尾張2.正念寺 
   春日井市中町
名鉄小牧線春日井駅西
国道102号沿い、山門も無く本堂が境内にあるのみである。

句碑は国道に面した、木の下に史跡芭蕉句碑址の碑とともにある。
句碑表
 來與に穂麥喰はん草枕   芭蕉

 來與に穂麥喰はん草枕 
  (いざともに ほむぎくらわん くさまくら)
この句碑は、芭蕉翁が貞享二年(1685)に詠んだ「野ざらし紀行」の中に見える。芭蕉が行脚の途次、この地正念寺(中町)近くの農家に一宿した折りの吟であると伝えられる。時は旧暦の四月何分田舎のこととて、差し上げるものもなく婆やが思いつくままに、新麦の穂をとって来て、「青ざし」をこしらえ差し出したところ、芭蕉は喜んでこの句を詠んだという。
この地方には昔から麦の端境期になると空腹しのぎに大麦を青刈りして穂を石うすで轢き、餅のようにして食べる風習があった。
すぐ東の坂を穂麦坂、またの名をへそ坂ともいう。
南の味鋺原、北の小牧原、東の下原に対しここは原(腹)の中央、すなわち へそ にあたるというのであろう。
これも芭蕉な即興とつた伝えられている。
寛政十二年(1800) 城北後借舎連中建立