『誰が隠したの?』            戻る    home
 貴重品は押入れの布団の間に、しまって置く人だった。
 兄の所へは、大概泊り掛けで行くので、いつものように押入れから押入れへと貴重品をしまい直す。
2〜3日前から準備。前日にお金の確認。
自分の記憶が定かでなくなり、「鞄が無いの!」っと言ってくる。
当りを付けて、布団の間の鞄を出してあげた。
「あんたが隠したのね〜!」(´。`)ふぅ
始めは、親子と言えども冗談じゃない!と思い、怒ってしまった。
何十回かする内に、一緒に探させた。
これも始めは笑って、「嫌だわ!ボケちゃったわねぇ〜!」と言っていた。
その内、「誰かが隠したんだわ!」と言い出した。
引越しの片付けの最中も、すでに亡くなった人を盗人扱い。
常に、まだらボケを家族に知られないようガードしていた私でした。


 『火を点けてやる!!』              戻る
 主人の実家に年2回、行く時は、母はお留守番。
実家に着いた頃、電話を掛けてくる。
「早く、帰って来なさい!帰って来ないと、火を点けてやる!!」っと受話器を外せないほど怒鳴っている。
(あああ!淋しいんだなぁ〜)と。。。翌日は、誰にも何も言わずに出来るだけ早く戻った。
家は燃えてない!姉の子供達二人が、遊びに来ていた。ホッとした。
自分の親だし、ある程度の我がままは目をつぶっていた。


 『可笑しな家事援助』              戻る
  夕飯の用意をよくしてくれた。
ある日、家に入ると、香水とめっちゃ臭いニオイ。
おこげを隠す為に、香水を振り撒いたと言う。
普段から趣味が多く、忙しい母だった。
紙人形を作っては、西武に卸してもいた。
注文が殺到すると、少し錯乱状態になっていた。
幾つ、鍋を駄目にしただろうか?
洗濯もやってくれた。しかし、すすぎをせずに、干してくれた事もしばしばあった。
 玄関や母の目につく所には、裏が白い紙は置いておけなかった。
昔の人なので、、勿体無いの一言で、皆メモ用紙になってしまう。
ある日、夫の会社の書類や、まだ目を通していない娘や息子のテスト用紙。
見事にA4、4つ折りのホッチキス止めのメモ用紙の中にあった。
それからは、家の中で母が片付けを出来る範囲が決まった。


 『指の怪我で寝たっきり』              戻る
 何指か、怪我をして手仕事が出来なくなった。
何を思ったか、トイレや食事時以外は、朝から寝込んでしまった。
「あああ!何も出来なくなっちゃった!」とベッドの中で泣くばかりで聞く耳を持たない。
治るまでの3日間は寝たっきりでした。
 外国の土産用、色紙小、絵入、紙人形50枚の注文が来た。
兄の絵はどうにか間に合った。凝り性の母にはキツイ注文だった。
案の定、納品の期日には間に合わなかった。
それを切っ掛けに注文が滞り、母の行動も異変が生じて来た。
心配した兄嫁が東京のデパートの注文を取って来た。
生活を共にしていた私は、即断で断った。
それから間もなく、人形の顔が作れなくなった。
余り布で作る小物入れも、上手く縫えなくなった。


  
『ヘルパー講習会』1990.9〜1991.1
 生協の自主講座で、勉強が出来た。
施設での実習も1回より2回、10回行く事で何人かの高齢者さんの状況が分かるようになった。
段々楽しくなって、よく出掛けた。
母は、留守番。いつも「よその年寄りを看る暇があったら、私の面倒を看なさい!」っと怒鳴っていた。
 認知症の話は、実生活の丸写しのようでした。
但し自分の親だったので、病院には行かず勝手に「まだらボケ」と軽く捉えていた。
引越しが近かったので、12月に車の免許も取得。
たまには一緒に買い物と昼食後、車で出掛けた。
後部席から「お昼をどこかで、食べましょうよ!」っと言う。
やっぱりボケてる!と思い、「何言っていってるのよ!今食べたばっかりじゃない!ボケないでよ!」
母「あはは〜ぁ!忘れちゃったのよ!」と二人で大笑い。


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