本日の一言
                       翌日の一言へリンク     
ボランティアを断られた経験から…
 来月から開催される『愛知防災コーディネーター養成講座』(入門講座)への受講が決まりました。講座を受講する希望者が多く、受講できるかどうかは判らないと言われていたので半ば諦めていた講座である。
 講座の存在は、社会福祉協議会の職員から耳にしたが、きっかけは被災地へのボランティアを断られた事が原因である。
 水害に見舞われた被災地の自治体を以前視察した縁から、旧知の管理職にボランティアを志願したところ、「大鹿さん、気持は大変有り難いが、落ち着いたら観光で訪れて下さい」と言う返事が返ってきた。
 まだ、ボランティアを募集している時だけにびっくりしたが、その時点で「役に立たない」志願者が複数あって問題になっていたようである。一日中スコップで道に溢れた土砂を、土のう袋に詰める単純な肉体労働は私には過酷としての配慮であったが、有り難くも情け無い断りでもあった。
 現実には、この時点でスニーカーを履き、着の身着のままのボランティアが被災者と一緒に食事の配食に並び、宿泊施設の確保に行政が頭を抱えていたようであった。
 最近では災害ボランティアは聞き慣れた言葉になったが、ただ被災地に行くだけでは役に立つどころか、被災地に負担をかけてしまうのである。自分には何ができるかを考えさせられると同時に、被災地へボランティアに行く場合には、自分の食事と寝袋ぐらいは持参すべきと悟った次第である。
                           12月25日の一言
今日は何の日だ…
 本日の予定表には、午前10時半より市長との懇談会が記入されていただけだった。
 しかし、現実には午前8時過ぎには市民の方から電話が入り、午前9時にはボランティアのTさんがアンケート調査用紙の封筒詰めに訪問され、市役所からも要望してあった調査資料を職員が持参してくれての立ち話の後、慌てての市役所入りとなった。
 市長との懇談が昼まで続き、帰宅後にメールへの返事を書き、郵便局へ所用で走り、来客の相手をし、ボランティアのTさんが帰宅後に、私に対する期待を持った相談者の訪問を受けた。
 知人の市職員から私が適任と言われての訪問に手抜きは出来ず、おしゃべり好きの私と、意気投合した相談者の会話は、夕食もとらずに夜10時半まで及んだ。
 余裕の一日が一転し、この一言も滑り込みの書き込みとなった。スケジュール表は全く役に立たない一日となったが、朝から夜まで暇つぶしもせずに仕事が継続できた充実感は久々の事である。
 事務所から自宅に入るとケーキがあった。誕生日にも無かったケーキの出現に、「今日は何の日だ」と問うと、クリスマスケーキとの事であった。本日がクリスマスとも判らぬほど忙しい一日であったが、これは歳のせいだろうか。

                          12月24日の一言
継続されたい格安旅行…
 世の中が不景気のための御利益もあるもんだ。僅か4千200円の値段で昼食に蟹一匹がついて、立ち寄っ先々でお土産をもらって帰ってきた。
 不景気ゆえの格安旅行であるが、来年の事情はちょっと変わってきそうだ。3月25日から9月25日まで開催される愛知万博によって、県内の観光バスは予約がいっぱいで料金も割高になるとの予想を耳にする。
 定期的に観光バスを借りて旅行を楽しむ団体にとっては、大変迷惑な万博開催でもある。私は元々、愛知万博の開催には反対を表明し、開催されても会場には行きません。
 「愛知県民として協力するのが議員たる態度だ」と言われた人があるが、国の財政改革で補助金が削減される世の中で、期間中だけの万博に巨額な税金を投入する以上、それ相応の利益を上げる事は推進する立場の当然の責任でもある。
 先ほどのバスの件は、県内全部の小中学校が万博に行く事が決まっているためである。万博の入場者数にはそれらの児童の数が含まれており、本当の評価は万博終了後の会計報告後の事となる。
 津島市も万博には川祭りや秋祭りの屋台が参加する事を表明しているが、参加する事で参加にかかる費用以上の経済効果やPRとなるかは疑問である。
 来年以降も格安旅行が継続して欲しいが、このままの不景気が続く事だけは何としてもさけなければならない。これだけは運まかせだが、少なくとも国政に任せられないところが淋しい現実でもある。
                          12月23日の一言
住民の意向とは…
 長野県山口村と岐阜県中津川市の合併問題は、合併に反対する田中知事に対して長野県議会で議員提案による合併案が可決され、田中知事の動向に注目が集まっている。
 昭和の大合併によって地区を分断された山口村は、生活の実態が中津川市と事実上一体化しており、住民意向調査の結果では合併を望む住民が多数を占めているが、長野県にとっては観光のシンボル「信州馬籠」の名前が消える事にもなり、田中知事の反対も理解はできるものの、これまでの合併への動きを放任した後の反対だけに、地元の反発と県議会の混乱など責任は大きい。
 田中知事と県議会の対立は、再選挙まで実施した経緯があるが、今に至っても亀裂は解消されておらず、今議会でも教育長の再任が否決されるなど、混乱が続いている。
 今回の合併問題で注目すべきは、今まで住民の側で精力的に動いてきた田中知事が、住民に背を向け、県議会側が住民の声を代弁する形で進行している点である。住民の声を背景に県議会と対立し、辞任再選挙にまで至った当時とは全く逆の構図になっている事から、今後の議会運営にも注目したい。
 さて、ここで問題になるのは、住民の意向である。津島市でも、町内会の新旧住民のしこりから町内を分離する希望が毎年のように提出され、最近ではマンション一棟だけでも町内として独立されていく。
 しかし、いくら細分化しても、住民の総意をまとめて吸い上げる体制を創っていかないと住民の意向は生かされないのである。
                           12月22日の一言
予定どおり、筋書きどおり…
 本日12月議会が予定どおり終了した。予定どおりと言うと、筋書きどおりでもあり、有線テレビで議会を視聴する市民にとっては、目新しさに欠けるセレモニーのようでもあるが、議会開催中の各委員会の議論が伝わらない事も原因である。
 しかし、予定どおりという事は喜ぶべき事なのかも知れない。本日の朝刊に2日前の交通事故の記事があり、名前を見ると津島市の消防署職員であった。私の中学の2年先輩でもあるが、ドクターヘリで搬送されたものの救命には至らなかった。事故現場に到着し、被害者が同僚と判った時の救急隊員の心境は計り知れないものがある。
 突然の訃報に接する時に、「予定どおり」の有り難さを痛感する。
 さて、本日の事だが、日本政府は台湾の李登輝前総統にビザを発給した。小泉首相は、「一市民として日本を旅行したいということですから。日本として断る理由はありません」と記者会見している。
 李前総統は以前から訪日の希望を伝えており、これに対して、中国政府は強い反発を示し、政府に発給しないよう求めていた。観光目的の観光旅行との事であるが、過去の訪日の結果を見ても政治と無縁の来日は考えられず、険悪となっている日中関係の今後が心配でもある。
 何故と、政府と小泉首相に疑問が募るが、これも「予定どおり」の筋書きとしたら、津島市議会と違って声が届かない政府ゆえに一国民として無念でもある。

                          12月21日の一言
理不尽な世の中…
 津島市でひったくり事件が起きたと報じられた。簡易保険の集金額約百万円の被害と言うが、被害者は客の集金分も弁償する事になるため、ダブルパンチの悲しみであろう。
 一番嫌な事は、犯人も近くに住む住民の可能性が高い事である。当分は20代から30代の黒い自転車で小太り(この表現も悲しい)の男を見たら要注意でもある。
 ただし、これだけの犯人像だと、多くの津島市民が疑惑の目に晒されるので、詳しい犯人像の提供が必要になってくるが、警察も行政もひったくり事件に対する意識が低いのか、過去の事件についても情報が不足し、忘れた頃には再発が繰り返されている。
 さて、新聞報道によれば、ダイエーの創業者中内功氏が、自宅や持ち株など全資産を処分した300億円を弁済に充てる事になったようである。
 ダイエーの再建を巡っては、経営陣の考えとは違う選択をUFJ銀行が示し、産業再生機構が再建に乗り出しているが、いくら創業者で拡大路線を続けたとは言え、すでに引退した中内氏の資産を全て取り上げる必要があるだろうか。
 以前の一言にも記したが、経営責任とは言え、中内氏が全ての要職を退き、経営を後任に託した時点でダイエーの倒産は想定されておらず、その後の責任は後の経営陣と主力銀行にある筈である。
 UFJ銀行の経営悪化の責任は国の税金投入によって救われ、ダイエーについては創業者の全資産まで没収するやり口については私は納得が出来ない。リヤカー1台から始めた中内氏であるが、ダイエーを大企業に育てた功績は無にされ、創業の地も没収され、再建後のダイエーの経営陣には銀行の幹部が座るのである。
 こんな理不尽な事が合法的に処理されていく社会においては、起業する意欲は減退するだけで無く、愛社精神や人情は廃れてしまうのではないだろうか。
 
                          12月20日の一言
歌ってないのに…
 昨日は久しぶりに大酒を飲んだ。私の一日のスケジュールが終わるのを悪友二人が待っていた。
 3人での飲食は一年ぶりで、次々とビールと日本酒を飲み干し、会話に花を咲かせていたが、途中から歯車が狂い出した。昔の些細な出来事が話題になり、未だに思い出すと腹が立つらしく、当時の様子が昨日の事のように語られ、当時の事情が弁解されているうちに、話題が家族に及んでいった。
 嫌な雰囲気の最中に、来客を知らせる携帯電話がなった。「さあ、お開きにしようか」と帰宅して来客と応対中に、別れた知人から再度のお誘いの携帯電話である。「もう少ししたら…」と応対を続けていると、「さっきの店で待っている」ともう一人の知人からの携帯電話である。
 酔っ払っての応対が終わり、カミさんに車で送ってもらうと、道路を酔っ払って歩く知人を発見。もう一人の知人は携帯電話にも出ない為、二人でかつて通った店に降ろしてもらったが、店先の店名が代わっており、次の店に。しかし、次の店も店名が代わっており、何件も廻って座った店は、女性相手のホストの店であった。
 しかし、呑み屋の新陳代謝の早さにびっくりの一日となった。問題はこれからであった。2キロも離れたカラオケボックスまで出向いたものの、歌を歌ったのは2曲のみ。実は私と落ち合う前から二人は喧嘩状態になっていたのである。その愚痴話のために6千円が消えていった。「歌ってないのに…」と歩いてラーメン屋に出向くと、「もう終わりです」と非情な挨拶が返ってきた。
 深夜の事、歩いて行ける店もなく、コンビニでカップラーメンにお湯を注ぎ、コップ酒を買って家まで3キロの道程を歩いての帰宅となった。こんな事も二人だから出来た事だが、30年前の若き時代の再現でもあった。

                          12月19日の一言
今年最後の座談会…
 本日は1ヶ月ぶりの「まちかど座談会」を牛田町集会所で開催した。まちかど座談会は、市民の皆さんの要望や意見を集約する上で貴重な機会であるが、人が少ないと淋しい反面、多すぎると発言がしづらく難しい面もあるが、本日は17名とちょうど良い集まりとなり、多様な意見を拝聴できた。(と思っているが)
 今年では最後の座談会となるが、一年を通じて共通して感じる事は、行政の説明があまりにも不足している事である。もっとも、行政側は市の広報誌や回覧版を通して、全て案内や紹介はしていると弁解するであろうが。
 しかし、現実には市民生活に関する多くの諸問題について、市民は知る手立てを知らずに困ったり、我慢を強いられている事例をよく耳にするのである。
 自分の地域で起こっている事が判らず、説明会では反対意見や質問も言えない地域体質は、町内会が行政の手先になってしまっており、この慣例は改善が急務でもある。
 現実を直視しなければいけない。市の施策を案内する「市政のひろば」は、ごく少数の目にとまるだけで、議員である私も職務の上で目にするものの、内容を記憶するまで熟読するわけではない。
 今週からアンケート調査を開始し、毎日何通かは戻ってくるが、23人の議員全員が全市民の声を集約し、議会で代弁すれば、間違い無く市民が主役の市政は実現する。「そんな事の繰り返し」をムダにしたくはない。
                           12月18日の一言
そんな事の繰り返し…
 議員であれば困った際の相談も多く、相談の内容によっては法律違反にはならないものの、好ましくない解決方法しか無い場合もある。
 人の命にかかわる場合は何でもありが罷り通るが、人の悪知恵が生んだ結末や、無責任な行為による結果に関わる時には「何故」と考え込む場面もしばしばである。
 一方で、生活のために、損得や後先を考えずに進めた結果には、心情的には同情しても何とも仕様が無い場面にも遭遇する。
 又、せっかく最高と思われる応援をしても、心配事が無くなると元通りになっており、がっかりする場合も意外に多いのである。感謝を目的にして恩をきせる気は無いが、最近は人の道に外れた行為も多く、他の議員と二股をかけた相談や、恩を忘れて他の議員に走る人もあり、若い前県議の「井桁亮」君には「政治はそんな事の繰り返し」と慰められているのである。
 本日は、多少でも私のお陰と感謝されているご夫婦の訪問を受けた。心配事が無くなって、元気な顔を見せてもらうと嬉しいだけでなく、日頃の疲れも吹っ飛んで元気が返ってくるのである。こういう義理堅い人があるから、次々と旅行の企画を立てたり、まちかど座談会も続けられるのである。本日は愚痴と感謝の矛盾する一言になってしまったかナ。
                         12月17日の一言
議員が元凶との指摘…
 新聞紙上を眺めると、連日のように殺人事件や誘拐事件、連続放火殺人など、人の命を弄ぶ事件が報じられてくる。
 神戸事件とか京都事件などと報じられても、何が何んだったのか判らないほど事件が起こり、今年の事件である長崎佐世保の事件すら、被害者の父親の姿を見て思い出すほど凶悪事件が起こっている。
 一方で、自殺する人の数も増加の一途をたどっている。日本は少子化が大問題になっているが、世界規模では人口が増え続けている。自然界の法則で、一定の人口を保ってバランスをとる為に人が殺され死んでいくのだろうか。(まさか…)
 とにかく無秩序となった危機感から、刑法の厳罰化や教育改革が語られている事は否定できない事実でもある。
 しかし、一番の問題は、社会の規範になるべき政治家の悪行である。自民党橋本派の1億円の献金問題は、事実はあいまいにも認めながらも罪は認めず、責任のなすり合いで済まそうとしている。岐阜県の産廃不法投棄事件でも、市民から苦情が出始めた当初は議員達が業者を擁護する立場で介在している。
 津島市においても新規事業については議員の名前が噂に上る事がある。
 2日前の事だが、親しい地元建設会社の幹部に、「工事の挨拶に議員を訪問し、手土産を持参する習慣は止めて欲しい」と話したところ、「要求する議員さんを無くしてもらえれば」と、逆に議員の問題だと指摘された。(ちなみに、私は全て受け取っていませんが)議員が元凶との指摘であった。
                           12月16日の一言
カミさんから冷や水…
 綱渡りでも何とかなるから、いつまでたっても反省が出来ないばかりか、自分だけでなく廻りの人々に心配をかけ続ける事となってしまう。3日前に13人しかなかった旅行の参加者も、何とか集まってきた。土曜日のまちかど座談会も手配が終わった。
 しかし、動けば動いただけ、新たな仕事や要望をもらってくる事から、市役所から帰ってから再度の出直しが連日続いている。
 本日はもう一仕事予定していたが、「人にやさしい街づくり」連続講座で一緒だったK君とエレベーターで鉢合わせとなり、懐かしさから市役所の仕事の終わりを待って落ち合った。
 彼は、交通事故で車いす生活となったが、医療会社に勤めており、月に3日ほど津島市役所の医療書類の点検に派遣されてくる。
 五体満足でも遊んでいる人がある中で、彼らが立派に自立して頑張っている姿をみると、私はひじょうに心強く思うとともに、やる気をもらっている。
 本日は、車いすで「富士山」に登頂したいとの話を聞き、現実の厳しさは承知の上であるが、ぜひとも実現させたい衝動に駆られて、挑戦するならばサポートすると前向きの検討を約束して別れた。
 帰宅後にこの話をすると、「自分の心配をした方がよい」とカミさんから冷や水を浴びせる言葉が返ってきた。確かに、自分だけでも富士山は大変であろうが、挑戦する気持が重要だと思う。夢の無いカミさんに一泡吹かせたい心境で、K君の決断と計画を心待ちにしたいと思う。                 
                           12月15日の一言
うちの生徒に限って…
 昨晩の事であるが、勤労福祉会館で中学生に声をかけられた。自分を知っていてくれる事は有り難いが、名前どころか顔も分からず、尋ねると息子の同級生達であった。
 会館内で開かれている塾に通っているとの事だが、わざわざ議員である自分の処に駆け寄ってくれた事が嬉しかった。聞けば一人は会った事があり、一人は知人の息子さんであった。息子の学校の様子も知らない無責任な親だから、彼らから聞かされる息子の話は新鮮で、学校やクラブ活動について花を咲かせていた。
 「おい、さっきタバコを吸っとった奴は、お前らか」と、突然背後から大声が響いた。市議会議長であった。彼らは否定したが、どうやら仲間がタバコを吸っていて叱られたらしい。「おまえらじゃないのか」と疑心暗鬼の議長に、「この子は市長の身内だから」と言うと、「身内と言っても遠い身内です」と答えが返ってきた。「隣りの…」と助け舟を出すと、「じゃー、Sさんの孫かぁ」と、一度に年齢を超えた会話が盛り上がった。
 しかし、さすがに市議会議長だけの事はある。とても品行方正とは思えないが、議長という要職にある事から、タバコを吸う中学生にきちっと注意をしていたのであった。
 問題は中学校の対応である。我々がこんな場面に出くわしたり、良からぬ話を聞いて問い合せても、「うちの生徒に限って、そんな事は」と、本気で問題を解決する気持すら持ち合わせていないのである。ただ、我々議員に声をかけて寄って来てくれる子供達の姿から、まだまだ母校も捨てたものじゃないと救われた気持にもなった。
                           12月14日の一言
えっ、会費8千円って…
 本日も慌しさは同じであるが、午後6時より津島市と甚目寺町の議員懇談会が、市内勤労会館で開催されたので出席した。
 合併から無縁の自治体として共通意識から、真面目にカバンを持って出席しようかと思っていたが、どうも雰囲気が違うとともに、会費が8千円と聞いて自分の認識違いに気付いたが、根が酒飲みだけに覚悟しての会合となった。
 情け無い話だが、食事代は必要と聞いていたが、宴席とは思っておらず、車で到着し、会費すら持ち合わせず、N議員に借金しての参加でもあった。
 しかし、向かえ会わせた民主党議員は、酒を飲まないとの事で、3万8千人の甚目寺町の議員として真摯な態度での真面目な議論が展開できた。
 津島市の市民からも西部4町村との合併が進まない事から、津島市を過小に比喩する意見を聞く事があるが、町とは言えども名古屋市と隣接する自治体の議員との会話から、木曽川沿いの5千人の村の議員との感覚の違いを痛感し、改めて西部4町村との合併が進まなかった事を、津島市の救いと感じた一日でもあった。
 しかし、自立の財政運営にも厳しい現実がある。津島市にとって何が必要かを考える時、少なくとも村の意識では無いところから、町や都会の意識を意見交換する必要と、合併を必要としない学説を説く専門家の指摘にも耳を傾ける必要がある。
 現実にはいくら名鉄の線路はつながっていても、津島市と甚目寺町の合併には無理がありすぎる。ただし、共に門前町として古い歴史を有する両市町が、こんな会合を古くから続けておれば、新鮮な街づくりが展開された可能性も否定はできないのである。
                          12月13日の一言
余裕が一転した綱渡り…
 慌しい一週間だったが、体調は絶好調だったらしく、連日の睡眠不足(議会一般質問の9日と10日の2日間で3時間半の睡眠)にもかかわらず、居眠りをする事なく(当然の事だが)議会と依頼された事案を消化したものの、さすがに歳は歳だけあって、週末の昨日と本日は休養を余儀なくされ、予定した作業は半分の消化にとどまった。
 明日からは連日が委員会への出席となるが、年末だけに仕事の先延ばしが出来ず、予定した仕事は今までの最大レベルでの「綱渡り」となりそうである。
 原因を考えると、先月の綱渡りが一段落した余裕からか、12月議会の一般質問の内容をすべて変更した事にもあった。本来予定していた内容は十分な資料と調査の結果でもあったが、今までより十分すぎる準備が、質問の登壇するくじ運によっては、先に不十分な質問が出されても、二番せんじでムダになってしまう心配があったためである。
 市民にとって一番必要なものは何かを考えた結果、県下ワースト一の交通事故死の心配であり、公共施設の有効活用であり、生活のためのバリアフリーとなり、それらが12月議会の質問にとって代わったのであった。結果的には一番の登壇となり、余分な変更がアダとなってしまった感もあり、後悔もあるが。
 ともかく明日からの一日一日が大変であり、18日の「まちかど座談会」、23日の「日帰りバス旅行(現在13名)、25日に会報完成から年内に配布と、年末に向けての綱渡りが始まるのである。
                            12月12日の一言
あの時なぜ一言でも…
 所用で出かけたところ、訪問先の車庫から車が出て行く処であった。わずかな時間の差だが、若い頃のように追いかける事も捕り物のようで可笑しく、過ぎ行く車を見送った。
 昨日も、そんな時間のちょっとした差によるハプニングが連続する一日であった。もっとも、自分の行動や社交術にも原因があるのだが。
 市民の方からいただいた問題を担当課長とあれこれ考え、はじめから勉強し直してから打ち合わせの後に当事者に電話して訪問日を約束した。当日は担当課長と職員に私も同行する事となった。さて、訪問にあたって打ち合わせをするうちに、「その方なら数日前に窓口に来られましたよ」との話になった。
 納得と理解はされなかったようだが、その後に電話で要件は済ませたとの役所の認識であった。直前の電話では相手も忙しい時間を割いての約束だが、さて、どうなっているのか。
 先週末いただいた話だったが、月曜日から議会が開催されており、私も市役所の管理職も議会が優先されており、議会が一段落した後の顛末だが、市役所の窓口職員と管理職、議員の立場の違いと同時に、市民感覚と市民感情との違い、市民と役所の納得度の差を感じる一件となった。
 ある部署で課長と打ち合わせ中に、社会福祉協議会の女性職員が訪問していた。要件が終わってから訪問の主旨を聞くと、「本日で退職する挨拶」との事であった。「寿退社」との事でおめでたい話だが、私は退職する職員に最近貴重なアドバイスを受けており、その御礼も言ってなかったのである。閉庁時間が迫っており、「あの時なぜ一言でも」とあわてて車を走らせて御礼を伝えたが、「いつでも会えるから」との自分本位の考え方を反省する一件となった。
                           12月11日の一言
判っていて放置した責任…
 本日の新聞やテレビはC型肝炎のニュースが主役になった。C型肝炎ウィルスが混入した血液製剤「フィブリノゲン」を使用した可能性の高い、6千916ヶ所の医療機関名が厚生労働省から公表されたからである。
 当初、本年4月に公表される予定が、医療関係者の横槍で遅れに遅れた公表でもあった。
 私にとっては14年12月議会で、B型・C型肝炎の感染対策と予防を訴え、本年3月議会と6月議会で、「フィブリノゲン」を使用した津島市の医療機関を調査し公表するよう質問したが、全く気のない答弁しか返ってこなかった。
 本日公表されたリストには、津島市民病院を筆頭に、外科や婦人科、眼科など手術や出産などの止血剤として使用した津島市内の開業医が複数含まれていた。
 3月議会の質問では、「市民の命を守るためにも早期の公表」をと訴えたが、「厚生労働省の発表を待って考える」と、全く市民の存在を無視したような答弁でもあった。
 私の質問から一年近く経過しているが、津島市民に該当者が存在する可能性は極めて高い。問題は、フィブリノゲンを使用した事実を知りながら、今回公表されるまで、その危険性を知りながら放置した、医師や医療機関の社会的責任である。
 今回の公開リストに名を連ねていても、現実は10年以上カルテを保存する義務は無く、破棄されておれば該当者であっても責任も問えないのである。
 とにかく身に覚えのある方は検査を受ける事が先決である。公表された医療機関の対応にも厳しい監視が必要である。
                          12月10日の一言
議会軽視の大合唱…
 10月に就任した宇佐美教育長にとっては初めての議会となり、受難の一日にもなってしまった。
 午前中2人目の質問に、思い入れが深すぎたのか、多方面にわたり「異常に長い」答弁をしていると、「質問に関係ない答弁はやめろ」と議員から大声の指摘があった。「教育長の考えだから黙って聞け」と議員の怒鳴り合いの中での初答弁となった。
 それでも昼食時はいつもの笑顔が戻っていたが…。
 しかし、本日の最終質問者への答弁で怒涛の舞台が待っていた。就任後に発表した学校の二学期制導入の質問に、過去の議会の流れや、前任者の答弁を無視した説明から歯車が狂いだした。
 十分な周知や説明が不足する中での二学期制導入に、「選択に間違いは無い」との自分の思い入れで答弁を打ち切ってしまった事から、「議会軽視」の大合唱を浴びる事となってしまった。
 10月まで学校の校長職にあり、議会運営に慣れていない点を差し引いても、質問に対して納得できる答弁になっておらず、独断専行には大きな批判を浴びた。
 大きな体を「すいませんでした」と平謝りも時すでに遅し。議会散会後も「議会をなめとるのか」と怒鳴り散らされた一日となってしまった。
 今日は良い薬と思い、明日からの議会、委員会に望んで欲しい。もっとも、今ごろけろっとして談笑中かも知れないが。新教育長の人柄をすべての議員が理解している訳ではないので当分慎重な対応を期待したい。

                            12月9日の一言
12月議会の一般質問…
 12月議会が始まり、議会活動は勿論の事、積み残した約束や仕事を年末までに消化すべき大切な時期であったが、知人の訃報により『何が一番大切か』を考えさせられる事になった。亡くなった人の期待に応える為にも、本日からの一日一日を頑張りたい。
 明日から一般質問が始まるが、私は一番目の質問者に決まりました。一番目だけは登壇する時間が9時に決まっているので、ご支援いただく人々にはお知らせしやすい反面、早朝は精神的余裕に欠け、多少のプレッシャーも感じる登壇になりそうです。
 私は今回の質問に、@交通安全対策A公共施設の有効利用と改善B歩道等のバリアフリーの3件を通告しています。
 交通安全については、津島警察管内が県下で飛び抜けて死亡事故が多発している事から、津島市の安全対策について7項目にわたって質問します。
 公共施設については、文化会館を主題に質問しますが、「いつも電気が消えている」とか「使えない施設」との市民の声から質問し、改善策についても各施設に問い掛けたいと思っています。
 バリアフリーについては、9月議会にも質問していますが、その後報道された新聞記事から再確認と、厳しい財政状況下での改善を問いたいと思っています。
 さて、4日の一言にも記しましたが、今回の質問はまったく「予定外」のもので、当初質問する予定としていたテーマとは全く違います。「病院」と「教育」の質問を連続させてきたが、今回は他議員の質問と答弁を聞き役に徹して次回につなげたいと思っています。
                           12月8日の一言
私が行けばタダなのに…
 12月議会の一般質問の通告日で、3点の質問を通告したが、いつも感情的になる主旨説明も今一つ身の入らない一日となった。
 本日は昨晩までMさんと記していた『水野静江』さんの告別式が行われた。昭和53年に集金に出向き、会話を重ねるうちに「私でできるかなァ」と言われて、当時は健康のために歩いて配達と集金をやってもらうようになった。それまで御主人の海外勤務で中南米に生活していた人だけに、場違いな仕事に思われたが、仕事量も増やして事務も頼むほどになった。
 嫁いだばかりの家内にとっては姉のような存在で、いつも二人でコーヒー屋に出向いたり、私が廃業後は会報の配布もお願いし、大変信頼できる「応援団」でもあった。
 最近はボランティア活動に頑張り、家内とは二人で市民病院のボランティアに出かけ、姉妹以上の付き合いを続けていた。こんな人が突然亡くなるとは誰もが思っていない。
 来賓焼香に呼び上げられた祭壇の前で、涙が止めようにも止まらなくなった。席に帰ろうにも振り返る事もできず、心を鬼にして歯を食いしばって戻った。
 出棺までの僅かな時間だが、「大鹿さん」と声をかける人は皆、涙、涙…。私がこんなふうだから、家内の心中はもっと悲しいだろうと思う。「まだ、10年はと思っていた」との御主人や、子息の悲しみはもっと深い。
 「僕が先に亡くなったら困るから」と、御主人が心配して水野さんの口座に最近お金を振り込んだと言う。「私が行けばタダなのに、手数料まで取られたのよ」と笑って話されたのも今となると皮肉でもある。
 来年の万博の入場券も予約すると同時に、ボランティアも自分だけでなく御主人には語学力を生かした申し込みを済ませてあったという。再度「水野静江」さんの名前を記し、ご本人のご冥福を祈りたい。
                           12月7日の一言
議員の非常識…
 刑事事件で逮捕や拘留をされた議員に対して、議員報酬の支払いを停止する条例案が名古屋市議会で提案され、7日の本会議で可決される見通しになった。市民からすれば、逮捕されて拘留されている議員に報酬を支払わない事は当り前の事だが、政令指定都市では初めての条例と言う。
 こんな当り前の事を条例にする事自体が、議会や議員の非常識と言われる所以かもしれないが、逮捕された議員が報酬を返上すると公職選挙法に違反する事になり、条例が今まで存在しなかった事が異常なのかもしれない。
 津島市議会でも、12月議会に議員定数を削減する議案が議員から提出された。25人の定数を23人に改める内容であるが、津島市議会は昨年の選挙違反事件で2名が辞職して現在23名で運営されている事から、行財政改革などの提案理由が市民に通じるのか疑問でもある。
 この議案書に名を連ねた3名のうち2名が、議員定数削減に関して過去二回提出された議案に反対していた事から、廻りの議席から「パホーマンス」の声が囁かれていた。
 何故に今かと問われると答えに窮する。議員の存在感は何処にあるのか。選挙違反で辞任した議員が次期選挙の事前準備に暗躍する姿からは、一般市民の良識は少しも生かされる気がしてこない。
 昨日亡くなったMさんは63才。「これから誰とコーヒー屋に行けばいいの」、通夜で家内と流した涙を忘れずに「頑張ってよぅー」を勝手な遺言にして頑張りたい。
                            12月6日の一言
信じられない訃報…
 何度もかけられた携帯電話への市内からの着信履歴。家族の話では何度も事務所の電話が鳴っていたとの事から、転送されたものだった。
 電話をかけるといきなり、「Mさんが亡くなった」との返事である。Mさんて誰だろうとノー天気に考えていると、「私はMさんの向えのOです」と言われて初めてびっくりの事態が把握されたものの、実感も湧かない突然の訃報であった。
 Mさんは、昭和53年11月から私が新聞販売店を廃業した平成11年まで22年間にわたって仕事をしてもらった。創業が52年1月だから私の廃業までほとんど毎日顔を会わせていた事になる。
 議員に転身後も毎回の会報配布をお願いし、11月のまちかど座談会にも裏方でお骨折りいただいたばかりである。
 「おい、Mさんが亡くなったぞ」と伝えた妻も全く信用しないのである。「8日の打ち合わせをしたばかりなのに…」と言って自宅へ走っていった。廃業後も妻は一緒にボランティアに出向いており、8日は二人で市民病院のボランティアに出向く予定になっていた。いや、本日午後に開催される文化会館での行事にも一緒に落ち合う予定だったのだ。
 前回のボランティアの際に、「日光橋を上るのがつらい」と話されていたようだが、病気はなく健康診断でも異常も無く、病院とは無縁の健康人だっただけに、誰もがびっくりの逝去である。
 夫婦でテニスをするような元気な文化人だっただけに、御主人やご子息の心中を察すると複雑でもあり、議員として半人前での別れが辛いところでもある。
 死因は心筋梗塞、享年63才。あまりにも突然で、早すぎる死に、かける言葉が見つからない。
                            12月5日の一言
ちょっと待てと方向転換…
 12月議会を控えて一般質問のテーマを急きょ方向転換した。度重なった台風や地震から、防災対策について質問する事と、10月から新しい教育長が就任した事から今後の抱負と同時に、地域の小中学校から聞こえてくる疑問について質問する事を決めていた。
 もう一点は、医療についても予定して各種資料を入手してほぼ体裁が揃っていたのであるが、「ちょっと待て」と方向転換する事を決めた。
 これだけ多くの台風が襲来し、新潟中越地震の後だけに他の議員も質問テーマに挙げてくるだろうし、学校教育についても教育長が代わった事から同様と思われる。
 又、私の議会でのイメージが「市民病院」と「学校教育」と固定された声を耳にする事から脱皮させたいとの思いもある。就任したばかりの教育長に答弁しづらい質問をしても中身のある答弁は期待もできない。
 せっかく調べた資料を材料に質問しても、他の議員へ答弁した内容と違った成果は期待できないので、次の議会に12月議会の答弁内容を下地に質問する事とした次第です。
 質問内容は、まちかど座談会で市民の皆さんから出された疑問や意見を素直に質問する事にした。(内容については火曜日に掲載します)
 質問の内容に多少の不満はあるものの、十分な資料と調査をした内容でも、まったく中身の無い質問であっても当局が答弁した後になれば全く無にする事もある。
 以前の一言にも記したが、私は今後、各地で災害があれば「とにかく現地へボランティアに出向く」事と、自分の体で体現する事にしている。
 本日は、議会をすべて忘れて、車いすでの移送を考えるために「トヨタウェルキャブ展示場」のある清洲のハートフルプラザ名古屋まで出向いてきた。これも来年のコヤシにして芽を出させたい。
                          12月4日の一言
不安な日中問題と小泉発言…
 日本と中国の政府首脳の往来が途絶えて3年になる。小泉首相は北朝鮮との国交回復に意欲をみせたり、ロシアとの平和条約を模索したりしているが、日本の資金援助や投資を期待する相手はごまかせても、成長著しい中国は適当な発言や小手先の対応にはなびかないようである。
 日中の懸案になっている「靖国問題」については、小泉首相は内政干渉と思っているのかもしれない。今後も予定どおり参拝すると発言しながら、中国の胡錦涛国家主席には「今後、適切に対処していきたい」と伝えたと報じられている。
 適切に対処との発言は、中国側からすれば「参拝しない」との解釈になるが、果たして大丈夫なのだろうか。
 参拝しないとの意思表示が守られない時の中国の対応が心配になってくる。小泉首相は自分の「靖国発言」が国民の合意を得ていると思っているようだが、戦争犯罪人にまで手を合わせたい日本人はいない。
 こんな調子で女性天皇についても、「国民は歓迎している」と発言されると反発したくなってくる。女性天皇が悪いとは思わないが、皇室典範では「男子が天皇を継承する」事が定められている。
 歴史上にも女性天皇は存在しているが、歴史では天皇の長男や皇太子の子供に限定されて継承されてきた訳ではない。皇太子の弟の秋篠宮家に男子が誕生すれば天皇を継承する事も可能なのである。
 小泉首相の思い上がりか勘違いによる身勝手な発言は、国民の関心が無い事と反論する機会が無い事から当分続きそうである。(国会議員でも反論できないんだから、こんな事を記しても何にもならないか)
                                                  12月3日の一言
家族から非難の嵐…
 「明日はお寺からおっ様がござるなぁ」と家族に話すと、「良く判ったねぇ」との返事が返ってきた。
 毎月3日は父親の命日のために、お寺の住職がこられるが(不謹慎にもほとんど忘れているのであるが)、「何で判ったの」と言われると、「親の命日ぐらいは判っているわ」と答えたくなる。
 感心される事自体が家族の信頼を失っているのだが、「それで、明日は仏壇の前にイスを用意しておいてくれ」と話すと、「何のために」と聞かれた。
 住職が足の肉離れで正座できない事を説明すると、「だからと言って、何故イスが必要なんだ」と問われ、電話があった事を告げると、それまで感心していた家族が揃って反論してきた。
 「足が悪かったら、お寺でお経をあげておいて下さい」と何故に言えなかったかと非難の嵐である。結局、電話してその旨を告げた。
 まったく「思いやり」とか「相手を思いやる」気持が不足していると、不評を買ってしまった。
 しかし、家族には信用が無い事を実感した。家族に信用が無いようでは議員としては問題かもしれないが、家族や同級生ぐらいは「無責任」であっても許されないと、ストレスが溜まってくるのでもある。まったく役に立たないのに、一言が多いのも不評の原因かも知れないが、この一言も余分かと自信がなくなってきた。

                            12月2日の一言
たかが選手ごときに…
 プロ野球読売巨人軍の『清原和博』選手が、来年も巨人でプレーする事を球団事務所で記者会見して表明した。
 清原選手を起用しない方針の堀内監督との確執が噂され、清原選手の活躍を期待するファンにも、新たな球団への移籍を求める意見と、残留を求める意見が両立し、去就が注目されていたが、球団と監督に謝罪して「置かれた状況は厳しいが、監督を支えて精一杯頑張る」と発言した。
 「たかが選手ごとき」発言以来、プロ野球に対して関心を失っていたが、今回の清原選手の態度には拍手と喝采を送りたい。
 他球団に移籍するか、監督の方針によっては今年以上の活躍が期待できる実力を持ちながら、応援してくれるファンの声援に応えて苦渋の選択をした。言い分はあると思うが、それを押し殺し、迷惑をかけたと謝罪してまで残留した。
 一方で、確執が噂される堀内監督は、監督失格で、その器で無い事を披露した。又、清原選手の年俸の高さを考える時、経営者としても失格の烙印が押された。これだけ去就問題が大きくなった原因は、監督が肝心の清原選手と一言も言葉を交わしていない事にあり、「たかが選手」と発言したオーナーのチームにしては球団も手際が悪かった。
 選手に声もかけられない監督では期待できない。来期の戦力に入れていないのならはっきりと本人に言うべきで、放出も新たな補充もできたのである。戦力を最大限に活用できない監督では結果も悪ければ、力を発揮できない選手も可哀想である。
 しかし、結局は勝負の世界だけに実力があれば結果も残る。清原が結果を残せば監督失格となり、清原に関係なくとも結果が残せなければ監督失格となる。私は堀内監督が大人になって清原にも活躍の場を与えて欲しいと願っている。

                            12月1日の一言
悪質事件に嘆願書は不要…
 本日は12月定例議会に向けた議会運営委員会が開催された。年末の慌しさとともに、四国巡礼から吉野山や高野山、京都で聞いた筑前琵琶や声明の余韻が一度に遠い存在となってきた。
 全国的な事件になっている岐阜県の産廃業者の不法投棄に関係して、津島市のゴミ回収業者からも逮捕者がでているが、本日の委員会には市長や議長宛てに届けられた業者からの嘆願書が読み上げられた。
 法律の知識不足を原因にして悪意の無い事件として、従業員の総意と地域住民の声として寛大な処置を求める内容である。
 しかし、テレビや新聞から伝わっている事件の内容と、規模の大きさを考える時、たとえ過ちとしても許される余地はなく、伝わった内容からは、自己の利益のためには何でもありの極めて悪質な事件である。
 津島市は刑が確定した時点で、愛知県と連携して「指名停止」も考えるとの説明であったが、議員から「裁判が長引き最高裁まで争った場合にはいつになるか判らない」事から、独自調査と他の業者への委託も考えるべきとの意見も出されたが、結論は出されなかった。
 さて、最近では津島市をゴミの先進地と呼ぶ人もあるが、これはまったくの過大評価であり、津島市は隣接する町村とまったく同じ焼却炉を使い、まったく同じ処理をしており、先進地とする根拠が私には理解できないのである。
 今回の事件に対しても、自然環境と法を守る観点から素早く厳しい処分が下されないと、市民の不信感も益々増幅されてくる。
                          11月30日の一言
勝負に情けは不要…
 大相撲九州場所は、横綱『朝青龍』が優勝し、年6場所のうち5場所を優勝で飾った。また、殊勲賞には白鵬、敢闘賞が琴欧州、技能賞には若の里が選ばれたが、若の里以外は全員が外国人力士によって占められた。
 一方で、優勝すれば横綱が決まる魁皇は、千秋楽に横綱朝青龍には勝ったものの12勝に終わった。
 横綱への昇進については、2場所連続優勝かそれに準ずる成績となっており、本来であれば魁皇の成績は完全に振り出しに戻ったはずであるが、相撲協会の幹部は来場所の成績によって判断すると発言している。
 実にあいまいな判断基準であり、これでは昇進できなかった小錦が可哀想だ。外国人力士の活躍と反比例してと言うより、日本人力士の不甲斐なさと比例して、相撲人気は低落し、観客の入場者数も場所ごとに減少し続けている。
 しかし、日本人の横綱を誕生させたい気持は理解できるものの、勝負の世界に情けは不要である。
 日本の国技とは言われるものの、現在の日本では相撲の素質のある中学生は高校に引き抜かれ、高校生は大学にスカウトされる。素質があって成績を残した生徒はほとんどが進学し、中学校から入門する者は減少の一途をたどっている。
 相撲で一旗あげようと入門してくる外国人力士はハングリーだ。相撲界だけが旧態依然の体制を維持しているが、他のプロスポーツ界の待遇が良くなる中では、素質のある少年が飛び込める環境への転換と、相撲だけに専念した結果が補償できる体制を整備して、体の大型化だけでなく、実力を備えた日本人力士の横綱誕生を期待したい。
                          11月29日の一言
来年度の役員さんで…
 本日は神守小学校区での「自主防災会」設立総会が開催された。新潟中越地震の発生や、相次いだ台風の上陸により時期的にはタイムリーではあるが、自主防災の理念や意味についての理解に乏しく、先進地の事例からすると非常に淋しい内容は否定できない総会であった。
 また、町内役員の任期に関係して、実質的には「来年度の役員で…」と解釈できる説明や、具体的な質問に的確な回答は無く、設立に批判的な意見や細かい質問には、参加した役員から質問を止める発言もあった。
 自主防災組織は、本来は地域から自発的に生まれる事が好ましいが、神守地区では行政の仕掛けによる設立であり、まったく中身の議論が先送りにされていても疑問の声すら出せない雰囲気でもあった。
 来賓の立場で質問する事もできなかったが、一部役員より「町内会への説明が何もされていない」ことや、参加は強制的では無い事の確認があったが、予算案を可決し、年度中に全所帯分の会費を納めてほしいとの連絡があった。はたしてこれが「自主組織」であって良いのか。
 自主防災組織の重要性は認め、以前の議会でも質問に立った事があるが、津島市の自主防災に対する取り組みは「本末転倒」であり、組織だけ立派に創られても本来理想とする地域の助け合いや、本当に自主的に考えて進められる「自主防災組織」の芽を摘んでしまう事になる。議論や自由な発言がタブーとされ、何でも良いから「早く終わってほしい」と言わんばかりの体質を垣間見る一日となった。

                           11月28日の一言
可哀想なカレンダー…
 自宅を見渡すと、あちこちに来年のカレンダーが目に付くようになった。年末を控えて今月の集金は意識して早く廻るためか、12月を前にしながら早くも忙しさが伝わってくる。
 夕刊には「あと118日」と、来年の万博までのカウントダウンが記されてくる。万博が目前なら、それ以前に常滑市の「中部国際空港」も開港間近と言う事になる。
 「いつか先の…」と思っていた事が、知らぬまに迫ってくる。「つい、この前には…」と思い返すと自分の一年間が一瞬のように過ぎている。
 長寿社会になって、現実に超高齢社会を迎えて、人々の寿命も確実に延びてはいるが、残された人生の年数を指折ってしまうのは私だけであろうか。こんな事を言うと、先輩達に叱られてしまいそうだが、どうしても自分の父親の亡くなった年齢から、残された年数を逆算してしまう。
 このあたりが、親が長生きな人と短命な人とでは若干感覚が違う気がしてくる。淋しい話を記してしまったが、毎年のように年末に襲ってくる感覚でもある。
 さて、それぞれ持参されるカレンダーは、新聞からガスや農協等と次々と増えていくが、半数以上はまったく開ける事なく、積んだままゴミとして捨てられる運命にある。いくら金をかけた豪華なカレンダーでも使われず捨てられていく。日本全体で作成されるカレンダーの総数はどのくらいになるのだろうか。又、使われずに捨てられるカレンダーの総数はどのくらいあるのだろうか。
 貰い物とは言え、買えば結構高い値段になるのである。可哀想なカレンダーをなくし、その分を社会に還元できたらと思う毎年である。

                          11月27日の一言
オバサンパワーへの期待…
 韓国から俳優ぺ・ヨンジュンが来日し、空港やホテルなど日本人の女性ファンが殺到してけが人まで出たと言う。
 女性ファンと言うよりは、「オバサン」達の集合であるが、あのパワーはいったいどのように解釈すればよいのだろうか。言葉も通じない韓国の俳優にどんな魅力があるのか理解に苦しむ。こんな事を記すと野暮になるが、この場面だけを見ると、北朝鮮の拉致問題も、台風による水害や地震によって避難生活を送る人々とはまるで別世界の「何でもあり」が罷り通る世界に思えてくる。
 あれだけの人数と、パワーがあったらと思う事がある。
 昨日の事になるが、ロシアから初めての日本人残留孤児のニーナさん(推定61才)が来日した。81年から始まった残留孤児の調査で、中国以外で初めての認定となる。
 本年は新たに12人の認定があったものの、ほとんどが確認できる資料に乏しく、厚生労働省はあと1、2年で調査を打ち切る方針を示している。
 今回のぺ・ヨンジュンの日程は非公開にも拘わらず、独自調査によって多くの「オバサン」達が先回りして結集していた。この情報収集と調査力を無にする事はない。実の父母や家族が亡くなり、残留孤児の情報も先細りとなるが、今一度「オバサンパワー」を発揮すれば、間違い無く新たな発見が期待できるはずである。
 残留孤児は今までに2千795人が認定されているが、ぺ・ヨンジュンに殺到した「オバサン」達の親族が存在するかも知れないと思うと、日本の「平和」と「平和ボケ」について真剣に考え込んでしまった。
                          11月26日の一言
本当の灯台下暗し…
 以前の一言(6月18日付)に「灯台下暗し」と題して記した事がある。この時は遠くの事ばかりに関心を寄せて、近くの魅力に気付かなかった事を記した。
 本日は、ホームページを開設した2月から、開設した自分自身が全く気付いていなかった事に初めて気付き(特別な意識は無いが)、改めて灯台下暗しを実感した。
 私のホームページを検索するために今までにも問い合せをいただいた事があるが、私のホームページの題名が「津島の新しい風」になっており、サイトの検索でも津島市議会議員とか大鹿一八の個人名では簡単に検索できなかったようでもある。
 もっとも、最近では個人名で「津島の新しい風」が検索でき、私自身は当たり前に思っていたが、このホームページには「津島の新しい風」とは何処にも表記されていなかったのである。
 「津島の新しい風」は、私の選挙の際のキャッチフレーズになっている。この一言にも大きな思い入れを持った支持者があり、2度目の選挙では「新しい津島の風」に変化しているのである。
 氏いわく、最初は津島市に「新しい風」を吹かしてほしいという期待を込めたキャッチフレーズで、2度目は私自身が「新しい風」だとの解釈にこだわりを持った変更でもあった。
 どっちも同じと思えるが、応援していただく方にとっては重大な事らしい。さて、議員になって6回目の正月を迎えようとしているが、津島市の風はどのように吹くのか。又、私自身はどのような風が吹かせられるのか。
 風にも色々あり、微風から旋風、強風、豪風雨、台風と様々である。少なくとも「無風」では公約違反や税金泥棒になるが、12月議会を控えて「風見鶏」が頭をクルクル回りだした毎日でもある。
                          11月25日の一言
豊作の北朝鮮に支援は不要…
 日本では台風の上陸が相次ぎ、農作物の被害も大きく、価格も高騰しているが、北朝鮮では10年ぶりの豊作になったという。
 穀倉地帯の灌漑設備の改修と同時に、天候に恵まれ病害虫が少なかったことが豊作の理由に挙げられているが、国連の世界食料計画によると、それでもなお50万トンの海外からの支援を必要にしていると言う。
 国連による支援対象者は高齢者や子供、女性というが本当に信じられる国だろうか。アフリカ大陸でも飢餓に苦しむ国々が存在する。しかし、それらの国々は、国内の紛争はあっても、北朝鮮のように核の存在を背景にしたミサイルの装備で、隣国への武力行使の構えを見せる国々ではない。
 国際社会に対して、自国独自の発言や対外批判も展開する北朝鮮に人道的支援が必要だろうか。北朝鮮自体が、国民の飢えた姿を公開していないのに、何故にスクープ写真によって飢える真実まで報道し、援助が議論されなければならないのか。
 多分に、「金正日」将軍様の手のひらの上で踊らされている。主張や発言は曲げず、国際支援はとりつける「金正日」の政治力は、小泉首相を軽くあしらっている。
 日本人拉致問題にしても、一緒に連れ去られた曽我さんの母親への関与は否定できるはずが無い。それでも嘘をつき続ける北朝鮮は全く信用できない国である。人道的支援を求めるなら、テレビやマスコミの前で「金正日」自身が助けを請うべきである。
 日本自体が借金にまみれ、地震や台風で苦しむ人々が全国に存在している現状からは、国際支援や対外援助どころでは無く、ましてや北朝鮮に援助する事は国民を無視した裏切り行為でもある。
                          11月24日の一言
人と人とのつながり…
 本日は天候にも恵まれ、京都市内は多くの観光客で賑わっていた。朝日旅行友の会の日帰りバス旅行は、南禅寺から銀閣寺までの哲学の道を散策の後、浄土宗の大本山・百万遍知恩寺を参拝後、大原の宝泉院でのライトアップと筑前琵琶と声明を鑑賞後に帰ってきました。
 愛知県と離れた京都において、人と人との縁を感じる一日となった。
 百万遍・知恩寺は、葉苅町の長福寺の本山にあたり、事前に連絡をとってもらっていた事や、津島市の西方寺(天王通り)の阿部さんが知恩寺におられる事から、我々のために読経のあと執事長が直接に説明と法話をしてくださった。
 観光地京都では拝観料の高いお寺が当たり前だが、拝観料も取らず御守と散華もいただき、宝物殿の特別拝観も見せてもらってきた。これも津島市の長福寺や西方寺など浄土宗各寺院のお陰である。
 大原・宝泉院の住職は、祖父江町善光寺の次男で、私の高校時代の同級生でもあり、以前から機会があれば訪問しているが、本日は大盛況で1回目のイベントに入りきれず一時間遅れの入場となった。
 筑前琵琶演奏と声明終了後に、住職は私を「ポン友」と人に紹介した。どんなに忙しく満員の時でも住職は私の同行者には必ず挨拶と説明に出てくれている。
 こんな配慮が来春の訪問につながっていく。私の政治活動の良きアドバイサーであるSさんが、住職とは従兄弟にあたる事も偶然に判った事だが、昭和63年から続いている朝日旅行友の会の原動力も、人と人とのつながりにある。

                           11月23日の一言
A級戦犯は永久戦犯…
 政治と言うものは、その時々において誠に身勝手なものである。東京都の日の丸や君が代の強制に対して、天皇陛下が「やさしい配慮の言葉」を発した事で、日の丸・君が代強制と「同じ主旨」と解釈する政治家がいたり、「天皇の政治的発言は不適切」と発言したり、まったく国民でも解かりそうな天皇陛下の言葉の真意をそれぞれが都合よく解釈して発言している。
 本日の夕刊によると、靖国神社参拝の中止を求める中国の胡錦涛国家主席に対して、小泉首相は「誠意をもって受け止める」と発言したものの、持論を繰り返して今後の参拝については明言を避けたと報じられた。そして、最近の原子力潜水艦の領海侵犯事件の再発防止を求めたという。
 日本と中国の友好関係を考える上で、靖国問題は避けて通れる問題ではない。小泉首相に直接物申す立場には無いが、何故にA級戦犯が祀られた靖国参拝にこだわるのかその真意が図りかねない。
 戦勝国が敗戦国を裁いた東京裁判には異論があるが、明らかにA級戦犯となった人物には、多くの相手国や日本国民をも戦死させた責任を免れる事は永久にできないのである。国民の合意や議論もなく、知らぬ間に靖国神社に合祀されたのは、明らかに国民の批判を認識した上での行為である。
 何も知らされず、国のためと信じて泣く泣く若き命を散らせた戦没者が、戦争の真実を知った時にA級戦犯との靖国合祀を喜ぶとは思えない。
 A級戦犯は永久戦犯であり、小泉首相はその事実からも中国首脳に対して、友好平和に向けた話し合いを進めるべきである。遠いアメリカとの友好にはこだわり、イラクで日本人の血が流されているが、今こそ隣りの中国との友好平和を推進し、アジアの平和に貢献する責任が日本にある事を認識されたい。

                           11月22日の一言
どこから入ってきたの?…
 昨日から奈良県の室生寺から吉野山の金峯山寺、和歌山県の高野山増福院の宿坊に泊まり、奥の院や金剛峯寺に出向いてきた。
 吉野山の金峯山寺では、日本最大の秘仏『金剛蔵王権現』の特別ご開帳によって、秘仏の真下まで案内してもらった。
 宿泊場所となった増福院では、午前6時半から朝の勤行に案内され、奥の院では本日が21日にあたる事から9時からの勤行に奥の内座まで入れてもらい礼拝した。
 宿坊への宿泊は初めての事だが、夕食時に出されたビールや日本酒はお寺の「もてなし」との事で、追加料金は取られなかった。
 びっくりしたのは人と車の多さである。世界文化遺産に指定された事で、観光客の数が格段に増加し、吉野山では県外の車が奥まで入り込み、通行人には迷惑な存在になっており、真言密教の聖地「高野山奥の院」では人が歩く参道まで観光の車が入り込んで立ち往生していた。
 四国を巡礼する者にとっては、聖地高野山が観光客で汚されているような気がしてならないが、僧侶のもてなしは観光地である京都とは違って参拝者にとっては温かいままでホッとした。
 問題は観光客の車である。常識では考えられない奥の院参道に入ったり、常識では考えられない事故による渋滞が相次ぎうんざりさせられた。

                          11月21日の一言
お待ちしているんですが…
 忙しい日程を続ける中で、二日間の雨は自分にとっては良い休養になったのかもしれないが、スケジュールは一杯で、溜まっていた市民からの依頼や仕事を片付けている時に、保健センターから電話が入った。
 「お待ちしているんですが…」との内容にびっくりして車を走らせた。昨日の事であるが、保健婦さんの個人指導の日程を勘違いしていたのである。幸いに「予防接種と重なり、時間を遅らそうかと思っていた」との言葉に救われたが、忙しさの中で自分の体が後回しになっており、その結果は数字となって現れてくる。
 津島市の施策の中で目立たないものの、『人にやさしい施策』が保健センターで実施されている。問題はせっかくの良策が保健センターの場所が遠いために利用できない人々が多い事である。
 「家庭訪問もしています」とは聞かされても、現実に家庭まで訪問してもらう気持にはならないし、現実に利用者も少ない。
 「市内各地に出かけて実施したらどうだろうか」との提案に、実際には上司の判断だが「私は構いませんよ」と前向きな言葉が返ってきた。言うのは簡単だが、実際に開催する場合にはどうするのか。無責任な発想に市民が乗ってくれるだろうか。「ちょっと考えてみるわね」と退室したが、新たな行動を必要とした約束が数点残っているのである。
 こんな調子で仕事量はどんどん拡大し、積み残された人々には公約違反や『センミツ』となってしまう。つい先日、「大鹿さーん、上高地行こうよ」と言われてびっくりした。車いすでの上高地は難題であるが、こんな一言が自分の励みにもなる。
 本日は神守丈友会(書道)の旅行であるが、車いすが同行する。23日の京都にも二台の車いすを持参する。言い続けると少しは変わっていく。

                            11月20日の一言
冷酷な誘拐殺人事件…
 奈良市で小学生1年生の女児が誘拐され殺害された事件では、犯人から母親の携帯電話に「娘はもらった」というメールと女児の顔写真が送りつけられたという。
 事件が報道された当初は、女児に持たせた携帯電話が話題にされ、「小学1年生でも携帯電話を持つ時代になったか」などとの会話が交わされていたが、携帯電話には子供の所在地を特定できるGPSが搭載されており、子供を心配する母親の親心が伝わると同時に、現代社会に挑戦する極めて悪質な犯罪として、犯人の早期逮捕に期待したい。
 子供に持たせた携帯電話から送られた無言の犯行声明と写真を目にした母親の心中を察するには余りある冷酷な犯罪である。
 全国各地で多発する連れ去り事件から、防犯パトロールや防犯ブザーの携帯など様々な対策がとられているものの事件を減少させるまでには至っていない。
 科学が発達し、何でも可能と思われる社会にあって、次々とおこる事件を我々はどのように理解すれば良いのだろうか。
 少なくとも、人の命を軽々しく弄んだ事件に対しての処罰が甘すぎるのではないだろうか。かつての武家社会では、「あだ討ち」が社会のルールとなっていた。人を殺めれば自分の命も狙われるのである。
 少年法の改正など一見して厳しくされた錯覚があるが、一方では死刑制度廃止を訴える学識者達もいる。しかし、人を襲うようになるとして子熊でも薬殺されている現状を考えると、不可抗力の事故や事件は別としても、明らかに人の殺害を前提にした事件には『厳罰』をもって臨まないと、今回のような事件が繰り返される事は間違いがない。
                           11月19日の一言
電話に足が一歩止まる…
 天気も雨となったが、一日で環境が大幅に変わる事を実感する一日となった。昨日までは電話のベルの音に急いで走っていたが、本日からは気の重い電話応対になった。
 2日前に22人しか無かったバス旅行の応募であるが、広告の効果によって満席になり、ホッと一息ついたところへ申し込みの電話が殺到し、せっかくの申込者に断りを告げなければならなくなったのである。
 何とかしたくとも出来ない現実から、電話の呼び出し音がなると足が一歩止まるようになってきた。
 宣伝しなければ応募が少なく自分の知人頼みになるし、宣伝すると集まりすぎて断りから嫌な思いをする事になる。このあたりの調整が難しい。
 これを記している最中にも電話が入った。知人に呼びかけて参加しようとする人には大変な迷惑をかけるだけでなく、次の参加意欲も無くされてしまう。
 こんな心配をするのも『自分のこだわり』があるからで、定員を設けずに大きく募れば何の事もないのであるが、そうすると批判される政治家の後援会活動の延長となり、行き先や食事会場も制約されて旅の楽しみは失われてしまうのである。
 電話の呼び出し音に足が一歩止まるのは、23年間続けた新聞販売店の習慣でもあった。元々、企画する行事も多く、電話応対も多かったが、早朝の入れ忘れの苦情や、月末や年末には新聞購読を巡るトラブルもあり、食事中の電話には一瞬緊張が走った事も今では懐かしい思い出となった。こんな時「成るようにしか成らない」と言うのは無責任であるが、こんな心境になりたい一日となった。
                          11月18日の一言
今は、議員さんでしたね…
 「ちょっと、新聞屋さんじゃないー」の声がかかった。「いやー、今は議員さんでしたね」と言葉が続いた。
 遅れに遅れた会報配布中の事であるが、畑で働く手を止めては申し訳ないのと、根っからの非社交的性格から、黙って通り過ぎようとしたところでの顛末である。
 新聞販売店を廃業して6年以上が経過したにもかかわらず、こうした声は心強く有難く聞こえるだけでなく、『廃業しなければ良かった』と、後ろ髪を引かれる心境にもなってくる。
 こうして出会った人々に貢献できる事もあるのだろうが、大抵の人々は「自分の事は自分で何とかするのが当たり前」と思って生活されている。
 考えてみると、本来は個人的な問題に議員の力を必要とする事自体が異常であり、我々議員は誰でも心配なく生活できる社会を提案したり、社会の仕組みを改善する立場にあって、議員だけの特別扱いは排除されなければならない。
 最近の一言に、「成るように成る」とか「動いたら動いただけの出会いがある」と記したが、その通りであると実感する一日となった。配布した会報を読んだ市役所幹部OBの訪問を受け、経験から想う提言や意見の交換に時間の経過を忘れ話し込んだ。2日前に開き直りの心境で記した募集の遅れていた23日のバス旅行も何とか参加者が出揃ってきた。(これは奇跡に近い?)
 さて、綱渡りの連続で毎日のスケジュールを組んでいるが、天気だけはいかんともしがたい。明日と明後日は雨との予報である。今すぐにでも会報配布に出向きたい心境を収め、これはこれで、遣り残した仕事も多いための『恵みの雨』にしたいと願っている。

                         11月17日の一言
西武鉄道の上場廃止…
 プロ野球のゴタゴタの最中に、1リーグ制を主張してオーナー会議を先導していた西武ライオンズが身売りの危機に瀕している。
 経営再建途中にあるダイエーの身売りも決定し、ソフトバンク社に譲渡されるとの報もあるが、日本一に輝いた西武ライオンズと、パリーグ一の実力を誇るダイエーホークスの身売りからプロ野球の勢力地図が大幅に変わろうとしている。
 本日、東京証券取引所は、有価証券報告書へ虚偽記載を続けていた西武鉄道の上場廃止を決定した。虚偽記載が47年以上に及び、東証の調査にも非協力であった事と投資家にも不利益を与えた西武鉄道は、株の譲渡で多くの企業や経営者に損害を与えた。株式の上場廃止によって、公共交通機関である西武鉄道の将来はどうなるのか、当分は社会の注目を集め続けそうである。
 1ヶ月前の一言で、ダイエーを辞めた中内功氏についてふれたが、西武の堤義明氏については世界の富豪にも数えられ、オリンピックのIOC会長やスポーツ界のトップに君臨し、日本の経済界にも大きな影響力をもった実力者だけに、今後の動向が気になるところである。
 プロ野球の混乱から、読売巨人軍の渡辺オーナーとともに悪役のイメージが浸透していたが、株の不正操作から身を引いたとたんに、本物の悪役として法律による裁きを受ける立場となった。巨大な西武グループの総帥だけに、企業の社会的責任は免れないとしても、責任と再建を他人任せにせずに公的企業の経営者として今一度の再起を期待したいものである。
                          11月16日の一言
結局は体力勝負…
 先週は四国巡礼で3日間家を空け、週末も座談会やセミナーによって慌しい日々を送ってきた。こんな時に限って大事な用件が起こるものである。
 10月から地域の祭壇組合の代表となっていたため、自宅の電話にも携帯電話につながるように転送装置を付けてあったが、巡礼先の高知県の山奥には電波も届かずつながらなかった。いざという時に備え、副会長へは手配がしてあったが、肝心の電話がつながらず関係者には大変な不都合をかけたようである。
 便利な世の中になって、自宅にかかった電話に旅先で出る事が可能になった。まったく知らない旅先でも車に搭載されたカーナビが勝手に案内してくれる。欲を言えばパソコンまで携帯すれば情報は万全となるが、これも近い将来には電話やカーナビと複合したものが開発されそうである。
 問題は情報の仕分けである。携帯電話に残された着歴から順次連絡するものの、一度に溜まった情報処理は大変となる。メールへの返信にも時間がかかる。座る時間に比例したような結果は期待できず、結局は自分の体力勝負になってくる。
 23日の日帰り旅行も半分程度しか集まっておらず、20日からのマイクロバスでの一泊旅行も同様な始末である。これは、明らかに事前の手抜きとPR不足が原因であり、今から前日までの自分の努力にかかってくる。

                           11月15日の一言
市が財政難、整備進まず…
 本日は常滑市で開催された「人にやさしい街づくり」地域セミナーに参加した。テーマは住みなれた街で暮らし続けるためにで、「地震に強く、人にやさしい街づくり」について日本福祉大学教授の児玉善郎教授の基調講演の後、4名のパネラーによるパネルディスカッションが展開された。
 さて、津島市については非常に淋しい現状しか「人にやさしい街づくり」は進捗しておらず、13日付の朝日新聞では「狭い歩道、お年寄りは車道へ。市が財政難、整備進まず」と津島市の「人にやさしい街づくり」の現状が大きな記事として掲載されていた。
 国の補助金削減から、救急医療制度など市民生活に直結する施策にも影響が出始めている。市長は来年の愛知万博に、川祭りの「巻きわら船」や秋祭りの山車を持ち込む構想を表明しているが、津島市を外国にPRする事よりも、津島市民の生活に関わる歩道の整備や、福祉、医療などを優先させるべきである。
 新潟中越地震は地域の生活そのものを壊滅状態に陥れた。しかし、10年もすれば災害に強く、人にやさしい街が再建されていくのである。
 津島市もゼロから出発するつもりで、財政再建を進めると同時に、市民の生活に直結する施策のみを充実させていかないと、財政面だけでなく「すべてに落第点」のつく魅力のない街になりそうである。いつ来るか判らない地震や災害に対しても、住民が共に助け合える体制を創るためには行政の旗振りは重要である。行政と住民が意識だけでも協働できれば「人にやさしい街づくり」は進展するものと信じてはいるが。

                         11月14日の一言
行政の説明不足から…
 本日の午後、まちかど座談会と、落語家の浪漫亭砂九出演による出前寄席を宇治団地集会所で実施した。
 この住宅では1年ぶりとなる座談会であるが、有難いのは住宅の人々に準備と後片付けを手伝っていただける事である。些細な気遣いによって「やる気」が「やらなければならない」気持に変わってくる。
 質問は2件で、日光橋架け替えの迂回路仮歩道の問題と、ゴミの分別に対する問題であった。質問に答えているうちに、説明する自分が行政の職員の代弁者になってしまっている事に気付いた。我々議員の質問に市の職員が答弁している姿を自分自身が演じている事に違和感をおぼえた。
 この座談会の目的は、市民の声を聞く事が主目的である事を忘れたかのように、行政の報告すべき事を議員である私が説明する背景には、明らかに行政の説明不足が横たわっているのである。
 日光橋の架け替えについては、工期が5年かかる事から多くの住民から不満の声が上がっているが、当団地のみならず、所在地の町内の住民にすら行政の説明会が開かれていないのである。現在進められている日光川流域下水道についても、すでに工事が始まっている神守町の中でも、神守住宅の住民には未だ説明会が実施されておらず、住民の不満の声があがっている。

                         11月13日の一言 
今度は、いつ来るんか…
 四国八十八ヵ所巡礼は、本日愛媛県の54番寺「延命寺」まで巡拝して、しまなみ海道経由で帰ってきました。来年の4月と5月の二回の巡拝で八十八ヵ所と高野山まで参拝する予定である。
 帰路の車中で、運転していく自分の責任を改めて感じた。ほとんどの参加者が70歳代から60歳以上であり、「もう二度と来れないだろう」などと感謝の言葉をもらう度に、もしも自分が病気やケガをしてマイクロバスが運転出来なくなった場合には、途中で巡拝が終わってしまう可能性も高いための責任である。
 又、四国巡礼を続ける立場で事故や不祥事を犯す事は、四国を歩いて廻っておられる巡礼者や、百回を超えて巡拝されておる方々の足元を汚す事になるために、来年まで身をきれいにして健康にも気を付けたいと思った。
 今回の巡拝中、納め札の箱から145回の巡礼をされた錦の札1枚を頂戴した。109回の巡拝を含む金の札3枚と銀の札1枚も頂戴して帰ってきた。とても足元には及ばないが、頂いた納め札を無にせず巡拝を重ね精進したいと思っている。
 四国では、都会では味わえないすがすがしい気持を感じる事ができる。50番繁多寺の門前でアイスクリームを売る「オヤジさん」の姿に、懐かしさから声をかけたところ料金を受け取って貰えなかった。「今度は、いつ来るんか」と言われ、「近いうちには」と答えたところ、「来年か」と言われ、つい、「できる事なら」と答えて名刺を渡してきた。たかだか200円のアイスクリームだが都会では忘れられた人と人とのふれ合いがあり、四国遍路の旅は終わりがないのである。

                         11月12日の一言
代役の依頼…
 10日から12日まで四国八十八ヵ所を巡礼中のため、帰宅後に顛末を書き込みます。
 大鹿の代役は「ほっこり庵エド」こと大川幸次さんに依頼しましたので、トップページの
「掲示板」をご覧ください。
 尚、家庭と事務所の電話は転送し私とつながりますし、家族の留守番がありますので何でも連絡して下さい。
                             大鹿 一八
常滑市に想う…
 本日は、「人にやさしい街づくり」連続講座の題材に選んだ常滑市の「やきもの散歩道」に関するグループワークのレポートを、常滑市役所に提出しに出向いた。
 メンバーの中で、常滑市在住のAさんが愛知県に登録されたアドバイサーになった事の披露も兼ねたグループ4名での訪問でもあった。
 彼女は車いす使用者だが、講座が始まった頃に「あんまり役所に文句を言うので口も訊いてもらえなくなった」と発言した事があった。彼女の社会参加の意欲と同時に、認識されていない能力を生かすためにも、市役所とのバリアを取り除き、今後の都市計画や街づくりの中で、障がいのある者の代表として参画する第一歩になって欲しいと、心から願うものである。
 常滑市では、窓口になって資料収集や関係各課に取り次いでもらった議会事務局や建築課、都市計画課、商工観光課、企画課を訪ね、保健センターや社会福祉協議会、社会福祉施設へもレポートを手渡して帰った。
 津島市と常滑市は人口規模も歴史の古さも共通するものがあり、地場産業の衰退も共通の現象を持ち参考になるものが多い。
 ただし、常滑市は中部国際空港の開港を控えており、鉄道や道路の整備のみならず、国際都市へ脱皮する光明は見え隠れしている。
 ただし、都市化や施設整備が進められる中で、生活する住民の存在が忘れられてはならない。常滑市には建物は古くとも施設の使い勝手の良さや、住民の互助精神は津島市も見習いたいものがある。良き伝統を守りながらの飛躍を期待したい。

                           11月9日の一言
ちょっと一杯やろうか…
 平成5年のPTA活動は、中学校の会長だけにとどまらず、津島市の連合会長と尾張や愛知県の役員も兼務していた。
 当時は、午前3時に新聞配送のトラックを迎え、配達の人々を送り出し、配達が完了したのを確認してから、わずかな仮眠をとって、連日のようにPTA活動に参加していた。
 正直な話だが、真面目に全ての行事に出席していたが、現在の市議会議員の公的行事よりも忙しい程のスケジュールであった。(勿論、真面目に毎日活動する議員や、正副議長の忙しさは別である)
 仕事をしながら、よくも体が動いたものだと当時の体力に感心して思い出している。「やっぱり歳がたっとるからなぁ」と言われればその通りであるが、忙しさも体を動かさない仕事の繰り返しはストレスが溜まってくる。そして、行事が迫ってくると周りが騒がしくなってくる。
 普通の生活からすれば異常であろうが、「成るように成る」とふてぶてしく考えていると、私を取り巻く家族や知人に大変な迷惑をかけている。今、暫らく…
 さて、何とか格好がついてきた。ここ数日間は、周りの人々の多大な協力をいただいてきた。昨日も「せめて晩飯でも…」という私に、「明日の朝も3時起きだろう」と言って知人達はさっさと帰っていった。その後の顛末である。
 「ちょっと相談があって…」と同級生が訪ねてきた。久々の訪問から「一杯やろうか」と誘われても、一日中会報配布を手伝って帰っていった同級生もあり、断り続けるものの、あまりにも熱心な誘いに事情を話すと、「呼んだらどうだ」となり、結局出掛ける事となって午前様になってしまった。
 逆転の発想である。腹一杯飲んでも本日は疲れも無く、元気そのものである。勿論、午前様でも3時には起きて会報配布には行ってきましたが、たまには忙しさを忘れた無茶も良いのかもしれない。
                          11月8日の一言
おい、ちょっと遅くないかぁ…
 「おい、ちょっと遅くないかぁー」とは、本日の会報配布で出会った人からいただいた一言である。「一番後回しにされとうへんか」とは、冗談であるが本音なのかもしれない。私の会報を待っていただく人の存在に感謝し、暫し立ち話となった。この会話も皮肉な偶然が生んだものだった。
 ここ暫らくは午前3時から会報を配布しているが、今朝は終了間近になって単車の後輪がパンクしてしまった。時間は午前5時30分、自宅までの距離は約3キロメートル。自宅に電話しても全員熟睡しているし、単車を置いて帰るのも後々面倒になるため、途中の修理屋まで押してから置いて帰ってきた。
 しかし、かつて新聞販売店をやっている頃であれば、家まで帰ってから改めて配達に出るところである。このあたりは責任もなく、気楽なものであるが、肝心の体が頭の先からつま先まで限界に近い状態となっていた。数年前まで苦もなくこなしていた事が倒れそうな重労働に思えてきた。
 こんな顛末から日中の出会いになったのである。修理を頼んだバイク屋もそうであるが、メモもせずに勝手に置いてきただけなのである。「直っているか確認した方が良い」との知人の心配をよそに、アウンの呼吸というのか、長年の付き合いから当たり前に修理されていた。
 日程が詰り、細かいスケジュール表を作ったが、なかなか意のままにはならない。一番思いのままにならないのが自分の体力になった事が淋しいが、成り行きでも成り行きなりに、動けば動いただけの出会いがある事を感じる一日となった。

                          11月7日の一言
無責任なクローバーテレビ…
 2ヶ月ほど前の事になるが、このインターネットのサーバーであるクローバーネットのトラブルで、ホームページの更新が出来なくなった事があった。
 毎日の一言を書き込む事を日課にしているため、復旧を待ちながらクローバーテレビからの連絡を待って滑り込みの更新をした。
 しかし、肝心な事は、メールの送信も出来なかった事から、翌日の複数の人々との会合の打ち合わせを携帯電話やファックスでやり取りして確認しあった後に、復旧したインターネット内に残っていたそれ以前に書き込んだ違う内容が流れてしまったのである。
 深夜の事で、電話での確認もできない相手の人達に翌日は大混乱と迷惑をかけたが、商売でもないので金銭的に示す被害はなかったものの、忙しい相手に時間的な労費をかけてしまった。
 昨晩の事であるが、パソコンの不調から個人的なトラブルか、サーバ元のトラブルかを確認する電話をかけたところ、電話が転送されてつながったものの会社は留守のため、明日の朝まで待ってほしいとの返事が返ってきた。一度は納得して受話器を下ろしたものの、初歩的な事と思い再度電話をかけると、同じく転送されたものの違う社員が応対して、色々指示はされたものの的外れで深夜2時までかかってガイドブックで確認した。
 結局は、トラブルがあっても夜は全く無人で対応が出来ないのである。インターネットに限らず、公共放送を中継する立場にある有線テレビとしては無責任極まりない。市民に知られていないのが、クローバーテレビには巨額の税金が投入されている事である。自主放送番組の倫理までは求めないが、通信や情報産業の一員としての自覚ぐらいは持ち合わせてほしい。
                        11月6日の一言
最後の尾張西部4市議員研修会…
 本日は尾西市役所において、尾張西部4市(一宮、稲沢、尾西、津島)の議員研修会が開催された。
 テーマは「分権改革下の地方議会の制度と運営」で、全国市議会議長会客員講師の村上栄一氏により、議会制度の問題点や議会と住民との協働などについて予定時間を超えた熱心な講演が続けられた。
 質疑応答の顛末である。議会での一般質問に対する関連質問について尾西市の議員より質問があった。講師からは「事前に通告する一般質問に対する関連質問は好ましくない」との意見が出された時、一宮市の議員から一斉に拍手が沸き起こったのである。
 尾西市の市議会では、議員の一般質問に対して、他の議員が何人でも関連質問を続ける事ができる。見方によっては、積極的で賛否両論の質問が飛び交うが、あらかじめ通告して質問した議員よりも関連質問の方が長く、最初の議員がかすんでしまうのである。
 来年4月の合併が決まっている一宮市としては、尾西市の慣例は受け入れ難く、講師の否定的な意見に拍手が起こったのはそのためである。
 もう一人から、会派のあり方や功罪について質問があった。質問した北岸議員は、私が初めて立候補した際に色々とアドバイスをもらい、私と同じく無所属の一匹狼を貫いており質問に共感して聞き入ったが、来年の合併を控えて一宮市と尾西市の間に吹くすきま風を垣間見るような、尾張西部4市では最後の研修会になった。
                         11月5日の一言
感傷に浸る暇もなし…
 忙しい一日となった。久々の会報配布で体が悲鳴をあげながらも、かつて慣れ親しんだペースに順応されつつある。
 自分の健康のためにも、当分は会報配布に専念したいのが本音であるが、公的行事や人の訃報は自分の意のままにはならない。
 本日は3ヶ月ぶりとなる葬儀に参列した。亡くなられた人は1年に一度だけ車で行事に送迎していた84歳の人であったが、いつも一緒に同乗される仲間の人達から、「今度からは3人になってしまったわ」と声を掛けられた時には、一人の死が与える周りの人々への影響を考えさせられた。
 久々の葬式で感傷的になっていたのか、図書館協議会の後で選挙管理委員会の委員長を退任された服部昭三さんの事務所を訪ねた。服部さんは平成2年に発行した「ふるさとアサヒ」の取材に訪れてからの付き合いだが、6年前に議員となってからは議員と選挙管理委員長の関係からゆっくりと話した事がなかった。
 昭和3年生れは私の父親と同年であるため、最初こそ趣味のサツキや絵画の話になっていたが、私が発行していた「ふるさとアサヒ」に関係したランカ堂写真の高橋来一さんやライオン写真館の長谷川さんの話になり、昨年亡くなられた奥さんの思い出話になると「みんな死んでってしまったなぁ」という内容になってしまった。
 帰路、肝心な事に気付く。昨日の座談会での質問や要望など山積しているではないか。明日は尾西市で研修会、土曜日と来週火曜日は常滑市、日曜日は水路清掃と地域のイベント、水・木・金と四国巡礼で土曜日に座談会と落語会で、日曜日が常滑市でのセミナーと指を折っていくと…座談会のPRチラシの印刷と配布、今週中のアンケート印刷、会報配布は誰がするのか、本当に苦難の毎日が続く。

                           11月4日の一言
一年も待っておれない…
 昨日から、会報津島の風の戸別配布を始めた。1ヶ月遅れの配布となったが、やはり議員は街中に出向く必要性を感じている。
 一件でも多く大量に配布するためには、いちいち声を掛けて廻る事は出来ないが、偶然出会う人々からでも市民生活の問題点や素朴な疑問が聞こえてくる。
 ただし、早朝の配布は体には厳しい。学生時代から23年にわたって続けた新聞販売店では、早朝の作業や配達も苦にしてこなかったが、今回の配布では足腰にきつくこたえてくる。会報配布も今回で22回目となるが、回を重ねるごとに厳しくなってくる。
 本日開催した神守住宅での「まちかど座談会」では、人数こそ10名(住宅からは7名)と少なかったものの、質問や意見が活発に出され、久々に中身のある内容の座談会となった。
 こういった座談会に参加される人は、何らかの意見や疑問をもって出向いておられるので、全員が発言できる規模としてはこのくらいが一番良いのかも知れない。
 「一年後にまた来ます」と発言したところ、「一年も待っておれない」と嬉しい一言があったが、「それまで寿命がもたない」と冗談とも本音ともとれる発言に、淋しさと議員の責任を感じて帰った。
 住民が不自由を感じない街づくりには、議員も行政も住民の声にもっと耳を傾け、広報誌の文字ではなく肉声での行政報告が必要であり、不自由を感じない事が当たり前との認識を住民自身も持って発言する事も必要である。

                          11月3日の一言
ライブドア堀江社長にエール…
 プロ野球の新規参入問題は、「楽天」に決まったと報じられた。当初からプロ野球への新規参入に名乗りを挙げていた「ライブドア」は落選となった。
 事前から楽天の優勢が伝えられていたが、元々楽天の参入はライブドア外しで、一部球団オーナーと示し合わせたものだったのかも知れない。
 企業規模については楽天が大きいが、アダルトサイトの問題は楽天の詭弁であり、ライブドアの堀江社長の方が正直でやる気は勝っていた。楽天の三木谷社長の無責任な候補地変更や、風見鶏発言から新球団の前途多難を予測する。
 ライブドアの堀江社長には、こんな腐りきったプロ野球には未練を残さず、必要とする場所での活躍を期待したい。数日前のテレビで、アマチュア野球チームの監督を無償で引き受けた元中日の谷沢健一さんを紹介する番組があった。すがすがしい気持になったが、現在の日本のプロ野球界は腐りきったオーナーや、アメリカ大リーグに行けない漏れた選手のマイナーリーグでしかない。
 ライブドアは、今年度末で閉鎖が決まった群馬県「高崎競馬場」への経営参加も申し入れている。地方競馬に限らず、競輪や競艇など地方での運営は厳しい経営状況で、存続の危機を迎えている所も多い。堀江社長はインターネットを使った馬券販売やレース中継でファンの拡大と収益が見込めると発言している。
 大阪の近鉄が赤字で経営を放棄した現状から、ライブドアの仙台参入へ割り込んだ楽天の新球団が東北で利益を出せるとは思えない。どうせ難しい進出なら、ライブドア堀江社長には地域が必要とする場所と部門へどんどん進出して業績を上げ、楽天とプロ野球界を見返してほしい。
                           11月2日の一言
悪徳ボランティアの横行…
 本日開会された津島市議会各派代表者会は、新潟中越地震に対する津島市議会としての対応を話し合うため急きょ開催された。
 過去の災害への対応例を聞きながら、新潟県へ津島市議会として各議員1万円ずつ25万円を送付する事を決めた。
 会議中、各地で水害が起きているが水害の被災地への対応は大丈夫かとの意見も出されたが、全国各地にまたがる台風被害に対応の基準が付けられず、「水害は水が引けば何とかなるから」と、今回は地震だけの話となった。当地方も0メートル地帯で水害の被害を被る事から、今後は何らかの対応も必要となるであろう。
 さて、嫌な話題も伝わってくる。ボランティアによる横着な事件や、ボランティアに便乗した商売である。ボランティアが閉店した店舗で、酒が買えないとの理由で店のガラスを割ったとの報や、まったく役に立たず「無駄飯食い」の迷惑ボランティアの存在も聞こえてくる。
 最近はボランティアに参加する事が当り前のような世情になりつつあるが、体力に不安のあるボランティアでは足手まといとなる。元々、仕事や家庭を持った人々のボランティアには限界もあるが、暇に任せたボランティア参加は選別も必要となっている。
 義援金を搾取する詐欺行為も各地で報告されているが、これも厳しく犯人を特定して厳しい措置を講じないと善意の義援金やボランティアの弊害になる。
 人の弱みに付け込む悪徳商法も、確実に時代の変化とともに変貌しつつ無くならないものなのだろうか。
                         11月1日の一言
お千代さん頑張れ…
 本日は、名古屋市の厚生年金会館で開かれた「島倉千代子・歌手生活50周年記念リサイタル」を鑑賞してきた。
 縁あって津島市から90名の参加者に付いていくだけの予定であったが、元県議井桁亮君のお陰で入場の機会を得たのであった。
 着席するなり隣りのカミさんから、「恥ずかしいから大声を出さないで」とクギを指されて退屈していると、前席の客が見る島倉千代子のアルバムの中に「鶴田浩二」の写真を発見した。
 早速走っていって買い求めたが、終了後に島倉千代子さんのマネージャーからカミさんが貰ったそうで、「勿体無い」と文句を言われたが、鶴田浩二と2人で写った写真によってリサイタルを見る気持が変わり、鶴田浩二を思い出し涙まで流れてきた。
 島倉千代子は昭和30年に16才でデビューしているが、鶴田浩二は昭和23年に映画俳優としてデビューし、28年に岸恵子と共演した「ハワイの夜」から二人のロマンスが話題になる看板スターで、歌も28年に「街のサンドイッチマン」が大ヒットし、30年には「赤と黒のブルースが大ヒットしていた頃であった。
 アルバムの写真は昭和31年とあったが、鶴田浩二と接した人が50年の歳月を歌手一筋に頑張り、未だ現役で歌う姿に感動した。ファンにとっては元気で唄い続けてもらえる事は最高の健康法でもある。
 私も島倉千代子さんのお陰で、たった一枚とは言え貴重な「鶴田浩二」の笑顔を手に入れた。「ガンバレー・お千代さん」、鶴田浩二の縁続きで応援するよ。

                         10月31日の一言
被災地に冷たい雨…
 本日は9月議会の報告を兼ねた会報22号の印刷を始めた。1ヶ月遅れの発行になるが来週中にはアンケート用紙の印刷も待っており、配布も考えると今までに無い厳しいスケジュールが考えられる。当分は新聞配達のつもりになって、覚悟して乗り切るしか無いようである。
 こんな時の雨は痛手となる。午後からは、3日に開催する「まちかど座談会」の案内チラシを配布の予定であったが、雨の中での配布は濡れるだけでなく、入れられたポストの郵便物も濡らすために中止する事になった。
 こんな事でも痛手に思っているが、新潟県の地震による被災地や、全国各地の台風による水害や土砂崩れの被災者にとっては追い討ちをかける雨でもある。
 甚大な新潟中越地震の報道によって、忘れられたかのような印象を持つが、ほとんどが手付かずの状態のままとなっている。津島市議会でも義援金を集め、月曜日には各派代表者会を開き対応を協議するが、こんな場合はどんな仕事や予定を後回しにしてでも、救援に走るべきだったと反省もしている。
 次々と台風が上陸し、大地震が起こり、多くの死者や負傷者が出た。日本中が大騒動の中で、イラクに出かけた日本人の青年が人質となった。ともすると、自分の身勝手で出向いたと批判されて当然に思われるが、人の命を盾に脅迫し、人命を次々と奪う武装集団については世界中が厳しい対応をするべきである。青年にも親や兄弟もあり、一人の命と軽視せず厳しい対応を求めたい。
                         10月30日の一言
一通の転居通知に祈る…
 最近は電子メールが主流になりつつあるが、ポストに配達される手紙には差出人の真心がこもっていて温かいものが伝わってくる。もっとも、多くは請求書やチラシの部類がほとんどであるが。
 本日は、多摩の全生園から社会復帰を果たされた平野昭さんから、転居の手紙が届けられてきた。
 早速久々に連絡をすると元気な返事が返ってきたが、元ハンセン病の人達にとって現実は厳しく難しい問題が残ったままで、国や県がいくら何を言っても、故郷の市町村の理解と受け入れる体勢が取れなければ故郷に帰る事は叶わない。
 平野さんは奥様の故郷である静岡県沼津市から、新しい人生をスタートされるとの事であるが、愛知県への帰郷を何度も口にされ、県知事に直訴したにもかかわらず希望は叶わなかった。
 国や県の方針で、なかば強制的に施設へ収容され、それが誤った政策だったとの司法判断から国が謝罪したにもかかわらず、国や県は彼らを故郷に返せない現実に永い差別と偏見の歴史を痛感する。
 「真の人権回復をめざし繰り返される運動に微力ながら参加させて頂き、第二の人生を納得の行くまで自らの志を貫く思いを新たにしています」との文面に、地方議員として微力でも変わらぬ協力を続ける事と、多くの元患者の人々の故郷帰還が叶う事を祈らずにはいられない。
                         10月29日の一言
議員は何様なんだ…
 本日と明日の二日間、名古屋市の国際会議場において「全国都市問題会議」が開催され、本日は津島市から市長をはじめ職員2名と議員17名が参加した。
 この会議は今年で66回目となり、一昨年は長崎県佐世保市、昨年は岐阜県高山市で開催された。本年のテーマは「環境と共生するまちづくり」で、登山家の野口健氏の「富士山から日本を変える」や専門家や大学教授の報告と、地元名古屋市の松原市長より主報告があった。
 沖縄県を除く全国から市長をはじめ市議会議員など2千29人の参加する大きな会議であるが、開催地が名古屋のために報告の新鮮さに欠け、日本全国を襲った台風や地震災害の後遺症と、議員の良からぬ体質も垣間見て不愉快な一日にもなった。
 開会は9時半であったが、あまりにも早く到着したため座席だけ確保してから、知人の議員達と談笑後に座席に戻ると、日向市の紙が座席に張ってあった。
 「ここは私の座席だが」と言うと、「ここは日向市議会で取ってあった」と日向市議会の職員は主張した。荷物を置いた時点では張り紙も無く、明らかに自分が先客であったが早朝よりいらぬ議論も不要と思い、他の席に移動する事にしたものの空席が無く、二階席になってしまった。
 二階席も当初は気にならなかったが、午後にはタバコの臭いが充満し最悪となった。喫煙は廊下だが、全ての煙が二階に集まってきたのであろう。議員の喫煙は世の禁煙運動とは無縁の世界である。イライラは最高潮に達して、日向市と、向日市と勘違いし京都府へも勝手に八つ当たりしていた。
 市民を代表する議員が、「何様」かは知らないが、団体旅行でもあるまいに座席に張り紙までして事前に確保する必要があるのか。職員に座席を確保させ直前に到着した議員達への腹の虫が治まらず、帰宅後に確認すると日向市は宮崎県であった。都会では考えられないマナーが宮崎県には存在する。
                           10月28日の一言
山までは動かせない…
 23日から行方不明になり、昨日長岡市の土砂崩れ現場で車が発見された母子3人の救出作業が続けられ、2才の長男は無事救出されたものの、母親は心肺停止状態での搬出で、3才の長女は依然発見に至っていない。
 今日の午後2時半には母親の声が確認されているだけに、科学や医学の発展した現代においても自然の脅威の前には歯がたたない現実を見せつけられた。
 当地方は山の無い平地である事から、心配は水害対策になってくるが、高速道路が整備され、簡単に遠くまで外出が可能なために、今回のような山崩れに遭遇する事も想定した対策や準備も必要である。
 9月議会では、小学生に配布された防犯笛の限界から防犯ブザーの必要性を訴えて質問した。何も無いよりは笛でも役に立つかもしれないが、事故や犯罪に巻き込まれた場合には防犯笛では役に立たない。今回の事例から改めて対策が必要に思った。
 行方不明の母親も携帯電話を持っていたが、地震発生後には通話不能になっていた。水没か完全に粉砕された事が考えられたが、完全に岩や土砂に埋まって連絡が取れなかった。車が発見されて一日後の救出作業であるが、もし、仮に、昨日生存が確認されていたら、夜を徹してでも救出作業が行われた可能性が高いだけに無念である。
 閉幕したITS会議では、自動車メーカーの先進技術がPRされていたが、海や港には長期間水没したままの車が発見される。今回も何らかの居場所確認が可能であれば救われており、人命を守るための対策がまだまだ不足している事を痛感する。
                          10月27日の一言
先輩からの手紙…
 新潟中越地震の情報や、台風の影響による雨に影響されて何故か暗い気分になっていたが、雨中のポストの中に心温まる手紙が届いていた。
 日曜日に開かれた高校の同窓会役員会で、久々に顔を合わせた先輩からであった。
 私は普通の生徒とは違って、二度の落第によって高校生活を5年送っている。非行に走って困られた時期もあるが、恩師や地域の先輩達に救われた。校長の樋田豊先生は同じ津島市だった事もあり、そんな私を自分の地域史の調査にいつも同行させ、大先輩や地域の名士の家にも不良姿の私を連れて行かれた。
 そんな事もあってか、私は卒業と同時に同窓会の役員に選ばれ、一時は卒業式にも呼ばれるほど頑張っていた時期があった。
 私にとっては出生地であり、多くの先輩に可愛がられていた故郷を、この10年程は全く忘れた生活をしていた。6年前の選挙の際には、地元でも政治に関わらない先輩から全卒業生に推薦文を送ってもらった。
 こんなすばらしい故郷「祖父江町」の町名が消え、母校の名前が変わる時になって久々に再会した先輩達から温かい声をかけてもらった。
 手紙を戴いた先輩は、今年息子さんを病気で亡くされている。本来なら後輩の私が取るべき配慮を無神経にも先輩から受けてしまった。こんなすばらしい気持になれる故里や、世話になった先輩達のためにも頑張らなければと思う一日となった。

                          10月26日の一言
ボランティア精神の欠如…
 台風23号の被害に対する処理が始まろうという時に、阪神大震災を凌ぐ地震が新潟中越地方で起こった。人的被害こそ都市部の地震と違って少ないが、鉄道や道路は壊滅的で、未だに孤立したままの集落が58もあると伝わっている。
 台風23号による停電によって、当地方でも情報の無い事の大変さが叔父のホームページから発信されていた。今回の地震では復旧するあての無い電気やガスの心配どころか、自分の住む家まで失い言葉すら出せない心境ではないだろうか。
 しかし、災害は何時何所に起こるか判らない。今回のように連続した台風や豪雨の後に地震が発生し、回復を待たずに長い冬の降雪が迫ってくる。
 こんな大災害にも自分は全く他人事のようにパソコンに座っている。本日の夕刊に、新潟県のボランティアが台風被災地の兵庫県豊岡市から急きょ新潟へとんぼ返りしたと報じられていた。
 会報の遅れやアンケートの遅れ、座談会やコンサート、旅行会などと自分個人の仕事の遅れに神経を使う前に、市民の税金を貰う立場の議員として、全国何所でも走っていくボランティア精神の欠如を痛感した。今すぐとはいかないが、そういう体勢を早急に進めていきたい。

叔父のホームページへ               10月25日の一言
久々の母校…
 久々に高校の先輩達に会った。私の卒業した県立祖父江高校と平和高校が統合され、来年からは杏和高校として再スタートする事から、今後の同窓会活動についての役員会だった。
 廃校となる平和高校に比べれば、校舎が引き継がれるのが救いではあるが、母校の名前が消える事は淋しい現実である。私にとっては、出生地の祖父江町の名前も来年四月の合併によって稲沢市に変わろうとしている。
 統合後の学校についての質問も出されたが、規模は大きくなるものの特別大きな変化は望めず、愛知県の都合による身勝手な統廃合の感は否めない。新しい体育館の緞帳の校章や校旗も同窓会の会費でまかないたいとの虫の良い話でもある。
 S先輩は定年で4年前に教職を退いておられた。M先輩は北陸地方の某省のトップに就いておられたが、新潟地震発生のため束の間の帰郷となりそうだ。横着な後輩を見守っていただいた先輩達との会話は、時の経過の早さを実感しながら、先輩後輩の絆を改めて感じた。
 大正5年から続いた母校の歴史を、名称は変わるものの、同窓会役員の一員として盛り上げていきたいと思う。しかし、故郷はありがたい。帰路、銀杏最中とウイロウを買い母の在所を訪れた。

                          10月24日の一言
人にやさしい街づくり発表会…
 台風の影響で中止された「人にやさしい街づくり」連続講座のグループワークの発表会が、本日名古屋のNPO交流プラザで開催された。
 津島市からは、3名の受講生と私が実行委員のサポーターという立場で参加していたが、全員無事に受講の修了証を手にし、愛知県の人にやさしい街づくりアドバイサーとして、今後の街づくりにその手腕を発揮されるものと期待している。
 7月から3ヶ月とは言え、毎週土曜日に名古屋まで出向き、難しい学習と同時に、県内各地のボランティア活動家と一緒に活動した実績は、津島市の多くのボランティアと比較しても決してひけを取らない自負はあるし、受講生も独り立ちできるだけの人脈も手にされたと思う。
 地域で不都合を感じる時や、新しい施策を期待する時には、行政に期待や要望するのでは無く、自分達で何とかしようという気持で結果を出していきたいと思う。
 隣接する蟹江町から参加された町会議員の中村英子さんから、「津島市のメンバーも一緒にやりましょう」とのエールが上がった。
 地域に境界線はない。人間が勝手に作った境界線は忘れて、一緒に「だれにもやさしい街づくり」に向けて頑張りたいと思った。
 人生なんてあっという間に終わってしまう。限りある人生を共有できる友を得た喜びを感じる一日となった。

                          10月23日の一言
台風と高齢者被害…
 台風23号の被害が報告されるにしたがって、その被害の大きさに驚かされている。たまたま、愛知県からはコースが外れ、被害は最小限にとどまっているが、関東から九州にかけて2府18県で、73人の死亡と行方不明者14人が報じられている。
 ほとんど毎週のような台風上陸と秋雨前線による影響で、西日本から東日本全体が土砂崩れの危険をはらんでいる。
 国では、東海沖地震や南海、東南海の地震に対して特別な対策をとって備えているが、毎年確実に到来する台風についても、今一度真剣な対応が求められそうである。
 当地方も海抜ゼロメートル地帯だけに、台風の規模や満潮などの条件が重なれば甚大な被害を被る可能性は高い。
 台風に対する対策が何もなされないとしたら、地震対策はお手上げと言える。
 今回の台風の被害者の多くが高齢者であり、年間をとおしても被害者は高齢者が圧倒的に多い。これをどのように考えれば良いのか。偶然だが、最近頻発する熊による被害者も高齢者が多い。
 高齢者が安心して生活していくためには何が不足しているのか。今こそ問題意識を持って、対策を考えたいし被害を食い止めたいものである。

                           10月22日の一言
台風で報道・首長の海外視察…
 台風23号は全国各地に甚大な被害を及ぼし、死者56名行方不明29人と79年以降最悪の結果をもたらした。
 今年になって上陸した台風は過去最多の10個目となり、死者不明者の数は190人を超えた。毎週の台風によって西日本だけでなく、全国各地の山が崩れ水に浸かった。
 こんな中で県内17町村の首長が、海外視察に出掛けていた事が報じられた。
 愛知県町村会の主催で、17日より名古屋空港からニースに向けて出発し、イタリアも訪れた後24日に帰国する予定だそうだ。
 台風によって思わぬ報道となったが、危機管理ウンヌンよりも視察の中身が問題となってくるが、公式訪問は2ヶ所だけという。
 明らかに観光が目的であり、視察を兼ねた親睦旅行と批判されても弁解の余地がない。参加した首長の多くが、市町村合併で来春消え去る自治体のトップというのも、視察の必要性の有無と同時に、最後の論功行賞的慰安会旅行の指摘と、税金の無駄使いの批判は免れないと思う。
 隣接する、佐織町、八開村、立田村の首長も揃って参加しているが、この時期に海外まで出向いて視察する必要が見当たらない。こんな町村の首長達に対等合併をお願いに出向いた津島市長が情けなくなると同時に、こんなレベルの町村との合併が進まなかった事に、改めて内心ホッとした。

                          10月21日の一言
ハゲタカによる企業再建…
 ダイエーの再建問題や西武鉄道の株不正売却問題が表面化し、プロ野球の再建問題にも影響が出そうな気配になってきた。
 ダイエーの再建に、不良債権を抱え自立不能で合併に生きる道を見出したUFJ銀行が説得にあたるという、前代未聞の茶番劇が見られたが、そのダイエーが抱える球団ホークスをソフトバンクの孫正義社長が買収に名乗りを挙げた。
 銀行の再建には国の税金が投入され、そのうえでも不良債権を抱えて前途多難な銀行の都合で公的再建にあたるという図式には企業倫理が見えてこない。
 ダイエーの創業者中内功氏は戦後一人で薬局を開業後、昭和32年にダイエー1号店を創立し、オープンから40年でグループの売上5兆円を達成させ、関連企業300社、社員数10万人を率い、経団連副会長まで努めた人物である。
 巨額の借入金と売上不振の責任をとり社長を辞任し、その後全ての資産を投げ出して3年前にダイエーから姿を消した。
 経営責任とは言え、こんな形でダイエーが姿を変えるのであれば、個人資産だけでも確保して、切り売りして再建した方が良かったのではないか。
 ダイエーホークス買収に名乗りを挙げた孫社長は、ダイエー本社や球団には挨拶もなく、産業再生機構に直接交渉を始めた。まさに「仁義なき戦い」である。ダイエーを去る時、愛社精神と自己責任から中内氏は資産を投げ出したが、再建にあたる関係者や買収を名乗りでた孫社長からは「ハゲタカ」のような印象しか見て取れぬのが悲しい。

                           10月20日の一言
遠い脱マイカー社会…
 ITS(高度道路交通システム)世界会議が名古屋で開かれている。港区のポートメッセなごやでは、市民が参加できる展示も予定されているが、馴染みのない横文字による報道によってせっかくの機会が広く浸透しないまま終わりそうである。
 今回の会議では、事故防止や交通安全対策、渋滞緩和により安全で便利な交通社会を目標にしている。最先端の技術を酷使すれば、車の速度の調整や一時停止、急ブレーキも自在に制御され、明らかに事故防止が可能な社会が間近に迫っている。又、歩行者の安全も障害者の外出も格段に進歩した技術が披露されている。
 しかし、…である。現実にはスピード社会の中で、交通事故は大事故が続発し、車の盗難も野放しのように増加しているのである。今回の会議も主力の自動車会社は先端技術の披露にあり注目もされている。
 自動車会社の販売戦略の中での車の交通安全と、道路を歩く歩行者や自転車の側からの安全とでは、基本的な考えがまったく違うのである。
 愛知県はトヨタ自動車の膝元のために、完全な車社会になっている。脱マイカーの実験が豊田市で始まるあたりにメーカーに踊らされている。早くて便利な電車が利用者減で赤字に苦しんでいるが、駅周辺に車の駐車場を整備する事で、公共交通機関は充実し道路の渋滞も緩和できる。発想の転換が求められている。

                         10月19日の一言
荷物の無断放置…
 昨日の夜の事であるが、我家の駐車場に荷物が3個置いてあった。当初は息子が車中から置いていった物かと思っていたが、中身を確認すると生活用品であった。
 もしかして、娘が一時的に置いていった物かもしれないと確認すると、まったく他人の置いた物で、裏にはもっと大量の荷物が放置されていた。
 中身には使える品物もある事から、引越しの荷物の放置か、一時的に置いて取りにくるものかは分からないが、個人の駐車場に勝手に置かれる事は大変な迷惑である。
 勝手に処分して、後から文句を言われても困る事から、当初は警察に連絡しようか迷ったものの結局市役所に連絡した。
 私有地に勝手に捨てられた荷物も、地主の責任で処分してくれとの事だが、何故に勝手に放置された被害者が荷物を処分する責任があるのか疑問でもある。
 しかし、この荷物を道路の歩道に出しておけば道路管理者の仕事として市役所が片付けるのであるが、放置した本人として責任を追及されるのも困る。
 結局、家族が清掃事務所に持ち込む事になったが、ゴミに限らず他人に迷惑をかける人間には厳罰を下したい。稲刈りが済むと、田んぼには多くの空き缶が目につくようになる。これも捨てられた道路に捨て返すべきである。製造したメーカーに取りにこさせるくらいの厳しさで臨み、被害者の泣き寝入りが当り前の社会にしてはならない。

                          10月18日の一言
地域防災訓練から…
 本日は早朝より地域防災訓練が実施され、神守地区と高台寺地区の各町内の人々と防災・消防関係者が神守中学校に集まった。
 あらかじめ日時が決まった訓練だから、各団体が計画どおりに連携もできたが、現実に突然起こる災害では本当に大丈夫だろうか。
 地震災害にしても当地方は海抜0メートル地帯であり、堤防が決壊すれば救急車も消防車も走ってはこれないのである。台風、地震、水害と考えれば訓練も大切だが、いざという時の近所の連携が重要でもある。
 かつては家の新築から冠婚葬祭まで、地域全体が協力する体制が自然と行われていた。しかし、最近は隣り近所との関係が疎遠になり、葬儀も施設へ持ち出す人が多くなりつつある。
 一見、隣り近所への配慮とも思えるが、隣り近所の関係が希薄になっており、火事や災害時の連携が心配でもある。
 せっかくの町内会組織を行政の連絡係に終わらせず、地域の防災力や防犯も含めて、自分達の問題を議論する場にしていく必要性を感じている。

                          10月17日の一言
議員と市民のカベ…
 市議会議員と市民の間には大きなカベが現存する。知人とか同級生や近所の人にはカベは存在しないものの、離れた町内となると大きなカベを感じる事も多い。
 長い歴史の中で出来上がった議員と市民のカベであるが、選挙の時にあれだけ身近に感ずる関係が日常では非常に遠くなる。
 昨年より毎月実施してきた「まちかど座談会」では、市民の声や意見を聞くことと同時に、落語家の浪漫亭砂九さんの古典落語も披露しているが、議員には集会所を貸せないという町内や、使用料が2万円もする集会所も存在する。
 選挙の時に個人演説会の会場として貸し出される集会場が、議員の日常の政治報告や意見集約の場として貸し出されない事は矛盾である。選挙運動には貸せて、政治活動に貸せないのは本末転倒でもある。
 「大鹿さんには貸したいが、共〇党や公〇党が来たときに断れない」との断りもあるが、日頃の議員活動を排除されては市民の声は代弁しようがない。
 その割には、「あれは〇×先生に頼んで…」との話も後をたたない。議員を「先生」と呼ぶ事にも大きな抵抗があるが、長年の慣習を破り、市民と同じ目線で語れる議員が「変わり者」と思われない社会を実現したい。

                            10月16日の一言
瀬戸際の行動…
 自分の都合で仕事が遅れるうちは自分の事で済ませるが、予定した行事は待っていてくれない。
 11月のバス旅行も日時が迫り、名鉄観光と話を進めるものの、行き先こそ京都と決まっているが、あれこれと希望が多く、こだわりもあるため料金がどんどん高くなる。夜のライトアップを入れるために昼食だけでなく夕食の手配も必要になり料金も跳ね上がる。
 格安ツアーが当り前の世の中だが、行き先にこだわると一泊並みの料金になってしまうのである。
 一方では、こんなに安いのかとびっくりする企画もある。年末の買い物ツアーに越前カニ一匹の昼食が付いて4千円ちょっと。「よし、決めた」と12月23日の旅行が決定した。
 安いものは簡単に決まるが、高いものはなかなか決まらない。ましてや京都は11月は超満員。23日の日帰り企画の前にも京都一泊旅行を予定しているが、宿泊施設はすべて満室状態である。大変だが旅の予定は楽しい。
 「こんにちは」と来客。そう言えば、10月31日も島倉千代子のコンサートがあった。津島市からバス3台の手配は自分がしていたものの、肝心の宣伝が何もしてないではないか。
 追い詰められないと何も出来ない性格は、日々が追い詰められた行動になり、胃や心臓にも悪いとは判っていても、瀬戸際の行動しか出来ないから中途半端になりやすい。それが判っていても動けないのは何故だろうか。

                           10月15日の一言
巡礼の邪心…
 四国巡礼の旅も先月より2巡目に入った。四国八十八ヵ所巡りでは参拝する寺院の本堂と大師堂に巡拝者が納め札を納める箱がある。中身を覗くと、ほとんどが白い納め札の中に青い札(緑色)や赤い札も混じっている。
 納め札にも決まりがあって、初めて巡拝する人から4回目までは白い納め札で、5回目から7回までが青札、8回から24回が赤、24回から49回が銀、50回から99回までが金の収め札となっている。百回以上の巡拝者は錦の札であるがこれはめったに目にする事ができない。
 四国を4回以上巡拝するだけてなく、多くの人々を導く事で関係寺院の推薦を受けると、霊場会の講習を受け「公認先達」の資格が与えられる。
 私も、白い納め札を青色にする事と、公認先達を目標に巡拝しているが、ここにも厳しい社会情勢の影響と、荒んだ世情から悪評も耳にする。
 公認先達の資格を利用した商売である。公認先達にも位があり、巡拝回数を増やすために朱印だけで参拝もしない先達や、旅行社や土産物屋と結託して金を稼ぐ先達の存在が批判されている。
 人間は金には弱い。日頃そういう社会を批判していても、思わぬ形で謝礼を手にすると本心は嬉しくなる。2回目の巡礼では、記念写真を撮ったお礼と宿泊のお礼に些少ではあるが謝礼をいただいた。旅の常識と思って喜んでいたが、罪にはならないものの自分の政治哲学に反するとともに、金に対する感覚が麻痺する事から、今後は固辞するか戴いたら寺院の賽銭箱に(惜しいが)入れたい。

                          10月14日の一言
時間の無駄…
 10月4日から開かれていた決算審査特別委員会は本日で全て終了いたしました。この委員会では、昨年15年度の決算を審査するものであるが、どうしても現在の現状や将来の見通しについての質問になり、随分と余分な時間を費やしていた。
 判らない事をそのままにせず、聞く事は大切であるが、行政が最近の委員会でも説明している内容を議員の不勉強で聞く事は、内容を理解している議員にとっては大変迷惑な事であるし、職員も腹の中では議員の不勉強を笑っているのかもしれない。
 議員になったばかりの時に先輩の水谷議員から、「一年生議員のうちは勉強のため自分の所属以外の委員会も傍聴した方が良い」と言われて、全ての委員会に出席する事になった。
 一年後に会派を飛び出して「一人会派」になり、情報不足を補うためにも全委員会への出席は不可欠となった。再選挙を経て一年生議員ではなくなったし、一人会派でもなくなったが、全委員会を傍聴する事によって最近では行政の施策がよく見えるようになってきた。
 ともすると、判りきった進行から「時間の無駄」とも思えるが、一度でも欠席するとその空白を埋める事は至難の業となる。はっきりと言える事は、いくら経験を積んだ議員であっても、委員会の発表と説明を聞いていなければ何も判らないのである。
 自分の反省も多い。昨日の委員会後に国保税について職員から勉強し直した。次々に制度が改定されるために、古い知識が邪魔をする事もある。恥ずかしい話だが、こんな貧乏生活でも制度上は上位所得者に分類され、高額療養費の還付条件が極めて高い中に入っている。「万が一を考えた方が良い」と市職員の助言を受けた。

                           10月13日の一言
国保税の滞納問題…
 本日の決算審査特別委員会でも、国民健康保険税の滞納、収納率が問題になった。年々低下する収納率は、津島市だけの問題ではなく、全国的な現象でもあるが、この問題の解決なくして健全な財政運営は有り得ないし、真面目に税金を納付する市民の生活にも影響がでるほど国保会計はピンチを迎えている。
 滞納額が1割と聞いた市民は何を思うか。誰もが真面目に税金を納める事のバカらしさを感じる事と思われる。
 議会でも度々問題提起がされるが、一生懸命集めていると担当部署から報告されると、肝心の滞納者の存在を置いたまま、国保税の税額や、制度の改革へと話題が変わってしまう。
 一番の問題は、国保税を納めない横着者にある。また、国保税の滞納を減らすために採用された嘱託徴収員(アルバイト)の限界が見えてきた。収納率は年々低下する中で、嘱託徴収員は月額20万円以上の報酬を得ている。
 現実には支払いが難しい家庭も存在する。しかし、低所得者への支援措置は増えても、横着者は横着とも思わず滞納を続けるのである。
 滞納者も家族が入院する事になるとあわてて市役所に走る。入院費が高額になると高額療養費の還付金は受け取り、国保税の支払いは後回しにされる。いつまで経っても滞納は減っていかないのである。真面目な市民が納得できる対応が求められている。

                          10月12日の一言
田舎は大変だ…
 台風により出来た時間と連休を利用してと思っていたが、結局何もできないまま終わってしまった。
 久々に出来た時間だが、体が思うように動かなかった。台風がなかったら予定どおりスケジュールをこなしていたと思われるが、3日間の休憩は自分のツケとなって残る事になった。
 昨晩は地元の祭壇を管理する互助会の役員会が開かれた。町内には5つの講組があり、役員は持ち廻りであるが、本年10月から2年間にわたり自分が会長を努める事となった。
 順番に廻ってきた役員であるから簡単に終わると思って出かけたが、互助会は4町内にまたがり、不幸があれば必ず連絡が入ると同時に、祭壇が置いてある寺に連絡し、倉庫の鍵の管理と使用料の受け取りと記帳も会長の仕事と判り、帰りは両手が塞がって帰ってきた。
 特別難しいという仕事ではないが、葬儀はいつあるのか予定が立たず、今まで気軽に家を空けて出入りしていたが、今後の2年間は旅行も気軽には出掛けられないと思うと苦痛でもある。
 無い知恵を働かせ、苦痛のない工夫を考えたいが、今まで先人達が続けてきた苦労は疎かにしたくは無いものである。

                          10月11日の一言
情報が氾濫する中で…
 ほっこり庵エドさんこと、大川幸次さんのパソコンが壊れて修理中との事で、私の掲示板も火が消えてしまっています。
 2月にホームページを開設してから半年以上経過し、わずかでも毎日見ていただく人がいて、最近は「ひとにやさしい街づくり」連続講座のグループワークと実行委員会のメーリングリストも含めると、一日に20通以上のメールが届いています。
 忙しい日程の中では、メールに目をとおす事も苦しく思いましたが、パソコンの故障でも交流ができない人ができると、病気で入院でもされているような淋しさを覚えます。
 あれほど否定してきたパソコンが、今や生活の中で貴重な指南役になりつつあり、何でもインターネットから取り出す事が可能な世の中になりました。
 しかし、そんな情報の氾濫する中で、リスクを承知で発行される出版物も捨て難く、部屋で積まれたまま眠っている本が輝いて見える。
 人間の寿命どころか、運命も最後まで判らない。大川さんの執筆した本「奇跡はあなたの中にある」が新聞の一面の広告で宣伝された事も、大川さんの人生そのものも、本人の予測していない事でもある。
 自分の寿命がどれほどあるのかは判らないが、自分の思いを一冊の本にまとめて発行できる事を目標に、先人たちの背中を追いかけていきたい。

                        10月10日の一言
久々の休養日…
 台風のおかげで久々の休養日になった。幸いにして当地方の直撃は免れ、史上最大級の台風は太平洋上を東進していった。
 台風の影響がほとんど無かった事から久々の休養日と言っておられる。しかし、台風の予報技術の精度が高まり、前日から多くの企画や催しが延期や中止に追い込まれた。
 結果論だが、台風の進路によっては「やれたんじゃないか」と悔しい思いをしている人々も多いのではないか。
 高山祭りも中止となった。今年は23日と24日にも屋台曳き廻しを企画しているものの、多くの観光客を見込んでいた関係者にとっては辛い台風でもあった。報道されてはこないが、宿泊していた観光客も肝心の祭りが中止ではがっかりであろうが、多くの宿泊客からキャンセルされた旅館や民宿も、多くが食事材料を仕入れて待っていたものの、相手が台風だけにキャンセル料もとれずに泣かされていると思われる。
 さて、他人事ではない。自分も休養日と喜んでいると、今日一日分のつけが必ず蓄積されてくる事は間違いがない。
 わかっていても体が動かないのは何故か。

                          10月9日の一言
前日までの一言