035-1: 文芸のウラの顔。
差し出された用紙に、和真は新入部員となるべく借りたペンを走らせていた。
名前と学部、学年。そして住所に電話番号。迷う必要のない内容は、焦る心のままに書き込まれていく。
「この住所と電話番号に、なにかあったら連絡することになるから」
「はい」
入部届を書き上げれば、受け取った副部長が活動についての説明をしはじめた。
まずは主な活動日と時間。そしてカレンダーを見せながらの、年間スケジュール。
「この赤丸のついた日は、なんですか?」
「ああ、そこは学祭。ここも展示をするから、予定は空けておいてね」
印がついているのは、六月の頭。水曜から日曜までとなれば、おおがかりな催しになるのだろう。
「授業もないけど、ちゃんと来てもらうわよ」
「はい」
「部誌はね、一時的に発行費を徴収するけど、売上から返すから」
しっかり頷けば、説明はようやく本題へと進んでいった。
さすがは大学ということか。補助運営費は出ていても、基本的に活動は自給自足らしい。
そうじゃなければ、自由な活動は成り立たないということだろう。
だが、おおきな疑問が残る。
「発行費をまかなえるほど、売れるんですか?」
「足りなければ全額は返せないけどね」
にっこりと有無を言わせぬ笑顔で、案の定のこたえが返された。トントンと指し示された説明書きには、部員からの徴収金額が書かれている。
とはいえたいした金額ではない。むしろサークル費としては安い分類だろう。
「あまれば来期に繰り越したり、この前みたいに騒いだりね」
この前みたいに。それは、たぶんあの新歓コンパのことを差しているのだろう。あれだけ食べたならば、それだけでサークル費分をペイしている気がしなくもない。
「そういえば、副部長さん」
「なぁに?」
「おいら、あの日の代金、本当に払わなくていいんですか?」
豪勢な食卓を思いだせば、ふと気にかかるのはやはりその価格だ。おごりという約束につられて行ったのは確かだが、部費からでていると聞けば申し訳なくもある。
けれどわずかにちいさくなった問いかけは、あっさりと笑いとばされた。
「いいのよ。どうせ別のコを連れて行ったって、かかった経費なんだから」
「経費ってなあ、ココの金じゃないだろうが」
「そうね」
突如差し挟まれたのは、いい加減聞き慣れたあの声だった。他の部員たちとふざけていた彼が、なぜかこちらへとやってきている。すっと立ち止まったのは、副部長の背後だった。
「それにしても、なんか……味のある字だな、おい」
「いいのよ、字なんて。読めれば」
「読めるか? これ」
覗き込んだのはさっきの入部届らしい。ことばは選んだつもりだろうが、まったく衣になっていない。彼の意外な本性というところなのだろうか。
だが目の前でけなされるのは、事実であろうともなんとなく腹立たしい。
とはいえ、相手はこれからも世話になるだろう先輩だ。仕方なく和真は愛想笑いを浮かべてみせた。
「あの……」
「ホント、あんたには感謝ね」
「常日頃から、そういう態度してみせてくれよ」
そうして本題に戻そうと声を挟みかければ、だがしかし、副部長はやはり彼と会話をはじめている。
「この時期と学祭前だけは、感謝してあげるわよ」
「だけって、おまえなぁ!」
親しい間柄だろうが、この暴言に対してはさすがに反発の語気も荒い。周囲を窺えば、けれど誰一人として気に留める者はいないようだ。それは目の前、苦情を受けた彼女も例外ではない。むしろもっとも白けているほどだろう。
「実体はともかく、こいつが出るっていうとね、ホント女の子が集まりやすいの」
「はあ……」
そのままいきなり向き直られても、間に挟まれた後輩としては曖昧に流すしかない。
とはいえコメント自体は、わからなくもない。今日は隠れがちなその顔は十二分に整っており、なおかつ均整のとれた上背。もしかしたら少々口は悪いのかもしれないが、気遣いもバツグンだ。彼に逢うためだけにコンパに参加しても、決して損とは思えないだろう。
ただそれらは、この副部長自身にも当てはまりそうな内容だ。けれどそんなことに頓着しないのだろう。
「だから、イイ女の子に逢えるかもって。ねえ」
微笑みながら、彼女はそっと背後を窺った。表情はネコのようにいたずらっぽい。
「……男もな、集まりがいいんだよ」
その言葉につづいたのは、むくれていたはずの話題の主であった。ふうっとため息をつく姿は、ふたりの意外な立場を感じさせる。だが相手へと困ったように落とされていた彼の顔は、すっと和真へと向けられた。
「ついでに、金払いもな」
つづけて少しだけ、タチ悪げに笑いかけてくる。その表情の理由は、いったい。
しばらく目線をかわしながら、それまでの会話を反芻してみる。
「……あ。経費っ!」
すっかり二人の世界のやり取りかと思っていれば、いきなり話は最初の質問に結びついた。
わかってしまえば、単純な仕組みだ。あの場にいた男性陣が、新入生の会費まで負担していたならば、確かに部費すらも必要ない。場をセッティングすることだけが、彼らふたりの勧誘作業というわけだ。
「おかげで、余分な部費を使わずに済んでるんだから、感謝してるわよ」
「ならその分で、ちったあマシなパソコン買ってくれ」
思考を働かせているうちに、彼らはまた喧々囂々としたやり取りをはじめている。
コンっとこづかれたのは、今どきめずらしいトリニトロン管の15インチモニタだ。ここの主流はまだ液晶に達していないらしい。
「入稿が早々に済んで、余りがでたらね」
「ケッ! そこまで絶対でるもんか。締め切り破りばっかだってのに」
「えっと。あ、あの……」
エスカレートする一方の会話も、もしかしたら彼らなりのコミニュケーションかもしれない。そう思えば、割り込む声音も遠慮がちになってしまうというものだ。
「まあそうかもね。でも」
いたずらめいた瞳は、なおさらに輝きを増している。ちいさな笑みは挑発的で、魅力もあるだろう。だがこのままでは。
「あんたの技量で安くできたら、その分は呑んでくれていいわよ」
「言ったな? 受けて立ってやろうじゃないかっ」
凄んでみせる彼は、冗談ではあろうが思いがけない怖さがある。
埒があかないとばかりに周囲へと救いを求めれば、誰もが苦笑するばかりだ。お手上げというしぐさで合図をしてくれる人までいるほどだ。
仕方がない。肩を落とした和真は、まずひとつため息をついた。
「せいぜい、がんばってちょうだいね」
そんな舌を出す彼女の向かい、ゆっくりと息を再び吸いこんでいく。次の瞬間。
「あのーっ!」
絶叫にちかい声量が、なにか叩き返すつもりだったろう男の行動を遮った。いや。室内すべての人間をフリーズに追い込んだかもしれない。
しばし残ったうめきのあと、空気は一気に沈黙を取り戻した。
「……なんだよ、おい」
原因となる彼がただ状況を見守るうち、最も早く立ち直ったのは目の前の男であった。
突然の乱入が不快だったのか、ただ耳が痛いせいか。机へ倒れ込んだ彼女を越えて見やってくる目つきは、なおさらに険がある。
「つまりおいらの食事代は、先輩たちが払ってくれたってことですよね」
「はあ?」
その元凶となった当人は、けれどきょとんとしているばかりだ。見る間に男からは力が抜け落ちていった。眉間もゆるめば、肩すら落ちる。そこからつながる腕は、救助を求めるように女性の背中へかけられた。
「どうにかしてくれ……」
「そうねえ、そういうことになるかしら」
さすがはここを率いている人材ということか。副部長は案外とあっさり、突っ伏していたその上体を起こした。
「といっても、こいつとその一味だけになるけれど」
バサッと髪をかきあげる手は、だがさすがにそのまま耳を押さえている。多少の耳鳴りは残っているのだろう。けれどちいさく笑う姿に、とがめる様子は窺えない。
「だから、部としては関係ないの」
「じゃあ神楽先輩が負担した分だけでも、払いますよ」
無言のまま、周囲もふらふらと動きはじめる。だがその様子を、和真が気にとめることはやはりない。ようやく知った相手の名前を呼びつつ、Dバッグを開いていくばかりだ。
「あ? 俺の負担って」
「おいらの分を、先輩たちの頭数で割った額じゃダメです?」
どこまでも突拍子のないコメントは、見返す男の目を思い切り見開かせていた。
「本当はみんなに返さないといけないんだろうけど」
「……! おっもしれー」
殊勝な意見は、一瞬遅れて発された笑いに押し流されていた。激しいそれは、もちろん相対していた彼のものだ。ふたつにその長身を曲げんほどに笑い転げる姿は、かなりの見物である。
だがなにがそれほどの反応を引き起こしたというのだろう。
「だって、先輩は気づいてたから……」
知らなければ、コンパの潤いになれたかもしれないけれど。
首を傾げながらちいさく付け加えられた声が、なおさら笑いの渦に相手を叩き込んだことは言うまでもない。理由はわからないながらも恥ずかしさに赤面していく後輩の前、彼はその衝動に身をゆだねていた。
「つか、気にすんなって。そのおもしろさに免じて、おごっておいてやる」
「でも!」
「俺はな。髪の長い女より、おもしろいヤツの方が好きなんだよ」
しばらくののち復活すれば、愉しげな口元のまま和真の背中をバンバンと叩いていく。律儀というには支障のある天然さゆえの判断基準は、相当ツボにはまったようだ。
だがそんな男の反応のほうが、よほど相手にとっては意外だったようだ。コンパの席とのギャップ。整った外見からは想像のできない行動は、これまで知るどのキャラクターより興味深いかもしれない。思わず知らず、取り出しかけた財布のことも忘れて、彼は目の前の相手に視線を奪われていた。
「入部してくれたんだし、No problemってな」
「そうそう。貴重な男子部員、アテにしてるからね」
ふと差し挟まれた言葉は、やわらかくも高い副部長の声。そのままにっこりと微笑まれると、なぜだろう。今度はそちらから目を離せなくなる。年の離れた姉にからかわれて過ごした年少期の影響だろうか。
「普通に作品を書いてくれりゃいいんだよ」
見据える形となった視線をどう解釈したのか。まだちいさく笑いながらも、その隣に立つ彼は説明をはじめたようだった。だが男子だからと期待される内容だろうか。ふつうならば望まれるのは、ここではありそうもない力仕事くらいだろう。
はぐらかすような言葉に首を傾げれば、わざとらしく彼はその口元をゆがめてきた。
「腐女子どもは、ウラ本の作成に余念がないからな」
「裏?」
「いわゆるやおい本? ホモ本ってヤツ」
ククッと喉を鳴らしての発言は、新入部員にとっては衝撃的なものであった。
表だった冊子とは別に、裏冊子があること自体がまず思いがけないことだ。それも、いわゆるBL系とは。姉を持つ身として知らぬ世界でない。だが学内でとは、想像の範疇を越えている。
「失礼ね。こっちの売り上げあってのサークル運営なのに」
「へいへい。でも表冊子あっての、公認サークルだろ?」
男子部員だから期待される内容。それがこんなことでいいのだろうか。目の前が明らかに暗くなっていく。
「なんならそっちも書くか?」
「結構です!」
「大丈夫よ。少なくともモデルにはなれるから」
「……なりたくないです」
だが愕然としている間にも、ふたりはなおショックを与えつづけていくばかりだ。良くも悪くも絶妙なコンビネーションだ。こんなサークルで。いや、ふたりのいる場所で、やっていけるのだろうか。
そんな不安がふと過ぎれども、もはや覗き込んだここは離れがたいところになっていた。この部屋になら、高校時代とはちがう自分の世界があるかもしれない。
あたらしい大学ならではの生活は、少なくとも刺激に満ちている。
「書けばいいんでしょうっ!」
「ええ。わかっているじゃないの」
自棄になりつつ叫べば、返されたのは打てば響くような肯定。だがにこやかな笑顔の横、座ることなくいた男は、すっと和真の横を通り抜けた。
「ま、原稿は任せたからな!」
ゲラゲラと笑う声は、激しく陽気。その顔は見せないながらも、彼はひとつこちらの肩を叩いて出ていった。
部室の扉は、なぜか乱暴に閉められていた。
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こんなサークルでいいのだろうか……。
でも事実、割とこんなんだったからなぁ。
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