。

「……………………」

 強烈なプレッシャーに、全身から汗が噴出す。
 老練の戦士のような、見ているだけで射殺されてしまいそうな視線。怯むな。隙を見せれば負ける。
 
「ッ!」

 まさに一瞬、剣が微かに下がって戻すその瞬間に、九尾が大きく跳躍した。 
 一跳びでピタリと俺の喉元に爪と牙が食い込むジャンプ。

 ずぶ、と爪が肉を裂く音が耳をついた。

 狐の爪は、咄嗟に差し出した左腕に深く突き刺さっていた。
 ぼおっと傷口が熱く火照り、溜まった熱いものが流れ落ちていく。

「腕の一本ぐらいは、くれてやる!」

 左腕を引っ張って、激痛に歯を喰いしばりながら右手の剣を一閃。閃きと狐の体躯が交差する。
 ―――浅いか!? だが、手応え有りだ!
 そのままの勢いで喰い込んでいた爪が抜け、九尾を後ろに放り捨てる。中空に、紅い雫が飛散した。

「左腕は無理か」

 痛みで動かぬ左腕を一瞥し、狐を放った方向に目を向けて――絶句。
 傷一つ無い狐が、背後に九本の尻尾をゆらゆらと揺らしながらそこに佇んでいた。

「……確かに、手応えはあった筈」

 間違えるはずはない。確かに―――!






『フェフェフェ、狐は人を化かすもの、というてな。いい太刀筋じゃったぞ』
「ッ!?」

 その場に、老人のような声が響いた。
 目の前の狐は、微動だにしていない。

『さすがに狐の姿では人語を話す事は出来んでな。お主の頭の中に直接語りかけておる』
「…………」
『理解が早くて助かるよ』
「……理解なんかこれっぽっちもしちゃいないが」
『ありべからざることをありのまま受け入れられる強さはそう得られるものではないよ。特に、人間にはの』

 相手は伝説の九尾の狐。何が起こってもおかしくはない、と気を張ってはいたが……。
 念話がくるのはさすがに予想外だった。

「……で、話し掛けてきたからには、何か用事があるんだろうな」

 油断なく剣を構えたまま、狐に問う。

『ちっともそういう風に思っていない態度じゃのう』
「自分が何者か自覚してからその台詞を吐け」
『千年単位の人生の先輩じゃぞ?』
「狐が『人』生を語るのか」
『こまいヤツよのう。女にもてんぞ?』
「……世間話したいのか、お前は」

 言葉の応酬。
 どうも調子が狂う。伝説の化け物と対峙しているというよりは、酒場で悪友と言い合っているようだ。
 それほどに、なんと言うか、人間臭い。対峙した瞬間の殺気と妖気が、今は嘘のように消え去っていた。

『フェフェ、それも悪くはないがの。頼みがあるのよ』
「頼み?」
『そう、お主を見込んで、じゃ。聞いてもらえるか?』

 狐の表情の変化などわからないが、声の調子は真剣そのものだった。

「…………」

 何しろ相手は九尾の狐。こんな戯言、聞く方がどうかしている。

『安心せい。断っても取って喰ったりはせんよ』

 ただ、この狐の口調も、雰囲気も、何かを騙しているとはどうしても思えないのだった。
 何故かがわかれば、悩みはしない。それこそまさに『騙されている』のかもしれない。

「わかった、言ってみろ」

 そう言って、俺は剣を納めた。納めきった瞬間に、喉首を掻っ切られるかも、と思いながら。
 狐の細い瞳が少しだけ開かれたような気がした。

『ほ。無用心じゃの。いいのか? お主の目の前に居るのは九尾の狐じゃが』
「お前を信用する。それだけだ」

 左腕の裂傷にポーションをかけながら、そう言った。
 信じる、とは言葉で言ったって意味が無い。

『……光栄なことじゃ』

 軽口が得意らしい狐も、彼らなりの誠意の証なのか、神妙な声を出しつつ九本の尻尾を垂らした。

『ついてきてくれんかの』

 そう言って、九尾は踵を返す。
 俺は左手をわしわしと動かして、とりあえず治ったのを確認すると、無言でそれについていった。
 着いたところは、ただの壁。
 九尾がためらいもせず壁に頭をつけたかと思うと、スウッとその姿が壁の中に消えていった。

『幻覚の壁じゃ。触ってみい』

 驚く暇も鳴く声が響く。
 九尾が消えた壁に触れてみた。しかし、冷たい岩の感触がないどころか何の抵抗もなく、岩の中に自分の手が吸い込まれていった。
 足を進めると、そのまま進むことが出来る。

「……幻覚の壁、ね」

 頭が壁の中に入ると視界が塞がれたが、すぐに空けた空間に出た。
 部屋としてはかなり広い場所だった。藁のベッドに古惚けた調度品なんかが転がっている。
 そして、

『帰ったよ、ウォルヤファ』
「クミホ!」

 部屋には、人影がいた。九尾の狐を見るなりそれに抱きついて、ごろごろと体を摺り寄せる。
 狐? と一瞬思ったのは、そいつが頭に狐の被り物を被っていたからだった。

「ぶっ!」

 こんなところに人がいる、というのに驚こうとしたら、さらに衝撃的映像が俺の目を掠めたのでそんなものは吹っ飛んでしまった。
 その人影の姿だ。
 なにしろ……

「クミホ……?」
『ああ、怖がらなくてもいいよ、ウォルヤファ』

 なにしろその女の子(・・・)は、頭の被り物以外すっぽんぽんだったのだから。






「あの、どうぞ、剣さん……」
「あ、ああ、頂くよ」

 とりあえず毛皮の下着を着てようやく見れる格好になった(それでもキワドイ水着ぐらいの露出度だが。作ったはいいが、あまり着たがらないらしい)女の子、ウォルヤファが、自己紹介した名前をたどたどしく呼びながら、湯飲みを差し出してくる。
 ……洞窟の奥深くで茶を飲む事になるとは思わなかった。どうでもいいが、なぜ肉球付きの手袋や肉球付きの長靴までつけているかは謎だ。
 ずずず、と熱いお茶をすすると、女の子はおどおどしながら九尾の後ろに隠れてしまった。

「……とりあえず、説明してくれるんだろうな」
『もちろんじゃ。そのためにここに来たんだからの』

 怯えている様子の女の子をふさふさの尻尾で包んでなだめる九尾。
 九つのふさふさに包まれた女の子は、安らいだような微笑を浮かべた。

『少し、話が長くなるやもしれん』
「老いぼれの話は長いもんだ。気にするな」
『引っ掛かる言い方だのう……』






 そう、あれは三十年程前だったかの。
 地上から香ってくる不思議な魔力に惹かれて、久しぶりに外に出てみたのじゃ。
 空には、銀色の光を放つ見事な満月が輝いておった。
 毎夜、夜空を飾っている星々は、溢れる銀光に皆その姿を潜めておったの。
 しばしの間見惚れておったら、近くに人の気配があることに気付いたんじゃ。まあ、普通の狐に化けておったから、別に良かったんだがの。
 だが、その気配があまりにも弱々しかったものでの。ついつい様子を見に行ってしもうた。
 洞窟の近くの茂みの中。そこには、清潔な布で包まれた赤ん坊が捨てられておった。

『ふぅむ』

 おなごじゃった。まだへその緒が付いたままで、近くに親らしき人影は無かったの。
 ま、三十年前のフェイヨンなど、貧しい片田舎だでの。子捨て姥捨ては珍しい事ではなかった時代じゃ。
 これでも、数千年間人の世に触れてきたのじゃ。多少の同情心は持ったが、それ以上に心奪われたのは、その乳飲み子自身じゃった。
 銀月に照り返す珠のような肌。茂みの中でそれはまるで、そう、月がそのまま花に化身して地上に降りてきたような、そんな美しさじゃった。

 気まぐれじゃて。ワシはその幼子を保護し、洞窟の瘴気にやられぬよう、結界を張った隠し部屋で育てることにしたのじゃ。
 少しでもその子がヒトとして生きられるために、ワシは名前を付けてやった。

 月の夜に咲いた花。月夜花(ウォルヤファ)、とな。

 不思議な時間だったよ。ウォルヤファが育っていくのが楽しみで仕方なかった。
 育ててどうしよう、という打算があった訳でもない。どうせ死に逝く運命なら、というただの戯れだったが、数千年の生のなかで最も充実した数十年だったと我ながら思うのじゃ。
 親が子を捨てる時など、身を斬られるような思いなんじゃろうなあ、と初めて本当に、この子とその親の境遇に同情したものじゃ。
 こそばゆいが、愛、というやつかの。ウォルヤファの笑顔を見るのが、退屈な穴ぐら暮らしの中で至上の楽しみになっておった。

 だが、時を経るにしたがって、おかしい事に気付いた。
 ウォルヤファは、これまで見てきた人間達よりも、明らかに年を取っていないのじゃ。
 三十年たった今、見ての通りじゃ。およそ半分かの。そのぐらいしか成長しておらん。
 どうやら、わしの結界の中で育ってきた結果、洞窟の瘴気にやられる事はなかったが、ワシの、つまり、九尾の狐の魔力の影響を受けて、成長が遅れてしまったようなのじゃ。
 いや、成長が遅れると言うよりも、寿命が延びていると言った方が正しいかの。
 それから、身体能力も普通の人間のそれを明らかに上回っておる。遊び道具に、と渡した、人間の大人が二人がかりでやっと持ち上がるほどの大きな鐘を軽々と振り回すような、な。
 このままでは、ウォルヤファは人間でなくなってしまうような気がしたのじゃ。
 まだ心の方には影響は出ていないが、いつ何が起こるか見当もつかん。最悪、獣以下の存在に成り果てて、見境なく暴れまわってしまうやもしれん。
 何かが起こる前に、ウォルヤファが人である間に、人里に返したほうがいいのではないか。そう思うようになったのじゃ。






「…………」

 信じろ、と言うのがどだい無理な話だったが、嘘と確信できる訳でもない。魔法の力で鉄が空を飛ぶ世界だ。何があったとて不思議でもない。

『お主になら託せると思って話した。ウォルヤファを連れて行って欲しいのじゃ。人間の元へ』
「…………」

 沈黙が流れる。九尾の後ろに隠れるように座っている月夜花は、じっと俺を見つめていた。
 まるっきりの少女。生まれてから三十年経っているとは、到底思えなかった。

 連れて行く? この子を?
 とりあえずそのキツネ娘変装セットを脱いで普通の服を着れば、素性がバレると言うことはないだろうが……。

「いくつか、聞いておきたいことがある」
『なにかね?』
「月夜花は、そのことを知っているのか?」

 今聞いた、では人里に返すも何もない。ましてや、知らない男についていくなどと。

『知らんよ。今聞いたばかりじゃろう。まあ、薄々感付いてはいただろうがの』
「…………」

 九尾に顔を向けられ、一瞬の間の後にこくりと頷く月夜花。

「おかしいとは思ってた。クミホが見せてくれる人間の様子と、私と……ちょっと、違ったから」
『ああ、そうじゃ。さっきの話のように、段々人間でなくなってきているのかもしれん。お前は人間じゃ。人間として、幸せに生きてもらいたいんだよ』
「……クミホぉ」
『よしよし。いい子だの』

 涙目ですがりつく少女。狐はその頬を伝う涙を、ぺろりと舌ですくう。
 ちなみにクミホ、とは、九尾狐のフェイヨン読みだそうだ。名前かと思ったが、違うらしい。

「親子、か」

 物心ついた時には既に親などいなかった俺にはよくわからないが、そこにいるのは、紛れもなく仲睦まじい親子の姿に思えた。
 ……月夜花の被っている狐の被り物のせいかもしれない。

「泣き止んだか?」
『ああ、大丈夫じゃよ。のう、ウォルヤファ』
「うん……」

 九尾から体を離し、ぐし、と目尻を拭う月夜花。

「じゃあ、二つ目。さっきの話が本当だとすると、ウォルヤファは普通の人間の半分しか歳を取らないわけだよな」
『そうなるの』
「……俺の方が早く死ぬぞ、それは」
『心配するな。ワシの魔力の影響下から離れれば元に戻っていく筈じゃて』
「それならいいが」
『ふむ。添い遂げるつもりか? お主もなかなか好きモノだの』
「…………添い」

 俺は無言で鯉口を切った。ていうかそこで顔を赤らめないでくれ、月夜花。

『……冗談じゃよ』

 剣を戻す。ウォルヤファは照れてしまったのか、完全に九尾の後ろに隠れてしまった。

「……三つ目。どうして俺を選んだ? 自分で言うのもなんだが、俺は他人の世話とか保護とか、そういったモンとは全く無縁なんだが」

 正直、俺に剣の振り方以外の事を任せるのは無謀であると言える。

『フェフェ、謙遜はいかんの。最初に言ったがの、まずこの話を、ワシらを信じてくれる者でなければいかん。そして、ウォルヤファを幸せにするよう努力を払ってくれるお人好しであること。連れて行くなり遊郭に売られでもしたらかなわんからの』
「……迷惑な話だ」
『人を見る目はあるつもりじゃよ』

 狐の視線は、じっと俺の目を見据えている。

「内面まで見られるほど語り合ってはいないと思うがね」
『昔から言うじゃろ。剣を交えるという事は、心を交えるという事だ。とな』

 剣友、ね。いつの時代の話だ。

「俺はお前の事なんか何にもわからん」
『ならば、何故お主はワシを信じて剣を納めた?』
「……む」
『そういう事じゃよ。お主はワシを信じるに値する者と直感した。ワシもそうだったというだけだの』

 なんとなく。そう、なんとなくで、伝説の化物の前で剣を納めたのだ、俺は。
 そう考えると、今更ながらに浅はか過ぎたと自戒する。もっとも、伝説をそのまま鵜呑みにするのも浅はかだとは思うが。
 ……いつから自分はこんな楽天家になったのか。

「月夜花」

 呼んでみると、狐の体の後ろに隠れていた体がビクリと反応した。
 ゆっくりと顔を出し、おどおどと俺の方を見る狐を被った少女。

「月夜花、お前はどうしたい?」
「……えっ?」
『む?』

 俺の言葉に、ぽかんと口を開けるウォルヤファ。表情はわからないが、九尾も心中はそんな感じだろう。

「人間の社会で暮らしたいか? それとも、このままここに居たいか?」
「…………」

 月夜花は視線を落とす。

「俺やそこの狐の事は考えなくてもいい。自分がどうしたいか。それだけを言えばいい」

 こいつが行きたくないと言うのなら、人の元に戻っても幸せになれる可能性は低いだろう。
 ウォルヤファは顔を伏せたまま、しばらくの間、沈黙が流れた。
 九尾も何も言わない。ただ、少女の答えを待っていた。そこはかとなく不安げにも見える。
 やがて、ウォルヤファはゆっくりと口を開いた。

「クミホは、私に人間として幸せになって欲しいって言った。よく、わからないけど……人間のお友達が出来れば、幸せになれるのかな」
「さあな。ここに閉じこもっているより退屈はしないだろうが、幸せかどうかは俺にはわからん」
「どうすれば、幸せになれるの?」
「……難しいな、そりゃ。結婚が幸せという奴もいれば、金を貯める事が幸せという奴もいるが……」
「結婚してお金を貯めれば幸せなの?」
「そうじゃない。……と、思う。そうだな……」

 しばし考える。
 幸せの定義、か。そんなモン考えた事もないが……。

「自分が心の底から楽しいと思えば、それが幸せってことなんだろう。誰かを好きになった奴は結婚が幸せだろうし、金や贅沢が好きな奴は金を貯める。たぶんな」
「私は……何が楽しいの?」
「俺に聞くな」
「わからないと、幸せになれない」
「あー、そうだな。じゃあ、それを探す為に人間のところに来るってことでどうだ」
「探す?」
「そうだ。自分で探すんだ。ていうか、お前が何を楽しいと感じるかなんてお前自身にしかわからん。俺が何を楽しいと思うかなんて、お前にはわからないだろ?」
「……うん」

 黙りこんでしまう月夜花。
 思いつきの適当意見の分際で、なんだか偉そうな口を聞いたもんだ。

『ふぉふぉ』
「なんだよ、狐」
『なに、ワシの目に狂いはなかった、とな』
「やりたい事やってりゃ幸せっつー単純人間なだけだ」
『安心して嫁に出せるというものだわい』
「まだ言うか!」

 キツネと口ゲンカ。既に慣れてしまっている自分が怖い。

『お主以外の男に貰われると言うのも想像できんでの』
「んなテキトーな事で、娘の人生棒に振らんでもいいだろうに」
『自分の魂を低く見るのはいかんな』
「剣以外のことはからっきしと言っただろうが。ましてや女を幸せにするなんて……雲を掴むような話だ」

 視線を上げて、岩の天井を見つめる。

『ふぉふぉふぉ』
「なんだよ」
『いやいや、大いに悩んでくれ』
「……何の事やら」

 湯飲みに残っていた冷めかかっているお茶を、ぐいと飲み干した。
 ……苦い。
 
「クミホ」
『ん?』

 じっと押し黙っていた月夜花が九尾を呼び、立ち上がった。
 そのまま、無言で後ろに歩いていく。

 ちりん

 部屋の隅に置いてあった、月夜花の背丈ほどもある棒にくくりつけられた大きなベルを持ち上げた。拍子に、軽くベルが鳴る。
 音色には聞き覚えがあった。
 九尾に逢った時……妖気に混じって聞こえていた音。

「私、行く」
『そうか』
「うん」

 それだけ言って、とてとてとて、とブーツの肉球が柔らかな音を立て、りんりんりん、とベルが澄んだ音を響かせた。
 そうして俺の目の前まで来ると、

「よろしく、お願いします」

 そう、頭を下げた。

『違うよウォルヤファ。こういう時には三つ指を付いて、"ふつつかも』
「やめんか!」

 ツッコミ一発。狐を黙らせて、月夜花に向き直る。

「あー……ほんとに良いんだな?」
「うん」

 こくり。いまどき人間の子供でもしないぐらい大きく、素直に頷く。

「わかった。とりあえずその耳と手を外して普通の服を着ろ。すげー目立つ」
「みみ?」

 と、頭の上に突き出た狐の耳に手を伸ばす。
 ぴこぴこ、と生きているかのように耳が揺れ、手袋ではありえない動きの指がそれを抑えている。

「……もしかして、本物か、それ」
「?」

 何の事かわからない、と首を傾げる月夜花。

「おい狐!」
『わしの魔力の影響じゃろうのう』

 九尾の狐に向き直ると、のほほんとそんな声で返される。

「それで逃げるな! あんなん目立ってしょうがないぞ!」
『気にする事はあるまい。今の世、うさぎやらたぬきやら猫やら、動物の耳を付けた人間など幾らでも見かけよう』
「ありゃ被りモンだ……つか、既に狐の耳が生えてるぐらい侵蝕されてるって、それは手遅れと言わんか」
『身体能力も変化している、とは言ったはずじゃがの』
「ぐぐぐ」

 問い詰めても解決にはならないと判断して、言葉を切った。

「誤魔化しきれるか……? 新しい頭装備とでも言えば……うぅむ」

 お洒落には全くと言っていいほど疎い俺には判断がつかなかった。
 ギルドのメンバーに相談するわけにもいかねぇし……。

「上から帽子でも被せとくか……」

 (人間における)耳元までを誤魔化すには、ハットやキャップでは無理だ。広いつば付きの、おしゃれな帽子ぐらいでないと……。

「えれー出費だぜ……」

 たけーんだよなあれ。戦いには何の役にも立たんのに、全く。

「……ね」
「ん?」

 くい、とウォルヤファに袖を引っ張られた。

「……何か、困ってるの?」

 半裸の少女が、狐の耳を申し訳なさげに伏して、少し潤んだ目で見つめてくる。
 きゅ〜ん、とでも擬音が聞こえてきそうだった。

「……いや、何でもない」

 何故かその顔を直視していられず、目をそらした。
 ……少し、心臓がうるさくなった気がする。

「でも」
「いいから。気にすんな」
「……うん」

 落ち込んだような表情だったが、頷いてくれた。

『くくく、ウォルヤファの魅力にやられ始めておるな?』
「狐うるせぇ!」
『抑える事は無いぞ。汝の為したいように為すがよい』
「どこの邪神だよお前は……」

 はぁ、と嘆息をついて、立ち上がった。

「とりあえず服はこれで……」

 ザックの中から、ダンジョンにうろついているキョンシー、ムナックから剥ぎ取ったアドベンチャースーツ(ホントに剥ぎ取ったわけじゃないぞ。倒した後に残っていた物だ)を取り出す。

「……着たくない」
「と言われてもな……」

 さすがに着てもらわないと困る……ウォルヤファは気にしないかもしれないが、俺が。

『それほど気にする事かの? 今時、その程度の格好でうろついておる婦女子など星の数ほど見かけるが』
「……否定しようがないな」

 マジシャン、ハンター、ダンサー、アサシン、ブラックスミス、アルケミスト……といったところか、妙に露出の多い制服の職業達。ギルド幹部もいい趣味をしているものだ。

「はぁ。まぁいいか。じゃ、帽子だけだな。行くぞ」
「あ、うんっ」

 立ち上がると、ぱたぱた、と肉球を鳴らしながら、月夜花も立ち上がってついてくる。
 くるり、と振り向いて、

「……クミホ」
『ああ、行っておいで。ウォルヤファ。幸せになるんだよ』
「……うん。また来ていい?」
『いつでもおいで。わしの事を襲ってくれんお友達でも連れてな』
「うんっ」

 ……いないと思うがな。そんな物好きな奴。
 自分がそうだというのを思いっきり棚に上げて、そんな事を思った。





§






『さて……』

 隠し部屋を出て行った二人を見送って、九尾は―――どさり、と倒れるように体を横たえた。

『……ふふふ。いい太刀筋じゃったぞ。ほんに、な』

 これまで何も無かった部屋に、忽然と赤い血の跡が現れ、狐の体からはいまだ新しい血がどくどくと流れ続けている。
 その赤い痕は点々と隠し部屋の入り口から続いており、まるで最初から傷ついた狐がこの部屋に逃げ込んできたようであった。

『ああ、辛い。死にかけの体でここまで幻が持っただけでも奇跡じゃわい。全く若いくせに話の長い』

 九本あった尻尾が、一本ずつ消えていく。

『……わかっておるよ。あの子は優しい子じゃ。ワシの事を忘れようとはせんじゃろう』

 しかし、あの子の変化の根源が九尾の狐の魔力である以上、記憶に留め、思うだけでも、魔力の影響を受けてしまう。
 魔力とは意志。魔法とは意志の具現だから。人の想いは、最も強い魔力だ。
 それを止める方法は、一つ―――魔力の供給源を断つ事。

『ほほ。ま、ちと長く生き過ぎたからな。ちょうどいい、頃合……じゃ、て……』

 誰にでもなくそう軽口を言いながら、尻尾が一本になり……狐の首が、静かに地に落ちた。





§






「……高いな。もう少し安くならんのか」
「文句言うなって。これ作るのめんどいんだからさ。お前がこういうの欲しがるなんて珍しいから、これでも勉強してるんだぜ?」

 知り合いの商人は、困ったように、しかし交渉を楽しんでいるかのように、笑みを浮かべながら頭に被った頭巾を直す仕草をした。

「何なら、さくっと露店でも見てこいよ。これより安い値段があったらタダでやるよ。無かったら露店の値段で買ってもらうけどな」
「わかったわかった。買うよ」
「おう。まいど」

 言い包められた感が拭えないが、聞く話より安いのは確かだったので、承諾した。
 金貨の詰まった袋を渡し、目的の物を受け取る。

「しかしホントに珍しいよな。実用一点張りのお前が、そんな女物の趣味装備買うなんてよ。女でも出来たか?」
「……とりあえず否定しておくが、ノーコメントという事にしといてくれ」
「へへ、ま、お客のプライバシーにはノータッチなのが信条だからな。また何かあったら俺んとこに話回しな。優先的に確保してやんよ」
「……機会があればな」

 ノータッチといいながら、最大限に活用してしゃぶり尽くす気マンマンだ。商魂たくましい、というか。
 ま、口は出してこないし、実際商品の質も入荷の早さも折り紙付きなので、文句は言うまい。

「んじゃまたなー」

 煙草の紫煙をくゆらせながら、ごろごろと商品の詰まったカートを引いて去っていく商人。
 俺はそれを見送りながら、宿屋へと踵を返した。






 宿屋ネンカラス。
 首都プロンテラに幾つかの支店を持つ、宿屋の大手だ。

「お帰りなさいませ!」

 入り口を入ると、カプラサービスの制服を着た従業員が出迎えてくれる。
 ネンカラスはカプラサービスの系列企業で、人気のあるこの制服が採用されているらしい。

 チェーン店らしい行き届いた、しかし他人行儀とも言える接客をよそに、俺はそそくさと部屋に上がる。

「お帰りなさい」

 部屋に入ると、出迎えてくれる声。
 簡素そのものな声だったが、さっきの元気で丁寧な従業員の挨拶より暖かみが篭もっている気がした。

「あぁ、ただいま」

 そんな言葉、初めて使ったんじゃないかと思うぐらいに久しぶりだった。
 言う相手なんて、ずっといなかったからな。
 声の主はベッドの上でちょこんと座り、窓から差し込んでくる陽の光を、その珠の肌に浴びていた。
 名前は月だが、陽の元も良く似合っている。まるっきり、可憐な少女だった。

 あの後、『蝶の羽』というマジックアイテムでネンカラスに戻り、そのまま部屋に飛び込んだ。
 記録しておいた場所にワープする事の出来る物だ。多少お客や従業員に見られたかもしれないが、そのぐらいなら月夜花の耳の不自然さに気付く事もあるまい、という計算だ。
 そして、耳を隠すための帽子を買いに出て、今に至る。

「すまんな、退屈させて」
「ううん」

 月夜花は静かに首を振った。

「とりあえず、これ」
「あ……」

 袋の中から先ほど商人から買い取った物―――おしゃれな帽子を取り出して、被せてやった。

「これ……」

 月夜花は、手で帽子を抑えたまま、部屋にある姿見の方を向く。

「とりあえずそれを被って耳を隠せば、外に出ても大丈夫だろ」
「……うん。ありがとう。可愛い」

 姿見に映った自分の姿を見ながら、ほにゃっと表情を和らげた。
 
「……ああ」

 その無防備な様子を直視できず、目をそらす。
 ……やばいな。確かにこりゃ、極上の素材だ。しかも今のところ、彼女が心を許しているのは俺だけときている。
 早いとこギルドメンバーの女あたりと交友を持たせてやらないと―――

「やらないと、何だよ……まったく」

 手を出す気は無い。引き取った経緯のせいか、『戦友の娘』みたいな感覚だ。
 だが、まあ、それでも……腰の剣が友であり妻である、という生活を過ごしてきた甲斐性無しからしてみれば、これだけ肌の露出した年頃の娘が気を許してくれているというのは、十分危険領域だった。

「ほれ、月夜花」
「?」

 まだ姿見を見ている月夜花に、水晶で出来た手の平大のカードと、小袋を渡した。

「?」

 それを手の平に置いたまま、首を傾げる。

「カードは通信機だ。それを身に付けて話したい相手を思い浮かべれば、離れてる奴と話が出来る」

 Whisper(囁き。耳打ち)と呼ばれている冒険者必携のアイテムだ。カード以外にも様々な形の物が、半ば支給のような形で広まっている。
 中には、体の中に埋め込んだりとか、飲み薬にして飲むとか、そんなのもあるとか。裸になっても通信できるようになるメリットがあるとは言え、俺はそこまでする気にならないが……。

『………こう?』

 耳からではなく、頭の中に声が響いた。やってみたらしい。

『そうだ』
「……わぁ」

 同じように返事を返すと、顔が綻んだ。

「帽子を被ってれば出掛けてもいいが、変な奴に絡まれそうになったらそいつで俺を呼ぶ。いいな?」
「わかった」
「袋の中にいくらか金が入ってる。金の使い方は判るか?」

 こくん、と頷いた。

「クミホに見せてもらって、少しは」
「ああ。その分はお前の自由にしていい。その額で買えんものが欲しくなったら、俺に言え」
「うん」
「……こんなところか」

 渡すべきものは渡した。あとは……。

「街の案内、いるか?」
「……うん。わからない」
「わかった。んじゃ行こう」

 少し緊張しながら、月夜花を伴って部屋を出た。






「―――つまり、そいつの娘を預かったってだけで」
「きゃー、ツインリボンも似合うー♪」
「ヤファちゃん、こっち向いてこっち」
「くそぉ、ソロ軍団仲間だと思ってたのに、いつの間にょぅι゙ょ誘拐犯で露出調教する鬼畜野郎になってしまったんだ……くぅっ!」
「…………お前等な」

 結論から言えば、1分でギルドメンバーに発見されて、溜まり場に連れ込まれた。月夜花ごと。 
 女性陣に着せ替え人形にされている月夜花をよそに弁解を述べ立てても、だぁれも聞いちゃぁいねぇ。

「わ、この耳本物みたーい」
「ほんとだ。ねねね、これどこで作れるの?」
「え、えと、クミホに……」
「おじいちゃんの手作りなんだ。ちぇー、ざんねーん」
「可愛いのにねー」

 あっけないほど受け入れられていて、拍子抜けた。
 ……いや、俺にとって都合がいいのは確かなんだが。もう少し疑問を持てよお前等。

「ダメよ白くん。女の子にはちゃんと可愛い服を着せてあげなきゃ」
「……本人が嫌がるもんを着せてもしょうがないでしょう」

 ギルドの中でも年長の女聖職者が、諭すように言ってくる。
 クミホと言う俺の友人のマタギの爺さんに引き取られて山の中でずっと過ごしていた、と説明してある。まぁ大して違いは無いだろう。

「それでもダメ。女の子は着飾るものなの」
「はぁ」
「お爺さんの作ってくれた耳飾りを隠すようなおしゃれの帽子は減点対象ね。もう、こういうのになると白くんはからっきしなんだから」
「…………」

 色々と言いたい事はあるが、ぐっと飲み込む。
 とてとて、とブーツの音がして、

「剣さんは……悪くない」

 いつの間にか月夜花が俺の前に仁王立ちしていた。

「ちゃんと、私の事を考えて買ってくれたものだから……悪くないから」
「……月夜花」

 ……何とも言えない感情が起こる。

「……そう。ごめんね。別に白くんを責めてるわけじゃないのよ?」
「……ほんと?」
「ほんと」
「うん」

 まあ、気分は悪くない。

「<ひそひそ>どうやってあそこまで手懐けたのかしら……あの白鳳が</ひそひそ>」
「<ひそひそ>意外とヤり手……?</ひそひそ>」
「<ひそひそ>有り得ないとは言い切れないわね。シモの刀の習練も怠らないってか?</ひそひそ>」
「<ひそひそ>やーねやーね</ひそひそ>」

 ……向こうでひそひそやってる連中はあとで斬るか。

「ねねね、ヤファちゃん」
「?」

 ひそひそやってた連中の一人、女ハンターが、悪戯っぽい笑みを浮かべながら近付いてくる。

「随分とコイツの事信頼してるみたいだけどさぁ。コイツのどこがいいの?」

 余りと言えば余りな言い様だった。
 まぁ、メンクイを自認していて、お洒落とやらに全く興味の無い俺のようなのは男として認めていないと公言して憚らない奴なので、しょうがないといえばしょうがない。
 別に悪い奴じゃあないんだが。

「…………」

 月夜花はしばらく考え込んでいる様子で無言を続けた後、

「幸せを、教えてくれるから」
「へ?」

 単純且つ難解な答えに、その場の誰もが疑問符を浮かべている。

「幸せになるってクミホに約束したから……剣さんが、幸せって何か、教えてくれたから」

 ……何となく、一度静まった場のボルテージが上がっていっている気がする。

「あー、えと、その、それって、そういう事……?」

 乾いた笑いを貼り付けながら、女ハンターが聞き返した。
 月夜花はその言葉の意味がわからなかったようで、首を傾げている。

 コイツが(そしてこの場の誰もが)どんな解釈をしているか、背中の冷や汗が教えてくれる気がした。

「<ひそひそ>何、もしかしてマジなの?</ひそひそ>」
「<ひそひそ>幸せを教えてくれた、だってー。うわーうわー</ひそひそ>」
「<ひそひそ>いたいけなょぅι゙ょに女の幸せを教えただとー! う、裏切り者ー!</ひそひそ>」
「<ひそひそ>やーねやーね</ひそひそ>」

 ……既に誤解は蔓延してしまっているようだが、弁解すればするほど疑惑は深まっていくような気もする。

 悪ふざけであってほしいものだが……はぁ。

 俺に出来る事といえば、深く溜め息を吐きながら頭を抱える事だけだった。

「……白鳳、少しいいか?」
「ん」

 と、騒ぎの中、潜めた声を掛けてきたのは、副ギルドマスターだった。
 切れ長の双眸にミニグラスをかけた賢者(セージ)。参謀、とか、軍師、とか、そんな役職が似合う男だ。

「あの娘の耳、もしかして本物ではないのか?」
「……やっぱわかるか」
「まあ、普通はな。あと、お前の顔もだ」

 ……その線もあったか。
 あまりに皆が気付かないものだから、かなり呆れた表情をしていたに違いない。

「まあ、簡単には話せない事情のようだから、聞かないではおくが」
「助かるよ」
「ギルドの風紀を乱す真似だけは慎むようにな」
「…………」

 くいっとミニグラスの真ん中を指で押し上げる仕草をすると、真面目なのか冷やかしなのかわからない忠告を一言残して、静かに離れていった。
 ……頭のいい奴の考える事はよくわからん。






「…………」

 時間はあっという間に過ぎていった。
 窓から見上げる夜空は、ぽっかりと月の浮かんだ月夜。

「疲れたか?」
「ううん」

 ベッドに腰掛けている月夜花は、首を横に振った。

「楽しかった……人と、話すの」
「そうか」

 俺には玩具にされているようにしか見えなかったが……。

「人が笑ってるって、気持ちいいね」

 夜空に目を向けながら、そんな事を呟く。

「笑顔の時は、みんな幸せそうだから」

 独り言なのか俺に話しているのか区別がつかなかった。
 気の利いた返答も思いつかなかったから、窓に顔を向けている彼女の後姿を見ながら、じっと耳を傾けていた。

「私も、幸せになれるかな」
「……さあな」

 我ながら気の利かない台詞だ。
 月夜花から目を離して、ばふ、とソファーに寝転んで目を閉じた。
 夜に女の子の肌を見続けるのは色々とよろしくない。

「お布団で寝ないの?」
「お前が使え」
「寒くない?」
「自分の格好見てから言え」
「私は寒くない」
「なら俺も寒くないだろ」
「でも」
「いいから」

 強めに言うと、黙ってもぞもぞと布団に潜り込む音がした。

「やっぱり、お布団で寝ようよ」

 しかし、彼女は意外と強情なようだった。

「だから、お前が使えって」
「私も使うよ」
「……"も"?」
「二人ぐらいなら寝れるよ。お布団、大きいし」

 ……まじっすか。姐さん。

「……それはダメだ」
「どうして?」
「どうしてもだ」

 同じ部屋で寝るのだってホントは勘弁してほしいんだぞ。
 今日はネンカラスが満室で、違う部屋を確保できなかったんだ。

「剣さんが風邪引いちゃうと、私、悲しいよ」
「…………」
「風邪って苦しいから」

 とまあ、こっちの悩みなど知るはずも無く、的外れな心配を向けてくる。 

「剣さん……」
「……あぁ、わかったわかったよ」

 白旗を揚げてソファーから上半身を起こすと、安堵の微笑みを浮かべた月夜花がベッドから顔を覗かせていた。
 起きだして、その隣に体を入れる。 

 ―――子供だ。こいつは子供だ。子供と思い込め。子供をあやして寝かせるだけだ。

 伝わってくる直の体温に、そう念じる。念じなければならない時点で手遅れ、という気もしないでもないが。

「ほれ、寝ろ」
「うん」

 素直に目を閉じた。
 それは、とても安心しきった顔で……何か、懊悩しているのが馬鹿らしくなった。

「……ふぅ」

 一息吐き出して、俺も目を閉じる。
 いつもより、眠りに入るまでのまどろみが短かった気がした。






「はぁっ……はぁっ……」

 ごそ……ごそ……

「んっ……んぅっ……」

 ―――ん。
 衣擦れの音。意識に小さな明かりが灯る。

「んっ……んっ……んっ……」

 くぐもった声が、衣擦れに混ざる。
 ぞわり、と、何かが足元から這い上がってくるような感覚。

「なんだ…………!!!!?!?!」

 上半身を起こし、薄目を開けて―――飛び上がりそうになった。

「あはぁ……剣さぁん……」

 そこには、唯一の着衣だった毛皮の下着さえも取り去って、俺の上に馬乗りになっている月夜花がいた。

「うぉ、うぉるっ……!?」
「んっ、あんっ……」

 しかも、全身を俺の体に擦りつけるようにして、悩ましく蠢いている。
 その顔は、悦びに紅潮していて……思わず、ゴクリと喉が鳴ってしまった。

「…………」

 ゆ、夢かこれは?

「剣さぁん……」
「うわっ!」

 俺の顔に頬ずりしてくる。目の前には甘く蕩けた表情。
 跳ね上がった動機は、夢なんかではありえない感触だった。

「あぁん……」

 俺の全身に、彼女の全身を余すところ無く触れさせるのだ、と言わんばかりに、その肢体をくねらせるウォルヤファ。
 ―――ワイルドローズの発情期みたいだな、などと寝起きの頭が考えた。

「って」

 まさか……。

「にゅぅーん……」

 は、発情してる、のか?

「はぁん……体、熱いの……」

 体の一部がキツネになってるんだから、ありえないことじゃないのかもしれないが……。

「あん、あん、あぁん」

 馬乗りの状態のまま腰を振って、俺の腹に股を擦りつけている。
 寝巻き代わりの肌着が、擦りつけられたところからびっちょりと濡れてくる。

「おいおい……っ!」

 粘性のそれは、間違いなく……女の液だった。

「んっ、んぅっ、き、気持ちいいよぉ……」

 俺の真上で繰り広げられる少女のオナニーショー。瞬く間に、下半身が男の反応を示し出す。
 や、やばいっ、まさかこんな罠が……!

「剣さん……行っちゃやぁ……」

 ベッドから転げ落ちる勢いで体を逃がそうとするが、月夜花にぐいっと引き戻される。
 言葉と表情に似あわない腕力だった。

「はぁ、あはぁ……」

 再び俺の体を使った自慰に耽り始める月夜花。 

「あん、あったかいよぉ……」

 ぎゅう、と俺の体を抱き締め、腰を振りながら、うわ言のように呟く。

 ―――あー、何だ。犯っちまってもいいのかこれは。

 呆れ混じりに、そんな事を思う。
 正直、月夜花の肢体は酷く艶やかで、むしゃぶりつきたくなるのを懸命に抑えなければならなかった。

「んん、ん、んぁぁ……」

 ぺろぺろ、と顔を舐めてくる。ピンク色の舌が俺の唇に触れた瞬間が―――限界だった。

「んっ! んんっ! んちゅっ……!」

 その舌ごと、唇を吸い上げた。
 柔らかく、温かい。

「ん、ふぁぁ……ぴちゅっ、ぴちゅっ」

 舌を絡ませ、口内を蹂躙する。夕飯のデザートに食べていたリンゴの味がした。

「んあぁ……」

 ちゅぷ、と舌を解放する。

 ―――やっちまった。

 キスの余韻で火照った頭が、じっと見つめてくる月夜花と瞳を交わす。
 潤んだ瞳。

「……んふ」

 にこっ、と目を細めて、ほのかな笑みを浮かべる。
 どきりと心臓が跳ね上がった。

「…………」

 俺、もう手遅れなのかもしれん……。

「んっ……おちんちん、大きい……」
「う、月夜花……」

 ズボンを下げられた冷却感と月夜花の過激な言葉で、我に帰った。
 キスに興奮しきっていたそれは天を突き、すぐ上にある月夜花の女を貫きたいと大きく跳ねる。

「はぁっ……はぁっ……」

 呼吸が荒ぶる。
 頭の端っこに欠片だけ残った理性が何とか体を留めるが、留めるだけ。

「あはぁ……」

 口元に微笑みを残したまま、月夜花が躊躇い無く腰を落としていく。
 つぷ、と先端が潤いに触れた。

「うぐ……!」

 くぷぷぷ……!
 男性自身の半分ぐらいが月夜花の膣に飲み込まれたところで―――最後の理性の欠片は、その潤いに洗い流された。

「ひゃぁっ!」

 腰を突き上げると、嬌声が漏れた。
 月夜花の中は小さく、狭く、根元まで入りきる前に、先端が最奥を貫く。

「あっ! おお、きっ、あっ! あふっ!」

 月夜花も積極的に腰を動かしてくる。痛みは全く無いようだった。
 遠慮無しに、対面座位のまま月夜花をピストンで突き上げる。

「あんっ! あぅ! んっ! あっ! はぁん!」
「くっ……!」

 狭くとろとろに潤った膣壁が男性器を飲み込んで、締め上げてくる。

「ふぁっ! ふぁぁぁん! おく、おく、あたってるよぅぅ……!」

 月夜花は、俺の首に手を回してぎゅっと抱きついている。耳元で暴れまわる嬌声は、俺の興奮を煽り立てるのに十二分な働きだった。
 腰をくねらせる月夜花を押さえ、ただひたすらに抽送させた。

 ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ

「あっ! んっ! あっ! あっ! んあぁっ!」

 尻肉がぶつかる音に、ぴくぴくと月夜花の狐耳が震えていた。
 一突きするごとに、その体も、そして同時に俺の体も、ふるふると震える。

 ―――もう、限界。

「んあっ!? はぁぁぁぁぁん!!」

 抱き締めて、ぎゅちっ、と月夜花の奥の奥に亀頭を捻り込むと、そこから背中に、電気のような快感が駆け昇った。

 どぴゅっ、どぴゅっ、どぴゅっ、どぴゅっ……!!

「ふゅああ、あ、あ、あぁぁ……」
「うっ、うっ……!」

 少女の子宮に注ぎ込む快楽に、視界も白く迸る。

「うっ……!?」

 波打って精を吐き出し、縮みながら自然と膣から抜けてくる―――はずの肉棒は、萎えるどころか、ますますそそり立ちながら射精を終えた。

 明らかに体がおかしかった。ど、どうなってんだこれは?

「やぁっ、おっき、おっきいよぉっ……!!」

 未体験の感覚だった。
 射精後の気怠さなど全く無く、ウォーミングアップを済ませた本番前、とでも言うように、体はますます滾ってくる。
 吐き出した白い精の熱さを、勃起しきった亀頭に感じ、膣壁はまだまだ足りないといわんばかりに蠕動してみなぎった男を刺激してくる。

「はぁん!」

 衝動の赴くまま月夜花を押し倒して覆い被さり、再び腰を打ちつけ始める。

 じゅぷっ! じゅぷっ! じゅぷっ!

 先程より遥かに粘性の高い淫音が部屋中に響き渡り、繋がったところから甘い痺れが昇ってくる。

「おなか、おなか熱いよ……! あ、んっ、んっ、んんんっ!」

 どくっ!

「あっ……あっ……あふっ……うっ……」

 長く保たせようとかそういう思慮は全て吹っ飛んで、衝動のままに吐精する。
 萎えない。ビクン、ビクンと狭い膣の中で勃起したままの肉棒が跳ね、少女の肢体もそれに合わせて震えた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
「ひあぁぁん……!!」

 軽い体をひっくり返して四つんばいにさせた。
 荒い息を抑えもしないまま、まだ固さの残る尻肉を掴んで、あどけない体に肉の杭を撃ち込んでいく。

「ひぃん! あっ、いっ、いっ、んっ、んっ!」

 びちゃっ、びちゃっ、と、膣を塞ぐ肉の栓から溢れ出した液が卑猥な音を奏でる。 
 二回分の射精と、月夜花自身の女の液が混ざった、淫液。

「あぁーっ! あぁぁーっ! うぁーっ! うぁあーっ!」

 月夜花は大きく口を開けて、喘ぎとも悲鳴とも付かない声とともに激しい呼吸を繰り返す。
 シーツに押し付けられた紅潮しきっている顔から、涙と涎れと悦びが滲んでいる。

 ぱちゅっ、ぱちゅっ、ぱちゅっ……!

「ひぁーっ! ひぁーっ! あっあっ、あぁああーーっ!」

 もう、月夜花の中に出す事しか考えられなかった。
 薄い胸をまさぐり、可愛い顔を振り向かせてキスをねだり、小さな舌を吸い上げて、腰を振る。

「あああぁぁぁぁあぁぁあぁあ…………!!!」

 確かな絶頂の声を耳に入れながら、ゆっくりと俺の意識は暗くなっていった。






「…………はっ!?」

 がば、と跳ね起きた。
 すぐ横の窓から差し込むのは、東からの朝日。

 記憶は不思議なほど鮮明だった。意識を失う瞬間までの生々しい感触はそのまま残っていて……心臓が、まだがなりたてている。

「うぅん……ん」

 悩ましげな寝息が下から聞こえてくる。見るまでもなく、それは月夜花だった。
 布団をすぽっと被っていて、肩すら見えない。

「……夢、か?」

 ……素っ裸で呟いてみても、説得力は無かった。
 そっと布団を摘んで、月夜花の体も見てみる。

「ぶっ!」

 ちらり、と肩から胸、お腹へのラインが見えたところで急いで布団を戻す。裸だった。確実に。 

「…………」

 おそるおそる、と自分の分の布団を剥がしてみれば、べっちょりと粘っこく濡れたシーツが生乾き。
 ……もはや、どういう言い逃れも出来ない状態だった。

「んん……」

 月夜花の寝顔は安らかだ。どことなく、すっきりした、という風にも見える。

「あ"ー……」

 頭を抱えても、事実は消えてくれない。
 ……誘ってきたのは月夜花の方だ。しかし、世間体を考えればそんなもの全く問題ではないだろう。

 あんなケダモノのように遠慮なく交わって、周囲の宿泊客に丸聞こえだった事は疑いない。

「はぁー……」

 雲ひとつ無い快晴が、妙に恨めしかった。

「ん……」

 もぞもぞ、とシーツの衣擦れの音。
 見ると、月夜花がちょうどゆっくりと瞳を開けるところだった。

「……おはよう、剣さん」
「……あぁ」

 裸の俺を見ても、特に表情を変えないまま挨拶してくる月夜花……だが、その顔がすぐに曇った。

「何か、べとべとする……」
「そりゃあ、お前……」

 眉を顰めて、体に掛かっていた布団を剥がす。
 ……さっきチラリと見た上だけでなく、下も素っ裸だった。

「……? 何か、あったの?」
「いや、何かって……」

 う、月夜花の脚の間から、とろりと流れ落ちる白いものが……!

「これ、何だろ……剣さん、知ってる?」

 指でそれをすくい取って、俺の方に向けてくる。

「……もしかして、覚えてないのか」
「?」

 何を? とでも聞きたげに、首を傾げた。

「……はぁ」

 どっと疲れが押し寄せてきたような気がした。
 発情期でも来たのかとその時は思ったが、まさか覚えてすらいないとは……。

「ね、お風呂、入りたい……」

 自分の体を見回しながら、月夜花はそう言った。

「……そうだな。とりあえず風呂入るか」

 部屋風呂、なんて御大層なものは、冒険者が泊まるような宿には無い。ともすれば浴場という施設すらないのが普通だが、ネンカラスはチェーン店舗の為か、共同浴場は設置されている。
 としても、部屋を出てそこまで行かなければならないわけで……。

 ガチャリ。

 誰にも会わせないでくれ、という願いは、まだ挑戦すらしていない段階で無残にも打ち砕かれた。

「やっほーヤファちゃーん! 遊びに行―――」

 どやどや、とギルドメンバーが部屋に雪崩れ込んできて……時が止まったかのように静止した。
 廊下には、ローグがシーフツールの鍵開け道具を手にして尻餅を付いている。

「あ、あ、あ……」

 わなわな、と先頭切って飛び込んできた女ウィザードの肩が震えて、今にも爆発しそうなのを見やりながら……俺は、神に呪いを捧げた。

 




「……何でこんな事に」

 騎士鎧の代わりにタキシードで身を包んだ俺は、遣る方ない呟きを漏らした。

「なーんも買わずに金溜め込んでんだから、このぐらいの出費いいだろ?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題なんだ? ん? 幼女強姦魔さんよ?」
「人聞きの悪い事を言うな!」

 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら誤解を招きまくる表現をしたローグを睨みつける。
 ……タキシード姿では帯剣出来ないので、その顔にツヴァイハンダーをぶつける事が出来ないのが悔しいところだ。

「まぁ諦めろ。手ぇ出したのはおめーだろうが」
「…………」

 色々と言いたい事はあるが……言うわけにもいかないので憮然とするしかない。

『ヤファちゃんがケダモノの毒牙にぃぃぃぃぃぃぃっ!!!』
『おやおや、コイツは……』
『バッチ遭遇、ってか』
『あららー、やるわね白くん』
『風紀を乱すなと言っておいたはずだがな……やれやれ』
『まさか責任取らないわけじゃないわよねぇ、白鳳?』
『今日は確か結婚式の予定は無かったはずだぞ。白鳳は趣味装備買わねぇから3Mぐれー貯め込んでっだろうし』
『じゃあ善は急げ、ね』

 あの後、そんなこんなで俺の財布から3Mほど抜かれた挙句に一直線で連れてこられたわけだが……。
 目の前では、結婚コンパニオンに勝手に俺の金を渡す女プリースト。
 ……マジですんのかよ。

「剣さん」
「ん……」

 声に振り向いて、ただただ驚いた。

「うふふふふふ、素材がいいといじるのも楽しいわー」

 後ろで女アルケミストが不気味な笑いを浮かべているが、目に入らない。

 淡く黄色づいたウェディングドレス。薄い生地のヴェールから狐の耳が透けていて、薄化粧を施したその顔は透き通るぐらいに綺麗だった。

「…………」
「剣さん?」
「なんか言ってやれよ。花嫁によ」
「……うるさい」

 ……見とれてしまっていた、なんて口が裂けても言えない。

「それじゃ、いってらっしゃい」

 とん、と背中を押されて、沿道にメンバーが立ち並ぶバージンロードに立たされた。
 赤い絨毯の先には、現在結婚式を取り仕切っているルーンミッドガルド国王トリスタン三世陛下。
 隣には、まだ知り合って二日しか経っていない花嫁然とした少女。

「結婚って、ずっと一緒に居るって言う約束って、聞いた」
「……まぁ、そうだな。嫌なら嫌って早く言っとけよ。こいつらノリ始めると止まらねぇから」
「ううん……私、剣さんと一緒に居たいから、嬉しい」
「…………」

 頭を抱える。
 やっぱりもう、手遅れなのかもしれない。

 それは……悪い気分ではなかったから。

『ひょひょひょ。だから言ったじゃろう』
「っ!?」

 振り向いた。が、そこには何もいない。
 ……幻聴、か? いや、確かに聞こえた、あの飄々としたムカつく狐の声。

「クミホの匂いがする……」

 すんすんと鼻を鳴らす月夜花。声は、聞こえていないのか?

「見守ってくれてるのかな」
「……かもな。さ、行くか」

 ここまで月夜花の腕を引いてきた父親役の九尾の狐から、腕を受け取る―――俺だけにわかるそんな仕草で、月夜花の腕を取った。

『ウォルヤファを、頼んだよ』
「……ああ」

 ……ま、やってみるさ。

 その日、プロンテラ大聖堂に大きく、祝福の鐘が鳴り響いた。














<寡黙な騎士と大きな鐘を振り回す少女のコンビは、それなりに有名になったそうな……>