■あま市の暴れん坊将軍・松下あきのり web site

■将軍もの申す「市政への提言」
◎未来をになう、子どもたちのために
■優先順位は、どちらだ!
 夏といえば甲子園。今年は100回目の記念大会ということで、連日テレビでも、甲子園の話題であふれかえっている。その昔は、甲子園を目指していた高校球児だった私も、この季節になると、ワクワクしてしまう。  だが、この暑さだ。一部の地方大会では、昼日中の試合を夕方にずらすなど、対策を取っていたようだが、ますます暑くなるだろう地球に、やがては対応しきれなくなる時が来るだろう。甲子園が、夏の風物詩でなくなる時代がやってくるかもしれない。
   そんな状況に関わらず、あま市内の小中学校には、今だに冷房が設置されていない。早く設置をすべきだと主張をしているのだが、約10億円かかる経費が出せないとのこと。全小中学校に設置されるのは、どんなに早くても2年後になると言う。熱中症で亡くなった小学生がいるというのに、悠長な返事だ。   その一方、2022年に開庁予定の新庁舎の予算は、100億円以上になる。4割は合併特例債(低金利の貸付)でまかなわれるが、金額が1桁違う。さて、どちらの優先順位が高いのだろう。一生涯住み続けたいまちを謳うあま市なら、自明のことだ。(2018.8.10)
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◎あま市議会議員の定数を定める条例について
■議員定数削減と議長不信任決議案
 議員定数を2人削減する案が、ひとつ覚えのように議会改革、議会改革と主張する与党議員たちから、6月議会の議員提案として提出された。
 本来ならば、このような提案は、全員協議会や特別委員会で審議をされるべきである。そして、それらの会議は、議長権限で開催ができ、議長は、議員の意見を聞いて、骨子を決めねばならない。
 野党議員の我々としては、議長に何度か、全員協議会の開催を迫ったが、結局、何の返事もなかった。バカにされたような気持ちになるとともに、議長は、議長としての職務を怠っていることになろう。そんな議長は、お断りだ。そこで、議長不信任決議案を出したのだ。だが、多数決では不利な私たち野党議員。当然、否決をされてしまった。
 それは致し方ないにしても、議員定数削減について、話し合いの場が持たれなかったのは、今考えても、承服しがたい。
 結局、私を含む野党議員たちが提案をした、より多くの議員を削減する4減22人の案は、話し合いのテーブルに乗ることもなく、2減の24人で可決をされた。(2014.7.1)
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◎新庁舎を造る?
■新庁舎建設について
 あま市がスタートをきって、はや4年半が過ぎようとしている。合併当初、七宝北中学校跡地に、新庁舎を建設するという話が、旧七宝町を中心に出回っていた。だが、いつのまにか、人々の口にのぼらなくなり、立ち消えになっていたと思っていた。
 その話が再浮上したのは、平成26年度一般会計予算が発表された2月19日のことである。予算の中に、新庁舎建設調査費用が700万円計上されていた。そして、翌々日の某新聞に、七宝町沖之島に新庁舎を建設すると書かれていたのだ。
 現在、あま市は、市民病院の建設、給食センターや斎場の新設などで、合計150億円の借金をする予定である。ここに、さらに新庁舎を建設すると、100億円程度が必要となる。新庁舎は、子や孫の代まで借金を残して、建設をする必要があるのだろうか。
 また、主たる事務所を移転する場合には、議会の3分の2以上の賛成が必要である。最初に、議会の承認を得なければ、調査費用をドブに捨てることになりかねない。
 あまりにずさんな進め方だ。8万8千の市民を守らねばならないあま市である。もう少し、しっかりしろよ、と言いたい。(2014.6.12)
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◎あま市の人権行政
■人権行政ってなんだ
 あま市では、旧同和対象地域限定で、幼稚園入園、小・中学校入学への支度金制度、保育園の被服費支給や減額制度、かつ出産祝い金制度がある。さらに、1ヶ月5,000円〜15,000円という家賃の安い市営住宅(改良住宅)に入居ができるのは、同和地区およびその親族に限られている。これは一種の逆差別ではないかと、議会で質問をした。
 入園、入学の支度金制度は、即刻廃止か、もしくは、全世帯に支給すべきだし、市営住宅(改良住宅)の入居対象者は、生活保護家庭や母子家庭へも広げるべきではないかと考えている。
 これに対する市長の答弁は、いろんな面で研究をして、議論をしてゆくの一点張りであった。確かに、市営住宅(改良住宅)については、複雑な歴史的事実があるにしても、支度金のような不平等な制度は、県内でもあま市だけだと聞く。今すぐにでも、やめることができるはずだ。早く(旧)同和地区・人権行政などの言葉が死語となるよう、あま市の迅速な対応を求める。(2012/3/25)
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◎子どもは社会の宝物
中学生までの医療費無料化 [番外編] A議員の大きな矛盾
 中学生までの医療費無料化は、子育てをしている人たちにとっての大きな望みだ。
 市長派のA議員は、4年前に発行をされた選挙公報に、「中学3年生まで子ども医療費無料化の実現」を掲げていた。今は、削除をされているが、WEBサイトでも、公約として掲載をしていたそうだ。  ところが、H25年の12月議会に、『中学卒業まで医療費無料化』を求める請願が出されたとき、彼は、「財源がないままに(無料化を)実施し、子や孫の代まで借金を残すのか」と豪語し、反対に回った。財源がないと言ったのは、もちろん行政だ。
 結局、A議員の選挙公約は、有権者の受けを狙って書かれたものに過ぎないのだろう。自分がどんな公約を掲げていたかを、忘れているのだ。それほど、公約とは軽いものなのだろうか。彼には、ぜひとも一度、じっくりと考えてほしいと思っている。(2015.3.1)
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中学生の医療費補助〜2014年3月議会〜
 12月議会で、賛成・反対の討論が行われた中学生の医療費無料化。与党議員たちは、まるで行政を代弁するかのように、財源がないまま実施し、子や孫の代まで借金を残すのかとまで言い、見送られることになった。
 ところがだ。それからたったの1か月半のち、今度は行政側から、中学生の医療費を3割負担のさらに、3分の2補助する案が出された。そして、3月議会では、全会一致で可決をした。
 目的は、3月議会から1ヵ月後に行われた市長選挙だったのか。住民のためなら、どんな思惑があっても、大歓迎だ。だが、どうせなら、変な勘繰りをされないうちに、実施をしておけばよいのにと、人の心配をしてしまった。(2014.5.15)
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■続・小中学校区・学区割り見直し
 私の選挙公約でもあった「小・中学校の学区割見直し」がいよいよ本格的に実施されることになった。12月議会での一般質問で、教育委員会からウワサされている七宝北中学校の統廃合なく、平成27年度から「学区割の見直し」を実施をするという言質を取り付けた。今までは、近くとも、通うことができなかった学校に通えるようになる。同じあま市内の小中学校の児童数の偏りも少しは、改善できるだろう。「合併して良かった」、そう思ってもらえる施策になると信じている。(2013/1/15)
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■中学生の医療費無料化〜2011年9月議会〜
 現在、あま市では、小学校卒業までは通院と入院、中学校卒業までは入院が無料となっている。だが、子育て支援を推進すると銘打っているのであれば、中学校卒業までの通院・入院の無料化を実現すべきだと常々思っていた。そこで、9月議会の一般質問で、合併をしなかった大治町が推進しているのに、「福祉に厚く、税に薄く」をキャッチフレーズに、財政難を克服すべく合併をしたあま市が、なぜ、中学生の医療費無料化を進めないのかと問うた。行政サイドの答弁は、中学生の通院を無料にすると年間約7,000万円〜8,000万円強の支出が必要であり、財政的に無理だとのこと。はてさて、これでは何のための合併だったのかわかりゃしない。合併のためにお金を使う代わりに、合併をせずに、子どもの医療費無料化のために使ったほうが、ずっと良かった。さらに、その一方で、最近、あま市にサッカースタジアムを建設しようという案を市長が出しているとのうわさがある。優先されるべきは、いったいどちらなのか。「子どもは社会の宝物」、この言葉をかみしめつつ、中学生までの医療費無料化を強く推し進めてゆくつもりである。(2011/10/1)
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■続・子育て支援のワクチン接種〜あま市H23年度版〜
 美和町時代、私が一般質問をした、乳幼児へのHIBワクチン接種と、女子児童への子宮頸がん予防ワクチン接種に、あま市からわずかではあるが、補助金が出ている(これ以外にも、小児用肺炎球菌ワクチンにも補助金が出ている。また、H23年度の子宮頸がん予防ワクチン接種への補助は、中学1年生か高校生の女子児童が対象)。国からの補助が出ているから実施ができたそうだが、どうせなら、他市町村に先駆けて実施をさせたかった。すべての人が平等であるこの時代に、予防接種があるにもかかわらず、接種ができずに、これらの疾病に感染させては、親は後悔してもしきれない。これこそ、行政がその財源を使って解決をはかるべきことである。(2011/10/10)
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■小中学校区・学区割見直し
 あま市になったからには、住民にはメリットを感じて欲しい。そんなこともあり、教育委員会とともに、学区割の見直しを進めている。現在の小中学校区は、旧三町をそのまま踏襲している。そのために、児童数に大きな隔たりが出ているとともに、同じあま市内にありながら、より遠い学校に通わねばならない児童もいる。児童の通学時の安全確保とともに、適正規模の学校へと早急に移行したいと考えている。(2011/3/1)
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■児童クラブの充実を
 今は、女性が当たり前に働く世の中である。にも関わらず、あま市の児童クラブは、パート職員にまかせっきりのところ、定員いっぱいで希望者を受け入れられないところなど、あまりにもずさんである。児童クラブは、もう一度、適正に見直さねばならないだろう。子育て支援の更なる充実を含め、子どもが本当に子どもらしく育つことができるあま市にするため、私たちは、真剣に考えるときが来ている。(2011/3/20)
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■子育て支援のワクチン接種〜2009年6月議会(旧美和町)〜
―予防接種は進化した!?―
 世の中は、進んだ。予防接種も変わったと思ったのは、HIBワクチンの話を小耳にはさんでからだ。小児科医の間では、接種するのが、当たり前といわれているHIBワクチンは、乳幼児のHib(=ヒブ、ヘモフィルス・インフルエンザb型菌という細菌)による細菌性髄膜炎をほぼ完全に防ぐと言われている。6人の子どもと9人の孫がいる僕なのに、この事実をまったく知らなかった。
―細菌性髄膜炎は怖い―
 ひと昔前は、脳膜炎として知られていた細菌性髄膜炎は、脳や脊髄を守る髄膜に細菌が感染して起こり、発熱・嘔吐・頭痛などの症状が現れ、死に至ることも多く、また、さまざまな後遺症を残す可能性がある。日本では、2008年には、約600人の乳幼児が感染し、その5%にあたる約30人が死亡。25%にあたる約150人に、知的障害などの後遺症が残ったと言われている。そして、細菌性髄膜炎の原因の半分以上が、このHIBによるものなのだ。
―対経済効果―
 このHIBによる髄膜炎に最もかかりやすいのは、2歳までの乳幼児である。もし、乳幼児1人が罹患し、後遺症が残った場合の経済的損失は、5億4,200万円。死亡をすると2億1,000万円、治癒した場合でも、105万円とされている。もし、日本でのHIBワクチン接種率が90%であれば。年間82億円の医療費が削減できると推測をされている。
―日本は予防接種後進国―
 それなら、HIBワクチンの予防接種をすれば良いだろうにと、誰しも思うだろう欧米では、1990年代から、HIBワクチンが導入をされている。だが、日本では、接種が認められ、実際にHIBワクチンが発売されたのは、それから10年以上もたった、昨年、2008年12月のことである。副作用についての過剰なまでの対応やWHOに比べて予防接種に対する基準の厳しさが壁となり、他国に遅れを取っている。
―接種はできるが、高価なHIBワクチン―
 他国から、予防接種後進国と後ろ指を指されている日本で、やっと導入をされたHIBワクチンであるが、5歳未満の乳幼児に接種をしないと効果がない。だが、HIBワクチンを接種するには、約30000円が必要である。もちろん細菌性髄膜炎にかかるよりは、30000円を負担する方が良いと思うが、まだ、経済的余裕がそれほどない乳幼児を抱える家庭でのこの金額は、かなり辛い。
―補助金制度を導入してはどうか…議会質問で―
 そこで、6月議会で、僕は、HIBワクチンを町民に広く知らしめることと、接種への補助金制度を設けてはどうかと、質問をした。鹿児島県や宮崎県でも、一部で、補助金制度が実施されていると言う。合併を前にして、愛知県初のHIBワクチン接種の補助金導入を実施するのは、良いことだ。どうやら、町も前向きに検討をしている。ぜひ、この補助金が実現し、町内の乳幼児が、気軽にHIBワクチン接種でき、細菌性髄膜炎にかかる人が一人でも少なくなるようにと願っている。(2009/6/30)
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◎あま市民病院(旧尾陽病院)問題を考える
■あま市民病院新築移転計画進展中
やっとここまで来たかと、思っているが、現在、あま市民病院(旧尾陽病院)の建替え案が進んでいる。まだ、詳しくは述べられないが、約3000坪の現あま市民病院をその近くにある約4500坪の市街化調整区域へ新築移転する計画を進めている。 現段階では、あま市民病院は、平成25年度末までに、現在ある場所に建替え、平成26年4月にリニューアルオープンをする予定だ。だが、もし、この市街化調整区域に新築移転ができると、建設総額が約20億円は節約できることになる。財政難のあま市にとっては、非常にオイシイ話だ。地域医療は、住民のために欠くべからざるものである。新しい病院で、あま市民が安心をして医療を受けられるよう、この計画を推進するために、今、私は最大限の努力をしている。(2011/3/10)
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■再度、あま市民病院問題・医師不足
深刻になる医師不足。そのあおりを受け、尾陽病院利用者にも、不安感がひろがっている。私としても、県知事への陳情など、周りを巻き込んでの対策に奔走しているところだ。尾陽病院は、地域の大切な病院である。誰が何と言おうと、守り通さねばならない。新築移転へと動きつつ、今の尾陽病院問題の早期解決に、全力をあげている。(2008)
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■尾陽病院新築移転スピードアップ計画
尾陽病院の新築移転が持ち上がってから、すでに4年以上が過ぎている。求心力がないのか、決断力に乏しいのか、実施するにせよしないにせよ、物事を進めるのが遅すぎる。私が、再度、議員に返り咲いたからには、尾陽病院の新築移転に向けて、スピードアップをして取り組もうと考えている。続きを読む早速だが、尾陽病院の新築移転について、住民のみなさんが感じられているのは、津島市民病院の再現になるのではという不安であろう。実際、今でも、産婦人科の医師が確保をできずに、ご迷惑をかけている。
 今、全国的に、病院経営で、一番問題となっているのは、医師の確保である。「開業・独立がしやすい」「訴訟をおこされやすい」「勤務時間が長い」など、勤務医や産婦人科医を敬遠する医学生が、ますます増えている。余談であるが、今医学生たちに一番人気の診療科は、美容整形だとか。現代の若者は、ご時勢を読むのが、つくづく上手であると感じている。
 さて、閑話休題、尾陽病院では、この深刻な医師不足について、現在、大学病院と研修医制度の見直しなどで、調整を取りつつある。さらに、私独自の動きとして、津島市や稲沢市と歩調を合わせ、愛知県に強く働きかけるよう、メンバーを募っている。数年後に、医師不足は解消されると、医師会は言っている。が、それまでに、私の、いや私たちの出来る範囲で、医師の確保に向けて、デモンストレーションを起こしたい。そして、尾陽病院が新たにオープンするまでには、何らかの解決を図るつもりである。
 また、同時進行で、土地の確保をし、尾陽病院の新築移転の体制を整えてゆきたいと考えている。(2007/10/9)
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■尾陽病院はつぶれるのか?
 合併の破綻劇と、歩調を合わせるかのように、尾陽病院改築移転計画は、暗礁に乗り上げている。おまけに、病院は、財政面でも困窮を極めており、医師不足から、出産対応ができなくなってしまった。ますます、住民の足は、病院から遠のいてしまうことだろう。5年前には、テーブルに乗っていた尾陽病院移転改築計画は、どこへ行ってしまったのか。
 大治町では、全国的に話題となった、「ブチ殺してやる」発言で、前町長が辞職をし、新しい町長が誕生をした。新町長は尾陽病院移転改築に賛成派だったのだが、いかんせん前町長とともに、反対をしていた議員たちに対して移転改築を推し進められないでいる。
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■尾陽病院ドタバタ劇(2003年)
 尾陽病院の移転・改築計画があることを、2002年11月のメールマガジンで紹介した。病院の運営をつかさどる病院組合の議員たちの大半がこの計画に前向きであることも述べた。
 だが、2002年12/17、大治町議会は、この問題に関して慎重な態度で臨む決議をした。もともと、大治町長(前町長)は、この件に対しては反対派だったが、それに歩調を合わせたような形だ。更に、大治町議会で、尾陽病院の組合議員として選ばれたある大治町議が、組合議員として扱われないと、裁判を起こしている。正確に言うと、「起こしていた」のだが、先の12/24に名古屋地方裁判所で、彼の主張が認められ、病院組合に、慰謝料10万円を支払うよう判決が下りた。
 事の始まりは、ある大治町議(仮にS町議としておく)が、尾陽病院組合議員を辞職したいと申し出たことにある。そこで、大治町議会は、10/29に、尾陽病院組合議員として、別の町議(こちらをA町議としておく)を選任した。だが、この時点では、まだS町議の辞職は受理されていなかった。もちろん、A町議の当選は、尾陽病院組合議会としては、認められないことになる。
 このとき、尾陽病院組合議会は閉会中で、閉会中の議員の辞職については、議長の判断で処理が出来る。現議長は、美和町議である。尾陽病院組合は、早速彼に連絡をしようと試みたが、10/31、11/1は、美和町議会の視察研修で捉まえることができなかった。そのまま11/2、3、4の3連休に入り、結局連絡ついたのが、11/5となってしまった。それならば、11/7臨時会が開催されるので、それまで辞職願いを受理するのは、待ってもらいたいと、議長は返答をしたそうだ。
 だが、S町議の辞職願いを受理する臨時会に、当のA町議がやってきたのだ。僕は、審議が終わるまで別室で待つように、A町議に言った。ところが、A町議は、これが不当だと告訴したのだ。
 物事には、順番がある。尾陽病院組合議員として、今後も認めないと言ったわけではない。尾陽病院組合議会は、きっと控訴をするだろう。まだ、このごたごたが、当分尾を引きそうだ。
 揉め事ばかりがクローズアップされている尾陽病院移転改築計画だが、一番大切なのは、尾陽病院を利用する、地域住民の気持ちだ。尾陽病院は、本当にこのままでいいのか。大治町の姿勢如何では、この問題は、大きな迷路に入りこむかもしれない。(2003/1/17)
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■尾陽病院改築移転計画ことはじめ(2002年)
 自分にとって、最も大切な人の命が危ないといわれたとき、人はどうするか。「いくらお金がかかってもかまいません。なんとか助けてやってください」。ほとんどの人が、そう医者に頼むそうだ。だが、いくらお金を積んでもどうしようもないことだってある。それならば、せめてその人に、最高の医療を施してやりたい。そう願うのが、自然である。
 公立尾陽病院は、東部四町と新川町でつくる組合が管理・運営にあたっている。すなわち、この地域で最も信頼できる医療機関であるべきだろう。だが、実際、地域住民の病院に対する評価は、それほど高くはない。東部四町や新川町に住んでいても、「厄介な病は、まず中村日赤へ」と言われることも多い。
 そのわけは、実際に利用をしている皆さんの方が良くご存知であろう。
@病院・病室が暗くて古い。
A病室や廊下が狭い。
B駐車場が狭い。
C他の大病院に比べて医療設備が整っていない。
D外来がいつも混雑している。
この程度の不便さは簡単にあげつらうことができる。
 実際、尾陽病院の病床は、新設病院の、3分の1以下の面積しかない。また、中病棟はにいたっては、昭和38年に建設され、古さにかけては、他の病院にひけを取らない。来院者用駐車場も約100台。現在の1日平均来院者数587人に一体どのように対応しているのか、首を傾げたくなる。更に、バリアフリーはもちろん耐震構造にもなっておらず、安全性にも問題ありきだ。
 最も、東部四町と新川町の町会議員10名で、構成される公立尾陽病院の組合議会も手をこまねいているわけではない。このままでは駄目だと、平成13年10月に、病院の移転・改築を考えていると発表した。それからすったもんだもしたが、約1年たった今、新病院の計画案が出来上がってきた。いまだに、反対をしている御仁もおられるものの、病院の移転・改築に大半の組合議員は、賛成を表明している。僕も、もちろん賛成派だ。良い設備を入れれば、良い環境で医療に携わりたいと考える、意欲のある医師がどんどんやってくるであろう。病院の中も活性化されるし、地域住民の信頼度も、ぐんとアップするに違いない。まだ、すべての問題が解決したわけではないが、尾陽病院の移転・改築は、このまま前向きに進んでいくだろう。いや、俄然進めたいと考えている。そして、「ココには、公立尾陽病院という素晴らしい病院がある最高の医療がこの地域で受けられるんだ」。そう、住民に誇ってもらえるような、頼もしい尾陽病院に生まれ変わって欲しいと願っている。(2002/11/17)
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◎東部四町の[X]ディ
■東部四町が東部三町合併へ
―山動く―
 この夏、解散・総選挙と、世の中がざわついている。僕らは、自民党が野党になる、「未曾有」の瞬間に立ち会えるのだろうか。
 そんな世間の大きな動きはさておき、美和町にも歴史的な変革が訪れようとしている。平成22年3月22日には、美和という名前が消滅する。明治39年、美和村が誕生してから、かれこれ一世紀。慣れ親しんできた名前が一瞬にして無くなってしまうのは、ちょっと淋しい。だが、新しい市に寄せられる住民の期待は大きいものがある。今、僕らがすべきことは、合併をすることでのメリットを、いかに住民に還元するかと言うことだ。
 山は動いたが、里は、ついてゆけずに取り残された。そんなちぐはぐな合併にならぬよう、気を引き締めて進めてもらいたいと願うばかりだ。
―さあ、合併だが…―
 とうとう合併をすることになった。とは言っても、大治町抜きの東部3町での合併である。一緒に合併すればいいのにと、はたから見ている人はそう思うだろう。だが、それがスムーズに進まないところが、行政らしいところである。
―大治町その後―
 そもそも、四町の合併は、平成20年2月、四町行政懇談会で、大治町が口火を切って始まった。しかも、他の三町を大治町が、引っ張って行くほどの勢いだったのだ。どこでどう方向転換をしたのかは、今もってわからないが、結局、合併をしない選択をした大治町議会は、町民からの信頼を一挙に失った。「どうして一緒に合併をしないんだろう?」いたるところから、町民の声が聞こえてくる。
―声はかけたが…―
 実は、合併反対派の急先鋒である某町会議員が、先日急逝した。これは、大治町にとっては、もう一度合併に加われるチャンスではないかと考え、僕は、小林町長に会いに行った。たまたま、合併反対派議員が議長に、賛成派議員が、議長職を辞したばかりで、再度町議会が、合併賛成に進む良い機会だと思ったのだ。
 だが、町長は、今、大治町を合併に加えることで、残り3町から、そのために合併が日程どおりに進まなくなると言われるかもしれない。それは、何とも辛い。大治は、議会が決めたとおり、合併には加わらない方向を貫きたいとの返事であった。さらには、たぶん、吸収合併になるんだろうなと。
―冷たいもんだ―
 僕としては、せっかくだから、一緒に合併しよまいと思うのだが、残り3町の行政も住民も、大治町議会が決めたことだからと、冷ややかな態度だ。たぶん、このまま何事も無く、3町の合併は進み、大治町は、あとで、吸収合併をするのであろう。横並びが、良いとは言わないし、主張を貫くのも大切だが、いつまでも、あのとき大治町議会がと、言われ続けるのは、人ごとではあるが、残念な気がする。(2009/7/20)
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■東部四町合併??(2008年9月)
―その発端―
東部四町では、合併の話が再燃している。もともとの発端は、本年2月、東部四町で構成している行政懇談会(座長・七宝町長、構成員・四町の町長、副町長、議長、副議長、総務部長、総務課)の席上、大治町長から合併の話があり、四町で勉強会をしてはどうかとの提案があったからだ。
各議長と言うより、当時の議長だった私は、以下のような意見を述べた。
@ 合併をいまさら進める必要性があるのか
A 町民の気持ちは、どうなのか
B 「合併をして良かった」と言っているまちはないのに、合併を進めるのか
C 各町、および議会の承諾は取れているのか
D 前回の三町合併協議会を立ち上げた折に7〜8千万円という多額の税金を使っており、その後始末さえできていないまちもあるのに、再度税金を投入するのか
 「合併をすると、そのまちの未来はバラ色」と国や県は、謳っていた。しかし、今、合併をして良かったというまちはない。「未来のために」と言う漠然としたビジョンだけで、合併を進めた結果ではないのか?今、合併をすることで、住民の生活は何が変わるのか、どんな未来が約束されているのか、さらに、四町それぞれのメリット・デメリットをきちんと住民に提示し、住民に決めてもらうのが、筋だと私は考える。その思いをぶつけたのだ。
 結局、「今日、ここで協議会を立ち上げて欲しい」と強引に話を進めた大治町長に座長である七宝町長が同意をし、「勉強会」で合併について研究をするのは、悪いことではないとの結論となった。また、四町で、「勉強会」を立ち上げることは、町長と議長が各町の議会へ報告をすることになった。
―合併勉強会からの報告―
 行政懇談会で勉強会立ち上げの了承を得た町長たちは、月に1〜2回程度の会合をしたようである。だが、その経緯報告はなく、ようやく行われた8月議会での説明会で、合併のスケジュールは、すでに決定していることが、明らかになった。 
 7月から各町1名ずつ職員を派遣し、9月よりさらに1名追加。年内に任意の合併協議会立ち上げに調印をし、平成22年3月に合併。それまでに、各町内で1回程度の説明会を実施し、県指導のアンケートを取ることになったのだと言う。 
 町長たちは、「勉強会」ではなく、「合併」に向けて、勝手に進もうとしていたのだ。
 アンケートは8月に実施をされたが、その内容たるもの、とても、合併についてのアンケートとは思えないような代物であった。美和町では、議員の要求で、その内容をしぶしぶ提示したが、お茶を濁すと言うより、こんなアンケートを出してきた県には、あきれ返るばかりだ。しかも、対象は、各町1000人ずつの4000人。これで民意を汲み取れと言うほうが、無理だ。 
 ―結局―
 今回の合併騒動は、四町の町長が、勉強会と称して、勝手に経費を使って、実施をしているに過ぎない。議会も町民も、蚊帳の外である。その結果、次項に述べる、大治町長と大治町議会との軋轢が、あらわになってきた。
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■大治町の合併協議会離脱(2008年9月)
9月4日・19日・20日の中日新聞に掲載されていた「大治町合併反対動議可決」について、私が知る限りの真相をここに記しておく。 
―8月「大治町合併特別委員会での町長発言」―
 大治町合併特別委員会が開催され、大治町の議員から町長に、合併の賛否について、住民アンケートを取るべきだとの意見が出された。ところが、大治町長は、議員は、住民に選出された人であり、住民の代表でもあるので、議員が合併を認めれば良いと、その意見を却下した。
―9月3・4・5日「定例議会で動議可決」―
 大治町議会は、9月3日の定例会初日冒頭で、合併協議に参加しないことを可決した。動議を提出した議員は、合併について、議会および町民との意見調整がなされていないこと、現在、大治町が直面している諸問題の解決を優先すべきであること、道州制を視野に入れた議論がなされていないこと、合併をすることで受けられる国や県からの支援が、今の時点ではほとんどないこと、合併は失敗であったと言うまちがほとんどであると指摘をしている。
 失意の大治町長は、「議員は住民の代表とはいえ、民意を直接問わず(合併についての議会の態度)決めてしまったことは残念」と、9月4日の新聞報道で述べている。
 おいおい待てよ、8月には、議員が認めるなら、住民の意見を聞かなくて良いと自らが、宣言しているのに、それはないだろう。議員たちが合併の協議会に参加しないと決めたのであれば、それが民意だ。
 そして、大治町長のちゃらんぽらん発言には、続きがある。
同じ新聞報道で「議会の了承が得られないのであれば、(研究会を)離脱する」と大治町長は、述べている。
 だが、その翌日の9月5日、他の3町長に、大治町長は、議会最終日の9月18日には、この動議をひっくり返し、大治町が合併協議に参加するよう進めるので、待って欲しいと発言していたそうだ。 
―9月18日「定例議会最終日〜決裂〜」―
 約束の9月18日、定例議会最終日に向けて、大治町長から各議員への圧力は、相当なものだったと聞いている。議員個々人への説得は、もちろんのこと、議員たちの後援会幹部を口説こうとし、挙句の果てには、「合併が成就できなかった折には、町長をやめても良い」と豪語していると言う風評までも伝わってきた。
 しかし、合併反対をぶちあげた議員たちの結束は、町長のこの働きかけで、より強固になり「町長が辞めるなら、それで良い。最後を見届けさせてもらう」と言う議員まで、現れた。
 そして、9月18日の議会最終日当日、大治町長は、議長に発言を求め、住民説明会とアンケート調査をしたいと、一方的に言った。議員たちからは、なんら発言はなかったが、その後の議会特別委員会で、大治町議会は、合併の協議から離脱。合併特別委員会も、合併の協議をしないのなら、必要がないのでと、数名の反対者をのぞき、大治議長までも含めた賛成多数で解散と決めた。
 すなわち、大治町議会は、今後、東部四町合併研究会、任意および法定合併協議会には、参加しないと決定したのである。当然のことながら、大治の議長・副議長が、この手の会合に参加することはできない。
 かくして大治町長と町議会は、真っ向から対決したまま、定例議会を終了したのだ。 
 ―その後―
 この10月9日に大治町では、四町合併についての住民説明会が開催される。住民を置き去りにした合併協議の行く末は、不完全燃焼のまま、どこへ落ち着くのか。
 合併は、あくまでも、住民本位である。もう一度原点に立ち返って、四町が合併した場合のメリット・デメリットを具体的に提示し、誰もが納得ができる住民のアンケートにより、合併の有無を決めるべきだと私は、考える。(2008.9.23) 
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■三町合併の破綻劇(2005年2月)
 「やっぱりだめだったか」。2/4付の新聞を読んで、そう感じた人は多かっただろう。七宝・美和・大治の三町合併は、七宝町が法定協議会に離脱を申し入れたことで、破綻の道をまっしぐらに歩んでいる。 ちまたでは、「七宝町は、わがまま」だから合併が破綻したのだとささやかれているそうだが、いきさつをよくよく聞いてみると、わがままなのは美和町と大治町だ。
 新市ができるとき、暫定的とはいえ、新庁舎をどこにするかは大切な問題だ。名西市の暫定庁舎は、アクセス・広さを考えると、現美和町庁舎がもっとも適切だろうと、県から提案をされていた。七宝町長と議長は、美和町長と議長に、県の指導どおり、現美和庁舎を暫定的な新庁舎に、また、新庁舎を新市の中心部に早期建設をしようではないかと提案。内諾を得ていた。
 だがその直後、大治町長と美和町長との間で、「美和町長→新市長・大治町長→助役」、その代わりに暫定庁舎は現大治庁舎にしようと言う密約ができたのだ。それを受けて、法定協議会でも、暫定庁舎は現大治庁舎という意見に、美和・大治の委員14人が賛成。可決した。
 七宝町の議員たちの立腹は、推して知るべしだ。合併推進派である七宝町長の説得も力及ばず、七宝町議会は、9対7で法定協議会離脱を決めた。
 三町のトップの独断だけで推進されてきた三町合併は、いまや風前のともしび。莫大な費用をかけて進めてきたこの責任は、誰がどのようにとるつもりなのだろうか。さらにこの合併破綻をもっとも歓迎しているのは、先の町長選挙で辛勝した某町長だろうか。(2005/2/6)
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■甚目寺町大いに怒る(2004年6月)
 甚目寺町の野村町長や松浦議長らは、6月18日朝9時過ぎ、七宝、美和、大治の役場を訪れ、もう一度東部四町合併の枠組みで話ができないかと、申し入れをした。だが、大治町長、七宝町長は、研修旅行のため不在、美和町長は、出勤前。仕方なく、甚目寺町一行は、各役場に文書を置いて帰途についた。
 甚目寺町が怒ったのは、その日の夕刻、美和町の助役からかかってきた一本の電話だった。「美和町は、三町での合併を目指している。したがって、東部四町での合併は、考えられない」とのつれない返事だった。
●甚目寺町は、某町議会議長の言葉に踊らされ
 甚目寺町が、七宝・美和・大治に研究会参加の申し入れを行ったのには、ワケがある。某町議会議長が、甚目寺町の議会議長を喫茶店に呼び出し、話をした。「僕は、東部四町合併が妥当であると思うから、甚目寺町から各町に申し入れをしてくれないだろうか」と。
 もともと、合併の枠組みは四町が妥当だと考えていた甚目寺町はその話を真摯に受けとめ、議員全員による特別委員会を開催。他の三町へと文書を持っていったのだ。
●某町議会議長の打算
 だが、くだんの議長派が絶対的多数を誇るその町議会では、甚目寺町が文書を携えてきたその日=議会最終日の議事終了後、「合併調査研究特別委員会」を開催し、三町合併研究会での「合併法定協議会設置」を検討。賛成13、反対2と、圧倒的多数で三町合併へとコマを進めることに決めたのだ。
 この町議会は、議長=町長の思い通りにコトが進む。なにせ、現議長は、町長の弟の会社に籍を置いており、町長とは一蓮托生、子飼い的な存在になる。さらに、三町合併の筋書きを考えた某県会議員が、後継者として「彼」を紹介している。すなわち、「彼」こそは、もっとも三町合併を進めたい一人なのである。
●一度ではなかった某町議会議長の裏切り行為
 話は、少し前にもどるが、くだんの議長は、海部津島JCのメンバーでもある。海部津島JCは、1年前、海部津島13市町村大合併を目標に掲げ、署名運動を展開した。その先頭に立っていたのが、当時は議員であったこの町議会議長である。
 予想されたことではあったが、この署名は、津島市以外の町村では、受け取ってももらえずあえなく空中分解。署名に関ったメンバーは、各町村から入札をはずされて、死活問題にまで発展をしている。そして、署名運動へのハシゴをかけ、メンバーをあおって上らせ、さっさとハシゴをはずしてしまった某町議会議長は、涼しい顔をして三町合併を推進しているのだ。海部津島JCメンバーからヒンシュクを買おうが、そしられようが、どこ吹く風である。
●パフォーマンスの裏に隠された彼のねらい
 それならば、現三町合併推進派の彼は、何のために甚目寺町の議会議長に話をしに行ったのか。考えられるのは、「なぜ、三町合併なのか」と有権者に詰め寄られたときの隠れ蓑である。きっと彼は、「僕は四町が良いと思う。だから甚目寺町へも話をしに行ったのだ」と、のたまうのであろう。
 町長が四町合併と言うと四町合併へ、三町合併と言うと三町合併へと風見鶏のようになびいている「彼」には、とてもじゃないが、町議会など任せられない。この町の議員も町民に選ばれたのであるなら、その程度のことはわかるであろう。なぜ誰も何も「イケン」しないのか。歯がゆいことこの上ない。
 そんな彼にはもちろんのこと、某県議会議員に踊らされている三町に対し、甚目寺町の怒りは、今、最高潮に達している。(2004/6/28)
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■もくろまれた海部郡東部の合併 〜見えてきた全容〜(2004年6月)
 愛知県、海部郡東部にある七宝・美和・大治の三町は、地理的にも行政的にも、ともに歩んできた甚目寺町をはずし、三町だけで合併協議会を設置することにした。もともとこの地域は、四町で合併をするのが最も自然であると考えられていた。どうして、甚目寺町だけが理不尽なはずされ方をしたのか。地域住民さえ納得できないこの事態の裏には、ある人物の私利私欲に絡んだ策略が秘められていたのだ。
●「彼」の狙いは、市長の座だった
 三町が、合併協議会設置を決める少し前、その地域で大きな勢力を持つ50歳代の某県会議員は、ある会合で、若手の町議会議長を自分の後継者として紹介をしている。また、ごく身近な人に、自分は、七宝・大治・美和の東部三町で作る新市の市長になると公言をしているのだ。
 なぜ、東部四町ではないのか。それは、甚目寺町だけが、東部四町の中で、「彼」の流れを汲んでいない唯一の町だからだ。しかも、甚目寺町は、産業も盛んで、人口も多い。政策面でも残り三町にくらべるとかなり先んじており、町民もそんな町のあり方を支持している。もし、東部四町で合併を行うと、「もと」甚目寺町は市長の座を狙う「彼」にとって脅威の存在になるだろう。すなわち、三町合併は、「彼」がスムーズに市長となるためだけに描かれたシナリオだったのである。
●「彼」の事情
 県会議員も6期ともなれば、次は国へと世間は期待をする。だが、国へ打って出るほどの力量も勇気もない「彼」にとって、たやすく手に入る「市長の座」は大きな魅力だ。そのためには、目ざわりな甚目寺町をはずした三町合併は、「彼」にとって大きなチャンスなのだ。
●もの言わぬ政治家たち
 そんな「彼」の思惑に振り回される三町の町長や議員は、一体何を考えているのか。地方政治だからこそ、身近な住民のために、信念を持って議会に臨むべきだ。ちまたでは、『政治生命をかけない政治家』が、増殖を続けている。どうやらこのまちにも、はびこっているらしい。本当に、住民が望んでいるのは三町合併なのか、もう一度胸に手をあてて、よく考えてみるがいい。(2004/7/5)
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■町村合併の行方(2004年1月)
 いまさら、余計なお世話と言われるかもしれないが、昨年10月以来、合併問題が、錯綜を続けている。新聞報道でもご存知であろうが、七宝、美和、甚目寺、大治、四町で立ち上げた東部ブロック合併研究会が、いきなり破綻をした。
 原因は、「大治町民が望んでいるのは、四町の合併でなく、名古屋市合併だ」、そう言い放った大治町が、研究会を離脱したことによる。その後、三町合併では意味がないと、七宝町がこれに続き、美和町も追随する結果となった。
 それから1ヶ月経つか経たないかのうちに、名古屋市との合併がままならない大治町は、七宝町とともに合併勉強会を立ち上げた。それだけでも、変な話だと思える。ところがだ、美和町もその勉強会に参加をすると、町長がやぶから棒に表明をしたのだ。我々町民どころか、美和町役場の職員たちまでもが、これには面喰ったと聞く。
 昨年三月に行なった合併に関する町民アンケートの結果など目もくれず、町長個人の偏見と独断による横暴な行政手法が、許されても良いものか。3期目ともなると、町長もこんなものだろうかと情けなくなる。
 重ねて言うと、かの合併勉強会もはなはだ食わせ物だ。町民の利益のことなど、どこ吹く風で、今や自分の政治生命を維持することのみに全精力を傾けている、大治町長の意向を強く汲んでいると、ちまたでは評判だ。結局は、今年五月に行われる大治町長選挙までのアドバルーンか。踊らされているのは、七宝町と美和町、そして僕ら東部四町の住民なのだ。
 このままゆくと、東部四町の合併は、利権がらみのある県会議員に振り回されたあげく、ろくろく話し合いもせず、「甚目寺町はずし」の三町合併にすりかえられることだろう。いずれにせよ、この半年が勝負。各町の動静が見ものだ。(2004/1/1)
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■海部に吹く風 第2弾 〜市町村合併のおはなし〜(2003年2月)
 今に始まったことではないが、市町村合併の話が、あちらこちらでささやかれるようになった。
 津島市を中心に「海部津島を一本化し、人口30万人の中核市を作ろう」と、声をあげている団体があれば(参照HPはコチラ  )、名古屋に近い七宝・蟹江・大治あたりでは、「いくつかの町が合併し、区を作って、最終的には、名古屋市と合併をしたい」と考えている人もいるそうだ。一方、甚目寺町は、ごみ処理組合が一体となっている新川・清洲の方向を向いているとも言われているし、稲沢市から美和町に打診があるような話も聞く。
 現在の状況はというと、平成13年度に、海部津島市町村合併研究会から、海部津島全体の調査報告書が作成され、それを受けて、七宝・美和・甚目寺・大治の東部四町、蟹江・十四山・飛島・弥富の南部四町村、立田・八開・佐屋・佐織の西部四町村それぞれの地域で、各ブロック市町村合併広域研究会が立ち上がった。 その中で、一番活発に動いているのは、西部四町村であろう。住民アンケートを実施し、間もなく任意協議会に移行する予定だ。一方、僕が所属している海部東部ブロック市町村合併広域研究会の立ち上げは、昨年の5月だった。が、会議が開催されたのは、たったの2回。とりあえず、東部四町で、住民にアンケートを実施する案が出たそうだ。
 残念ながら、体調が思わしくなかった僕は、その会議に欠席をしていたのだが、アンケートの対象は東部四町人口約11万人のうち、たったの1000人。おまけに、今年度は予算が無いので、来年度にまわすことになるだろうと言う。何ともルーズな話である。真剣に住民の声に耳を傾けようという姿勢さえ見えてこない研究会では、立ち上げた意味がない。
 大体、それぞれのまちが、本当に合併をするつもりがあるかどうかも怪しいものだが、国が一旦旗揚げをした合併問題は、決して避けては通れない。それならば、それぞれのまちで、合併のメリット、デメリットをあげて、たとえ、合併に反対であっても、なるほどと納得ができるよう、地域住民の理解を得る必要があるだろう。
 昨年6月、美和町議会では、合併問題の先進地として佐渡島を視察した。佐渡島では、島内の9市町村が、一島一市というビジョンを明確に提示し、住民に対する説明会や広報を事細かに行っていた。議員たちも、会派や所属する政党など、それぞれの立場から意見を述べた広報紙を作成。多くの情報を住民に提供していた。
 結局、同島では、この一月、9市町村で法定協議会を立ち上げ、一島一市を目指して共同声明を発表。一体となって合併問題に取り組んでいる。もちろん、新市名など、彼らは、これから多くの課題に立ち向かうことになる。だが、住民ともども将来の構想がはっきりしている彼らにとって、これらの課題は、瑣末の事柄に過ぎないのだろう。
 まだまだ、海部津島では、合併に対する明確なビジョンが提示されていない。さまざまな憶測が飛び交い、気運が盛り上がらないのも、やむを得ないことだ。だが、我々は今、大きな岐路に立たされている。若自分や自分の子どもたちが、暮らしてゆくこのまちの未来だ。行政も住民も、もう一度、じっくりと真剣に考えてみる必要があると思う。(2003/2/15)
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■東部四町の[X]ディ(2002年5月)
 国からはやんややんやと矢のような催促を受けながらも、なかなか軌道に乗らなかった町村合併のための研究会とそれに付随する専門部会が、美和町を含む東部四町で、ようやく立ち上がった。
 東部四町に住む人々にとって、本当に合併が有益なのか、また合併をするためにはどこをどう調整すべきなのか、行政と議会がともに調査研究を進める。もちろん、その結果如何によっては、合併をしないという選択もあり得る。
 合併の最大のメリットは、言うまでもないが、人件費や公共投資の削減だ。もし、東部四町が合併をすれば、隣のまちと争うように同じカテゴリーの施設を造る必要もなくなるだろうし、僕たち議員の数も、単純に考えて今の4分の1で事足りる。僕たちにとっては、まさに自分の生活をかけた協議となる。
 今、東部四町では、少なくとも表向きは足並みが揃っている。四町で合併をし11万人都市になるのか、海部郡と津島市を合わせた13市町村・32万人都市を考えるのか。おおよそのところこの2つの選択肢を、誰もが頭に置いていることだろう。
 基本的に、合併をしましょうかとプロポーズをする相手の選択は、個々の市町村に任されている。合併に向けて前向きに取り組みたいと、お互いの意思を確認しあったまち同志で、それぞれ協議会や研究会を発足させ、調整を進めようとしている。ここ海部郡では、西部、南部、東部で研究会が立ち上がったが、ある町に限って言えば、その枠をはみ出し、他の市町村にアプローチをしようと考えていると聞いた。どうやら東部四町もその候補にあがっているようだ。
 どこからそんな突拍子もない案が生まれたのかは、知るすべもないが、それぞれのまちや人の思惑を絡めながら、平成の大合併に向けて、海部郡でも大きな山が動き出そうとしている。(2002/5/8)
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◎美和町下請けはずしの実態
■美和町、下請け業者はずしの実態 〜その2〜
■結局は、裁判
 2004年10月、選挙のときには、いつも僕の応援をしてくれているA社長の土木会社・B社(美和町)が、美和町防災コミュニティセンター建設工事の下請け業者からはずされた顛末は、前回のメールマガジンでお知らせした。
 同11月には、中日新聞に「美和町下請け業者はずし」の記事が大きく掲載され、そのすぐ後に、A社長は、町長室で町長と暴力団関係者に、コトを荒立てないようにとやんわりと言い含められたそうだ。この理不尽さにがまんができなくなったA社長は、2005年4月12日、美和町に対して損害賠償を求める訴訟を起こし、現在も係争中である。
■詳細 ……………………
名古屋簡易裁判
≪事件名≫請負代金請求事件
≪原告≫・B社 B社代表取締役A ・A  
≪被告≫美和町
≪被告代表町長≫加藤龍夫  
≪訴訟物の価額≫250万円
≪争点≫
・町長が圧力をかけて、B社を美和町防災コミュニティセンター建設工事の下請けからはずしたのか
・A社長が、町長室に呼び出され、町長に会ったとき、立ち会っていた人物が暴力団組員であることを町長は知らなかったか
・B社は、町の事業を請け負うには不適切な業者であったか
≪第1回口頭弁論≫2005年6月9日
≪第2回口頭弁論≫2005年7月14日
≪第3回口頭弁論≫2005年8月30日
≪第4回口頭弁論≫2005年10月6日10:15〜
■下請けはずしのこと ……………………
美和町側の答弁によると、B社を下請け工事からはずしたのは、「工事実績がない」「B社が不適切な業者との判断」であり、町長の圧力ではないとしている。だが、2004年7月には、美和町給食センターの工事を請け負っており、指名実績はある。
 また、不適切な業者であるとしたのは、A社長が、実母の不在者投票のことで、法規を無視した言いがかりをつけ、役場で声を荒らげたからだとしている。だが、A社長は、法規にのっとった不在者投票を行うために来庁し、話をしていたところ、いきなり町長べったりの町職員にボールペンを投げつけられた。そこで、「なぜボールペンを投げるんだ」とA社長は大声で抗議をしたのである。
 さらには、その町職員は、すぐに謝罪をしており、周りにいた職員たちもそれを目撃している。これで、B社を下請けに不適切な業者とするのは、本末顛倒もはなはだしい。
■暴力団榛葉組 ……………………
2004年12月9日、A社長は、瀬戸一家九代目 榛葉組若頭のM氏に町長室へと呼び出された。このM氏とA社長は、稲沢の中学校の先輩後輩の間柄であり、この地域では知らない人がいないくらい有名な暴力団員である。
 新聞社の取材で、町長は当初、郡内の大物政治家の後援会でM氏と出会ったと言っていた。また、町長とM氏は一緒に釣りへ出かけていたと言う人もいる。もちろん町長は、彼が暴力団員だと知っていたに違いない。
 たとえ、そうと知ってはいても、裁判では知らぬ存ぜぬを押し通すことだろう。だが、町長公室へ暴力団関係者が入り、半ば脅しともとれる懐柔策に出ていること自体が問題である。
公判での答弁さえも人任せにして、責任は部下へ。1町をつかさどる人間として、潔く責任を取り、辞職する勇気さえ加藤町長は持ち合わせていないのだろうか。(2005/08/29) 
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■美和町、下請け業者はずしの実態 〜その1〜
 2004年10月、選挙で僕が世話になったA社長の土木会社・B社(美和町)が、美和町防災コミュニティセンター建設工事の下請け業者からはずされた。この工事は、2004年6月にS建設が落札。S建設はB社に外溝工事を委託したが、美和町の「M」課長から、B社を名指しではずすようにと指示され、今後のことも視野に入れた上で、「不本意ながら」と断りを入れてきたのだ。正式な契約直前で、B社はすでに資材を発注。理由無きキャンセルにA社長は激怒した。
 さらに、のちに「M」課長は、A社長に問い質されたとき、これが町長の指示であったと話したと言う。
■その理由 ……………………
 美和町がB社をはずすように指示した理由がふるっている。A社長が、実母の不在者投票をめぐり、美和町役場で大声をあげたからだと言う。事実は次のとおりだ。
 その日、A社長は、事故で緊急入院をした実母の不在者投票について、窓口で尋ねていた。実は、美和町内では、彼が僕を応援していることは有名である。窓口の担当は、町長派と言われている「I」課長補佐。そんなA社長が不在者投票について尋ねているのが気に入らなかったのだろうか、「I」課長補佐は、A社長に向かってボールペンを投げつけたのだ。そこではじめて、A社長の「大声」になったのである。A社長は、ワケも無く怒鳴ったのではない。これを理由に下請けをはずされたのでは、たまったものではない。
■その後 ……………………
 中日新聞に一連の話が掲載されてすぐ、加藤町長からA社長に、会って話がしたいとの電話があった。A社長が断ると、今度は、X暴力団の組員から「悪いようにはしない。今回は目をつぶってくれないか」との電話があった。結局、この話はうやむやになったまま、B社は、下請けをはずされて今に至る。
 一般に、公共事業工事を落札した会社には、町内の業者を下請けに使って欲しいと申し入れる。だが今の美和町は、たとえ他町であっても、町長の後援会会員や美和町議会議員の経営する会社を無条件で指名し、社長が町長の反対派というだけで、町内の業者であるB社を、故意にはずすような情けない町である。そして、そんな町長の横暴に対しては、意見さえ言うことができない嘆かわしい町議会なのである。(2005/1/31)
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◎誰も知らない町長のもうひとつの裁判
■誰も知らない町長のもうひとつの裁判 〜携帯電話利用料金返還請求事件〜
■詳細  ……………………
名古屋簡易裁判
≪事件名≫携帯電話利用料金返還請求事件
≪原告≫A
≪被告≫美和町長 加藤龍夫
≪訴訟物の価額≫18万7585円
≪争点≫
・加藤龍夫町長は、美和町が契約をした携帯電話を私的な用途に利用し、公務時間中に有料情報サイトから競馬情報を入手。馬券を購入している。
≪第1回口頭弁論≫2005年7月7日
≪第2回口頭弁論≫2005年8月31日
≪第3回口頭弁論≫2005年10月3日10:00〜
■概要 ……………………
加藤龍夫町長は、2002年〜2005年にかけて、美和町から貸与されていた携帯電話を私用=競馬の馬券購入などに使ったとして、A社長から「携帯電話利用料金返還請求」の訴訟をおこされている。
■監査請求の却下(2005年5月2日) ……………………
事実調査のために、A社長は、今年2005年3月8日に監査請求を行ったが、却下をされた。その理由は3点ある。
一、当該行為から1年以上たったものの監査請求は認められない。すなわち監査請求ができるのは、2004年2月〜2005年1月分のみである。
二、メールの送受信はしているが、公務に使われたものと判断される。
三、有料情報サイトから情報を得ていたが、天気予報など、公務上必要と考えられる。
このようにA社長が、監査請求を出したが、監査委員には、監査をしようする姿勢が全く見受けられず、文章も明らかに弁護士が用意したものだった。また、有料情報サイトの使用料金については、町民の誤解を招いたとして、監査請求後、町長は自主的に返金をしている。だから、もう関係はないんだとばかりに、監査請求却下の文書には記されていた。さらに、その後、理由はつまびらかにしていないが、町長が使っていた携帯電話も解約された。 もし、やましいところがないのであれば、返金の必要はないし、携帯電話を解約をすることもないだろう。もともと、町の携帯電話を自分のものとして使っていること自体がおかしい。
 付け加えておくが、ある町の幹部は、町長の携帯電話の使用料が非常に高いと、常日頃ぼやいていたそうだ。今後の裁判に注目をしたい。(2005/09/01)
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◎三菱重工業・フロンガス放出事故
■三菱重工業株式会社・フロンガス放出事故〜なんともお粗末なお話〜
 なんともお粗末な話である。環境破壊が地球的規模で、問題視されているこのご時世、よりにもよって、美和町内にある三菱重工業株式会社・冷熱研修所で、フロンガスを大量に大気中に放出していたというではないか。 ことの顛末は、9/28付(2002年)、中日新聞に掲載されていたので、ご存知の方も多いだろう。
 簡単に説明をすると、三菱重工業では、夏季に集中する家庭用エアコンの修理作業を効率的に進めるため、子会社に委託をして、同所で集中的にフロンを回収していた。
 ところが、その子会社は、更に現場作業を別の業者に委託。途中フロンガスの回収に支障が生じたため、業者は子会社に指示を仰いだが、明確な返答が得られなかった。困った作業者たちは、独断で70kgものフロンガスを大気中に放出してしまったのだと言う。
 家庭用のエアコンや冷蔵庫などに使われているフロンガスは、オゾン層を破壊するがために、平成10年に施行された「家電リサイクル法」で、回収が義務付けられている。だが、三菱重工は、その回収の手順さえ、しかと定めていなかったわけである。
 9/28、中日新聞にこの記事が掲載されてから、いち早くアクションを起こしたのは、共産党美和町議員団である。9/30には、議長こと僕宛に、議会としても、フロンガス放出の事実経過と再発防止策の報告を受けるよう、申し入れがあった。
 僕は、すぐに議会で報告し、三菱重工側にもその旨を伝えた。三菱重工側は、この件で、10/23〜26に経済産業省の指導を受けるため、それ以降に報告をしたいと回答してきた。
 その時点で、互いの日程をすり合わせ、結局、11/11、三菱重工から総務部長と企画課主席が、A4サイズの用紙4枚にわたる報告書を携えて、美和町役場にやってきた。
 もちろん、あってはならない事故ではあるが、起こってしまったことは、どうしようもない。三菱重工側は、謝罪を繰り返し、再発防止については、最大限の注意を払うよう約束をしていった。とりあえずは、一件落着。
 だが、今回、最も僕が歯がゆく思ったのは、美和町の対応である。フロン自体は、非常に安定な物質で、いますぐ美和町の住民に危害が及ぶわけではない。だが、この美和町で勃発した事故なのである。
 どのくらいの町民が、自分の町内で起こった事故について、正しく理解していたのだろう?町は、もっとこの問題について、広く情報を公開し、声を大きくして取り組むべきであったと思うのだ。(2002/11/15)
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◎美和町ごみ不法投棄監視事業業者選定の件
■美和町ごみ不法投棄監視事業の業者の件
■[2002年6/12毎日新聞記事より]  
 6/12(水)付けの毎日新聞・朝刊を読まれた方はご存知だろうが、美和町がこの4月から始まった「ごみ不法投棄監視事業」で、特定業者と予算案を『調整』したとの記事が、7段抜きで掲載をされた。 記事によると、この事業を実施する際、入札を行わずに、特定業者と1カ年の随意契約を結んだことについて、町側は、「公平性を欠いた」と対応の不備を認めているようだ。
 だが、町としては、地方自治法に従って、同業者と契約を結んだと話しており、対応は不備であったかもしれないが、問題はないとの見解だ。
 僕は、議長として、また議会として、町側を全面的に信じてはいるものの、これだけ大きく報道されたことについて、このまま黙っているわけにはゆかない。議会運営委員会にはかり、この件についての調査特別委員会を立ち上げ、徹底的に洗いなおしたい。そして、「町が正しい」ということの裏付けを取った上で、議会広報などを通して、皆さんにご報告させて頂きたいと考えている。(2002/6/16)
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■未来をになう、子どもたちのために
2018年8月
優先順位は、どちらだ!
■あま市議会議員の定数を定める条例について
2014年6月
議員定数削減と議長不信任決議案
■新庁舎を造る?
2014年6月
新庁舎建設について
■あま市の人権行政
2012年3月
人権行政ってなんだ
〜2012年3月議会〜
■子どもは社会の宝物
2015年5月
中学生の医療費無料化[番外編]
A議員の大きな矛盾
2014年5月
中学生の医療費補助
〜2014年3月議会〜
2013年1月
続・小中学校区・学区割り見直し
〜2012年12月議会〜
2011年10月
中学生の医療費無料化
〜2011年9月議会〜
2011年10月
続・子育て支援のワクチン接種
〜あま市H23年度版〜
2010年3月
児童クラブの充実を
2010年3月
小中学校区・学区割見直し
2009年6月
子育て支援のワクチン接種
〜2009年6月議会(美和町)〜
■あま市民病院問題
2011年3月
 ■あま市民病院移転計画
2008年
 ■尾陽病院医師不足問題
2007年10月
 ■尾陽病院新築移転
   スピードアップ計画
2007年3月
 ■尾陽病院はつぶれるのか
2003年
 ■尾陽病院ドタバタ劇
2002年
 ■尾陽病院改築計画事始
■東部四町の[X]ディ
2009年7月
東部四町が東部三町合併へ
2008年9月
東部四町合併??
2008年9月
大治町の合併協議会離脱
2005年2月
三町合併の破綻劇
2004年6月
甚目寺町大いに怒る
2004年6月
もくろまれた海部東部の合併
2004年1月
町村合併の行方
2003年2月
海部に吹く風 第2弾
2002年5月
東部四町の[X]ディ
■美和町の2つの裁判
2005年8月
■下請け業者はずしの実態2
2005年1月
■下請け業者はずしの実態1
2005年9月
■携帯電話利用料金返還請求事件
■三菱重工
フロンガス流出事故
2002年9月
 ■美和町のお粗末な対応
■ごみ不法投棄監視事業の
選定業者
2002年6月
 ■美和町の変な業者選定
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