本日の一言
                  10月9日の一言へ
純粋な汗をかきたい…
 まったく台風の当り年である。明日は今年最大級の台風22号が当地方を直撃すると報じられている。
 本日は決算審査特別委員会が終わるのを待って、伏見にある名古屋ボランティアNPOセンターまで走った。7月から毎週土曜日に開催されていた「人にやさしい街づくり」連続講座が9日で終了するため、私の関係するDグループのグループワークの報告書をまとめるための集まりであった。
 グループレポートは16ページ、18枚からなるレポートだが、9月の中旬からは連日のようにテーマとした常滑市から瀬戸市や岐阜県高山市までを調査した本格的なもので、昨年私が受講生として参加した昨年のBグループと比較すると、10倍くらいの充実した内容であったと自負している。
 残念な事は、台風の到来によって明日の講座が中止になってしまった事である。明日の発表を想定し、報告書の印刷途中にあった中止の報に、一同がっかりである。
 しかし、4ヶ月の講座と1ヶ月のグループワーク活動から私は多くを学ばせてもらった。私は議員としては大変情け無いし、市民の皆さんに申し訳ないが、これだけ純粋な汗をかいて自分の足と目で地元を廻った事がないのである。市政に関わる市議会議員どうしが、一つの目的に向けて汗をかいて協力し合った経験がない。
 政治は選挙活動ではない。私の活動が、会報にしろ座談会にしても、私自身のこだわりは持って活動しているが、津島市を良くするためには、もっと純粋な汗をかく必要性をメンバーの活動から知らされた。

                         10月8日の一言
市営住宅家賃の滞納…
 津島市と言うと、「借金」とか「赤字財政」等との影口をよく耳にする。しかし、市民病院の利用者も半分以上が市外の住民によって占められており、赤字分は津島市の税金が投入されており、図書館でも津島市民と市外の利用者の区別は何もなく貸し出しをしている。
 繊維関連の企業が盛況な時代の良き伝統かもしれないが、今や地場産業は底冷えをおこしており、天王祭りの桟敷で庶民を見下ろすような余力は、今の津島市にはなくなっている。
 とかく行政や議員も槍玉にあがるが、基本的には津島市民の認識にも大きな問題がある。
 毎年10月に開催される決算審査特別委員会では、市民の国民健康保険税や市税などの滞納が問題となり、同じ質問と同じ答弁が繰り返されている。失業や不景気から支払いの厳しさは理解できるものがある。
 しかし、明らかに悪意を持った滞納も見極めが難しく、横着者も年々増加傾向にある。本日の委員会でも、市営住宅の家賃の滞納を巡って激しい議論が繰り返された。15年度の滞納額は約317万円で、過去からの合計は1千172万円を超える滞納額となっている。
 市内で一番滞納が多い蛭間住宅では、15年度が219万円(13名)で累計は704万6700円(17名)である。蛭間住宅は48世帯しかない中での滞納額である。
 住宅建設には巨額の予算を投じ、建物の維持管理も津島市が責任を持ちながら、家賃の滞納は年々増加している現状を皆さんはどのように思われるか。
 ちなみに、津島市の市営住宅の最高滞納者は104万1千円で、最高滞納月数は67ヶ月に及ぶ人物が存在する。信じられますか。

                          10月7日の一言
何かが狂っている…
 愛知県がNPOの各団体と協働して街づくりをすすめていく方針から、仕組み作りについて多くの機会を企画しているが、津島市では住民の盛り上がりにも欠けるが、行政に本気で協働していく姿勢がみられない。
 体裁はつけても真の住民活動を育てる土壌がまったく無いのである。ボランティアの多くに紐付きが多く、市役所からの補助金や援助を予定した活動で住民の自発的活動と勘違いしている人も多い。
 名古屋市まで出向けば、住民が自由に活動できる施設が多く存在し、津島市の人々が名古屋市内の施設で活動している姿を見るのは、津島市の議員としては淋しいものがある。
 愛知県や名古屋市では、予約を入れなくても利用できる施設のスペースを持っている。私は印刷機を持っているので無料で開放しようと思っていたが、津島市まで出向く費用より安く利用できる印刷機まで備わっており、住民活動の創生期には大きな援助となっている。
 津島市で活動する多くの団体に補助金が支出されているが、その活動内容まで踏み込んでいくと、補助金がある事で存続されている団体も存在する。津島市の補助金は税金であり、税金を投入された団体は市民の税金を使っているという認識を忘れてはならない。
 
                         10月6日の一言
このまま12月議会か…
 本日は朝から午後5時まで市役所に缶詰めとなり、約束に遅れて愛知県東大手庁舎にあるNPO交流フプラザまで走った。帰宅したのは夜10時を廻っていた。
 毎週火曜日は我家の事務所二階で書道教室が開かれているが、主がいないところで一泊旅行の旅先が決まったようである。
 さて、明日こそ会報をまとめたい。会報だけでなく、このホームページへも9月議会の報告が遅れているが、日時の経過は臨場感も失せてしまう。
 今週末の9日と10日は高山祭りでもある。便利になって津島から二時間で高山に到着するようになった。わずか二時間の距離になったものの、予定が入っており行く事が出来ない。今年は23日に夜の屋台曳き廻しがあり、23日と24日にも屋台特別曳き揃えが開催される。この日も予定が入っている。事務所前に高山祭りのポスターを貼りながら、走って行きたい心境が募って困っている。
 22日には3年越しで京都の時代祭りと鞍馬の火祭りに行きたいと思っていた。これもダメである。
 しばらくすると京都の大原からポスターが届くと連絡があった。11月3日から28日まで、大原の宝泉院では「秋の夜灯り・2004」と題して紅葉ライトアップが開催される。これだけは住職から何度も電話が入っており、欠く事の出来ない約束であるが、正直なところ11月の日程も空きが少なくなってきた。このまま12月議会かと思うと、今年も終わったような気分になり、確実に歳だけが刻まれていく。

                         10月5日の一言
厳しい今日から一週間…
 本日から来週13日まで、津島市議会では決算審査特別委員会が始まりました。毎日が数字との睨み合いとなりますが、私は数字には拘らない事に決めました。
 昨年に委員長を努めて、12月議会で報告をした経緯から、昨年の委員長報告書を読み返しながら、一年間の変化を見極めたいと思っています。
 現実には、会報「津島の風」の原稿書きと、全所帯を対象にしたアンケートの作成も今週中に完成させる必要があり、中学同窓会報の広告料の集金や、依頼された雑務も残しています。又、7月から参加してきた愛知県の「人にやさしい街づくり」連続講座も、今週末の9日が発表日となっており、受講生では無いもののサポーターとして共同作業を抜ける事もできません。まちかど座談会と出前寄席の予定もたってはいません。
 こんな事情から、委員会に全力投球する事が出来ません。
 しかし、私自身にとっては、自分以外の総ての委員会に出席している事と、3月の年度末に議会で承認した15年度決算に、今さら質問する気にもならないのも本音です。
 自分勝手な言い訳ですが、それでも委員会開催中は席を立つ事ができず、時間との勝負になります。こんな時に普段の行いが災いとなる。何でも自分でやらないと気がすまない事から協力が頼めない。意識改革も必要とされている。

                          10月4日の一言
よそ者意識…
 雨のため津島市の秋祭りも中途半端に終わってしまった。しかし、残念ながら市民の多くは自分達の祭りとの意識を持ってはいない。
 新しく転入してきた人々には、いつまでたっても「よそ者意識」から抜け切ることが難しい。
 同じ市民で、しかも同じ町内から屋台の出る地域の人々にとっては、祭りが「よそ者」を意識する機会になる。
 「そんな事はないだろう」と、先祖代々住みつく人は簡単に言うが、転入者にとってはよそ者を受け入れない封建的な体質を払拭する事ができないままなのである。
 津島市と同じく6万7千人の人口規模でありながら、岐阜県高山市の秋祭りには、全国から多くの観光客が訪れる。どこに違いがあるのだろうか。
 「観光地の高山市と比べる方がおかしい」と言う人が多い。しかし、かつては津島市の方が多くの観光客を集めていたのである。道路や鉄道の発達など、理由は色々考えられるが、観光行政だけでなく「受け入れる人々の気持」にも大きな差がある。
 夏の川祭りや秋祭りに、「見物人に感謝」する気持はあるのだろうか。先日訪れた高山市役所の観光課長の口から気になる言葉を聞いた。
 「高山の人達には、昔からお客さんをもてなす気持が強い」との言葉である。津島市ではお客さんをもてなす前に、住民同士のもてなす気持すら不足しているのではないだろうか。

                         16年10月3日
名古屋での一日…
 本日は午前中より名古屋での一日となってしまった。他の市町村に出掛ける反面、津島市での活動が疎かになっている感は否めない。
 しかし、他の市町村の人々に津島市まで出向いてもらう事は、大きなデメリットとなる。まず最初に交通の便の悪さと、運賃の高さがある。名鉄の料金体系は、利益の取れない名古屋市内から郊外の交通不便地域にたかるように高く設定されている。
 又、津島市内を眺めても、市民運動家が自由に集まれる場所が無いのである。先日の一言にも記したが、常滑市には建物は古いが市民運動家が自由に利用できる場所がある。
 津島市にも多くの公共施設が建つが、市民が自由に交流や学習のできる場所がなく、施設の利用率の低い施設はもっと市民に開放されるべきである。勿論、あらかじめ予約している人を押し退ける事はできないが、空いていれば公民館や文化会館を自由に使えるようにすべきである。
 そういう意味では名古屋市の施設には津島市の住民もお世話になっており、感謝の気持ちを忘れてはならない。
 さて、中区のNPO交流プラザで活動し、夕方には車を止めたまま、芸術創造センターまでタクシーに乗ったが、行きは670円で済んだのが、帰りは200円も高くメーターが廻った。同じ道で同じ距離で、同じ会社だったにもかかわらず何故なんだろうか。こんな疑問が届けられる社会であってほしい。

                          10月2日の一言
自業自得…
 本日(と言うより前日になってしまったが)、四国より何とか深夜12時に津島にたどり着いた。午後5時に高知市を走っていたのだから、7時間の行程である。
 次回は来月に実施予定であるが、片道7時間を戻ってからの巡拝となり、帰りも愛媛県から約7時間かけての帰りとなる。
 愛知県では知多半島の八十八ヵ所を「新四国」と称して巡拝する人が多く、四国八十八ヵ所と同じように思っている人も多いが、知多半島を新四国と呼ぶ事自体からも、四国のあやかり商売でしか無く、同じ八十八ヵ所を廻る事からも、本家の巡拝をお勧めしたい。
 本日は室戸岬にある「御蔵洞」にも立ち寄った。弘法大師が19才の時にこもったという洞窟である。現在でも真っ暗で不気味な洞穴で、19才当時の空海は何を思って座していたのだろうか。
 当時から読み続けられる般若心経を読みながら、現代から1千2百年後に残る教えを示す事の出来る現代人を見出す事は不可能である事からも、弘法大師・空海の偉大さを改めて痛感した。
 現代は情報化の時代で、四国に居ても携帯電話がかかってくる。今から1千2百年前の空海の心境を少しでも共有したいと思い、当時から残る岩肌に触れていると携帯電話が現実の世界に呼び戻して(しまう)くれる。
 明日(本日)からの日程は驚異的である。会報とアンケートだけを考えていると、夏に発行した同窓会報の後始末も済んでおらず、過去に遡る事は不可能なため、心を痛めながらの毎日となりそうである。

                           10月1日の一言
四国巡礼二日目…
 台風の進路のど真ん中の四国徳島に居た。出発前は台風情報を見て一睡もできず、徹夜での運転だったが、台風到着前に予定の巡礼を済ますため眠気は感じず、どしゃ降りの中を21名のメンバーとともに、予定の10番寺までたどり着いた。
 ホテルに到着して一時間もすると台風が直撃し、外は大荒れで、露天風呂には立てない豪風雨となったが、本日は晴天の中の巡拝となった。
 しかし、各地の川や田んぼは増水し、住宅地も冠水しているのを横目にして、本日も予想外の20番寺まで巡拝を終えた。
 前回の巡拝から2年しか経っていないのに、、道路も整備され、寺も立派になり、本当にこの地に立ったのかも疑問になってくる。
 前回の巡拝が何も判らず、ただひたすらに廻っていたのに対して、今回は随分と余裕があるのか、朱印の順番を争う事もなく、各寺院の善意や巡礼で出会う人々の好意を感じる事が多い。
 心の持ちようの違いが行動の違いになり、前回のカリカリした行動が不思議に思えてくる。宿泊する宿も前回とは違い、もう一度利用したい施設に当たった。
 さて、明日は最終日である。参加者が観光気分を求めず、一つでも先の寺を目指しているのも心強いものである。

                          9月30日の一言 
台風に向かう巡礼の旅…
 今年は台風の当たり年と言われるが、今回の台風にも突然の進路変更に泣かされる事になりそうである。
 本日は、まもなく午前4時より、四国八十八ヵ所巡礼の旅に出発する。私にとっては2回目の巡礼だが、メンバーの大半は巡礼1日目となる初日に、四国で台風と遭遇しそうな気配が濃厚である。
 昨日の午後は、旅の実施を巡って天気予報に目を凝らせ、予定どおりに行けない行程から、取りやめも検討していた。
 取りやめる事は簡単だが、車の手配や、再度の日程を全員に調整する事の難しさ等を考えると、取りあえず四国に着いてから全員で考えた方が都合が良かった。
 しかし、事故にでもあえば、「馬鹿な事を」と非難も浴びるし、これは弘法大師からの試練かも知れないと思えてきた。ただし、行く事も試練と思えるし、止める事も仏の導きとも思われる。
 決断も出来ないまま時間が経過した夕方、訪問された参加者から、「台風が来たら宿に居れば良い」と言われ、数件の電話から、行く前提の話が相次ぎ決行する事になった。
 顛末は明後日に報告しますが、巡礼は遊びではない。何も考えずに、ひたすらに四国を廻った前回とは違い、遍路の作法にも気をつけて歩きたいし、何かを感じとって帰ってきたい。

                          9月29日の一言
行政と市民の壁…
 市役所をはじめ行政と市民との間に、目に見えない壁(バリア)が存在している。時には大きな壁もあるが、ほとんどは話せば解かる程度の壁である。
 地域社会にはそれぞれの歴史があり、一晩で理想どおりにはならないが、今までの行政主導の発想を住民が転換させ、住民主導の認識を持つ事が重要である。
 国の財政危機から、津島市や各自治体に流れてくる補助金は大幅に削減され、予算の先細りから行政に期待していてもあてにはならない時代になった。
 愛知県でも住民と協働する仕組みづくりに力を入れだしたが、住民に必要な事案は住民の希望に添って進め、行政はあくまで二次的な立場に徹する時代が訪れている。
 「市役所なんか最初からあてにしていない」とか、「信用していない」等の声は以前から耳にするが、そう言う人々も基本的に行政に期待している場合が多い。
 「行政に言っても取り上げてくれない」と言われて、我々議員が登場する場合が多々あるが、議員に頼む事自体が行政に期待しているのである。
 我々議員も勘違いしてはならないのが、「議員の力で実現させた」との思い込みである。そこに議員の存在感を見出す人も現存するが、少なくとも「議員の力」で公平性を欠く理不尽な結果があれば、問題として非難されるべきである。
 先週は祭日も多く、多数の市民の方々から相談や投書、ご意見をいただいたが、一つの問題に多くの担当部署が関わっていると、伝えるだけでも簡単には終わらない。だからと言って、「書面で」という事からバリアが発生する。住民が勝手に作った(思い込んだ)慣例も多い。住民が主役である事を今こそ認識したい。

                        9月28日の一言
小京都高山市のもてなしの心…
 本日は岐阜県の高山市役所まで出向きました。昨年10月に高山市で開催された全国都市問題会議のテーマ「誰にもやさしいまちづくり」の中で、土屋市長から「住みよいまちは、行きよいまち」とのテーマで高山市の報告があった。
 当時を思い出しながら、観光と地元住民のくらしについて企画課と観光課で話を聞いた。
 さて、ゆっくりと走っていったのだが、2時間で高山市に到着してしまった。市役所との約束である午後1時まで随分時間があり、書店を探していたものの見つからず、親しい丹生川村のHさんに電話したところ、「火を熾して待っているわ」との話になり、岩魚をご馳走になる事になった。
 高山市の観光課長からも耳にしたが、この地方の人々は「おもてなしのこころ」に満ちている。昼食前の我々のため近くにネギを取りに出向き、林にミョウガとキノコを取りに出かけてのもてなしである。
 ここでは私は余所者ではない。本日は降りしきる雨のため「岩魚の里」は休止されていたが、我々のために多くの炭をあぶり、会話が弾んで名残惜しくなった頃、雨があがり観光客が入ってきた。
 「じゃーまた今度」と別れた車中で、傘を忘れた事に気がついた。同乗のNさんから、「安物だから良いよ」と言われたが、携帯電話で連絡した。「傘やろー、忘れてあったわ」、「次までしまっといて」との連絡も、当方からしないと心配して電話がかかってくるのが、このあたりの人々の「もてなしの心」でもある。
 高山市は飛騨の小京都と言われている。しかし、本家の京都では味わえない商売抜きの美しい心に接する事から、二度以上のリピーターが多く、傘を縁にした再訪門を思案している。

                         9月27日の一言
   岩魚の里 琴水苑
もしかして一人も?…
 本日は宇治町での「まちかど座談会」を実施したものの、開始時刻の午後1時になっても一人も参加者が無く、古典落語を語る「浪漫亭砂九」さんと、座談会そのものの企画や、参加の呼びかけ方の談議が始まった。
 あまり多くの人が集まると参加者が意見を言いづらい事もあるが、少ない現実は非常に淋しいものがある。
 「外出ばかりで、朝から晩まで家を空けていては…」とはカミさんの声。「こんなに忙しくて会報は大丈夫か」と背後から同級生の声。「こんな事一度も経験した事ないが」と言い合ううちに参加者の足音がした。
 「ありがとうございます」と迎え、話し込むうちに一人二人と参加者が集まってきた。さて、古典落語をと、出囃子のテープを流しはじめたところ、「聞きたい事がある」と市民生活の問題点が質問され議論が盛り上がってしまった。
 隣りで聞き耳を立てる砂九さんを待たせる事30分。「今日は落語が出来るんかと思いました」と、人がこない心配から、人が集まれば長話の後の出番となった。
 さて、行政と市民との間には、近くて遠い壁があり、行政ではなく市民が作った長年の慣例が存在する。市民が直接市役所に電話すれば、簡単に処理できる事でも、町内の班長や嘱託を経由したり、市役所職員が嫌がり、嘱託も苦労して書き込む要望書によるやりとりが時間を浪費する。
 「市会議員そのものと直接話す機会も無かった」との意見も出された。タテ社会が続く中で、市民が対等に語れる環境づくりも自分の仕事だと再認識の一日となった。

                         9月26日の一言
回転しない古い頭…
 名鉄金山駅を23時05分発の津島行急行列車に乗り、約20分後に青塚駅に到着した。
 「おい、かずや」と言われて振り向くと、幼馴染で同級生のO君と言うより、私の後援会長の子息に声をかけられた。共に奥方の迎えの車が待っていた。判っていれば一台で済んだものの、酔っ払いの主人のために奥方は大変な事である。
 本日も「人にやさしい街づくり」連続講座のために、午前中から金山に集合し、講座終了の5時以降は裏方の実行委員会の反省会と問題点の指摘があり、延々と11時過ぎまで議論が続けられた。
 6グループのサポーターの年齢は、30代前半が一人あるものの、私以外は20代の知識と向上心に富んだメンバーの中で、50歳の年齢は大きなギャップがあり、回転しない古い頭で対応しているものの、私の子供達と同じ年代の人々と同じテーブルに着いて議論できる事は幸せでもある。
 又、グループメンバーにも恵まれ、全員がやる気で参加している事から、自分の無能さが救われるものの、やる気にほだされて月曜日は岐阜県高山市役所まで調査に出向く事になった。
 明日から連日の予定が続き、29日からは四国八十八ヵ所に行き、10月4日からは決算審査特別委員会が連続で開催される。空白の全く無い日程の中で、会報の発行とアンケートの実施はいつ実現できるか、マジックか超魔術の力を借りなければ、とうてい実現が不可能と思われるが、実は貫徹しないと収まらない。
 明日はまちかど座談会を開催する。宇治町公民館を借りてあるが、無償で参加してくれる落語家「浪漫亭砂九」さんのためにも参加を願いたいが、今からでは何も出来ないのも時間と人間の限界でもある。

                          9月25日の一言
私も老人扱いだったの?…
 保険センターで健康の個人指導を受けているが、これが老人保健事業の一環としての制度として通っている認識がなく、自分が「老人」の中に位置付けられている事と、議員として基本的な認識不足にショックを受けた。
 保健センターの中で、健康推進課は多方面に多くの事業を展開している。各事業の実績も年々向上しており、市民が病気にならない対策と、健康維持は津島市の医療費の削減になる事から、益々の事業展開を期待したい。
 ところで、何度となく保健センターを訪れているが、めったに人と出会った事がない。行事の開催日は別として、普段の保健センターへの人の出入りは本当に少ない。
 同居する社会福祉協議会やシルバー人材センターについては、昨日の一言でも触れたが、常滑市と比較するとまったく市民の出入りが少ない。
 自宅に帰ってから所管する事務概要を見直し、本当に至れり尽せりのサービスを実施している事から、保健センターの施設を有効に利用して、市民が常時集まる施設としての仕掛け作りが必要と感じた。
 私事になるが、議員になった直後は78キロだった体重が、6年の議員生活で5キロ増加した。決して議員活動に手抜きはないが、見た目だけでなく、健康のためにも減量は急務である。月に一度の保健センターでの保健婦さんの面接が、食事や運動への意識を高めている事は間違いないし、来年2月には良い結果を報告したいと思う。

                          9月24日の一言
常滑市に学ぶ…
 常滑市を歩き、聞き取り調査の結果を9人の参加者で集約する中で、行政と市民のギャップの大きさと同時に、コミュニケーション不足も感じた。
 連日のように常滑市を訪問し、津島市にないサービスや利点は参考になり、津島市の利点や欠陥も認識できる。
 本日の会合場所は、常滑市の社会福祉協議会に隣接する「ボランティアルーム」であったが、市民が(市外の人も)自由に利用でき、二階は畳敷きで24時間使う事ができ(宿泊もできそう)、利用料も不要であった。
 建物は古いものの、トイレやエアコンを備え、炊事も可能で、コピーなどの備品も無料で使用できるのである。ボランティア団体や市民活動家には鍵も渡してあり、勝手に開けて利用もできる使い勝手は、津島市にも参考にしてほしい。
 頻繁に出入りする社会福祉協議会の車から、細かいスケジュール配分されたボランティアが行き来する。
 津島市の社会福祉協議会は立派な保険センターに入っているが、市民へのサービスは建物ではなく、ボランティアや市民との連携の面でも常滑市に学びたいと思う。
 常滑市を調査する中で、同じく観光行政に力を入れる岐阜県高山市を訪ねたいとする熱心なメンバーが名乗りを挙げた。思わず、「明日に高山市役所へ連絡してみる」と言ったものの、訪問メンバーに私も含まれていた。
 さてさて、10月のスケジュールも満杯である。暇を持て余す議員よりは嬉しい悲鳴かもしれないが、家のカミサンの顔が、神様から鬼面に変わらないようにしたいものである。

                         9月23日の一言
市民も欲しいじゃないですか…
 先週から「人にやさしい街づくり講座」のグループワークで、常滑市を訪問している。常滑市のやきもの散歩道を中心に調査し、「みんながともに楽しめるまち」のテーマで、観光と暮しが共存する街づくりを目的に活動している。
 常滑市は中部国際空港が開港を控え、アクセス道路の整備や、駅前の再開発によって近代的な都市の景観を見せはじめているが、人口規模や古い町並みは津島市と類似する部分も多く、職種こそ違うが地場産業の衰退などは全く共有する問題も抱えている。
 常滑市役所の対応も大変良く、津島市と同じく議会開会中にもかかわらず多くの資料を提供していただき、目を通すうちに、比較する事によって津島市にとっても大変役に立つ資料である事が判って来た。
 市政概要は245ページの手帳タイプであるが、この一冊で常滑市の総てが把握できる。これは、常滑市の企画部秘書広報課が編集したものであるが、全職員と議員等に配布されているとの事である。
 「何故、議員と職員だけですか」とメンバーの一人から声があがった。「市民も欲しいじゃないですか」と続いた。
 さてさて、全市民に配布する必要があるのだろうか。確かにあれば欲しいとは思うが、日常の生活には必要もなく、もっと詳しい資料が図書館に配置されているし、定期的に広報誌や回覧版が発行されている。何でもほしがる事から、高速道路のサービスエリアに置いてある地図が脳裏に浮かんできた。
 赤字で悩んでいる道路公団だが、観光バスから降りる免許も無さそうな団体のおばさん達が地図をまとめて持っていく。これも税金の還流である事を感じている人は少ない。

                          9月22日の一言
無責任な近鉄球団…
 テレビ朝日のニュースステーションのキャスターを降板した「久米宏」が、半年ぶりにラジオ番組に出演し、「プロ野球の経営者は間違っている」と久々に辛口トークを展開した。
 巨人軍の渡辺前オーナーには、「辞めた人が発言するな」とか、「昔からの企業が野球を牛耳っている」として、プロ野球はファンや社会のものだ、新規参入したい企業にはどんどん参入させるべきだ等と、持論をまくし立てたが、小泉首相の選手擁護の発言より歯切れの良い発言に共感を覚えた。
 プロ野球も選手会初めてのストライキ実施により、ファンだけでなく社会問題に発展し、球団にも大きな損害を出した。
 しかし、冷静に考えてみると、事の発端は近鉄球団だけにあり、経営難からオリックスに合併(救いと身売り)を申し入れた事にある。
 過去にも多くの球団が経営難から営業権を譲渡し、経営者が入れ替わる事はあった。今回も新たに参入を希望する企業を募れば、間違い無く名乗り出る企業はあったが、何故に球団合併という奇策に出たのか。
 ここには、球団の選手も同じ会社の仲間との認識は微塵も無い。近鉄の経営陣の面子と企業のエゴしか考えられず、こんな馬鹿げた奇策を一流企業を経営するオーナー達も容認するから幼稚である。
 近鉄が球団の新しい経営者を公募すれば、新興企業に限らず大手企業の参入も十分考えられ、最近の動向からは今以上の球団数になりそうでもある。現在の問題から自社の責任を全く感じていない近鉄の体質に社会の鉄槌は振るわれないのか。

                         9月21日の一言
長寿にあやかりたい…
 敬老の日を向かえて、全国各地から行事や健康長寿に関する話題が届けられた。津島市で一番の長寿は明治34年生れの103歳の女性である。二番目は男性で2才違いであるが、全体には男性も健闘しているものの、やはり女性が圧倒的に多いのである。
 我々は女性の方が長寿を当り前に思い、現実にも女性が長寿者の多くを占めているが、現実は男女で体力的に長寿の差があるのだろうか。
 「本来は女性の方が短命」とする説もある。女性は子供の出産を経験する事で、体力を消耗するとの考えである。
 「男性の短命は宿命」との説もある。歴史的に男性は肉体労働や危険な仕事が多く、事故で命を落とす事も多い。
 現在の長寿の比較も、男性は太平洋戦争で多くの犠牲者が出ており、長寿の人口比率において、男性が少ないのは当然の結果でもある。
 ともあれ5人に1人が65才以上の社会構成で、津島市だけでも90才以上の人が百人を超える。(あやかりたい)
 問題はその生活内容にある。長寿であっても「きんさんやぎんさん」のように、亡くなるまで家庭で子供や孫に囲まれて生活できれば幸せである。私は当然の事と思うし、自分も三世代同居の家庭に生活しているが、「これからはそんな事を言うのは間違い」という指摘を多く受ける。
 私の考えの何所がおかしいのか解からない。子供が親の面倒を見ないで誰が見るのか。子供が大勢ありながら、老人ホームに入所し、一度も家族の訪問を受けないまま亡くなっていく人も多い。元気なうちに我家で一生を送る計画と対策を考えておきたい。

                           9月20日の一言
町内行事と議員の予定…
 行事を巡って家族で議論が続き、納得できる結果が出ないまま当日を迎えた。発端は町内の親睦会によるお宮の木の伐採と、民間団体の主催する魚釣り大会の日程が重なった事にある。
 町内の親睦会には、他の予定からおよそ1年間出席していない事から、案内をもらった母親が出席せよと強硬に言う。一方で、魚釣り大会は遊びだが、毎年参加できず3年越しの案内をもらい、早々と参加を決めてあった。
 最近は行事が重なる事が多く、重なればなるべく先約を優先しているが、津島市の行事など議員として無視できない催しも入ってくる。
 問題になるのは、地元の町内との兼ね合いである。町内行事は出席して当り前の感覚が残っている。毎週土曜日は「人にやさしい街づくり」連続講座に参加しているが、これも重複したり町内の葬儀があったりして、家族の代理で済めばよいが、済まなければご無礼する事となり、家族では物議をかもす事となる。
 来月には隣りのお寺の永代経が行われ、10年来春と秋の受付を担当してきたが、地域全体の防災訓練が同日となり、先約ではあるが欠席する事となった。
 問題となるのは、議員は地元と言うより「町内優先」が当り前とする住民意識にある。元々、私は町内の推薦で町内の為だけに立候補した議員では無い。町内推薦の声に背を向けて、自分の主義主張を掲げて議員活動を続けている。
 あえて反論する気はないが、市議会議員の使命や仕事を、町内会の延長ととらえている人々が多く、家庭内での物議もそこから発生している事が淋しい。

                         9月19日の一言
車いすの人は荷物扱いか…
 本日は「人にやさしい街づくり連続講座」のグループワークで、常滑市の大野地区と、焼き物の里観光コースを、車いすとともに9人が1日をかけて散策し、問題点を検証した。
 しかし、問題点は常滑市に着く前の出発点に存在した。集合場所は名古屋駅メルサ前のナナちゃん人形前だったが、名鉄のシンボルでもあり、鉄道体系の中心である「新名古屋駅」に障害者に対応できるエレベーターが存在していないのである。
 まさかと思われるであろうが、車いすを使用する人は、表示も無い通路で駅員を呼び出し、エレベーターへ案内してもらうのだが、案内された先はなんと荷物運搬用のエレベーターだったのだ。
 日本中の大手鉄道会社で、しかも会社の一番メインになる駅で、荷物の運搬用エレベーターで身障者を運んでいる会社が存在するとは思えない。電車で配送される新聞と同じように人間が運ばれているのである。
 車いす利用者の話では、夕刊の配送時には長く待たされ、降りていくと新聞を待ち構えている人々がびっくりすると言う。
 しかも、いきなり駅のホームに到着するものの、切符を買う事はできず、乗車した電車の車掌が廻ってこないと切符も購入できないのである。
 車いす使用者は荷物運搬用エレベーターからホームに降ろされ、切符もないまま乗車している「名鉄新名古屋駅」の実態にびっくりした一日だった。それも駅員の手を煩わす事から、文句も言えずに我慢している現状に腹が立つと同時に、当事者の家族の気持ちを考えると不憫でならない。

                          9月18日の一言
自問自答…
 初めて見た出来事の印象は強く、いつまでたっても忘れられないものである。現実には世の中は日々変わっている。
 本日は福祉施設を見学を兼ねて訪問した。介護保険が導入され、福祉施設は試行錯誤を繰り返しながらも拡大し充実してきた。しかし、今なお多くの希望者が待機中の状態が続く。
 一方では、一旦施設に入ると家に帰れない現実も目にする。定期的に入所者を見舞う家族もあるが、まったく亡くなるまで一度も訪問しない家族も多いと言う。
 時代の流れと言うが、親は親、子供は子供の自由で、親の介護を行政(社会)に任せて知らん顔はないだろう。
 親の面倒を見てくれとは言わない。親は親で、自分の老後の生活の安定を考えていくべきだが、高齢になって自立が出来なくなったら施設に収容されて最後を迎える事だけは「仕方がない」で済ませたくない。
 介護保険の基本は、在宅介護にあるが、現実には施設介護の方向に走っている。子供を親元に置きたいと、東京から連れ戻したが、人々は「前時代的」とか「親の身勝手」などと手厳しい。
 「いつかは戻ってくるから」と言う人もあるが、出て行った子供の家族(孫)の故郷は、出て行った先になる。親の故郷へ戻ってくるはずは無いから、自然と家族は崩壊する。
 家族って何だろうか。こんな事で良いのだろうか。

                          9月17日の一言
結局朝晩の送迎付き…
 昨日に引き続き、帰りは歩く予定で市役所に送ってもらった。午前中に総務委員会が終了し、各課の要件を済ませて津島駅に向かう。
 運動不足を解消するために、卓球のラケットを購入する(卓球台は2台事務所2階にあります)ためであるが、途中で父親の同級生のお宅を訪問し、昔話に花を咲かせた。
 要件を満たし、町内会役員と相談中の店主と喫茶店で合流したが、議会活動は勿論だが、行政への市民の不信感の大きさを痛感させられた。
 喫茶店主に私を紹介しようとしたスポーツ店主に、「私は行政は信用しないから」と奥さんは不信の声をあげた。「この人は役所の人ではないよ」と説明して理解はされたものの、客商売の立場からいきなり発せられた言葉だけに、よほど市役所にたいする不信感が増幅されているのであろう。
 さて、じっくり歩いて家まで帰ろうとしたとき、スポーツ店に仕事で訪問した市役所職員とバッタリ。先ほどの話から問題点を議論するうちに日も暮れてきた。
 「ついでに送ります」、「いや、歩いて帰る」、「こんな機会もないから」、「運動のため」とやりとりするも、結局は甘えて車の助手席へ。
 車中で市の施設の問題点を話し合ううちに、「ついでに寄ってみますか」になり、いきなりの施設訪問になってしまった。
 しかし、我々議員は見ているようで表面的な部分しか見ておらず、突然の訪問によって施設の舞台裏が見られた気がする。就業時間を過ぎて同行してくれた職員の気持ちを無にはしたくない。
 ところで、歩く意気込みは良かったが、昨日同様の朝晩送迎付きとなり、本日も万歩計は2千歩にも満たなかった。

                         9月16日の一言
4キロの減量…
 「半年で何キロを目標に減量しますか」と言われて、考えてから「6キロ減量します」と答えたものの、「出来ます?」、「無理かなア」、「じゃぁ、確実に4キロ落としましょう」と言って3ヶ月がたった。
 私は現在、保健センターで保健婦さんの健康指導を受けている。しかし、その場では色々考えるが、食事の減量も運動量を増やすこともほとんど実現が難しい。
 本日は、市役所の帰りを徒歩と決めて、わざわざ車で送ってもらった。ところが、予定では午前中の委員会が終わった後に所用を済ませて帰るつもりであったが、熱心な市民運動家の訪問を受けて、昼食も取らずに別れたのは午後5時を廻っていた。
 とても歩く気分にはなれず、知人に乗せてもらって帰ってきた。万歩計は1300歩をさしていた。簡単には一万歩は達成できない。
 3回の面接で、食事の改善や運動量を増やすなど改善を考えるだけでなく、2回の病院での検査や体力測定、食事の調査からは栄養士のアドバイスもいただいた。行政が個人的な健康維持のために、ここまでサービスする必要があるのかと思うほどの厚遇である。
 病気の予防や早期発見、健康維持が医療費を削減する。財政厳しい中での制度を最大限生かすとともに、多くの市民にも呼びかけたい。
 迫るタイムリミットまでに「4キロの減量」だけは達成したい。問題は自分自身にある。

                           9月15日の一言
迷惑だから早く施設に…
 毎日が忙しく、行き先も津島市を飛び出しての活動が引き続いている。国会議員にはかなわないだろうが、県会議員には負けない忙しさである。
 さて、こんな状態の中で、他町村の人のために、他町村の町会議員まで引っ張り出して、他の自治体に出向いて、最良と思われる方策を練って帰ってきた。
 しかし、所詮は家族が決める事で、家族が冷静に話し合えない場合には、骨折り損となってしまう。訪問先の自治体のせっかくの好意もぶち壊しになり、間に入った議員の顔も潰してしまう。
 最善と思われる方法に背を向け、いらぬお節介のように行政のアドバイスに反する選択をして、最悪の時は「自分で何とかします」と答えているが、最悪の時に健康保険も使えない可能性が高く、無保険で病院に行けるとでも思っているのだろうか。
 親子のトラブルに親族が関わり、親族の親子にトラブルが飛び火する。生死に係る問題だけに、真剣に走り回ったが、家族の無責任な一言で全てが無になってしまった。
 空しい気持ちで一杯だが、他人からの災いが消えたと言い聞かせているものの、やっぱり無念さが残る。今までにかけた時間はいったい何だったのか。そもそも、我々議員はお金を貰って相談にのっているのではない。
 「迷惑だから早く施設に引き取ってもらいたい」の一言から、施設に入る高齢者と、そんな顛末でも喜んで迎える施設側の本音が聞いてみたい。

                            9月14日の一言
5代目水戸黄門から涙…
 今年の夏頃から、テレビの「水戸黄門」を見るようになった。初代の東野栄治郎はさておき、2代目西村晃、3代目佐野浅夫と、主役が変わる度に軽薄になり、4代目石坂浩二に至っては全くイメージが壊れ、テレビに「葵の紋」が出た瞬間にチャンネルを代えていた。
 主役が里見浩太郎に代わった事は分かっていたが、久々に見た「5代目水戸黄門」は時代劇の醍醐味を持ち、自然に涙があふれる作品だった。
 以来、毎週チャンネルを代えるが、本日は息子の勢力に負けて、情けなくも別室での視聴になった。実は別室の方が都合が良いのである。涙が出るからである。
 5代目水戸黄門は人情劇で、必ず途中で涙が頬をつたってくる。こんな姿を家族には見せたくない。ましてや子供にそんな無様な姿は見せたくない。
 番組が終わりに近づいた頃、家族が入ってきたため必死で涙をふいた。今にして思えば、亡くなった私の父親もそうだった。テレビを見て涙を流す父親を、私はいつもからかっていたのである。そんな歳になったのか、親の遺伝かは分からないが、私は悪い事に我慢ができず嗚咽を漏らす事がある。そして、自分がしてきたように息子達に笑われるのである。
 筋書きも顛末も分かっていても流れ出る涙。里見浩太郎の演技力によるものも大きいだろうが、はまりかけて間もなく、10月からは他の番組となるようで残念でもある。
 たかだか時代劇であるが、水戸黄門から学ぶものは多い。

                           9月13日の一言
 水戸黄門にリンク
    
時間が出来次第の約束…
 スケジュール表の隙間が無くなると、空いた時間に処理しようと日時を決めずに応対する事がある。これが問題となる。
 議会途中に新たなテーマで職員と話した後に、何か忘れている事に気がついた。考えても思い出せない。何かあった事は間違いがないが、肝心な内容が出てこない。
 最近はこんな事が多い。「当面空きがないので、時間が出来次第…」の約束は、スケジュールから漏れる可能性が高い。当面は記憶に留めていても、新たな問題が出現すると忘れたままとなってしまう。
 先週末の事だが、半年ほど前に聞いていた問題が甦り、あわてて市役所幹部を外出先まで追いかけた。該当する事案は既に10日前に手続きが終わっており、「もう少し早ければ…」との顛末だったが、偶然にも該当する事案には関係なく、ホッとしたのは幸運だった。
 今週も口約束が3件あるが、相手の都合も考えると日時が決まらない。しかも、時間を考えずにのめり込んでの時間超過や、行きっ放しで空いた時間を消化してしまう悪い性格ゆえ、今までとは違うメモ用紙か記録が必要であろう。
 さて、9月議会が来週に閉会されると、会報「津島の風」の発行と配布が待っている。これと平行してアンケート調査の実施も公約にしてある。まちかど座談会も四国八十八ヵ所も待っている。その他にも…。考えると恐ろしくなる、週のはじめとなった。

                          9月12日の一言
裏方として…
 本日は午後1時から5時まで「人にやさしい街づくり」連続講座が開催された。私は裏方として関わっているが、前日午後5時から9時まで金山の都市センターで本日の進行を打ち合わせ、本日は終了後に10時過ぎまで本日の結果の検討と問題点を話し合っていた。
 昨年に受講生という立場で参加したが、自分が裏方として関わってはじめて講座のために多くの時間が費やされている事がわかった。
 最近は各種の公開講座が開催されており、参加する事は簡単だが、そのために多くのボランティアが無報酬で関わっている事が認識されているのだろうか。
 「人にやさしい街づくり」連続講座は、7月から車いす体験や、講師を招いて各方面の学習を続け、本日から6グループそれぞれがテーマを決めてグループワークがはじまった。
 全員が問題意識を共有し、調査をはじめ、結果をまとめて10月9日の最終日にに社会に提言できるように来週から活動がはじまる。
 私も今まで各種の講座を受講したが、会費無料でこれだけ真剣に参加し活動する講座は初めてである。
 講座を休まず受講すると、講座の修了証と同時に、愛知県に「人にやさしい街づくりアドバイサー」として登録される。
 問題はこの後である。せっかくの経験を継続して地域で生かしていきたい。その仕組みについても検討がひつようである。

                            9月11日の一言
電車は速い…
 8月より日光橋が通行止めになり、新日光橋を迂回して市役所に行くようになった。市議会でも橋の架け替えに伴う渋滞問題への一般質問が出されたが、予想された渋滞もあまりなく、町内を通り抜ける車も意外に少ない。
 個人的には津島街道沿いに住んでいる関係で、市役所に行く事には不便だが、津島市全体を行き先に考えると、さほどの事もなくなってきた。日光橋を通る車がそのまま新日光橋に流れるのではなく、北の宇治町を通る萱津線や、百町の新おにえ橋へ分散されているのである。今までの何でも日光橋を通る生活パターンよりも、逆に速さを味わう事も多い。
 本日は午後5時に、金山の都市センターで会議があった。普段は車で出掛けるが、駐車場を探す煩わしさを避け、青塚駅から電車で行く事にした。
 自宅前がバス停のため、電車を使って名古屋に出る事はほとんど無いが、電車の速さはバスの比ではない。駅までの送迎は不都合だが、青塚駅から金山駅までは約20分で到着してしまう。
 愛知県は車の所有が多く、公共交通機関が苦戦しているが、原因ははっきりとしている。駅へのアクセスが悪い事と、バス亭周辺に自転車の駐輪場が無い事である。
 「パークアンドライド」、駅周辺の駐車場に車をおいて、電車やバスに乗り継ぐ事で、公共交通機関の有効利用と同時に、道路の渋滞を減らす有効な方法でもある。
 利用客の減少でバスの本数が減らされ、道路の渋滞が増える悪循環は、名鉄の殿様商法と、最近では行政や地域社会との協調性の無さが原因でもある。名鉄職員の子供として、少年時代に親切にしてもらった「土川元夫」名鉄会長の顔を思い出し、議員として少しでも恩返しができればと思う一日となった。

                           9月10日の一言
議会答弁での一言の重み…
 議会の一般質問も自分が終われば終わったような気分になってしまう。明日は3人を残しているが、来週からは常任委員会が始まり、議会が終われば10月には決算審査の特別委員会がスタートする。
 私はその間に、会報「津島の風」を印刷し、愛知県の「人にやさしい街づくり」連続講座の裏方に精を出し、四国八十八ヵ所の巡礼にでる予定であるが、会報の配布と「アンケート」による住民意識調査も予定している。9月どころか10月までぎっとりと予定で埋まってしまっている。
 5年前に仕事を辞め、議員専業になった当時は、予定表にも空きが多く、気まぐれな行動も可能だったが、最近は予定表の空いた日を探して約束を果たす生活になりつつある。
 議会の一般質問についても、5年前の準備万端とは違い、市役所の関係当局と事前に十分な議論が済んで答弁内容が予測されると、新鮮な気持ちが薄れ、緊張感を欠いているのも現実問題である。
 最近では当方の性格を読み、万全な議会対策を済ませる部署もあるが、議会と行政が馴れ合いを作ってはならない。本日の一般質問では、私の壇上での質問後に休憩が入った。
 以前の議会答弁のその後の顛末を聞いたところ、質問の予定に無いとの事であわてて答弁書を準備するための休憩だが、質問内容が通告してある中での質問だけに、当局の答弁後の約束が全く果たされていない証でもあり、その事を確認した上での質問だった。
 議長から「事前に通告していない」との指摘を受けたが、議会答弁後の顛末を答えられないとしたら、それは行政の議会軽視でもあり、議会答弁での一言の重みを改めて当局に問い続けたい。

                            9月9日の一言
医者嫌いと注射嫌い…
 台風も去り、当地方への被害もほとんど無かった事では、すがすがしい朝を迎えられた。
 ところが、議会の一般質問を明日に控えて、余裕で質問内容をまとめておきたいと思っていたが、早朝より市役所職員の訪問や連絡が続き、私自身の話好きもあって夕方まで過ごしてしまった。
 さて、と思ったら、大切な資料が見当たらない。昨日に読んで、中身はおおよそ把握はしているものの、無いとなると気になるものである。
 冷房のおかげで寒いくらいの一日を送っていたが、資料さがしでは大汗をかき、時間がかかったものの、結局は机の資料の裏側にあった。
 「なんだ、探さなきゃ良かった」と思うが、最近では年齢のせいか物忘れが多すぎる。50歳で年齢のせいにするとお叱りを受けるかも知れないが、テレビの影響で「ほかっておくと大変な事になりますよ」と家族には言われ放題でもある。
 胃ガンに肝臓ガン、脳卒中に心筋梗塞。テレビの症例がすべて自分にあてはまる。死ぬ時の原因は何か一つと思うが、それが判らないから余分な心配にもなる。
 市議会議員という立場にあって、議会だけで無く、自分の体で見本になって津島市の医療を変える事も可能とも思うが、その前に「医者嫌い」と「注射嫌い」を直さない事には始まらない。

                           9月8日の一言
大型台風接近中(議会の質問予告)…
 台風による被害が西日本各地より伝えられてくる。先週の台風16号の際には本年最大規模の台風と報じられていたが、今回の18号はそれを上回る勢力で、タンカーを港に沈め、トラックを強風で横転させて日本海を北上している。
 本日は、市議会の一般質問の通告日であるが、頑強な市役所内では台風の接近を忘れていたが、自宅に戻ってからは強風の過ぎ去るのを祈っている。
 又、朝には地震も起こり、東南海沖地震との関連が心配されていたが、一昨日のような地震が本日起きた場合には、地盤が緩んでいる当地方にも多大な被害をもたらすであろう。
 小中学校では、6月の台風で生徒を強風下で帰宅させた反省から、昨日より準備よく給食を無くし、早期の下校が生徒に伝えられていた。気象の予報が発達した現代では、予想を踏まえた対応が求められ、現実に実施されつつあると実感した。
 さて、議会の一般質問には11人が質問に立ち、私は6番目の質問が決まった。質問は3点で、津島市の医療と救急医療体制についてと、学校教育では開かれた学校運営と防犯防災対策と同時に施設のバリアフリー化を問う。関連して、公共トイレやエレベーター等の質問では、津島駅や青塚駅についても質問を予定している。
 予想では、9日の午後2時か3時頃になりそうである。機会があれば議会を直接傍聴されるか、ケーブルテレビでは中継もされますので、ご覧いただいてご意見を賜れば幸いでもあります。

                           9月7日の一言 
地震と台風に挟まれて…
 昨日の地震の大きさと揺れの長さに驚いて一言に書き入れたが、その後11時57分にも震度4の地震にみまわれた。
 最初の7時7分の地震発生後に記者会見した気象庁の担当者は、「東南海地震との関連は考えられない」と明快に答えていたものの、2度目の地震後には、「判断がつかない、経験した事のない状況」との考えを示し、今後の動向を見守る事しかできない現状が浮き彫りにされた。
 紀伊半島の東南100キロを震源地としているが、広範囲にまたがり人的被害も若干報告されている。
 津島市内でも、地震だけでなく大雨の影響も含めた被害と思われるが、道路と側溝の一部が崩れたとの情報を耳にした。
 さて、もし仮に、もっと大きな地震が起こった時に、我々はどうなるのであろうか。もしかすると、自然の驚異に身を任すしか総べはないのではなかろうか。
  自主防災との声を最近はよく耳にするが、行政だけの掛け声で、住民まで浸透していない現実を昨日二度の地震から痛感した。
 明日からは、先週に引き続き大型台風の影響を受けるようだ。まさに台風と秋雨前線の被害に浅間山の噴火が割って入り、地震も台風もやってくる。
  自然災害が連続する恐ろしい予感がするが、台風と満潮が重なり、その上に複数の地震が同時に起こったら、我々の地域はどうなるのか。自主防災を考えなおす良い機会になれば幸運でもある。

                          9月6日の一言
地震の揺れにびっくりの夜…
 久々に大きな地震にびっくりした一日となった。当地方では震度3との事だが、揺れの時間が長く、家族揃っての避難ははじめての経験ではないだろうか。
 血圧が高い自分にとっては、一瞬だが体の異常でフラフラしている錯覚にもみまわれた。 
 今回の地震は和歌山県を中心に、関西、四国、東海と広範囲に揺れが観測され、津波の観測も広範囲から報告されてきた。
 今年は台風や豪雨による洪水など、全国各地で自然災害の被害があり、1日の浅間山の噴火と併せて、防災対策の必要性を感じる地震ではないだろうか。
 震源地から国が心配する東海、南海、東南海との関連と同時に、地震については手の施しようがない事を痛感する体験ともなった。
 国の防災会議が心配する地震が到来した場合、いったい何ができるのであろうか。明日から市議会が開会するが、今夜の地震で予定していた一般質問の内容を変えざるを得ない心境になってきた。
 人間の命は何物にも代えようがない。今夜の地震の被害は判らないが、二時間近く経った現在でもテレビから津波情報が継続して流されている。私の頭もフラフラするのは気分の問題か風邪でもひいているためだろうか。

                            9月5日の一言 
合併は必要ないと岐阜大助教授…
 本日は朝9時から夜10時まで名古屋の一日となった。毎週土曜日は、愛知県の主催する「人にやさしい街づくり連続講座」が開かれており、裏方のサポーターという立場で参加している。
 昨日の一言で、市町村合併について記したが、本日の講師を勤められた、岐阜大学の山崎仁朗(やまざき きみあき)先生から、「日本は、元々自治体の単位が大きいので合併は必要ない。合併が進む事は、地域の力が無い証である」と市町村合併に否定的な意見が述べられた。
 合併に否定的な学者がある事から、合併が進まない津島市では、合併に否定的な学識者の意見も参考に、「今、何をすべきか」を考える事が重要である。
 山崎先生からは、合併論議を機に街がどうあるべきかを考えるとして、国の地方自治法が改正され、住民自治の強化等を目的とする「地域自治区」が創設された説明がなされた。
 地方分権を一歩すすめて、市町村の地域内分権をはかるのが「地域自治区」で、地域の意見をとりまとめて行政に反映し、住民が主体となって市町村の事務を分掌する事が、市町村独自の判断で条例化できるようになった。
 この実践例として、高浜市の福祉部長岸上善徳氏より、高浜流福祉でまちづくりと題して説明があった。「地域でできることは、地域でやってもらおう」の地域内分権の実践が高浜市では始まっている。
 心強いのは、高浜市や教育の先進地犬山市が、合併を目標にせず独自の街づくりを目指している事である。これは全国の先進地、例えば埼玉県志木市なども共通する事だが、今こそ住民の視点に立った住民協働の街づくりを先進地に学び、安全、安心、快適に住み続けられる居住環境の実現を目指したい。

                           9月4日の一言 
愛西市誕生に思う…
 隣接する2町2村が合併協定書に調印し、来年4月1日に「愛西市」が誕生する事が正式に決まった。
 海部郡では初めての合併で、今後東部3町の合併が決まると、残されたのは津島市のほか、弥富町、十四山村、飛島村、蟹江町、甚目寺町となる。
 津島市も、市長選の公約で「海部郡を一つに合併する」案が出されたものの、全く議論するまでに至らず、西部2町2村からも断られ、津島市独自での運営が続く。
 しかし、国からの補助金の削減は覚悟しても、私は西部2町2村(愛西市)との合併が実現しなかった事は、津島市の将来を考える時には何らマイナスにはならないと思っている。
 愛西市では、佐屋町役場を市庁舎にして、佐織町、立田村、八開村の役場はそのまま分庁舎として残し、議員58人全員を合併特例法で2年先の任期いっぱいまで市議会議員とする事が決まっている。この後の定数30も法定限度一杯であり、町と村の職員は全て残される。合併による街づくりや方向性は全く示されず、税金を節約する気持ちは微塵も感じられない。
 市役所と町役場の仕事や感覚にも大きな格差があるが、津島市と村役場との「対等合併」は他地域の例からも全く考えられず、愛西市が誕生しても市役所としての機能を発揮するまでには長い年月を必要とする。
 愛西市の合併調印が報じられてから、若者の発信するインターネット上で津島市と蟹江町の合併が議論されていた。
 将来において合併がどのように進むのかは判らないが、共通の目的意識を持った上での合併は、少なからず遠からず到来すると思われる。

                            9月3日の一言
浅間山噴火の降灰が相馬市まで…
 防災の日となる1日に長野県の浅間山が噴火した。中規模の爆発で、現在は小康状態との事であるが、噴火による降灰は、隣りの群馬県や栃木県を通り越して、260キロ離れた福島県相馬市まで達しており、今後の動向に注目したい。
 偶然にも防災の日と重なったが、1923年の9月1日には関東大震災が起こり、死者9万1802人、行方不明者4万2257人の被害が出ている。
 各地で防災訓練が実施されているが、93年7月に起こった北海道南西沖地震では奥尻島が津波の大被害を受け、95年1月に阪神大震災、三宅島の噴火と全島民避難から4年が経過している。
 しかし、ここ数年についても2000年(平成12年)に鳥取西部地震、翌年には芸予地震、3年後の3年には十勝沖地震、翌4年には宮城沖地震と、毎年のように地震が発生しているのである。
 先週に登った焼岳も活火山である。中腹から山頂にかけて多くの噴気口から蒸気が立ち昇っており、年々その量が増加しているのも気になる。
 台風や集中豪雨による水害に対する対策も当地方では重要だが、一瞬にして起こる地震対策も一定の周期があると言われ、当地方もその対策指定地域に入っている。
 阪神大震災では5千4百人を越す生命を奪い、3万5千人を越す負傷者を出した。地震発生が午前5時46分、地震発生から5時間以上経過した、午前10時55分に警察庁が発表した死者数は74人だった。被害状況の把握の遅れが、救助活動の遅れにもつながった。
 中央防災会議の専門部会では、東海地震、東南海地震、南海地震の3つが同時に起こると、2万8千人以上が死亡すると発表した。危機管理のあり方や防災対策について、当地方は全くの無策である。

                          9月2日の一言
視聴ありがとうございます…
 このホームページをご覧下さる方々は、一日に10人から15人である。全所帯に配布する会報「津島の風」と比較すれば極めて少なく、「時間をかけず適当にしろ」と言われる人々が多くあるのが正直なところです。
 しかし、僅かでも私の書き込みを期待して待っていただいている方がある事から、改めて内容のあるホームページを目指して頑張りたいと思いました。
 本日の掲示板を見たところ、私の9月議会の質問内容と日時を問い合せる内容が投稿されていました。ところが、投稿時間を見ると、昨夜に私が書き込んだ直後の投稿であり、私が9月議会の日程案内に一般質問の日時を漏らしていた事が判りました。
 決して手抜きをしていた訳ではありませんが、これが気の緩みなんでしょうか。毎日の一言にしても正直なところ「思い入れ」のある日もありますが、意味のない文章を書き連ねている日があります。
 読み手が判らないため、自分の一方的な書き込みと思っていましたが、最近は「ほっこり庵エド」さんの掲示板参加をいただき、昨日の投稿からもご覧いただく方々の存在を改めて感じました。
 こんな飾り気も無く、見栄えも悪いホームページですが、9月議会終了後には、写真の導入や、掲示板の細分化など今一度改善をしたいと思っています。
 改めてご覧いただく方々に感謝し、一日一度のスケジュールとして「津島の風」をご覧いただきますよう心よりお願いする次第です。

                            9月1日の一言
東京より親バカへの発信…
 東京より、心温まる話が届けられた。私の長男は、今年3月に東京の中央大学を7年生として卒業した。内定していた会社を断らせ、地元に戻したため不安定なアルバイト生活を続けてきたが、大学の先輩の紹介で大手企業への就職が内定し、9月に決まる勤務地にまたもや東京の影があり、再び私を悩ませている。
 息子は走り高跳びの選手としてスポーツ推薦で入学したが、ケガで競技生活を断念し、勉学に切り替えたものの、親の願望で難解な日本史学を専攻していたため、薄学の息子には苦労した末の卒業だった。
 そんな息子を、日本史中世学研究の第一人者で、歴史学を学ぶ者には著名なる「峰岸教授」が可愛がって指導していただいていたが、一年前に退職されてからの顛末は全く聞かされていなかった。
 そんな息子の顛末が雑誌より知らされてきた。
 息子の指導を引き継いだ「坂田教授」が「七年生O君の卒業とゼミの仲間」として書かれた文章であった。
 日本史の第一人者である峰岸教授が、何故に一番薄学の息子を親身に指導されたのかも不思議だったが、退職の唯一の心残りが息子だったらしく、後を託された坂田教授も親身になって指導していただいたが、教授の書かれた文章からは、ゼミの仲間達が息子の卒業に大いに関わった顛末が記されていた。
 稀に見る愚息と関わった坂田教授にも珍しい体験であったと思うが、息子の卒業を通して大学の人間関係形成の場として、学問を通してお互いが切磋琢磨するゼミの存在を改めて訴えた文章だった。
 たった一人の卒業から、多くの先生や学生仲間の存在を知らされ、自分も「高校五年生」だった事を忘れていた。人間は一人では生きられない。息子にも多くの仲間の存在がある事を親バカの私はまったく考えていなかった。

                          8月31日の一言
大型台風接近中…
 オリンピックが終わったら大型台風がやってきた。高校野球やインターハイも終わり、8月もまもなく終わろうとしているが、台風や自然災害の被害も今年は多い。
 台風16号は今朝9時半頃、鹿児島県に上陸し、多くの被害を出しながら現在は中国地方を通過中との事である。
 一週間前になるが、二つの台風の動向を見ながら上高地に出掛けた。しかし、いくら科学が発達した現在においても台風の正確な予測は難しい。
 テレビの報道からも、今回の台風が大型で広範囲での被害が伝わってくる。情報技術の発達により、確実に多くの情報が入手できるようになったが、自然災害に対する対策はその場になってからでは既に遅い。
 悪条件を重ねて、最悪の事態を想定した対策が行政には必要である。それでも、想定外の事故が起こってくる。又、自然災害は人間の想定以上の猛威を振るう事が、本日のニュースからも流れてくる。
 我家の現状を考えると、それ以前の状態で、判っていても何も対策がなされておらず、6月21日の台風についても「無策で運を天にまかせている」と記してあるが、自分の家ぐらいは「いつ何時でも大丈夫」にしておきたい。台風の接近を知りながら上高地に出掛けたノー天気な自分を反省している。

                        8月30日の一言
戦争を止めた女性たち…
 本日は名古屋のウィルあいちで開かれた「戦いを止めた女性たち」の上映会に参加してきた。
 このフィルムは、ジャーナリストの高嶋紀子さんが実際にグルジア共和国から持ち帰った作品で、内戦で傷つく息子達を二千人の女性が列車に乗ってスカーフを振って止めさせた実録映画である。
 高嶋さん自身のトークと解説を交えた映画会は、ほっこり庵エドこと、70歳の大川孝次さんがこの映画の存在を知り、自分が見たいという願望がもとで実現した。
 挨拶に立った大川さんは、「話すと涙が出てくるので書面にしてきました。ただ一言ありがとう」と語った。
 映画会終了後、高嶋さんの著書「地球のカケラ」にサインを貰いながら、「有難うございました」と言った私に、高嶋さんから「涙を堪えるのに必死でした」との言葉が返ってきた。
 仕掛け人の大川さんも、招かれた高嶋さんも涙、涙の作品であった。けっして映像的に優れた作品ではないが、実際に行動するグルジアの女性達が戦争を止めた場面が記録された貴重な作品である。
 日本でも国会議員が戦争へ派兵を容認する発言をしているが、肉親が傷つく事を望む国民は一人もいない。ましてや、自分の腹を痛めた息子を戦争に行かせたい女性は一人もいないはずである。
 男では限界のある平和的貢献も、女性なら可能と思わせる映画であった。男で平和が実現できないのなら、もっと多くの女性が社会進出を果たすべき必要も感じさせられた。
 本日の映画会の実現も、多分に女性の力があっての事と推察もするが、70歳で人の事を考える「ほっこり庵エド・大川孝次」にも大きなエールと拍手を送っていきたい。長生きして下さいよ。

                           8月29日の一言
88歳の現役会社員…
 上高地から帰った昨晩、貯まった仕事や資料を片付けていた夜の10時半頃の事である。コンコンと事務所のガラスを叩く音に振り向くと、口に人差し指を立てて、我家の西にある串カツ屋の方向を指してのお誘いであった。
 誘われたのは、88歳で現在も会社に勤めているIさんであった。いまだに現役で仕事に行く事は驚異である。しかも、健康でとても88歳とは思えない。
 アテネオリンピックを見物に行ってきた事が話題になり、日本人らしさが話題になった。しかし、私としてはIさんを雇用する会社の方が関心の的になった。
 高齢を理由にして会社を辞めさせる時の顛末は、相手が88歳の経験を有するだけにゴマカシは利かない。
 「監督する役所から辞めさせるよう言われたから」と言われ、職安に問い合せると、役所からは高齢を理由にした退職を勧告しない事が判ってからの会社との交渉は一見の価値がある。
 海軍の生き残りでもある。88歳とは信じられない記憶力と発せられる言葉からは「まだまだ現役」との意欲を感じた。
 午前0時を回り、そろそろ帰ろうかとした矢先の事だ。後片付けのためホウキを手にした店員に88歳が吠えた。
 「まだお客が残っているのに掃除を始めるとは何事だ」、「まあまぁ(私)」、「店長を呼んでくれ」、宥める私に、「商売は信用が第一だ」と言って、店長に商売のイロハを語って席を立った。
 周りのお客への迷惑を考えた私に対して、隣りの若い女性客から「よく言ってくれた」とIさんへエールが起こった。
 
                            8月28日の一言
上高地での私のこだわり…
 4日間の上高地での夏季休暇が終わって帰ってきました。留守中にもホームページをご覧いただいた方々には申し訳ありませんでしたが、本日より頭を切り替えて頑張りますので、飽きずにご覧くださるようお願い致します。
 上高地での4日間は非常に短く、あっと言う間に過ぎ去りました。議員になって6回目の上高地ですが、今回は家族5名(母、妹、妻、三男と私)と、ご夫婦1組と、男二人の9名でのグループでの休暇でしたが、それぞれのペースで各地を散策しました。
 私はこだわりの場所が3ヶ所ありました。1ヶ所は丹生川村の知人で、岩魚や虹鱒の養魚場を営むFさんとの再会でした。と言っても、年に何度も訪問しており、今年も7月に会っているのですが、私と夢を語る人で素通りは許されません。
 2ヶ所目は家族共通の印のある焼岳への登山でした。これも大変です。
 3つ目は写真です。その日の朝4時半から、一番目に真っ暗な河童橋に座り、薄明るくなるのを待ち、必ず決められた場所に出向いて行きます。今回は3日目に実現しましたが、期待する写真は撮れませんでした。
 同じ事を続けていても、天候だけは自由になりません。4日間とも快晴でしたが、私が希望する写真は前日が終日雨で、その日が全く最高の快晴で、しかも朝霧が立ち込めないと撮影できません。又、次回の挑戦です。
 上高地の魅力は、自分の体力以上は行動出来ない事にあります。何所に行くにも歩くしかありません。行動の限界と計画と、家族と言えども立ち入らせない自分のこだわりをもって出かけています。もう一つ「自分のこだわり」がありますが、これは私だけの秘密にしてあります。

                           8月27日の一言
上高地の3日目…
 朝4時半に起床し河童橋へ向かう。周りは真っ暗で、知り尽くした道ではあるが懐中電灯なしでは歩けない。
 河童橋は、朝露でしっとりと湿り、支えるワイヤーには水滴が垂れる。本日一番目の私の登場を静かに待っていた河童橋だが、一足ごとに大きくゆれて歓迎しているようだ。
 薄暗い橋に一人座り、霧に霞む焼岳を眺めるうちに背後に人の影を感じると、続けて一人、二人と人の気配が続きだした。
 薄暗い北アルプス穂高連峰の真中に、山小屋の灯りが赤々と輝いて見える。岳沢ヒュッテに手が届きそうで明るく眩しいほどに輝いている。
 右手の徳沢方面が白みかけると、小梨平から立ち昇る朝もやで幻想的な上高地劇場の舞台が登場する。そして、薄暗い上高地とは別世界のような真上の真っ青な空に、ジェット機の作った飛行機雲が音もなくまっすぐに延びる。
 橋を支える太いワイヤーに触ると、真冬のような冷たさが伝わり、昼間は堅く力強い橋の木肌が露を含んで柔らかく手にまとわりつく。
 さて、ここからが忙しくなる。上高地の日の出は、太陽の光が下から射しかける。明神岳と六百山の谷間の徳沢・明神方面から朝日がさしてくる。
 焼岳の山頂が赤く染まり、奥穂高岳と西穂高岳の頂きが白く輝くと、上高地の朝が始まる。一番を目指して飛んでくるマガモ。朝もやに混じり登山客の炊く薪の煙が立ち昇る頃には、遥か遠方に一斉に聞こえるバスやタクシーの轟音。
 私の好きな上高地はここまで。これから夕方までは別の表情の上高地が始まる。私もその中の一人となって河童橋を歩いていく。その時は、朝の主役であったはずの梓川のささやきは聞こえない。

                          8月26日の一言
上高地の2日目…
 前日の午後、安房トンネルの入り口付近は前も見えない程の大雨で、上高地入りを相談した程であったが、本日は予想どおりの快晴となった。
 Aさん夫婦は大正池に出向いて、帝国ホテルでケーキセットの珈琲を飲んできたと言う。帰りはタクシーに乗って帰宅した豪華な一日。
 私の母と三男とWさんは、明神池まで足を延ばして帰ってきた。
 私は、妻と妹とKさんの4人で焼岳へ登った。毎年の事とは言え、年々体力が衰え負担になるので、それぞれのペースで行動する事にした。
 上高地へは観光バスが車列をつくり、日帰りの観光客が騒がしく歩きまわるが、日帰りでは上高地の魅力は味わえない。ましてや、集団行動ではおしゃべりで上高地そのものが見えてこない。
 焼岳から北アルプスの山々や大正池を眺めてから下山した午後5時には、団体の観光客も去り、静寂に包まれていた。
 焼岳には、私の家族しか知らない場所がある。最初の始まりは昭和50年の春の事だから30年近くの歳月が経過した。人間の一生は大自然の歴史からすればわずかなものだが、生きていれば年月を刻む。
 本日の夕食は、河童橋で集合してホテルのディナーとの事であったが、一日中歩き廻った体は簡単な物しか受け付けず、あわてて風呂へ走った。
 前日は野外でのバーベキューで、遅くまで盛り上がり、特別に用意した酒もあったようだが、私は連日の寝不足で早々と寝てしまい、本日は元気だが、今夜は皆が疲れて早々と寝床についた。

                            8月25日の一言
番犬と台風を気にする旅立ち…
 本日より4日間は上高地での休暇に入ります。上高地の標高は1千5百メートルで温度は約10度低く、これからは初秋への模様替えが始まります。
 しかし、本年は台風が多く、本日も台風の動向を気遣いつつ雨を覚悟の旅立ちとなりました。雨の北アルプスの眺めは意外に力強く、見る価値もありますが、我々の行動には制限があります。
 議員になって毎年決まった上高地行きですが、釣りを楽しみにしている息子や、温泉を期待するカミさんの雑音が苦になる休暇になりそうです。それぞれ個々が違う考えで上高地に向かうため、一人でゆっくりしたい私と家族では大きな温度差があり、本日は早朝より準備を巡って大騒動で、夫婦は鬼の形相での出発です。
 上高地には、私たち家族しか知らないポイントが数ヶ所残されています。若き学生時代に残したポイントが、まったく当時と同じく残されています。実は上高地の裏側の岐阜県側にも残されていますが、当時は岐阜県側から西穂高岳を経由して上高地に入りました。
 今は焼岳のみの登山となりましたが、それでも年々苦しい足どりになってきました。
 さて、昨年からは、人間と勘違いしている番犬の存在が大きくなりました。朝と夜の散歩と食事の世話は、家に残る長男と次男の仕事ですが、カミさんの心配は散歩中に飛び出すカエルにもびっくりする小心者の番犬である。
 台風の動向(何とか救われそうかナ)と並んで、番犬の様子も気になる夏休みの旅立ちとなった。

                            8月24日の一言
地球温暖化防止のために…
 オリンピックの影響で、高校野球が知らぬ間に終わってしまったと思うのは自分だけか。北海道から優勝校が出たのは高校野球史上初との事で、その原因として温暖の地での合宿や施設が紹介される一方で、近年の地球温暖化現象による練習環境の変化も指摘されていた。
 11月から4月まで雪に閉ざされていた北海道の人々にとっては、地球温暖化現象もありがたく思われているのかもしれない。
 しかし、東京をはじめとする大都市ではヒートアイランド現象が深刻な問題になっており、北極や南極の氷河が凍解して海面が上昇するなど、地球規模でも温暖化が共通の問題になっている。
 日本のシンボルである富士山でも、山頂付近の永久凍土が溶け出して、雪のかぶる姿が見えなくなり問題になってきた。
 東京では市民総出の打ち水による温度を下げる実験も実施され、確実な成果が報告されてきた。我家のトイレも西日を浴びるため、夏場は毎年苦労してきたが、昨年からはヒマワリに似た花を植えた効果から、本年は雑草のつる草が窓を覆っており確実な効果を上げている。
 電気屋の安い宣伝に誤魔化され、個人は快適な生活を送る事も可能だが、地球温暖化の影響が確実に身近な生活に及ぶようになってきた。家の前の県道に茂る雑草を、「見苦しいから刈れ」という意見をよく耳にするが、雑草と言えども地球に不必要な物は存在せず、地球温暖化防止のために頑張って立っているのかも知れない。

                           8月23日の一言
同窓会総会で「来年も呼んでね」…
 本日は一年に一度の母校「神守中学校」同窓会総会と物故者法要が開催された。毎年の通例行事であるが、役員会でも人が寄らず、会長職を譲ろうにも譲る人がないのが現状である。(議員だから9年も居座っているのではありません)
 会長の仕事は、年一回発行される会報に掲載されるスポンサー企業や商店への挨拶廻りと集金、そして原稿集めであり、掲載ミスがあれば謝りに出向く事も会長の仕事である。
 本年は不景気の影響もあり、スポンサーの断りも多く、その補充にも頭を下げてお願いに廻る事になった。こんな姿を見ている役員は、「いつまでもやっていられない」と役員から抜ける事ばかりを考えるので引止めに神経を使うが、結局は仕事を理由に欠席されてしまう。
 こんな状態だから、総会が近づくのが恐ろしい。招待した先生ばかりで、卒業生が数人の総会だけは情けない。
 しかし、本年は嬉しい悲鳴でした。事前に声をかけた先輩や恩師の先生からの働きかけで42名の参加者があり、物故者の記名も大幅に増えました。わずか数人の働きかけでこれだけの人数が集まり、恩師の先生方も再会を楽しみにしておられる。「来年はもっと盛大に」と思ったものの、現実は厳しい。
 思わぬ参加者に、総会の飲料水が足りず買いに走り、昼食会場の支払いも予算不足で後払いのお願いである。その資金も役員で廻るスポンサーが頼りで、この後残った集金へ走る仕事が残っている。
 それでも同窓会の集める資金は大きく、ここ数年毎年学校に寄贈を続け、積立金も高額残している。総会参加者の当日カンパでは生徒のクラブ活動支援基金も集めている。
 「来年も呼んでね」と別れ際に大先輩のご婦人から一言。昨日の宝塚観劇もそうだが、同窓会の新しい可能性を考えて裾野を広げ、喜んで会長職を希望されるように頑張ってみたい。

                           8月22日の一言
宝塚に縫いぐるみを持つオジサン…
 本日は宝塚歌劇団花組公演を鑑賞に出掛けた。花組には、津島市出身の「夕霧らい」ちゃんが所属しており、神守中学校の卒業生である事から地域で応援を兼ねた鑑賞であった。
 宝塚歌劇は「すばらしい」の一語に尽きる。舞台を走り回り、息も切らせず唄いあげる。踊りながらの発声も途切れない。
 舞台の変化も次から次へと連続し、寸分狂わぬ人の流れが続く。これだけの公演に費やされた準備と稽古はどれくらいか想像がつかない。
 夕霧らいちゃんは現在23才。生存競争の厳しい宝塚歌劇団でも、将来を期待される存在であるが、パンフレットに名前も掲載されないほど前途は長い。いずれかはトップスターになってくれる期待を込めての観劇だった。
 しかし、同級生の存在は有り難い。多くの劇団員から彼女を見つけ出し、「右から3番目」と耳打ちをもらった。一同みんなでいっせいに手を振る。彼女も反応してかすかにうなづくから応援団は絶好調。3時間のステージはあっという間に経過した。
 ところで、日本はおかしな国になっている事を宝塚からも発見する。まるで宝塚のスターと勘違いしているような衣装と髪型のオバサンも入場口に並ぶ。極めつけは、丸首シャツ(下着)一枚のおじさん(私より若い)が休憩中の通路を歩く。その手には犬か猫か、正体不明のぬいぐるみを抱えている。開演後の暗い劇場を、そのおじさんが腰をかがめて左の入り口から入って徘徊し、席にも着かずに右の出口から姿を消した。背広に革靴を履かせ、ポマードを付けたような髪型の子供をつれた両親。
 寸分狂わぬ舞台だけに、アンバランスな存在も際立って見えた。

                         16年8月21日の一言
自国エゴより国際標準…
 高校野球も優勝が手に届くところまで進みました。愛知の中京大中京もベスト4は逃しましたが大健闘しました。
 欲を言えば、最後の試合は8回のノーアウト1.3塁で、バントを使えば勝っていたと思います。しかし、現実は負けました。愛知県の決勝戦で、昨秋全国優勝、春準優勝の愛工大名電が敗れました。欲を言えば、実力では勝っており、甲子園に出してやりたかった。
 欲を言い出すとキリがありません。オリンピックでも実力どおり金メダルを取る選手もあれば、負けてガッカリさせる選手もあります。
 オリンピックはとかく日本の勝利にこだわります。テレビを見ると、金メダルをとった試合を何度も何日も繰り返し、見る方をうんざりさせます。
 せっかく世界中のトップクラスの選手が集まるのですから、日本のメダルにこだわらず放映してもらいたい。日本が柔道でメダルを取っても珍しい事ではありません。野球に関しては大リーグ選手の出場しない金メダルでは世界一ではありません。陸上もいくら入賞しても世界何位とかにはなりません。
 そんな事より、良い試合や競技を放映してもらいたい。日本の北島選手は優勝候補で金メダルを獲得したが、それ以上にオーストラリアのイアン・ソープ選手には世界中の注目が集まっていました。
 かつての地域エゴが、国単位でのエゴになっているだけです。民放もNHKに対抗して放送するは良いが、全社合同は味気ない。各社が競技別に放映するなど多種多様で視聴者に選択させるべきでしょう。初日の金メダル谷亮子の顔が本日も放映されていたが、いつまでも感想を求めるより、最新の良い試合が見たい。
 オリンピックと平行して国内では高校野球、アメリカでは大リーグ、毎週末はF1レースが開催されている。限られたスペースでの情報選択が課題になっています。

                            8月20日の一言
海部郡南部の合併破談…
 昨日開催された海部南部3町村(蟹江町、弥富町、十四山村)の法定合併協議会で合併協議会の解散が全会一致で可決された。
 この問題では、新しい市の名称を巡って以前から混乱が続いていた。新しい市役所の場所を弥富町にする事にも蟹江町から異論があり、中間地点の十四山村を希望したものの、当の十四山村が弥富町を希望したため弥富町へ市役所を置く事が決まっていた。
 名称を巡っても「弥富市」が協議会の大勢を占めたものの、可決するまでには至らなかった。
 しかし、何故に弥富町は「弥富市」の名前に固執したのか、その真意がはっきりしないが、弥富の名称に拘らなくとも合併は決まらなかったとの観測もある。
 2町1村の合併は対等の条件で進められてきたが、人口は蟹江、弥富が3万7千人前後で同数だが、十四山は5千778人と少ないため、発言権はあっても決定権はなく、弥富追随から弥富主導の流れになりつつあり、蟹江町の反発が続いていた。
 外野の無責任な感想は、名古屋市に隣接する蟹江町の「都市型」志向と、三重県と接する弥富町とでは住民の感覚も全く違う。行政の国の補助金目当ての合併では住民にとって理想となる街づくりは達成できない。
 今回の協議会の進行を見て、封建的で権力志向の強い弥富町長の姿から、全く違う歴史と伝統を一つにする事の難しさと同時に、行政主導の合併では限界がある事も痛感した。隣りで静観する飛島村が偉大に思える合併茶番劇でもあった。

                           8月19日の一言
胃の再検査を受けて…
 本日は朝一番から胃カメラによる胃の再検診を受けた。胃カメラもそれぞれ個人差があり、「何とも無かった」と簡単に話せる人もあるが、私にはやっぱり大変苦しい検査となる。
 とにかく喉を通過する際に吐き気に襲われ、検査中に何度も吐き気と同時に呼吸困難が繰り替えす。それでも前回よりは楽だった事から、前回の苦しさは尋常では無かったと改めて思った。
 病は気からとはよく聞く言葉であるが、胃の表面が荒れており、看護婦さんから「仕事柄ストレスが溜まりますか」と問われたものの、自覚症状は全く無い事から、胃がんの家系かもしれず今後の注意を考えたい。検査は終わったものの、体半分は病人の心境になっている。
 16日に訪問した大徳寺塔頭瑞峯院の住職の法話の中に、「自分の体と思っているが体の中まで自由に動かせない、つまり自分の体は自分のものでは無い。借り物の体だから手入れをして大切にしなさい」という話があった。
 検査でこれだけ大変な患者だから、手術となったら大変である。そうならないように、適度の運動とバランスのとれた食事を腹八分目。腹を立てず心静に…
 と言っている矢先に妻の電話応対を聞き、「適当な事言ってはいかんぞ」と大声を出して怒っている。これではダメとは判っているが、性分だけは簡単には直らない。

                           8月18日の一言
京都再認識の一日…
 昨日は京都まで送り火の鑑賞にマイクロバスを走らせた。あいにくと、車にカーナビが付いていなかった事から大変な一日が予感させられたが、四国から西国、坂東、秩父と多くの巡礼地を廻ってきた事から、余裕の運転となった。
 しかし、今までの旅行には必ずカーナビが搭載されており、目的地の名前か電話番号さえ記録しておけば、勝手に案内してくれたが、昨日は久々に頭を使う事となった。
 無責任なのか責任放棄か、助手席に地図係りとして座ったW君。肝心な場所になると、暫し沈黙。何もしゃべらない。結局は信号待ちに地図を眺め、昔の頭を働かせ、苦労して目的地に到着する。間違った道を教えると自分に責任が及ぶための沈黙は、私の性格を知り尽くした上での行動で、「あんた、京都は詳しいもん」が口癖。心中、「この役立たずが」と叫びながらも辛抱の一日となった。
 しかし、お陰で京都を再認識と再確認する事ができた。また、決して急がず、目的地でも多くの時間をとったにもかかわらず、目的地に早く到着し、例年より一時間以上遅く京都を後にしたものの、帰った時間は例年と同じ。しかも、ほとんどが玄関横付けの帰着である。
 結局は旅行社やバス会社の常識に惑わされている。昨日は旅行社の立てる行程より一時間早く到着し、目的地に一時間余分に立ち寄り、二時間分得をした勘定になる。
 蛇足だが、大徳寺門前の細見酒店では安酒を4種買ったものの、「雪紫」の大吟醸を1本土産に貰ってしまった。私はこの酒店には年末と盆に必ず立ち寄ってはいるが、全く損をさせてしまった。遠い酒店だが、京都に行かれた際にぜひ立ち寄って頂きたい店として宣伝してお許しを願いたい。

                           8月17日の一言
胃が痛む送り火の日…
 6月議会の報告を兼ねた会報「津島の風21号」は昨日で配布を終えた。しかし、前回発行20号の半分も配布できず、手抜きを認めざるをえない。
 実は昨年もそうだった。全く同じ時期に神守中学校の同窓会報が発行されるためもあるが、原因は天候不順と夏の暑さにある。
 と言っているうちに夏が終わってしまいそうな、時間の経過の早さを痛感している。本年はオリンピックが始まった事で、夏の風物詩「高校野球」も影が薄く、夏の経過がなおさら早そうでもある。
 8月が終われば残りは4ヶ月を残すのみとなる。昨日立ち寄った矢合観音の小玉食堂の親父さんは58才で亡くなったと聞いた。同時期に私の父は65才で亡くなった。同行したW君の母親は55才だったと言う。もっともW君の父親は80過ぎまで健在だった。
 我々はまだ母親が健在だが、寿命だけは判らない。18日に予定されている胃カメラの検査を控えて、本日は京都に行く。16日の大文字送り火行きは平成3年から始まり、本年で14回目となった。毎年同じ繰り返しの中で、確実に年齢だけは重ね、体力も低下している。再検査を宣言されてから、今まで何とも無かった胃が痛んできた。
 「それだけ太っているから大丈夫」と元気づけられるのも悲しいものがある。さて、と考え込んでいると元気が無くなる。こんな気持ちでいると、パソコンも動かなくなり段々暗くなってくる。送り火を眺める心境も毎年違う事を実感して出発する。

                            8月16日の一言
敗戦から59年目の平和…
 59年目の終戦記念日を迎えた。来年で60年となるが、私はあえて「敗戦記念日」と伝えたい。
 全国各地で平和のための式典が営まれているが、59年も経過すれば形骸化し、戦争の反省が忘れられつつある。
 本日も複数の閣僚が靖国神社に参拝しているが、まったく戦争を経験した事のない閣僚には、どんな気持ちで参拝したのかじっくりと語ってもらいたい。
 靖国神社への参拝には、中国をはじめ近隣の戦争被害国が反発している。果たして戦死した人々は靖国神社に御霊があるのかどうかも判らないが、少なくとも戦争を中立な目で見たとき、多くの戦死者を出した戦争責任が求められる人物が存在してくる。
 日本の敗戦が濃厚になった時にも、1億玉砕本土決戦を叫んでいた人物達である。いわゆる戦争犯罪人でもある人物が、国民の知らないうちに靖国神社に合祀されている。近隣諸国の反発もここにある。
 戦死した人々の声を聞くことは出来ないが、少なくとも敗戦が確実視できた人物からの出撃命令による戦死者は口惜しい筈である。現実に出撃を希望したにもかかわらず、上官から「無駄死にするな」と止められ生き残った人々の証言も多くある。
 地球から戦争が何故なくならないのだろうか。その原因を考える時、政治権力者の存在を避けて語る事はできない。引退した自民党の野中さんは、自身の戦争体験から平和を訴えていた。戦争を知らない政治家の動向には注意したい。
 
                           8月15日の一言
芦原温泉でも水道水…
 長野県の白骨温泉で温泉に着色剤を使用していた問題は、田中知事自身が立ち入り調査に出向くなど、大きな事件になった。
 しかし、それ以上に悪質な、水道水や井戸水を沸かして温泉として表示していた温泉が続出している。
 群馬県「水上温泉」や「伊香保温泉」では、宿泊施設が水道水を沸かして温泉表示をしていた。山梨県「石和温泉」も地下水を沸かしていた。
 本日の新聞では、福井県の「芦原温泉」でも水道水を使って温泉と表示していた事が報じられてきた。
 ここまでくると、温泉の源泉と配管を直接確認しないとホテルや旅館は信用できなくなってくる。それでも6月に宿泊した別所温泉の老舗旅館は、客室が異様な臭いに包まれていたが、本物の温泉には独特の臭いが染み付いている。
 一方で、温泉ブームを前に閉鎖された名湯もある。瑞浪市には以前ラジウム温泉の湯治場があったが、利用客の減少で閉鎖されてしまった。金の亡者でもないと存続も難しい。
 いまどき何処でも温泉が掘られている。宿泊して一番嫌な事は、料金の精算時に温泉の入湯税を追加される事である。風呂嫌いの私は酔っ払って温泉に入っていないのに入湯税を取られた事がある。とにかく観光客はカモにされる事が多い。

                         8月14日の一言
プロ野球のストライキ権確立…
 近鉄とオリックスとの合併問題で、一リーグへの再編も含めて混乱する中で、プロ野球選手会は労働組合として合併凍結を求めてストライキ権の確立を宣言した。
 当面はストライキを背景にして交渉にあたるが、16日と23日に開かれる12球団代表者会議などの動向を見ながら、実施する場合は9月8日のオーナー会議前後になると言われている。
 12球団のオーナー達が選手の存在を無視して勝手に進めてきた合併再編問題は、ストライキ権の行使も辞さない選手会の動きによってどうなるのか見ものである。
 
 「たかが選手ごとき」と発言した、読売巨人軍の渡辺オーナーの選手獲得に対する不正が発覚し、退任する事が発表された。「たかがオーナーごときが」と反論したいが、たかがオーナーの本業は読売新聞グループ本社の会長である。新聞は公平中立の報道をすべきだが、一雇われオーナーの発言に誰として異論を唱えないのは何故か。普通常識では「問題発言」で企業のイメージを損ねたトップには責任問題となる。ジャーナリストとしての常識も読売新聞の記者達は持ち合わせていないのかと疑問に思う。
 プロ野球選手会には納得いくまでとことん議論をし、納得できない事態には堂々とストライキをするべきである。プロ野球は選手が歴史を作ってきたし、金儲けしか考えないオーナー達に屈してはならない。

                            8月13日の一言
絶対に告知してくれ…
 2日前に彦坂外科で「がん検診」の結果を聞いた。保健センターで受けている成人病予防個別指導の検査を13日までに済ませるための来院であったが、以前受けたガン検診の結果を聞く事となった。
 「大鹿さん、ウーン、肺がんは異常無しだけど、……、胃がん検診がネ」と、バリューム検査のフイルムが表示されだした。
 「昨年と変わらないから、私は良いと思うんだけど。しかし、他の先生達が再検査した方が良いと言ってきたから」との説明。
 私は検査をすると胃の出口付近と十二指腸の間に影が映る。4年前に胃カメラで検査したところ、かつての潰瘍の痕である事が判った。この写真を見た若い先生が「5年は大丈夫」と言った事から安心していたが、ついに引っかかった。
 「盆休みに入るから、明日胃カメラをやろうか」と先生。
 「ちょっ、ちょっと待って下さい」、「都合悪いの」、「いえいえ、心の準備ができていないから」、「早くやって安心した方が良いよ」、「先生、本当は悪いんですか」などのやりとりの後、18日に検査する事が決まった。
 人は決まって「大丈夫だわ」と言うが、心配性だから「悪かったらどうしようか」と先走って考えてしまう。11年前にガンで亡くなった父親の最後を思い出し、告知しなかった事が話題になった。
 「絶対知っていたと思う」、「いや、意外に当事者は解からない」などと会話するうちに、「絶対に告知してくれよ」とガン患者の心境になってきた。家族や子供達は冗談半分だが、本人には重大事件である。
 
                          8月12日の一言
身勝手なUFJ銀行を許すな…
 UFJ銀行と東京三菱銀行との合併問題で、信託部門の合併に住友信託銀行が統合の指し止めを求めていた問題は、東京高裁が東京地裁の判断を取り消し、UFJ銀行と三菱東京銀行の交渉を認める判断を示した。
 しかし、この判断には当事者の住友信託銀行のみならず、私もUFJ銀行の利用停止を市民に訴えて異議を唱えたい。
 UFJ銀行は顧客から預かった預金を正しく運用せず、多額の不良債権を抱えて生き残る手段として三菱東京銀行との合併をすすめた。ところが、その前に信託部門では住友信託銀行との合併統合が決定しており、後からの身勝手な話は信用を第一とする銀行のとるべき行為として断じて許してはならない。
 東京高裁の「住友信託とUFJとの信頼関係は既に破綻している」との判断は、身勝手な合併話に差し止めを求めた結果であり、このまま済ませば「世の中何でもあり」で結果が良ければ何でも許される前例となる。
 本来であれば、UFJ銀行は三菱東京銀行と合併の交渉に入る前に、住友信託銀行にわびを入れ、合併を破棄すべきであった。相手を騙して両天秤をかけていた行為は商道徳からはずれ、住友信託にも大きな損害を与え、頭も下げずに裁判所に抗告するやり方はヤクザの世界より酷い。
 合併後は世界一の銀行になると言うが、自分の事しか考えていない銀行に預金しても顧客は吸い取られるだけであり、サービスどころか困った時の救いにもならない。今回の一件から、UFJ銀行の口座には金を振り込まず、預金を他の銀行に移す運動を展開したい。(とは言ったものの、預金はほとんど無い状態だが)

                            8月11日の一言
他人事ではないぞ…
 福井県美浜原子力発電所で事故があり死傷者が出た。奇しくも長崎に原爆が投下された日の事故だけに、改めて核兵器だけで無く、原子力や核融合など核そのものの運用にも改めて注意を促したい。
 電力会社では、今でも尚、原子力発電の必要性をPRしているが、世界の情勢は原子力発電からの撤退が続いており、日本の化学と技術力から原子力発電からの転化を図るべきと思われる。
 トヨタ自動車のハイブリッド車は、ガソリンと自己発電を併用し燃費を倍以上に延ばした。電気の発電についても、自然を利用した風力発電や、太陽光発電の技術が飛躍的に進歩している。
 太陽光発電では家庭の全ての電力を賄えないと言うが、半分までは賄える能力が実証されている。これに対して、初期の設備投資に大金がかかるために現状の電気で十分と言う意見を多く耳にする。
 この大きな間違いは、大きな権力と利権を守りたい電力会社に利用されているのかも知れない。
 太陽光発電には国の補助金が出る事もあるが、大量の需要が見込めれば、設備投資も低くなってくる。それよりも、現在の電力には石油等の資源が必要だが、風力や太陽光は全く何も必要としない点で有効である。
 地球温暖化だけでなく、イラクや日中の国境線にも資源がからんでいる事を考える時、国を挙げて自然からの電力供給を考えるべきである。
 こんな大そうな事を言ったところで、受診した胃がん検診で異常が見つかり、胃カメラを飲む事が決まった。自分の体の中すら判らないと思うと情け無いが、自分の健康が一番大切でもある。

                              8月10日の一言
映画「長崎の子」に感動の深夜…
 長崎に原爆が投下されて59年が経過した。昭和20年8月9日の午前11時2分、米軍機から投下された原子爆弾は長崎の上空500メートルで炸裂し、死者7万4千人、負傷者7万5千人の犠牲をだし、町を焼き尽くした。
 日本しか経験した事のない原子爆弾の被害は、その後の戦争に使用されない事からも、いかに残酷な被害を出したかがうかがい知れる。日本は被爆体験国として、世界に核兵器の廃絶を訴えていかなければならない。
 本日早朝(深夜)のNHKテレビでは、長崎の原爆投下直後の姿を撮影した一人の写真家が残したフイルムを再生しながら、「長崎映像の証言・よみがえる115枚のネガ」として当時の写真に写されて現存する人の証言から当時の状況を再現した。
 その後に映画「長崎の子」が放映された。爆心地から700メートルにある山里小学校では、1500人の児童のうち1300人が死亡した。生き残った児童37人の手記をもとに「原子雲の下に生きて」が出版され、この文集に感動した映画監督「樋口源一郎」によって、昭和25年に制作されたのが「長崎の子」である。
 両親を亡くし、一人の祖母と生活する少年が、学校が終わると急いで家に帰り、祖母が一日かけて取ってきたアサリを街に売りにでる。帰ってから食事をとり、祖母が繕いをして、少年は勉強する姿の中で、時々思い出す母親の影や、戦争の思い出から二度と戦争を起こしてはならない平和への願いが込められた映画である。
 子供が高齢の親を捨てて、家族それぞれが勝手に行動する現代社会の中で、我々が忘れてはならない日本の原風景を見た気がする。

                            8月9日の一言
田端義夫の歌声を聞いて…
 昨日の事になるが、名古屋から帰る車中のNHKラジオから歌手の田端義夫の歌声が聞こえてきた。名古屋市の公会堂の前からの生中継だったが、昭和13年に名古屋のアマチュア歌謡コンクールに優勝してプロになった田端さんだけに、当時と変わらぬ公会堂前からの歌声には感激して聞き入った。
 ちなみに、この時の大会には越津町こがねのTさんも出場されておる。田端義夫が大正8年生れで85歳、Tさんは9年生れである。
 昨日唄われた「かえり船」は、昭和21年の歌であるが、戦友や故国を偲んで唄ったとの話を聞いた後だけに自然と涙が頬をつたってきた。
   波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船 
      霞(かす)む故国よ 小島の沖じゃ 夢もわびしく よみがえる
   捨てた未練が 未練となって 今も昔の 切なさよ
      瞼(まぶた)あわせりゃ 瞼にしみる 霧の波止場の 銅鑼(どら)の音
   熱い涙も 故国に着けば 嬉し涙と 変るだろ
      鴎(かもめ)ゆくなら 男のこころ せめてあの娘(こ)に 伝えてよ
 私は鶴田浩二の大ファンであるが、鶴田浩二が曲を借りて唄った田端義夫も大好きである。ちなみに、鶴田浩二は大正13年12月6日生れ。昭和62年6月16日に62歳で永眠している。田端義夫は平成7年より日本歌手協会の会長をつとめている。本日になって、雨中で唄う姿を想像し、車を走らせれば良かったと少し後悔している。

                            8月8日の一言
街づくりへの市民参加…
 本日の「人にやさしい街づくり」連続講座では、「まちを変える」のテーマでまちづくりとものづくりのしくみについて学習した。
 三重大学の浅野聡助教授から、まちづくりの基礎知識から、都市計画策定の順序やしくみを学び、市民参加型のまちづくりについて提言をもらい、その実践例として犬山市が「楽田ふれあいセンター」を市民のワークショップによって計画から完成させ、維持している実践レポートの発表があった。
 グループ討議に入ると、理想と現実の違いが多く出され、行政と住民の壁の厚さを実感する発言が続いた。
 街づくりへ市民が参加する仕組みが出来ておらず、発言する機会も無く、住民側も名古屋市の情報は関心があっても、自分の現住所の現状がまったく判っていないなどの現状について話し合った。又、常滑市の例として「空港反対」を訴えたら、行政が何も意見を聞かないばかりか、情報も提供されなくなった実例等が出された。
 津島市も住民に説明会を開く時は、反対が許されない状況になってからであり、計画の策定段階からの住民参加はまったく無い。ゴミ問題についても住民協働として新聞等にも報じられているが、基本的な土台からの参画では無く行政に利用されている面もある。
 自分達の街づくりを自分達で進めていくには、都市計画や福祉計画等についても素案を作成する時点から住民を交えたワークショップが必要である。いつまでも住み続けたい街は行政まかせでは無く、住民が発言し作りあげなければならない。

                             8月7日の一言
議員の葬儀参列について…
 世の中には嫌な事が次々と降って湧いてくる。しかし、一つひとつ、体当たりで解決するほかには何も方法が無い。
 一人で考えているとどうしようもなく思える事が、他人の一言で救われる事は意外に多いものである。気休めでも知人の存在が有り難く、心強くもある。
 昨日、同じ町内の同級生の母親が亡くなり、本日は遅れてではあったが通夜に出掛けた。焼香を済ませて話していると、「おい、〇×町の議員の名前は何だったか」と喪主に聞かれた。まったく会った事もない議員の弔問を受けて対応に困って問われた。
 家が葬儀場に近いため、葬儀の度に顔を出しているらしい。しかし、議員の葬儀への参列については問題も多い。葬儀は誰でも参列が可能だが、まったく知らない人の葬儀に参列する事は、議員にとっては「市民を一緒に送る」とは言えども、自分のPRでしか無く、選挙の事前運動でしか無い。
 喪主によっては特定の議員との関係もあり、知らない議員の参列は有り難迷惑ともなる。選挙時にタオルやコーヒーチケットを配布しても罪の意識を持たない議員には、「馬の耳に念仏」であろうが、人間の常識として考えなおしていくべきである。
 市民の錯覚もある。「議員には市役所から死亡者の連絡がある」と思っている人が多いが、現実はいちいち見に行かないと判らない。毎日のように市役所で死んだ人の情報を見ている議員の姿もあるが、議員には議員としてやるべきもっと大切な事がある事を忘れられている。
 心の底から悲しんでいる喪主や家族を考えた時、議員の非常識さを痛感するが、市民の目からは「議員として常識」と映っていたら議員の存在は悲しいものがある。

                            8月6日の一言
とにかく生きてほしい…
 ポストの中に一冊の本が郵送されてきた。「奇跡はあなたの中にある」との題名で著者は大川孝次氏である。(新風舎の発行で1100円)
 「俺は酔っ払い運転で老人をひき殺してしまった」と表紙の帯封に記されているが、大川氏のアルコール依存症による実体験から、回復施設マックとの出会いと社会復帰までが述べられている。
 私と大川さんは、愛知県が主催する「人にやさしい街づくり連続講座」の実行委員として受講生の裏方として活動している。当初は大川さんの経歴を知らなかったが、昭和9年生れの大川さんが何故人のために参加されるのか分からず、「老人の(大変失礼な表現)暇つぶし」か「善人」の参加と思っていた。
 しかし、大川さんのホームページ「ほっこり庵支援センター」や、話を聞くうちに大変な人生を送られてきた事がわかってきた。
 「人生はどんな場合にも敗者復活のチャンスがある。生きようと思えば、必ず生きられるように神様は段取りをつけてくれる」とあとがきに記してある。とにかく生きてほしいとの願いを込めた本である。
 私自身も14才から19才まで毎年病気が再発し、高校は落第が続き完治しない病気から非行に走り、「死んでも良い」と自暴自棄になっていた時期がある。
 「あんたの人生はあんただけの人生。代わってやりたくても代われない」と言われた事があり感激した事がある。苦しい思いは神様からの試練と思い、世の中に必要な人間は死なされないと言いきかせて「高校5年生」を体験した。そんな時にグアム島から28年ぶりに「横井庄一」が発見された。私のご先祖様であった事から大いに勇気づけられた。
 大川さんの本も、必ず読んだ人に生きる力を与える本である。是非ご一読を薦めると同時に取り次ぎますので読んでいただきたい。

                             8月5日の一言
行政視察節約の一考察…
 議員の視察は観光旅行との批判をしばしば受ける。確かに遠い場所への視察が多いのも事実であり、希望するわけでも無いが、相手の行政がPRを兼ねて観光地へ案内する事も多い。
 今回は文教経済委員会の6議員と職員の7人の視察だったが、観光地を避けて東京近郊に限定し、視察テーマを複数にして訪問した。ただし、訪問した武蔵野市や千葉県浦安市、群馬県太田市は人口規模こそ10数万人の都市だが、施策そのものは大変先進的で参考にすべきと思われるが、それぞれの市が税収が多く財政状況が豊かなため、民間委託や入札に対する予算算定は大ざっぱと言うより雑な対応とも思えた。
 財政状況の豊かな自治体もあるが、津島市は財政状況が厳しいために職員の先進地視察が不足どころかほとんど無い。しかし、私はもっと職員にどんどん視察に出させ、先進の施策導入を図るべきと思っている。
 それでも津島市は管理職と若手職員1名ずつを海外視察に出している。議員の海外視察は凍結され、マスコミで北海道の視察が批判される中で、これこそ論功行賞な意味での観光視察であるが、各部署から必ず国内先進地の視察を実施させて報告させると同時に、必ず内部で改善策を実施させれば津島市は間違い無く良くなっていく。
 今回の視察を無駄使いとは思わないが、改善の余地もある。例えば宿泊場所と食事である。特別に豪華なホテルや料理屋は利用しなかったが、出掛けた先で安いホテルの看板を見かけるし、中高年の議員にとっては粗食で十分である。こんな気持で全員が節約したら議員の委員会視察だけで年間23万円以上は節約できるのである。政務調査費の視察も含めると、その倍の金額が津島市に残る計算となる

                            7月4日の一言 
書き込みできませんでした…
 行政視察のため群馬県太田市に宿泊しましたが、ホテルがインターネットに対応できず、近辺を歩きましたがパソコンが利用できる施設がありませんでした。
 予定していた原稿を書き入れても新鮮味がありませんので、4日分とまとめて書き入れる事にしました。
人の死に接して…
 昨日は同級生の姉の葬式があった。昨年の11月、朝日旅行友の会の日帰り旅行で一緒に木曽路を巡った姿が脳裏に浮かび、信じられない心境である。まだ両親が健在なれど、高齢で施設におられる事から娘の死を知らせていないと言うが、自分の事として思うと悲しい現実である。
 本日は、町内の古老の葬儀がある。この家の先祖には、かつて我家から養子に出た先祖があり、子供を残して我家に戻り、新しく分家を興した過去があった。そういった縁があってか、分家からその家の親類に嫁いだ身内があり、からくも過去とつながっている。
 亡くなった方はそんな事情に詳しく、以前に話を聞いた事があったが、もっと詳しく書き留めておけばと思っても後のまつりである。
 前者は65才、後者は94才。同じ女性でも親子ほどの年齢差があるが、人の寿命ばかりは思うようにはならない。
 計算上ではあるが、100才の人が10人バトンタッチをすれば1000年昔にさかのぼる計算になる。大化の改新は645年、14人がタッチをすれば当時の事情も分かりそうに思えてくるが、現実には親の事すら分かっていない。親子ぐらいは理解しておきたい。
 本日から3日間、文教経済委員会の行政視察に出発する。市民からは風当たりの強い議員の視察だが、貴重な税金を使った視察である事を認識して訪問したい。

                           8月2日の一言
長嶋監督アテネ断念…
 脳梗塞で療養中の長嶋監督が、オリンピック野球チームの監督を断念したと報じられた。多くの国民は残念と思ったか、当然と思ったかは定かではないが、「今さら遅い」と批判される人々には長嶋ファンとして弁解して、長嶋さんの早期の社会復帰に期待したい。
 報道によると、長男の一茂氏の発言から、本人や長嶋家の希望として監督続行への意欲が伝わっているが、私は真相は違うと思っている。
 3月に監督が倒れた直後だが、阪神の首脳の一人が「星野監督」の声を上げている。確かに、長嶋監督が無理な場合に見当たる人材はいなかった。しかし、星野監督ではひじょうに大きな無理がある。
 現在の代表選手は、長嶋監督を前提にしてプロ野球全球団から選ばれてきた。コーチもそうである。長嶋監督だから、あの偏屈巨人渡辺オーナーも全面支援を表明し、オールプロで金メダルを目標にしてきた。支援するスポンサー企業もそうである。
 監督代行にはコーチの中畑清氏が決まった。もし仮に、早期に監督断念が伝えられたらどうなっていたのだろうか。後任監督はすんなりとは決まらない事が予想できた。今になっての監督断念の発表は、決して長嶋監督本人の我では無く用意周到に計画された発表と思われる。
 個人的には長嶋さんには復帰する事より元気な姿を見せて欲しかったので残念だが、金メダルを取っても逃しても「長嶋さん」にされるのは無念でもあり、中畑監督代行とコーチや全選手の頑張りに期待したい。実は私は中畑とは同学年でもあり、大ファンでもある事も明記しておく。
   
                           8月1日の一言
市町村と市民の協働へ…
 本日開催された「人にやさしい街づくり」連続講座では、愛知県で制定されている「人にやさしい街づくりの推進に関する条例」について勉強し、条例が制定されて10年間の成果と課題、今後どのようにあるべきかを議論しあった。
 愛知県の中で、こんな真面目に地域社会の問題点や理想の社会実現について、地域を越えて住民主体で議論している事はあまり認識されていない。しかも、10年間も同じような議論を繰り返してきたのである。
 問題は、せっかく連続講座を受講した修了生が愛知県から「人にやさしい街づくりアドバイザー」として登録されておりながら、ほとんどの市町村の街づくり計画や福祉計画に生かされてこなかった歴史があった。
 現代は多くの公開講座や講演会などに参加する機会はあるが、発表を聞くだけのお客さんで終わるものがほとんどではないだろうか。
 自らが学び考えて発言し、意見を集約して発表し合って議論する。「人にやさしい街づくり連続講座」は極めてレベルの高い講座である。この講座に関わった縁を大切にして、参加される人々と連携し、県内各地の街づくりに実際に関わって成果を出す事が自身の責任でもある。
 6月から10月まで貴重な土曜日に津島市を離れ、毎週名古屋市まで出向いているが、この講座に参加した成果を市民の皆さんに確実に伝えたい気持を持って帰ってきた。

                             7月31日の一言 
腐った参議院議長誕生…
 日本歯科医師連盟から1億円を受け取った事で、橋本元総理が派閥の会長を退くと報じられた。一方では、参議院選挙後に初登院する議員の姿が伝えられ、議長に扇千景氏を選任したと報じられた。
 参議院では初めての女性議長と言うが、私には普通の家庭とは違う、腐りに腐った家庭の一員としか見えてこないのである。
 数年前の事だが、扇氏の夫である歌舞伎役者は若い女性と淫らな姿を写真に取られた。この時の扇氏の応対は、若い女性との関係を金で清算し、遊ぶ事は役者の肥やしのような発言をして反省すべき発言は何もなかった。
 しばらくして、今度は自分の子供が父親同様に女性問題を起こしたが、この時も両親ともに反省の声は何もなかった。
 こんな人間達が日の当たる場所を歩いている事が不思議である。女性の人権無視はもちろんだが、家族の犯した事とは言え、売春防止法に違反する行為でも反省しなかった人間が「良識の府」参議院の議長に座る事は国家の異常事態である。
 又、愛知県で多くの選挙違反を出した吉田前衆議院議員は、扇氏と同じく新進党や自由党、保守党から自民党と全く同じ立場を共有していた事から、腐った体質そのものの参議院議長誕生と言わざるを得ない。腐った素顔を化粧で隠し通せるか見ものである。

                            7月30日の一言
反省なき選挙違反の体質…
 高校野球愛知大会も準決勝が終わり、中京大中京と豊川が勝ち進んだ。昨秋の明治神宮大会で優勝し、春の選抜大会で準優勝の愛工大名電も準決勝で沈んだ。
 高校野球の厳しさは、一度負けたら終わるトーナメント制ゆえに、一つの失策が致命的にもなる。逆に手抜きの無い真剣勝負が魅力で、視聴率の低迷にあえぐプロ野球とは違い、平日でも球場は満席となる。
 さて、選挙違反で愛知県議と名古屋市議の5名が逮捕された。一連の日本歯科医師連盟からの資金による公職選挙法違反で、すでに逮捕された吉田前衆議院議員の選挙での被買収容疑での逮捕である。この件では自民党橋本派をはじめ大掛かりな関連が指摘されており、今後の展開によっては愛知県の枠を越え国政にも影響をもたらす事件でもある。
 問題は、こうした事件が度々起こっても何ら反省する事なく続く事である。
 津島市でも昨春の市長選で大掛かりな選挙違反事件が起こったが、法をすり抜けて市長は再選され、辞任した市議も反省するどころか、再度立候補するとの噂があり、堂々と地域の行事にも参加している。
 新聞報道もあり、この欄でも述べた市議の政務調査費の不法な使途以前に、選挙そのものの違反すら当地区ではさほど問題にもされていない。
 選挙違反を犯した議員は永久追放が当り前だ。選挙に金がかかるとはよく耳にするが、立候補者だけで無く、選挙そのものにも大きな予算(税金)が充てられている。負けたら終わる高校野球の厳しさを政治に関わる者も意識していきたい。

                             7月29日の一言
高速道路でのパンク事故…
 昨日27日の朝、岐阜県郡上市の東海北陸道で、トラックと乗用車が正面衝突し7人の死者を出した事故は、事故の直前にトラックのタイヤがパンクしていた事が判明した。
 高速道路でのパンクが大事故になる事を実証した事故だが、直前に発行され送付されたJAFの月刊誌「ジャフメイト」では、今回の事故と同様な事例として事故ファイルに記していた。
 「高速道路でのパンクは大事故になる」とした特集を読むと、「タイヤがバーストした場合はプロでも制御が難しく、一般のドライバーはバーストを未然に防ぐ努力をしましょう」と定期的な空気圧等の点検を進めている。
 最近ではほとんどの人がパンクを経験しなくなったが、タイヤの傷や釘がパンクの原因となり、空気圧の不足が高速道路でのバーストを引き起こす。
 先週の金曜日に届いたジャフメイトを読んで、私は真っ先に東海北陸道でのパンクが気になり、ガソリンスタンドに走りタイヤを交換した。車の後輪のタイヤに亀裂があったからである。
 来月に上高地に走るが、分離帯の無い東海北陸道は何度も大事故が起きている。自分が恐れていたような事故が直後に起こった事にびっくりだが、まったく利用せず無用の長物と思われたJAFから定期的に届けられた冊子の中身に感謝したい。
 事故の予測は難しい。ましてや相手がぶつかって来れば防ぎようもない。わかっている事だが当事者にならないように防衛運転につとめ、楽しい夏休みをおくりたい。

                             7月28日の一言 
過去の出来事から…
 昨日の一言に、田中角栄元首相の秘書「早坂茂三」さんについて記したが、昭和51年(1976年)の本日7月27日に田中首相はロッキード事件で逮捕されている。
 月日の移り変わりの早さを実感するとともに、衝撃的事件が日常的に起こる現代社会の先駆けになる事件だったのかも知れない。
 1854年の本日7月27日、2・26事件で暗殺された「高橋是清」が生れている。
 高橋是清は、波乱万丈の人生を送ったが、明治44年に日銀総裁に就任し、原内閣の蔵相を経て大正10年に首相に就任している。
 その後、護憲三派内閣の農商務相を努め、田中義一内閣では蔵相として金融恐慌に手腕を振るった。
 昭和6年に犬飼毅内閣の蔵相に就任後、金輸出再禁止など高橋財政を展開していくが、公債斬減による財政引締めの政策や、上海事変以後の軍備費拡大を阻止するとともに、戦争を巡って陸軍幹部と対立し、昭和11年2月22日に中橋基明中尉率いる137名の部隊に襲撃され暗殺された。
 イラクへの自衛隊派遣問題や、財政再建による構造改革を進める小泉政権の置かれた時代背景と共通するものがあり、歴史の正しい記録と検証により、間違いの無い舵取りを期待したい。

                             7月27日の一言
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