本日の一言
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                       7月27日の一言


風は通りすぎていく…
 侍は風、百姓は大地----黒澤明の映画「七人の侍」のテーマを早坂さんは愛した。政治家は風、民衆は大地。風は通りすぎていく。民衆こそ永遠である。
 前記の文は、朝日新聞に掲載された今月20日に死去した早坂茂三さん(田中角栄元首相秘書)に対する惜別の一部分である。記したのは朝日新聞編集委員(政治担当)でコラムニストの早野透氏である。
 人のイメージは取り方によって違うが、私は早坂氏がロッキード事件の当事者であった事から非常に悪い印象を持ち、事件後にも明るくテレビに登場する早坂氏の神経が本日まで理解できなかった。
 人の評価は死ぬまで判らないと言うが、田中首相の秘書として23年間仕え、事件の糾弾も受けてからも隠れる事なく、堂々と生き抜いた早坂氏の「笑顔」を改めて記憶に留めておきたい。
 「政治家は風、民衆は大地。風は通りすぎていく。民衆こそ永遠である」の一文は、私が政治活動を始める際にイメージしていた全てを言い尽くす言葉である。
 風は時にはやさしいが、ある時は暴風雨にもなる。人の一生も色々だが、裏方である秘書でありながら、歴史に名をとどめた早坂氏に合掌し、改めて自分の政治の肥やしにしたい。

                          7月26日の一言
天王まつりに21万人?
 尾張津島天王まつりに21万人の人出があったと報じられていた。毎年同じような人出が発表されるが、私は実際の人出はもっと少ないと思っている。
 以前にも人出の根拠を当局に聞いた事があるが、鉄道やバス、自動車の数で総合的に弾き出しているとの事だった。
 しかし、プロ野球の観戦に5万人の人が寄ると大変な数であるが、その4倍以上が津島市の天王川公園に入りきれるわけが無い。
 昨日の一言にも記したが、昨日は車の数が平常より少なかった。又、例年は家の前に必ず出来る車の渋滞もできず、通るバスも乗客はガラガラだった。
 21万人の明細を求めるとともに、多くの人出が期待できるイベントの検討と同時に、まつりによる地元の活性化を図るべきである。
 政府は景気が回復傾向にあると発表しているが、現実にはまだまだ厳しい状態を脱していない。農協が組合員の借金の形に農地では無く自宅を競売にかける時代である。政府発表の景気動向が地方都市津島市まで反映しないと、盛況な祭りも期待できないのかもしれない。

                           7月25日の一言        
たくましい講座受講生達…
 本日は「人にやさしい街づくり」連続講座の第2日目が、名古屋市のあいちNPO交流プラザで開催された。
 先週の車いす体験を各自がまとめたレポートの中から発表し、ポストイットを使って摸造紙に整理して各グループが発表した。
 道路や歩道の構造上の問題。車の駐車による車いすの危険。地下鉄駅のエレベーターや切符の券売機の問題点。狭い改札口や表示の分かり難い案内板の問題。駅の障害者用トイレの問題。昼食に立ち寄った店や、喫茶店の対応など車いすを使う立場になりきった真剣な議論が展開された。
 休憩をはさみ、さらに議論を重ねて発表後、各グループの話題は「どうしたらやさしい街になるか」を話し合い、課題や提案をまとめてから発表した。
 私は昨年は受講生として参加し、本年は裏方のDグループのサポーターとして参加しており、意見は差し控えているが、グループのメンバーのレベルの高さには正直驚いている。
 10月まで毎週出席した後のグループのレベルはどうなるのか、非常に楽しみになると同時に、成果を残せるようにサポートする責任を感じる充実した1日だった。
 ちなみに津島市からの参加者は私以外に2名と、津島市役所に関連する1名の合計4名であるが、津島市の街づくりの一助になればと思っている。
 さて、名古屋から帰ったのが午後7時過ぎだったが、あまりにも少ない車の量にびっくりした。本日は津島天王まつりであるが、例年渋滞する道路がまったく閑古鳥が鳴いているではないか。

                           7月24日の一言
「ほっこり庵」エドさんの主張…
 今年に入って最高に汗をかいだ。本日より会報「津島の風」の配布を始め、わずか200世帯の配布ではあったが、真夏の炎天下だけに衣服や下着も一瞬にして洗濯機行きとなった。
 しかし、暑い時期にエアコンの前で冷え冷えとした生活を送り、体調が悪いとか気力が湧かないなどと言って、風薬を飲んでいた昨日までの生活があまりにも異常だったのかもしれない。要するに暇を持て余していたのである。
 仕事は待っていてくれない。炎天下は辛いが、盆休みまで連日のスケジュールが入っており頑張るしかないのである。
 数日前にリンクをかけた「ほっこり庵」のエドさんこと、大川さんのホームページは、波乱万丈の人生を送ってこられただけに、私の一言とは違って重みと説得力がある。私の不足分を「ほっこり庵」のホームページで納得して下さい。エアコンで涼しい部屋にこもる自分勝手を「ほっこり庵」から反省。

                         7月23日の一言  
 ほっこり庵へリンク 

                       
路面電車の廃止か…
 岐阜を走る路面電車が廃止と報じられた。市民にとって利便性が無い事と、費用対効果の面で市民の理解が得られない事を理由にあげているが、全国各地で延伸や新設計画が進む中での廃止だけに疑問も感じる。
 確かに路線を廃止してもバスによる対応は可能かもしれない。全国での路面電車の経営も決して安定している訳ではない。しかし、地球温暖化に対する環境面での効果や、低床車による障害者や高齢者への配慮、商店街の活性化など計画的に考えれば路面電車の廃止には慎重な対応と長期的な発想をもった対応を期待したい。
 廃止の原因に、名鉄の示す譲渡価格と自治体側の予算との大きな隔たりがあるが、いざ廃止となれば資産価値もほとんど無くなり、無用の長物になるのだから名鉄側の譲歩にも期待したい。一方で、企業や行政の常識とは違う発想からも存続を考えてみたい。
 最近は利益を追求しないNPOが多くの分野に進出している。又、リストラされて本当に理解し難い低所得で働く人々も多い。企業や行政の常識だけで考える時代では無く、市民や学識者を主体にした再建策を議論してほしい。

                         7月22日の一言
ガッツ石松…
 人間のやる事には限度がある。しかし、その限度が分からないから問題が起きる。昼のテレビでガッツ石松の波乱の人生が放映された。
 貧乏から這い上がり、ボクシングで世界チャンピオンになり、引退後もタレントとして成功していたが、衆議院選挙に出馬し落選した。その時に3億円の借金が残り、自殺を考えるような地獄を見たと言う。
  最近は気軽にタレント候補が出馬するが、真剣に立候補して落選した後莫大な借金を返している姿に感銘を受けた。
  一方では、佐藤観樹のように選挙違反だけで無く、選挙の為に多額の蓄財をしていた政治屋がのうのうと生き延びている。
 人間には自ずと限界がある。本日から会報「津島の風」の印刷に入った。日曜日のまちかど座談会も場所が決定した。借金で命に関わる思いをする人々から見れば、忙しいぐらいは幸せな事かもしれない。
 最近は気力も体力も減退していたが、読んで頂ける方々には大変迷惑な一言を記してきたのかもしれない。
 
                           7月21日の一言
私の健康相談…
 私は津島市の保健センターで実施されている生活習慣病を予防するための個人指導を受けている。
 1ヶ月前に始まり、病院での尿検査の結果から、本日は具体的な目標を設定した。体重を6ヶ月で4キロ減らすために、食事の改善が必要である。食事の問診と尿検査の結果は正直な数値を示した。
 若い保健婦さんに指導されるのは情け無いが、第3者からの指摘は的を得ている。これから1ヶ月の目標は、油脂類を減らす事と、塩分と砂糖を減らす事。
 簡単なようだが、永年の習慣だけに変える事は難しい。本日も帰った矢先に置いてあった饅頭をついパクリ。
 仕事の時間こそ長いものの、ほとんど体力を使わない。過去の健康手帳を見ると、議員になる前と後では、はっきりとした違いが残されている。
 運動不足はまもなく始まる会報の配布によって解消できる。しかし、食事だけは男の自分だけでは改善できない。結局、来月は夫婦で栄養相談を受ける事になったが、健康診断も受診しないカミさんには迷惑な事らしい。

                          7月20日の一言
体力の衰えから…
 高校野球の地方大会が開幕し、沖縄では早々と代表校が甲子園に名乗りをあげた。以前は毎試合観戦し、県内各地の球場に足を運んで写真展を開催した事もあったが、本年は地元の球場すら足が向かないでいる。
 本年は50歳になって、本当に体力の衰えを痛感している。性質(たち)が悪いのは、人前では非常に元気に振舞っている事である。
 土曜日に参加した「人にやさしい街づくり」連続講座の車いす体験は、名古屋市内を約6時間の車いす体験であったが、車いすに座る人が羨ましく思えるほど疲れた。横断歩道の安全確認から、地下鉄駅でのエレベーターの確認、昼食や喫茶店の心配など会場に帰った時は足が棒になっていた。
 最近では、旅行から帰った後も疲れが残るようになってきた。帰った翌日は完全休養日にしないと疲れが蓄積されていくのが判るのである。それでも電話がかかると喜んで約束を続けてしまい、最後は綱渡りの日々を迎えるパターンが多い。
 8月は楽しみも多く、京都大文字送り火と宝塚歌劇鑑賞、上高地での休暇も予定しているが、その前に同窓会報の配布と総会があり、自分の会報の印刷と配布があり、公務での行政視察も残っている。
 夏の炎天下で高校野球を観戦し、カメラのシャッターチャンスを待ち続けた数年前が自分の事と思えない遥かな思い出になってしまった。

                           7月19日の一言
子供に心配される店の話…
 世の中は間違い無く便利になっている。津島ではあまり実感が湧かないが、名古屋へ出かけるとそれを実感する。また、びっくりするほど多様化も進んでいる。
 人が集まれば当然の結果かもしれないが、人が増えていない地域の変化には悲しいものがある。
 「〇△屋が閉まっていた」とは中学生の息子の言葉。老舗の八百屋さんの事だが、息子は週に一、二回、塾の帰りに立ち寄っていたが、体調を崩され休んだりしていた。「このまま無くなってしまうかな」と子供に心配される店の話は淋しい。
 大きなスーパーやチェーン店が次々と開店する中で、個人経営の店は看板を降ろしていく。西尾張中央道も大手チェーン店の看板が続々とあがり、便利な事は間違いがないが、何か違和感が残る。外食産業も大手が増えているが、順番待ちの客が鶏小屋のケージの中で餌をつつく鶏のように見えてきて私は大嫌いだ。
 本日は神守中同窓会報の原稿を届けに印刷所に出掛けたが、無用心にも開けっ放しで完全な留守状態。「うちに入ってくる泥棒はいないわ」と自信たっぷりの親父さんの顔が思い浮かんでくるが、会社とは違って日曜日でも訪問できる個人経営の魅力は堅持してもらいたい。
 一方で、名古屋の先進的で便利な事例を、津島市のレベルで取り入れる事も可能ではないだろうか。

                           7月18日の一言
車いすでまちを体験する…
 本日は愛知県主催「人にやさしい街づくり」連続講座が開講し、受講者をサポートする立場で朝から一日名古屋に出かけた。
 本日のテーマは「車いす体験」であるが、この講座は他の体験とは違い「障害者」になりきった1日体験で、午前11時から午後4時過ぎまで車いすで地下鉄等の公共交通機関を使って目的地まで行き、食事やトイレ経験を済ませて帰ってくるもので、途中で車いすから降りたり、立ち上がってトイレに行く事は許されない過酷な体験でもある。
 6人が車いすに乗り、地下鉄御器所駅から乗り継いで金山駅に行き、食事の後喫茶店に入り、最後にボストン美術館に寄ってから帰った。実に簡単な事であるが、これは車いすにとっては実に大変な行程でもあります。
 エレベーターの有無や、電車の車輌への乗り降り、車いすの利用できるトイレの有無など行動そのものが地獄でもある。だいいち車いすが6台も突然入店して対応できる店は少ない。
 こんな体験をもとに、10月の最終日まで毎週土曜日に講座がすすめられるのです。幸い私の担当するグループは、基礎知識も高い人が多いだけでなく、冗談でも連携がとれそうな良いメンバーに恵まれました。
 貴重な土曜日を毎週空けて参加するのですから、この体験が地域社会に生きるよう頑張る意欲が溢れる一日でした。ちなみに、昨年の参加が津島駅のエレベーター設置につながりました。今年も頑張るぞーと言っていると、「会報はどうなったの」と言われそうなので、ともに来週は頑張ります。

                          7月17日の一言
追伸 我々の活動が名古屋テレビの取材を受けました。夕方5時半からのニュースで放映されたそうですが、その時我々は名古屋にいました。見られた方があれば是非とも感想をお寄せ下さい。 
懐かしい景色に気付く…
 私は議員になる前の23年間、朝日新聞の販売店を営んでいた。議員も販売店も共に外を歩く事は共通だが、見える景色が全く違う事を実感した。
 本日は、神守中学校の前にかかる至誠橋の古い写真を求めて大先輩のお宅を訪問した。昭和24年の写真を探しているのだが、50年以上も前の事だけに見つけるのに時間がかかり、探してもらう事になったのだが、帰る際の景色は懐かしく感じられた。
 私はこのお宅に初めて訪問したのは、今から30年近く前の23歳の時で、新聞の配達や集金だった。すでに亡くなられているが、先代の時代で、帰りに野菜をもらったりお茶を頂いた懐かしい思い出がある家だ。
 今にして思えば、ゆっくりと地域を廻った事がないのである。会報を大量に配布しているので、地域は廻っているものの、以前のように世間話をしたりお茶を頂いてのんびりとした会話を全くしていない事に気付いた。
 自分では全く意識していなかったが、議員になる前となってからでは全く違う景色をみて歩いていたように思う。昨日も中学校の同窓会報の用で地域を廻ったが、久しぶりに会う人々と会話が弾み、運転手役の友人はカンカンになって待っていた。
 すべての人に公平にと思っていたが、新聞でお世話になった人、一緒にPTA活動をした先輩等、議員になってから随分疎遠にしてきたのを実感する。会報を配布する事に追われて、地域の人々との出会いと会話を大切にしてこなかった反省をしながら、完成間近となった同窓会報と自分の会報の配布に入っていきたい。

                          7月16日の一言
銀行の合併から…
 UFJ銀行と東京三菱銀行の合併が発表された。合併後は世界一の規模になるとの事である。
 しかし、多くの不良債権を抱えていた問題は積み残したままで、利用者の存在は全く考えていない合併でもある。
 津島市の繊維関係の企業が倒産したり、資産を売却するなど市政に影響するような低迷が続いているが、その原因を旧東海銀行にあると指摘する人々がある。
 もちろん倒産や業績の不良は当事者の企業にある事は当然であるが、銀行の合併によって今までとは違った対応や厳しい現実も耳にした事がある。
 津島市の市役所も1階にUFJ銀行の窓口があり、2人の職員が常駐している。しかし、この窓口を維持するために100万円を越える補助金を津島市は毎年支出している。
 合併によって地元企業では無くなっていく事から、この機会に市役所の銀行窓口も今一度検討してみる事も必要かもしれない。
 また、補助金の支出を減らすためには、他の地元銀行と交渉する事は当然の措置と思われるし、今や自動支払機だけでも事足りるのかも知れないが、再考してみる良い機会かもしれない。

                          7月15日の一言
何とか成りそうな気分…
 本日は朝一番で電話をもらった。電話の主は、津島市の医療費のレセプトの点検に民間会社から派遣されてくる、一宮市のK君だった。
 彼は三年前、交通事故によって現在は車いす生活を送っている。津島市役所には1ヶ月に数日やってくるだけだが、1ヶ月前に姿をみつけて愛知県主催「人にやさしい街づくり」連続講座の受講を誘い、参加してくれる事になった。
 ここ数日間、疲れたとか気力が湧かない、やる気が出ないなどと記してきたが、彼らも頑張っていると思うと重い体を引きずって外出した。
 津島市は「人にやさしく見えるだけ」で、無関心の街でもある。実際に障害を負った人の多くは家庭内で我慢を強いられている。市役所でも、もっと障害者が働け、参加できる事業を考えるべきと思うが、現実は難しく参加者も見込めそうにない。
 昨年秋、二台の車いす利用者が津島駅を利用した事で、エレベーター設置が具体化した。K君には一宮市在住ではあるが、定期的に津島市役所を訪問する中で、市役所はもちろんだが、「誰にもやさしい街づくり」への提言をしてほしいと願っている。
 便利な社会になり、障害があっても車を運転できるようになってきた。しかし、出掛けた先々ではトイレすら整備されていない。市役所のトイレですら使い勝手は悪い。これも実際にK君に指摘されて判った。
 障害者にやさしい環境は、高齢者にも子供にも病人にもやさしい街である。K君の電話で「やる気」をもらったら、終日市役所の一日になったが、何とか成りそうな気分に向上したような気がする。

                          7月14日の一言
少しはやる気が…
 昨日の一言に最低の精神状態と記したが、最低の状況でも議員としての仕事が舞い込めば頑張るしかない。
 午前中から市民の方の相談を受け、同時に生命に関わる緊急の電話相談も入り、ちょっと活躍する。午後には市外から議員の訪問を受け、会話をするうちに少しだがやる気も出てきたのかナ。
 しかし、今週末には愛知県の主催する「人にやさしい街づくり」連続講座がスタートし、裏方ながら10月までの参加が決まっている。それまでに自分の会報「津島の風」を発行し、同窓会報の原稿締め切りも今週中と迫っている。
 締め切りのある仕事が重なると精神的に参るだけでなく、他人にも迷惑をかける。14日に予定していた「まちかど座談会」は私の都合で中止となったが、一緒に出演予定の「浪漫亭砂九」さんにも直前に迷惑をかけてしまった。
 気力が湧いてこない状態だが、最近は締め切りを無視する図々しさもあり、反省材料でもある。思えば4月から綱渡りのスケジュールが続く。原因は自分自身にあるのだが、年齢による体力の限界と言うと、家族から「ナマカワ」の延長と早速否定される。しかし、本当に睡眠不調から体がシャキッとしない。安易な口約束により迫ってくる日程の圧迫感も原因と思うが。
 何とか日程を消化して、気力と体力を回復させたい。

                         7月13日の疲れた一言
最低の精神状態…
 選挙が済んでもテレビは選挙一色であるが、果たして国民は今回の選挙に関心を持っていたと思っているのだろうか。
 投票率の56.67%という数字は、国民の約半分の投票による結果である。半分近い有権者は投票所すら行っていないのである。選挙結果についても、評論家があれこれ言っているが、素人でも判りそうな話ばかりで、票の内容については投票した一人一人に聞いて廻らないと判らない。
 自民が減って民主が増えたと言っても、本質は判らない。小泉首相への反省を求める批判票も含めると、民主本来の票も読めないと思われる。なんと言っても国民の半数以上が支持する政党を持っていないのである。
 無党派層と選挙を棄権した人を合わせると、過半数を超える人口になるのに、選挙では限られた二大政党から選択する現実は、全く国民不在の選挙である。
 投票の棄権防止のために投入される税金は総額いくらになるのか。自治体によってはティシュペーパーやバンドエイド等を配布しているが、選挙が重要と思えば棄権者から罰金を取るか、投票したものは税金を差し引いてもらいたい。
 多くの税金が増税され、今後益々負担が増えていく中、生活に欠く事の出来ない公共料金も増額となっていく。働いても働いてもどんどん税負担が増えると国民の無力感も増大するばかりである。
 精神状態がどん底にあるので、議員をやめて自分の生活の為に貪欲に働きたい欲望も募る。昨日テレビで、東北の富豪「羽柴秀吉」が、選挙への立候補を止めて、純金の城で金箔を食べて新たな夢を語るのを聞いた。大物に会って話を聞いてみたい。

                        7月12日の一言
中身の無い一言…
 ホームページを開設して5ヶ月が経過した。毎日バカの一つ覚えでパソコンに座り、同じような内容の一言を書いてきた。
 毎日無難に済ませているから、お互いに大きな錯覚ができる。ホームページまで開設しているからパソコンのレベルも高いと錯覚している人が多すぎるのである。全体をご覧いただければレベルの低さも判ってもらえると思うが、とんでもない錯覚である。
 当り前に送られたメールや資料のために、とんでもない労力を必要としている。本日も送られてきたメールの写真を巡って大騒動。
 メールに添付された写真を印刷したいのに、思うようなサイズでは綺麗に印刷できない。パソコンに詳しい友人に来てもらい奮闘するものの、レベルの限界により友人宅に転送してから、印刷をしてもらい、直接手渡しでもらう事となった。
 せっかくの機器も十分機能していない。しかも肝心な仕事が一向に進んでおらず、すべてが窮地の蟻地獄のように思われてくる。完全に歯車が狂っている。
 明日から新しい週が始まるが、気持を切り替え仕事を消化したいが、新たな日程も迫ってくるとよけいに焦ってストレスが溜まってくる。こんな気持でパソコンに座ると中身の無い一言となってしまうのである。

                          7月11日の一言
天候不順の一日…
 家の中にいると分からないが、本日は大変な一日だったようだ。報道によると一宮市を中心にした豪雨で家屋の浸水被害もでたようである。
 しかし、冷房の効いた室内にいれば、何も知らずに一日が済んでしまう。本日も昼頃の外出先の会話で、名鉄電車が不通になっている事を知ったが、地域限定とは言え天候の予測だけは未だに空まかせを実感した。
 局地的な豪雨ではあるが、東海道本線や新幹線、名神高速など国土の中央に位置するために、全国への影響は避けられない。
 津島市も必ず毎年住居が水に浸かる一帯がある。判っておりながら改善が出来ないのは何故か。「どうせお役所仕事だから」と市民のあきらめがあるのも問題であるし、当方に改善できない歴史的背景を説明してくれる市民がある現状は、大災害に対する対策が求められている現代では急ぎの対応が必要だ。
 さて、明日の天気は西日本は晴れるが、東日本ははっきりとしない一日のようである。天気に左右される事が多い選挙の投票率はどうなるのか。棄権はしないが、自分の一票の重みが感じられない。

                            7月10日の一言 
時代錯誤の巨人渡辺オーナー…
 「無礼な事を言うな。たかが選手が」、プロ野球選手会に対する、巨人の渡辺オーナーの言葉である。
 合併問題や一リーグ制など球界再編について、プロ野球選手会の古田会長(ヤクルト)が、「オーナー達と話をしたい気持はある」との記者発表に対して、渡辺オーナーは「たかが選手ごときが、オーナーと対等に話し合う協約上の根拠はない」として切り捨てた。
 こんな発言が堂々とまかり通る社会に住んでいると思うと悲しくなってくる。
 プロ野球もファンの存在があって成り立ち、選手が主役であるべきだが、オーナー会議が身勝手に何でも決定する前時代的な発言に驚いた。
 巨人人気にアグラをかいだ発言としか思えないが、西武の堤オーナーも追随し、弱小球団は沈黙を守る。プロ野球は人間社会の一番嫌な部分をさらけ出した。
 こんなチームで頑張るしか無い選手が可哀想だ。そんな事よりも、「たかが選手とか、話す事が無礼」と言われた選手会はどうあるべきか。
 「たかが選手」に出来る事は「ストライキ」だけである。ここまで言われて黙って試合を続けるよりも、ストライキを続けてオーナーに一泡吹かせた方がファンも納得する。
 今のプロ野球に夢は無い。酔っ払いの中年男の酒の肴にされ、若者はサッカーを応援し、ファンに夢を与える選手は大リーグに流出している。汚いソロバンを弾くオーナー達が益々夢を無くす。
 それよりも一流新聞社のトップの発言として新聞テレビ各社はどう思っているのか。人権すら無視したような発言に異論が出てこない。こんな最低のオーナーに使われる清原や桑田、私の大好きな元木選手の本心を聞いてみたい。

                           7月9日の一言
静かな選挙中…
 参議院選挙の真っ最中というのに旅行者の多いこと。昨日から平和町や尾張地区のバスに出会い、本日は伊根の舟屋観光船めぐりでは津島市の団体とすれ違った。
 福井県、滋賀県、京都府はもちろんの事、道中の愛知、岐阜でも一台も選挙の街宣カーと出会う事はなかった。ところが、天橋立のある京都府宮津市だけは、早朝より選挙の街宣カーのマイクから大声が鳴り響いていた。
 同時期に市長選が始まったとの事で、さすがに地方の選挙は身近だけに市民からも熱気が伝わってきた。
 議員としては情け無い話だが、全く誰に一票を投じて良いのか判らない。数人の方からの問い合せや、家族からも聞かれるが、独善的な議会運営を進める自民党や、まったく信頼が置けない民主党に一票を投じるのはもったい無い。だからと言って、茶番劇のCMを流す公明党は実質憲法違反の宗教団体。共産党への一票も死に票になると悲しい。頑張っていた土井さんの社民党は候補者がいない。
 多くの市民から同様な話が伝わってくると、プロ野球の身勝手なオーナー会議に無力な選手との関係同様、勝手にやって頂戴と言いたくなってくる。
 議員と言う立場は、選挙の際に一票を投じてもらう立場にある。したがって棄権は許されず、投票には行くものの、記名する人物がいない人はどうしているのだろうか。

                           7月8日の一言
三菱のマイクロバスで大丈夫か…
 三菱自動車のトラックや乗用車がリコール隠しで大問題になってきた。あまりにも酷い惨状であったが、自分には関係無い問題と思い、さほど気にも留めていなかった。
 ところが全くの無関係ではなく、レンタカーで借りるマイクロバスは三菱製の車だった。ただし、今までバスの事故は報告されてこない事と、人を乗せるバスには欠陥は無いだろうと安心もしていた。又、今まで何十回と借りてきたが不都合は全くなかった。
 しかし、一昨日の5日、群馬県の関越道で三菱のマイクロバスが炎上する事故が発生した。年式と型式は古いものの、レンタカーと同じマイクロバスの炎上事故は他人事では済まなくなった。
 昨日、届けられたマイクロバスを前に安全確認をした。幸いレンタカーの異常による事故はないようだが、万が一の対応も必要だ。
 「本当に大丈夫か」の問いに、「万が一の場合は逃げるしかない」と言われると不安にもなるが、事故があっても代車の手配は万全との言葉に一応安心した。
 本日は、若狭湾の小浜から舞鶴を通り天橋立で宿泊の予定である。小浜は多くの社寺があり、観光名所も多く、出発間近の今になっても立ち寄り先が決まらない。
 そんな事よりも、会報「津島の風」が全く進んでいない事と、神守中の同窓会報も手付かずの状態で旅行に行く事の方が恐ろしい。

                            7月7日の一言 
少年事件の再犯率…
 本日の新聞やテレビの話題は、北朝鮮の拉致被害者である曽我さん一家がジャカルタで再会する事が決まったニュースで一色である。
 しかし、家族の再会ばかりに注目が集まるが、一緒に拉致された曽我さんの母親の消息はどうなっているのか。北朝鮮が認めた拉致被害者だけに、はっきりとした安否を確認する必要がある。
 北朝鮮が、拉致を認めていない不明者や、死亡報告を受けた不明者の調査を求める前に、曽我さんが一緒に拉致された母親の安否が報告されなければ正直な報告は望めないと思う。
 多くの人は、すでに死亡していると推定しているが、ならばどうやって死亡したのか。拉致直後に海に落とされたか、北朝鮮で病死したのか解明が先決である。
 さて、国内のニュースでは連日のように殺人事件が報道されてくる。本日のテレビで、少年犯罪を犯した5割以上が再度犯罪を犯す事が数値を示して報告されていた。
 凶悪事件を犯した少年は、更生を目的に収監されておらず、懲罰的収監のために全く反省していない実態が報じられた。
 被害者の心痛ばかりでなく、我々が安心して社会生活を送るためには「人権侵害」と言われても犯罪者の監視追跡の強化が必要であろう。

                           7月6日の一言
今度はいつ来るんやナ…
 旅行の話は誰とでも盛り上がる。「おい、今年も行くのか」と言われて、京都の大文字送り火が頭に浮かんだが相手は「上高地」の話だった。
 先週行って来たと伝えると、一緒に行きたい人があると言う。しかし、行きたい目的地は共通でも「日帰り」と言われると辛いものがある。上高地の日帰り旅行は「行ってきた」と話題にするだけで疲れるだけであり、できれば2泊以上は留まりたい。
 私は、毎年盆すぎに上高地に行くが、3泊4日の予定で出向く。それでも4日のうち3日間が雨と言う年もあった。2泊すると朝日の入り(上高地は日の出では無い)から夜の星空まで堪能できる。
 昨日訪問した家でも旅行が話題になり、「四国八十八ヵ所巡り」が話題になった。「一度は行こうと思っているが、何か魅力はあるかな」
 巡礼の旅は「何時かは行こう」と思っていると実現しない。話があれば縁を大切にして出発したい。
 一番辛いのが、「どうしようかな」と言って、誘われて参加する人々である。行き先も知らずに参加する人があると、周りが興ざめしてしまう。
 「なんだ、あんたかァ」とか「今度はいつ来るんやナ」と旅先で言われるようになると、自分の故郷のような愛着も湧いてくる。明後日は19名の人々と一緒に「天橋立」と「伊根の舟屋」を訪ねる予定であるが、財布は火の車となっている(だろう)。

                          16年7月5日の一言
痛みの我慢と屈辱の我慢…
 先週出かけた善光寺参りの2日目は上高地への観光だった。お参りと観光のイメージは全く違うため、家族にも上高地は封印してあった。
 上高地は梅雨時にしては珍しいほど快晴であった。しかし、悪い事は出来ない。秘密は漏れるものである。
 河童橋から穂高連峰を背景に集合写真を撮っている時、腰掛けたまま場所を移動した際に臀部に激痛が走った。「あっ、モノが刺さった」と叫び手を当てたが、時すでに遅し。河童橋の木が刺さったのであった。
 「奥さんに取ってもらったら」と言われたものの、一緒にトイレに入る訳にもいかず、明るい場所では人目につく。一人でトイレに入ったものの、場所が場所だけに目視できず取りようもなく帰った。
 帰宅後にあまりの痛みに我慢できず、カミさんに頼んで取る事にしたものの、刺さった場所が場所だけに大苦戦。いくら夫婦でも「〇門」は見られたくは無い。とげ抜きで挟まれ「痛い」と叫んでいると、三男に見つかってしまった。どうせ見つかってしまったなら目の良い三男の方がマシと思ったが、刺さった方向が判らず難航する。
 「どうやって刺さったんだ」と聞く三男に、「河童橋の…」と。ハッとしたのものの、「上高地に行っていたの」と言われ、弁解する隣りでカミさんの顔は鬼の形相に。
 2人に「もっと尻を上げて」と言われ、「もっと明るい所じゃないと」と云われ放題。おまけに刺さった場所が「肛×」から近く、時々カミさんの手が触るたびに笑って飛び上がり、その度に叱られる。パンツを勝手に下げられる度に引き上げると、「見えない」と叱られる。結局、これ以上の屈辱は我慢できず断念する事にした。
 それから3日経つが、依然患部は腫れて痛い。痛みの我慢と屈辱の我慢と天秤にかけ、早期の「かいケツ」を願う毎日になりそうである。

                          7月4日の一言
病院の比較評価…
 全国79の大学病院の質を、患者の満足度や看護師数、手術件数などで比較評価する試みが発表された。
 週刊誌や出版社の発行する病院を評価する本や、専門医や良い医師を特集する出版物が人気を呼んで発行されているが、大学病院みずから点数をつける試みだけに評価するとともに注目したい。
 大学病院や一流の病院と比較して論じるつもりは全く無いが、津島市民病院の評価も以前とは変わり、「良い評判」を聞く事も多くなった。
 本日も、立田村の知人より電話をもらった。高齢の母親が無事退院できた事の報告と、市民病院への感謝の言葉であった。
 議会で市民病院の批判を繰り返してきたが、他の病院には無い配慮に感謝する意見も患者からはいただいている。
 しかし、全体には向上しているものの、改善を要する部分は依然多い。特に、評判の悪い先生の名前は共通して挙がってくる。医師の医療レベルは別にしても、患者の声を無視したり、触診をせず処方し、病院で認めているセカンドオピニオンを無視して検査結果の資料を提供しない等、問題外の医師も存在する。
 市民病院の各診療科医師の評価表を付けた事がある。「脳外科はO先生、整形はS先生を受診するといい」、逆に「整形の〇×先生は止めなさい」と言うものだったが、素人の採点にしては評判が良かった。改めて現在の評価表を再考し、参考にしてもらいたいと思う。

                            7月3日の一言
中途半端な無駄…
 「貧乏人は麦を食え」とは有名な言葉だが、現代社会では人権侵害になるとの批判もあるようだ。
 しかし、今こそこの言葉を真剣に考える事も必要かも知れない。ITの時代と言われながら、中途半端な無駄も多い。民間はさておき、行政や公共の仕事は真剣に考えて無駄を無くすべきである。
 本日、市役所から帰宅すると、テレビで県内の市議会議員の報酬や政務調査費についての特集を放映していた。先月20日付けの一言で「一瞬ヒヤリの政務調査費」として記したが、批判されるまでも無く問題点が現存している。本当に調査する必要がある事項か、親睦旅行になっていないか市民の検証は必要だ。
 自宅に届いた選挙はがきでも家族で激論。「おれは共産党じゃないぞ」と叫ぶ長男に、「宣伝だから」と家内が話したが、無駄に出されるハガキもタダでは無く、印刷代は自己負担でも、郵送料は国の負担である。テレビで放映される公明党の「時代劇」PRは国民を馬鹿にしているとしか思えないが、政党の負担する宣伝料も究極は公費である。選挙ポスターは街中に溢れ、公職選挙法そのものが市民には麻痺してくるが、国政どころか地方の自治体は真剣に麦を食らう覚悟で望まないと倒産もあり得る。
 私自身は、不摂生と運動不足で麦どころか絶食して肥満を改善しなければならない。以前の会報で、「10キロの減量」と記した事があるが、完全に「公約違反」の状態が続いている。

                          7月2日の一言
老舗旅館の死活問題…
 昨日から四国八十八ヵ所と、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の百観音達成の御礼に、四善光寺と信州上田の北向観音を参拝してきました。
 善光寺の法話で、10年かけて全てを桔願した例が話されましたが、我々17名は三年半で全てを廻った「超スピード巡礼」となりました。
 中国四国地方から関西、中部、関東と巡拝する事で、各地の特色や風土と接して、厳しさは勿論の事、慈悲の心にも触れる巡礼の旅は、これで終わりでは無く、定期的に同窓会の巡礼を続ける事になりました。
 昨夜は別所温泉に泊まり、本日早朝6時から北向観音の勤行に出向き、近くの安楽寺と常楽寺に参拝した後、寄り道して上高地で昼食と散策をして帰りました。
 今回の参拝で痛感した事は、お寺は勿論ですが、老舗旅館の維持の大変な事でした。一方で、時代の変化に乗り遅れると大変な事を、マイクロバスの古いカーナビから知らされた。
 又、市町村合併についても、行政のスリム化がメリットとして挙げられているが、何時に実現するか判らないメリットよりも、目前にかかる経費の莫大な現実を旅先から痛感した。地名の変更だけでも、行政の書類や道路標識等の変更には莫大な経費がかかる。
 客足の遠退いた老舗旅館のパンフレットも作り直し、看板も書き直しが必要だ。小泉首相は内需拡大で印刷屋や看板屋から表彰されるかも知れないが、それを依頼する業種の経営者達は死活問題でもある。

                         7月1日の一言
絶対に儲かりますから…
 前日「オレオレ詐欺」や「ひったくり」について記したが、昨日は迷惑な勧誘電話がかかり、断ってもしつこく勧誘が続いた。
 「金の投資で」と言われた瞬間に、「関心ないので」と答えたところ、「絶対儲かりますから」と言う。「お金を目的に生活していない」と断ると、「そんな人はいない」と言い、「すでに何かしているのですか」と聞かれた。「何かとは何」と聞くと「貯蓄とか」とか言い出すので、あわてて否定したものの自分のペースで宣伝を続けた。
 「お宅は何を根拠にして我家に電話をかけているのか」と問うと、「名簿から」と言う。「名簿とはどんな」、「熟年層の名簿」まで確認してから何とか電話を切った。
 私は熟年層の名簿に入っているらしいが、議員名簿を資料に電話をかける勧誘もあるので、乱暴には切らずに応じていると時間も経ち、益々脈ありと勘違いするのかもしれないが、迷惑どころか仕事が中断して損になる。
 営業の形態が変わり、ダイレクトメールや電話を利用した営業が目につくが、やはり基本は直接会う事から始まる。会う事よりも「カモはいないか」と聞こえる自分勝手な電話勧誘が続くと、子供の頃に居座って「歯ブラシ」や「ゴムひも」を売りつけた「押し売り」のおじさん達の方がマシに思えてくる。

                        16年6月30日の一言
無責任な警察や銀行…
 「おれおれ詐欺」に「ひったくり」、新聞の社会面からは連日のように事件が報じられてくる。かつての被害者は高齢者だったが、最近では50代の中高年に被害が多いと言う。
 不思議な事は、これだけ連日新聞に報道されていても被害者が続発する事である。それだけ新聞を読まなくなったと理解したら良いのか理解に苦しむ。
 しかし、一番の原因は加害者にあるものの、無責任な警察や銀行の対応が事件の歯止めになっていない事に大きな原因と責任がある。
 ひったくり被害者の問い合せに警察が、「犯人の逮捕はほとんど不可能」と答え、何度も問い合せると、「忙しすぎてそれどころじゃない」と敬遠される。
 許せないのは銀行や郵便局。郵政公社は詐欺のハガキを大量に配達しているが、受付の職員には間違い無く「うさん臭い」と判っていても事務的に受け入れる。切手を貼ってポストに投函されれば致し方ないが、切手も貼らず窓口に持ち込まれる大量のハガキの場合、身分の確認はできる。「知らんぷり」の対応が被害を続発させる。
 銀行の対応は全くひどい。口座開設は勿論だが、真面目な預金者が預金を引き落とす際も本人確認をする。被害者の送金した金は、間違い無く銀行が本人確認をした口座に振り込まれており、加害者の特定は簡単に出来るはずである。
 警察も銀行も被害者の自衛を力説するが、「人を疑う」事よりも、犯罪人を確実に逮捕する事と、犯罪が起こせない社会を考える必要に迫られている。このままでは社会秩序が保てない瀬戸際まで来ている。

                          6月29日の一言
駄目な名鉄経営陣…
 名鉄が岐阜市内の路面電車を廃止する事に対して、岐阜市をはじめ住民も存続に向けて話しあっている中で、岐阜市は名鉄が提示した線路や車両などの資産(19億7千8百万円)を買い取る方針をかため、本日の市議会総務委員会で具体的な基本計画を発表した。
 当初、名鉄は資産評価を82億円と試算しており、無償での譲渡を期待する行政との間で大きなギャップがあったものの、岐阜市や関係する行政で資産を買い取る事が決まった事で新たな展開が期待できる。
 運行は、すでに岡山電気軌道が名乗りをあげているが、「ところで、岡山の会社が何故」との疑問符がつく。
 「いったい名鉄は何を考えているのか」と叫びたくなる。極めて厳しい経営状況にある事は、他社の状況からも理解はできる。しかし、このままでは「地元の名鉄」ではなくなり、勝手に縮小の道を歩くしか無い。
 現在の厳しい現実を過去の経営陣へ責任転化し、過去の歴史や伝統を無視する現職経営陣の責任と間違いを指摘したい。岐阜だけの問題では無い。名鉄沿線すべての地域の問題でもある。
 名鉄の歴史は地域との連携で築かれてきた。地域から名鉄の路線が消え、厳しい現実を行政だけでなく住民も認識する今こそ、名鉄は地域と連携して経営再建を図るべきチャンスではないのか。
 津島市は名鉄の創業者「岡本清三」の出身地であるが、現在の津島市は名鉄との折衝を一宮駅経由で行っている。公共企業としての認識があれば地域を大切にすべきであるし、名鉄にとっても地域は資産であるが。

                          6月28日の一言 
悲しい合併話の一部…
 犬山市と合併を目指していた扶桑町が合併を断念したと報じられた。名古屋市と合併を希望する日進、豊明、長久手、東郷の4市町からの法定合併協議会設置の求めを名古屋市が断った。一方では着々と合併話が進められている市町も多い。
 しかし、乱暴な話も多く、今一度の確認と整理も必要と思われる。
 名古屋市の返答に対して、4市町の住民から「住民発議の無視だ」との反発の声が上がったと言うが、そもそもが一方的に名古屋市に期待しただけで、名古屋市民の希望でもなければ、名古屋市に損を押し付ける合併が進むはずも無い。
 隣接する西部2町2村の合併は、合併時期を遅らせる事で国の地方交付税を延長して受ける事から町村の知恵とは言え、国に依存する補助金目当ての体質をさらけ出した。又、新市の議員定数を法令上限の30として報酬は同規模の自治体を参考に決める事も決まったが、現職議員には合併後にも在任特例を適用し、任期中は58人の市議会議員となる事が地域住民の民意に合致しない事は明らかであるが、元々住民不在の合併だけに筋書きどおりか。
 悲しいのは甚目寺町である。何故に隣接する3町にお願いして拒否されるのであろうか。元々、4町で進んでいた合併話から大治町が脱退して名古屋市との合併を進めたのが原因だが、名古屋市からも「甚目寺町も含める事が望ましい」と言われながら何故に3町は拒否するのか。合併には好き嫌いの婚礼の要素もあるが、こんなひどい合併を住民は黙認するのか。このままでは愛知県の指導力にも疑問符が付く。
 
                           6月27日の一言
学校・教員の非常識…
 本日は終日名古屋の一日となった。7月17日から始まる愛知県主催「人にやさしい街づくり」連続講座の受講者選考会とグループ分けが行われ、津島市からも2名の申込者があった。過去9年間で3名しか受講していない事を考えるとき、受講後の行政との協働が楽しみに思う。
 人にやさしく無い事例として、台風下で学校から帰宅する生徒について、「傘が折れ、ずぶ濡れになったギリギリの下校」と21日の一言に記した。読んだ方だけでなく、多くの市民の方から問い合わせとご意見が届いた。
 21日の台風では、愛知県も朝から台風の予想進路上にあり、隣りの三重県に暴風警報が出される中での登校となった。午前9時50分頃に愛知県でも暴風警報が出されたものの、津島市の生徒達が学校を下校したのは午後になってからだった。
 その理由を聞くと、学校の教員がいかに非常識かと言う事と、生徒の存在が忘れられており、防災意識は全く感じられない。当局に確認した訳ではないが、昼の給食を食べさせるために午後の下校になったと言われている。
 正確な数を把握していないが、目撃した生徒の傘は大半が折れてずぶ濡れだった。下校時の風雨は最高時(3時前後)に近く、看板が飛んだり外壁が落ちる中を自宅に返されていた。
 生徒の安全を第一に考えれば、給食は無駄になるものの警報発令直後に帰宅させるか、台風が過ぎ去る夕方まで学校に待機させるべきではなかったか。幸いにして事故の報告は聞いていないが、津島市だけの問題ではなく、本日になっても同様の趣旨の投稿が新聞に掲載されてくる。

                           6月26日の一言
大鹿さん、良かったね…
 本日の朝刊でも報じられたが、7月1日付けで津島市職員の異動が発表された。同じ津島市といえども、紙切れ一枚で突然の異動には、サラリーマン生活の経験がない自分には堪えられないと思う。
 「大鹿さん、良かったね」とは、今回の人事異動で同級生が議会事務局に異動した事に対する言葉だが、私としては複雑な心境である。実は、もう既に議会事務局には高校時代の同級生がいるのである。「おい、おまえ」と言われていた関係が、「先生」とか「大鹿議員」と呼ばれる事は現実には嬉しくもないし、立場上お互いに辛抱してきた面もある。できれば他の部署の方が良い。
 議員だからとの特別な応対は私は大嫌いである。とは言うものの、昨日に市役所の外部の人間から異動の話を聞いた時には、「議員でありながら、何故連絡が無いんだ」と対応を不服に思った。議員の立場にどっぷり浸かっている。原因はファックスを永く通話に使っていた自分にあり、事務局が送れなかった事が判明した。
 ともかく、昨日の延長になるが、体は議員だが、心には市民感覚を持ち続けたい。さて、毎回の事であるが仕事を貯め過ぎてしまった。他人の事どころでは無い。会報「津島の風」は一文字も打ってない。同窓会の会報発行(8月1日)も、同時に締め切りが迫っている。旅行の約束も複数が差し迫ってきた。「人にやさしい街づくり」連続講座では毎週土曜日が塞がっている。考えると恐ろしくなってくる。本当に大丈夫か、近々皆さんに迷惑をかけそうである。

                           6月25日の一言
議員の端くれ…
 自分は市民感覚を大切にしてきたつもりだが、市民の方から背中に議員の立場を背負って発言していると指摘された。
 ひとつ一つ指摘されると確かに議員としての立場から発言しているのかもしれない。議員と行政の職員との口約束も、私は書面に残すまでもないと思っていたが、永く市民運動に関わってきた市民の方々は、今まで散々行政に裏切られながら現在に至った歴史がある事も痛感させられた。
 何事も年々向上はしていく。どこを基点にするかによって、話の中身は全く違ってくるが、議員である立場は動かし難く、狭いと言っても津島市民全体に理解を求めるには限界もある。しかし、言葉の一面や一片だけで判断される事も多い。
 議員と言えども市民であり、ごく普通の会話でも人々から議員というフィルターを通して理解されている事も迷惑とは思っても致し方ない。
 真面目に活動していても政治の世界には選挙があり、敵味方の立場の違いによって事実と違う悪意を持った宣伝もあり、事実と違っていても訂正する手段と労力には限界もある。
 参議院選挙が始まったが、議員の立場から「投票の棄権」を呼びかける事はできないが、全く何を信用して判断すれば良いか理解に苦しむ。テレビのコマーシャルでは時代劇俳優も利用した政党の宣伝も流されているが、年金関連法案の強行採決や論議なく閉会した議会後だけに国民を馬鹿にしているとしか思えない。
 議員として報酬を手にする立場にあって、政治が国民を馬鹿にしているように映るのだから、国民には政治がどのように映っているのか苦にもなるが、議員の端くれである事も恥ずかしく思われる。

                        6月24日の曖昧な一言
あんたは違うだろう…
 昨夜の神守丈友会(事務所2階の書道会)でのハプニング。8月21日に宝塚歌劇団の観劇ツアーを予定しているが、宝塚歌劇団の花組に所属する「夕霧らい」和田美鈴さんは地元津島市の出身で神守中学校の卒業生。全国地方公演の休暇を利用して帰宅する途中に我家に立ち寄ってくれた。
 「先生ー」と言われても何の事か分からないのが、我々に書道を指導している後藤毅先生。実は、彼女が通っていた蛭間小学校時代の校長先生。170センチのタカラジェンヌにとっては懐かしい先生でも、小学生とタカラジェンヌでは思い出そうにも大きいギャップがある。
 早速、記念写真となったが、後藤先生は椅子の上に立って握手。丁度収まりが良いのも冗談とも思えないが、会場は笑いの渦に。
 「あの人も元宝塚のOB」と紹介したのは、長身のMさん。(三輪さんの奥さんです)「あっ、そうですか」、「冗談、冗談」と本人が必死に否定。「隣りのYさんは娘役」、「冗談だよ」との本人に、「宝塚ではなく吉本新喜劇でした」とまったく失礼なギャグの連続。
 全員で記念写真に収まり、私は一緒に訪問してくれた同僚の「愛純もえり」ちゃんに囲まれての記念写真。短い一瞬の出来事だが、こんな現実があれば非常に元気がでる。
 「あんたは違うだろう」とは同級生の一言。10年ほど前の事だが、演歌歌手としてデビューしたばかりの「広畑あつみ」ちゃんの、海部津島の自称「後援会長」だった事から彼女との写真やサインがパソコンの前後に飾ってある。けっして忘れた訳ではありませんが、広畑あつみちゃんはどうしているのかなぁ。しかし、東京の人よりはやっぱり津島出身の人でしょうが。

                          6月23日の一言
市職員の告発文に思う…
 本日、6月4日から開かれていた津島市議会が閉会となった。最終日に2件の追加議案と議員提出議案5件があったものの、混乱も無く筋書き通りすべてが可決された。
 議会の閉会前になるが、同世代の市職員より「若い職員の奮起に期待する」とする文面のファックスが届いた。津島市職員組合組合員全員を対象に配布されたものだが、組合内部の問題は別にしても、「市の立て直しを市長や関係部局は本気で考えているのでしょうか」の内容は、議員としても無視できない意見であり、得体の知れない怪文書とは違い、自分の氏名を記した告発だけに参考にしたい。
 6月議会でも十分な議論があったとは言えない職員給与の削減案についても、時節柄当然の結果と言われるかもしれないが、少なくとも職員組合内部では十分な情報提供と同時に、納得できる説明や議論が不足していたと思われる。
 議会で答弁された職員に関わる事が、半年以上も職員に説明がないとの指摘は、その体質が行政の市民に対する応対とも共通する部分であり、組合幹部と人事との疑念や市長選と組合幹部の関係など今一度検証してみたい。
 もっとも、津島市民からも「津島市のガンは職員組合」との指摘があり、多くの職員は名前だけの組合員で「いっその事、組合が無くなって欲しい」との声も内部から耳にしている。
 議会も多数決で全てが決まるが、多数意見が正しいとは限らない。選挙違反の市長が再選され、選挙違反で辞任した議員が反省なく再起を目指し活動している地域は異常である。告発文を読んで、内容より議員としての在り方と議員としての責務を思い知らされた気がする。参考にしたい。

                          6月22日の一言
地球の裏側でも大変な一日…
 6月に本州を直撃する台風は珍しい事だが、本格的な台風に対して無防備すぎる事を反省したい。本日は学校も午前中で休校になったが、帰宅する子供達はギリギリの下校で、多くの子供達の傘が折れ、ずぶ濡れの帰宅となった。
 我家もノー天気なため、まったくの無防備で立て掛けた物や置物が倒れるのを見ながら、運を天に任せている。
 昨晩は家族がそれぞれにテレビに釘付けになり、就寝したのは明るくなった朝だった。長男はゴルフの全米オープンで健闘する丸山茂樹を見ていた様子だが、私はF1レースのアメリカGAPで活躍する佐藤琢磨が、日本人としては14年ぶりに3位入賞する瞬間を感激して見届けた。日本のホンダエンジンという事と、かつての日本人ドライバーの入賞とは違い、優勝を狙えるスピードと実力を備えた表彰台には感激して、一目散に昨日のヒィーローとしてパソコンに記した。午前3時45分の話である。
 暫らくして届けられた新聞を見て、改めてびっくりの一日である。陸上男子ハンマー投げの室伏広治選手が、今季世界最高82メートル65の記録で国際GAP優勝を飾り、アメリカ大リーグではドジャースの野茂とヤンキースの松井が初対決し、野茂がホームランを打たれたものの自身もホームランを放ったと報じられていた。
 国内ではファンを無視した球団の合併話が持ち上がっているが、人々の関心は地球の裏側で繰り広げられる「本物」のスポーツに移り、新聞のスポーツ欄も半分が国外での結果に充てられている。
 ただし、感激と引き換えに睡眠不足の日本人ばかりになってしまうと問題にもなるが。「そんな事より、あんた何時寝てるの」とは自身に問われる言葉であるが、こんな事では寿命が短かくても当然か。と記している台風の強風雨の中を、一台の爆音たくましい単車が走っていった。これまた立派とは言わないが、こんな日だから許してやりたい。

                         6月21日の一言 
一瞬ヒヤリの政務調査費…
 天聖人誤へ政務調査費の記述をする前に、自分自身の政務調査費について確認をした。不正な支出を受けていない自信はあるものの、市民オンブズマンの調査は厳正で数字に忠実な調査結果が公開されており一瞬ヒヤリとした。
 2002年度の県内各市議会の政務調査費について、県外への視察旅費の支出が多い順に50会派が公表されており、津島市議会からも4会派が公表されていた。市民からは議員の視察に対する疑念の大きさを感じた。
 自分も50傑には入ってはいないものの、12万7760円の視察旅費が記載されていた。言い訳がましくなるが、内訳は「全国都市問題会議」が長崎県佐世保市で開催されたためで、昨年は岐阜県高山市で開催され、本年は名古屋市での開催のため支出は低くなるはずである。
 数字だけの羅列とは言え、自分自身も市民の側からの調査対象にされている事にヒヤリとしたのである。
 数字と言えば、議員が日頃の政治活動に使っている活動費も調べて羅列してほしいものだ。年4回の会報発行や座談会、郵送費、私費での視察等にかかる経費は、津島市議会だけでなく県内でも上位に位置していると自負している。
 しかし、国政では正論を吐く議員が不正をあばかれ失脚していく。他山の石としたいが、市民の皆さんにも厳格な目と公正な目で政治を眺めて欲しい。

                          6月20日の一言
受講者の募集…
 昨年受講した「人にやさしい街づくり」連続講座に、本年はサポートする立場で関わっている。愛知県が主催し本年で10回目(10年)となる講座で、今までに700人を超える受講生が修了と同時にアドバイサー登録している。
 しかし、本年は受講者の応募が少ないとの事で、本日の実行委員会でもPRの方法も話題となった。幸いにして本日の朝日新聞朝刊には案内が載ったものの、25日の締切日が迫っており心配に思う。
 原因を考えると色々あるが、主催する愛知県の無責任な対応が挙げられる。運営はNOに任せているものの、この講座を実施して参加した受講生をアドバイサー登録しているものの、現実には地域の街づくりの中には殆ど生かされていない。
 講座の募集要項も各市町村に義務的に送り付けているだけで、送られた市町村も義務的に窓口に置いてあるだけである。
 人にやさしい街づくりとは抽象的な言葉だが、我々の生活そのものに関わる身近な問題であり、せっかく多額の経費をかけて講座を開催する以上、成果が街づくりに反映するように制度的にも考える必要を感じるものである。
 悪く言うと、「講座を開いて頑張ってやっています」と行政の言い逃れの材料に利用されている可能性が高い。補助金の打ち切りが多い中での講座開催だけに具体的効果を示す事のできるものにしなければ成らない。津島市は受講したアドバイサーとの具体的な連携を計画しているので、一人でも多くの参加者の応募を期待しています。

                          6月19日の一言 
燈台下暗し(とうだいもとくらし)…
 自分が直接関係のない遠いことには明るくても、身近なことについては案外暗い事を表す「燈台下暗し」と言う諺がある。
 四国八十八ヵ所から西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音の百観音まで巡拝してきたものの、地元の巡礼についてはあまり考えた事がなかった。本日は午後2時から4時間の行程で尾張四観音を巡拝してきた。
 尾張四観音は、甚目寺観音、龍泉寺、笠寺観音、荒子観音を指すが、歴史は古く、甚目寺観音が推古5年(597年)、笠寺観音が天平8年(736年)、龍泉寺は延暦14年(795年)、荒子観音は奈良時代の創建と、それぞれが1千2百年以上の歴史を持つ名刹であるが、共通するのが参拝者の少なさである。
 この四観音に大須観音と矢合観音をあわせて五色観音巡りとして名鉄バスが出ているが、歴史の古さだけでは足りない事を痛感する。しかし、歴史が古く名のある寺院の維持は大変なようだが、檀家も無く歴史も無い小さなお寺が孤軍奮闘している姿を見ると、住職のやる気次第と思うが、やる気が金儲けになっていると迷惑な話になる。
 四国巡礼の話をすると、「私も行ってきた」と簡単に言われる事も多いが、多くは知多半島の「新四国」と称する巡礼である。知多半島が何故に新四国なのかは分からないが、多くの観光遍路を迎えているのを見ると、歴史のある立派な尾張四観音が寂びれて参拝客が少ない姿は、高慢な津島神社とは違う淋しさを覚えた。
 「燈台下暗し」を反省し、地元や県内の史跡や神社仏閣を廻ってみたい。

                           6月18日の一言
暴走族での苦言から…
 最近になって地域を走り回る暴走族の爆音を連日耳にしている。「大鹿さん、あなたの予言はすばらしい」と言われたのが「暴走族の卵」として記した5月19日付けの一言だった。「放置していけば間違い無く本物の暴走族に推移していく」と記してあった。
 しかし、予想は当たったものの、暴走族に成長する前に議員の立場で何とか対処すべきではなかったかとの厳しい指摘も受けた。
 確かに我家も県道沿いに建つため、暴走するバイクの爆音には迷惑している。バットを振ってでも阻止したい気持は十分だが、一人では何もできないのが現実である。警察に通報しようかと思った事もあった。しかし、指摘されたとおり成り行き任せであった。
 県内全体では暴走族は減少しているものの、数台でも新規の暴走族は耳障りであり、これが増大する事だけは食い止めたいと思う。
 我々に何ができるか、どうしたら暴走を止めさせられるか、思案したものの何も具体案が浮かばないため、本日津島警察署に連絡した。暴走の情報を提供し警察と連携して何とか改善を図りたいと思う。
 議員は予想屋や評論家だけでは勤まらない。体に汗して頑張りたいが、地域の皆さんの協力も賜りたいと期待しています。

                          6月17日の一言
国からの補助金削減…
 津島市の地域再生計画「交流湊つしま彩生計画」に対して、国の認可が決まったと報じられた。この計画について知りたいと昨晩も市外より訪問客があった。
 しかし、国の認可が新規に決まり、補助金も期待できるとは言うものの、その他の補助金が次から次へと削減されており素直には喜ぶ事が出来ない。
 開催中の6月議会にも、国から支出されていた医療対策費が削減されると報告があった。津島市の一般財源からの振替が決まってはいるが、その影響は如実に現れる。
 海部郡では4月から平日夜間の内科外科の在宅当番医制度が廃止されているが、津島市も7月より廃止が予定されている。開業医の高齢化と利用者減などを理由に挙げているが、13年度までの平日夜間は午後8時から翌朝の午前9時まで対応していたものが、14年度からは午後8時から午後12時までの救急医療体制に後退した対応となっており、利用者減は市民が朝まで我慢をしていたか市民病院の受け入れ状況を併せて考えてみないと実態が分からない。
 何にしても市民の不便を強いる事は間違い無く、夜間や休日の救急医療体制を見直すと同時に、市民病院の受け入れを今一度再確認する必要がある。
 幸いにして、津島市は自前の「市民病院」を所有している。赤字とかヤブ医者とか批判を受けてはきたが、市民にとっては貴重な財産である。現在市内には1軒しか小児科の開業医が無いが、開業医と市民病院の連携、開業医の往診などを強化するとともに、救急車とドクターヘリの連携強化など、これこそ津島市の枠を超えた広域の対策と連携が急務である。

                            6月16日の一言
議員との会話から…
 「大鹿君、毎日よく書いてあるなァ」、「えっ、読んで頂きました」。本日開催された文教経済委員会終了後に先輩議員である北島委員長との会話である。
 2月中旬にホームページを開設し、4ヶ月で2000番目の訪問を頂いたが、いったいどんな方々に読んで頂けるのか想像した事はあるものの、本日まで議員の存在は考えた事がなかった。
 北島委員長から言われてびっくりしたと同時に、過去に記した無責任な内容が一瞬頭を過ぎった。成り行きで立ち上げたホームページで、横着にも中身の無い文章ばかりで構成してきた。「写真を入れると良いよ」との助言にも耳を塞いできた。読んで頂く方々には申し訳ないが、手抜きだらけである。戸別配布している会報「津島の風」など市民に直接手渡す事を第一にしていくものの、少しは中身の充実も図りたい。
 昭和63年から23号まで発行した「ふるさとアサヒ」の中にも、ランカ堂の高橋来一さんから提供された貴重な写真と記録が眠っており、昭和48年に樋田豊先生の影響で取り貯めた史跡の写真や資料なども公開したいと思っている。
 中身の充実も重要だが、私はこのホームページを政治の宣伝版にはしたくは無い。議員だから議会情報の公開は当然だが、これも津島市の広報やHIPで事足りる。市民の立場を忘れず発信し続けたい。掲示板やご意見箱のメールボックスが遊んでいますので、宿主を安心させるためにも書き込みをお願いして本日の筆を寝かせます。

                             6月15日
素人の無駄使い…
 以前の一言(5月10日)で、水道の水漏れ修理の顛末を記した。素人が苦労して修理したものの、肝心の不良部分が直っておらず、昨夜は風呂場の熱湯が止まらなくなり大騒動となった。本日は2度もホームセンターに走ったが、後日の取り替えとなりそうである。
 ホームセンターで多くの安い商品を見ていると、専門業者に依頼する気持が無くなるが、安い部品が手には入るものの、無駄な買い物も多いため専門業者に頼んだ方が安心かもしれない。しかし、手数料を支払ってでも、ホームセンターの商品で直して欲しいほど業者は高いのである。又、業者は素人の修理が利かない商品を使う場合が多い。
 我家のトイレも年代物だが、最新式の一体型だったため、早々にスイッチが不具合になって修理を依頼したら全部取替えが必要とわかった。水道業者では電気系統は分からないため、電気屋さんに依頼したら部品が入らないと言う。メーカーへ問い合わせると取り付けた代理店に言ってくれと言う。代理店は全部取り替えと言う。ホームセンターに多くの安い商品が並ぶのを見ながら、取替えも出来ないために不都合な日々を送っている。
 新しい物にとび付くと損をする事は多い。我家にも買ったものの利用しない、ハンディコピー機や電子辞書、手の平に入る携帯テレビ等、無駄な商品(ガラクタと化した)がごろごろしている。
 景気回復のため消費を煽る傾向があるが、無駄遣いとなる安物買いには注意が必要である。また、専門業者もお客のサービスを忘れると、ホームセンターだけの一人勝ちが続くのである。

                           6月14日の一言
暗い話題…
 昨日に引き続き、カミサンの運転手で田んぼへ。「草が多い」とか「水が多い」と言うカミサンに、「欲を出すな」とか「食うだけあれば良いし」と言っていると、「取れても取れなくても金はかかる」と言われた。何処かへ働きに行ってでも、貯蓄しないと老後が心配になってくる。
 夕方出かけた理髪店でも、新規開店の話が出るが、繊維会社の跡地の開店だけに話題は暗くなり、月日の移り変わりの早さが話題になる。もしかして、自分が暗い話題にしているのか。
 明日から市議会は常任委員会が開催される。最近、事務所への来客が減っているので、明るい話題と展望を用意して来客を待ちたい。
           
                             6月13日
本当に運転手だけで…
 人にやさしい街づくり連続講座に関わるため、これからの毎週土曜日は10月まで空けてあるが、さすがに毎週土曜日は堪えそうである。
 まちかど座談会と出前寄席も土曜日に開催してきた。参加したいシンポジュームや講座も土曜日と重なる事が多く、毎年参加していた愛知医大の公開講座も参加できないと考えると損をしたような気分になってくる。
 しかし、二兎を追うものは一兎を得ずの諺から、暫らくはこの講座に専念したい。本日はそんな土曜日の久々の休日となった。が、カミサンが田んぼに除草剤を撒くとの事で付いていく事となった。
 「本当に運転手だけで良いのか…」と確認しての同行だったが、眺めているとつい口が出る。何もしないのに指図をすると自分にも返ってくる。田んぼに置いてある予備の苗を取りに走る事となり車は泥水だらけ。水かさの関係で、明日も続いてやる事になったので言い訳を考慮中。
 帰る途中で立ち寄った畑では母親が作業中。「何処に何が植えてあるかぐらいは知っていないと」と言われても何も役には立たない。しかし、その畑に知人が通りかかり、当然のように野菜を分け、隣りの畑の知人との世間話は新鮮だった。政治は生活の中から始まる事を実感する一日となった。

                           6月12日の一言
指導すべき先生の入院…
 学校を舞台にした事件が相次いでいるが、原因の特定は難しいものの、事件後の対応から社会常識とはかけ離れた教員社会の非常識さを垣間見る。
 佐世保市の女児殺傷事件は、想像できない凄惨な事件だったかも知れないが、事件後に担任の男性教師はショックで入院したままとなっている。
 しかし、事件現場を目撃してしまった生徒や、被害者や加害者のクラスメート達が学校に通学している事から、本来なら教育現場に踏みとどまって指導すべき立場にあった。
 今までも学校で多くの事件が起こっているが、担任の教師が学校に来れなくなったのは珍しい事ではないか。それだけに今回の事件の衝撃の大きさを感じるものの、担当教師の無責任さと、人間としての軟弱さと同時に、事件後の学校の対応にも疑問をのこす。
 多くの死傷者を出した大阪の池田小学校の事件を他人事と思わず、学校再開と生徒指導をしっかりと勉強すべきである。池田小だけで無く、全国で多くの事件が起きているが、それらをしっかり検証し生かしてほしい。
 私は、学校の先生には不信感を持っている。自分のミスは徹底的に隠す。しかし、自分の点数になる事は他人の手柄まで持っていってしまう。生徒の前と管理職の前で語る話が違う。語ればキリがないが、事件を起した子供達の分析も大切だが、指導する先生達自身の研鑚も進言したい。

                          6月11日の一言
過去には戻れない…
 本日は朝日旅行友の会主催で、「浜名湖花博で歌う香西かおりショー」へバスが出発したが、議会開催中のため見送りと出迎えのみとなった。梅雨入りした中で天候に恵まれ、最前列で香西かおりショウが鑑賞できたと聞き安心した次第。
 ただし、津島市議会では議員の勉強不足と職員の準備不足も目についた。少なくとも質問する議員は勿論だが、市役所の職員は過去の議会議事録ぐらいは目にして臨んでほしかった。
 まったく過去の質問が生かされるどころか、過去の質問への答弁より後退した答弁が出される事は、過去に質問した議員にとっても納得が出来ない。むしろ質問した事で事業や施策が後退させられる事は考えものである。
 昨日の一言に、今回の質問はボクシングのジャブと記した。しかし、過去に質問した質問が他の議員の質問で後退した事と、職員の勉強不足による政策の後退は過去の事とは言え残念でならない。他山の石として自分自身も気をつけたいが、答弁の中身が見せかけの飾りごとでしか無かった証でもある。
 さて、一般質問が終われば委員会が開催される。同時に、会報の発行が待っており、炎天下の配布が間近にせまる。余韻に浸る暇に次の課題への準備が始まる。
  
                           6月10日の愚痴
勉強不足の質問は迷惑…
 明日から議会の一般質問が始まる。今回の質問に立つ議員は12名あり、私は4番目の登場となる。
 しかし、1日の一言に記したように、医療関係の質問を市民病院の事務局次長同席で副院長と済ませた事で、ポッカリと穴が開いたような気分でもある。今回の各議員の質問通告書を見ていると、過去の議会で既に誰かが質問した問題も多い。
 問題は、その事が何度も質問を要する事かどうかである。確かに改善が図られない事や、繰り返しの啓蒙を必要とするものもあるが、少なくとも質問する議員が過去の議会議事録を調べた上での質問であってほしい。
 今回、回避した医療については、議会での質問はしないが、少なくとも次に医療を問題にする場合はレベルアップした内容になっていると思う。しかし、事前の密室での議論は市民の目には映らない。
 「毎回市民病院の質問を続けてもいいよ」との声も頂いた。医療については専門知識もいるために議会で続けて質問する事は難しく、質問する議員も少ないようである。
 今回私は3件の質問を通告している。少なくとも質問内容の中には、津島市の職員より詳しく熟知している問題もあり、事前に調査した結果の質問である。が、今回はボクシングのジャブと位置付けて質問に立つ。質問は誰でも簡単に出来る。知らない事を聞くだけの事だから。しかし、聞くだけならわざわざ議会で聞く必要も無いし、少なくとも勉強不足の質問は迷惑である。身勝手な事を記したが、そんな独り言も参考にして多くの人々に議会の傍聴や有線テレビで視聴していただきたい。

                           6月9日の独り言
自分の健康管理…
 津島市議会議員になって21回目の議会が開催されている。議員としての身勝手な思いかも知れないが、行政サービスは間違いなく向上していると思う。日頃は批判している市民病院も救急体制も大きく改善されてきた。むしろ、問題は市民にある場合も多い。
 本日は保健センターで個別健康教育の個人指導を受けてきた。食事や生活を見直す事で成人病を予防して健康な生活を維持するための制度で、来年まで半年がかりでお世話になる。
 しかし、他人の事は簡単に言えるものの、自分の事となると何一つ把握しておらず担当者には迷惑をかけてしまった。元々、自分の健康のために出向いているのに、自分の最近の食生活すら答えられない。自己管理が出来ないのに行政や医療機関に期待している自分に呆れた一日だった。
 こんなすばらしいサービスを提供しているのだ。さて、問題は自分自身にある。市の提供するサービスを無駄にしないように不摂生な生活を改善していきたい。とは言ったものの現実は厳しそうだ。

                            6月8日の一言
続・同窓会の寄贈するパソコン…
 先週末の同窓会役員会で学校にパソコンを贈る事を決めた。顛末を2日前の一言にも記したが、本日学校から連絡があった。 教頭先生から電話を代わった「パソコンに詳しい先生」との会話。
 「ホームページを作るのは良いが、学校のパソコンには入れられない」、「学校で使っていないクローバーネットの枠を使いたい」、「クローバーネットの契約は学校との契約なので、同窓会で新規に契約するべきだ」、「眠っているホームページなら利用したい」、「メールが学校に届くのは迷惑だ」など等。
 断片的だが、同窓会のホームページを開設する条件でのパソコンの寄贈だったが、これでは同窓会で新規に契約してホームページを立ち上げるのと同じで、寄贈したパソコンに同窓会のホームページは入らず、自前のパソコンでやってくれと随分身勝手な話であった。学校に迷惑をかける気は無いし、話の内容から学校の先生のパソコンの知識は低く、ホームページを作れる卒業生はいくらでもいる。
 「パソコンやインターネットの契約が学校のものだと言うなら、パソコンも学校の予算かPATで購入して下さい」と発言すると、会話の雲行きが変わってきた。代わった教頭さんが「まだ先の話ですから」ととりなしたが、まったく融通の利かない石頭の先生から不快感を味わった。余程しっかりと確約して臨まないと、学校の先生には裏切られそうだ。こんな先生ばかりじゃ無いだろうが。

                           6月7日の一言
頼もしい陸上選手達…
 暗い話や事件が相次ぐと、世の中全体が悪いイメージとなってしまうが、本日の陸上日本選手権をテレビで見ていて随分元気をもらった気がする。 
 オリンピックに続々出場を決める選手たちは、かつての国の代表として「情けと期待」をかけられた出場では無く、堂々と記録を突破して自分の実力で出場を勝ち取っていく。
 オリンピック出場が決まっている「為末大」選手は、私の長男と同期生である。8年前のインターハイと国体の400m高校チャンピオンで法政大に進んだ。長男は高跳び選手で中央大に進みケガで挫折したものの、当時は為末選手と同じフィールドで広島国体では優勝候補としてアナウンスされていた。この国体で1年生ながら100mを制したのが「末続慎吾」選手で、当時はまだ坊主頭だった。
 8年の年月が経過しているが、為末選手や末続選手が活躍し、実力でメダルを狙える選手に成長した姿から元気をもらった。オリンピックは8月18日開幕との事だが、6月議会が終了し、7月からは高校野球が開幕してと指を数えだすと淋しくなるが、出来るだけ観戦して元気をいただきたい。

                           6月6日の一言
本当に、良いですか?…
 昨日は神守中学校の同窓会役員会が開催された。と言うともっともらしいが、ごく少数の限られたもので欠席は許されない瀬戸際の役員会だが、結論も早く即決である。
 「会長さん、学校の希望として…」ここ数年の慣例で寄付の話である。もっとも本来は津島市やPATがやるべき事と思うが、津島市は財政上厳しく、PATは口数は多いが情け無い状況である。
 「ところで、何を…」と尋ねると、最新式のパソコンとの事であった。寄付が毎年の慣例にされては困るので、事前に役員より釘を指されていた。現実に一昨年は運動場に30万円分の土を寄付し、昨年は保健室に冷水器を寄贈している。
 「土は津島市、冷水器はPATにやってもらえ」との発言もあった。たとえ会長と言えども身勝手な約束は許されないが、昨日は役員に聞くこと無く即決。
 「はい分かりました」、役員に尋ねる事も無く、私の独断の即答には、出席の役員はもちろんの事、発言した教頭さんもびっくりの様子。
 「本当に良いですか?」、「はい、勿論」、私の即断に誰も口を挟めない。
 「ただし、一つ条件があります」からが大変になった。買う条件には卒業生が交流できる掲示板を備えた同窓会のホームページを「学校側で作る」事を挙げた。学校の教員と連絡を取り合う教頭さんの携帯電話で、学校の教員のパソコンのレベルと混乱ぶりが分かった。私のレベルで計られるんだから情け無いが、20万円のパソコンが卒業生の交流の場となり卒業生の救いになるよう期待したい。
 私の独断て決めた寄付ではあるが、出席の役員さんには資金集めに汗をかく、地獄の「同窓会報」広告取りが待っている。かわいそぉー

                          6月5日の一言
惑わされない…
 本日から6月議会が開会した。会期は19日間で、その間に一般質問や各委員会が開催される。
 さて、我々議員の活動は市民の皆さんの目にどのように映っているのだろうか。
 昨日は地元の市職員と懇談の場を持った。その場で語り合った後、帰宅して自分自身の活動を考えていると議員のすべき活動が分からなくなっていった。定期的な懇談の場であるが、毎回同じような気持ちになる。考え方に根本的な相違があり、多数で寄ってたかって否定されると自分に自信が無くなってくる。
 暫らくして私を良く知る新聞記者から電話をもらった。
 「大鹿さん、そんな職員の言葉に惑わされちゃ駄目だよ」と、内容を聞いて答えが返ってきた。
 議員が親しくとも市の職員の良いようになったり、好かれたりする必要は無いのだ。我々は市民の声を代弁すべき立場であり、職員の都合は二の次なのだ。学校もそうだ。適当な教員が適当にやっていても野放しになっている。
 職員が知ったかぶりをしても、自分の仕事だけの事である。我々議員は市民生活に関わる全てを調べて聞く事が可能である。市民の代弁者の立場を守りつつ、自分の信念を貫く事の重要性と厳しさも改めて痛感した。
 
                            6月4日の一言
親父、お袋を頼んだぞぉ…
 町内で葬儀が行われた。喪主は私と一年違いだが、同世代の幼馴染だけに他人事には思えないものがある。勿論、私の母親達にとっては同世代であり、病院を見舞っているため私達よりも身に堪えるようでもある。
 最近は葬式も立派な葬儀場が建ち、利用者も増加しているようだが、自宅で葬儀を行い町内の知人や仲間に見送ってもらう習慣は維持させたいものである。
 かつては、何かにつけて近所が協力しあっていた。家の新築や改築にも近所で助け合い、祝い事も近所で共有していた。
  当然悲しみも近所で共有していた。葬儀も隣組や講組が協力して地域から亡くなった人を送りだしてきた。この仕組みが変わりだしたのはいつ頃からであろうか。
 病院で亡くなり、葬儀場へ運ばれ、火葬場に送られる。苦労して築いた自宅は通過して、まるで車のようにベルトコンベアに乗って天国に行く(?)のである。
 本日の葬儀では亡くなった母親に対して喪主が空に向かって大声で叫んだ。「親父お袋を頼んだぞぉ」と。多くの人が空を見た。
 人の死は悲しい。悲しみや苦しみはみんなで共有し、楽しみを実現したい。死んだ人の気持になれば何でも出来る気がするのである。

                            6月3日の一言
悲しい合併の現実…
 稲沢市と祖父江町、平和町で進められてきた合併がまとまり、昨日合併調印式が開催され、来年の4月1日に稲沢市へ2町が編入合併する事が決まった。
 しかし、対等合併では無く、稲沢市に編入・吸収される合併である。当初は対等に話し合っていたものの、最後には大きい稲沢市に飲み込まれる形となった。合併期日の変更を巡って地元に持ち帰って議会に諮りたい祖父江町の意向は、稲沢市長から拒否され議会が混乱していると言う。全く議会ルールを無視されても、吸収される自治体は言いなりとは悲しい現実である。
 祖父江町では本年2月に町議会議員選挙が実施された。多くの議員達が合併に反対の本音を隠して立候補したものの、当選後は合併に反対の動きが表面化した。結果的には住民投票の結果から合併が推進されてきたが、高圧的な稲沢市の対応をみると議員だけでなく住民にも悲しい現実がありそうだ。
 一緒に合併する平和町は、今までも祖父江町との間で県会議員が選出できず、今回の合併も成り行きに委ねるだけで発言権も無い。
 昨年12月に実施された尾西市の市議会議員選挙には、合併相手の一宮市から県会議員や市会議員が多く応援に入っていた。2月の祖父江町の選挙にも稲沢市の県会議員や市会議員が大挙して応援した。弱肉強食の世界は見るに悲しい。
 近隣の町村でも合併の住民投票を求める動きがあるが、個人的には実現は難しいと推察する。住民の意思が確認されず、住民の声が繁栄されない自治体の合併はもっと悲しいが、単独でも悲しい現実が続く。

                           6月2日の一言
皆さんのご意見を下さい…
 議会の開会を数日後に控えた現在、一般質問の内容選定に手古摺っている。多くの問題について調査してきたが、一番手にしていた市民病院の質問を先送りするためである。
 5月に入って病院当局に質問する中で、事務担当者から「直接担当する医師と話し合ってほしい」との要望があった。確かに直接話し合った方が当方の真意も伝わり、担当医師の考えも聞く事が可能ではある。また、当方の意見から改善される事があれば一番効果的でもある。
 しかし、それでは議会の一般質問はどうするのか。中身の無い質問は時間の無駄でもある。「いくらでも話を聞きます」と言われれば質問は不要となる。
 「毎回は勘弁して下さい」と言われて振り返ると、議員になって20回の議会があり、その中で市民病院の質問は13回に及んでいる。「病院ばっかり目の仇」にしている訳ではないが、「何とかしてくれ」との事務当局の気持も理解できないでは無い。
 とにかく6月議会では市民病院の質問は回避する方向で、明日に副院長と話し合う約束になっている。議員は市民の代弁者である。議員にとって議会は一番重要とすべき事は分かっているが、今回は議会前に直接質問と要望をぶつけてくる。
 勿論、その結果については会報で報告しますが、今後の政治活動の課題となるかも知れません。皆さんのご意見をぜひともお聞かせ願いたいと思っています。掲示板か直接ご意見箱からメールされます事を切望しております。

                            6月1日の一言
何処へ行くんですか…
 毎日があっと言う間に過ぎ去り、明日からは6月がスタートする。本日は6月議会の議会運営委員会が開催されたが午前中に終了したため、あても無いまま名鉄電車に飛び乗った。
 人生の中には摩訶不思議な事が度々ある。成り行きでたどり着いた三河の国府駅で、乗り換えた電車の正面に座った人は知人のNさんではないか。「何処へ行くんですか」とお互い同じ目的地にもびっくりの遭遇である。
 出発した時間も違い、乗ってきた電車も違ったが、偶然と偶然が生んだ奇跡である。私は目前の電車に乗り遅れ、Nさんは乗り間違えて戻ってきたと言う。偶然にも同じドアから乗車していたが、正面に座らなければ全く知らないままで、すれ違って会わなかったであろう。
 四国の霊場巡りで背中合わせに座っていた人が、偶然の一言から同じ津島人でびっくりした事がある。善通寺で遠縁の人と出合った時も奇跡と思われた。旅先で身近な人物に再会すると新鮮な気持になれる。これも議員になったお陰かもしれない。
 しかし、県内とは言え旅気分に浸っていたところへ携帯電話の呼び出し音。市役所からだ。一度に現実に引き戻される。Nさんと別れ、下車した駅舎には見ただけで田舎の議員様サマの一団の姿が。平和町の一行だが、参議院選挙立候補者応援のため国会議員にかり出されたとの事。
 市役所で残務を済ませて帰宅したが、家族との会話が噛み合わない。津島市は大雨が降ったらしい。

                            5月31日の一言
続・連絡無き場合は裁判所へ…
 本日の朝刊に、ハガキによる架空請求によって金を騙し取ったとして複数の人物が逮捕されたと報じられていた。
 しかし、2日前の一言で紹介したように類似する詐欺事件は後をたたず、名前や内容を変えては現在も継続されている。携帯電話や有料テレビ番組の視聴料、架空の借金の催促から架空の請求書など、あらゆる分野にまたがって犯罪が平然と横行する。
 「引っかからなければ良い」では無い。真面目な市民にとっては迷惑だ。税金を踏み倒す人間の言い訳にも使われる。
 「何度も通知しています」と言うと、「ハガキは見ない事にしている」と開き直るのである。
 携帯電話への迷惑メールもキリが無い。機械的に連続して送られてくるが、削除する気力を無くす。通信の自由も大切かもしれないが、受けての迷惑は限界に近い。
 銀行の自動送金や自動振替も大金を持ち歩く危険はないが、時には落とし穴となる。間違った引き落としも多いのである。
 以前の事だが、ほとんど使用しない電話機の料金が10万円近く引き落とされていた。NTTに連絡すると「ダイヤルQ2」の料金と言う。誰も使っていない請求だが「使った筈だ」と平行線。法的には支払う必要が無いとの事だったが、既に銀行口座から引き落とされた料金を返してもらう為には裁判が必要となるために最後は泣き寝入りとなったのである。

                           5月30日の一言
よく寝なぁいかんぞ…
 本日の朝で会報「津島の風」20号の配布が終了しました。3月議会終了後の発行が遅れて配布を始めたのが4月中旬であった。一つ歯車が狂うと全てが狂いだし、29日の朝日旅行友の会「吉野行き」の会員募集は、わずか10日前から案内を始めるという前代未聞の顛末だったが、皆さんのお陰で体裁がついた。
 遅れの原因ははっきりとしている。知人達は、このホームページ「パソコン」を理由にしたり、旅行友の会や巡礼の旅を止めろとか言われるが、原因は議員活動の仕事量が増えた事にある。又、昨年受講した愛知県の「人にやさしい街づくり」連続講座も、本年は企画段階から実行委員にも加わり、10月まで毎週土曜日が塞がる事で、多くの方々に迷惑をかける事となるものの、計画的なスケジュール管理で乗り切りたい。
 議員活動の仕事量が増加したと記しましたが、会報の配布により市民の皆さんの声が届く事と、相談される案件が増えての事である。
 大変有り難い事で、身勝手な議員活動に対して「市民の声」が指南役となります。しかし、会報配布も未だに津島市の全世帯配布は実現できていません。現在、約半分の1万2千部の状況である。事務所の入り口には津島市全世帯分の封筒2万4千部が山積みされている。これはアンケート調査用の返信用に用意したものであるが、会報、アンケート、座談会、出前寄席、議会、委員会、公開講座等々、一人で考えると恐ろしくなってくる。
 有名な占い師が、「自分の親や先祖が夢で語った言葉を忘れないようにしなさい」と語っていた。これが難しい。親の夢をみても、朝起きると忘れてしまって思い出せない。本日久々に父親の夢をみた。旅先で「よく寝たか?」か「よく寝なぁいかんぞ」と(これは本当の話です)聞こえた。睡眠不足に注意したい。

                           5月29日の一言
連絡無き場合は裁判所へ…
 数日前の事だが悪友から電話があった。「変な物が届いたんやけど」と嬉しそうな声だが、内容は未納代金を支払えとの請求のハガキである。ハガキの内容では、有料番組の視聴料金が未払いになっているので支払えとの事で、連絡が無い場合は訴訟を起こして支払ってもらうとの文面である。
 「どうしたもんやろう」と悪友は笑って聞く。当方は、「訴訟を起されたら困るから電話してみろ」とけし掛ける。「警察に相談してやろうか」、「警察に言っても何ともならないから電話しろ、電話しろ」と相手が酔っ払っているので無茶苦茶な会話が続いた。結局悪友は電話代金をケチって冗談は終わってしまった。
 まったく身に覚えが無いどころか、悪友の旧式テレビでは有料番組を見る事もできないが、もっともらしい手紙が届けられてくるものである。
 冗談で笑って話せる人は良いが、「もしかしたら」と思う人は深刻である。この手のハガキの被害は大きいが、表面化せずに被害者の泣き寝入りになる。消費者センターや警察に相談すると、「絶対に連絡をしないで無視して下さい」と指導しているようだが、問題はそこにある。
 大量に印刷され郵送される「詐欺のハガキ」にも、印刷業者や郵便局、携帯電話会社など多くが関わっている。たとえ10円であっても、詐欺によって被害者か出た場合、被害届を受けた警察や消費者センターは徹底的に取り締まるべきである。相手を特定し逮捕し、詐欺に関わった業者も取り締まり、携帯電話は廃止させる。そもそも、印刷業者は勿論だが、大量のハガキを引き受ける郵便局の窓口で、職員は悪質なハガキである事に気付いていない訳が無い。
 郵便局の悪口(提言)は長くなるので後日ゆっくりと記したいが、最近は偽の国民年金未納通知が届くと報じられている。いつまでも無視しておけない問題である。

                           5月28日の一言
佐屋町の住民投票直接請求…
 佐屋町の住民グループが合併の是非を問う住民投票の実施を求めて、3千2百9人分の署名を添えて大島町長に直接請求した。
 住民の求めに対して町長は、「色々な意見が私に寄せられている。それらをよく検討して判断したい」と答えたと報じられているが、6月議会に提出される条例案に添付される意見書に注目したい。
 佐屋町では一町二村(佐織・八開・立田)との合併の主導権を握り、市役所も佐屋町に決めるなど合併に前向きだが、住民から提出された住民投票の要求に対して町長はどのような対応をするか、議会の選択にも注目が集まる。
 しかし、悲しい合併である。立田村や八開村は単独での存続が難しく、合併しか生き残る手段がない。佐織町は住民の意向調査の結果を参考にもせず、佐屋町主導の合併に追随するのみである。この合併には住民の存在が全く忘れられている。
 そういう意味では住民から提出された住民投票の実施は有効だが、果たして議会が住民投票に賛成するのか。議会が住民投票に同意しないようなら、住民不在の行政としか言いようが無く、合併の相手である町民や村民はもっと悲しい存在となる。
 議会の内容を知りたいが、津島市のようにテレビでの議会中継もされておらず、傍聴して「津島市の議員が何故」と変な詮索をされるのも嫌なので、新聞の報道を待ちたい。

                           5月27日の一言
とんだ茶番劇…
 昨晩神守公民館で神守小学校区の自主防災会結成準備会が開催された。各町内から2名の役員が出席して自主防災組織を立ち上げようとした会であったが、全く中身の無いまま正副会長を選出して会は終了した。
 そもそも出席したい市議会議員があるとの事で声がかかって出席したものの、出席した議員は1人も無く、発言をしない約束をしていたので、とんだ茶番劇に付き合う事となってしまった。
 市役所の防災担当者の挨拶のあとにビデオ上映。その後に僅かな説明があり、役所の提出した要綱を巡って質問が出た。ここまでは良かった。しかし、根本的な自主防災組織に対する質問には何も答えず、「先ほどのビデオのような事」との説明。
 自主防災組織とは何か。この事について津島市ははっきり答えない。国では町内会より少数の字単位やお隣さん、会社内の自主防災組織についても推進している。また、先進地では、水害時に備えてボート仲間を登録した組織や、オートバイ仲間が災害時の物資配送にあたる組織も存在する。国や県は、自主防災組織について「自主的な組織であれば、何でもあり」を名言している。
 以前にも記した事があるが、交通安全の役員の慰労会でも、車での参加者があるのに飲酒の手配を考える地域である。「そもそも、市役所はどういう自主防災会を創ろうとしているのか」と言った質問が出るのである。自主防災は自分達市民が自発的に進めるものであるが、仕掛け役の市役所に全てを託したまま閉会した。

                           5月26日の一言
ぞっとする気分…
 会報「津島の風」の配布も終わりが見えてきた。毎日配布する予定でも天候に左右されると同時に、議員活動や雑用に追われて1ヶ月半は費やす事となる。今回の会報配布の中で気になる事が数件あるので記しておきたい。
 本日も朝(夜)3時頃から数台のパトカーと出合った。何か事件でもあったのか、当方の動きを監視するパトカーに不快感を感じながらも、会報を配布しながら思い当たる物があった。
 私は新聞販売店を23年間営んでいた事から、真っ暗な早朝も苦にした事が無かったし、議員になってからも早朝の会報配布を自然に繰り返してきた。しかし、今回は早朝に不審な行動をする人と遭遇した事が数回あった。明らかに不自然な動きと思われたが、確たる証拠がある訳ではなく、警察に通報したい気持を持ちながらその場を後にした。
 今日もぞっとする気分を味わった。警察に言ったところで、「何か証拠でもあるのか」とあしらわれるであろうが、警察も少ないパトカーでパトロールするだけでなく、新聞販売店や配達の人々から情報を得る事も有効かと思う。
 夜の照明や防犯対策、番犬を飼うなど、犯罪に巻き込まれない工夫が必要と思うのでお節介を承知で記しておきます。また、深夜営業の業種や早朝の仕事に従事する人々との連携で犯罪を防止する施策を考えて提言していきたいと思う。

                          5月25日の早朝
情け無いの一言…
 本日で市議会の四常任委員会に対する市役所各課の所管事務概要説明が終了した。自分の所属する文教経済委員会以外は傍聴席で員外での出席であったが、議員の立場としての反省点も目についた。
 席こそ相対で座っているものの、議員の立場は圧倒的に強く、勉強不足であっても勉強不足の議員に理解できるように答弁する職員は大変である。毎年の行事であるが、議員の所属する委員会変更によっては全く初めての説明も耳にする。
 本日も議員の質問に的確に答えていたものの、議員の勉強不足によって理解されず委員長から的確に質問に答えるように注意を受けた職員があった。
 市民の不法行為を指摘された質問には職員も答えようがない。結局「善処しますので宜しくお願いします」の答弁で納得する議員。情け無いの一言だが、議員がすべての業務を把握するには限界もある。
 恥ずかしい話だが、私は市役所の受付にある証明書の申請書の書き込みすら自信がない。市役所の常識や議員の常識も、市民とはかけ離れた物も多い。市民の立場に立った質問が無かった事も反省材料かも知れない。

                          5月24日の一言
頑張れイチロー
 大リーグのイチロー選手が日米通算2000本安打を達成した。今までの日本人の記録は大リーグでは「紛い物」とされてきたが、イチローは大リーグの選手として日本での記録も含めてファンから記録を祝福された。
 言葉の違う大リーグで日本と同じペースで記録を伸ばすイチローは立派。「永遠のヒーロー」として称えたい。日本より試合数の多い大リーグだけに、今後の活躍と記録にも注目が集まる。
 イチローを初めて見たのは津島市営球場だった。愛工大名電高校の投手として先発した試合では印象が悪かった。実際に甲子園に出場したものの勝ち進む事は出来なかった。
 その時のビデオテープが我家に眠っており、10年前のシーズン200本安打達成時に探してみたが見つからなかった。探す気力も無いが、探し出せば「お宝物」になる事は無いなぁ。名古屋テレビの中継録画だからだ。しかし、そのテープには幼い頃の長男と元気だった私の父親もバックネット裏に映っているのである。
 あの時の選手がイチローだ。亡くなった親父も見ているような気がしないでも無いが、頑張れイチロー。

                          5月23日の一言
行政視察の目的地は…
 昨日開催された文教経済委員会終了後の一幕。委員会で行政視察の目的や視察地が議論されていたが、武蔵野市が候補に挙がっていた事から、「多摩全生園も近くなら、寄りたいなぁ」とは共産党の伊藤議員の一言。「近くだから良い機会かも」と意気投合し、事務局担当職員も、「それは何所ですか」と盛り上がりかけたが、保守系2議員から異論が出始めた。
 多摩全生園は元ハンセン病の人々が隔離されていた施設だが、国が隔離政策の誤りを認めた後も故郷に帰れぬまま時間だけが経過している。人権問題として視察する事は有意義とも思われたが、どうしても嫌らしい。
 「そもそもハンセン病そのものが解からない」との発言に、事細かく説明したものの理解されず、話は平行線のまま。挙句に「ハンセン病の人は家に帰りたいのか」と言う発言や、「国のやるべき問題」との話が出た。まったく事態が把握されていないどころか、「津島市の人が何人いるのか」と、少数切り捨てと思われる発言まで出る始末。
 市民の方々に聞かれたら恥ずかしいお粗末な内容だが、だからこそ視察する事の必要性を感じたが、オンブズマンに指摘される観光旅行なら意気投合しそうな雰囲気があり要注意。
 私は共産党では無いが、保守系議員の興味は何処にあるのか疑問に思うとともに、自分の身の置き場にも困るのである。

                           5月22日の一言
無茶苦茶な一日…
 本日は一日2人分の仕事をこなした大変な一日だった。午前中の委員会の合間に津島市内を歩き、午後の委員会終了後に人と落ち合い、やっと自宅に帰ったところ机の上に依頼された重要な書類があり、閉庁間際の市役所に再度走った。帰宅後に電話での依頼事項が続き、ホームページへの書き込みも待っておる中、外食で落ち合う約束もしてあった。
 しかし、全てがすっ飛ぶスケジュールが忘れてあった。夜7時から中学校の同窓会役員会である。タダでさえ出席が悪い役員会に会長である自分が欠席となったらどうなった事やら。役員会を欠席する人からの電話で気がついたのも皮肉ではあるが、とにかくヤレヤレの一日が終わった。
 と、このパソコンの前に座ったとたんに家内の在所から電話の呼び出し。「お父ちゃんが帰ってこない」とのびっくりの内容。90を越す高齢の義父が9時を過ぎても帰ってこないと言う。「増水した川に落ちたかも」と一瞬にして最悪の事態も巡り、家内は慌てて走ったところに「今帰ってきた」との電話が入った。
 これで本日の顛末も終了となりそうだが、明日の朝は3時起きの予定。今から配達用のバイクの修理も待っていました。こんな日は珍しいが明日を楽しみに。

                           5月21日の一言
書面よりも直接現地へ…
 昨日はある町内会の正副会長さんの市役所に対する要望と質問に市役所の担当各課に同行した。
 当地区では、各町内会の要望は既に神守支所を通じて提出してあるとの事だが、実際には昨日段階では担当部署には届いていなかった。また、担当する市職員によれば書面よりも口頭で直接聞いた方が分かりやすい事と、書面の質問や要望書に書面をもって回答する事は時間もかかる事から、書面よりも直接現地まで出向いた方が良いとの話がでた。
 地域でのルールづくりも必要だが、問題が発生した場合には直接担当窓口へ電話した方が確実である。以前の事だが、道路に空いた穴を補修して欲しいとの要望が町内会に届けてあったが、担当者に伝わらずに数年が経過していた事もあった。
 何でも市役所では混乱する事もあるが、市民から町内会、町内会から神守支所、神守支所から市役所総務課、総務課から担当する部署への地域のルールは全てには当てはまらない。結局伝わるのは遅く、伝言する職員も大変で、真意は伝わらないケースも多い。市民生活で発生する問題は直接担当する市役所窓口へ。市民が主人公だから遠慮は要らない。勿論、税金を戴いている私へも遠慮無く。

                           5月20日の一言
暴走族の卵…
 新聞やテレビで年金問題が大きく取り上げられてきたが、昨日からは市中の銃撃戦や立てこもり事件が複数報じられている。まったく市民の存在を忘れた議論が続く年金問題よりも(不謹慎だが)身近なニュースは新鮮である。
 しかし、市中での銃撃戦や立てこもりだけで無く、我々の身近な所にも犯罪の影が存在する。佐屋町のアパートで起こった殺人遺棄事件では、被害者も津島市を生活圏としており、事件の重要参考人として警察が捜索中の津島市民が存在していると聞く。
 空き巣の被害が連続して起こっているとの話をよく耳にするが、どうしたら防ぐ事ができるかを地域が一体となって考え、話し合う事が必要である。
 昨日、所要で通った近所の道で「暴走族の卵」数台と遭遇した。現状ではナンバーも付け改造も違法とまではならないが、放置していけば間違いなく「本物の暴走族」に推移していくであろう。自分で買ったオートバイは大切だが、買えない若者は盗んで改造して参加するしかないのである。
 近所だけに気にもなるが、「おじさんとツーリングにでも行かないか」とは言い辛い。息子とも行った事が無いのである。「お父さんは危ないから」と言われるような歳になったが、車検切れのオートバイにはナンバーが生きてはいる。

                              5月19日
甚目寺町と言うだけで…
 「甚目寺町と言うだけで断られる」との話を耳にした。時期が時期だけに一瞬、市町村合併の話かと思われそうだが、これは縁談の話である。
 見合いの相手をさがしている人でも、「甚目寺町」と聞くだけで写真や履歴書を見る前に断られてしまう事が多いとの事である。内容も分からない時点から地名によって判断されてしまう現実は、現代でも現存している事を実感した。
 我々も少年時代には、「津島の〇×の方は通るな」とか「あそこの人は〇×の人間だ」等との会話を耳にした事がよくある。
 しかし、人権について不平等や差別の無い施策がとられると同時に、国際交流の時代の中で表面的には改善されてきたものの、これが縁談のように家庭内の人間関係とか血縁に関わる問題となると全く旧態依然のままのようである。
 人間だから好き嫌いは自由であるが、生活する地域によって差別したり、偏見を持つ事は好ましい事ではない。個人的には元ハンセン病の人と交流したり、障害を持つ人が当り前に生活できる社会を目指して活動しているつもりだが、同時に地名を聞くだけで偏見や差別する社会の現実も改善されなければならないと思う。(思うだけで無く、実践すると書き残すべきか)

                           16年5月18日
筆が止まってしまう…
 本日から臨時議会が始まったと言っても明日で閉会であるが、本年度の津島市議会の正副議長が選出され各委員会の割り振りが決まりました。
 私は、文教経済委員会と決算審査特別委員会への所属が決まりました。また本年からは無所属の会の代表として、各派代表者会と議会運営委員会にも出席できる(昨年まではオブザーバーか傍聴で出席)事になりました。
 さて、民主党の代表を辞任した管さんの年金問題は行政の間違いで、未加入ではなかった事が報じられている。一方では、小泉首相が満足な説明をせずやりすごそうとしている。間違いで代表を辞したとしたら管さんの心中に関心が湧くが、間違いで代表を簡単に辞めさせた民主党には日本の国政を担う能力不足が明らかであり、このまま逃げ切りを図ろうとする自民党にも不信感と絶望感が湧いてくる。
 国政と比較すべきものではないが、国政も市政も、住民の存在を無視して進められるものでは無い。
 真面目に論じても、「そういう津島市議会も選挙違反の市長を容認しているじゃないか」と言われると筆が止まってしまう。

                          5月17日の一言
自分が代行できる事…
 先週3日間家を空けていた事も原因だが、雨のために会報も配布できないまま、本日の座談会も行き当たりバッタリで、明日からは臨時議会が開催される。
 議員にとっては議会が一番重要である事は誰もが承知の事実であるが、一日一日を深刻に送っている市民の方にとっては議会どころでは無く、ワラをも掴む心境で相談の連絡が入ってくる。
 明日から2日間は議場に缶詰め状態となる事から、昨日と本日は関係する市役所職員の自宅や医療機関の先生宅に電話をかけまくった。
 最近は、土曜日と日曜日の相談が多く、市役所は休日のために対応ができずに困る事が多い。以前に議会の一般質問で「土・日曜日の市役所窓口」を要望した事があるが、当分は全く可能性もない。
 当方は休日も関係なく事務所を空けているが、全く役立たずの状態かも知れない。しかし、県内の役所で職員の自宅を役所の窓口にするサービスを始めた例があり参考になると閃いた。私は現在、介護保険の要介護認定申請書だけは持ち歩いているが、自分が代行できる事ぐらいは勉強して実践していきたい。

                           5月16日の一言
なーんで、あそこだけ…
 3日間家を空けていたので仕事が満載である。昨夜も帰宅を待っての来客があり、本日も朝一番から市役所からの説明を受け、午後は来客の予定が入っているが電話が続いており、会報配布は未定。一度に現実に引き戻された心境だが、私の仕事は「巡礼者」ではないので、忙しい事は議員として幸せでもある。
 さて、市民として行政の不公平な対応に対する不満を耳にする事があるが、最近は自分も関わった事例を耳にする事もある。説明したところで弁解のようでもあり、不公平な対応をした訳ではないが、すべての人に公平なルールがあっても、そのルールを利用した人としない人には大きな差が出てくるのは当然でもある。
 「そんな事知らなかった」と言うと、「市政の広場で案内してあります」との行政の声を、お役所仕事として批判してきたが、住民の意識改革も必要と思うようになってきた。
 行政の「やる事はしてある」と言う説明は、多分に自分の責任上の対応も多く、住民への配慮に欠ける事例もあるが、市民が苦しんでいる事例を「当然の事」のように眺めて足を引っ張る市民の存在も見過ごす事はできない。
 辛抱した挙句に行政に相談し、やっと当り前の措置がとられると、「なーんで、あそこだけ」と陰口を叩く。そんな地域の目を意識して、我慢をしている市民も多い。
 「市民が主役、市民が主人公」が、今年度の市長施政方針である。「ここは不都合だ」とか、「これは何とかして欲しい」と思った事を、当り前に何とかするのが行政や我々議員の仕事でもある。

                           5月15日の一言
結願成就の証…
 平成13年10月に四国八十八ヵ所巡礼の旅をはじめて、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所を経て、本日14日に秩父三十四観音を結願し、日本百観音結願成就の証を戴きました。
 同じスタートラインに立った仲間のうち15人が四国と百観音を達成し、5人が中途に終わりました。
 百観音の結願が近づくにつれて、各寺院に残された百観音達成の先人達の記念碑を見ながら、自分達の行動を振り返ってみたものの、今だ実感が湧かず、少なくとも先人達に比べて楽な巡拝であった事と、交通網の整っていない時代に達成された先人達の偉業に対して尊敬と敬意を表したいと思っています。
 四国遍路の源を築いた空海・弘法大師は、今から1千2百年前に四国八十八ヵ所を訪ねて悟りと諭しを実践されていますが、当時は現代のように鉄道も道路も無いのは勿論の事ですが、道なき道を進み、断崖絶壁の中で修行された事に、理屈では無く尊敬の念を抱かずにはいられません。
 また、大師の足跡を訪ねた巡礼の旅で、多くの先輩・先人達が志半ばで亡くなられている。命を賭けた巡礼と比較しては申し訳のない、物見遊山の結願成就でもありますが、誰でも達成できる訳でもありません。
 今回の結願は、やっと入り口の門に辿り着いたような体験でしかありません。しかし、入り口の門までは辿り着けました。問題は何の入り口かと言う事です。何の入り口かを求めて一から再出発します。

                           5月14日の一言
 5月13日の一言は、掲示板に書き込みました。
只今から出発します…
 本日から3日間、埼玉県秩父市へ巡礼の旅に出発します。今回は秩父三十四観音巡礼の旅で、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所に続いて、全て回れれば「百観音」の達成となります。
 前日の叙勲の話の続きになりますが、立派な勲章や表彰状を沢山戴くよりも、一人でも多くの人々と楽しく愉快な人生を送った方が幸せです。
 巡礼の旅も、ほとんどが70代の先輩方と一緒ですが、若い(?)私は先輩方に付いていくおかげで回れます。先輩方は若い(?)運転手の存在によって回れます。現実に夫婦2人だったら喧嘩になって回れません。3年前に四国八十八ヶ所巡りを始めた当初は、ここまで続ける予定はありませんでした。ここまで続けてこれたのは、一緒に回る先輩方のお陰であります。
 現実には何も分らない若造ですが、4月29日の吉野山蔵王堂では、僧侶や行者と一緒に般若心経を繰り返すうちに、今まで体験した事のない神秘的(?)体験に巡りました。全く科学的根拠のない事ですが、若い学生が四国を歩いて回っているのも「何かを求めて」苦難の道を歩いています。
 秩父での出会いから何かを得られれば最高ですが、先ずは無事に帰って来られるように仏壇に(普段は一度も手を合わせない)手を合わせてから出発します。

                     5月12日朝4時30分の一言
どうせ勲五だわぁー…
 本日の朝日新聞の声欄に、「叙勲の対象者幅を広げては」と言う意見が投稿されていた。税金を給料としてもらっていた、大臣や裁判官、政治家ばかりでなく、一般の社会の中で埋もれながらも頑張って地域に貢献している人々にも叙勲対象者となるよう幅を広げて欲しいとの趣旨である。
 近年勲章の上下の格差をなくすため勲1等などの数字が消されたが、受賞に関しては相変わらずで、上級公務員や校長などは以前の慣例のまま勲章が授けられている。
 「どうせ勲五だわぁー」と言う言葉を聞いた事がある。公立の教員で校長会長を経験すると年数が経てば全員ではないものの貰えるのである。また、校長経験者であれば長生きをすれば授けられ、死亡すれば当り前に授けられている。「勲五」はその等級である。
 最近の世の中は表彰だらけである。ボランティアを数年続けると表彰、PAT役員を務めても感謝状、公開講座を受講しても終了証書。何でもかんでも免状がでる。
 「日頃から参加していくといざという時に助かるから」と言って、警察関連のボランティアに誘われた人もある。こんなのは邪道であるが、新聞では美談として紹介もされた。
 賞状の安売りでは無いが、貰ったものを全部掲げていたら免状だらけ、額縁屋の生活援助としか思えない。
 勲章も本当に中身のある人には意義もあるが、役職上慣例で授けるものは廃止すべきと思う。それよりも自分の子供に尊敬される事の方が難しい。

                          5月11日の一言
水道の水漏れ…
 本日は議会運営委員会が開かれたものの、雨天のため会報も配布できずに体を持て余していたところ、「水道の水漏れを直して欲しい」と厄介な注文が鬼のカミさんからあった。
 考えてみると数年前から水が漏れており、最近では風呂場だけで無く台所も漏れると言うより流れっぱなしの状態であった。「そのうちに…」と言い続けてきた結果ではあるが、以前に業者に依頼した時、蛇口からシャワーまで一式交換された事があり、知人からも「簡単に直るし、そんな事で業者は来てくれない」と言われていた事もあった。
 とにかくやった事は無いが、カミさんと一緒にホームセンターに行ってきました。確かに何でも揃っており、業者に頼むより選択もできるので便利な世の中を実感していたものの、肝心の家は水道の止水栓が止めてあり、留守中の家族や来客はトイレも利用できないため慌てて帰宅しました。
 確かに知人の言葉どおり、水道の水漏れぐらいは簡単に修理はできました。しかし、やはり素人の修理は大変なハプニング続き。止水栓を止めたり、戻したり、熱い湯が出てきたり、部品を入れ忘れ水は溢れ、頭上からシャワーの水は被るわ、ネジは落とす等、人に言えないドジな工事だったが素人でも十分にできました。
 便利な世の中にはなった一方で、外出が困難な人や高齢者は些細な事でも業者に頼むより方法が無く、仕事が減って儲からなくなった業者は、そういった人々から大金を巻き上げていくケースも多いのである。
                          5月10日の一言
パソコンに詳しい人募集中…
 見た目は立派でも中身はボロボロ、火の車と言う事がある。私のこのホームページがその典型で、見た目も良くない上に肝心の中身も冷や汗ものになってきた。
 昨夜、本日の一言を書き入れようとして座ったものの、書き込みが出来ない状態となり、四苦八苦した挙句に新しいページに引越してなんとか体裁を整えました。
 先輩のアドバイスで「スキャンディスク」と「デフラグ」をかけ、午前3時半からの会報配布が終了して後に心機一転パソコンに向かい、今週の「天聖人誤」を書き入れました。
 しかし、ホームページ上では全く異質の体裁で表示され、思うようになりません。知人の応援を頼んで何とか体裁は整ったものの、現在印刷不能の状態になったままである。原因は不明。ここら辺りが素人の限界かもしれません。
 知人から「永く続いたら、本日の一言集とか、一年の天聖人誤として印刷したら」と唆され、その気もあったものの、明日の分からないパソコン任せのホームページでは前途多難と言わざるを得ません。
 人間の寿命と比較してはいけませんが、まさに親父の臨終が近くなってきた当時の、「今日は大丈夫だった」の心境と共通したような心細い日々を迎えようとしています。
 パソコンは機械ですので、専門知識を有する技術者に頼めばそれまでの事かも知れません。しかし、それも心細い限りです。一代で身代を滅ぼした政治家の話は、現代では死語に成りつつありますが、私の政治活動もまさにその線上を歩きかけています。
 したがって、本日の一言は「パソコンに詳しい人募集中」と身勝手なお願いをして、書き終わりにします。こぞっての応援を切望しております。トホホ…

                          5月9日の苦しい一言
続・何に使うんですか…
 昨日の一言を読まれた方からご意見を頂いたので、本日の一言は「続・何に使うんですか…」として書き足す事にしました。
 ご意見では、「議員が下っ端と無駄な議論をせずに、エライさんに言ってサッとやらせれば良い」との指摘でした。つまり、議員は市役所の部長や課長と用件をやり取りして、一般の窓口にいる職員と面倒な議論をする必要は無いとの指摘でした。
 確かに用件を担当する部課長に話せば面倒な議論は無いかもしれません。現実に窓口では結論が出せずに上司の判断を仰ぐ時がよくあります。
 ご意見は他の議員の先例を出されての話であったので、私のこだわりを持って記しますが、いくら部長や課長が責任者と言っても、実務面ではほとんどを一般職員が担っています。実務面を担う職員が納得できない事を、上司から命令しても納得した結論にはならないでしょう。ましてや、議員が一般市民の代弁者として話す場合には、その場は議員の我で通せても、理不尽な対応をする職員は当事者の市民に対してどんな感情を持って接するでしょうか。
 また、議員の要望によって、本来は市民が自分の手で市役所の窓口で手続きをするべき事項を、職員が自宅まで走って行くサービスが必要でしょうか。市役所に出向けない人は別としても、元気で時間のある人が議員に頼んで職員を走らせる事が許される事ではありません。「〇×先生のおかげで」と言って喜んでいる人は今や前時代的な存在です。
 昨日の一言で、職員の配置表「職員録」を所望した事は、同じ用件で何度も同じ説明を繰り返す無駄を省くためには「職員録」が必要になってきます。いくら議員と言っても、議員と名乗らず電話をかける場合には、市民の皆さんと同じく「たらい回し」にされる場合があります。
 声を聞いただけで「大鹿 一八」と判るようにせよとは言わないで下さい。

                            5月8日の一言