本日の一言
イジメや暴力には反撃も選択肢に…
 学校のイジメが全国の話題になり、自殺した子供の遺族と学校や教育委員会が対立し、国会でもイジメが問題にされている。
 一方では、必修科目を履修していなかった事が発覚した高校の校長が「迷惑をかけた」として自殺し、鹿児島県では中学の女性教諭が「上司からイジメを受けた」と記した遺書を残して自殺するなど、生徒だけでなく教員も含めて、教育界全体に混乱が続いている。
 教員が教員のイジメを受けて自殺するようでは、生徒の指導どころではないが、全国の学校にイジメが蔓延し、負の連鎖で生徒の自殺が連続する。
 学校の対応に批判が集中するが、確かにイジメだけを自殺の原因にするのは、イジメとして認識する生徒の個人差があり、あいまいな反応はいじめたとされる生徒までもが、一生の傷を負わされる事にもなりかねない。
 イジメの原因を理論的に考える事と、イジメを無くす方策も重要だが、イジメに対する対処法を教える事の方が先決であり、場合によっては自殺より悪法の選択も方法である。
 「殴られたら殴り返してこい」と、私は父親より教えられたような気がする。つまり、イジメられたら逆にイジメ返す事も、自殺を選択するよりは周りも救われる。殴り返す事も、イジメ返す事も最善とは思えないが、体の大小に関係なく、知恵を働かせば反撃も可能である。
 暴力に暴力を持って対処する事は、世の中の流れに反しているようだが、それがダメと言うならば、絶対に自殺をしない教育が先決ではないだろうか。
                                      10月31日の一言
ひとまちアドバイザーのデビュー戦…
 本日は、津島市の人にやさしい街づくりアドバイザー会議を、市役所会議室で開催した。2年前には、出席するアドバイサー3名に対して市職員の方が多かったが、アドバイサーが倍増した事から、熱心な議論が展開された。
 来月25日に実施する『バリアフリー検証』が主なテーマで、当初は車イスを使って駅から駅へと市内を移動する程度に考えていたが、アドバイザーの一人から、当日開催されている『産業フェスタ』に参加しようとの意見が出され、「25日をアドバイザー会議のデビュー戦にしよう」という結論に至ったのである。
 筋書きは予定してあったものの、全員の公平な参加で実施するために、一歩控えて発言も控え、目的と説明役に徹していたが、予想もしない発展的な展開に、あわただしくはなるものの、予想以上の船出となりそうである。
 当日は、産業フェスタの会場に『ひとまちアドバイザー』の存在と活動を示す展示品を用意し、街歩きも車イスを使い、市役所からコミュニティバスで無人駅の名鉄青塚駅を目指し、電車に乗車して津島駅で降車し、会場までの行程を検証する事となった。
 何でも言い出しっぺに負担がかかる津島であるが、一人ひとりが役割を分担し、それぞれが25日を目指す事となり、来年に予定する総括的企画につながるばかりか、翌年以降に継続されそうな展開と雰囲気を感じさせられる会議となった。
 さて、こうなると忙しいとは言ってもおられない。とりあえずの感覚も許されず、デビュー戦を成功に導きたい。
                                      10月30日の一言
勘違いから水を飲み続けて…
 昨晩は深夜(
午前様)に帰宅し、食事中の次男に触発され、目前の饅頭やパンを食してから、昨日の一言とメールを返信して就寝した。
 明々と点けられた蛍光灯と、音量の下げられていないテレビに熟睡はなく、夢心地で寝ているうちに、後戻りのできない事態を思い出し、びっくりして飛び起きた。
 実際には日時を一日勘違いしていたのであるが、本日の昼前から『胃がん検診』がある事を(
実際は明日)思い出し、夕食以後の食事を禁止されていた事から、案内書を確認し、大量の水を飲み、内蔵に溜まっている食べた物を排出しようと、必死に水を飲み続けたのである。
 検診のスケジュール(
がん検診は10月末まで)が満杯で、病院最後の空きを予約しているために、先送りはできず、昨晩の二次会をパスすれば良かったと反省するものの、出かけると時間を気にしない性格は直らず、必死で水を飲みながら新聞(夕刊と土曜版)を読み続けると朝刊が配達されてきた。
 地方紙の配達を待って、新聞を取り出して初めて曜日を勘違いしている事が判り、胃がん検診は翌日である事から、検査の心配は吹き飛んだ反面、早朝の2時間の無意味な行動から、手帳に記されたスケジュールの確認と管理の重要性を痛感した。
 さて、検診が明日と思うと、極度の医者嫌いのためと、今日の夜からの絶食もあって、ストレスがたまり、明日午後の会議まで頭が廻らない。
                                     10月29日の一言
終電が近く、怒る時間もない帰宅…
 「おい、おまえんとこの会社は、いったいどうなっているんだ」と、深夜12時ちかくになってから名鉄に勤務する妹に苦情の電話である。
 妹は本社のお客様対策室に勤務しているが、夜中に自宅まで酔っ払った兄に電話され、それも苦情だけに気分の悪い一日になった筈である。
 「電車に乗る前に、トイレに行きたいんだけど」と、名鉄名古屋駅の改札口で駅員に訪ねると、「どっちへ行ってもある」と説明され、改札を通りホームの端から端まで探したが、トイレは存在せず、その間に乗るべき津島行きは発車していったのである。
 結局は違う改札口に戻って訪ねると、最初に尋ねた改札口のすぐ近くにトイレがあったのである。「こうなったら、怒鳴り込んで居座ってやろうか」とも思ったが、最初に尋ねた駅員の名前も顔も覚えてはおらず、終電も近い事から怒りを抑えて電車に飛び乗ったのである。
 「どっちへ行ってもある」との説明は、歩き回って探せばある事には違いないが、「あそこにあります」と言うべき距離だけに、乗客を馬鹿にした説明であり、現実に駅周辺の案内表示も見当たらず、駅が改装され改札口が増え、毎日利用していないだけでなく、地下鉄からの乗り継ぎは学生以来の田舎者には案内表示だけが頼りの乗車でもあった。
 名鉄の顔であるべき名古屋駅でこんな応対がされているのである。深夜で、酔っ払いも多く、駅員には普段どおりの事かもしれないが、「どっちへ行ってもある」ではなく、「あそこ」と的をえた案内か、言葉使いが丁寧であれば気分良く人と別れた直後だけに怒りが込み上げる事はなかった。怒りの吐け口がなく、妹に電話はしたものの、駅に迎えに来てくれた家内に顛末を話していると、「何時だと思ってるの。こんな時間に」と、こちらが叱られる立場になっている事を自覚さらせれた。
                                     10月28日の一言
高校教科履修漏れは一例にすぎず…
 全国の高等学校で必修科目の履修もれが問題となっているが、愛知県からも続々と該当する高校が発表されている。
 数日前の報道では、教育委員会から「愛知県には無い」との報告であったが、私立高校だけでなく、公立高校からも次々と発覚した事は見苦しい限りである。
 必修科目が履修されない原因が、大学への進学のためと報じられているが、進学だけが目標であれば『予備校』と同じであり、今一度高等学校での教育についての議論が必要ではないか。
 一方では、受け入れる大学側の対応が、試験の成績だけではなく、多種多様な選考方法を取り入れている事から、高校の対応に問題が生じた可能性も高い。
 基本的な事だけに制度の遵守も大切とは思うが、高校に通学せず『大検』に合格すれば大学に進学できる事から、いっその事、高校の補修を受けずに『大検』を選択する生徒があっても許されるのではないか。
 これだけ騒ぐのであれば、アメリカに渡ったまま、高校に通わないままに高校を卒業したスケートの安藤選手や、義務教育の中学校に一度も通学しないまま卒業証書を受け取った生徒の卒業も取り消されるべきでもあるが。
                                     10月27日の一言
続・禁煙教育について…
 昨日の一言『禁煙教育は理論よりも体験談』に、異論があるとのメールが届けられ、現実はそんなに甘くないとの意見
(送信者は教員か?)をいただいた。
 確かに、大人でもタバコが止められない現実から、生徒への禁煙が難しい事は当り前ではあるが、大人と違う事は未成年者にはタバコの喫煙が法律によって禁止されている事により、厳しいかもしれないが法的対応も可能であり、現場で指導する教師や警察官に『法律違反』との認識が希薄になっている事も指摘していきたい。
 昨日の一言は、私の実体験であり、いくら非行に走っても3年間も同じ1年生を続ける事は屈辱であり、その屈辱から逃れるためにより過激な非行に走っていった。警察にも父親が身元を引き取りにきた。中学校には父親が、高校には母親が泣いてついてきた。
 そんな生活をいつまでも続けたくはないが、終止符を打つチャンスもできず、同級生が社会にはばたき進学していく中で、学校を退学するしか方法がなくなった時に恩師となる教員と出会った。
 タバコは別の教師であったが、体を張った指導により手が付けられない不良が禁煙を誓い、以来一度も口にしていないのは現実の事実である。
 法的対応も可能と記したが、最近は子供の『万引き』でも店が簡単に警察へ引き渡すが、肝心の子供に反省できる指導が何もなく、「穏便に済ます」として書類で裁判所へ通知するだけでもある。私の体験は相手があり、現実に禁煙を誓った経緯については、個人的に困った人から相談を受ければ話しますが、当事者でもない人に語り、教育談義にするつもりは全くない事を理解願いたい。
                                    10月26日の一言
禁煙教育は理論よりも体験談…
 本日の朝日新聞夕刊に、『禁煙教育、低年齢から』なる記事が掲載され、日本循環器学会が喫煙防止教育用DVDを制作し、全国の学校に配布すると報じてあった。
 私は酒は飲んでも、タバコは口にしない禁煙家、いや、本当のところは『嫌煙家』であるが、高校時代にはタバコを喫煙し、落第し自暴自棄になっていた当時は、津島駅構内や警察の派出所前でワザとタバコを口にしていたのである。
 私にとって当時のタバコは非行の証であり、落第が決まり有り余った時間は、タバコだけでなく法を犯す事で自己主張しようとしていたのである。ところが、暴力を振るえば学校から『無期家庭謹慎』を下され、無免許運転やタバコで警察に補導されても、「気をつけろよ」と注意されるだけで親に引き取られる情けないような顛末の連続であった。
 二度も落第し、ヤクザと好んで付き合い、学校で『センパイ』があだ名となり、生徒どころか教員の注意すら無視して、「校長以外の言葉は聞かない」と言っていた高校5年目の3年次に、私は「今後、一切タバコは口にしない」と誓う出来事があった。
 ある教師との約束であるが、相手は忘れていると思うが、その日から今日まで、私はタバコを一度も口にした事がない。私の体験から、私とその恩師が当時の指導を再現すれば、多くの喫煙する生徒への防止策になると確信できるが、ここ数年は音信不通になっており、恩師の安否すら判らない時間の経過を実感している。
                                      10月25日の一言
福祉施設を訪問して…
 本日は脳梗塞で津島市民病院へ入院中の患者さんの家族と、退院後の生活を考える為に施設見学に訪問した。
 患者は9月のはじめに発症し、現在は病院でリハビリに励んでおられるが、程度は重いものの家族が施設入所ではなく、在宅での生活を希望しており、病院を退院後の生活について施設見学をしながら相談した。
 介護保険制度が確立される中で、患者の家族は、施設や事業者の手際よい手配と、施設入所が順番待ちのために、自分達の意志を封印している事が多く、親しく相談できる医師もない場合には病院のケースワーカーやケアーマネージャーの言いなりになっている場合も多い。
 私の周りには後天的に障がい者になった人々も多いが、障害のある中でも施設に頼らず、自宅で普通に生活するために頑張っている例も多い。
 障害の程度や経済的な問題もあるが、施設入所にかかる経費が賄えるからと、発症後の人生を施設の中で終わらせてしまう人も多い。
 こんな時に、『津島感覚』を捨てて、先進地を参考にしたいが、津島市にも『人にやさしい』サービスが存在している事を感じる事がある。ただし、障がい者にとっては名古屋市などの都市部の方が生活しやすい現実がある。車イスを例にすれば、名古屋市の栄は行動しやすく、津島市のバリアーはひじょうに高い。
                                    10月24日の一言
耳にしたくない話を聞かされ…
 忙しいと自分の仕事に専念すべきとは判っていても、次々と新規の依頼が舞い込み、時間を惜しんで連絡するから、事務所は留守がちとなる。
 市役所から帰宅すると同時に事務所に電話がかかった。「おい、今どこにいるんだ」、「事務所ですよ」、「コーヒーでもどうだ」、「ダメですよ」、「俺が呼んでるんだぞ」、「今帰ったばかりだから」、「用事がある、いつなら良いんだ」と言われて30分後に訪問した。
 内容は、来年の選挙に立候補を予定している候補者の、パンフレットに記された経歴がおかしいとの話であった。確かに指摘されるように、正確ではなく、宣伝としても白々しい内容である。
 しかし、自分も来年は候補者になる立場としては、人の事をとやかく言う立場でもない。元々、選挙前でも選挙の事前運動は制限されており、厳密に言えば選挙目的の戸別訪問も法を犯している事から、「人は人だから」と言って無視すると、「こんな事が許されるのか」と納得してもらえない。
 選挙違反を犯して辞任し再出馬する候補者ゆえに、「そんな人物と一緒にした話は心外だ」と一蹴して話題を変えたが、選挙が近づいている事を実感させられた。議員の仕事は選挙運動ではない事を訴えたいが、正論だけでは結果が伴わないとすれば悲しいものがあり、地域の茶飲み話で同列に話されるとしたら恥ずかしいものがある。
                                    10月23日の一言
歓声の消えた静寂な小学校に…
 本日は横井庄一記念館の一日となったが、横井庄一の記録をボランティアで担当する『西尾張ビデオクラブ』の撮影にも同行した。
 横井庄一が小学校5年生に転入した千音寺小学校も撮影に訪れたが、校門は頑丈な扉で閉め切られ、校庭にも高いフェンスがはってあるために入れず、外から覗き込むような撮影となったが、改めて異様な学校環境である事を実感した。
 我々の子供時代は、学校が終わっても学校の校庭で遊び、帰宅が遅れて暗くなる為に叱られて下校していた。日曜日も学校へは自由に出入りでき、学校を通路がわりに通行し、誰もが自由に運動場で遊んでいた。
 今の学校は、授業が終われば生徒は帰り、人の歓声がこだまする事はなくなり、先生が帰れば門扉が閉ざされる。門扉には「監視カメラ撮影中」の看板が表示され、訪問者の足止めとなっている。
 見方を変えれば、学校は先生の職場であって、生徒が授業に参加する施設でしかなくなっている。生活する時間の差があるだけで、塾との差は何があるのか。勉強だけなら学校でも塾でも同じである。
 ゆとりとか個性の尊重が教育に叫ばれるが、子供達が部屋に閉じこもる原因を学校が助長しているではないか。生徒が学校の校庭で遊びまわり、地域の人々も自由に行き来できる環境があった事すら信じられない現実を実感した。
                                    10月22日の一言
新聞記事を読み現場へ…
 名古屋まで友人の出演する演劇を鑑賞に出掛けたが、同行した知人は演劇が終了した後の居酒屋が主目的であり、私もテレビ塔の前で写真展を開催する青年に会う事も目標にしていたのである。
 写真展を開いていたのは、ワゴン車で寝泊りして、目的地の写真を撮影し、週末にワゴン車の前で個展を開きながら、日本一周の旅を続けている『川村公志』君であった。
 高知県土佐市の出身で、2年前に東京の写真スタジオを退社し、日本全国を廻って撮影した写真集をもち、二度目の日本一周に挑戦中の26歳の青年である。
 ワゴン車はタウンエース。写真と旅行とくれば、私の学生時代からの趣味と合致し、車も同類のライトエースを愛車としておる事から、彼を黙って見過ごす事はできなかった。
 ただし、26歳の年齢を聞いた時には、息子の年齢と重なる事から、現実の社会にもどってしまった。厳しい社会の中で、今後の展開を考えているのか心配にもなった。
 自分の子供の存在が脳裏に浮かんだ瞬間に、カンパ箱にお金を入れる同情心は吹き飛び、「カンパをするのは好きじゃないから」と言って、彼の作品である絵葉書を千円分買う事にした。
 羨ましい。写真を始めた小学校時代に初めて撮影した写真。高校に入り初めて暗室に入って浮かび上がってきた影像。大学時代に旅行が好きでアルバイトに選んだ観光バス会社の添乗員。自分の姿と重ね合わせ、感激した思い出と彼の姿にはかなりの違いがあるが、自分の出来なかった事を具現化している彼にエールを送るとともに、この経験を無にしない事を願い、いつかどこかで再会してみたい。
                                      10月21日の一言
名古屋市より津島市の方が親切…
 本日は交通問題勉強会に参加するために名古屋まで走った。勉強会は本日まで32回も続けられており、初めての参加ではあったが、違和感無く参加できた事と、参加が津島市のためになる手応えを感じて帰宅した。
 さて、本日の参加メンバーの中に、津島市出身の方があり、しばし津島談義ともなった。そして、「津島市には大変感謝している」との言葉が返ってきた。
 一人暮らしの母親に対する食事の『配食サービス』など、「名古屋市では考えられない配慮があった」と話され、感謝の気持ちから、亡くなられた後で香典の一部を津島市に寄付までされたと聞いた。
 「名古屋に転居したい」と言う話を聞く事は多いが、名古屋市民から「名古屋市より津島市の方が親切」と具体的に耳にしたのは新鮮でもあった。
 国の政策で平成の大合併が推進されたが、福祉面においては5万人程度の行政規模が理想とも言われている。住民からの問い合わせや苦情にも、「今からおじゃまいます」と市役所を飛び出していける距離感覚は、津島市の長所にもなり、大都市には出来ないサービスとなりうる可能性は高い。
 本日は、公共交通に関する勉強会であったが、県内の路線バス会社がすべて赤字になっている現状や、コミュニティーバス値上げの動きが報告された。「もしも車の運転ができなくなったら」と、真剣な議論が必要でもある。
                                      10月20日の一言
結果の検証から創新へ…
 平成17年度の決算審査特別委員会が本日で終了した。議員になって8回目の決算審査となったが、行政のムダ使いを指摘し、場当り的で無計画な結果を改善する事は重要だが、議員の立場としても反省すべき案件は多い。
 むしろ、議員も無関係とは思われない結果についても、職員が説明を求められたり、過去の議会で議員も賛同した案件を厳しく追及される姿は立場の違いとは言え、同情したい場面も多かった。
 市民病院については、専門家を招いて改革会議が開かれているが、経営効率を追求すれば患者への対応が低下する矛盾にも悩まされる。医師や病院の意向に反しても、患者の都合で無理を言った事もある。
 議員活動の中で、利益よりも患者サービスを優先し、利益に反する要望をした事もある。財政状況が厳しい現実は市民にも認知されており、予算編成にも四苦八苦する現状の中では、行政と対座して結果を検証する事も重要だが、過去の経緯から理解した上で、一緒に改善策を導いていく事が重要ではないかと思われる。
 さて、毎日のように新たな案件が増える中で、スケジュールは一杯になっていくが、肝心の自分の仕事が何も進捗していない現実がストレスとなりかけている。
                                      10月19日の一言
ハシゴを確認したい日本外交…
 自民党の中川昭一政調会長の「核保有についての議論は必要」との発言に対して、野党だけでなく諸外国までもが反応し、「非核三原則が原則で、核を保有しない上での議論」とトーンダウンしたが、アメリカのブッシュ大統領までが、「北朝鮮の核保有が近隣諸国の軍備拡大に走る事を懸念する」との発言をおこなった。
 中川発言が北朝鮮に対する軍備力の抑止を狙ったものであれば、発言の意義は大きいと賛辞を送りたいが、本日には麻生外務大臣までもが「議論は必要」と繰り返した事から、安倍内閣の本意と発言者の真意について問い質す必要性を実感する。
 さて、国連で北朝鮮制裁の先導役を担った日本だが、国際情勢はアメリカと中国、ロシアの動向に注目が集まっている。
 日本がいくら声高々に批判しても、アメリカが北朝鮮との交渉の席につけば、事態は急展開する可能性が高く、日米が歩調を合わせても、中国やロシアの存在感が増すばかりで、日本だけが浮いた存在にされている感が強い。
 北朝鮮と直接交渉できる環境にない日本が、北朝鮮を刺激する発言を続けて何の意味があるのか。北朝鮮にとっては、アメリカや中国、ロシアなどの大国を意識した外交戦術に出ており、日本は太平洋戦争によって多くの被害をもたらした敵国のままである事を認識して発言すべきである。
 北朝鮮の核保有に一番神経質になるはずの韓国が、自国から国連事務総長を輩出した事から、一歩控えた大人の対応をしているように思えてならず、日本の外交レベルの低下と同時に大国と錯覚している政治家の猛省を促したい。
                                     10月18日の一言
一通の手紙に浮かぶ顔…
 久し振りに『一八への手紙』が届き、「本来ならば、お会いして直にお話をし、お考え御意見をききたい」と記されてあった。
 一通の手紙に書かれる文字数は限られているが、差出人の想いと顔が浮かんでくる一方で、本来であれば半年前に座談会を開催していた地域だけに、忙しさを理由にしても自分の作った忙しさだけに、住民をないがしろにした反省も必要である。
 このような手紙が届けられ、連絡はするものの、解決していない案件も多い。手紙や電話が届けば届くほど忙しく、議員冥利にはつきるものの、スケジュールを圧迫し、仕事が山積していく事から、多くの人々の声が聞ける座談会の価値は高い。
 5人の人が集まればと創めた座談会であるが、多くの人が集まった座談会と比較してしまうと、人出の少なさが気にもなり、かと言って人を誘えば新鮮な声も聞かれず、最近では落語家『浪漫亭砂九』さんの忙しさを理由にして、初心を忘れていた事を一通の手紙より痛感させられた。
 会報を発行し、ホームページを更新しているが、本当の意味での会話には至らず、当方の一方的な発信に反応は返ってくるものの、顔を合わせた会話の重要性と不足を実感させられる手紙でもあった。
 さて、どうしたものか…。
                                      10月17日の一言
来客や電話はありがたいが…
 久し振りに、ちょっと落ち着いた夕食風景が展開されそうな雰囲気であったが、1本の電話を合図にしたように、訪問ラッシュが始まった。
 家族の病気から受ける相談は多く、医学とは無縁だが愛知医大や名古屋大学などへ出向いた経験が役立ち、中には「命の恩人」とまで言われる人もある。ただし、医者ではないので、最善の選択を考えて助言したり、医師や医療機関を紹介する事しかできず、中には何度も紹介しているため親しく思われている医師もあり、一度もお会いした事のない事を告げると、紹介した相手や周りにびっくりされる事も多い。
 2日後に訪問する約束で電話
(それでも30分)を切り、食卓に座ると事務所に来客である。時間を気にして話していると、事務所前に人影がある。土曜日の約束をして入れ替わりの訪問であるが、相談内容が難しすぎ、弁護士が関わっても解決できない事案のため、県警本部に在職する知人に相談するも簡単ではなく、費用がかかっても司法に相談する案件だが、「だから大鹿先生にお願いに来た」と言われると、断りもできず聞いていると電話である。
 来客中につき再度の連絡を約束し、解決出来ない案件を聞いたまま来客を見送った。一人だけ遅れた夕食をとっていると次の電話である。こうして明日の決算審査特別委員会の決算書を見ていると、あまり活躍しなくなったファックスが届いている。
 「〇△先生からのご紹介で、研究会のご連絡をします」と、金曜日の夜の案内である。大学教授からの紹介であり、場違いな気もするが、『交通問題』については専門家と思われたお誘いと思うと恐縮もする。
 愛知県の『ひとまち講座』は先週終了したが、防災や街づくりのお誘いが続き、手帳の日程は真っ黒で、このまま正月を迎える公算が大である。
                                      10月16日の一言
残された仕事は減らない…
 昨日の一言が消えている事について、本日になって気づいた。昨日は義父の葬儀があり、夕方の食事を抜け出して、地元4町で作られている『祭壇組合』の会合に出席した後に、在所に戻りました。
 帰宅後に一言を記し、食事の後に就寝し、本日は早朝より『地域防災訓練』に参加したものの、午後からは疲れて一日が休養になってしまった。
 昨日の一言については、ここ一ヶ月ほどパソコンの残された容量が少なく、恐る恐る使っている事から、深く詮索しない事にしたい。一ヶ月前に、書き込みが不能になった事から、新規のブログを立ち上げて、上高地からはブログに書き入れたが、その後は休眠状態にしてある事から、未練を捨ててブログに変更する時期が近づいてきたのかもしれない。
 さて、手帳の日程が見事にうまっているが、突然の訃報だけは予想がつかず、考えてみると自分が不在時の事も考えた企画をしておかないと、多くの人々に迷惑をかける事になりそうだと実感した。
 又、余裕のない計画が多い事から、突然の訃報は全ての予定を狂わせてしまう。こんな時にはお手上げであるが、前日までにやればとの考えは、他人に依頼する事もできずに、本当に追い詰められ、夜も眠れぬ心理状態に追い詰められる。何ともできない苦悩を引きずる一週間となりそうである。
                                      10月15日の一言
どちら様ですか…
 家内の父親が亡くなり、本日は通夜が営まれた。明日の葬儀をひかえて、親族の花や果物を依頼し、明日の段取りを聞いていると、同じ愛知県内でも大きな違いを感じるとともに、91歳という高齢で亡くなった事もあり、平穏に時間が経過していく。
 私は5人目の娘婿にあたる事と、日頃の付き合いを家内任せにしている事から、肩身の狭い立場であるが、子供達にとっては在所の祖父である事から、私よりは身近に感じている事は間違いがない。
 夕方になって、私の長男が登場である。親子の確執からか、私を無視したように振る舞い敷居をくぐっていった。しかし、子供の姿しか記憶にない親族達には大人になった息子が誰かとも判らず、「どちら様ですか」と言われている。
 「ざまあ見ろ」と思っていると、数珠を忘れてきたらしい。靴下も白っぽい。何と情けない事かと親の責任も痛感するが、次男あたりは事前に聞きにくる事や、高校生の三男は親の言う事を聞く事から、長男と父親の関係の難しさも実感する。
 ただし、一人ででも登場した事は評価したい。さすがに来るだけは長男の自覚があるのかと考えて帰宅すると、娘が帰宅して三男と一緒にいるではないか。どうやら明日は、次男と3人で出向く相談ができているらしい。『長男とばし』である。それでも、家を留守にしていても子供たちが相談しあっている事に安心感を覚える一日となった。
                                      10月13日の一言
プレーオフ制度に異議あり…
 プロ野球のパリーグでは、札幌のニッポンハムが優勝したが、シーズンを通して3位に終わった王監督のソフトバンクの優勝に期待するマスコミ報道もあり、疑問を呈したいと思っていた。
 来年からは『プレーオフ』制度がセントラルリーグにも導入されるようだが、一年間を通して1位になったチームが優勝するとは限らず、3位のチームでもプレーオフの短期決戦を勝ち続ければ優勝となり、そうなると、シーズンを通して3位チーム同士で日本一を争う可能性も出てくるのである。
 6チームのうち3チームに優勝の可能性があり、12チーム中6位のチームにも日本一の可能性がある制度では、本当の意味での日本一とは言えないのではないか。
 長いシーズンを通して1位になる事に比べ、短期決戦では絶対的エースが活躍すれば優勝の確立は極めて高くなってくる。結果的には敗退したが、西武の松阪投手が記録通りの活躍をすれば勝つ確立は高く、それでは一年間の苦労は報われないのではないか。
 その松阪投手も来季はアメリカ大リーグへの移籍を希望しており、来年は日本球界では投げない可能性が極めて高い。
 日本ハムの優勝により、結果的には本当の日本一を争う事になったが、WBCの優勝で世界一と浮かれていても、これも紙一重の優勝であり、アメリカで繰り広げられるダイナミックでレベルの高い大リーグとの格差は歴然でもある。
                                     10月12日の一言
日本の誤報が世界に発信され…
 核実験を行なった北朝鮮に対して、世界各国が批判して制裁を加えようと国連で協議が進んでいる。
 再三の批判を無視して、弾頭ミサイルの発射に続く核実験だけに、厳しいのは当然であるし、新たに核を保有する事が周辺諸国にとって危険極まりない事は当り前であるが、それを批判するアメリカやロシア、中国なども核爆弾を所有している事を考えると、北朝鮮だけが非難される事には矛盾も感じるのが自然でもある。
 世界で9番目の核保有国となった北朝鮮であるが、それによって韓国からの経済援助もストップし、各国から経済制裁を実行されると、国民の生活には大きな打撃となるだけに、今回の行為による目的が計り知れない。
 さて、国連においても、叫ぶだけで本当の発言力を持ち得ない日本も、自国の置かれた立場を改めて認識し直す事も重要である。
 本日は、早朝よりテレビニュースの誤報により、北朝鮮が2度目の核実験を行なったと、日本から全世界に発信された。こんな誤報が流れ、国の高官までが確認中との発信をされると、日本の情報力や威信にかかわる失態でもある。
 裸の王様や『やかまし屋』に思えてならず、日本の政治家たちには中国の『三国志』や『孫子』を読んで、戦わずして勝つ方法でも考えるべきと進言したい。さすがに中国の指導者たちには存在感がある。
                                       10月11日の一言
ドラゴンズ優勝の裏側で…
 今晩、中日ドラゴンズが優勝した事をテレビニュースにて知った。巨人ファンにとっては夏を前にしてシーズンは終わり、最近は『桑田真澄』投手の動向だけが関心となっている。
 ブログからファンに巨人軍を去る覚悟で心情を伝えた事から、一部の関係者からは批判もされ、球団幹部からは最終戦での登板も伝わっていたが、昨日のテレビ局のインタビューで本人の口からはっきりと否定した。
 「優勝のかかった試合で登板する事は、一生懸命頑張ってきた選手や、相手のドラゴンズの選手に対して失礼でしょう」との言葉は、誤解される事の多かった桑田選手の素顔と野球に対する真髄を見た思いがする。
 どんな大選手でも、いつかは引退の時期が訪れる。しかし、引退がささやかれても、桑田真澄自身はプロ野球選手として、最後まで闘う意欲を失っておらず、引退を表明しておらない事から、最後まで納得する選手生活をまっとうしてほしいと願う。
 自分が納得して引退を決意したのであれば結構だが、球団や周りに説得された引退だけは無いと信じたい。桑田選手の実績や、過去の発言からすれば、引退しても解説者などで生活には困らないだろう。しかし、体力的にも技術的にもやれると発言し、最後まで選手として登板の機会を待ち続けている『男の美学』に、ファンの一人として、球団を移ろうとも最後まで応援する機会を奪わないでほしい。
                                    10月10日の一言
突然の訃報に…
 本日は隣村で葬儀があり参列した。亡くなった人は69才の男性で、風呂場で入浴中に亡くなったとの事であるが、家庭内事故の多さについては終了した愛知県の『人にやさしい街づくり』連続講座の中でも講師より指摘があり、9月議会で質問に入れた項目だけに他人事には思えなかった。
 もっとも、20年前には行く先々の飲み屋で顔を会わせ、年齢も離れた我々にも仲間のようにツバを飛ばして話し掛けてこられた人であり、声も大きく元気な人だっただけに淋しさもひとしおである。
 さて、葬儀のあった牛田町と越津、椿市、下切の4つの町で『祭壇組合』が作られており、2年前から私が代表になっていたが、今月が役員交代にあたり、週末に新旧役員と4町の町内役員が集まる事になっている。
 ただし、本年は本日まで4町で1軒の利用者もなく、「みんな葬儀場になってしまった」と話していただけに久々の自宅からの出棺でもあった。
 自宅での葬儀は、家族はもちろん、隣組や親族縁者にも負担がかかる事から、快適なセレモニーホールを選択する人が増加しているが、大変でも町内全体で送り出す事は、亡くなった本人はもちろんだが、地域の不足するコミュニケーションのためにも是非とも維持していきたいものである。
                                      10月9日の一言
アメリカからの訪問者に…
 本日は横井庄一記念館に、アメリカよりびっくりする訪問者を迎えた。ハワイにおいて、日系人ならだれもが知る会社を経営している元商社マンである。
 多くの訪問者を迎えた中で、事前に多くの情報を頭に入れてから訪問された方は、この人が一番ではないだろうか。アメリカから訪問されているとは判らず、ボランティアの説明が続いていたが、ボランティアでは対応ができず、館長の横井夫人が応対するものの、事前情報は、私が管理しているホームページ『明日への道』をすべて読んだ上に、印刷して持参されていたのである。
 不足する情報は、電子メールで送る事となったが、パソコンの容量不足で最近は更新が進んでおらず、改めて追記する必要性を痛感したが、まさかアメリカで私の記したホームページが観られているとの感覚が不足していたのでもある。
 開館した当時は、テレビや新聞記事を見た訪問者がほとんどであったが、最近ではホームページ『明日への道』を見て訪問する人が多く、本日も京都からの訪問があったが、外国からの訪問もある事から、将来は英語版も必要であるのかも知れない。
 横井庄一の書いた『明日への道』の英語版がイギリスから出版される事を告げると、「日本人による英訳の限界」についてアドバイスがあった。帰宅後に訪問者のホームページを拝見すると、何冊も本を執筆されており、ハワイで日本人の研修セミナーも受け入れておられ、『知らぬが仏』の心境をあじわった。
                                       10月8日の一言
またまた、地獄のスケジュールが…
 本日は愛知県主催『人にやさしい街づくり』連続講座が終了し、とりあえず一つの仕事が終わった事で気持ちの切り替えをしたい。
 昨日の事であるが、津島市民病院の経営改革委員会が終了後に、傍聴していた知人の姿を発見し、山積したままの問題があった事から場所を移して話をすすめていたが、講座の最終打ち合わせのため、「時間が…、名古屋までなので」と打ち切る際、「大鹿さん、名古屋も良いけど、来年は選挙があるからみんなが廻っているよ」と心配の言葉をいただいた。
 名古屋に走る前に、もう1ヶ所立ち寄る必要があり、翌日の地元行事に間に合わせるための訪問であるが、話している時間的余裕もない。正論のために、孤立無援を覚悟で町内に発言されるのを承知しながら、心は泣く泣く時間切れの事態に。「名古屋みたい放っておけよ」、「いやいや、明日が最後だから」と、名東区まで高速経由で辿り着いた。
 帰宅はもちろん午前様で、帰宅後に残された残務処理である。しかし、深夜ゆえに連絡もできず、早朝より出発のために、電話をかけたものの、「また、かけ直します」と明日への積み残しである。
 さあ、帰宅した夜になって、考えていると、明日は『横井庄一記念館』の留守番の日であった。一緒に津島市から参加をいただくボランティアへの連絡が済ませてなかったのである。
 「こんな遅くなっから…」と心配する家族を他所に、携帯電話をかけたものの、さすがに深夜ではと、『ワン切』である。幸いにして、すぐに返信があったが、次々と残され、山積する企画や日程のため、気持ちを切り替えたいが、日程の空きがなく、このまま11月まで続きそうな、そうなると12月、年末年始まで見事に組み込まれている。さてさて、どうするか。企画した行事が連日のように迫り、追いかけて向かってくるのである。
                                      10月7日の一言
発表を半日後に控えて…
 「明日が」、と言うよりも、既に本日になってしまったが、7月より続いていた愛知県『人にやさしい街づくり』連続講座が終了する。
 グループワークの発表が最終日となっているが、私の関係するAグループは、明日以降もスケジュールが組み込まれ、実際にまとめたレポートを実演する事になっている。
 講座のサポーターの立場としては、最終日は各グループの発表を見守るだけと思っていたら、グループ発表の中に挿入された短い寸劇の登場人物に名を連ねられてあった。私の役どころは施設に入所している認知症(痴呆)の高齢者で、「お腹がすいた、ごはんはまだか」と叫ぶ役割となっている。
 本日の夜も、2時間前には簡単な練習をしたものの、まじめに演技するメンバーに圧倒され、明日の発表を前に緊張感が漂ってきた。帰宅後にメールを確認すると、2年前の受講生からも発表を見学するとの連絡が入っており、恥さらしにならぬように頑張りたい。
 それにしても、この熱気は何と表現して良いのだろうか。イスに座って適当に聞いておれば終了する講座や講演会は多いが、学習した成果を発表して提案するために、メンバーは連日頑張ってきた。思い起こせば2年前のメンバーもそうであったが、この熱気が冷めぬうちに、次につなげる仕組みも重要である。
                                       10月6日の一言
一年後に認めたイジメの存在に…
 北海道滝川市で、昨年9月に学校の教室で自殺した小学校6年生の女児の問題で、自殺の原因がイジメであった事を教育委員会が認め、遺族に謝罪した。
 この問題では、残された遺書から、「イジメがあった」とする遺族に対して、学校はイジメの存在を否定し、教育委員会にいたっては遺書の存在も手紙として否定し、テレビの取材に対しても正当性のない矛盾する発言を繰り返していた。
 全国から批判の電話が850件届き、電子メールは約1千通が届けられたと言うが、テレビに公開された遺書の文面から、イジメの存在は明らかであったにもかかわらず、否定し続けた教育関係者の真意を疑うばかりである。
 ただし、このような教育界の体質は、我々の身近にも存在し、私の出身中学でも数件の実例が届けられ、転校した生徒が数人存在している。
 問題は、それらが生徒自身や家庭の問題とされ、学校自身が学校の問題として反省どころか、話し合いや議論もされていない現実である。学校の近くに住みながら、隣接する市町村の教育委員会に自分で相談に出向き、遠くまで送迎して卒業した生徒の保護者にとっては、一生忘れられない痛みとして残される。
 議員として、学校に指摘した事もあるが、生徒のプライバシーもある事から、学校の適当な対応で終わってしまう現実がある。滝川市の事例は、他人事とせず、『明日は我が身』との認識で改善に努力したい。
                                      10月5日の一言
今でも父親の名前でないと…
 7月から開催されてきた、愛知県主催『人にやさしい街づくり』連続講座は、今週末の7日が最終日となり、グループワークの発表を残すのみとなった。
 私の関係するAグループは、認知症の高齢者や子供たちが、遊びを通して心と心の交流を図る事をテーマに調査を続け、プログラムを提案するだけでなく、11月には実際にグループホームに出向いて実践する予定を立てている。
 3年前から連続講座と関ってきたが、発表した内容が地元でも活用できるものだけに、津島市にも活用できる仕組みを考えてみたい。
 ただし、私は立ち会うだけて済むが、メンバーは連絡を取り合い、レポートにまとめて印刷製本する作業も残しており、本日も夜の解散時には11時を廻っていた。明日からも地獄のスケジュールが続く。
 さて、認知症ではないが、高齢になると昔の話をしないと通じない事を本日は実感した。「こんにちは、大鹿一八ですが」、「はぁー?」、「バス停の前の大鹿一八ですが」、「はあー、何ですか?」。近所の同級生の父親である。
 「時義んとこの…」、「なーんだ、かずや君か」と13年前に亡くなった父親の名前でないと私が判らないのである。目や耳が衰えても、昔の記憶は鮮明である。一方で、両親が亡くなって息子さんが最近戻ってきた家では、留守番に奥さんが居るものの、村の事は何一つ判らず再度訪問する事となったのである。
                                      10月4日の一言
我が身になって考えたい…
 「障がい者にはいったいいくらの補助金が出ているのか」との電話をいただいた。障がい者本人だけでなく、家族も遊んで暮らしているとの事例から、真面目に税金を払うのがバカらしいとの厳しい意見であった。
 私の周りにも多くの障害を持った人々があるが、一人ひとりを考えると千差万別で、一言で「こうです」とは言えない実態があり、すべてを一口に語る事は難しい。
 補助金については、行政は公表しており、不公平はない筈であるが、障害の種類や障害を持つようになった年齢や種類によって大きな違いがある。
 私の親しいK君は、20代の若者だが、交通事故によって下半身が不随になり車イスの生活を送っている。ただし、K君は健常者と同じ仕事をこなし、自家用車に乗っている。時には何処にでも駐車できる許可証を持っている事から、私の方が不便を感じる事もある。
 彼は事故の賠償金によって、家を買って両親も同居している。このように記すと、何一つ不自由がないように思われるが、一緒に行動するとトイレや飲食店に入れず、仕事から得る給与は健常者より低く、将来の不安は大きいと思われる。
 交通事故のように、損害保険によって大金を得た障がい者がある一方で、30代、40代の若さで障害を持つ人々もある。障害を発生する時期は6割近くが40才以上の中高年である実態が理解されておらず、家のローンを抱えていても働く事もできず、障害を持つ事は重大な危機となる。一生涯介助を必要とする障害をおえば、明日からの生活はどうなるのか、自分の身になって考えてみたい。
                                      10月3日の一言
芸能人のメールに気付かない時代オンチ…
 9月がすみ、10月になった実感がわかないまま、日々を送っています。会報『津島の風』の編集が済んでおらず、明日から巻き返しがひつようです。
 さて、IT時代はとんでもないメールが届いていても気がつかず、2日前に友人に指摘されてはじめて相手が芸能人であると判明した。以前から『迷惑メール』の存在に悩まされており、メールの削除が仕事のようになっているが、テレビに出演するタレントと交信していても、知人に確認するまで知らなかった自分の時代オンチを実感させられた。
 知人が自分のメールにブログを記憶させ、「大鹿君の知り合いと書いて、メールを送ろうか」との一言には、直接会った事もないので絶対に止めるように依頼したが、こんな機会を生かせない自分に反省するとともに、意見を発信するばかりでなく、他人のブログやホームページから交流できる時代感覚が全く不足していた事を実感させられた。
 さて、久し振りに『ガン』をテーマにしたテレビ番組を見ていると、市政に対する熱心な電話をもらい、気がつくと午前様で、事務所は自分一人となっていた。
 久方振りに求職の相談を受け、知人に依頼しているが、若者の労働条件の悪さと、求められている職場の感覚が理解できずに苦悩するばかりである。
 議員になった当初には、半減どころか三分の一に減った収入を心配して、知人や仲間が仕事の情報を入れてくれたが、最近は皆無となっている。他人事ではなく、自分の老後を考えると自身の求職が先決なのかも知れないが。
                                      10月2日の一言
桑田選手を批判できるか…
 自分のブログに自分の思いを記した巨人軍桑田投手に、批判と非難が巻き起こっている。数ヶ月も試合に登板する機会を与えられず、残り3試合となった時期の登板だけに、自分を応援してくれる熱心なファンに、最後となる可能性から記したメッセージが何故に批判されるのか私には理解できないのである。
 批判は、球団に所属している以上、球団や監督に相談を優先すべきとの主張が多いが、2ヶ月も放置しておいて相談しろとは理不尽でもある。又、ブログは桑田選手のファンに向かって発信されたもので、二軍の試合にも登板できない立場で、同情される一軍の引退セレモニーは受けずに、最後まで頑張りたい心境が伝わってきた。
 問題は、ファンでもなく、彼のブログを読んでもいない人々の批判である。本音も語らず引退した元木選手や、黙ってオリックスに移籍した清原選手と比べれば、ファンの存在を大切にする桑田選手らしい。
 私の一言も一緒だが、他人の個人的中傷やプライバシーを害する記載は問題であるが、自分の想いを正直に発信できる事がブログの魅力でもある。そういった意味では、桑田選手の本音を読み、ファンは球場に走ったのである。23日の桑田選手のブログを下記に記載し、彼の弁護にかえたい。
このページも、2000年から続けてきたけど、今年でお別れになると思うし、
何よりも、明日、ジャイアンツでマウンドに立つのは、おそらく最後になるだろう。
21年間、大きく育てていただいた、ジャイアンツに心より感謝している。
明日は、短いイニングだけど、友への感謝の気持ちを胸に投げたいと思う。
桑田真澄のたった一度の野球人生を、大切に、そして誠実に生きたい。
長い間、ありがとう

                                       10月1日の一言
過去の出会いを懐かしむ…
 本日は午前中に市外に出向き、午後には名古屋に出かけ、夜には自宅に戻って地域の所用を済ませたところで、仲間達から「今日は月末だから」と岐阜県のお千代保稲荷へ誘われた。
 参拝もそこそこに酒を傾けていると、「岩倉のラーメンを食べに行こう」となり、帰宅は午前様となったが、夜の風景が異国のように感じられ、自分達のまわりの人々が大きく感じられるとともに、自分達が小さくなったかのような錯覚を覚えて帰宅した。
 さて、酒は底なしで入っていくが、酔いしれてぶっ倒れるまで飲みたい願望を常々持ちながら、帰宅後のこの欄への書き込みや、明日の予定を考えると杯が止まり、時計の針が気にかかりだす。
 ここの親爺とも25年から30年近い付き合いになる。従業員を引き連れて連日通った過去を思うと、過去の豪遊がウソのように思い出されてくる。
 学生時代に出会った名鉄の土川元夫会長、新聞業界に入って出会った将棋の奇才升田幸三氏、テレビキャスターに転進した江森陽弘氏など、過去に出会った人々を思い出すと、地方議員になってからの行動範囲の狭さと加齢による減退感を実感する。
 人に雇用される事なく、学生時代に起業した当時の『怖いもの知らず』は遥か彼方の過去になろうとしている。もっとも、高校を落第し、非行に走っていた当時には、ヤクザの親分の息子と知り合い、任侠の道に憧れていた時期もあった。出会った人々との音信不通も実感する一日となった。
                                       9月30日の一言
本物の動きとなるか…
 本日の朝日新聞夕刊によると、名古屋市が市町村合併に対してこれまでの消極的な対応から一転して、新たな広域連携を模索しはじめたと報じられている。
 平成の大合併をめざし、平成16年に隣接する大治、七宝、美和の3町から出された『編入合併』への申し込みは断られ、同時期には日進、豊明、長久手、東郷の4町村からの申し入れも断られている。その2年前には西枇杷島町へも『時期尚早』と断っている。
 当時の状況は、名古屋市民の合併に対する意識も低く、合併による基盤整備のために新たな財政支出を要する事も、合併に対する障壁となっていた。
 ただし、個々のケースによっては絶対に反対ではなく、時間をかけ条件があえば可能性も秘めていたのである。
 前記した大治、七宝、美和の3町についても、大治町には名古屋市の市営バスが市内同様に路線配備してあり、名古屋市の浄水場もあることから、他の2町とは条件も違い、名古屋市の議員の中にも『推進』したいとの発言を耳にした事があった。
 この事を新聞記者の前で元議長経験者(大治町以外)に話した事もあったが、当時は甚目寺も含めた「4町でまとまってやる」との方針が交わされていた。その甚目寺町も、名古屋市にとってはゴミの焼却場の問題から無視できない存在でもある。
 合併に対して、当事者の松原市長が6月議会本会議で「将来の選択肢になりうる」と発言した事から、新たな連携と展開が開けそうでもある。
                                    9月29日の一言
老後も千差万別である…
 本日は名東区にあるグループホームを見学し、利用料の差もあるものの、最善の体制で運営されている施設だけに、レベルの低い施設との格差を体験さらせれた。
 連日のように殺人や傷害事件の報が伝わってくる中で、末期ガン患者に依頼されたと思われる殺人事件が27日に瀬戸市の病院で起こっている。報道によると、患者本人の「先に逝く」と記したメモや、殺害したとされる知人の手紙が存在する事から、患者本人に依頼された殺人の可能性が高い。
 「死にたい」と近所の知人に漏らしており、末期ガンを悲観した事件の可能性が高い。詳しい病状も解らずに論ずる事はできないが、夫と別居しているとの記事から、相談する親族もなかった事から事件になった可能性も高い。
 ここで問題と思う事は、最近の医師の多くが、『末期ガン』であっても簡単に本人へ告知している現状である。確かに治療方法も進歩し、末期ガンでも延命を図れるケースもあるが、末期ガンと宣告されれば『死』の宣告に等しい現実がある。
 人間には寿命があり、いつかは必ず死が訪れるが、それぞれの状況の違いから、最後の迎え方も千差万別である。資産や貯金の有無や、年金受給額の大小、同居家族の有無などにより、同じ病状でも対応は違ってくる。
 病院でありながら、患者が悲惨な殺人事件によって死を迎えた事を、患者本人と殺害に関った知人の責任にせず、病院と医師の責任にも言及してもらいたい。
                                       9月28日の一言
事故の原因は何かが重要…
 飲酒運転による死亡事故が多発した事から、飲酒運転そのものについての議論も盛り上がり、交通事故そのものにも厳しい視線が浴びせられている。
 本日のウラ番組『ほっこり庵の独り言』でも、埼玉県の幼稚園児が被害にあった事故が取り上げてあるが、飲酒運転は問題外としても、事故にもそれぞれの事情があり、運転手だけの責任とする傾向には警鐘を鳴らしたい。
 かつては新聞販売を生業としていた事から、事故には悩まされる事が多く、加害者に限らず被害者であっても、雇用主として責任を問われ、万全の体制を維持するために、余分と思われる多額な損害保険をかけてもいた。
 理不尽な事は、事故の原因が何かよりも、被害者の言い分だけが聞こえてくる事であった。たとえ、脇道や玄関から一方的に飛び出してきた自転車と接触しても、相手がケガをすれば、車やバイクの運転手が加害者となり、結果的に行政処分が課せられてくる。
 配達のバイクを追い越そうとして、一方的に接触して倒れた後続のバイクの高校生が、ケガをして入院した事から見舞いに訪れると、家族総出で非難された事があった。相手が高校生のため穏便にと思っていたが、あまりの剣幕と罵倒に、事故の原因が被害者の追い越しにある事を告げると、喧嘩になり、私は鬼のように言われた。
 この事故だけは、雇用主として事故の責任が後続のバイクにあると主張し続け、相手の保険会社も当方の主張を100%認めたが、人身事故として扱われていた事から、運転していた大学生には免停の行政処分が下され、事故原因である高校生は被害者として行政処分は何も課せられなかったのである。
 一方では、事故で命を落としながら、相手は保険会社任せで「当方の飛び出し」として謝罪もなかったケースもあったが、保障はあっても大黒柱の死亡は一家離散の危機ともなる。事故の抜本的な解決には、事故の事後処理になりがちな行政の反省と、地域住民に指摘された地域の安全対策も急務である。
                                      9月27日の一言
続・改めて桑田ファンの一言…
 巨人軍桑田投手のファンとの昨日の一言に対して、私
(大鹿)のイメージとは違うとのメールをいただいたので、本日も一言に…。
 桑田投手というと、入団を希望していた清原選手の涙の横で、大学進学と思われていたのに巨人に指名されて入団した事で、ダーティーなイメージが付きまとい、不動産投資に失敗して巨額な借金を負った事から、『投げる不動産屋』と言われた事もあり、野球以外のイメージは悪いようでもある。
 しかし、彼は巨人軍に入団してから、練習をさぼったり、他人を中傷したりした事を耳にした事がなく、男女関係など遊びでのスキャンダルには無縁で、生活面では誰よりも真面目な『求道者』であったと私は信じている。
 彼の試合には手抜きがなく、投手でありながら打者としてバッターボックスに立った時も、必ずヒットを打って塁に出ようとしている。肘の故障から奇跡の復活もはたした。そして、何よりも、マウンドからベンチへ走って帰る姿は、高校時代の時の笑顔と変わらない。
 人々の勘違いは、彼がまだ38才の若者である事を忘れている。巨人軍に入団した18才の高校生が裏取引をしたでしょうか。20代で巨額な借金を抱えた原因には、彼に大損をさせた人々が存在する。それらに反論する桑田真澄選手の姿はありましたか。
 私は、世間から何を言われようと、自分のやるべき事を黙々と続けてきた桑田投手のファンであり、生活や名誉の引退を捨て、故障もなく元気である事を理由に新天地を求めている姿に改めて期待しているのである。
                                     9月26日の一言
桑田退団から脱巨人ファンに…
 私にとっては大きなニュースとなったのが、読売巨人軍の桑田真澄投手が昨日の二軍での登板を巨人軍最後の登板と発表した事である。
 人には好みがあり、巨人の桑田を嫌いな人もあろうが、私にとっては桑田がいたから巨人軍のファンを続けてきたと言っても過言ではない。
 選手会の古田会長(現ヤクルト監督)に対して、選手の存在を虫けらのように語った巨人軍渡辺オーナーの発言は、過去の巨人軍の独善的な不手際を思い出させ、ひじょうに不愉快な思いをこの一言に記した事もあった。
 しかし、桑田投手や元木選手が頑張っていたから、応援を続けていたが、元木選手は昨年で余力を残したまま引退し、清原選手も移籍し、最後の砦となった桑田投手も他球団に活躍の場を求めようとしているのである。
 悲しいのは、巨人軍に憧れて野球を続け、指名された事で悪者にされ続けた桑田投手や、一年間も浪人生活を経験して入団した元木選手、涙で西武ライオンズに入団してから憧れの巨人軍に所属した清原選手の最後の花道を作れない巨人軍の非情な体質である。
 選手起用によっては、200勝投手を達成していたと思われるが、投手だけでなく、打者としても手抜きをしない桑田真澄投手がベンチに走って戻ってくる姿は、高校時代のPL学園当時と変わらない。
 200勝まであと27勝。「目標に向かって努力するのが男の美学」と語る桑田投手の活躍する場所がある事を願い、彼の引退までファンとして見届けていきたい。
                                   18年9月25日の一言
座っているだけでは済まされない…
 横井庄一記念館が開館して、ちょうど3ヶ月が経過した。当初のように、会館前から行列ができ、閉館の午後5時を過ぎても来館者がいるような状態ではなくなり、50人から100人程度の来館者に落ち着いてきた。
 ただし、県外からの訪問や、世界平和のため勉強に訪れたいなどと、びっくりの連絡や、開館日の日曜以外の訪問希望も届けられている。
 人数は減ったものの、仏壇に手を合わせる人の数は増加し、「お彼岸だから来ました」など、物見遊山ではない来客が増え、横井庄一を偲んでの会話も増えている。
 さて、そうなると予備知識も豊富な人が増加し、適当な返答では済まなくなってくる。ボランティアの送迎役程度で座っていると、私をホームページの管理人と承知して語りかけてくる訪問者も存在する。
 夫人(館長)への負担を考えて、管理人役の私への問い合わせも多い。電話での問い合わせでは相手が特定できずに応対する事が多いが、中にはびっくりするほど有名な団体や、全国に知名度の高い学校からの問い合わせもあり、管理人としては大歓迎ではあるが、夫人の年齢は80才に手が届き、閉館する頃の疲れた表情を見ると無責任な受け入れには限界を感じるようになってきた。
 ただし、品格の高い人や、社会的向上心の高い訪問者との会話は、日常社会のストレスを発散し、記念館存続の意欲を掻き立てられるのではあるが。
                                      9月24日の一言
国旗・国歌の強要は違憲判決に…
 東京都立の学校で、国旗への起立や国歌斉唱を入学式や卒業式に強要する事は、「思想や良心の自由を侵害する」として、違憲の判断が東京地裁で示された。
 石原都知事は、「教育現場を知らない人々の判断」として、今までの基本方針を継続し、控訴して上級審判で争う姿勢を発表しているが、教育現場での方針や指導が、『強要』となるのかどうかの判断も微妙なものがある。
 教員が入学式や卒業式で国歌斉唱の際に、突然イスに座ったらどうなるのか。運動会の国旗掲揚を無視して退場もしくは歩いていたら子供達の目にどのように映るか。
 東京地裁では強要は違憲との判断が示されたが、強要は問題としても、学校行事の流れに逆らい、教員が自分の思想や意志の達成のために、行事や式典の秩序を乱す事になれば問題も噴出する事にもなりかねない。
 国歌君が代を歌いたくなければ、口をつむっておれば済むのである。国旗日の丸を認めたくなければ敬意を払わず、目を閉じていれば良いのではないか。
 生徒を指導する教員が、自分の自由な判断で行動をはじめたら、教育を受ける立場の生徒も自分勝手に行動し、授業中に教室を抜けたり、遅刻や早退を繰り返し、教員の指導を無視する事も懸念される。
 私の高校時代の体験であるが、教員が労働者としてストライキに参加し、自習になった事があり、それからは堂々と個人的な理由で授業を休んでいた。
 現実に、地域社会では、教員の指導に従わず、日中堂々と学校外で遊んでいる中学生も現存し、警察の指導を受ける生徒が増加している中で、生徒への影響を第一に考えた指導が優先されるべきである。
                                      9月23日の一言
もし、よろしかったら…
 本日は懐かしい来客があり、おまけに高額なビデオテープまでいただく事となった。「もし、よろしかったら…」と言われた物は、京都のビデオテープであった。
 「大鹿さんには何度も京都に連れていってもらったから…」と言って、わざわざ名古屋から来られた方は、名古屋市で長年校長を務められた七宝町のM先生に誘われ、何度も『朝日旅行友の会』の旅行に参加されていたが、M先生が数年前に亡くなられた事から音信不通になっていたのであった。
 母親の遺品を整理していたとの事だったので、遠慮なく頂くと快諾し、車のトランクから下して事務所に移したが、びっくりしたのは夕方になってからであった。
 全28巻におよぶビデオテープは未開封で、ビニールに包まれ、木製のキャビネットまでついていたのであった。しかも、「8万円位かな」と思っていた価格は、29万4千円の定価が記されていたのであった。
 「DVDの時代に申し訳ないけど…」と言われたビデオテープだが、京都の千二百年の歴史と伝統文化、様式美を凝縮した作品であり、時代をこえて残すべき映像記録でもある。こんな作品を一度も目にしないまま遺品とされた故人のためにも、少しでも多くの人々の目に焼き付けてもらう機会を大切にしていきたい。
                                       9月22日の一言
生活感を感じない自民総裁選…
 自民党の総裁に52才の安倍官房長官が圧倒的大差で選出された。マスコミの前評判でも、注目は2位争いにうつり、麻生氏と谷垣氏の得票に関心が移っていた。
 結果的には、2位の麻生氏は目標の100票を大きく上回り、ポスト安倍の好位置につけ、谷垣氏も3位と言うものの100票を確保し、反安倍勢力を結集し、それぞれに次につながる総裁選に終わった。
 前任者の小泉首相は笑顔の退陣となり、すべて良しのような結果になっているが、国民の生活はどうなるのかをしっかりと語って欲しい。
 年金の掛け金は高くなり、受給する年金は減額となる。高齢者にとって唯一の所得となる年金から、自動的に引き落とされる介護保険は一方的に値上がりする。
 総裁選挙の論点とされた『靖国問題』よりも、国民の生活が重大なピンチに立たされており、労働意欲より地域から逃避して『浮浪者』になりたい人々も増加している。
 「貧乏人は麦を食え」という時代は、節約が家庭の身についたが、頑張って家を建て、小銭を蓄えた人々が悲鳴をあげる時代になってきた。義務教育の改革から世の中を改善しようとすれば、少なくとも20年後、30年後の結果待ちとなるが、制度の継ぎ接ぎだらけの現状をどのように一本化し、不公平のない社会にしようとするのか、若い指導者の誕生だけに我が身に置き換えた肉声を期待したい。
                                    9月21日の一言
もし、寝ていたらの一言から…
 昨日は夕方から電話と来客の繰り返しとなり、夜の書道会も解散時には電話中で、気がつくと一人になっており、就寝は午前3時となった。
 「明日の9時の都合は?」と問われ、「今晩は遅くなるので、寝ていたら起こして」と応対していたが、自分勝手に午前9時と解釈し、朝から待っていると間違いのようで、夜9時の約束だったらしい。
 考えてみれば、誰もが仕事をもっており、朝9時の約束は不自然でもあるが、「もし、寝ていたら…」の言葉の感覚の違いを実感させられた。
 本日は市役所に出向く用事はあるものの、時間が決まっておらず、新聞社のモニターの返信を済ませ、徹夜覚悟でメールなどを処理する予定から、朝9時に『寝起き眼』を予想した当方の「寝ていたら」の言葉が、相手には確実に夜の9時を確信させた筈でもあった。
 そうなると、「明日の夜に伺います…」と言われていた人物の存在がある事を思い出されてきた。時間の約束はしてないものの、夜は何時かと双方のバッティングにならない事を祈るばかりである。
 『禍いを転じて福となす』のことわざがあるが、お蔭さまで本日は市役所の所用に十分な時間がとれ、突然の連絡にも対応でき、この一言も夕食前に書き込むのは記憶にない展開の一日となったのである。
                                      9月20日の一言
一八先生と祭り上げられて…
 本日のウラ番組『ほっこり庵の独り言』を見ると、私からの影響が大きいとか、考え方に影響されたと『一八先生』として祭り上げられている。
 とんでもない話で、ほっこり庵こと大川氏こそ、知られぬ必要もない自分の過去を公表し、自分の体験からアルコール依存症の回復施設『マック』を立ち上げ、その功績から産経新聞社から社会福祉賞を受賞し、大学で講演し、本まで出版されているのである。
 私は、むしろ昭和一桁生まれでありながら、映画の自主上映会を開催したり、愛知県知事に直接意見を述べる大川氏のパワーの足元にも及ばないと思っている。
 私の専売特許であった『鶴田浩二』も、最近ではほっこり庵の専売特許となり、やはりこのあたりは越える事のできない年齢の差ではないか。年齢の話となると、本日のほっこり庵には『敬老の日が…』なる一文が記されている。同世代の方々は一読をお奨めしたい。
 さて、本日の朝日新聞に、大学院で学ぶ地方議員についての記事が掲載してあった。5年前の秋であったが、京都の名門大学の大学院で『政策』を学ぶ機会を与えてくださった先輩があり、真剣に考えていると、「子供が2人も大学にいるのに冗談じゃない」と家内に一蹴された事があった。
 生活も重要だが、学ぶ機会と意識は重要であり、負け惜しみではないが、最近では大学の専門知識を学習できる機会も多く、名古屋でも毎週のように開催されている。本日のほっこり庵から、改めて年齢を意識せず学ぶ事を意識させられた。
                                       9月19日の一言
行く先、行く先が休業には…
 台風13号は各地に多大な被害を巻き起こし、人的被害も起きているが、幸いにも北にそれた事により当地方への影響はなくなった。
 本日は、本年2月に内閣府の支援事業として開催された瀬戸市の街歩きの検証を兼ねて、瀬戸市の赤津地区を訪れた。
 昨日の一言にも記したが、赤津地区の窯元めぐりの中心的存在だった霞仙陶苑が倒産した事から、魅力あるレストランや北川民次記念館も閉鎖されていた。
 観光協会から提供された地図を頼りに、歩けども歩けども、行き着く窯元はすべてシャッターが下りており、窯元めぐりにならない事から、責任を感じながらも、事前に連絡や情報収集して訪問している事から、霞仙陶苑の閉鎖の影響かと心配にもなってきた。
 「先週に瀬戸物祭りがあったから、休んでいるのでは」との参加者の声も聞こえたが、やっとたどり着いた窯元の話では、台風が来る事からシャッターを閉じて休業してしまったとの事で少しは安心したが、業界全体の斜陽も耳にする事となった。
 結局は、定光寺と雲興寺の参拝が記憶に残る瀬戸行きとなってしまったのかもしれないが、万博効果から道路状況が飛躍的に改善され、最終目的地の豊田市民芸館まで東海環状自動車道が整備され、帰宅には伊勢湾岸道路や東名高速道路、猿投グリーンロードなど選択肢も多く、距離感覚が麻痺する帰途となった。
                                     9月18日の一言
主催者の苦労を見ながら…
 台風13号の影響で、名古屋港の近くで開催予定の釣り大会が2週間後に延期となった。当初の予想より進路が北にそれ、直接の影響は無さそうであったが、モーターボートを所有する参加者も多い事から、昨日に中止を決定したとの事であった。
 しかし、主催する人の苦労は計り知れない。心当たりには電話をかけまくったものの、ポスターを見た当日参加者も多く、現地では朝早くから集まってきた人々に頭を下げ、お茶や子供には菓子が配られていた。
 延期とは言え、これでは赤字確実である。一年に一度の大会が、延期して開催されるとは言うものの、関係者にとってのダメージは大きい。
 冷やかし程度の当方にも、1本のペットボトルが届けられた。手帳をめくり、延期された日時を確認すると既に予定が入っていたが、主催者に言う事もできず、先約と調整して出向く事となったのである。
 さて、天候による行事の中止は他人事ではない。明日は瀬戸市の観光協会に多くのパンフレットを送付してもらっているが、半年前に内閣府の支援事業で実施された愛地球博後の町歩きの検証を受けて企画が立ててある。
 ただし、半年前に二重丸をつけた魅力ある施設が複数閉鎖されており、天候の悪さを想定するとこちらも大変な一日となりそうでもある。
                                       9月17日の一言
何故に信者が残っているのか…
 オウム真理教の松本智津夫被告(麻原彰晃)の死刑が確定した。関った事件の多さと、坂本弁護士一家をはじめサリン事件や信者の殺人による被害者は27人にもなり、死刑は当然の量刑と思えるが、実質的には一審だけで結審した事は意外な結末でもある。
 ただし、逮捕されてから11年が経過し、初公判からも10年が経っており、専門家の話では共犯者のすべての裁判が終了するまでは刑の執行がないとの事から、今後数年から10年程度は死刑が執行されないとも報じられている。
 松本被告は『オウム神仙の会』を84年2月に創立している。3年後の87年7月に『オウム真理教』に改め、多くの信者を集めるだけでなく、多額の資金も手にしているが、そもそもの出発点においても人々を偽っていたのかどうかに興味がわく。
 まったくのインチキに騙されて信者が集まったのか、当初は人々をひきつける本物の魅力があって集まったのかを知りたいのである。
 これだれの大事件を起こした後に、指導者は変わっても信者が残り、各地に集団の拠点が残るのは何故か。
 事件の検証も重要だが、オウム真理教そのものについて、創始者の松本智津夫本人の肉声によって語らせて欲しい。また、現在の松本死刑囚は本当に精神異常になっているのか、死刑が確定してしまった今だからこそ真実が知りたい。
                                       9月16日の一言
気になる台風の進路に…
 6月より毎週土曜日に開催されてきた、愛知県主催『人にやさしい街づくり』連続講座も終盤に入り、明日からは10月7日の最終日に向けたグループワークが始まるのである。
 グループの意見がメールを通して交換されるのを眺め、社会に訴える意味のあるテーマに決着する事を望み、期待だけでなく責任も感じて明日を迎えるのである。
 ただし、天候だけはどうしようもなく、週末から週明けは台風に影響されそうな状況になっている事を、知人の電話によって知らされた。天候だけはいかんともしがたいが、相手が台風では計画された日程にも大きな影響がもたらされそうである。
 こうなると行事の主催者の心配はつきない。当日の会場予約や食事の手配をどうするのか。日曜日は一年前から、名古屋での行事に誘われているが、雨天では実施できない事から関係者の心中が察せられる。
 さて、本日は秋篠宮家の妃殿下とご親王が病院を退院され、無事に宮家に到着なされた。新たに看護士の派遣と、病院からも引き続いて関係者が派遣されるとの事であるが、一人しかない男の親王だけに関係者の緊張感は大変なものが予測される。
 本日の退院を知り、多くの人々が病院につめかけ、通過する道路にも人波ができていたが、明るい話題で暗いニュースを吹き飛ばして欲しいものである。
                                        9月15日の一言
手鏡の植草教授が、またまた…
 9月議会の常任委員会が本日で終了し、一週間後には本会議も終了する。ひとときの余裕を感じるが、議会後には会報『津島の風』の印刷と配布がまっており、10月には決算審査特別委員会が開催される事から、『嵐の前の静けさ』といったところか。
 さて、2年前に、女子高校生の下着をスカートの下から手鏡で見て逮捕された植草一秀教授が、今度は電車内で女子高校生の尻をさわり、現行犯逮捕されたと報じられている。
 地位も名誉も信頼まで失い、また同じ罪を重ねる心境が理解できないが、それ以上に哀しく思う事は、名古屋商科大学大学院客員教授という立場にもある。
 2年前に逮捕された時は、早稲田大学の教授としてマスコミで活躍する絶頂期にあったが、再度の犯行により、名古屋で人知れず教壇に立っていた事が知れ、これこそが『都落ち』の典型であり、受け入れた名古屋商科大学をも笑いものにするだけでなく、今度こそ浮上する余地も絶望的となった。
 しかし、45才になって何故に女子高校生の尻なのか。報道される顔写真が病的に映り、自分の身に置き換えて考えれば、これからは旅行にも行けず、何を職業として生活していくのか答えが見出せないのである。
 超エリートの犯した極めて幼稚な事件だけに、ライブドアの堀江氏や村上ファンドの村上氏の事件と対比すると、日本経済までもが病的に思われてくる。
                                      9月14日の一言
厳罰より飲酒運転させない責任を…
 飲酒運転が毎日のニュースになっているが、飲酒による死亡事故が懲役20年と言われるといささか疑問も湧いてくる。
 飲酒運転が悪い事は判っているが、これでは意図的な殺人事件より厳しい判決も予想され、法の厳罰化によって『ひき逃げ』による飲酒逃れも多発している。
 昨日の一言の続きとなるが、今までの警察や司法のあいまいな対応が、飲酒運転を助長してきた反省が重要でもある。法律を厳しくしても、飲酒運転が減らなかった一番の原因は、車の運転者に酒を勧めた飲食店が野放しにされてきた事が大きい。
 法律では飲酒運転を知りながら酒を提供した者や飲食店の責任も明記されているが、対象の店に的を絞った取締りで、複数の検挙者を出しながら飲食店に対する注意が全く無かった現場が近くに現存する。
 飲酒運転で検挙した場合に、警察は飲酒をした飲食店を特定し、関係者を道路交通法による厳しい責任追及をすべきであった。最近では、懲役20年でも手ぬるいと言われているが、それよりも飲酒運転をさせない努力が不足していたのである。
 私も酒飲みである。議員になる前には飲酒運転もした。しかし、議員になってからではあるが、飲酒運転は封印した。家族が迎えに来るか、歩いての帰宅となる。そうなると、仲間や友人も飲酒運転をしなくなる。ただし、現在でも堂々と車で帰る人々も現存する。そういった人にストップをかける事は容易ではないが、そもそも運転者に飲ませなければ良いのであり、飲酒運転による事故の責任や保障を、運転者だけでなく同席した者や提供者にも求める事が先決でもある。
                                      9月13日の一言
絶対に飲酒運転を許さない…
 8月25日に福岡市で市職員の飲酒運転による死亡事故が発生し、3人の幼児が死亡した事件から、飲酒運転に対する厳しい世論が日本中に渦巻いている。
 しかし、現実には飲酒事故が連続し、最近だけでも9日には姫路市職員が飲酒事故を起こし、10日は三重県伊賀市の名阪国道で飲酒事故により2人が死亡し、神戸でも飲酒運転による電車との衝突事故が発生している。
 本日の早朝にも東京都東村山市で、飲酒運転の車により主婦が死亡する事故が発生しており、これだけテレビや新聞で厳しく報道されていても、反省するどころか『あざ笑う』かのように飲酒運転や飲酒による死亡事故が頻発している。
 本日のウラ番組『ほっこり庵の独り言』には、飲んだらじゃなくて飲む前にと題して、「飲んだら乗るな」の標語の勘違いが指摘されている。
 ほっこり庵こと、大川孝次氏は、「俺は酔っ払い運転で老人をひき殺してしまった…」と表紙に記し、刑務所に入り、アルコール依存症と戦い抜き、…(略)…、どん底をみた男の人生大逆転劇として、『奇跡はあなたの中にある』(新風舎発行・定価1100円+税)を発行しているだけに、飲酒運転については説得力がある。
 ほっこり庵には、「飲んだら乗らせるな」と記してあるが、飲んだら家族がカギを取り上げ、飲ませた飲食店や同乗者にも同等の罰則や被害者の損害賠償を徹底すれば、飲酒運転は間違いなく激減する。被害者本人や家族の悲しみを考える時に、『絶対に飲酒運転を許さない』社会の実現が急務である。
                                      9月12日の一言
気がつかない事が多く…
 市内を歩いていても、何も感じずに通り過ぎているが、農業振興地である田んぼに産業廃棄物が破棄されているとの報道があった。
 朝日が差す前の早朝に、必ず昇る煙があり、時々の通報によって消防車が駆けつけたり、警察が出動しているが、平然とゴミが燃やされ続けている工場も存在する。
 何事も無いように見える世の中でも、様々な事件や事故が起こり、人と人とのトラブルも発生している。倒産していく店や企業もあり、破産して所在不明となる人もあり、難しい病気で苦しんでいる人や家族もある。
 悪い事ばかり耳に入ってくると、心まで荒んでくるが、現代社会は成熟しており、大抵の事には解決策が用意されており、姑息な事を考えずに行動すれば明るい展望も見えてくる。
 しかし、いざとなるとびっくりし、他人の言葉に惑わされ、間違った判断によって展望が開けぬようになっている事例も多い。
 昨年の2月、名古屋大学の脳神経外科の吉田純教授は、「5年以内に脳卒中の後遺症を残さない」との目標で、愛知県脳卒中ネットワークの展開を発表された。これもネットワークに入ってこそ可能性もあるが、何も行動しないと進展はない。発症から治療、リハビリテーション、社会復帰との筋書きも現実には多くのバリアが立ちはだかっており、受身だけでは明るい展望は開けてこない。
                                       9月11日の一言
神守の人達にもお世話になってね…
 愛知県知事選挙へ立候補する意志を発表し、犬山市の石田市長の動向と民主党の対応が注目されている。
 石田市長は全国から注目される首長で、少人数教育など独自の教育施策や街づくりで全国に発信できる数少ない政治家である。又、私の尊敬する数少ない政治家でもある。
 初めての出会いは7年前の『7市3町競輪組合』の会議にさかのぼる。「津島の大鹿さんって何処ッ?」、「津島でも旧神守村なんですよ」、「うん、何処ッ?」、「越津町という所です」、「そう、じゃー〇△さんて元気かなァ」、「元気ですよ、でもお詳しいですねッ」、「昔は神守の人達にも世話になってねー」と、初対面の新人議員に江崎代議士の秘書時代の思い出話を聞かせてもらった。
 以後、全国都市問題会議などで何度か顔を会わせたが、偶然にも前回の県知事選挙前に何度も連絡を取り合う事となった。
 津島市から知事選への立候補を検討していた井桁県議の出馬への取り消しを説得してもらうために、石田市長に個人的に依頼したのであった。「若いからもったいない」と、立候補が政治生命を潰すと、私の自宅や本人の自宅にも何度も電話をもらう事となった。
 全国には魅力のある首長も多いが、政策だけでなく個人的な相談も無視しない人情家でもある。個人的には、立候補の意志すら発表していない国の官僚と天秤をかける民主党の対応を批判したいが、幅広い支持で石田市長の政治生命が継続される事を願うとともに、微力でも恩返しの機会にしたい。
                                       9月10日の一言
苦痛は最小限に…
 本日は『加齢と障害を考える』と題して、理学療法士の専門家から、リハビリテーションの観点から現状と同時に街づくりのポイントの指導を受けた。
 万が一、後遺症の残る病気を発症した場合、適切な搬送と連携した医療により回復し、残された後遺症に対しても適切なリハビリテーションにより、寝たきりになるのを防ぎ、自宅復帰を実現させる仕組みと同時に、自宅での生活を支える支援策は確立されている。
 ただし、現実には理想通りにはならず、病院や施設をたらい回しにされた挙句に、思うような回復もできず自宅で寝たきりになっている人々も多い。
 又、施設に入所できたと喜ぶ家族を横目に、人生の最後まで施設で迎える人もある。体調が悪く、毎日近くの開業医に通院し続けた挙句に、病気も発見されずに死を迎えた人も知っている。
 同じ心臓発作でも、重症患者が救急車によって命を拾い、症状の軽い患者が自分で病院に走り命をおとしていく。
 自分の命には代わりがない。最高の医療を最善の方法で受診し、最後まで自律した生活を送りたい。本年4月には国や行政の仕組みが大きく変わり、公的負担も増加した。人の介護を受けずに長寿がまっとうできれば最高だが、介護を受けて当り前の気持ちで、早期の発信により苦痛は最小限にとどめて欲しいと願う。
                                       9月9日の一言
反省がない、懲罰だ…
 「ちょっと大丈夫かなァ」、「大丈夫、責任は自分自身にくるから」と、議会前に知人と話していた事が、議会で現実のものとなった。
 議会の一般質問の文言を巡って、心配していた事が的中し、私の発言をめぐり議会運営委員会まで開催される事となった。詳しい中身については記載しないが、『不適切』な発言として一部を議事録から削除される事となった。
 個人的には、削除される事には心外であるが、議場で発言してしまっているので、意図は十分伝わっており、議事進行のため削除もおり込み済みでもあった。
 しかし、一部の議員の怒りは収まらず、議会終了後にも職員に「反省がない、懲罰だ」との苦言が続いていたようでもある。
 ただし、経験豊富な大都市の議員から、私の発言した質問内容程度は問題発言にはあたらず、問題は、むしろ議員の自由な発言を妨げる議会制民主主義の侵害にあたり、この内容で懲罰とされれば司法に訴えるべきとの心強いアドバイスをもらっている。
 議場は議員にとって戦場でもある。早朝からテレビで『みのもんた』が毒舌で社会を切りまくっている。影響された訳ではないが、議員が本音で発言できない議会では八分目の結論しか見いだせない。むしろ、私の発言した内容は当事者の内部から出ていた内容てあり、確信をもって発言した事だけに、波風が立った事に満足する議会となった。
                                        9月8日の一言
万世一系の継続に祝杯…
 秋篠宮家に長男が誕生し、皇室としては41年ぶりの男児ご出産となった。本当に天皇家にとっては待望の男児誕生であり、日本にとっても国論を二分してまで皇位継問題を決着する必要も当面はなくなった。
 天皇家では天皇陛下自身が前立腺がんの病と闘われ、皇太子殿下の『人格否定』発言と皇太子妃の病気、皇位継承問題では政局を二分化し、皇室内部からも政府の皇室典範改正に異論がでるなど、天皇陛下の心配もつきなかったのではないだろうか。
 秋篠宮家に男児が誕生した事で、皇位継承問題も当面は心配が回避され、政治のレベルで万世一系の天皇家や皇室を議論されなくなる事に胸をなで下ろし、日本国民全体で素直に喜びたい。
 男女平等の原則から、女性を軽視しているとして一部に不満の声や、異論も存在するが、男系の血脈だけで確実に継承されている天皇家の歴史は、全世界に例をみない日本の伝統と歴史でもあり、これからも守りとおしてほしいと願っている。
 もっとも、今回誕生した秋篠宮家の親王が天皇陛下になられるまで、私はこの世に存在していないと思われる。親王の誕生により、天皇家と各宮家や皇族に崇高な至福の日々が訪れることを期待したい。
                                        9月7日の一言
9月議会・私の一般質問…
 9月議会の一般質問は、明日(7日)と8日に開催されます。私の質問は7日の2番目の登壇ですので、明日の10時前後からです。質問内容を掲示しておきますので、有線テレビでご覧いただくか、議会を直接傍聴して下さい。
@公共交通施策について
 ・鉄道バスの利用実態と対応 ・パークアンドライド(駐車場・駐輪場)
 鉄道やバス路線の便数確保のために、駅やバス停へ駐車場・駐輪場の確保を求め、放置自転車対策と放置自転車の無料レンタサイクルへの転用などを質問します。
A移動困難者対策について
 ・バリアフリー新法成立後の施策について ・巡回バス、検討委員会答申後の対応
 バリアフリーに対する基本構想の作成は? 市民公募の委員会のあり方について いつでも、どこでも、だれでもの交通権の確保とシステム作りは可能か?
B居住福祉について
 ・家庭内事故の実態について ・住宅(公営・民間)のバリアフリー化 ・天王川荘について
 公共交通や移動を考える前に、障がい者や高齢者には出掛ける前の玄関までの家庭内の事故で死亡する人が交通事故の死亡者より多い事からの質問。住宅のバリアフリーについても集合住宅については、工費が生きてこない事から質問。
                                       9月6日の一言
久々のほっこり庵節に…
 久々に『ほっこり庵節』が復活し、世界のトヨタや、世間の不自然な常識に吼えている。胃の痛い当方には羨ましいかぎりでもある。
 私もトヨタの車しか買った事がないが、トヨタの理不尽な対応には、過去の一言などで批判を続けてきた。とにかく愛知県は万博もトヨタなら、防災でもトヨタが主役のように参加し、中部国際空港もトヨタの広告塔になっている。
 一方では、ほっこり庵の指摘のみならず、自動車部品の欠陥
(リコール)についても見つかるまで隠し続け、グループ会社のヤマハ発動機は、中国に軍事利用される事を承知で無人ヘリコプターを輸出した責任も放置されたままになっているが、これなどは売国奴として厳しい断罪が必要である。
 小泉首相の靖国参拝で、日中の関係が険悪になっている最中に、奥田会長が極秘とは言え公然と中国に入国したり、ライブドアの堀江氏についても人を人と思わぬ発言があった。いくら資金豊富な優良企業と言えども、我々国民はトヨタのお陰で生きている訳ではなく、トヨタの顧客であるとの認識を忘れているのではないか。
 さて、企業の競争とはいえ、来年のF1レースの会場が富士スピードウェイに決定した。最近のF1人気は、ホンダと鈴鹿サーキットが築き上げたと言っても過言ではないが、来季は5年前にトヨタが買収した富士スピードウェイに会場を奪われたのである。ホンダを愛したF1レーサー『アイルトン・セナ』や、スピードレースに情熱を傾けた故本田宗一郎氏がトヨタの金の札束に引っ叩かれたようで悲しい限りでもある。
                                         9月5日の一言
不運(びっくり)の連続する一日に…
 昨日の一言に、「我々も明日の事は判らない」と記しているが、半日しか経たない本日の早朝になって、娘から調子が悪いとの電話があり、家内が早朝より名古屋の病院に走っていく事態になった。
 本日より市議会が開会し、明日には一般質問の通告を控えており、娘の容体を聞くこともままならず帰宅すると、娘から入院するとの連絡が入った。こんな時にも午後から家内は市民病院のボランティアに出かけており、のん気に帰宅したとたんに、三男から交通事故に遭ったとの連絡が入ってきた。
 自動車の当て逃げにより、歩けない
(足の肉離れ)との事だが、結局家内が病院に連れて行く事となった。相次ぐ事件に『心あらず』の心境であり、議員と言えども、場合によっては議会を欠席する事もありうる事を実感した。
 最近では、飲酒運転による死亡事故が社会問題となっているが、高校生の通学する自転車への当て逃げも多く、息子や高校生の走行マナーにも問題はあるが、「逃げて行く」運転者の責任と自覚の薄さは全国共通のようでもある。ちなみに、息子の乗っている自転車はフランス製の競技用のため、息子の体のみならず、当方のフトコロも痛むのである。
 家族のうち二人がこんな状況でも、議事日程は迫ってくる。家の『お祓い』を真剣に考え、御嶽山へ参拝し、大量の百草丸
(胃腸薬)でも買ってこないと、当方の胃袋が限界(痛みそう)となりそうな一日となった。
                                        9月4日の一言
スローライフの障壁に…
 新聞社のモニターの報告書を書く為に、一週間分の新聞を広げていて、探していた目的とはまったく違ったが、良い記事を発見した。
 40代後半に脳梗塞を発症し、車いす生活になった奥さんの介護と同時に、過去のサラリーマン生活の経験を生かして新規事業を興した50代半ばの人の記事であった。
 我々も明日の事は判らない。交通事故で下半身マヒの生活になる可能性や、脳卒中やガンの宣告を受けることもありうるのである。そんな事を前提にした生活は考えたくないが、利益を追求するために、家族に負担を強いる仕事や、好きでもない仕事やまったく経験のない仕事を起業する事は現実的でもない。
 生活のため、好きな仕事が選択できるとは限らないが、金儲けのために何度も失敗を繰り返している人を目にすると、一歩さがって自分を見つめ直すことも重要である。
 『スローライフ』を宣言する人々も多くなったが、税金や公的負担の増加は、毎月の支払い金額を底上げして、節約する事よりも働いて収入を上げる事を強要していくのである。
 戦後の耐乏生活や、高度成長期に「貧乏人は麦を食え」と言われた時代には、収入は少なくとも生活が可能であった。現代社会はそれを許さなくなっており、リタイヤした高齢者からも税金を取り続けており、抜本的な改善も必要である。
                                        9月3日の一言
専門的レベルで語れない現状から…
 議会での一般質問を考える時、ただ単に『公共交通機関』や、『移送』をテーマとしても、数年にわたり集積した資料は膨大で、一部分のみを取り出す事の難しさを実感している。
 本日の『人にやさしい街づくり連続講座』では、桜花学園大学の森田教授から、「明日は我が身」から「安全・安心な、そして快適で利用しやすい公共交通の必要性」について説明があり、公共交通の現状とその後について講義があった。
 森田教授の専門とする『交通権』について、自らが障害を持ちNPO法人東海福祉移動研究協議会の水谷克博氏より、『誰もが、いつでも、どこへでも』と題して、障がい者・高齢者の地域生活における移動のバリアフリーが実体験として報告された。
 今や、5人に1人が高齢者と言われる時代である事は社会に認知されているが、障がい者の実態についてはあまり関心を持たれてらず、社会感覚と実態には大きな隔たりが現存している事を改めて聞く事となった。
 医学の進歩によって、脳卒中や人工透析など高齢になってからの障害を持つ人が増えてきている。その事は理解されていても、現実に一般人が障がい者から思い浮かべられるイメージは、生まれた時から先天的に障害を持つ人々が多い。
 現実には、障がい者全体の中で、約4割が40才から64才の間に発症しており、65才以上を加えると約6割が40才以上になって障害を発症しているのである。このように考えると、誰もが、いつでも、どこへでもは他人事とは思えないが、このあたりの説明からしなければならない現状をあらためて実感した。
                                        9月2日の一言
会報配布と市民の反応に…
 本日は会報『津島の風』28号配布の最終日となったが、早朝には雨が降り続き、午後に汗を流しながらの配布となった。
 ただし、来週からは9月議会が開催され、終了後には次の会報29号の発行が待ち構えており、一年中が会報配布の繰り返しと考えると、いささか役務的で苦痛も感じるが、会報28号により本日で11通の手紙が届けられ、電話の相談も含めると『議員冥利』につきると感謝すべきなのかも知れない。
 会報28号の中から、名鉄青塚駅のトイレについて、住民の署名運動を批判した事から、厳しい電話や手紙の問い合わせもいただいたが、日頃の活動実績から私の主張と動きを理解してもらったと思っている。
 一番の問題は、住民の署名運動とは言え、議員や政党が関与しており、そのうえで名鉄のみならず、地方自治体への要求もしている事である。本来、議員の立場としては、住民の署名運動を考える前に、議員として行政や事業主の名鉄に働きかける事が重要であり、住民の署名運動が起こされた当時に、仮設ではあっても簡易トイレが実現できそうなメドを立て交渉していた事から、私の主張にも一理はあると思われる。
 9月議会では、この問題には触れないが、公共交通問題を主題とした質問を予定しているが、10月末には『バリアフリー検証』の実施を会報28号で予告してあり、場当たり的ではなく継続する問題として改善を図りたい。明日の『人にやさしい街づくり連続講座』の講師は、公共交通を専門とする桜花学園大学の森田教授で、「公共交通の危機と交通権」が演題となっている事も9月議会を控えて心強いものがある。
                                       9月1日の一言
政治の嫌な場面を耳にするようになり…
 8月も本日が最終日となり、現在も配布している会報『津島の風』の表紙に、「もう8月です」と記してある事から、改めて月日の経過の早さに驚かされた。
 過去を振り返ると刹那的にもなるが、先の話ばかりしていても、忙しさの中で準備不足のままに日程を迎え、時間切れとなるケースも多い。そうなると先送りとなるが、最後には仕事が無くなる事はなく、仕事が貯まると手の施し様もなくなる。
 手抜きをすれば結果に現れる。仕事に邁進すると、新たな仕事も舞い込み、余計に厳しい日程を迎える事となる。こんな繰り返しで日々が経過していく。
 さて、来年4月に総選挙を迎え、地域の中での選挙の事前運動も具現化し、心配した支援者の声まで届けられるようになってきた。しかし、選挙前だけ目に映る政治家(屋)の活動を呆れ果てた感想が伝わってはくるものの、批判する声は届かない。
 4年前に繰り広げられた選挙違反劇の再現は無くしたい。多くの市民が取り調べを受け、逮捕者まて出し、議員も2名が辞職した。有罪となった市長が再度立候補する事も異常だが、圧倒的な支持で再選される地域も異常である。
 公職選挙法では、選挙に立候補を予定する候補者の事前運動にも制限を定めている。微罪であっても法を犯す運動は許されない。善意であっても、許されない運動と競争する話を持ち込まれるのは議員として心外でもある。改めて、「選挙のための事前運動はしない」事を宣言し、政治活動の延長のまま選挙戦を迎えたい。
                                       8月31日の一言
単車の部品入手に走り回り…
 当地方にも多くの自動車部品を並べるカーショップの大型店が建ち、ホームセンターでもタイヤやオイル交換を安価で扱っている。
 ただし、自動車部品に限られており、二輪車のオートバイについては、殆どの部品は調達できず、「単車屋に行ってくれ」と言われるのである。又、仮にあったとしても、バッテリー等は四輪者の2倍から3倍の高額で並んでいるのである。
 本日は、二輪用のプラグを購入するために、大型のカーショップやホームセンターを4店訪ねたが、二輪用のプラグは置いてなく、四輪車の倍もする高価(?)なプラグを単車屋で購入して帰ってきた。
 息子が自転車競技部に入り、試合用のタイヤやチューブを自分で交換しているが、チューブを5百円から7百円で購入しており、自転車修理店のパンク修理代よりメーカーの新品に交換した方が安いのである。
 こうなると、実際の部品代がいくらなのか判らなくなり、自転車屋や単車屋の修理代の高さに疑問を覚えずにはいられなくなる。しかし、素人では修理にも限界があり、高いと思っても単車屋に走るしか道がない。こうした煩わしさが、不調の二輪車の放置につながり、自転車やオートバイが家の隅に放置され、廃車に至るのではないか。
 会報『津島の風』の配布の原動力となっている単車だが、バッテリーがあがり、タイヤは磨耗の限界を超えている。単車屋に任せていると、新車が買えるほどの修理代がかかる事から、自力で直す覚悟であるが、業界の反映のためには、料金システムの透明化により納得できる修理体制が急務と思うのは自分だけか。
                                      8月30日の一言
詳しい資料を渡すわ…
 本日は9月議会を控えて、議会運営委員会が開催された。委員会終了後に職員と雑談していると、夏季休暇をとり白骨温泉に出向き、上高地にも立ち寄るとの話である。
 先週の記憶がよみがえり、梓川ですくって飲んだ一杯の水の話になった。「ところで、高山か松本かどっちから入るの?」と問うと、「中仙道から入る」との話であった。
 「そっちから行くなら、美味しい蕎麦屋が峠にある」とは言ったものの、何処と問われると名前が出てこない。マイカー規制でバスに乗り換える事も、白骨温泉から一番便利な駐車場の位置を記憶しているものの、バス停の地名が出てこない。
 渋滞の様子を伝えたものの、大正池から河童橋までの時間も、「1時間はかかるわなァ」と正確に語れない自分に苛立ちすら覚えたのであった。
 議員になってからでも、夏休みとして8年連続して上高地に入っており、先週滞在したばかりであるのに、何も具体的に説明できない自分に気付かされた。考えてみると、上高地に入る道も総て記憶しており、上高地で地図を見た記憶がなく、焼岳に登り、明神池や徳沢まで無意識で歩いているのである。
 「詳しい資料を渡すわ」と約束し、帰宅後に現地しか入手できない資料に目をやり、せめて山々の名前や、地名ぐらいは記憶にとどめたいと思ったが、惰性や慣例で歩いている自分と物忘れの激しさに警鐘を鳴らす一日となった。
                                        8月29日の一言
初心に戻って考えたい…
 9月議会の議会運営委員会を明日に控え、本日は久し振りの市役所行きとなったが、盆過ぎは会報配布におわれ夏休みをとった事から、電話による消化が多かった。
 さて、わずかではあるが、会報を配布した後には『一八への手紙』やメールなどの返信も届く。一八への手紙は今月
(現在)9通が届けられた。
 配布した会報の部数からすれば少ないようにも感じるが、返信された9通のうち6通に住所氏名と電話番号が記されている事から、答えを求められていないものであっても、改善の期待と対応を求める気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
 それぞれの意見や主張には一理あり、真剣な議論が必要であるが、議論するまでもなく行政の結論が出されている事案も多い。こうなると、市民の声を代弁する前に、行政の現状を説明する役になってしまい、期待に添えないイメージが先行してしまうのである。
 『一八への手紙』については、郵便局から届けられたものは総てホームページで公開しているが、市民の声を直接目にして欲しい市役所職員のパソコンには、『悪徳メール対策』によって見られない仕組みとなっているのである。
 一言の代用に新設した『ブログ』であるが、最新記事が表示されずに頭をひねっていたが、ブログそのものではなく、リンクさせたページが最新ページでなかった事が本日判明した。何日も無駄な試行錯誤を繰り返していたが、出来ない事は初心に戻って考える事も必要である事を痛感し、届けられた手紙も活かしていきたい。
                                        8月28日の一言
感動ドラマと現実のギャップに…
 2日前の一言に、『テレビから涙と感動をもらい』と題した一言を書き入れたが、昨晩には24時間テレビの中でも多くの感動シーンが放映された。
 テレビ局による演出としても、大リーグの松井秀喜選手と会うことで、大きな障害をもった子供が希望を持ち、一段ずつ障害を克服して成長していく姿と、自身のケガを克服していく松井選手の姿から新たな展開を期待したい。
 さて、現実社会に目を移すと、明るい話題が見当たらないのは自身の性格が影響しているのかも知れないが、人生は何と短いものなのかを実感する。寿命が延びたと言っても、はたして何人の人がそれを実感しているのか。最後には、危険な手術や治療により痛い想いを最後にして世を去る人々も多い。
 横井庄一記念館にも多くの人が訪問される。「こんな入り口では入れない」と怒っている人が訪問され困惑したが、足腰が不自由な様子だが、だからと言ってバリアフリーを求められ、改善を求められる必要はない。足腰が弱った晩年の横井庄一自身がこの環境で生活していたのである。
 「車イスのまま入れますか」と、デーサービスの施設から問い合わせもあったようだ。しかし、記念館とは言え、個人の畳の部屋に、外から車イスのまま集団で入る事の方が非常識ではないか。
 世の中には勘違いも多い。スロープがなくとも車イスは3人の手で階段も上がれるのである。本当に記念館に来たいのか。無料だから行ってみるかの延長で、施設の改善まで求める福祉施設の感覚は筋違いでもある。
                                      8月27日の一言
不安な空模様でも名古屋は盛り上がり…
 空を眺めると今にも降ってきそうな雲行きに、いつもの駐車場に容れず、愛知県警本部の近くの路上に車を停めた。
 土曜日と日曜日はこの辺りの路上駐車が許されているものの、正確にはグレーゾーンに停めたため、駐車違反とはならないと思うものの、万が一の心配をしながら参加する連続講座となったのでもあった。
 さて、当地方は静かなものだが、名古屋市内はイベントで各地が燃えているようでもある。やはり最近では、見る
(観賞する)お祭り(イベント)から参加するお祭りに人気と人出がありそうでもある。
 名古屋に30分の所に住んでいても、関心が薄いためか何が起こっているのか判らず、聞く度に「フン、フン」と頷くばかりであるが、距離は近くとも公共交通機関を利用しづらい環境も影響しているのではないか。
 かつて、津島市は国鉄関西線の建設時に線路が通るのに反対した歴史を持っているが、尾張地方で一番の湊町として栄えていた津島市が停滞している現状は、このあたりまで遡って考えてみる必要もありそうでもある。
 差し迫ってきた9月議会では、このあたりについても質問内容に入れたいと思うが、『市民病院』や『医療』の要望や問いかけが多いのは、大鹿カラーになりつつある感もするが、今回は封印を決め込んでいるので念のため。
                                      8月26日の一言
テレビから涙と感動をもらい…
 昨日のテレビ番組で、高校野球大分県予選一回戦に先発した、県立三重高校野球部の広田一弥君の姿が紹介された。
 彼は、中学時代に大分県で注目される有望な投手として活躍していたが、県大会出場を決めた直後の中学3年生の6月に、突然の頭痛から脳梗塞を発症し、これからの一生に係わる左半身マヒという障害をおう身となった。
 彼の優れた姿を知っていた、三重高校野球部の上尾監督は、半身不随となった彼をあえて野球部に誘い、医学的には絶望的な状況下の中でありながら、広田君の一人でリハビリに励む姿がチームメートの団結を生み、彼にエースナンバーを与え、先発投手としてマウンドに送った。
 想像を絶するリハビリに励み、奇跡的としか言いようのない回復を果たし、彼はマウンドに立ち、彼の母親はスタンドで見守った。たった7球ではあったが、お情けとは思えない見事な投球は、多くの人々に涙と感動を与えるものであった。
 華やかなエース対決で幕を下ろした甲子園だが、地方大会の一回戦にも、それ以上の感動を与えるドラマが展開されていた。人生にはどんな事が起こるかは判らない。そう、自分も中学2年時には40度の高熱が続き、半身不随で歩けなくなり、「もう一日遅かったら危なかった」と医師は父親に叱っていた。彼のような頑張りは出来なかったが、手術と落第を繰り返し、高校5年生を体験した。広田君の今後に期待し、目標を一段上に置いても健康でおられる立場に感謝すべきと教えられた。
                                     8月25日の一言
9月議会の足音が…
 昨日までと一日しか違わないのに、多くの電話が集中してかかってくるのは、昨日までの夏休みが浸透していた
(そんな訳はないが)のかと勘違いしそうな一日となった。
 一八への手紙も届けば、会報への質問やら批判やら、不在中の3日間に電話で依頼してあった仕事の御礼やら…。
 ただし、夏休み気分も吹き飛ぶ慌ただしさが明日より待ち受ける。増刷した会報はいまだに2千部を残し、早朝よりの配布を再開し、明後日は身内の法要と『ひとまち講座』、日曜日は『横井庄一記念館』と続き、来週には9月議会が実質的に始まるのである。
 さて、会報に「署名運動はプラスにならない」と記した事から、抗議や質問が続く。まったく大雑把な表現であり、説明不足は甚だしいが、署名した人数で行政や事業主に圧力をかけるやり口は大嫌いな事と、その住民運動に参加しない議員を、「まったくの役立たず」と批判する住民への反論と、議員独自でもやるべき事があり、実際に動いている事の意思表示でもあった。
 しかし、改めて多くの方々に会報『津島の風』が読まれている事の実証ともなり、夏休みの旅先にも届いた『相談事』に、地域の中での存在感も
(少しだが)実感する事と、説明不足や表現不足の反省も必要な週間になった。
                                        8月24日の一言
天国から地獄(ちょっと大げさ)
 3日間の夏休みは、例年より1日
(昨年までは上高地で4日間)少ないが、13人の大所帯だった事と、天候不順の影響を受けたせいか、長い3日間でもあった。
 もっとも、行先が私の『こだわり』の強い場所だけに、旅先との印象は薄く、旧知を訪ね歩く残暑見舞でもある。
 本日、宿を出発する際に、「〇×に行きたいが?」と言うと、宿の主人が、「昨日、農協の人が、そこはもうダメだと言っていた」との話である。一緒のメンバーには行先が話してあるので、一応訪ねたものの、相手が『花』だけに完全に開花時期がすんでおり、それでも観光客が入っていく姿を見ながらの移動となった。
 次に訪れたアートカフェ『森と人と』でも、「白馬に来て、観光用の〇×より、もっと素晴らしい自然が一杯あるでしょ」と言われ、上高地や白馬を目的地にしていても、観光客でしか無かった自分の価値観の低さを反省させられた。
 自宅に近づくにつれ、高速道路のマナーの悪さから現実社会を実感し、自宅に帰った直後に開いたパソコンから、更にひどい社会を痛感した。ホームページの掲示板が、迷惑な書き込みで満杯になっており、『明日への道』にいたっては、純粋な想いで書き込んだ人々の声が容量オーバーで消えていたのである。違法とは言えないまでも、不法や悪徳と言われる行為を許す社会は残酷でもある。
                                      8月23日の一言
後任は育ててあるのかッ?…
 一年に一度の中学校同窓会総会が開催され、学校に走ったものの、活動結果は正直なものである。
 初めて会長職に就いた当時、卒業生よりも恩師の先生の姿が多かった事から、『先生の同窓会』と皮肉交じりに語った再現である。先生の思い出話はとどまるところを知らず、総会の殆どが懐かしかった当時の再現話の連続である。
 忙しさを理由にしては無責任だが、役員会を開催しても集まるメンバーは同じ顔ぶれであり、毎年の総会も会長が一人で声をかけて、多くは義理でかけつけていただいている人も多い。
 本年は、自分の恩師達が病気闘病中でもあり、学校創立当時の恩師で、積極的に教え子に連絡していただいている先生も脳卒中で闘病中との事である。
 自分一人がジタバタしたところで、どうなるものかとの開き直りは、仕事の忙しさにかまけた当然の結果でもあった。
 さて、「私もそろそろ引退を…」と語ったところ、傍らの恩師から、「後任は育ててあるのか」と強い質問やら苦言やら。同窓会は同級会とは違い、苦戦している事例が多く、存続している事すら珍しいが、存在する以上、無責任な発言は慎む必要性と、努力不足を素直に反省すべきと恩師から教えられたようでもある。
                                       8月20日の一言
講座後の貴重な一時間を実感…
 本日の愛知県・人にやさしい街づくり連続講座では、『生活を考える』をテーマに、社会福祉法人AJU自立の家の山田昭義常務理事と、中京大学の岡本祥浩教授を講師に迎えて学習した。
 山田先生からは、『障害者運動と地域居住』について、自己の経験と、障がい者運動の取組みや歴史について学び、岡本先生からは、『居住福祉の論理』と題して、住居の意味と居住福祉と、適切な住居の保持・実現のために学問的見地から講義を聴いた。
 さて、毎年の事であるが、前記のテーマについて初めて耳にする受講生も多く、講座中のグループワークでは感想程度の発言に終わったが、講座終了後に岡本教授を交えて場所を移しての『ティータイム』では、各自の生活全般の話の中から、本日の講義の内容がよく理解され、本日の講義の肉付けができたのではないかと思う。
 経験豊富な講師の体験談や、立派な理論を聞いても、知識として吸収しようとするには限界があるが、各自の生活や地域の中から考えると吸収も容易だと実感した。
 本日の講座には、津島市から2人の受講生と、3人の講座スタッフが参加している。過去の受講者も含め、この講座で学んだ経験を地域に活かす時期にきている。10月の講座終了時までには、目にみえる形で具現化していきたいと思う。
                                       8月19日の一言
日頃の政治活動を選挙活動と言われ…
 議員活動と選挙活動を一緒にした発言は、議員の存在を無視した発言であり、日頃の活動を調べず、憶測での発言は議員の尊厳にもかかわる問題でもある。
 事の発端は、青塚駅のトイレ設置を巡り、住民の署名活動により行政や名鉄に訴える組織の会長さん(美和町民)から抗議の電話であった。私はどの議員よりも早い昨年9月議会でこの件を質問し、本年6月議会でもバリアフリーの観点から青塚駅について質問しており、その都度会報『津島の風』に報告し、このホームページへの質問にも答弁している。
 署名運動が報道された事から、民間で個人的に簡易トイレを提供しても良いとする話が、「行政や名鉄がやられるなら…」と、退かれてしまった。
 この事から、6月議会での質問になったが、会報に署名運動の効果を疑問視し、「プラスにならない」と記した事からの抗議である。
 あれこれ質問に応答する中で、「昔から、選挙間際になると議員は言うけれど」との発言となった。「ちょっと、待って下さい。この事は昨年9月議会後の会報でも報告しています」、「そんな事を、今書くのはおかしくない」、「今回は、本年6月議会の報告です」、「知らない」、「議会後に必ず発行しています」、「知っている人は良いけど」、「全戸に配布しています」、「全戸って?」、「神守地区全戸、約6千5百世帯です」、「そうなの…」…。
 目的は一緒でも、考えや方向性は違う。純粋な住民運動であれば、政党や組織とは無関係ですすめるべきとも思っている。青塚駅については、10月に市民によるバリアフリー体験を実施し、行政に報告したいと考えているが、議員の行動はすべて選挙運動と言うならば、我が身の反省も必要である。
                                       8月18日の一言
偶然の出会いから…
 刻々と日々が経過する中で、会報『津島の風』が底をつき、増刷する必要性にせまられて印刷を再開した。もっとも、月末には9月議会の議運が開催され、配布する限界もあるのだが、6月議会終了時に取りかかっておれば、市内全所帯配布も可能と思われる勢いに、これは後のまつりで言える事ではある。
 さて、本日は、合宿に参加したものの体調不良の三男を迎えに、静岡競輪場まで走る事となり、家内が母親を同乗させて出発した。『知らぬが仏』のことわざで、近いと思って走ったようだが、昨日の京都以上の距離にびっくりしての帰宅である。
 人間は、近くにいると中々話し辛いものがあるが、遠くの外出先で偶然にして顔を会わせると、素直に話ができる場合も多い。
 「大鹿先生」と言われて振り向くと、隣町のご夫婦の姿があった。「どうしてここに?」、「月に1回は来る事にしているんです」、「私達は一週間に一度」などと、会話の後の別れ際に御主人の体調不良についての話が出た。
 開業医から市民病院を紹介されて検査をしたものの、「どこも悪くない」と言われたが、調子は悪いとの話から、徹底的な原因究明と専門医の紹介を約束した。こんな素直な会話は地元では到底考えられなかった事から、偶然の出会いには感謝するものの、市外の外出先でも議員としての市民の視線を意識させられた。
                                       8月17日の一言
今晩飲みたいんだけど(嵯峨野で)
 本日は、京都の五山送り火の日である。もちろん、京都の一日であるが、本日は嵐山の渡月橋のたもとの川原での観賞である。
 嵐山の鳥居型の送り火は、平成3年8月16日に実施しているが、この時には熱心な方があり、「ぜひとも、行きたい」との事で大文字の送り火は初めてであったが、この年から現在まで16年間、毎年実施してきたのである。
 ただし、この人は若くして冥界に入り、私の父親もこの世にはいない。本年の春頃の一言に、『京都のいちげんさん』について記したが、想う事があり、今年の送り火は一切のPRをしなかった。
 「京都に行く」という感覚が、そもそも『いちげんさん』である。家から足を延ばし、京都の街角で日本酒を傾けて、送り火の火が消えるのを見届けたいとのこだわりを持った一日でもあった。
 先に記した人もそうだが、毎年参加されていた人が本年この世をさられた事から、飲んだくれの送り火にしたい強い思いの送り火でもあった。
 「今晩飲みたいんだけど…」との注文に出された酒と、大吟醸を買い求めたところ、親爺さんからは1本分しか請求されなかった。「そんな事、困ります」と必死に言う家内の言葉は無視され、酒が包まれていく。
 この酒を一人で傾け、帰途の車中では爆睡となり、現在頭がガンガンするが、『いちげんさん』には理解できない京都行きとなった。もっとも、同行した人の一人は、平成5年に死去した父親と一緒に観光バスの隣に座っていた人で、このあたりの感覚は、私の家族にも判らない『アウン』の呼吸があり、来週の上高地行きも一緒でもある。一年ごとに送り火への感覚に変化がある事を実感した一日となった。
                                       8月16日の一言
戦死者の魂は安らかにはならず…
 本日は早朝より小泉首相が靖国神社を参拝した事から、新聞やテレビは勿論だが、国内だけにとどまらず諸外国にも波紋を起こしている。
 中韓両国は抗議声明を発表し、国内においても反対の意思表示をする政治家も相次ぎ、私的参拝とは言うものの、内閣総理大臣としての『公約』として、8月15日の参拝が位置付けられておるだけに、当分は論議が展開されるものと思われる。
 私は大反対であるが、本日のテレビに出演した東条英機元首相の孫は、「国によって十分検討された合祀」として、A級戦犯の合祀を正当化する発言もあった。
 天皇陛下の不快発言のみならず、当の東条英機元首相も否定的な見解を示していた事から、国民が納得する議論と、納得できる対応を次期首相には望みたい。
 この問題で、小泉首相の靖国神社参拝に批判的な発言を繰り返していた、加藤紘一衆議院議員の実家と事務所が全焼する事件が発生した。詳細は定かではないが、放火とみられる上に、犯人は腹を切って入院中との報道があり、靖国神社参拝に心酔する人物の犯行の可能性が強く、言論の自由に対する重大な挑戦的事件でもある。
 数日前、「戦死した肉親の遺骨も還っていないのに、靖国神社に魂があるはずがない」と、『ハマコー』こと浜田幸一元衆議院議員が、私とまったく同感の発言をテレビでおこなっているが、小泉首相の靖国参拝による国粋主義者への影響も大きく、中韓両国の心配が具現化しただけに、事件の徹底解明を求めたい。
                                       8月15日の一言
頭を切り替えたい…
 本日は新聞休刊日であるが、市内の一部地域では朝刊を取り出そうとポストに走った人もあるのかもしれない。こんな日に早朝より会報を配布したため、実際に新聞と間違って取り出そうとされた人に出会ったのである。
 ただし、新聞の詰まっていないポストのため、配布は順調に消化できた。
 しかし、帰ってからの顛末は昨日と同じく、ホームページの更新も満足にはできず、我流で進めてきただけに、専門家にも相談できない状態にある。
 さて、こんな事も、過ぎた過去にこだわるから起こる事で、過去に未練を残さなければ、新たに始めれば良いのである。そう考えない事には、パソコンは時間の浪費ばかりとなり、議員本来の仕事にも支障をきたす結果になりかねない。
 そんなわけで、本日は『ブログ』を新設した。一方で、市民の皆さんから届けられた手紙を記すジオログも、過去の支障から作ってあり、この中の日記や掲示板も独立させれば、ホームページの危機も分散できる事から、最悪の事態を迎えた際には変更させる事にしたい。
 現実に、クローバーネットのメールへの悪質な書き込みは、対処していても減る事がなく、最近では迷惑メールを排除する『ヤフーメール』を重宝しているのである。どんどん進化する情報化社会の中で、古く容量の少ないパソコンに頼っている現実も反省し、結果にこだわらない運営に頭を切り替えたい。
                                      8月14日の一言
マスコミの弊害に…
お盆であるが、仕事が遅れて睡眠2時間で朝を迎えてしまった。午前3時から会報を配布し、6時半にはパソコンの前でメールの確認と、迷惑メールの一掃にかかった。
 ここで久し振りにパソコンにトラブルが発生し、無知な頭で対応していると8時半をまわり、9時過ぎには横井庄一記念館へ出向く津島市のボランティアTさんと約束があり、慌ててシャワーを浴び、頭を乾かす時間もないままの出発となった。
 本日は、地元中京テレビの取材があり、開館と同時に撮影が始まった。昼には津島市に帰る約束があり、慌てて帰り所要を済ませ、午後にはパソコンの不調の報に駆けつけてくれた知人と対応し、横井記念館に出戻ったのである。
 帰宅は7時に近く、受信したメールへの返信を済ませて、ここに『一言』を記していると一日は終わり、「お父さーん」と遅れた晩飯の催促を受けているのである。
 本日は、マスコミの取材により、記念館来訪者の会話が制止さけた事への苦言を耳にした。マスコミも予想以上の来訪者に戸惑ったようで、休憩を取りながらの一日仕事になったようだが、撮影のために記念館を訪れた人々が配慮を求められ、発言や案内を中止した事は問題でもある。本日は、はるばる韓国から訪れた人や、京都や岐阜県からの訪問をうけており、マスコミの一日がかりの撮影が、遠来の人々に与えた迷惑も考えると複雑な心境となった。明日夕刻のニュースが数分間(?)になっているのやら…
                                   18年8月13日の一言

『上善は水の如し』であるが…
 早朝と夕方に雷鳴がとどろき、道路は川のようになり、市内各地で水が排水できずに水たまりが残された。
 これまでの数日間の事であるが、村の農業の役員(私は一切やらない為に)で家内が、毎日のように田んぼの水廻りに走っていた。毎日、水が入るようにしてくるが、誰の仕業か朝になると水がぬかれているのである。そして、毎日の苦情となっていた。
 「そんなもの、ほかっておけ」と言うものの、台風が近づいた事から、責任問題にも発展しそうな状況となったものの、台風は進路を変え、日照り続きの後ではあったが、本日にはたっぷりと雨が降り注いだのである。
 しばらく前の町内の葬儀の顛末だが、僧侶は5人あったものの、町内の宗派の違う寺の僧侶の姿が見受けられなかった。「お経も読めないのだから呼ぶ必要はないわナッ」と話していたが、当事者となる家からは、その寺が『村寺』ゆえに謝りに走っていたと言う。
 村には理不尽な事も多い。役員の入れた水を勝手に抜いていく人があり、周りの隣組の不手際でも謝りに走らなければならない葬儀の遺族。
 気になるのは、あまりにもムリが多い事で、『当り前』と思われている事でも、時代とともに変革していく事が重要である。
 『上善は水の如し』は、中国老子の言葉である。理想的な生き方をしたければ、水に学べというのである。本日の雷鳴と降雨から、理不尽な事やムリな事は長続きしないと思いながら、中国の先人の残した言葉を実感した。
                                        8月12日の一言
薬屋の役割が風化して…
 数ヶ月ぶりになるが、奈良県の薬屋が配置薬の取替えに訪問した。北葛城郡新庄町からやって来るのだが、同世代ながら交通事故の後遺症で足腰が不自由でもある。
 お互いが『おしゃべり』であるから、忙しい時には席を外す事に決めているが、本日は仕事を終えて来客と雑談中であったため、久しぶりの長話となった。
 ただし、偶然居合わせた来客もびっくりしていたが、この薬屋は商売とは言え、薬だけでなく医療や治療法については極めて詳しいのである。しかも、医者ではないため、遠慮なく本音で医療情報が聞けるのである。
 親から引き継いで30年経つと言うが、我家には戦前か戦後間もない頃から出入りしているようである。かつては、町に30軒ほどあった同業者が最近は3軒に減ったと聞くが、奈良県の薬屋は、江戸時代以前には僧侶達が広めたと聞いた。
 薬を置いてある家から、娘が嫁いだ先を紹介され、どんどん配置先を増やす一方で、昔は薬屋が在所や親の様子を娘に伝え、娘の安否を親元に知らせるコミュニケーション『伝達』の役割を担っていたのである。
 今、モンゴルでは、日本の置き薬のシステムが大人気と言うが、日本では世代交代によって置き薬を断られる家も多いと言う。薬屋も世代交代で廃業が続き、薬屋もドラッグストアの時代になったが、現代社会で一番必要とされているコミュニケーションのためにも、奈良の薬屋には頑張って通ってきて欲しいと願っている。
                                        8月11日の一言
私の前で、「大鹿さんに会われたら」…
 今週は早朝の3時頃から会報『津島の風』を配布しているが、本日は早朝に道路で出会った人から、「これは大鹿さんの会報ですか?」と問いかけられた。
 「ハイ、そうです。お久し振りですね」と応えると、「最近、会報出ていないでしょう?」、「ハイ、春に出せなくて」、「ところで、大鹿さんは元気にしておられるの?」、「ハイ、元気ですよ」、「最近、姿を見ないけど、病気か何かでは?」、「…」、「大鹿さんに会われたら…〇△…」
 「私です。大鹿です」、「えっ?」と、私の顔を覗き込み、「あーッ、大鹿さん、どうされたの?」とびっくりした顔つきである。
 早朝とはいえ、あまりの暑さに、ヘルメットの下にタオルを頭に巻いていたため、頭をケガして包帯が巻いてあるのと勘違いされたようである。
 しばらく会話の後に、単車のバックミラーで自分の顔を確かめると、目元までタオルが下がり壮絶な顔つきであった。シャツもズボンも汗でずぶ濡れ状態で、とても人と会えるような姿ではない事にびっくりした。
 出会った人は、近くの団地へ私の会報を配布している人で、本人を目の前にしても判らない自分の姿に、今まで自分の姿を意識した事もなかっただけに、『爽快』な姿での配布を心がけると同時に、加齢した自分自身を実感した。
                                        8月10日の一言
掲示板の無法状態に…
 以前の一言でも度々記し、対応を訴えてきたが、掲示板荒らしはとどまる所を知らず、多くの掲示板が英語の書き込みで埋め尽くされ、閉鎖を余儀なくされている。
 そんな影響からか、本日は『ほっこり庵の独り言』の掲示板が開けず、掲示板が閉鎖された可能性も高いため、『臨時』のほっこり庵の独り言を追加させていただいた。しばらくは様子を身ながら再検討に入りたいと思う。
 最近のメールや掲示板は、違法とはならないものの、迷惑な書き込みが蔓延し、消し込み作業が大変で、放置されたままの掲示板や、掲示板そのものの存在を廃止したホームページも多い。
 大量に流される同じ内容の投稿は、何の意味があるのか理解に苦しむが、機械的に多数の投稿を打ち込んでいるとの情報もあり、相手に時間的な労費だけでなく、一般の書き込みにの妨害になっている事から、軽犯罪でも罪になるのではないか。
 個人的にも、『鶴田浩二』の情報を入手していた掲示板が、英語だけの大量の書き込みで放置されたままになっており、希少な掲示板だけに投稿者が腹立たしいかぎりである。
 こんな事に負けたいとは思わず、日常的に削除し続けているが、時間の労費は避けられず限界が近い。早急な対応が必要でもある。
                                      8月9日の一言
教えた者より先に逝くとは…
 人生一寸先は闇と言うが、長野県知事選で落選した田中康夫知事の心境はどんなものか窺い知れないだけに関心が湧く。
 ただし、政治一本ではなく、作家としてもタレントとしても通用するだけに、心配は無用かもしれないが、新知事から田中県政6年間の諸施策を次々と否定する言葉が伝わり、歯がゆい気持ちでいっぱいと思われる。
 これについても、これからの巻き返しが可能であり、人生の最後を宣告されたり、志半ばで亡くなった人に比べれば何て事はない。
 「教えた者より先に逝くとは…」と、教え子の葬儀でたたずむ元教員に出会った。高齢だけでなく、大病を患いながら遠方より出向かれた姿に涙を誘われた。考えてみると、80歳ちかくなって恩師に送ってもらえる事も珍しく、それまで続いた師弟関係に敬服したい。
 「なぜにこんなに早く…」とは、手術後に数ヶ月しか延命出来なかった事に対する親族のつぶやきである。「こんな事なら、手術をする必要があったのか」とも。
 そう、そのとおりである。手術をする前に、セカンドオピニオンを求めるか、高度な医療機関を受診すべきであったのだ。合併により『市』に吸収されたとは言え、地方の町の医療機関で難解な『膵臓がん』の手術には大きな無理があった。こんな当り前の事が、なぜに判断できなかったのか。死に直結した大病に侵された時、高齢夫婦だけの所帯では、世間の常識も聞こえなくなってはいないか。子供が同居していたらと考える事が多い。
                                        8月8日の一言
理念だけでは支持されぬ現実…
 長野県の知事選で、現職の田中知事が落選した。当選する事が当り前のような選挙戦から、よもや落選するとは思ってもみなかったが、小泉首相と同じく、圧倒的な人気にあぐらをかき、県民の視点を忘れた独善的な手法を県民は見過ごさなかった。
 投票率の低下が大きく響いているが、投票率の低下を招いた大きな原因は、田中知事そのものにある事を自覚すべきである。
 長野県の悪しき慣習を打破した事は評価したいが、知事の発言は県民の総意の代弁が重要であり、あまりにも個性的に偏った発言や、県政を通り越して新党まで率いて国政で惨敗した現実を直視すべきであった。
 多くの候補者の名前が浮かび、消えていった背景には『田中圧勝』のイメージがあったと思われるが、田中県政への不信感が根強く浸透していたようでもある。
 水は必ず高い所から低い所に流れ、川の流れに逆らっても中々進めないが、流れに身をまかす事も必要ではなかったか。発言は発言として評価されても、現実の生活は理想どおりには進展しない。公的負担額の増加に反して、公的サービスの低下が現実となり、国政と連動しない山の多い長野県においては、理想だけでは生活が逼迫し、生活の改善なくして政治の信頼は薄らいでいく。
 ガラス張りの知事室を県庁の入り口に配し、県民の視線で語ろうとした田中知事の理念は評価したい。しかし、多くの県民の生活を向上させる責任が希薄ではなかったか。自分の意見に賛同する者ばかりが県民ではなく、多様な意見を整理して総括する責任感が県知事としては不足していたと思われる。
 選挙対策や災害対策による選挙運動の遅れを理由にすべきではなく、『裸の王様』と化していた自分自身に気付くべきではなかったか。
                                        8月7日の一言
昨日より厳しい24時間休み無し…
 けたたましく鳴り響く電話のベルの音が、深夜の自宅に鳴り響いた。昨日の一言を書き終え、一言に記したとおりに、ゆっくりと風呂に浸かり、頭を洗い、冷たく冷やしたビールを念のために2本飲んで、熟睡に入ったばかりで体が動かない。
 しばらく間をおいて2回目の電話には体が反応したものの、家内の携帯電話に転送されてから切れてしまった。「公衆電話からだった」との言葉から、親族の訃報と思うと眠るに眠れない。
 一時間後に母親の兄の訃報が届けられた。こうなると母親は在所に走り、眠れぬままに朝を迎える事となった。
 本日は横井庄一記念館に連れて行ってほしいと言う人と、ボランティアで案内役を担当する人を乗せて、早朝より記念館の一日である。開館当初に比べれば随分とヒマになったとは言え、閉館時間まで訪問者は続き、来週の段取りを済ませると夜である。
 帰宅後はゆっくりと食事をと思って帰ると、「お父さんも行くんでしょ」との一言である。「おい、通夜は明日だろッ」と言ったものの、顔出しが当り前のような家族の視線である。
 帰宅は11時半となり、こんな事で皆さんに読んでもらえる一言が書ける訳がなく、グチばかりとなるが、『今日と明日の境目が無い』よりも、『24時間休み無し』の方が相応しい週末と週明けになってしまったのであった。
                                         8月6日の一言
今日と明日の境目のないままに…
 さて、昨晩は入浴後に5時間の睡眠がとれ、久々に疲れがとれた朝を迎えた。最近では、睡眠はとっているものの、熟睡ができず、昨晩はビールの力を借りての睡眠であった。
 一昨日から昨晩にかけて、体調は最悪であったが、本日はびっくりするほどの復調に、休養の必要性を痛感した。
 ここ数週間は、土曜日と日曜日を中心に生活が展開されているが、仕事が一段落した事で肩の荷が下りた事が大きい。ただし、発行した同窓会報には総会と物故者法要が控えており、会報『津島の風』には戸別配達が待ち構えている。
 これが終わると、3日間の夏休み(
21日から・例年は4日間)はとってあるものの、一週間もすれば9月議会が迫ってくる。こうなると、一年の大半が経過したようなもので、気がつくと年末か正月になっているのではないか。
 最近では、来年の選挙に立候補を予定する人々の戸別訪問など、積極的な事前運動の情報が伝わってくる。そうなると、気分は来年を意識せざるを得なくなるが、選挙違反だけは許す事があってはならない。
 さて、さて、本日の仕事量にはびっくりせざるを得ない。明日も名古屋行きが待っている。風呂に入り、(
ビールを飲んで)早速眠りたいが、すでに…
                                         8月5日の一言
自分の日程が予測できないストレスに…
 遅れに遅れていた会報『津島の新しい風』(28号)が本日完成し、印刷にかかったものの、葬儀(私の会報を配布していただく方のお母さん)やら、町内の講組のお参りなど、ここ一週間は冠婚葬祭の時間に追われて仕事に集中ができない日々が続く。
 電話が鳴ると親族の訃報かと慌てて走り、違うとホッとする一日でもある。こんな時には、『ほっこり庵の独り言』のような、事件や政治に切れ味の良い意見は書きようがなく、日曜日に書き入れている『天聖人誤』は留保と記したが、今週は休みと書き入れた方が正解であったのかも知れない。
 明日は県の『ひとまち講座』のために午前中から出掛け、明後日は『横井記念館』の一日となり、10日前に葬儀のあった親族の法要はいつ頃かと考えると、旅行の案内も出す気力が沸かず、日程だけが近づきストレスとなる。
 こんな気持ちでは、何をやっても『心あらず』となり、ゆっくりと休んだ方が得策かも知れない。こんな気持ちでも、人々は心境まで判らずに連絡がある。議員として骨折った結果が好結果となった連絡はホッとするが、新たな要件への対応が心なしか弱いと自分自身でも自覚できるから重症である。
 さて、印刷は始めたものの、折って綴じ込まなければ会報は完成しない。完成しても配布しなければ意味がない。奮起が必要でしょうが…
                                         8月4日の一言
「本日が峠」と言われて…
 先週に親族の葬儀があり、本日は町内の葬儀があったが、町内では久方ぶりの葬儀と思っていると、夕方には知人の家族の訃報が届けられた。
 今日か明日かと「本日が峠」と言われている伯父もあり、本日は通夜の後で病院に走る事となった。ただし、元気な姿だけを思い出に残したいため、病室には母親だけが入り、私は廊下で待機(
こんな馬鹿な人間もある)となったが、ここまでくると御見舞いとは言えず、意識の全くない伯父の一日も長い延命を祈るばかり(これも家族には大変)である。
 さて、世の中では、健康に感心が高まり、健康や最新医療の雑誌が次々と発売され、各地で医療や健康のための公開講座まで開かれている。
 にもかかわらず、現実には、遠くまで通う足がなく、連れて行ってくれる家族は別居中となると、病院や医師を選択する余裕は全くなく、「絶対にダメ」と誰もが思う病院で手術を受け、確実に死んでいく(
人間の死亡率は100パーセントだが)厳しい現実も存在する。
 野球の王監督のように、一流の病院で一流の医師に治療を受けられる人は一握りの人々で、ほとんどの人は手近な病院に入院した挙句に、看護婦から『退院』を迫られ困り果てるのが現実社会である。
 本日は、退院後の行先が決まらない入院患者の行先が決まったと御礼の電話もあった。これも総ての患者に対応できる事でもなく、多くの人々が今夜も頭を痛めている問題かもしれないが、自分の事でもそこまで考えている人は少ないのである。
                                         8月3日の一言
掲示板荒らしとの闘いが続く…
 掲示板へ迷惑な多量の書き込みによって、掲示板を閉鎖したホームページは多く、貴重な情報源が消えていく。
 実は、当方も『明日への道』と『朝日旅行友の会』への多量な書き込みの嵐と戦いの連日である。何の意味があって書き込むのか理解に苦しみ、英語だけの内容だけに意味も判らず、連絡もメール以外は取れないのである。
 「絶対に消し続けてやる」と続けているが、一日に300件を越す書き込みを消す作業は、時間の浪費だけでなく、1件ずつ投稿者が違うものの内容が同じため、事実上の掲示板ツブシとしか思えない。
 わずかでも投稿された人々の想いを考えると閉鎖は忍びなく、かと言って、削除するのも大変な浪費(労費)となる。
 差出人を1件ずつ代えた書き込みは違法ではなく、意味もなく迷惑な書き込みでも管理人は延々と削除を続けるしか方法はないのか。これこそ、経済的な実害は無いものの情報社会の民主主義に反する犯罪行為でもある。
 ただし、こんな事を言ってみても何の解決にも至らず、当分は削除の時間との戦いに明け暮れるしかない。何か良い方法があれば伝授を願いたい。
                                        8月2日の一言
発電する一週間にしたい…
 ストレスが溜まりすぎているが、他人にながされ、自分自身がしっかりとしていない事が原因でもある。世の中は成るようにしかならず、成らない事を求めるからストレスが溜まるのでもある。
 同窓会の会報の発行は、広告募集から配送まで例年になく気苦労が多かった。まったく自分のプラスに成らないばかりか、損ばかりが増幅しているが、自分のプラスにする位の図々しさがあれば、自分の為と開き直れたのでもあろう。
 いくら良い事をやっても、評価されるとは限らないが、PTAの要望を受けてではあるが、本年の活動から神守中学校の全教室に扇風機が設置された。考えてみると、数年前に市議会で取り上げ、「冷房化は難しくとも、せめて扇風機ぐらいは」と発言した事が、PTAからの依頼ではあったが自分達の手で実現に至ったのである。自分の公約実現ぐらいの発言も許されよう。
 久し振りに立ち寄った喫茶店のマスターと、個性の強かった津島市の先人達の話をする中で、他人のモノサシに合わせて考える自分の馬鹿らしさを実感した。
 さて、今週は奮起の一週間にしたい。まずは、自分の会報『津島の風』の発行である。自分の自己主張も重要である。この一週間に、よくもヌケヌケと理不尽な事を言わせていたものである。怖いものなしで、迷わず人一倍動く中から、理不尽な言葉を発した連中には鉄槌は食らわせないものの、発した言葉の責任は自覚させたい。外に出て、何をやってくるか判らない『大鹿』を実感させたい。
                                        8月1日の一言
「交通権」を発する委員の存在に…
 本日は巡回バス検討委員会が開催されたが、委員会の討議の中で、一人の委員より『交通権』との言葉が発せられた。
 津島市で、この言葉を聞く事は珍しく、私は初めての経験であった。当地方では、2日前の自治体学校の講師となった桜花学園大学の森田優己教授の専売特許のような言葉でもある。
 交通権とは、「誰でも、どこへでも、安全、快適、自由に移動する権利」であり、交通は我々の生きる権利として保障されなければならないのである。
 森田教授の属する交通権学会は、平成10年に『交通権憲章』を提案し、国民の交通する権利として日本国憲法第22条(居住・移転および職業選択の自由)、第25条(生存権)、第13条(幸福追求権)など関連する人権を集合した新しい人権として訴えている。
 しかし、交通権については、フランスなどは国内法に明記されているが、我国においては法的に認められた権利としては確立されていないのが現状でもある。
 津島市民の中にも、こんな先進的な言葉を発する人物がある事に感嘆し、委員会終了後に尋ねると、2日前の自治体学校に参加されていた事が判明した。津島市の交通実態を感情的に訴えていた事から、「一緒の会場におられたんですか」と問うと、「大鹿さんのすぐ後ろに座っていた」との返事が返ってきた。
 「声をかけようかと思ったんですが…」と言われてから、座りゴコチの悪い(
共産党議員ばかりのため)会場で、最後の最後に津島市の実情を訴えた事の意義を感じる反面、この方も共産党議員の紹介で参加されていた事から、改めて場違いな場所に居た事を実感するとともに、市民公募の検討委員会の構成にも疑念を募らせた一日となった。
                                        7月31日の一言
「結構です」と言いたいが…
 神守中学校の同窓会報が完成し、神守中学校区の町内会長のお宅を一軒一件訪問し、配布をお願いに廻る一日となった。全部で46町内会である。
 「ご苦労様」と言っていただける方がほとんどであるが、中には「これをどうすれば良いの」と問われる所もある。
 しかし、「そんな事はできない」と断られると役員のストレスは最大となる。地元の中学校だから当然の事とは思っていないが、ほとんどが気持ち良く受け取ってもらっているだけに、一つの町内の断りも来年以降の事を考えると、ひたすらお願いするのみである。
 それでも、「他の町内会に聞いたが、配布はしないと聞いた」とか、「前任者に聞いたが、昨年はやっていない」などと言われ、否定しても信じてもらえない町内が存在した。
 私の2代前の会長より、過去19年間続けて校区内全所帯に配布されており、引退した役員さんにも問い合わせ大騒動となった。
 本日、総ての町内を廻り、総てお願いして帰っているが、信じてもらえず、「近く役員会に諮る」とまで言われると、こんな弁解をするくらいなら、「結構です」と言いたいが、今後の(
同窓会)役員さんの事を考えてぐっと我慢の一語である。
 本来は同窓会の役員で総て配布すべきであろう。しかし、「地元の学校だから」と容認されて今日に至った歴史は尊重して欲しい。「市役所から頼まれた事以外は引き受けない」のであれば、社会福祉協議会の赤い羽根も、広告の入った住宅地図も同列として考えるのか。とにかく、町内役員の世代交代によって『地域の善意』も消えていくような顛末に、先輩達の慰めも慰めには至らなかった。
                                        7月30日の一言
共産党議員から「一緒に闘いましょう」に…
 本日は午前9時から午後4時30分まで、『公共交通の危機−交通権をいかに守るか』と題した自治体学校の分科会に参加した。
 講師の森田優己桜花学園大学教授は、毎年『人にやさしい街づくり連続講座』で、交通権や移動について「だれもが行きたい処に行ける権利」として弱者の立場で説明をもらっているが、市民の足として巡回バス実践事例や、鉄道を廃線から守る運動など、全国各地の実践例も報告され久々にレベルの高い勉強の場となった。
 しかし、午後になり、参加者の質疑応答が始まり、盛んな意見交換が続くうちに、参加者の多くが共産党の現職議員である事が気になりだした。
 改めて『自治体学校』の主催団体を見直すと、後援こそ愛知県や名古屋市が名を連ね、県や市町村の市長会や議長会も後援しているものの、協賛する団体名には自治労連の労働組合や共産党系の団体が名を連ねている事が分かってきた。
 「まわりは共産党ばかりか…」と思うと急に座りゴコチが悪くなるが、ヒートアップした頭は後戻りが出来ず、思わず津島市の実情から意見を発していた。「名鉄は横着だ」と、無人駅や路線バスの諸問題を発言したことから、桑名市の共産党議員から、「近鉄も一緒、一緒に闘いましょう」とエールまで送られてきた。
 会場の参加者から、あいつも共産党議員かと思われていれば心外だが、与党ボケして視察中に観光旅行を繰り返している連中よりはましかと考えなおし、個人的には教授への質問したい事があったものの早足で会場を後にした。
                                        7月29日の一言
「しまった」の本音を隠し…
 会報津島の風を、とりあえず2ページ分印刷する段取りができ、細かい仕上げに熱中していると来客である。
 「しまった」の本音を隠し、「久し振りですねッ」と応対したものの、原稿(材料)が散らばっており、「久し振りだからコーヒー屋でも行きますか」と外出する事となった。帰宅後には新たな仕事が待っており、明日は名古屋市の鶴舞プラザにおいて開催される『自治体学校』で、公共交通についての勉強が朝から晩まで続くため、明日の夜に繰越となった。
 繰越は良いが、同窓会報の発行日(8月1日)も迫っており、神守地区の全町内会に配布を依頼するためには、月末は印刷どころか、一日中地域を走りまわる事になりそうでもある。
 そうなると、自然的に会報は来週中と言う事にもなる。気ままな計画では日にち延ばしの連続である。
 かつての議員や政治家は、毎日のように支持者が訪問していたと聞く。今以上に議員に権力が集中し、政治力で何でも実現できたからでもある。
 政治権力が低下しているとすれば、議員の役割はどこにあるのか。私のように、地域団体の推薦ではなく、特定な団体組織とも無関係な議員は、なおさら自分の役どころを考えさせられる。
 会報の遅れは、市民の返信が途絶え、地域の諸問題が伝わってこない。大金をかけて印刷した返信用ハガキや封筒も遊んでいる。安易な繰越が、仕事の余裕を奪い、計画を次々と遅らせていく。自業自得であるが、猛省すべきでもある。
                                       7月28日の一言
学校から姿を消した戦没者慰霊碑…
 8月15日が近づくと、それまで忘れられていた戦争の話題が報道されてくる。年月の経過は間違いなく戦争の悲惨な惨状を風化させていく。
 30年前に訪れた広島の原爆ドームと、現在の施設は同じではあるが、映像文化の発展や、情報化時代の中では色褪せて見える。もっとも、50年前に訪れた人々の衝撃は比較できないだろうし、投下直後、いや、投下された瞬間に居合わせた人々しかその地獄絵巻は語れないだろう。
 昭和20年までは、広島や長崎だけでなく、日本全国が空襲により火の手があがり、多くの人々が戦火の犠牲になっていた。津島市は他人事のような話を耳にする事があるが、我々の住む旧神守村でも米軍の投下した焼夷弾で家々が焼け、戦闘機が墜落する事件が起こっている。
 多くの先人が兵士として戦死し、地域にも戦死した人々を供養する碑が立てられている。しかし、地域ぐるみで慰霊していた戦没者の碑は、小学校から姿を消し、その消息を知っている人は少ない。
 50年や60年は歴史と思われないが、それを正確に語れる人々は存在しなくなる。情報化社会の中で、東京や外国も近い存在になりつつあるが、地域では多くの事件が繰り返し起こっており、その事に気づかないままに年月が経過し、その反省も活かされないままに街が変貌していく現実を反省したい。
                                        7月27日の一言
高校野球の歓声が聞けない淋しさ…
 かつては主催する朝日新聞社の球場設営に係わり、高校野球写真展を開催するために、県内の各球場で真っ黒になってカメラを構えていた。
 甲子園で活躍した中京高校の野中投手(
後に阪急でプロ)と顔馴染になり、日本一を達成した東邦高校の山田投手(後に中日、今はどうしているのか?)とは津島球場で記念撮影までして、現在も事務所に掲げてある。
 こんな経験が全くウソのように、高校野球とまったく無縁の生活となり、地方大会の熱戦の音が聞こえてこない。聞きたくてもヒマがなく、わずかなヒマがあっても外に出る気力が沸いてこないのも問題である。
 津島市が高校野球の会場に名乗りを挙げた時(
20数年前)は、春日井市や豊田市(市名に勘違いがあるかも知れない)など津島市より大きい自治体と競いあって会場を誘致した。津島高校のM先生が高野連を説得し、「新聞社も頼むぞッ」と言われ、何も影響力を持たない若造のため、朝日新聞の増紙を約束した。
 記憶によれば200部だったような気がする。当時でも1ヶ月50万円ほどの販売価格であるが、売らなければ残紙となり、大きな自己負担が続いたのである。
 当時の市長が、「高校野球は自分が…」と自慢するのをさえぎり、「私は…」と発言できるのも身銭を切って運動したからでもある。しかし、当時の苦労が判る人々も引退し、当時からの朝日新聞販売店も蟹江店1店のみとなってしまっている。熱戦の歓声が聞こえないだけでなく、時代に追いやられたようで淋しいものがある。
                                         7月26日の一言
快適な葬儀の中から…
 親族の葬儀に参列した。涼しいホールでスケジュールどおり淡々と葬儀が終わると、玄関にはクーラーが効いたマイクロバスが待っている。
 霊柩車もスピード時代だけに、都市高速を走り、マイクロバスも離されまいと追随し、火葬場に到着する。津島市と違い、火葬場もオートメーションで、悲しむ暇もなくあっという間に棺桶が炉に入り、親族は案内された涼しい控室で雑談である。
 葬式も様変わりしたものだと感心していると、故人の夫人が体調不良となった。葬儀場も火葬場もスマートにはなったものの、家族の疲労までは解消されないのである。
 火葬も済み、初七日法要も終わる頃、「お寺様への御礼はどうするのか」などの現実の話となってくる。三十五日法要も迫ってくる。「じゃー、このあたりで」と人々が立ち上がると、残された家族だけの静寂が現実となる。
 祭壇の飾りつけから、人々の食事のもてなし、車の手配と、隣近所や親族が走り回った時代と比較すると、まったく苦労もなく、亡くなった故人の存在まで忘れてしまいそうな時代となっている。
 かつては一人の死が近所や村の一大行事でもあり、悲しみを共有したものだが、最近では悲しみを実感できる時間もなく、霊柩車が走り去っていく。残された家族を考えると、何かが不足しているような気がしてならない。
                                       7月25日の一言
あんたの親戚だから…
 親族の訃報があった。身内の葬儀は久し振りで、家内と母親が、平成5年に亡くなった父親の葬儀資料や写真を持ち出しての対応である。
 ただし、私に知らされたのは午後になってからの話で、随分余分な段取りを考えており、自分たちは訃報を聞いた後に、それぞれの在所(
母親と家内の在所は近い)のお見舞いに出掛けていたのである。
 香典の金額や、花やら果物など、ずいぶん手際よく手配されているものの、通夜と葬儀については「あんたの親戚だから…」と言わんばかりの対応である。
 考えてみると、身内の通夜は簡単には帰れず、明日も一日中かかる事から、今晩から明日までのスケジュールは真っ暗となってしまう。
 「オレ一人の問題じゃないだろうが?」と、母親と家内も同行する事となったが、「お父さん一人で済むのに」と思っているようでもある。
 「じゃー、なぜに手際よく下調べしてあるんだ」と思うが、案の定余分な心配で、親族から葬儀の打ち合せの報が入ってきた。
 よくよく、考えていると、大鹿の親戚筋は自分しか顔が判らない親族も多くなっている。自分が死んだらどうなるんだと思いながら、これこそ余分な心配であるが、親子や夫婦でも親戚の感覚が随分違う現実を痛感させられた。
                                       7月24日の一言
市役所に行くより名古屋市が近い…
 忙しくとも体は一つしかないため、連絡をいただいても土曜日(
県の講座)と日曜日(横井庄一記念館)は会えないため、本日は名古屋まで出向いてもらう事となった。
 津島市では、津島市の施設を巡回するために巡回バス検討委員会を募って(
素人集団)赤字のバスを維持する事に専念しているが、我々の住む旧神守地区からは、西ではなく東の名古屋に向かった方が利便性が高い。
 車なら15分で中村公園に到着し、栄まで直通バスが走っている。津島市の図書館を利用するよりも栄にある県立図書館を利用すれば夜8時まで開館しているのである。交通の便を考えれば、津島市より名古屋に出向いた方が早くて便利な現実がある。
 横井庄一記念館も名古屋市中川区にあるとは言え、元々は海部郡の冨田町であり、津島市の図書館に走るより実際には早く到着する。
 「遠いところを…」、「なに、市役所に行くより早いわッ」と言われると、「なるほど」と思うが、横井庄一の母親『つる』は、昭和30年頃に自転車で連日、中川区の千音寺と津島市の神守を往復していたのである。
 面積の狭い津島市でも、津島駅まで10分かかる西部と、中村公園にバスで20分の東部とはまったく感覚が違う。最近、名鉄バスは、パークアンドライドの名のもとに、バスの車庫のある大坪町の駐車場を開放し、大坪発のバスをさかんにPRしている。つまり、大坪まで自家用車で行けば便利なのである。これは事実上の津島(神守)とばしであり、名古屋への足が減らされているのである。真剣な議論が必要だ。
                                       7月23日の一言
久々に鶴田浩二の名を聞いて…
 ほっこり庵の独り言では度々『鶴田浩二』のセリフが登場するが、真面目な講座
(人にやさしい街づくり連続講座)に参加した県職員の口から『鶴田浩二』の作品が語られるとは思わなかった。
 作品は山田太一シリーズで、『男たちの旅路』第4部・車輪の一歩であった。さすがに、正確な題名までは記憶されず、私が「男たちの旅路…」と言うと、「そうじゃなく、はじめの一歩」との返事が返ってきたが、間違いなくしっかりと番組内容が語られていた。
 かつては、身体障がい者は家庭や施設に隔離され、街中を車イスが通る姿は珍しかった。番組では、アパートの一室の中だけで生活する車イスの少女を、車イスの青年達が誘い出そうとするものの、電車の踏み切りで車イスが線路に挟まったり、トイレがなく失禁したりする中で大きな挫折と壁を実感する。少女と母親の葛藤や、車イスの青年達と少女のあじわう挫折を、鶴田浩二扮する警備会社の主任が登場して希望へ導くという筋書きである。
 私は、人にやさしい街づくり連続講座に参加して4年目となるが、この作品がバリアフリーや障がい者の問題を考える視点で見た事がなく、ただ単に『鶴田浩二ファン』として見ていた事に反省するとともに、改めて内容のある『鶴田浩二』の作品を収集するだけでなく、多くの人々に公開していく必要性を県職員の言葉から痛感した次第である。
 さて、このシリーズの総数は判らないが、私は5作品所蔵している。今回話題となった『車輪の一歩』と、『廃車置場』、『シルバーシート』は現代社会にも共通する社会問題を提起している。鶴田浩二と山田太一さんに乾杯の一日である。
                                       7月22日の一言
戦争責任は不問ではない…
 最近は続々と新しいニュースが飛び込んでくる。トヨタ自動車の欠陥車隠しからパロマ社製湯沸し機による死亡事故。政治の話題も北朝鮮から靖国神社へと移行する中で、昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社に不満をもらす発言をしていたメモが公開された。
 不満どころか、合祀後の靖国神社には一度も参拝しなかった昭和天皇の行動の根拠がはっきりとした今、小泉首相の決断に注目したい。
 神様の声は判らない。ましてや、戦死していった人々の想いも判らない。しかし、太平洋戦争を世界史として公平に眺めると、日本軍の侵攻により家々を壊され殺害された諸外国の住民や、戦闘の巻き添えで死亡した人々の無念さははっきりとしている。
 一方で、戦局の悪化により敗戦が濃厚になった時期はいつ頃か。確実に敗戦が決定的になり、それを承知で部下に出撃させていた将校の責任は逃れない。全面降伏が決まった時、「一億総玉砕」を叫び、日本人全員の命が無くなるまで戦う主張をした人物の責任を忘れてはならない。
 戦局の悪化も知らされず、戦死した遺骨すら拾われず、未だに戦地の岩下や土中にあり、又、海の底に沈んだままの日本兵達の御霊は靖国に達しているのか。
 現代社会は一人の生命について日本中が注目する時勢である。靖国神社参拝の是非を問う前に、遺族もなくなり、存在すら忘れられた旧日本兵の帰還(遺骨収集)と、身元探しを議論する事が忘れ去られている。
                                       7月21日の一言
「退職後は白馬で」の人生に感動…
 旅行社の会員募集や、観光バスによる旅行でも、旅先で身近な知人や近所の人々と偶然にして出会う事はあるが、感動するような出会いや発見には至らない。
 昨晩から世の中の狭さや因縁にびっくりさせられている。白馬村で立ち寄ったアートカフェ『森と人と』のオーナーは、本日の電話で朝日新聞社会部の記者であった近田澄江さんである事が確認できた。
 ご本人は勿論だが、ご主人は横井庄一の番記者であり、横井さんの身近で取材に同行した人物であり、横井夫人が「コンちゃん」と呼ぶほど親しい人物でもある。
 立ち寄った際にご主人の姿もあったのだが、私は数回しか会った事がなく、当時とは印象も違っており、「見た事がありそうな…」印象から、帰宅後の顛末になったのである。
 「退職後は白馬ですごしたい」、こんな理想は言葉では言えても実践は難しい。改めて旅の出会いに感謝したい。
 さて、横井夫人もびっくりである。早速の電話で、白馬に出向く話まで発展した。身近にあって、常々話を聞いていても、周りの人々には他人事である。身近な人と縁のある人と遭遇していても判らない。17日の一言、そして昨日の一言に記したとおり、ぴっくりする出会いが旅の魅力でもある。また、感動は共通でもある。限られた時間と、限られた余裕の中で、新鮮な旅を続けていきたい。
                                       7月20日の一言
びっくりの出会い、すれ違いに…
 人と人との出会いはドラマであり、微妙であり、すれ違いのままに終わる可能性もあり、取り戻す事のできない瞬間でもある。
 2日前の一言で、「天候の悪さが新しい出会いを生む」と記し、勝手ではあるが私の朝日旅行友の会のホームページに、『立ち寄りたい名所・名店』として白馬の『アートカフェ・森と人と』のホームページを加えたのであった。
 本日の深夜になり、ホームページやいただいてきたハガキの挨拶文の名前を見てびっくりする事となった。どうやら、朝日新聞社の記者をされていた『近田澄江』さんと思われ、間違いはないと思われるものの、12時近くては確かめようもない。
 明日一番で確認したいが、2日前の一言に「亭主を名古屋に残して」と記した御主人は、発見当時の横井庄一を担当していた記者の可能性が極めて高い。
 昨晩の書道会でも、「もう一度、あの店に行ってみたい」と女性軍に大人気だったと聞くが、私も2日前に記したとおり、新鮮な出会いと感じた場所が、話せば判る人々の居場所であった事に、偶然とは言え、人と人との出会いの妙を感じている。
 自然のすばらしい長野県白馬村で、こんな形ですれ違う機会を与えられたとすれば、グアム島の密林の中で28年も潜伏した『横井庄一さん』の演出としか思えない。
 2日前、「どんなお仲間ですか?」と問われ、一瞬迷いながら「書道仲間です」と答えた。「朝日旅行友の会です」と答えていたら…。「名古屋では何をなさっていたのですか?」と聞いていたら…。などと考えながら、明日を心待ちにしたい。
                                       7月19日の一言
淋しい農家の勘違い…
 「なぜ、連休中にやるの?」との苦情は、町内の農業関係の会合である。勿論、そのとおりと思うが、私の代役で家内も参加しているのである。余分な事を言うと、家庭内争議にも発展するので口を控えたが、代変わりした若い(?)後継者にとって連休は貴重でもある。
 役員には人を寄せる苦労があり、集まる方にも都合がある。議員として発言を期待されると思わぬ勘違いをされるので、地域の話には口を噤みたい。
 さて、名古屋に30分の距離にありながら、今さら集落営農の意向調査とは信じられないアンケートである。高齢者の増加に伴い、水田の維持管理ができない家庭の増加は当然の事であるが、「集落でまとまって農作業を委託した方が作業(経済)効率が得」とは分かるが、このアンケート意図に疑問を感じるのは当方だけではない。
 土地に対する家々の感覚(
我家は土地は農地解放で得たものではない)が違い、農地といえども立地条件も違う。土地を農業と直結させる考え方は現在では時流ではない。
 しかし、これからの主役となる後継者が不在となっている家庭が多く、農業しか活用できない規制の中では、結論は聞くまでもないが、美味くもない米作りにこだわる環境に淋しさを覚えるのである。
 「我家の米は日本一美味い」なんて言葉を聞く度に、その人の顔を見直す事がある。本当に美味しい米と思っているのか、本当に美味しい米を食べた事がないのか。農家の高齢者の感覚を弄んではならないが、農協が農業指導をおこなった記憶もなく、今さら当地域の農業に多額の税金を注ぎ込んでいる根拠すら理解できないのである。
                                       7月18日の一言
久々に感じた旅の新鮮な出会い…
 昨日から、久々の長野県白馬行きである。「4年ぶりですよッ」、「えッ、そんな事ないでしょう」、「14年が最後だから」、「そんなになるのかなぁ」と、宿の御主人(ラベニュー栄)もびっくりの年月の経過である。
 宿から貰っていった朴の木は、2階に届くほどに成長している。今回の一行(18人)は、書道の仲間(神守丈友会)と、朝日旅行友の会(お遍路仲間)の混成であるが、この宿は6年ほど前に書道仲間と訪れた際に宿泊場所が見つからず、白馬駅の紹介で訪問したのがはじまりで、以来3回マイクロバスで訪れている。
 私の出向く宿の中でも、一番信頼関係があり、中高年には食事がお奨めの宿である。天候の悪い中でも幸運にも何とか歩けた2日間に感謝でもある。
 天候の悪さが新たな出会いを生む。雨のために美術館に入る気力は誰もなく、「コーヒー屋でも行こう」と意見がまとまったため、アートカフェ『森と人と』に飛び込むと、オーナーは亭主を名古屋(名東区)に残して移住(経営)した紅茶と中国茶の専門店。
 モーニングサービスを目当てにコーヒー屋に走る当地域では味わえない名店で、展示される芸術もあいまって全国から人が集まってくる。
 『行き当たりバッタリ』が許される旅の仲間ゆえに、観光旅行や会員募集の旅行では有り得ない出会いが演出されてくる。久々に感じた行き当たりバッタリの旅行の魅力と意外性を感じる旅から、久々に旅行の楽しさを味わってきた。
                                      7月17日の一言
姿を消す掲示板やメール宛先に…
 「政治家としてここまで記して大丈夫か?」と、この一言や『天聖人誤』を読んだ方から心配の(
励ましもあるが)メールをいただく事がある。
 議員の本音とは言っても、発言には相手がある事から、内心「書く必要も無かったな」と反省している事もあるし、指摘を受けて若干の修正を施した事もあった。
 しかし、表現の自由や発言の自由から書きたい事を記すかわりに、掲示板やメールの宛先が明記して、反論も受け付けているのである。
 先週の天聖人誤に皇室の記載があり、皇太子妃を小文字ながら「ワガママ病かキチガイ」と記した事は、本音ではあるが、キチガイは問題発言だったかと、賛同のメールを頂いた事から自己反省もした。
 誰もが見る可能性のあるホームページではあるが、個人の中傷は問題だが、政治家や芸能人など表に出る事を生業としている人物への批判は許されると考えている。勿論、間違った記事や相手に損害を与えた責任はとらなければならないのであるが。
 さて、最近では、迷惑メールや掲示板への迷惑な書き込みが増え、掲示板を無くしたり、メールの表示や受付を廃止したホームページも多い。
 書きたい事を書き続けるために、反論や批判の機会となるメールや掲示板の存在は重要である。その掲示板やメールへ機械的に書き込まれる迷惑文書の削除も大変な作業になりつつある。最近では、この作業に疲れてきた。法的な対応も求めたいが、書く意欲と『削除作業』のシーソーゲームでもある。
                                       7月16日の一言
「ただいま電話に出られません」…
 本日の我家は、それぞれが入れ替わり立ち代りの忙しい一日となった。母親は(
内緒ですが)無理矢理旅行に誘ってもらい、朝から京都への一泊旅行である。
 カミサンは、午前中と午後にボランティアの送迎があり、私の代役で田んぼの水落とし役にも走り、息子達は仕事や学校へとそれぞれが出掛けていく。
 私は午後から愛知県の『人にやさしい街づくり』連続講座があるため、午前中の来客と知人の葬儀前の祭壇を訪問し、名古屋行きである。
 しかし、慌ただしい生活には、見落としや物忘れが付きまとう。明日から一泊旅行のマイクロバスが届けられたものの、傷害保険の手配がされていない。肝心の明日の集合時間が周知されていない。講座中にもかかわらず携帯電話の連続である。
 「おい、車がないぞッ」の電話にはびっくりである。講座前に行なわれた『車イス体験』に使用した、車イスの返却に頼んであった津島市のボランティア(
私の運転手?でいいのかなッ)からの連絡である。
 「しまった!!」とカミサンに連絡するも、「ただいま電話に出られません」の繰り返しである。私の愛車は18年選手であるが、何でも載せられ便利なため重宝するが、カミサンが乗って出かけたままなのである。「悪いけど、あんたの車できてよッ」と、低姿勢。「オレの車で載るのかッ」、「2台だから大丈夫」、「うん、…そうかッ…」となった。おかげで補助席での快適な帰宅となったが、無責任極まりないボロボロの一日に反省である。
                                        7月15日の一言
よし、分かった。気の変わらんうちに…
 毎日が慌ただしいが、親しい人々とも永らく顔を会わせぬまま、一年ぐらいはあっと言う間に経過している現実に気づく。
 一年に1回発行される神守中学校の同窓会報(A4版12ページ・7千部発行)であるが、発行する資金は地域の商店や企業の広告であり、不景気風の中では宣伝にもならない事から、辞退されるケースも出てくる。
 そうなると頼りは知り合いとなり、66件中の19件が『大鹿銘柄』となり、本年は2件増加する事となった。又、断りのあった2件の継続をお願いした。「よし、分かった。気の変わらんうちに持っていけ」と気分よく返事を貰うのは有り難いが、行きづらい所が残されてくると、親しい広告主とは顔を会わせる事もなく、一年が経過してしまう。
 「やっぱり会長が顔をださないとなッ」と言われると、全部廻る羽目になり、断りを受けた広告主を説得する姿は「なんて、図々しい奴だ」と思われているのではないか。
 断られてから新規の広告主を探すのは大変なため、「あらかじめ多くの店に声をかけたらどうだ」と言う役員の声もある。
 しかし、1件の獲得がページ数の増加につながり、増ページ分の印刷代のため新規の広告主を探す事のみでなく、記事も必要となりなねない。
 ひじょうにスレスレのバランス感覚で同窓会報が発行されている。先輩から後輩へ。同窓会の伝統と、先輩の有難味を感じるのもこの時ではあるが…。
                                       7月14日の一言
かつて雇用した人の訃報を聞き…
 能力以上の活動はできず、週末の行事のために睡眠もとりながら、復調しつつあるが、毎日の一言も気が散ってしまう。
 原因は溜まりすぎた仕事にあるが、明日一日を残すのみとなった本日、余裕で仕事を始めたものの電話連絡や来客で気が散って集中できず、最後には夕刊の配達人から訃報を聞く事となった。
 訃報の主は、7年前に仕事を閉鎖するまで雇用していた人であった。親子の確執から我家を訪ねられ、住まいを確保して御夫婦で働いてもらっていた。寡黙で辛抱強い人で、弱音を吐かぬ人だった。私の廃業で、後任者から「高齢者はいらない」とまで言われたが、結局は一番信頼できる従業員になっていたと思われる。
 68歳との事だが、寡黙で辛抱強い性格がアダになり、先月20日に入院した時は『末期ガン』の診断で、そのままとなってしまったのである。
 「何でその時に言ってくれなかったの」に、「誰にも知らせてくれるな」と言われていたとの返事であった。本日訪問した家内に、「今日も何度か寄ろうと思ったが、寄ると悲しくなるから」と奥さんが言われたという。
 行政が病気の早期発見を叫び、健康診断や各種検診制度を設けているが、多くの人々は制度を利用する事なく、気が付いた時は手遅れとのケースも多い。
 議員とは言っても、元は雇用主である。業界の健康管理の遅れと、何故にもっと早く知らせてくれなかったか、敷居が高くなっておりはしなかったかと、物言わぬ故人となってしまった今になって、自責の念に胃が痛み出した。
                                       7月13日の一言
「ちょっと、具合が…」…
 「大鹿さーん、何も変わった事はありませんか?」、「はい」と、月に一度の医者通いであるが、心配すべき血圧は正常であったものの、体調は最悪である。
 「ちょっと具合が…」とは、なかなか口に出てこない。病院に行きながら調子が悪いままも可笑しいが、どこが悪いかと言われても「疲れている」としか言いようがない。
 疲れると歯が浮き、肩が凝り、睡眠不足が重なると最悪である。こうなると一週間は早く、あっというまに週末が迫ってくる。
 次の日曜日の連休は、習字のメンバーで一泊旅行が予定されているが、行先が決まったのは昨晩の事であった。不足する空席分を今から声をかけるのである。
 同窓会報の広告と原稿、自分の会報、横井庄一記念館の準備と限られた時間がすぐに超過していく。
 さて、『ほっこり庵』のパソコンが不調との事である。外交の不手際など、言いたい事は山ほどあるが、ほっこり庵のパソコンの復調に合わせ、当方もしばらくは体調を調整しながらの日々としたい。
                                        7月12日の一言
国や関係機関の動向を見守った結果が…
 本日は図書館協議会と市民病院改革委員会が開催され、1時間の時間差はあるものの共に重要な案件だけに慌ただしい午後となった。
 津島市立図書館は19年4月から、指定管理者による運営を予定しており、本年6月に条例の改正が議会で認められ、8月から9月にかけて募集や申請を受付、選定委員によるヒヤリング等を実施した後の11月には指定管理者を決定し、12月議会での審議と議決が予定されている。
 指定管理者の選定は、経費の削減は勿論だが、その事ばかりにこだわっていると住民サービスの低下に直結する。特に図書館業務は利益を生まない無料での本の貸し出しが主な業務となっており、指定管理者によってはサービスの低下も懸念されている。
 3日に行政視察した岡山県新見市の哲西図書館は、サービスの低下を防ぐため地域住民の街づくりを目的として設立されたNPO法人を管理者に選定した。ここでは、年末年始と特別整理期間の4日間以外は年中無休で、午前10時から午後7時まで開館している。
 「それでは休みはどうするの?」の声も聞かれそうだが、指定管理者の選定によっては、開館時間の延長や年中無休も可能であり、これから半年間の選定作業は図書館の住民サービスを左右する重大な期間ともなる。図書館協議会も、開催頻度を高める事を確認し散会した。
 市民病院改革委員会は傍聴者も多く激論である。ただし、この場限りのショーに終わらせてはならない。委員の辛辣な意見の多くは、今までの市議会でも出されており、当局のやる気のない答弁が続いてきた。「国や県の動向を見守り…」が、赤字体質を助長し、特色ある医療を妨げてきた。こちらも重大局面である。
                                        7月11日の一言
女性なら一言いってくれれば…
 「おい、体調が悪いのか?」とは、私の声を電話口で聞いた知人の一言である。「よく判るなっ」と言うまでもなく、声が出ないのである。体調は、週末の疲れが蓄積し最悪であるが、本日の予定は消化しないと明日が無い。空回りの一日がすみ、積み残しのまま夜になると、台所で熟睡である。
 「お父さん、お客さん」と起こされ、時計を見ると午後9時を廻っている。「いないと言ってくれ」とも言えず、目ヤニをこすり対応すると、若き女性の来客である。
 「女性なら一言いってくれれば…」も遅く、ボサボサの頭と着替えはできず、とにかく目ヤニを改めてこするものの、寝ぼけ眼丸出しでの対応である。
 幸いな事に、かつて困り事に対応し、彼女の指導するスポーツが順調な結果を残しつつある報告であり、今後も成長と飛躍が期待できそうな内容に眠気は吹き飛んでいく。熱中し、活躍した後の話となると、負担の多い遠征費が問題となる。
 「おーい、ボランティア」と大声で家内を呼び出し、ボランティアでバスの運転手役を引き受ける算段となった。「ところで、お父さんは大丈夫?」とスケジュールの心配である。せっかく頑張って結果を残しても、負担の多さから出場を辞退する前例も多い。
 ボランティアの感覚と、応援する地域のシステムが未熟である。理想は良いが、歯は浮き痛み、痛み止めの薬に頼る日々である。(気分は)余裕の週明けだが、週末が迫ってくる。パソコンの前に座ると、多くのメールが届けられ、返答と新聞社への報告を済ますと午前2時を廻っている。さて、この一言を記すと3時である。本日はとっくに過ぎ、明日が本日となり、明日は水曜日の現実から、本日も地獄の一日が始まっている。
                                        7月10日の一言
記念館を理由にはしないでよッ…
 昨日の車イス体験(
私はついて歩いただけですが)が、体の足腰に堪えました。毎週日曜日は横井庄一記念館の人になり、本日はボランティアで案内するTさんを送っていく力も湧いてこない衰弱状態です。
 「大鹿さんの2階も見せて下さい」の一言で、出勤前から仕事となりましたが、2階まで登る元気がありません。まさに、『よっこいしょ、ういち』状態です。
 「顔ぐらいは出せるから…」と、地元の行事に行けない断りを妻に走らせて出発したものの、早朝より来客が続き、気が付くと昼過ぎです。多少は減ったものの、記念館の盛況ぶりには休憩どころか、食事もゆっくりと取れません。
 津島からの知人や、私の父親の名鉄の仲間も訪問されると手抜きもできず、地元行事を考える余裕は皆無で一日が過ぎ去っていく。本日も茨城県や福岡県からわざわざ名古屋の横井庄一記念館にお見えになるとは信じられない心境になります。
 来週までの宿題は2点と決め散会のつもりが、ボランティア3名で慰め会の夕食後に散会となり、帰宅後はバッタリと寝込んでしまい(
京都大原宝泉院に由美かおるが訪問したテレビ放映もどうなったか)深夜の書き込みです。
 さて、土曜日も日曜日も名古屋の人となり、津島市を歩く機会は激減です。「記念館を理由にはしないでよッ」との先手の一言で、遅れた会報や旅行の案内に徹する一週間にしなければならないのである。
                                         7月9日の一言
4年目となった一日車イス体験…
 本日は愛知県の主催する『人にやさしい街づくり連続講座』がスタートし、車イスでの一日体験のため8人の受講生と昭和区から熱田神宮まで足を延ばした。(4グループのうち私の担当するAグループ)
 「トイレは立って行けば良いでしょう?」、と応援で付き添ったボランティアの声に、「いや、ダメです」と冷たい一言。「じゃー、どうするの?」、「車イスで利用できるトイレを探すしかないですね」に、受講生の瞳に不安が見てとれる。
 地下鉄桜山駅から新瑞橋で乗り換え神宮西駅へ。昼食とトイレ体験をすませ、名鉄神宮前駅から金山駅で乗り換え、地下鉄金山駅から上前津駅で乗り継ぎ御器所駅で降りる行程だが、エレベーターがあるものの一駅で何回乗り換えた事か。
 途中では、横断歩道で車イスが転倒する事故発生。何事もなく無傷で済んだが、本当の障がい者であったら大変な事態である。昼食時のトイレでは車イスで入れたものの、戻れなくなるハプニングも。エレベーターの隙間に前輪が挟まり動けなくなるハプニングや、扉が途中で開かなくなるハプニングも、『シンドラー事件』の後だけに昨年までの体験とは一味違う体験となった。
 さて、バリアフリーが当然となった世の中だが、障害をおった立場となれば大変である。一人で自由に行きたい所に行けるためには、街中のいたるところにバリアが存在する。考えてみると、津島市のバリアフリーを実際に車イスで検証した事はない。障がい者の自由な外出を勧めるためにも、車イスを使った検証の必要性を感じながら、講座終了後(10月)の活動に思いを馳せて帰宅する青塚駅は突然の雨に見舞われた。
                                         7月8日の一言
同窓会の存在感を実感する…
 過去の歴史と言うより、数年間の出来事は歴史としての認識もないが、議員として発言した事案や、議事録は残されている。
 義務教育の中で、矛盾を感じて発言したことや質問した事は自然に口に出てしまう。数年前に地元中学校で起きた理不尽な対応について、議会の一般質問で質問し要望した案件は何時になっても口に出る。
 相手が誰であってもお構いなしの発言に、相手が涙ながらに同調し、当事者の保護者として事の顛末を聞く事となった。
 偶然とは言え、何も知らずに発した言葉が当事者であった。事件の発端は地元中学校の不手際にあった。教員の不手際を批判した事から、生徒に対する理不尽な教育現場の実態が発覚した。
 うるさい議員が存在する事で、その後は安穏に事が経過しているが、本質は変わっていないのである。
 さて、昨日の同窓会役員会には、PTA会長が仕事着のまま居残っており、同窓会への資金的協力を依頼された。夏場の熱い校舎の各教室に『扇風機』を配置したいとの依頼だが、かつてPTA会長を経験し、議会の一般質問で要望した案件だけに異論は無い。
 しかし、7万円前後の経費を賄えないPTAや役員への苦言は呈したものの、同窓会会長としての独善的判断を批判されるのは議員としては辛いものがあった。
 「昨日の判断は良かったぞ」と言われ、同窓会会長としても、津島市の議員としても公約と生徒の教育環境の改善に寄与できた事を誇りに思った一日となった。
                                          7月7日の一言
鳴らない携帯電話に一抹の不安が…
 3日間の行政視察の行程で、同委員会の議員達に次々届く携帯電話の呼出音と会話を聞いて、「いかに自分は人気のない議員だろうか」と感じていた。
 市民から届く連絡の少なさに、「自分は市民に頼りにされていないのか」とも思い、他議員に届く携帯電話の呼出音を羨ましく淋しく耳にしていたのである。(これは正直な本音です)
 こんな事では来年の選挙は危ないでしょうね。市民の役にたっていないのか。考える事はマイナス志向にもなっていた。
 帰宅後に家族から手渡された複数のメモと、不在時のパソコンに残されたメールを見ても判らなかったが、本日になって届いた電話から少しはホッとしたのである。
 「どうだったの?」、「えっ、何が?」、「視察に行ってきたんでしょ?」、「どうして判ったの?」、「前に聞いとったがねぇ」、「あぁー、そうだったぁ」でも気付かなかったが、深夜になって不在時に届けられたメールの返信作業で、少しは不安解消となった。
 自宅と事務所の電話には転送機能が付いているが、ほとんどは家族が受話器を取り、ホームページに行動予定と不在が記され、メールの受信箱に要件が届けられ、手紙も届けられていた。視察先に届かぬ携帯電話の謎が判明した。
 「視察先に電話しても帰ってこれないだろッ」と言われ、改めてホッとしたのが夜に開催された同窓会役員会の席であった。帰宅後には2時間を超す長電話をもらい、この一言への書き込みが気になりつつも気分よく会話に熱中できたのも、視察先に届かなかった電話のお陰である事は間違いがない。ただし、不在が判っていても連絡が届くほど頼られ、不在が許されない位の人気を求めていくべきかとも反省。
                                        7月6日の一言
行政の規範か…
 文教経済委員会の行政視察は、初日に岡山県新見市へ、市立図書館を民間NPO団体に指定管理させている現場を視察し、2日目は、広島県三原市に生徒の不登校対策としてスクーリングサポートセンター等の取組みを調査し、最終日の本日は四国の松山市役所を訪問した。
 松山市では平成12年から障害等のある生徒が豊かな学校生活をおくることができるように、ボランティア意識を持った学校生活支援員を配置している。
 この制度により、車イスや難聴など障害を持った生徒が、地域の学校を希望しても通学しやすくなっており、普通の学校に通いやすい義務教育の実践として先進地と思われるが、松山市を訪れる行政視察の目的は観光地やバリアフリーの街づくりが多く、説明した担当者も先進地としての意識も希薄で、他の地域との比較もなされていなかった。
 考えてみれば、障害を持った生徒も地域の希望する学校に行けることは自然であり、当り前の事でもある。しかし、現実には、一人の生徒に一人の担当教師を置く事は経済効果も悪く、教育環境に適するとして渋々養護学校を選択する保護者(生徒)も多い。
 津島市では、障害を持った生徒であっても地域の学校に通学できるように努力する事を確認し、本年も実践報告されているが、当地方では保護者が渋々養護学校を選択している事例も多い。
 昨年秋、私の家内が約1ヶ月にわたり幼稚園への送迎に協力した愛西市の子供は、私の判断では地域の幼稚園で受け入れていた実績から地域の小学校に受け入れが可能と思われたが、遠くの養護学校を選択している。地域の同級生達の記憶からやがて彼の存在が忘れ去られてしまう可能性も高い。先進事例を当り前と思い、簡素な資料のみで説明していた松山市の実践を当地域で活かしたい。
                                        7月5日の一言
ほっこり…
 何の事前連絡をすることもなく、『ほっこり庵の独り言』をご覧下さいと記して視察に出掛けた無責任な行動に反省と、昭和一桁生まれのほっこり庵こと大川氏にひたすら陳謝するのみである。
 「ほっこり」とは京都ことばとの事です。7月5日発行の「ほっこりー」を引用すると、世界2番目の経済大国で次々と起こる悲しい事件の犠牲者は、いつもお年寄りや障害のある人ばかりで、こんな人たちを暖かく「ほっこり」と受け入れることができたらと、築20年のボロ小屋(
大変に失礼ですが記載されたまま)を『ほっこり庵』と名付けたとの事です。
 とてもマネができませんが、困った人々が『ほっこり』と訪ねてもらえる事務所にしたいと思います。しかし、困った人々の相談は良案が示しづらく、忙しさにかまけてそのままにしてある事案が数件放置されています。
 仕事の遅れを取り返し、早急に対処したく思うが、7月中には難しそうでもあり、8月もと思うと無責任な遅れとなってしまうが…
                                  7月3日・4日の反省の一言
忙しさの言い訳を一言…
 来週から毎週土曜日は、愛知県の主催する『人にやさしい街づくり連続講座』が開催されるため、昨日は事前打ち合せ会が催された。
 はるか先の講座と思っていたが、来週から10月まで土曜日は名古屋行きとなる。日曜日は横井庄一記念館への通いとなり、中旬までに中学校の同窓会報の編集と広告廻りが待っている。「おい、会報(
津島の風)はいつになるんだ」との催促や、「朝日旅行友の会の募集はどうするの」と、家族まで心配の声があがりつつある。
 本日も天候が不順の中で、2百人を超す人々が横井記念館を来訪されたと言う。限られたボランティアだけに大変である。あれもこれもと思いつく事は多かれど、次までに1点ずつ改善されれば良しとしたい。
 さて、明日からは行政視察で、岡山県新見市と広島県三原市、愛媛県松山市を訪問する事になっており、3日間は事務所が不在となる。いつもは一言の代役をお願いしているが、今回は総てを忘れて新たな視点で視察に専念したいと思っている。
 ただし、帰ってからのスケジュールは地獄である。あれもこれもと頭の中を駆け巡るが、こんな事の繰り返しで、まったく自己表現がなされていない反省をしながら、パソコンを休ませたい(休ませないと明日の準備が間に合わない)。
                                        7月2日の一言
行かない訳にはいかない…
 横井庄一記念館が開館して一週間が過ぎた。入館料を取り、用意周到に準備された施設ではなく、専門職もなく、ボランティア頼りの無料の記念館だけに、一度に多くの来場を受け、駐車場の苦情から来場者用に2台分は確保した。
 館長の台所事情まで考える必要はないものの、新たな経費増を目の当たりにして、記念館を恒久的に残していくためには、維持費の確保は重大な問題でもある。
 当初は言われるままに追随していたが、記念館のホームページで一儲けを企む輩への反発から、「自分がやる」と言ってしまい、記念館の記録をまとめたいと、地元の『西尾張ホームビデオクラブ』の人々の協力を仰ぎ、記念館の看板は恩師が、パンフレットは叔父にと、周りの人々も巻き込んでどっぷり浸かっている現実が残った。
 案内役のボランティアまで私の知人が名乗りを上げ、もはや後戻りも出来ぬ記念館のプロデューサーである。
 まさか、まさかの現状を、当の横井庄一氏はどう思っているのか。当人を知る『ご先祖様』達に私はどのように映っているのか気にかかる。当人を知るご先祖様でも、戦死した伯父、父親の幼少期に事故死した祖母や祖父などは声を聞いた事もない。
 関係者は総てあの世の世界にあり、どんな会話が交わされているかと考えるのは自分だけであり、我家では自分だけが浮いており、私以外で会話が盛り上がっているのである。明日は開館日。「行かない訳にはいかない」状況に、本人の生前中に何か役に立っていればと自責の念にもかられるのである。
                                       7月1日の一言
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