090:イトーヨーカドー




 外は心地よいまでの春風情、今日はいったいどこへ出かけようか。風はまだ冷たいだろうが、花を探して散歩するのもいい。ウインドウショッピングもいいだろう。相手は何を喜ぶだろうか。
 久しぶりのデートらしいデートに、翔は心を躍らせながら恋人の支度を待っていた。
「あんたばっか、ズルいっ」
「は、ぁ?」
 だがその愉しい想像をうち破ったのは、当の恋人の抑えもしない罵声であった。
 相変わらず外でのデートには、女性物を着て出かけようとする和真だ。もちろん似合えばこその行為だが、いままでの冬服で出歩くにはそろそろむずかしいシーズンに差し掛かってきている。それを踏まえて用意した新作は、生地はまだ厚手ながら春物だ。色目が明るいせいで着づらいと感じたのかもしれない。
「気に入らなかったのか?」
 キーンとうなる耳を堪えつつ問えば、ぶんぶんと派手に首は横へ振られる。当人を連れず買ってくるというのに、見立てどおりの出来映えは選んできた者の手腕か。問題なく服は似合っている。
「じゃあ」
「だから、今日は服を買いに行く!」
 なぜ『だから』なのだろう。いまいち会話が通らないことなど彼らにとってよくあることではあるが、それで頭の痛さが軽減するわけではない。ひとつため息をついて、だが年上の余裕をみせたい翔はとりあえず笑顔で水を向けることにした。
「……よく、わからないんだが」
「あんたばっか、おいらのコーディネートしてんの、ズルイから」
 拗ねたような声音は、新しく準備された春らしい色合いに似つかわしい。問うた男も、先ほど怒りに任せて叫ばなくて良かったと胸を撫で下ろす。まだまだ言葉足らずだが、わざわざこんなことでせっかくのデートの雰囲気を壊したくもないのだ。
「っていうことは、俺の服を買うんだな」
「そう。じゃ、行こっか」
「待て」
 体型隠しのスプリングコートをひらりと翻した肩をぐっと引けば、膨れっ面が振り返る。だがこちらの顔つきを見て、尖った唇も引っ込んだようだ。
「だいたいの傾向、教えてくれ……」
「なんで?」
「靴とか、ベルトとか。そんなものまで揃えるワケじゃないだろ?」
「あ……」
 ようやくにして制止の意味を理解したようだ。確かに一学生である和真に、この伊達男の代名詞になりそうな翔の外見を飾るにふさわしい物を一式購入することはできない。
「えーっと、じゃあ……」
 少々つまらなさげになりながらも身振り手振りをまじえつつ説明をはじめた相手に、服を選んでもらう光栄な男は微笑みつつ、まずはゆっくり聞き入るのだった。


「で、ココかよ」
「だって、たいていのものなら揃ってるし」
 その後車を走らせたふたりがいたのは、近所とはいえない立地にあるイトーヨーカドーだった。デパートほど気取らず、そこいらのスーパーよりはテナントも多い店構えは、流行も追いつつなおかつ懐に優しい。いまの和真にここほど適切な場所はなかったのだろう。
「ま、そりゃそろうだろうよ」
 くすくすと笑いながら隣を歩けば、拗ねた足はヒールながらささやかに攻撃をしかけてくる。だがふらりとするのも常のこと。ひょいと支えられれば、赤い顔はなおさらに赤くなった。
「気をつけろって」
「う、うん……」
 それでも実のところこの選択は、決して言葉ほど翔の意に添わない場所ではない。女装させていても、彼らの知り合いに会う心配もない距離にあるからだ。
「で、どの店を見るんだ? かたっぱしから見るか?」
「うん!」
 連れて歩くには絶好の場所。とりあえず彼らはウインドウショッピングという名のデートを満喫することに決めた。あちこちに目移りしながらも、目的は忘れない。和真は愛らしいほどにきょときょと見回して、ついにある一店舗に絞り込んだ。
 だがそれは既に一時間以上は前のはずだ。個室を出たり入ったりさせられている男は、壁にあった時計を眺めて針の動きを確認していた。
「おっかしいなぁ……」
 カーテンを開けてすぐ。思わずピキンと青筋が立ちかけたこめかみは、言われた当人だけが自覚しただろう。
 だが散々着せ替え人形をされたあげくもらう感想がそれでは、まったくをもって救われない。遠巻きに見ていた販売員も、くすくすと微笑みながらうんざり顔の男に同情の視線を送っている。
 だがそんな周囲の様子など、いまの和真が認識できる領域にはない。
「 ―― で、やっぱおまえ、なにしたいワケ?」
「なんていうの? 今年のよくわかんないけど、ああいう……」
「イイ男じゃないと似合わねぇもの、選ぶなぁ」
 おずおずと指し示されたのはシンプルなくせに人を選ぶ、スリムタイプのソフトスーツだった。
 そもそも春色というものは、綺麗めな色合いが多くてなかなかに男が選ぶには気恥ずかしいものが多い。あげくその中でも柔らかな風合いの素材は、堅い印象の強いスーツは着こなしが難しいものだ。そして昨今の学生は、スーツなどよほどのことがなければ着ることもない。遊び慣れた翔とて、もっと砕けた感じのある物かもう少しリクルートじみた物しか持っていないのだから、どうにも違和感を見る側も感じてしまうのだろう。
「よし。今度はあっちにあったのを……っ!」
 しかし野望はなかなかに潰えない。似て非なる新たな品を手にするため、和真は気合いを入れて走っていく。パタタと立つ軽やかな足音もさすがに聞き飽きて、むしろ小憎らしく響く。
「一生懸命な彼女をお持ちですね」
「はあ……」
 他に客が少ないのが幸いだろう。同情も含まれていそうな視線を浴びせていた店員は、こちらを気遣うように声をかけてきた。強張りかけた顔筋をあやつり曖昧に笑ってかえし、だがあとは会話をする気はないとばかりに視線を離れた和真へと向ける。
 それにしてもあの気合いの入りようでまだ女装がバレていないのは、立派というか才能というべきか。あれこれとまた選ぶ後ろ姿に、思わずため息がひとつ出る。だがそんな穏和な時間はすぐに過ぎる。
「じゃあ、今度はコレねっ!」
 新たに選び抜いた一着を手に駆け戻った相手は、すぐにでも着替えろと言わんばかりの調子で迫る。先ほどまでとどこが違うのかというセレクトに、男の眉根がぐっと寄る。だがそんな表情はずっと傍らでつきあっている販売員の背に遮られた。
「こちらは、雑誌にも取り上げられたんですよ」
「あ、ホントだ。載ってる」
「よく売れてますよ。特にこちらの色目が」
 そう告げるやいなや、影の棚からハンガーがすっと手に取られる。どうやら相当に売り込み中の一品らしい。
「雑誌にも載ってるこっちのほうが、いい感じなのにね」
「まあ普通には扱いにくそうな色だからな」
「実際着てみられると、こちらも素敵なんですよ?」
 ぼそっと差し挟んだセリフは、けれど予想どおり無視されるようだ。
(よく売れてるって、売りつけてんの間違いじゃねぇのか?)
 というよりよほど自分に自信がなければ着ようとも思わないだろう。そもそも色以前の問題で、デザイン的にすら似合う人間は限られそうだ。着ているつもりが着られている、その典型に陥りそうなのだ。
「そっか、そういうこともありますよね」
 だが店員の話術で既に想像の世界へとダイブしている和真は、そこまで思い至らないようだ。
「じゃあまず、着てみよっか。……どっちにする?」
 ようやくにして手元へ差し出されたのは、柔らかなサンドベージュと薄目のオリーブグリーン。基調となる色はどちらにせよ春らしい色合いで、ほのかに織り込まれたラメでわずかに若さと遊び心を演出しているつもりなのだろう。慣れない色合いは落ち着かないが、とりあえず当ててみれば極端な違和感は感じられない。
「どちらもよくお似合いですよ」
 もはや店員の追従など聞き飽きていた。そう言われて試着した枚数はそろそろ両手の数では足りないし、どれも自分ひとりで来ていたならば着もしなかったとわかるものが大半だからだ。試着してやればこれもまた似合わないことに和真も気づくだろうと思えど、そろそろ恥を晒すことにも、また着替えること自体にも疲れてきた。
「そんなにこの服、着せたいか?」
「……イヤ?」
 やんわりと拒否を含めて問いかければ、うるうるというほどではないが上目遣いで見つめられる。これはダメだろうと翔は即座に白旗をあげた。だが着たところで意味がないのも、生まれてこのかた自分というものとつきあっていればわかり切ったことでもある。
「おい。あの色のほう、持ってこい」
「……あれって、アレのこと?」
 ため息を深くひとつついた男は、ぐるりと見回した先にある同型の色違いをまっすぐ指し示す。わざわざそう別のカラーを要求したことが理解できないのだろう、困惑を強くした和真は小首を傾げて動かない。傍らの販売員も瞬間、不思議そうにこちらを見やる。
「ついでに、あっちのシャツも。ちゃんとサイズ見て持ってこいよ」
 だが彼には彼の考えがある。すこし方向のちがう場所にあるインナーも指さすと、顎をしゃくって口を完全に閉ざした。
「どうだ?」
 ゆっくりとした足で運ばれてきた服を掴み、カーテンの影に隠れて数分。ジャッというこれまでにない音を立ててカーテンを開いた男に、和真はあっけに取られた顔を隠しきれずにいた。
「似合うけど……、なんで?」
 驚きと感嘆に、さもありなんとスーツを着込んだ翔はほくそ笑む。
 しかしいま彼が着ているのは、先ほどの二着よりもよほど着づらいだろうと思われたカラーだった。むしろ普通では絶対に着られそうもない。真っ白という色だけならともかく、織り込まれた銀色のラメが、その白地ゆえに悪趣味なほどに映えてしまっていたのだ。
 しかしそれこそが彼の狙い目だった。普通ではないからこそ、自由に着崩すこともしやすい。そこで彼が合わせたのは、襟の高いカーキのシャツだった。上からボタンを三つ開けても襟のボリュームがほどよく残るせいで、はだけられた率ほど品は悪くなることもない。スーツ自体もスリムタイプであればこそ前をきっちり閉じずとも身体に添うため、オーバーに着たシャツの裾もほどよく窺える。決して春めいた雰囲気とは言えないが、崩した雰囲気が履いてきたアイボリーの革スニーカーと意外なほどに合っていた。
「あ、……よくお似合いです、本当に」
「……ま、いっか。似合うなら」
 店員も自らのコーディネートの認識を改めたようだ。衝撃的な色ゆえに見飛ばしていた和真もまた、予定とはちがうがこの服装がいたく気に入ったらしかった。だがこうしてようやく目的に合致するものを見つけたはいいが、問題はたぶんまだ残っている。
「で、おまえさぁ。コレ、買えるワケ?」
「う……。でも」
 チロリと嫌な流し目を送られ、和真の脳内ですばやく電卓がはじかれた。ジャケットとパンツとシャツで、予定よりは確かに少々高い。だが昼食代をもう一ヶ月節約したら、どうにかなるかもしれない。演算の過程は、その表情だけで傍目にもわかりすぎるほどよくわかった。
「じゃあこのシャツ、とりあえず買ってくれ」
 予想どおりに過ぎる無言の答えに、翔はくすくすと笑いながらそう告げる。
「え? でも、それならスーツってか、ジャケットが一番……」
「全部、タグ切ってもらえますか?」
 ぶつぶつと言いかける恋人を後目に、彼はまだ意外そうに眺めていた販売員へにこやかに呼びかける。さすがの相手も、自らの職務を思い出したのだろう。わずかに恥ずかしげな表情を浮かべたあと、素晴らしい営業スマイルを返してきた。
「あ、はい! ありがとうございます」
「このまま着ていくんで……」
「では、こちらの来ていらっしゃった服をお包みいたしますね」
「お願いします。シャツ以外は、このカードで」
 パチンと鋏を入れられつつ、探った鞄から一枚を取り出す。しかしその動作にあわてたのは和真だ。
「な、んで? おいらが……」
「無理すんな、学生が」
 すっと伸びた手は普段なら軽く頭をはたくもの。だが今日は傍目にも愛らしい努力家の彼女だ、さすがにそんなことはしない。ふわふわと舞う髪をやさしげに撫で、男は今日一番なほど綺麗に笑んだ。
「せっかく選んでくれたんだからな、今日は俺が買うさ」
「ん、じゃあ……シャツだけはおいらからね」
「ありがとな?」
 さらりと告げる言葉に衒いはかけらもない。本心から喜んでいることはまっすぐに相手の心にも伝わった。だからこそ和真も無用な遠慮は控えた。ふたりきりだからこその一人称を使うと、軽く頬を染めた“彼女”はレジへとまた軽やかに駆けていった。
「しっかし、ホントにこんな格好でいいもんかね……」
 そうしてぽつんと独り残された男は、もう一度こっそり鏡を覗き込む。最初に聞かされたイメージとはまったくちがうセンスにまとめてしまったという自覚は彼にもある。だがその独り言はどこか愉しげに響いていた。

 これまでの服をショッパーに詰め、歩くことしばし。春の昼間を過ごすには少しばかり派手かもしれない外見となった翔は、不意にエスカレーター前で立ち止まった。
「さて。これからどこに行くんだ?」
「……えっと?」
「いや、だからさ。これからどこに行くんだって」
 足の向くままテナント内を歩き出していた和真は、はた、と立ち止まった。もともと外出の予定を立てていたのは翔なのだ。だから目的を果たしたいま、次の行動を決めるのは相手のはずだろう。
 けれどそうして振り返った先、彼はにっこりと微笑んでいる。そしてピッと指さされたのは、着替えたてのスーツ。
「この服に合いそうなトコ、考えてくれよ?」
 互いに吟味しあったとっておきを着ての初デート。
 そのコースを選ばせてもらう栄誉に、頭を悩ませつつも和真は嬉しげに笑うのだった。











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どこまでも、バカップル。あくまでもバカップル。




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