9.勝地峠の菫塚 
  岐阜県養老郡上石津町多々良 
関ヶ原方面からR365トンネルの出口のガソリンスタンドを右に折れ、直ぐのY字路を右に進み約500mで峠の頂上、30mほど手前の山側にあります。

  山路来て何やら床し菫草
           芭蕉翁

台座
  文政十三稔寅三月日  
     西濃市之瀬邑社中
   8人の名が刻まれています
   
勝地峠(勝地坂) 島津藩ゆかりの地
ここは伊勢街道最大の難所といわれた勝地峠(183m)である。この峠は道が険しく、荷物を運ぶにも馬を使用することが出来ず、背に負い歩(かち)によって運んだので歩路(かちじ)といった、また天正11年(1583)秀吉の軍が北勢攻めで勝利を収めこの峠を越える時勝地と秀吉が名付けたとも伝えられる。
慶長五年(1600)9月15日、関ヶ原合戦で西軍が敗れたとき、血路を伊勢街道に求めた島津の兵士達が傷ついた身を互いに介護しながらこの峠を越え多良へたどり着いた。      上石津町