202.柳生街道〜石仏巡り〜芳山(517m)〜若草山

奈良市 平成20年8月25日

JR奈良駅…柳生街道滝坂の道…首切り地蔵…地獄谷石窟仏…石切峠峠の茶屋…芳山…
峠の茶屋…春日山石窟仏…鶯の滝…若草山…JR奈良駅
  約17km 歩行時間約6.5時間

久し振りに柳生街道を歩いてみる。数年前に2度ほど歩いた記憶が有るがもう10年以上経つか、今回は滝坂道を歩いて、芳山を目指す。平日は人気のハイキングコースも歩く人にもめったに会わない。一人歩きが時々心細くなるウオーキングでした。

JR奈良駅スタート am10:00
奈良駅は高架工事中で以前の面影はない、幕に覆われた通路ばかりが目立ち、旅の雰囲気が損なわれる。駅前の商店街を抜けると右手に猿沢の池。

高畑町の交差点を渡り、新薬師寺への右折の案内を見ながら直進する、am10:50中学校の前でいよいよ東海自然歩道滝坂道入口

滝坂道 石畳の道
江戸時代に、柳生家が奈良奉行に敷かせたものといわれている。荒木又右衛門や宮本武蔵をはじめ、数知れない剣豪たちが柳生の里を目指してこの道を通ったことだろう。

寝仏
いよいよ石仏群のはじまり案内板がないと見落としてしまいがちだが、裏側に大日如来像が刻まれている。元来は上方の大きな岩に彫られた四方仏の一部が転がり落ちたもので

夕日観音
鎌倉時代の作と言われている。道から少し斜面を登った高所に刻まれた弥勒磨崖仏。夕日を受ける方向に向かっていることからこの名があるらしい。足場の悪い崖を登り撮影。

朝日観音 説明板より
これは早朝、高円山の頂から刺し昇る朝日に真っ先に照らされてくることから名付けられたもので、実際には観音ではなく中央は弥勒仏、左右は地蔵仏です。この石像には文永2年(1265)の銘があり、鎌倉時代の石彫の代表的なもの。、

首切り地蔵  am11:40
アスフアルト道へ出る、東屋で二人連れに今日始めて出会う。
この街道の有名なスポット、荒木又衛門が試し斬りしたと伝えられている。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。能登川沿いに上ってきたこの道は滝坂道と呼ばれています。

地獄谷石窟仏
首切り地蔵を右へ入る。暫くして池を左手に地獄谷へ向かう。
凝灰岩層をくりぬいた洞に線刻された像は、平安時代に彫られたもので、春日山石窟仏の中では最も古いといわれています俗に聖人窟(じょうにんぐつ)と呼ばれています。

地獄谷から石切峠へ
多くのハイカーが訪れる道も処々は狭く、鎖場も、左は谷です。

石切峠 pm0:35 
首切り地蔵からの道、と地獄谷への道分岐に上がりました。

峠の茶屋 pm0:40
お客は誰も居ない。店先に猫が日向ぼっこ。
草団子とお茶を頂いての小休止。

本日の目的芳山517mへ峠の茶屋から約200mほど先公衆トイレの向かい側に登山口。標示はない。

分かれを左に進むと茶畑、そこでフエンスが、戻って民家で聞くと猪防御柵で、開けて通ればよいとのこと、案内板でも置いてくれたらと、途中に分れがあり左芳山と札が下がっていたが、右へ行くと三面石仏があったらしい。見落とした。
これも標識欲しいよ!。

芳山頂上 pm1:30
展望も効かない。三角点があり書いた誰かが芳山と書いた文字が残っているだけ。

春日山石窟仏 pm2:20
今日見た石窟仏では最も大きく感銘した。腹ごしらえと小休止する。(石切峠の穴仏とも呼ばれる)史跡久寿2年(1155年) ここの石窟仏は、大仏殿を建てるために石材を取った跡に彫られたもので、石仏は全部で18体あるが、写真はそのうちの東窟に彫られた六地蔵の四体である。誰が彫ったのか明らかでないが、大乗院の一僧(山伏)が岩窟に起居して彫刻したとか、石材を掘り取ったときに石工が彫刻したとか言われている。

奈良奥山ドライブウエー
鶯の滝へ、地道の車道をひたすら下がる。

鶯の滝 pm3:00
ドライブウエーから右に約800m
「水滴が氷をたたき、まるで鶯が鳴いているように聞こえた」ということが名前の由来ということです

若草山頂上 pm4:00
人影もまばら、春日山遊歩道で東大寺3.6km、奈良駅まで電車の時間が気になり急ぐ。

奈良公園 pm4:35
東大寺前バス停に丁度奈良駅行きが来る。最後に乗車で駅まで。
   
ゴールJR奈良駅pm5:05

歩行距離17kmのハイキング、芳山の眺望と三面石仏が見られなかったことが、少し心残りの一人旅でした。一人歩きの不安も良く知られたコースであり、地図と案内書片手でも特段不安も無い。次は笠置駅から忍辱山コースを歩いてみよう。