羽根をもつ人たち 2


 ゴシック調な金彫も美しい、天界との狭間に抜けるための門。
 ここは羽根をもつ者だけが通り抜けることを許される。だからふわふわと漂っている者が、ただの子供のはずもない。背に生える白い翼がその証。
 たとえ、それがせいぜい三歳児程度の外観だとしても ―― 。
「あ、マスター!」
 だが、ここは「天界」との狭間。つまりはまだ魔界であり、白い翼は異色である。
「……またこんなところを独りで」
「えっと」
「俺がなんて言ったか、覚えてるかな?」
 にっこり。そうとしか形容し難い笑みに、白いとんがりシッポがぴるぴる震える。
 一応、反省はしているようだ。
「うん。『絶対に天使にはひとりで逢わない』って……」
「だったら、どうしてここにいるんだい」
「逢わないもん! こっそり見るだけっ」
 それで相手が話しかけてくる分には、かまわないはず。
 小さいながらに、よく廻る頭である。
 だがしたたかなと片づけてしまうには、少々問題があった。
「悪い天使にみつかったら、どうするつもりなの」
「あう……」
 白い翼はコウモリ型。そしてとんがりシッポ。魔界の住人であることは、すぐにわかる。かつ、こども淫魔らしいかわいらしさも備えているのだ。
 天使や神とて完全ではない。それもあんな場所に出入りしているなら、なおさらに。
 危険な存在だという認識は、だから保護者の欲目とは言い切れない。
「だいたいそいつが安全かどうかもわからないし」
「いいひとだもんっ! 絶対っ」
 ため息まじりの発言に、だが即座に目を剥いての否定が飛んできた。
 反発はしても、基本的に反抗することはない子だ。どうやらよほど相手を信用したらしい。
 とはいえ、まだまだ幼いこどもの視点。護るべき大人としては不安も募る。
「いったいどんな相手なのかな」
「すごく美味しそうっ!」
「俺はキミの教育を間違えたのかな……」
 ときどき自信をなくすよ。
 一気に笑顔をみせたこどもに、マスターはちょっとうなだれるのであった。



 そんなやり取りが魔界であった日もまた、黒翼に白い長衣。違和感のある取り合わせの男は、狭間で時間を潰していた。
「……タバコ?」
「天界で吸ってたら、よくないだろ?」
 背後からの声に、くわえタバコのままで彼は無造作に振りかえる。
 目線の先には、自分よりすこし背は低いががっしりとした体躯の天使らしき相手がいた。
 見覚えのない顔は、怪訝さを隠し切れてはいない。
「おまえ、悪魔じゃないのか?」
「見た目は黒いが、これは天使羽根だろう?」
 からかいかと、鋭く黒い瞳で睨みつける。
 自分のことを知らない天界人などいないと断言できるからだ。
「いや、それはそうなんだけど……」
 意味がちがうんだよなぁ。
 そう苦笑する姿にこちらを非難する印象は微塵もなかった。拍子抜けさせられたのは、言うまでもない。だがそれは双方が受けた感覚らしい。
(天使ってこういう物、体質的に受けつけないんじゃなかったっけ……?)
 煙を吹きあげる相手を眼前にしつつも、知識が現状を否定する。
「で?」
「……で、って?」
「おまえはなんなんだ、ってこと」
 短くなったタバコをもみ消す男は、当然の質問をしていると言わんばかりだ。
 もはや遠回しな値踏みは、互いに不毛ということだろう。
「俺は ―― 悪魔、だな」
「ふうん」
「驚かないわけ?」
「別に。この場所にいるんだ、おまえだって天使か悪魔に決まってるだろ」
 しれっと言い放たれ、完全に悪魔と名乗った男は呆気に取られた。
「この白い翼でさ、ふつう天使だと思わない?」
「自分がこの色してるのにかよ」
 なるほど。ばさっと羽根をひらめかせつつの言葉だ、説得力はありあまる。
「だいたい、ここで俺に話しかける勇気のある天使はいない」
「はあ」
 抑えきれずに漏らされたのはため息だ。さすがにこれは断言する内容ではない。
「それに、白いコウモリ羽根をもってるヤツだっているワケだし?」
 だが、すべてば駆け引きだったようだ。
 ニヤっと天界人らしからぬ笑みを向けられれば、もはや勝ち目はない。
「なんだ。気づいていたのか」
 白旗を掲げるように、袖をはためかせて両手をあげる ―― と。
「うぉ……っ!」
「ぷはぁ、疲れたーっ」
 どうやって入っていたというのか。目の前の相手の服から飛び出したのは、件の白い小悪魔だった。これにはさすがの男も驚かざるを得ない。
「一緒に来てるとは思わなかったな」
 仰け反らせたことで、一矢報いた気分になったのだろう。耳まで白い、まだちいさな頭を押さえつつ、だが悪魔はその言葉に対して怪訝げに目を見開いた。
「おや。このコの気配で、俺のコトわかったんじゃないんだ」
「こんなところで、わざわざ俺に話しかけてきたらな。すぐに判るさ」
 その問いにもまた関心はないのだろう。縮こめていたらしい翼をぴるぴるっと広げるこどもへ、男は柔らかなまなざしを注ぐだけだ。
 それは慈しみの瞳。彼はやはりこどもが信ずるに足る天使なのだろう。
「しまったね、俺としたことが」
 となれば、失態は悪魔の側にある。わざわざこの狭間で他者に関与することが示す意味。天使ぶって近づけば、なおさら彼にとっては胡散臭かったということだろう。
「悪かったな」
「いや? ま、とりあえず」
 そうしてひょいと立ち上がると、かるくはたいてからその手を差し出してくる。
「はじめまして、『マスター』?」
「おまえを飼った覚えはないけどな」
「それは失礼。俺はショウ、見てのとおりごく普通の天使だな」
「ふつーね……」
 あげくタバコを平然とふかし、かつ黒翼でよく言うものだ。もっとも普通ではないのは、当人のこの感性ではないだろうか。
 はじめてまみえる悪魔を目の前にして、この態度。
 だがそこを追及しても、かけらの利益もなさそうである。
「俺は、あのコの一応マスターをしてる……」
「ねえねえ、あんたリングは? どうしたの?」
 ひょこっと身を乗り出したこどもは、上司にあたるはずの相手の名乗りをあっさり遮る。いや、そんな意思など欠片もないのだろう。
 視線で問えば、それはマスターとやらも気にする内容ではないらしい。
「あるぞ。ほら」
 ならばと好奇心を満たしてやることを選んだのだろう、ショウはその袖を探りはじめた。ごそごそと無造作に取り出されたのは、ご所望のリングだ。
「これって、取り外しできたんだ……」
「つか、天国への通行証みたいなもんだから」
 ふよふよと近寄るこどもに、そっと預ける。手に渡されれば、感慨もひとしおということか。キラキラと光るそれは、幼い好奇心を十分に満足させたようだった。
「似合わないから、つけないんだ」
 やわらかく笑んだ顔は、確かに天使。だが綺麗すぎる顔立ちはもうひとつを連想させる。
「……そうしてると、まるっきり悪魔だよね」
「おう。どっかに忘れてくると、天界で連行されちまいそうだと自分でも思う」
「う、うん……、気をつけてね」
 あわてふためいて返すのは、大事なものという認識がいっそう強まったからか。くすくすと笑いつつ受け取ると同時につかれた吐息は、なお笑みを深めさせた。
「しかし、んなこと言ったら、おまえのマスターはまるっきし天使だろうが」
「え? ああ。でも」
 幼い顔が、くるりと背後を振り返る。それはひとつの合図だったようだ。そんなやり取りを黙って眺めていたマスターが、にっこりと笑む。
 飄々とした印象の強い男の目が、らしからぬほどばっと見開かれたのは次の瞬間だった。
「……ちょい待て」
「いや、隠してるのも疲れるんだよねー」
 バサリと大きく開かれているのは、一対の白い翼。そして黒色の ―― 。
「六枚羽根って……」
「なんならもっと出せるけど? でもかえって疲れるんだよね」
 白二枚に、黒四枚。一般的にはありえない枚数の羽根を伸ばしつつ、目の前の男はそれ以上が可能だという。
 そんな翼をもつ者は、人界でも有名すぎるあの悪魔 ―― 。
「もしかしなくてもあんた、すげー上級なんじゃ……」
「さあ? 別にいいじゃん、魔界での地位なんか」
「そ、ういうもんか?」
 ゴクリと飲み込んだのは、枯れた喉を癒しきれない唾液。
 魔界の地位は、そのままイコールで力量を示す。いままでの振る舞い、そして使役する淫魔への関与。どう判断されたか、それによってはここで闘いになるかもしれない。
 そこで迎える結末など、おおかた予測がつく。心臓がドクドクと痛みを訴える。
「たぶんね。でさ、よかったら一本くれない?」
 しかしあっさりと返された言葉は。
 あまりの意外さに反応が遅れれば、指は胸元をしめしていた。深すぎる微笑みの表情は、なにもこちらに気取らせない。
 無言のまま、パッケージごとを差し出した。するりと抜き取られた、一本。術で火を点けたらしく、紫煙はすぐに立ちのぼる。
「おいしいねぇ、天界のも。っていうか、これは人界の?」
「あ、ああ」
 どうやら何も不満はなかったようだ。むしろこの対応がよかったのかもしれない。
 ちいさな小悪魔も、傍らでまとわりつくように留まっている。
 ならば遠慮する必要もないだろう。隣で男も一本くわえだした。フィルターを噛んで、息を吸う。直後、煙が肺へと流れ込んできた。
「確かに? 重要なのは地位じゃねーわな」
 点火の礼は、会釈で済ませる。あえて言葉にするものでもないだろう。
「だがその分、魔界での保護は任せてくれよ」
「んじゃ、せいぜい俺はここにいるときだけな?」
「……助かるが、どうして」
「あんた、忙しいんだろ? どうせ魔界じゃ」
 黒翼をもった天使らしき者が、座り込んで並んだ図は壮観であろう。
 その体勢でタバコをふかしていれば、なおさらだ。
「うん! マスター、本当はすごく忙しいらしいのー」
 会話を妨害できるのは、たぶんこのこどもだけだ。
「本当はって?」
「いつもおサボりさ……、!」
 ゴンっと振り下ろされた拳は、ちいさな頭をますますバカにしそうだと思われる。
 使役する小悪魔に対しては、妥当なのだろう。だがこのこどもに対しては、どうなのか。
「……まあ、俺も腕にだけなら、自信あるから」
 原因をつくる問いかけをした男は、控えめな執り成しを挟む。
「へえ。攻撃系なわけ?」
「これでも一応は軍にいる。つか、そういう系統しかつけないだろ?」
 外見的に。秘めた意味は通じただろう。
 頭を抱える小悪魔を間に、おとなふたりはニヤリと視線を交わす。
「試す?」
「……っと!」
 その瞬間、ショウの指先から雷撃がほとばしった。すんでの所で避けたが、喰らっていたら黒焦げは免れない。手加減のなさは、たぶん力量確認を兼ねている。
 認めてはいるが、舐められる気はない。そんなところだろうか。
「なるほど。降参」
 だが彼とてただの悪魔ではない。肩を竦めてみせつつも、余裕の笑みは浮かべたままだ。タバコもまだその口元を飾っている。
「こどもの世話ばっか、してられないだろ? だから」
「幼稚園みたいなもんってか」
 六枚羽根の示す職務は、たやすいものではない。魔界での保護ができるとはいえ、面倒は少ない方がいいのは事実だ。
 いまの攻撃力は、確かに預けるに値するものであろう。そしてこの判断力も。
「すごーい! かっこいいっ」
「それはどーも」
 なにより、このこどもが懐いている。重要なのはその一点だろう。
 シッポを立たせて喜ぶ姿は、護るべき要素に思える。
「おまえ、俺と気が合いそうだね」
「まあな。おっと、ガキには吸わせないぞ」
「当然。まだ早いの」
 リング、雷撃。その次に関心を買っただろうものは、予想にたやすい。
 互いにただよわせる紫煙をなおさらにあげ、彼らはニッと小悪魔に笑いかけた。
「ずるーい!」
 拗ねるこどもを挟んだ、三角形。抑え込むのは、左右からのびる腕、各一本。もはや彼らふたりは、保護者役を互いに認めあっている。

 幼い感性が引き合わせたバランスは、まだはじまったばかり。
 だが意外な心地よさに、らしからぬ天使と悪魔は、満足げにタバコを吸いつづけるのだった。



1.5 <<<   >>> 2.5


6枚羽根の悪魔と言えば?




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