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『習い事』 
 当時、デイサービス事業はまだ無かった。
新天地で、ボケを遅らせる為に、お稽古事を出来る所を探した。
唯一、ペーパーフラワークラブのKさんが、請け負って下さった。
習字は、検定か何かあって、提出が出来なければ、お遊びでの出入りを拒否された。
英会話教室、母は堪能ですが、私は不得手。幸いに教室も無かった。
陶芸の瀬戸市は遠かった。
ゲートボールは、メンバーに母が「こんなものやるより、家で折り紙でもやる方が楽しいですよ!」って言ってメンバーを怒らせてしまった。
結局、おボケさんの遊び場が無く、二人で、喫茶店、手話講座、介護教室、教会等、あっちこっちに行った。


『徘徊』 防止その1         戻る
 近隣の喫茶店でモーニングは11:30まで。コーヒーにトースト。
店によってはサラダかオムレツ等が付いてコーヒー代のみでした。
色々なお友達に、母を同行させてもらって、あっちこっち連れて行った。
月曜日から金曜日まで、殆ど毎日連れ出した。
時にはお昼(ヒルトンのバイキング、岐阜羽島の初寿司等も同行)、カラオケ。
Iさんの紹介でパッチワーク、近所の人達との忘年会。
お友達の家でおはぎ作りも、参加させてもらった。
学校の役員会以外は、どこへも一緒だった。
土曜日は、家の前の人達が連れ出してくれたり、同行させてもらった。
日曜日は、家族で出掛けた。
疲れ果て、夜の徘徊は殆どなかった。



『寛容と受容』          戻る
 母は財布に万円札が無いと、郵便局へ、日に何回でも下ろしに行った。
「まり
ちゃ〜ん、ちょっ〜と!」
2万円を私に「お父さんに何か美味しい物、買ってあげてよ!」
始めは「ありがとう」と受け取った。
又郵便局に出掛けた。暫くすると帰ってきて、呼んでいる。
2回目に、財布に戻しておいた。
3回目「何回くれるの?」と怒鳴ってしまった。
4回目には、母の声が小さくなり「あのね、これ、あげる」
「でも、叱られるから内緒でね!」
母の脳裏には、そっと受け取るまりちゃんと叱ったまりちゃんが二人居たのかしら?
千円札を沢山入れておいた。
母が「千円でどれだけの物が買えるのよ?」と言う。貨幣価値は分かっていた。



『始めてのショートスティ』        戻る
 朝、便座が温かい。あああ!母が出掛けてる。と実感した。
よくウォッシュレットのボタンを間違って押した。
でも止められず、トイレの床は勿論、頭からビジョビジョになっていた。
その為、普段はスイッチをOFFにしていた。従って便座も冷たい。
 用事の為、1泊2日の利用。それでも心配で心配で、翌日はすっ飛んで迎えに行った。
 その施設には、デイサービスが併設されていた。
帰りに事務長が出てきたので、「デイに母とボランティアに来て良いですか?」と聞いた。
そしたら、「お母さんと一緒に、仕事とに来や良いがねぇ!」と言って下さった。
耳を疑った。聞き直した。「子連れならぬ母連れで仕事に来て良いのですか?」
「良いがねぇ」。。。事務長の顔が神様に見えた。(=^_^=)ニャア
その年の9月から母連れのお仕事。
5時、通常のドアは厳重に施錠。夕方は職員専用の出入り口。勿論母も一緒。
しかしこれが、この施設で何回か利用するショートステイの問題点となった。


『正月のショートステイ』              戻る
 我が家の恒例の里帰り。
母は暮れから2泊3日のショートステイ。財布には万円札と千円札を入れた。
久し振りにゆっくり出来た。土産を持って迎えに行った。同僚の顔が引き攣っている。
お礼を言って、滞在状況を聞いた。大変だったらしい。
痴呆棟のNさんを連れて、近所のサークルKまで行ってしまったらしい。
全てのドアは職員専用出入り口を使って、お正月のお買い物。
Nさんは、日頃はデイに出入りをしているので、母とは顔なじみ。母の財布も温かい。
話はすぐにまとまったらしい。お金も職員に振舞ったらしい。(全額戻っていた)
その場ですぐ、母に問い質した。
母「何言ってんのよ、事務所に聞きに行ったら、誰も居なかったわよ!だから裏から出掛けたのよ」
「それにどうして私をあんなボケた人達と一緒にするのよ!」と怒っていた。
職員の一人が、「本当に3日間大変だったのよ!」っと、私は「365日大変です」と言いたかった。
帰りの車の中で、次回から、よその施設の利用を考える事、又張り詰めた毎日を思うと泣けてきた。
「そうだぁ、このまま車でドッカンと心中すれば、皆は変りの生活が出来る」と思った。
でも、耳元で神様が「おまえの母はこの人で、一人しか居ないのだよ!」と囁いた。
慌てて我に帰り、「コーヒー飲みに行こうかぁ」と誘った。
後部座席で「そうね!そうしましょう」と嬉しそうに言った。
呆ける前は、私が落ち込むと常に言ってました。
「人は笑うも一生、泣くも一生。だったら笑って暮らせ!」と教訓のように。。。


『他人』                戻る
 いつものように、喫茶店。
今日は二人だけ。
変に他人行儀。
コーヒーを飲み始めて、母の方から口をきいた。「お父さんは、どうしたの?」「死んだじゃない!」
「あ!そう〜。じゃ〜あ、お母さんは?」。。。(ひぇ〜!!私が判ってない。でも、言えば判る。まだらボケだから。。。)
「目の前に居るのが、私のお母さん!」
母はびっくりして、自分の言ってる事の矛盾に戸惑っていた。
「あああ!変な事、言ってごめんね!」っといつもの母の笑顔だった。ホッとした。
家に戻った。お昼の用意を始めた。母が呼んでいる。又同じ質問の繰り返しだった。
納得が出来ずに、「あああ!頭がおかしくなっちゃった」っと頭を抱えてわぁ〜と泣き出してしまった。
納得が行かないのはこっちの方だぁと思ったので、駄目押しをしてしまった。
抱き合って泣いたら自分が駄目になる。そう思い、ドアをバッタンと閉めて、一人で泣いた。
悪さをしたら、往復ビンタで育ててくれた厳格な母の涙は、ショックと同時に悔しくて仕方がなかった。
昼を食べる頃には、何事もなかったように、陽気な母。
新天地で泣き顔は出来ない。私も夕方には笑顔で家族を迎えた。


『自分の子供』         戻る
 兄、姉と私の3人。越して来てからもよく電話を掛けていた。
「兄ちゃん、絵を描きに来てよ」「まりこの所に挨拶に来てよ」 
兄、電話口で「涼しくなったらね!」とか「温かくなったらね!」と今までと違い、年に数回しか顔を出せなかった。
姉には「お慶ちゃん、遊びに来なさいよ」と2年間、電話での会話のみ。
ある日「子供はあんただけ!」っと言い出した。「私は次女で、兄ちゃんも、お慶ちゃんも居る」
「次女の家に世話になっていて、挨拶に来ないような子は、育てた覚えはない!」と号泣。兄や姉を記憶から消している。
 電話での会話に疑問を持った姉が、忙しい中やっと来た。
改札口で、姉を見つけた母、「お慶ちゃ〜〜ん!!」っと泣いて駆け寄った。(あれ〜判ってる。良かった)。
しかしそれも束の間、車に乗ったら「子供さんは何人いらっしゃるの?」と姉は怒って「何言ってのよ!二人じゃない!」
店に入り、席に着いた。母「東京に預けてある慶子にそっくりなんですよ?」(本当に預けていたのは兄)
姉、何度も駄目押し。
一瞬「お慶ちゃん」を思い出すが、記憶の持続時間がない。
帰りの電車待ちに、姉が私に駄目押しをしていたら、母が怒って
「貴方はご主人も子供さんも待っているんでしょう!早く帰りなさい」って。姉は泣きながら手を振って改札口。
母、「お慶ちゃ〜〜ん、気を付けて〜ね」っと手を振った。
でも、車に乗った途端「あの人どこまで帰るの?」(あああ、判ってない)。
それから1週間後姉から電話。「ショックで3日間、寝込んだわよ」っと怒っていた。
始めて言い返した「私、365日、一緒だよ」 それからは、私の介護法に協力して出掛けてくれた。


『過去帳』  
混浴、好きですか?                           戻る
 ある施設で、連絡帳に「入浴はされませんでした。」と記入。自分で何でも出来る母なのに。。。
週2回しかない入浴のチャンス。風呂好きの母をどうしても清潔にして欲しかった。
あまり続いたので、聞いてみた。答えは「お母様、昔強姦された事がおありですか?」

「入浴の際、職員に噛み付いたり、暴力を振るうので。。。」
「一回一緒に入って、見て下さい」 その日ちょうど入浴の日。浴室に本人内緒で同行。
母の目は、敵意に満ちていた。
早速、脱衣所で自分で着替えが出来るのに、若い職員が無理やり嫌がる母の服を脱がせようとしている。
なるほど、噛み付こうとした。入って行って、自分で脱ぐように促した。恥ずかしそうに脱いだ。
そして貴方なら、服を着ている3人の前では、タオルで隠したいですよね! 
若い職員「お風呂に入るんだから、要らないの!」 アウシュビッツのガス室の入り口のような気がした。
今度は、中から狸の八畳敷きみたいなスッポンポンのお爺さんが出てきた。!(◎_◎;) ビックリ☆彡
慌てて母を後ろ向きにさせ、入浴交代。 座らせたと思ったら「シャンプーね〜〜!」っと甘茶掛け。
タオルも無しにお湯が耳に入るのを嫌って、母は大騒ぎ。
出てくる時は、流石、認知症。「気持ちが良かったわ〜!」っと湯上りの赤いほっぺでにっこり。
すんなり脱いでいたら、混浴。
冗談じゃない!「男女七歳にして席を同じうせず」との青春を過した母にとっては、この事態は異常な事。
出てきて職員一言。「忙しい時間帯で、お母さんだけ、特別な事は、時間が掛かって出来ません」
 それから暫くしてからでしょうか、男女の入浴時間帯が別々になりました。


無理やり』             戻る
 痴呆棟(昔はそう言って、隔離されていた。徘徊は自由に広い廊下をグルグルと歩ける)での事。
混浴事件から一年後、母の認知症はかなり重症。私の顔は殆ど覚えが無くなっていた。
入浴はすんなり入るそうだ。
今日は入浴の日。夕方、いつも陽気なS子さん、全裸で痴呆棟を歩き回っている。
普通に「今日は裸でどうしましたか?」っと尋ねてみた。Sさん「これからお風呂なんですの!」
母を思い出した。
無理やり脱がされた彼女にとって、夕方の今頃になってその気分。自分で脱いで、自分で入る入浴感覚のようです。
午前中の入浴状況が目に見えるようだった。
職員が飛んで来て、洋服を着せるが又脱いでしまう。
誤魔化してでも良いから足浴でもしてあげたら服を着るであろうに。。。(´。`)ふぅ
Sさんが夕方全裸で徘徊する日は決まっていて、月曜と木曜日。それらの午前中はいつも入浴の日。
母はその光景を、いつも悲しそうな顔で見ていた。



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