No-Number: 続・髪結いの亭主



 月齢にあわせて変動する姫。その身体は、性別だけでなく能力までもを月に支配されている。
 そんな不思議な姫と、異世界からの盗賊勇者の珍道中は、相変わらず今日もつづいていた。
「メラ……っ、あれ?」
 剣もつかうが、呪文もつかう。
 そんな姫の魔法は、しかしいまなぜか炎をほとばしらせることなく、かき消えていった。
「魔力、落ちてきてんなぁ」
「すみませんね。月がかなり欠けてるんで」
 魔力の源は月だといわれる。だからこそのミスではあろう。
 しかし普段ならば、大失態である。
 だがふたりはまったく焦っていなかった。なぜならその対象は、モンスターでなかったからだ。
「まあいいけど」
 目の前にあるのは、ただの薪の山。
「メラっ! ああもうっ、なんでかな……」
 時は、まだ明るいながらもすでに夕刻。フィールド上ではそろそろ夕食の支度をはじめる頃合いである。つまり彼らもまた、聖水で清めたこの場所で、野営の準備に取りかかっていたわけだ。
「いいって。火くらいすぐ熾せるし」
「そういえばさ、メラくらいならあんたでも使えるんじゃない?」
「どうだかな。試してみるか?」
 姫と旅するまでは、自力でしていた内容だ。シュルシュルと木切れを擦って火を熾すことなど、彼にとって造作もないことである。だが試してみる価値がないこともない。
 構えは基本。詠唱は ―― 。
「……っ!」
 指先からほとばしった魔法力に、勇者はその身を伏せていた。正確にはその力が引き起こした現象にだ。
 うずくまった彼が避けたもの。それは爆発的な流炎に吹き飛ばされた木片だった。
「いま、ギラって言った?」
 問いかけは、どこか楽しげに丸めた背へと投げかけられる。
「うわぁ、メラよか高位魔法なのに」
「そんなこと、どうでもいい!」
 だが思いがけない高位魔法を唱えられた男は、賛辞を一言のもとに切り捨てた。
 爆風でふきとばされた薪。彼の頭のなかには、いまからどう火を熾すかだけが悩みとして残っていた。
「さて、本当にどうするか……」
 計算の早さは、サバイバルの必須要素だ。その能力に長けた勇者は、腕組みをひとつしてうなってみた。
 幸いにして食材は飛び散ることもなく、桶のなかにある。さしあたっては、残った木を炭として使うことで対処できそうだ。ならば一応の腹ごしらえをしてから、夜の焚き火用の枝を集めに行けばいいだろう。この太陽の傾きなら、まだ時間は十分にある。
「じゃあヒャドとか使える?」
「ヒャドぉ?」
 見通しが立てば多少のゆとりもできるというものだ。桶の魚を掴みあげつつ、彼は背後でいまだわくわくと目を輝かせる相手をみやった。
「そう! ヒャドっ」
「わかったから、ちょっと待て」
 無邪気な恋人のおねだりには、たやすく勝てるものではない。
 苦笑を浮かべた彼は、ふたたびキケンな魔法をその口に乗せていた。
「あ、多少使えるかも」
 キンっとした感覚とともに、手にしていた魚は確かにカチンと固まっていた。
 だがよく見てみると少し違う。凍っているのではなく、単に水気が抜けて硬度を増した感じなのだ。
「冷たくないもんね……」
 だが即席でできたその干物は、今夜のおかずに支障もない。くすぶる炭も頃合いだ。とりあえずそれを放り出せば、夕食の準備は終わりである。
「他は、ほかは?」
 一度うずいた好奇心は、どうやら止まらないらしい。純粋に期待しているらしい姫の目に負け、彼は低レベルながら各種魔法言語をいくつか唱えはじめた。試すことすら高位魔法では危険だと、一応は認識していたのだろう。
 そうして試した結果、バギという真空かまいたち魔法も、大気爆発の一種であるイオも発動した。
 魔法は門外漢だと思っていた勇者の目は、一際輝いた。ただし魔力があることを喜んだからではない。
「んじゃ、ちょっくら枝を吹き飛ばして」
 すぐそばの林へ分け入ったかと思えば、いきなりうろ覚えのバキで一陣の嵐をかます。抱えてきたのは、大量の生木だ。しかしこのままでは薪にならない。
「どうすんの、こんなの」
「黙って見てろって。さっきのヒャドもどきで……、っと。ほら」
 自信過剰な笑みをひとつ。切り立てだったはずの枝は、水気を抜かれた枯れ木となって乾いた音を立てた。
「すっごーい!」
「もっと早く気づけばよかったな」
 サバイバルの技術は元々完璧だ。今度はさすがにメラを試すことなく、着実に木切れで火を熾していく。
 夕食の準備は、その間にも進んでいる。さきほどの不思議な干物は、遠赤外線を発する炭により、普段以上においしく焼き上がっているのだった。
「あんたってば、自然界から力、奪えるんだ」
「え? なんでだ?」
 予定外な食材もおいしく食せば、あとは夜が更けるのを待つばかり。
 つつがなく燃えだした焚き火に当たりつつ、彼らはさきほどの魔法もどきについて語っていた。
「だって、そのヒャドなんてまるっきり」
「ああそうか。なるほど」
「でしょ? カラカラだったもんね」
 どうやら彼自身も得心がいったらしい。
 詠唱の結果は、魚から脱水。枝からも脱水。そしてヒャドは凍結、つまり水分に働きかける魔法である。どうやら唱えた魔法の内容に似た形で、エネルギーの奪取は発生しているらしかった。
「さすが盗賊ってコト?」
 ニヤリと歪めた口元は、揺れる焔の先ではなお意味深に映る。
「でも細かく制御できないから、爆発系になるんだね……」
「らしいな。俺は盗賊としてもザツいからなぁ」
 確かに。和真はコクコクとうなずいていた。
 出会い頭に敵を蹴倒し、転がした隙に堂々とアイテムを奪う手法は、決して洗練された盗賊の技とはいえないだろう。その他も、生き延びることがメインとされた行動は、目的達成以上の事柄を果たすことがない。
 いまも、そう。ザクザクと火をかき廻す動きは、ひどく荒っぽいものだ。
(繊細なのは ―― )
 あのときの手つきくらいだろうか。
 ふと思いついた状況は、一気にその姫の頬を染め上げるに十分すぎるものだった。
「なんだ、どうかしたのか? 顔、紅いぞ」
 焦って顔を両手で覆う動作は、どうやら目を引いたらしい。
「え、あ? なんでもないって! 火が熱かったの」
「だったらもうすこし離れとけ」
「そうだね」
 じりじりと退けば、自然と相手からも距離を置くことになる。だが一度思い出した指先は、どうにも脳裏を離れない。剣を握ることがあるというのに変わらず綺麗な手は、遠のく意識の先ですら巧みな動きを見せていた。
 押しと退きを心得た、細やかさ。普段も使えば、さぞや優秀な盗賊だろうに。
 いや、盗賊として優秀な勇者というのは、世間的にどうなのか。
 無理矢理に引き剥がした意識は、多少の混乱を来しているようだ。しかし自然界の力を盗み出せるのは、確かにあっぱれと言っても良いのではないだろうか。
「あれ? ってことは」
「なんだ?」
 彼の手にあった火掻き棒が、組みあげた薪をすこしだが壊す。どうにも挙動不審の相手に、さしもの勇者も次の発言を危ぶんでいるようだ。めずらしい姿は、わずかに姫の行動を阻害する ―― が。
「……ザキ、使えるんじゃないの?」
 数旬の間を置いたそのことばは、勇者の動きとともに辺りの空気をぴたり凍らせた。パチパチと焔の弾ける音だけが夜の闇に響く。
 しかし立ち直りの早さも、この男の特徴だ。
「可能性としちゃあな。だが」
 そこで見せあったのは、想定外にひきつった笑顔だった。
「うん。……試すのは、やめておいてね」
「そうだろ」
 発動制御力がないのは、もはや明白。どこの誰から、いや、どこの何から力を奪うか、わかったものではない。潜在能力が未知数ならば恐ろしさは倍増しだ。場合によっては、それは世界ごと崩壊させる可能性を秘めている。
 ぞわりと姫の背筋を駆け上ったのは、明らかな恐怖だった。
「だからさ」
 そこに向けられるのは、軽い口調。だが火焔の輝きに似た瞳は、心拍数をなお高める。
「な、に?」
「あんま俺を怒らせんなよ?」

 この世界でもっとも愛されている ―― もとい、世界にもっとも愛させている男は、そうしてニヤリと笑ってみせるのだった。




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特技:服を脱がすことなら、神業クラス。
この勇者ががんばるのは、喰うことと寝ることだけだけど。
恋人とのふたり寝だし、がんばるしかないってね。




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