009:かみなり




 隣の部屋との境界が、ひょいっと開いた。
「悪い。お前のトコのキーボード、ちょっと貸してくれ」
「どうしたっていうんだ、また」
 思った以上に高い位置から、頭だけが覗く。相手は、もちろんあいつ。
 ずいぶん困惑した表情だ。説明したくないなって顔か、そりゃ。
「やったのかよ」
 なんとなく訊く必要性もなさそうだけど。立ちあがりながら、一応、質問だけはしてみる。
「ああ。さすがに部の備品、これ以上汚せないからな」
「ウチのは、いいのかよ……」
「お前個人のだろ、それ」
 そういう問題じゃないだろ。俺のも部のも、どっちもお前んじゃねぇぞ。
 ホント大雑把な。ほら、後ろで笑い声だ。こっちには人がいるんだよ。
「それより! 手ぇ見せろよ」
「あ?」
 瞬間。壁の向こう、ヤツは見えてはいなかった手を、なお隠そうとした。
 しかしそんなことは、予想済み。タイミングを逃さず、腕を掴みあげ、ぐいっとひっぱってやる。
「いてっ!」
「やりすぎだ、お前……」
 さすがに、これは俺も予想外。
 キーを叩きすぎた指は、爪でもひっかけたか、派手に血を流させている。
 普通、ここまでなる前に、気づかないか?
「いてぇっつーのっ」
「当たり前だろ!」
「ちがう、お前のその手! 力いれすぎ!」
 あ、なるほど。機材運ぶ俺の腕が、全力でつかめばそりゃ痛いわな。
「力加減くらいしろよなー」
「その言葉、そっくり叩きかえしてやる」
「あはははは」
 笑って終わりかよ。つまらんコト、やっちまった。なにがホモくさーだ。気色悪いチャチャ入れんな、外野。
「まず、手ぇ洗えっ」
「んじゃ、お邪魔しまーす」
 写真部には暗室だってあるから、水道だって引かれている。
 だからって、ひらひらと血まみれの手をふりながら、入ってくるな。
 知っていても驚くぞ、それは。お、さすがにこいつらもビビリやがった。いい気味だ。
「しかし、……」
「なんだ?」
 痛くないのか、こいつ。すげえいきおいの水に、そんな指さらして。
 こいつのこういうトコは理解できない。ああ、みんな完全にひいたな……。
「おい、なんだって」
 ザーザーと出しっぱなしにしながら、目線が問いかける。いや、ホント信じられねえ。
「っていうか、自宅でやったほうがいいんじゃない?」
 備品うんぬんの問題なら、自分のを使おうと思うのが普通じゃないか。
 痛覚の鈍さもさることながら、この感性はなんなんだ。
「それも思うんだけどな」
「なに? ここでどうしてもやりたい理由でもあるの?」
 予想を立てれば、いやあ、愉快だね。あれっきゃないじゃん。
「ニヤニヤ笑ってんじゃねぇよ。ったく、エロくさい」
「お前にだけは、言われたくないな」
 否定するにも、言葉を選べよ。
 ほかの人間にならともかく、お前ににだけは言われたくないぞ。悪行、知り尽くしてるんだからな。
「ふたりとも、俺らよりはエロだよな」
「 ―― で?」
 話をかわしたつもりなら、あいにくだね。
 お前らも、こそこそしないで黙ってたほうがいいぞ。視線で警告はしてやろう。
「家だと、時間感覚ごとなくなっちまうんだよ」
 水道栓をきゅっと締め、両手をあげて降参のポーズ。なるほどなという意見ではあるけれど。
「まさかまた、倒れるまでやってたとか……」
「ビンゴ。俺ってときどきマジメさんだからぁ」
 冗談まぜて、ふざけてみせてもダメだぜ、おい。
 どこまでいっても、不気味なだけだって。でも、さすがにこいつらも、見て見ぬ振りか。よしよし。
「でさ、洗ったんだけど」
 大雑把に水を切った手には、まだ血がにじんでいる。いや、あらかたは止まってるか。
 でもどうして痛いとか、そういうコト言えないわけ?
 あー、はいはい。視線はすでに俺のPCにしかないのな。
「いいよ、持ってけ。つか、持ってく」
「あんがと」
 なんでこんなときだけ素直かね。来たとき同様、ひょいっと壁の向こうへ消えていく。
 へいへい、俺は持つもの持って、と。背後の笑いに、後での復讐を決める。
「おー、スプラッタっぽいね」
 扉を越えた先は、異空間だったってトコか。PCにつながったキーボードは、べっとり血まみれ。
 誰かいたら、まだ止めてくれるんだろうけど、今は講義時間。
 サボリ常習なヤツでもなきゃ、こんなトコにいるわけないか。文芸は、堕落してねぇんだな。
「ほらよ」
 一応、シャットダウンして、ちょいと繋ぎなおす。再起動させれば、無事認識したらしい。
「どーも」
 そんな言葉とともに、キーの具合を確かめて。こいつはガタンっと椅子に座り込んだ。 
「しかし、昔も何度かこういうことあったよなぁ」
 そのたびカバー買ってつけてみるのに、結局ノッてくると外しちまうんだよな、お前。
 汚れたキーボードを片手に、つい俺はそう話しかけていた。
 画面に向かいはじめたこの男に、なに言ったってムダなんだけど。
 それはともかく。コレ、まだ中に染みてなければ、掃除だけで使えるかな。分解まではしないが、軽くは拭きとっておくか。
「おい、今度は気をつけろよ」
 汚れは拭いたけれど、使えるかどうかはわからないからな、コレは。
 だいたいそれは俺ンだぞ。

 ―― もう、聞こえてないってね。

 滑らかに打てないわけでもないのに、どうしてそううるさく叩きたがるかな。
 ボードが壊れるか、指がまた流血沙汰になるか。どっちが先かね。
「ま、性分でしょ」
 生き生きしてるよ、いまのお前。うらやましいくらいにな。
 すべての衝動は、かみなりのように訪れるんだ ―― いつも、いつもさ。
(かみなりっていうなら)
 次にココへ現れる相手は、どうせわかってる。
 こいつを撃った、あの……。
「治療はあのコに任せとこう」
 どうせすぐに、本当のかみなりは落ちるよ。ま、それも嬉しいだろ。
 くすくす笑いも、抑えてやらない。
 どうせ聞こえてないってね?
「……。ただいまー」
 元いた部屋に戻って、机の上に置き去りだった愛機を手に取る。ずっしりとした感触が掌に心地いい。
 どうしようかな……。まだ笑ってやがるこの部屋のヤツらを、ギタギタにしてみるか。おや、怯えてるのか?
 考えながらファインダーを覗けば、壁の向こうが透けてきそうだ。
 もうすぐ来るだろう、かみなりさんを待つのも一興か。
 でも ―― あんな姿みちゃ、うかうかしてらんないってな。
「さて、そろそろ撮りに行くか」
 外は晴天、なにを狙うか。あからさまにほっとしてんじゃねぇよ、お前らもさ。
 撃たれてみたいだろ、衝撃に。
 嵐でも来い。そうだ、激しい稲妻をつれて。



 魂の沸き立つ、そんな ―― 。





019:ナンバリング ≪≪


この情熱で、人を愛せ。
(反転で、ツッコミあり)



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