厳格で誰よりも愛しい母に捧げる徒然         戻る      home

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越して来る半年前位までは、60代から三浦師匠の門下生として紙人形を作っては小遣いを稼いでいた。

引越しの寸前には、認知も進んでおり人形の顔が作れなくなっていた。


平成3年3月,家族揃ってここに越して来ました。

その2〜3年前から、母は少しおかしかった。まだら呆けだろうと軽く考えていた。

引越しを母は納得していなかった。

2年後、医師からアルツハイマー型痴呆(認知症)を知らされた時、母を抱き締めて遣りたかった。

母にしてきた数々の失礼をも、お詫びしたかった。

介護者として遣ってしまう事、もし責められたとしても”じゃぁ貴方も面倒看てみて”と自信持って言える。

ある選択に迫られ、私は施設の入所を選んだ(2箇所)。

正しい選択だと自負していても、罪悪感が心の中で悶々と右往左往していた。

施設には、長くて半年、短くて3ヶ月が入所の条件。一年近くなった所で次の施設に移動。

今一度、家のベッドでと思っていた矢先に平成11年6月天に召された。

7回目の危篤宣言中だったのが、せめてもの救いだった。

でも、今も母の死が実感出来ずに、心の空間を何で埋めるか悩んでしまう。
                                                平成14年

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個人的な情報として、拙い記憶を元に記録しておりますので、順不同です。