K−1 ほんのひとり言
a@1 2003 6. 21
前から 思ってたんだけど
絵と 作者って 結びつかない。 ことが多い。
結構 絵を 描く 知り合いも 多いけど・・・顔も 年も 性格も 知ってたりするんだけど
それでも 絵と 結びつかない。 なおさら よけい と いうか・・・
まず 男の人の方が 繊細で ロマンチストで メルヘンだったり お花 だったりする。
見た目 かなり 体育会系 or 強面系 or ジャガイモ系(失礼) のクセにだ。
反面 女の人は 大胆で エネルギッシュで 荒々しく おおざっぱ だったりする。
これまた ご本人は とても おっとりした 優しそうな ご婦人にも かかわらずだ。
なんだろ ・・・ この イメージのギャップは・・・
それなのに ご本人は そんなこと気にもしていない!
同じ路線・モチーフを もう 何年も 取り組んで おられたり・・・
なんだろ ・・・ この イメージのギャップは・・・
( ま たまには イメージどおり っていう 場合も あるんだけど。)
ひょっとしたら 潜在意識下の 願望 !? はたまた絵の方が 本来あるべき姿 !?
他人では 解らない その人の 正体 !?
私などは・・・
イメージが 結びつかない 代表 みたいなもので。
絵だけ 観ると 「 男性かと 思った。」「 もっと 年上の人かと 思った。」 と よく言われる。
なんだろ ・・・ このイメージのギャップは・・・
私は このギャップが 許せない。 納得していない。 満足していない。
これは 私じゃない!と 内心 ず〜と 思い続けている。
ひょっとして・・・私にとって 絵は 自分探しの 旅なんじゃないだろうか・・・
本業も あり 家庭もあり 趣味もあり
別に 絵を 描かなきゃいけないわけは どこにもない。
だのに 描かずに いられない。 描きたくてしょうがない。
あーでもない こーでもない と 悩みながらも ずーと 描き続けている。
いつか
ああ これだ! これが 私だ! 私の絵だ! と 言える日を 夢見ている。
もう これは ” 絵こそ我が人生 ” ってやつか。
ちょっと 話が 大袈裟に なってしまいましたが・・・
つまり 私は 絵のなかで 絵によって
自分を 表現していこう・・・創造していこう・・・ と 思っているわけです。
ちなみに 今年は 女らしく ソフトで 若々しい ピュア な 路線を 狙っている。
・・・・ギャップを なくすために・・・・
bQ 2003 7. 2
自分は たぶん 早死にだと 思っている。
長生きしたいと 思ってもないし・・・
だから
いつ いっても いいように と いろいろ 思う。
いままでに 突然 逝ってしまった人が 私の まわりには けっこう 何人も いた。
ちゃんと 話しておけばよかった・・・と 残された方は 思う。
何か 残していってよ・・・ と 思う。
だから 私は ちゃんと 残しておこうと 思う。
なんにも 残さないで 消えてしまうのは いやだから・・
とりあえず 今日 逝っても 絵だけは 少し 残る。
季節の 変わるたび 掛けかえてくれれば いいなぁと 思う。
自分は たぶん 薄命だと思う。
だから 何事にも 貪欲だし のめり込む。
生きている間に
なんでも やってみたい と思う。
いろんな所へ 行ってみたい と思う。
五感の 欲するままに! 時間の 許す限り!
なんでも 吸収したいと思う。
放出も したいと思う。
暇だと 嘆いている人は 私は きらいだ!
こんなこと 考えているやつは きっと 長生きだろう とも 思う。
どちらにしても
たった 一度の 人生だもの
「我が人生に 悔いなし!」
と最期 に 笑って 逝けたらいいなあ と思う。
bR 2003 7. 3
私は 読書が 趣味です。
何でも 読みますが・・・得るもののあるものが 好きです。
この前 耳鼻科で (K−3 Y先生のところ) 本を 借りて来てしまいました。
待ち時間で 読み出したら どーしても いっきに 読みたくなってしまって・・・
(待合に ハードな文庫を 並べてある っというのも 珍しいが・・・)
「 高塚省吾の絵の話 」 芸術新聞社
というのですが・・・
高塚先生の 絵は 知っていましたが・・・ファンでも なく・・・
とりあえず 暇つぶしに 読み出したら これが 結構 おもしろくて・・・
ゴーストライターが いるやも しれませんが
内容は 先生ご自身の ものであることは 確かで・・・おもしろい。
私自身 いろいろ 思うところがあって 答を 探してたところで・・・
ふんふんと うなづいたりしながら・・・読んでしまいました。
おかげで ちょっと ふっきれたかな・・・とか・・
私の 疑問も 悩みも 道しるべも みんな この本のなかにあったよな・・・
久々の 良書との 出会いという感じでした。
お奨め させていただきます。
ちなみに 最近 耳鼻科に 行ってなくて まだ 本を 返していない・・・
もらっちまっちゃ〜まずいかな〜
と 悪魔が ささやいている・・・
bS 2003 7. 5
絵を 描き始めたのは いつだっただろう・・・
小学校の 時 担任の先生が 絵を 描く人だった。
算数の授業中 生徒に 問題を やらせておいて
自分は くわえ煙草で 窓の外を 眺めては さらさらと 描いていた。
その 姿を 子供心に かっこいい と あこがれた・・・ まだあげそめしまえがみのはなあるきみとおもひけり・・・だったかな
グランドを 取り囲む大きな プラタナス
緑が 美しい 絵だったのを 今も 覚えている。
それが ひきがねか どうか わからないが
小学校 高学年の頃には 課題以外の 絵を うちでも 描いていた。
休みの日とか・・暇さえあれば・・・
お菓子の缶にある 外国の風景を 写したり・・・どんなのだったか 今も 覚えている・・・
夏休みの自由課題は 工作でなく 絵が 多かった。
見返り美人の 模写を 水彩で 描いたっけ。
六年のとき 絵が 入選した。
花火を 見ている 家族の絵だった。
名古屋の大きいなデパートで 展示された。
田舎育ちで そんな所には 連れて行ってもらったこともなかったが
そのときばかりは 家族総出で 大都会へ くりだした。
うれしかった。
広い会場に 自分の絵が さんぜんと かかげられていたのが・・・
家族と 連れ立って 華やいだおでかけを したことが・・・
その時の絵も やっぱり 覚えている。
中学校のとき 美術部に 入った。
そこで 初めて 油絵と 出会った。
かなり 無理を言って 道具を 買ってもらった。
プレパのにおいの記憶は鮮明・・・ 今も 懐かしい気がする。
それで 初めて 描いたのは F10 に 白菜 りんご バナナ。 何のことは無い静物画。
ガラスなしの 安い額縁を 買ってもらった。 それでも 贅沢な ことだった。
そして その絵は うちの応接間の 一番いい所に ず〜と 掛けられていた。
子供心に それは とても 誇らしかった。
その絵も やっぱり今でもはっきり覚えている。 ものすごく 素直な・・・ 拙い絵 だった。
その時の顧問が やっぱり 絵を 描く人で
部室の 一部を 自分の アトリエに していた。
どろどろとした 抽象的な油彩画だった。 好きではなかったが やっぱり 覚えている。
それと 文化祭の時 知ったんだが 社会の先生も、国語の先生も 油絵を 描いていた。
展示された絵は しろーと離れした なかなかの できだったのも 覚えている。
そんな頃から 絵を 描いてたんだなぁ・・・ 改めて まじまじ 思い出してしまった。
いつも 描く事が たのしくて うれしくて もくもくと 描いていたっけ。
いろんなことを 忘れてしまっているけれど
不思議と 自分の描いた絵のことは 全て 今も はっきり 覚えている。
まわりに あった 笑顔とともに・・・ ちょっとくさい
bT 2003 7.7
思い出 続編
今 思えば 中学の 先生陣は 非常に よかった。
個性的であり 寛大であり 包容力が あり、実力があり・・・先生らしかった。
国語の先生は、生徒の数だけ 答を 持っていた。
社会の先生は、脱線が 多く 歴史や地理 の裏話を たくさん聞かせてくれた。
数学の先生は、3年分を たった2〜3枚の プリントにきっちり まとめてくれた。(これは売れるぞ!と思った)
そして 成績に関係なく 生徒を 残して勉強させた。 できる子は自然に 指導にまわっていたっけ。
英語の女先生は、心の広い方だった。 (あんまり好きじゃなかったし・・・私も 嫌われてたけど)
授業態度が 悪くても 成績に 反映させなかった。 (つまんなくて よく 窓の外を 眺めていた)
理科の先生は、今思えば セクハラだったが、おもしろい人だった。
だから 勉強が 楽しかった。 し 好きだった。
おかげで 高校は 進学校へ 入ってしまったわけだが・・・ (田舎なので たいしたことはない)
高校は ひどかった!
教師陣は サラリーマンで、退屈な授業 、生徒も おりこうな優等生ばかり
そして テスト・・ 答は ひとつ しか なかった! (大学受験用ですわな)
いっぺんに 学校が 勉強が つまらなく なった。 (つまり おちこぼれた・・・)
そんな中で 美術部だけが 心の救いだった。 毎日 おもしろかった。
鉄筋3階の各校舎にはさまれた 昔ながらの白ペンキ塗りが剥がれそうな
木造2階建て 木枠の格子窓という 創立以来からの 芸術棟。
窓の外には 大きなアスナロの梢が さわさわと 緑が美しかった。
廊下は ささくれだった木張りで 、ぎしぎし きゅっきゅっという階段を のぼると 大きな美術室。
となりが 準備室兼先生の アトリエ。 先生は 行きつけの飲み屋に頼まれた油絵を 描いたりしていた。
階下は 音楽室で 吹奏楽部の 音を 聞きながら まっくらになるまで 絵を 描いた。
高校には 部活を しに行っていたと言っても過言ではない。
そのときの先輩が また おもしろかった。
腰に手ぬぐいぶらさげた 時代遅れの バンカラ?で 思想家。 おまけに吉本。
でも 絵は 天才的に 巧かった。 個性が 強すぎて 多少 ひくところは あったが・・・
毎日 絵を 描きながら 熱く 語り合ったっけ。 TV番組 しゃべり場風。
よく パレットナイフで モチーフの りんごを むいて 食べたっけ。
石膏デッサン用の 所々黒い 食パンは ほとんど 食べたっけ。
50号のキャンバスを 背負って みんなで 電車に 乗ったっけ。 青春だったなあ〜。
周りの目は まったく 気にならなかった。
この前 久しぶりに OB会があった。
男子の 面影は 今や 皆無・・・すっかり おじさんに 納まっていた。
女子は おばさんながらも それなりにがんばっていた。 (そうでない人は 来ない)
でも 「てぬぐい」 は 来てなかった。 どーされているんだろう。
今は 宮城にお暮らしと 聞いている。
もし ひょっとして これを 見ていたら ぜひ ご連絡 ください!
あなたの 影響は 大きかった。
ほんの20年ばかし前の 思い出ですが
私の 原点は ここらへんで 培われたような気がします。
ちなみに 懐かしの芸術棟は さすがに 5年ほど前に 取り壊され 今はもう 跡形もない。
そして あの頃の仲間で 今でも 絵を 描いているのは 私を入れてたったの3人・・・
bU 2003 7.10
今年に 入ってから めまぐるしく いろんなことが あった。
滅入ること ばかり・・・
それにまつわり 近年になく 悩み、 頭も使い 「思考」 に ふけった。
めんどくさかったから 考えないように してきた いろんなことを
じっくり いやっていうほど 考えた。
自分のこと。 対人のこと。 絵のこと。 これからのこと。
考えれば 考えるほど ・・・落ち込んだり・・・したが・・・
ようよう 最近 少しばかり 明るく 軽く なってきた。
いろんなことを してみたからなぁ。
本を 読んだり、映画を 観たり、音楽を 聴いたり、短歌を 詠んだり、サイト作りに励んだり、
人に相談してみたり・・・(あまり 人に相談するタイプの 人間ではないので 非常に 珍しい 行動だったし ご迷惑を おかけしてしまった)
文章を 書いてみたり。 (↑の 回顧禄は 思い出すことが いっぱいあって 書いてよかった。)
つまるところ
自分については・・・笑って暮らそう! と 思う。 暗い顔では 何もいいことがない。老け込んでしまうし。
対人は・・・やっぱり 笑顔に 努めよう。 むこうが どお思ってるかより 自分がどお思っているかを大切にしよう。
絵については・・・好き という こと。 絵を描くことが 好き。 絵を 描いてる自分が 好き。
まっ 当分は それで いいかと。 難しく 考えず、 肩の力を 抜いて 楽しもう! と 思う。
これからについては・・・やっぱり 明るく 楽しく おもしろがって いろんなこと やってみよう と 思う。
といいつつ 性格が 直るわけ ないから・・・
きっと これからも 考えすぎるし 落ち込みまくる と 思うけど
そおいうときは 首を ブンブン ふって 唱えよう
笑う門には 福きたる! ・・・ 笑う門には福来る! ・・・ 笑う門には福きたる! ・・・・
たぶん 軽く なれると 思う。
bV 2003 7.16
今日は ほんとに ほんとの ひとりごと。
あんまり うれしいから 書いちゃおう。
ちょっとした いざこざで こじれて いた 女友達と 仲直り できたのです。
ここ最近の 落ち込みは そのことも 大きかったから・・・
実際 まるで 失恋状態! でした。 ( 同性愛主義では 断じて ないです。)
彼女と 初めて あったのは ちょうど 5年前の今頃だった。
お世話に なっている 画廊喫茶の グループ展 の時。
油絵の 世界は 比較的 年齢層が 高く、 特に 我々 中間層 (特に女性)は
希少価値 なので 彼女を 見かけたとき ほんとに うれしくて
どう 声を かけようか ずっと どきどき していた。 結局 勇気が なくて 帰ってしまったんだけど
どーしても 話が したくて 電話番号 調べて いきなり かけちゃった。
きさくな いい人で いろんな 話を した。
ずっと前からの 友達みたいな 気がした。 若く見えるから 年下かと思ったら よっつ 上で。
女々しいところがなくて、どんどん 一人で 歩いてる人。
ものすごく 真剣に 絵に 取り組んでいて 前向き! 上昇志向の 強い 芯のある人!
私は ほんとに うれしかった。 ずっと そんな 人を 待っていたから。
一生懸命 自分を 生きている人。 絵に ついて 語り合える 同志。
おまけに お酒も いける口! こんな 気の合う人が いたなんて!
それからは もう 何かにつけ 行動を 共にした。
彼女の 所属する 会にも 入り ひたすら 後に 続いた。
ちょっと 先行く 先輩。 相談できる 姉。年の近い よきライバル。語り合える 同志。 飲みあかせる 悪友。
知らない土地に 嫁いでから できた 初めての友達だった。
めくるめく 5年間。 「いっしょに 上って行きたい。」 と 私を ずいぶん ひっぱってくれた。
でも 少しずつ スタンスの 違いが 気になりだしてきた。
彼女は 美大を 出、家で 子供相手の 教室を 持ち、核家族で 子供は もう手が 離れ
完全に 絵に 没頭できる 立場。 絵の ことなら どこまででも 飛んでいく。
私は 94の 祖祖母から 子供まで 抱える 4世代同居の嫁の身。 おまけに 仕事も ある。
自由さの違い。 使える自分の時間は おそろしく かけ離れている。
そのことは たぶん彼女には 理解できないと思う。口では 説明できないものだから。
立場の違い。
会でも スタンスの 違いが どんどん はっきり してくる。
彼女は 何があっても どんなことを してでも 上を めざして 進んでいく。 大人。
私は、間違った事 理不尽な事は がまんできない性格。 子供。
会に 入ってから 4年のうちに 随分 差が できてきた・・・・。 いろんな形で。
そして とうとう ささいな できごとから ひと悶着・・・修羅場を 演じてしまった。
ブレーキが きかなっかた。(大失態だった)
口もきかずに 別れてから 2ヶ月。
私は いろんなことと 重なって 会を 辞めた。
音信不通の 2ヶ月。
5年前に 出会った6月の グループ展も 今年 私は 出さなかった。
絵を 描けなかったし、 顔を 合わす 勇気が なかったから。
いつもは 一緒だった 会の 展覧会も、 先輩の 個展も・・・今年は 行けなかった。
それが こんなに 淋しいものとは 思ってもみなかった。
ぽっかり 穴が あいた 状態。 とは このことだと つくづく 思った。
自分の絵のことも 迷っていたし・・・ 描けない日が 続いて・・・・
自分のことも いやになり・・・で。 もんもんと した 日々が 続いた。
でも 最近 いろんな ことが あり・・・ ネット上でも よき <おことば> を いただいたり・・・
で ぐじぐじ しているのが いやになって、 思い切って 昨日 手紙を 出した。
ほんとは 明らかに むこうが 謝ってくれなければ いけない 状況だったんだけど・・・
意地を 張るのは 止めた。
素直になろうと 思った。 全部 ぶっちゃけて きちんと しようと 思った。
このまま どんどん 離れていくのが 淋しくて しょうがないのだから・・・
スタンスは 違っても 夢見るものが 同じ 人だから。
ほんとに 絵が 好きで 絵のことしか 考えてない人だから。
スピードも 違うけど それも 気にしない。 私は 私の ペースで 行く事に したから。
一緒に 前を 向いて 年を 重ねて 行きたいと 思うから。
ラブレターを 出すような 気持ちだった。 どこどき した。
もう 付き合えない と 言われたら どうしよう・・・と 思った。
今日 返事が 届いた。
開けるのが 怖かった。
でも
「もう 完璧に 嫌われたかと 思った。 手紙もらって うれしかった。」 と 書かれていた。
私は ほんとに うれしかった。涙が 出るほど うれしかった。
自分から 勇気を 出して よかったと つくづく 思った。
どちらが 先に 謝るべきか なんて 意地を 張らなくて よかった。
きっと 彼女は、がんばって 画家として 上に 駆け昇っていくだろう。
時代に あった 才能を 感じるし, 意気込みも 半端じゃないし。
きっと 私は ずっと 彼女の 後ろを 歩いていくだろう。
時代の要求する絵は 描けないし 人並みはずれた 才能があるわけでもないし。
追いつけは しないし 足元にも及ばなくなるかもしれない。
でも そんなことは もう 気にしないことにした。
絵が 心底 好きで、 いまより もっと・・・ もっと・・・ と 前を向き
進んでいこうと 努力する姿勢だけは 同じだと 思うから。
共に 切磋琢磨 していけたら 本望だと 思う。
又 一緒に 飲みにいけるし。 (ここんとこは 結構 大きいかもしれない)
でも 誘いの 電話は 私からは 絶対 かけないぞ!
今度こそ 彼女の 番でしょ。 ここは ひかないぞ。
でも つくづく 思うけど
友達は 一生の 宝 ですね。
よかった よかった ありがとう。
今夜の ビールは おいしかったよ〜
bW 2003 7.21
ちぇ〜っ
全然 電話してくんないから とうとう こっちから かけちゃったよ〜
意志 弱〜!
結局 惚れてるのは あたしの方 なのね・・・
同性愛主義では 断じて ないけど・・・
「なかなか 怖くて かけられなかった。」
「涙が 出るほど うれしかった。」 (一緒の気持ちだたんだよねぇ)
とは 言ってたけどね。
私は B型 だから 根に 持たないのさっ。(自己中ともいう)
彼女は、A型 だから 気を 使いすぎ。
タイプが 全然 違うのよねぇ。
ほんとに 私ったら 待てない性格。
も〜 大安売り だい! 持ってけ 泥棒! だわ。
でも いいの。 仲直り したから。 へへへ。
飲み 行くわよ〜 いよいよ ” 夏 本番 ”
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