本日の一言
                             翌日(18年7月1日)の一言へリンク
人の死を無にしない努力を…
 人の一生は亡くなった時しか語れない。同級生の父親としてだけでなく、小学校の頃には勉強を教わりに行き、遊んで暴れて叱られ、最近では朝日旅行友の会へ参加してもらい、一緒に京都に出かけた思い出が走馬灯のように思い出されてきた。
 現在は私とのお付き合いとなっているが、十数年前には私の父親と一緒に水墨画教室に通われており、父親の葬儀には御本人と娘夫婦に送ってもらっている。10年くらいはあっという間に過ぎ去り、物言わぬ父親達に代わって次の世代に引き継がれていく。
 心筋梗塞で77歳の人生だった。最後に目に映ったのは何か。健康な人の突然の逝去は周りをびっくりさせるだけでなく、反省や改善すべき事は教訓にしたい。
 「大丈夫だろう」は禁物である。救急車だけでなく、ドクターヘリが当り前とされる現代社会であるが、余裕のある人ほど利用されず、家族が苦労して病院に運んだ挙句に手遅れと思われる場合も多い。
 救急車の『119番』を回すのは、かなりの決断と勇気がいる。しかし、救急車であれば救急救命士や搭載された医療機器によって救われる可能性も高い。迷わず電話できる意識改革が重要だ。
 議員の立場では、市民病院等の救急医療体制の強化を目標にしたい。大学病院のレベルまでの底上げは難しいが、地域格差によって命が左右される現実から、救急体制の充実は目標に訴えていきたい。
                                        6月30日の一言
今日は頑張った携帯電話…
 「おはようございます」と、朝一番の来客である。今日こそはと思っていたが、重要な用件を持った来客であり、着の身着のままで応対していると、ひま人の登場である。
 「実家に帰ったら留守だったから」と、私の事務所で暇つぶしである。ヒマな人にはヒマな相手が来訪し、お付き合いで昼食まで付き合うと、同級生から訃報の問い合わせである。
 連絡を済ませると『横井庄一記念館』の新たな仕事が舞い込んできた。次々とかかってくる電話の処理が済むと夕方であった。
 いったい、朝から晩まで何が出来たのか。何も結果を残せず、通夜に出かけると久し振りの同級生の姿に喫茶店へ。
 「いったい何をしていたんだ」と、叱られそうなくらい、何も出来ぬまま一日が消化してしまったのである。
 明日は葬儀で、明後日は『ひとまち連続講座』の打ち合せ。日曜日は横井庄一記念館と同窓会役員会等々と予定を考えると、来週は行政視察が迫っており、落ち着いて会報に打ち込む時間は見当たらない。
 昨日は携帯電話の限界を記したが、本日は携帯電話が活躍し、活躍した事によって肝心の仕事が停滞したから皮肉なものである。
                                       6月29日の一言
携帯電話に振り回された一日…
 寝不足が続き、疲れが溜まり、気力が沸いてこない。朝一番の携帯電話に慌てて出るものの、切れたためにかけ直すと、「今日の何時頃なら時間が取れます?」の一言。「えっ、何ですか」、「ケガをして、仕事を休みになったから」、「でっ、何です」、「そちらに行こうと思って」、「それはそうと、おたくは誰ですか」、「えーっ、誰か判らずかけ直したの、それは危ないよ」の返事が返ってきた。
 朝一番は市役所からと思っているために、親しい知人の声が判らないまま、市職員と思っての会話である。危ないのは知人であり、ケガのため出血が止まらず、バンソウコウで止めての訪問である。
 いつ出血するかもしれない人との会話は落ち着かない。「ところで、医者には?」、「どこか知らない?」から、大の大人の同行で医者行きとなった。
 人間の性格か、議員の立場上かは解らないが、電話の履歴には必ずかけ直しているが、時にはマチガイ電話にかけ直す事もある。履歴から当方にかけられた事は間違いが無いが、「あんたにかけた事は絶対に無い!!」と怒られた事もある。
 我家の電話には転送装置がついており、留守でも外出先に転送されてくる。「今から行きたいが」、「今、遠くにいるので」、「そんなら、ちょっとしてから行くでッ」、「今、四国にいるんですよッ」、「なにーッ、四国?」なんて会話もある。
 迷惑な事は、一日数十件届く迷惑メールである。携帯電話が古いため、バッテリーが弱って電池切れになる。使わないメールで電池が切れ、重要な用件が伝えられないと、馴染んだ携帯電話ともお別れが近づいてきたようである。
                                        6月28日の一言
意義のある市民公募に…
 新聞社の紙面モニターの締め切りが本日午前9時のため、昨晩は一週間分の新聞を読み直しながらの回答書提出となった。
 我々の少年時代は、交通事故が大きな話題にされていたが、最近では凶悪事件が連続して発生し、交通事故などはよほど大きな事故でなければ報道されてこない。
 それでも「昔に比べれば凶悪事件は減った」と言われると、最近の子供を巡る警戒や対策は過剰なのかと自問自答する事になる。
 さて、昨日開催された津島市の『巡回バス検討委員会』は、議論は盛り上がったものの、アドバイサー1名を除き、所詮は素人の市民公募だけに的外れな議論が多く、巡回バスの現状把握と過去からの経緯が把握されておらず、国の法律の勉強は勿論の事であるが、唯一の公共交通機関である名鉄の現状も踏まえた発言は皆無であった。
 傍聴ゆえに発言は許されておらず、誤った認識で議論が盛り上がっても、アドバイサーの助言もなく、行政は聞き役に徹しているために恥ずかしい限りの内容である。このままのレベルで残り4回の委員会開催によって市長へ答申して大丈夫か。このレベルで巡回バス存続の答申を出して良かったのか。これでは巡回バス存続要望委員会である。
 巡回バスの充実は、移動の手段を持たぬ人々には絶対に必要不可欠であるが、それは名鉄バス路線を持たぬ地域の問題で、バス路線のある人々にとっては巡回バスの存在によって便数が減らされている現実を把握されていない。
 巡回バスの利用者より圧倒的に多い名鉄バス利用者が悲鳴をあげている現状と、旧神守地区では名古屋の栄までバス路線がある現状も含めた大局的な議論を必要とする。市民公募委員会のあり方の再検討も必要である。
                                      6月27日の一言
見えぬ過去を追って明日が見えぬ毎日…
 本日と言っても、時間は既に27日の3時を過ぎているが、昨日までの『横井庄一記念館』開館に関して疲れがどっと出ている。これは当然、主役である館長(横井庄一夫人)はもっと疲れている筈であり(本日もテレビ局が撮影)、テープカットに招いた後籐毅先生(旧佐織町教育委員長・記念館の表札を書く)は闘病中ゆえにもっと疲れてみえる事と思われる。
 来週までに横井庄一の年譜をまとめて表示する事と、ボランティアの案内する虎の巻を用意する事が求められているが、こんな状態が続くと本来の会報『津島の風』は何時編集するのか、原稿書きすら手が付けられぬ状況にある。
 横井庄一は昭和47年に発見され、私が初めて会ったのは定かではないが、その年の秋には我家の法事で、『佛心』や『南無阿弥陀仏』の書を自慢げに記している。52年に学生の身分で開業した際には私の『推薦人』に名を連ね、52年の結婚式(学生)では仲人として周囲をまとめ上げている。
 今にして思えば、同行した事から高額な茶碗を高名な陶芸作家に貰った事もあるが、「連れてって欲しい」と言えば、テレビの無人島での撮影や園遊会にも運転手役で行けた身近にありながら、生前にはまったく無関心でもあった。
 皮肉にも私が横井家で活躍するのは、横井庄一の葬儀からである。多くの親戚があるが、血を分けた肉親しか解らない横井庄一のイメージがある。そう、私は大正4年から15年まで我家で『大鹿庄一』として生活した肉親として見ている。玄関に並ぶマキの木は、庄一と祖母(昭和8年没)が種をまいたものである。偶然にも、父の亡くなった年に、芽を出したマキがあり、玄関前にのばし放題にしてある。いつまで経っても、過去に想いを巡らしているから明日が見えてこないのか。
                                       6月26日の一言
横井記念館は大入りだが…
 昨晩は横井庄一記念館の開館をテレビニュースで見た人々から、「大鹿さん、良かったね」、「テレビにバッチリ映ってたよ」等と、複数の電話があったものの、肝心の自分の映像は見る事無く、眠ってしまったのである。
 深夜に目が覚め、横井庄一記念館・明日への道の掲示板や、メールに多方面から書き込みが続き、ローカルで身勝手な私のホームページとは違う、情報発信の責任を感じて返信していると、私の一言は明け方の書入れとなったのである。
 本日はゆっくりと眠り、昼からでも出向こうかと考えていると、館長(横井夫人)より、「急いで走ってきて!! 東海テレビが9時半に来るから!!」との緊急連絡である。急いで準備し、本日に会う約束のある人にも同行の押し付けである。
 取材が終われば、今度は記念館を目指す人々の行列である。ここでもハプニング。苦労して印刷したパンフレットが見当たらない。急遽、愛西市の叔父と津島市のボランティアの運転手さんに印刷と配達をお願いする事となった。
 県外からの来訪者も多く、マスコミの影響力に感心する反面、涙を溜めて仏壇に手を合わせる人や、戦争の悲惨さや平和を語る人の姿に、『準備不足』の見切発車であっても、記念館の存在の意義を感じる一日となった。
 早朝より同行を押し付けた人も災難である。人が途切れる事無く、閉館時間を超過する6時過ぎまでボランティアの急造案内人と化し、5百人を超す来訪者の案内を務める事となったのてある。こうなると板についたもので、初日の反省会で来週以後の展開に熱弁を振るう横顔を眺めて「大丈夫かなぁ」と思い(
来週は私が巻き添えの同行者になるような勢いである)ながらの帰宅となった。
                                       6月25日の一言
横井庄一記念館開館の顛末…
 開館準備のためにしばらく通いつめていた『横井庄一記念館』が本日開館した。淋しい事は、本人がいない事(平成9年没)である。前日までの慌ただしい準備がウソのように一日が経過していく。
 「多くのマスコミを前に、司会をどうしようか」と、館長を務める横井夫人は手伝いで京都から来ている実弟と早朝会話していたと言う。
 「私がやるから」、「あなたはテープカットが」と会話も一瞬で、早朝より集まるマスコミ対応におわれ、親族で一番若い私がすべてやる事になっていく。
 受付の机とイスをおき、配置が整ったのものの、テープカットの場所はマスコミの要望で玄関先から門前までに変更し、撮影に詰め掛けた多くのテレビカメラの配置から、受付の机は門前の歩道に追いやられていくと、ボランティアで受付に座るTさんの存在は完全に忘れ去られている。
 テープカット、取材、撮影と嵐のような時間が経過し、潮がひくように去っていったマスコミをあとに内輪でのささやかな一瞬。その時には、テレビニュースで記念館開館が報じられていた。
 さて、皆が帰った後、最後に玄関に背を向けると、門前に一人の人物が。風体で見てはいけないが、とても見学希望とも思えない。「何でしょうか?」も白々しいが、はっきりしない態度に、一般の開館は明日からと告げると、意思表示もなく立ち去った。開館までも大変だったが、これから面識もない人々を受け入れる館長は一人である。年齢はさておき、女性の一人暮らしで記念館の対応は苦難の道でもある。
                                       6月24日の一言
離婚や再婚の責任を問いたい奈良の事件…
 奈良県で母子3人が死亡した火災は、身柄を確保されていた高校1年生の長男による犯行である事が判った。
 医師を両親に持ち、スポーツも勉学も優秀な子供に何があったのか。当初は試験の結果を保護者に渡す保護者会を前に、衝動的な犯行と報じられていたが、警察の発表では、「常々家族4人を殺そうと思っていた」との供述が伝わってきた。
 「常々、殺そうと思っていた」との言葉は、家庭生活を根本的に覆す言葉であり、同じ高校1年生の子供を持つ親の立場としては、絶対に聞かせたくない言葉でもある。
 勉強もスポーツも人以上に優れた子供と聞くだけに、何故にこんな事で人生を棒に振ってしまったのか、未然に防ぐ手だては無かったのかと同情したい。
 そして、一番の原因は、彼の両親にある事も明記しておきたい。家族と言っても、彼の両親は10年前に離婚し、彼は前妻の子供であり、焼死した次男と長女は後妻の子供だったのである。彼の犯行に対して、父親と前妻はどのような心境でいるのか。
 最近は、年々離婚率が上昇し、母子家庭や再婚が珍しく無くなっている。おかげで、学校教育の中でも、『父親参観日』が『両親学級』と呼名を変え、離婚が正当化されたような配慮が目に映る。
 離婚にも色々あるし、病気で母親を亡くした後の再婚もあるが、子供にとっては悲しむべき衝撃的な事である。かつては、再婚しても子供のために腹違いの兄弟を作らぬ配慮もあったが、最近はお構いなしである。
 親の身勝手で離婚した場合は、簡単に再婚できないくらいにしないと、逮捕された『一夫多妻』の家庭と同じ穴のムジナでもある。勿論、離婚したり、再婚を繰り返す芸能人も謹慎させ、家庭とは何かを真剣に考えていきたい。
                                      6月23日の一言
津島出身の医師の記事を読んで…
 半年間だが、朝日新聞のモニターになっており、今まで以上に新聞には目を通しているが、実際には大きな記事でも関心のない記事は全く目にしていない自分に気づく。
 本日の朝刊に、『より良い出産、医師が解説本』なる大きな記事が掲載されている。写真入の記事だったが、知人の息子さんが筆者で、その本を持って届けていただいても寝耳に水の話であった。
 全国の地方都市で、産婦人科の医師不足が問題になっており、昨年12月議会において質問までしているものの、所詮男性ゆえに関心がない問題だったかと反省もしたい。
 著書名は『お産の時間です』で、筆者は津島市出身の国立名古屋病院産人科医長井上孝実(
いのうえ たかみ)医師である。
 難しい本ではなく、1時間もあれば読めるとの案内であるが、出産だけでなく、医療の問題点についても考えさせられる内容があり、これから妊娠・出産を控える新婚さんや、判りやすいだけに親御さんにも目にしてもらいたい1冊と思われる。
 最近は、何でもお金で済ます傾向にあるが、こんな1冊の本の贈り物も気がきいており、新婚さんへのプレゼントには絶好の一冊である。
 津島市民病院の医師不足が問題となる中で、津島出身の医師が各地で脚光を浴びて報道されてくるのも皮肉ではあるが、どこで診察を受けても医療費は同じ事から、同郷のよしみで訪ねてみるのも心強い。
                                       6月22日の一言
津島市の横井庄一像も紹介したい…
 最近は、毎日が横井庄一記念館になっており、本日は議会の終わりをまって開館日に使うテープカットのリボンを届けに走った。
 セレモニーにテープカットは見慣れた風景だが、このリボンがびっくりするほど高く、「一番安いところでも7万円はします」と聞いた時は、「ぼったくりか」とも思ったが、『耐乏評論家』と言われた横井さんの記念館だけに、リボンは市役所の借物ですまし、紅白のテープは文具店で買って自作する事とした。
 ハサミは『洋服屋』の横井さんらしく、本人愛用のハサミにする事とした。「さて、まだ何か残した事は?」、「受付の机とイスも忘れないでょ」、「ハイハイ、また明日」で帰宅となった。
 夜は趣味でビデオ撮影をされている会の方々に、横井庄一記念館の開館を記念して、横井庄一の足跡を記録していただく打ち合せに出向いた。
 出生が旧佐織町であるため愛西市出身と紹介されるが、実際には生後3ヶ月で母親の実家である我家に戻され、神守尋常小学校5年生の時までを旧神守村で暮らしており、現在の津島市で生まれ育ったと言っても過言ではないが、津島市の『大鹿庄一』時代を知っている人はほとんどいなくなった。
 残された遺品や手紙から、当地方における横井庄一像を探り、マスコミでは紹介されない記録に仕上げたい。もっとも撮影していただく人々が頼りだが、記念館の目玉にするために私も脚本家を体験する事になった。
                                       6月21日の一言
不便な巡回バスを必要とする市民…
 市役所を後にして出かけようとした時、玄関前に停まった巡回バスから3名のご婦人(近所の顔見知り)が降りてこられた。
 「何所に御用ですか」と聞くと、バスの乗り換えとの事であった。市役所と住まいの距離を考えると、乗り換えは時間的に大変だと思っていると、「あのバスは今後どうなるの?」との問いかけがあった。
 私にとっては巡回バスに乗るくらいなら、歩いて帰りたい心境だが、私とあまり年齢も変わらないご婦人達にも重要な足となっているのである。
 検討委員会で存続するが決まった事を伝えると、「良かった」、「安心した」の声が返ってきた。しかし、巡回バスの存続と利用者増が報告されるのと反比例して、名鉄の路線バスの時刻表から名古屋行きの便数が激減している事は深刻な問題でもある。
 巡回バス存続の声がある一方で、津島駅前から発車していた蟹江や冨吉方面、尾西市から一宮市までの路線、旧立田村や八開方面から岐阜県まで延びていたバス路線があった事さえ忘れ去られている。
 名鉄の歴史は明治27年(1894年)に設立された『愛知馬車鉄道』に始まるが、当時県知事より創立委員長の命をうけた『岡本清三』氏は、津島市の出身であり、初代津島町長であった事を考えると、行政の『住民の足確保』に対する責任を痛感するとともに、営利企業とはいえ、公共交通機関である名鉄の体質変化も見逃せない。何でもありと化した運輸行政の中で、双方が何でもありで机上を囲む機会が重要である。
                                       6月20日の一言
活躍する卒業生に刺激された役員会…
 本日は神守中学校同窓会の役員会が開催され、8月に発行予定の同窓会報の内容について議論を進めたが、科学の最前線で活躍する卒業生の存在に驚かされた。
 活躍するOBについては、茨城県つくば市の産業技術総合研究所で、ロボット開発のリーダーを務める横井一仁さん(44歳)に決まり、氏が海外から帰るのを待って原稿を依頼する段取りとなった。
 一方で、卒業後に高校のスポーツで活躍するOBも多く、インターハイや全国大会に出場する卒業生や結果を残した卒業生を把握し、後輩の目標にするために紹介する事も決まった。
 こうなると心配な事は、在校生の活躍で必要となる遠征費用の捻出である。
 神守中学校では同窓会に『部活動支援基金』が制度化され、1口千円で基金を募っている。ただし、コツコツと貯めた基金も、生徒が活躍すると一瞬にして消えてしまうのである。
 まさに嬉しい悲鳴だが、昨年も東海大会へ出場するクラブのバス代によって消えてしまったのである。しかし、同じ津島市の中学校でも、同窓会もなく、遠征費の捻出に困った保護者らが、大会会場で神守中学校のバスを見て、「何でこんな差があるのか」との声があがったと聞く。
 活躍するOBの報告を受け、底をついた部活動支援基金を集める事に、全力であたる事も必要と思い、それに専念する事を条件に同窓会長の責務を降りるのも一つの方法かと、勝手な思案を巡らしながらの帰宅となった。
                                         6月19日の一言
北朝鮮には厳重抗議を…
 北朝鮮が新型の大陸弾道ミサイルを発射準備との報道があるが、このミサイルの射程距離は3千5百キロから6千キロと云われ、ハワイやアメリカ西海岸にも届く能力がある。
 アメリカ国内においても、大きな論議を呼び、国務省の報道官が北朝鮮に対して自制を呼びかけているが、試射とはいえ発射されれば日本の被害も想定され、他人事ではないはずだが、小泉首相をはじめ日本の反応は鈍い。
 北朝鮮には長距離弾道ミサイル発射との批判を避ける為、『人工衛星』の打上げ実験との発表も用意しているようだが、どちらも軍事目的である事が確実である。
 このミサイル発射によって、日本国内に着弾したり、部品が落る被害があった場合に対する質問に、麻生外務大臣は「武力による反撃はしない」と答え、「厳重な抗議とともに、国連の安全保障理事会に提案し、圧力をかける」と述べ、米国も同じ考えとの認識を示した。
 しかし、北朝鮮の脅威が一番大きい日本にとって、麻生外相の認識は危機感が欠如し、弱腰と言わざるをえない。これが日本でなく諸外国では、自国に向けたミサイルの被害を受けたら、紛争は免れず、そういった危機感により均衡が保たれている現実がある。
 米軍の移転費に巨額な支出を要求されている事から、日本に被害が及んだ場合には駐留する米軍が反撃に出る程度の交渉と、米軍を含めた自衛が発表されなければ、日米同盟は米国の世界戦略の片棒を担ぎ、米国の都合に左右された同盟と言わざるをえない。
 被害があっても反撃できないとしても、国連に提案する前に、一切の経済交流を禁じ、二度と国交回復をしないぐらいの主張をしないと、愛国心を国会で議論したり、国に御霊を捧げたと靖国問題を語る資格もないのではないか。今週の『天聖人誤』と間違えたような記述を、反省するなら書き直しかと思う一言となった。
                                          6月18日の一言
人生の分岐点かな…
 世の中には「素晴らしい」人々がいる反面、まったく進歩のない「実にくだらない」と思われる人々を目にすると、人生が嫌になり気力も失せてくる。
 不思議なもので、ボランティア精神を発揮して、生き甲斐を持ってバイタリティーに富んだ人々と接していると、社会貢献への意欲が湧いてくる。一方で、自分本位で、自分の仕事や家庭しか考えず、社会貢献どころか、社会への恨みつらみしか聞こえない人は悲惨である。
 人生も50代に入り、そろそろ実をつけ、収穫の時期にさしかかっているが、人生の落差の大きさを実感し、無駄な時間の浪費は避けていきたい。
 さて、いまだに新聞紙上では、村上ファンドに投資した人々が批判の的にされているが、これも村上世彰氏の才能を知り、彼と知遇があった事から投資に至った経緯が理解されていない。
 優れた才能の持ち主と知り合えなかった事を後悔すべきで、いくら親しい友人でも、1千万円を投資できる関係の知人が無い事が淋しい限りである。
 「資産運用のご紹介ですが…」と、次々にかかってくる電話を苦々しく断っているが、ほとんどが詐欺紛いの先入観から断るが、村上氏に投資した人々の中にも、「損だけはしないでくれ」と友情から投資した人々も存在する。
 同じ時間を共有しているが、どうせなら、死の淵に望んだ時に信頼できる医師があり、豊かな趣味を持ち、楽しい旅行に同行でき、心安らぐ付き合いができ、負い目のない豊かな人生を語れる人々との時間を優先したい。
                                        6月18日の一言
低レベルな環境に空しい一日…
 愛知県が主催する『人にやさしい街づくり連続講座』の受講受け付けが、本日締め切りを迎えているが、申し込みが低調との事である。
 津島市からは、現在2名の参加申し込みがあるが、参加を呼びかけた割には反応が少なく、今となっては無駄なアガキとなるのかもしれない。残念な事は、津島市の職員の無関心な事にある。やる気の無いままに、職権による参加は好ましくはないが、愛知県の『ひとまち条例』を把握し、仕事に生かしたいとの熱意が希薄でもある。
 「毎週土曜日で長いからなぁ」との理由や、「せっかくの土曜日だから」の本音も理解できる。しかし、講座を生かせる立場にある行政職員の参加は有効であり、新たな知識と経験を求めて参加する職員があっても不思議ではないが…。
 しかし、考えてみると、随分無駄な人生を歩いているような嫌悪感にも襲われてくる。名鉄関係だけでも、名鉄病院で個人的に借りをつくった土川元夫元会長(名古屋商工会議所会頭)や、竹田直氏、尾張柳生の当主をはじめ、多くの方々との地縁もいただいた。この縁は同級生の誰にも負けないと思っていたが、親も亡くなり、その地縁も語っても解らない年月が経過した。自分の事だけを考えれば、人々がびっくりする人々との縁故があり、自分の利益を考えていれば、現在の生活は本当に損がつきまとう。
 人にやさしい街づくりが、いったい何の価値があるのかと問われると、返す言葉に困るし、真面目に応えると受けては退いていくのを実感する。『人のために…』と言うだけで、空しくなる環境を実感する一日となった。
                                         6月17日の一言
日銀総裁を非難できる立場か…
 日本銀行の福井総裁が、村上ファンドに1千万円を投資していた事に対して、国会の参議院予算委員会に参考人として出席し陳謝した。
 しかし、はたして陳謝する必要がある事なのか疑問でもある。そもそも、1千万円を提供したのは、日銀総裁を引き受ける前の民間シンクタンク富士通総研理事長だった、1999年当時の事である。
 旧通商産業省の官僚だった村上氏からアドバイスを受け一定の恩義があったことから、「有志とともに村上氏の志を激励する趣旨で出したもの」と説明している。また、利益については適切な税務処理がされ、利益目的で解約したり売り抜けた訳でもない。
 一方で、この1千万円の投資が、村上ファンドによって利益をもたらされてはいるが、投資ミスや倒産ともなれば紙切れになっていた可能性もあるのである。
 民主党議員の追及に、福井氏は「拠出金の解約による利益は、私の利益のために使うつもりはない。国民がどんな角度から見ても納得してもらえる使い道に振り向けたい」との発言をしているが、最近の国会議員の金銭感覚は麻痺しているのではないか。
 個人が資産をどのように運用しようが勝手であり、日銀総裁と言えども、職務上の悪用がない限り、株を買おうと土地を買おうと自由であるべきだ。最近では、「金儲けはけしからん」と、利益を手にした者を悪者にしているが、国会議員は貧乏人ばかりか。
 追求する矛先が間違っており、1億円を手にした議員が野放しにされ、国政の調査活動に使うために税金から支払われる衆院の02、03年度の「国政調査活動費」のうち計約5000万円が、議員や職員らの料亭やスナックなど酒席での飲み食いに使われていた事件は問題にもされず、善人面での追及は見苦しいばかりである。
                                         6月15日の一言
テレビ局の重役さんと古里談義に…
 本日は横井庄一記念館の準備のために訪問したところ、地元テレビ局の現役重役Sさんが訪問中であった。
 昭和47年に横井さんが発見された当時、中日新聞社の記者として取材されていた方で、朝日新聞社の『横井番』であった、江森陽弘氏(朝日新聞編集委員からモーニングショーのキャスターとして活躍)やK記者、毎日新聞社のC記者など懐かしい名前が話題になった。
 とりわけ、朝日新聞社の編集委員を務めた『大鹿八郎』氏とは親しかったらしく、横井庄一さんを忘れて、大鹿八郎氏の思い出話に花を咲かせた。
 私も販売ではあったが、同じ朝日新聞を生業にし、姓名が一字違いのために、多くの人々に間違われもしたが、同じ苗字だけでなく、八郎氏も父親が津島市下切町の出身で、父親が医者になるため名古屋に移り住んだ経緯から、身内のように可愛がられ、取材にも何度か同行したが、何と言っても、横井庄一には取材だけでなく、私生活の面倒(特に病気)まで係わった人だけに、新聞社で一番親しい人物でもあった。
 ただし、自分のルーツが判らないままとなってしまったのである。医者の系統から、大鹿一族の大本である『大大鹿』の一族と思われ、現当主の『獣医さん』と顔形がそっくりな事から、「一度案内します」とは言ったものの、近くまで取材に出向いておりながら、そのままに故人になってしまわれた事が残念でもある。
 さて、Sさんとの別れ際、「私は津島といっても旧神守村なんです」と話した事から、話が再燃したのである。「私の母も神守の出なんです」との返事に、「何所です」、「神守と言っても葉苅と言う所です」、「葉苅の何所です」、「母の在所はKと言って」、「道路の南側ですね」、「お寺があって」、「長福寺」、「川の近くの」、「道路の北側」、「子供の頃お寺で遊んで…」、「私の叔父もそのお寺に…」、「母の里はその南の角の…」、「じゃー〇△さん?」と、横井夫人を無視して話が盛り上がったのである。
 「あなたと、もっと話がしたかったみたいょ」と言われたが、役職を見ると取り次いでもらえないような職名が記されている。いくら雲上の人でも、母親の里や幼い頃に遊んだ思い出は忘れられぬ話題になる。その美しい思い出を裏切らぬよう心がけたい。
                                         6月14日の一言
行政視察の目的地選考について…
 本日の文教経済委員会の終了後、7月に予定している行政視察の目的地の選定を巡り、委員の意見が交わされた。
 学校生活支援員制度の視察先となっている愛媛県松山市が、人口51万人の県庁所在地のために、人口6万人台の津島市とは財政規模の違いから、「参考にはならないのではないか」との意見が出された。
 確かに人口規模も財政規模も、議員定数(松山市は50人)も違い、行政としての比較は意味はない。しかし、我々は行政視察とは言え、先進的施策の視察に訪問するのであって、施策そのものには行政規模の違いは意味がない。
 松山市では、障害を持った児童や、特殊学級、外国人子女などが同じ学校で学ぶために、『学校生活支援員事業』を展開している。一日3時間から5時間程度のアルバイト(時給1050円)を106人採用し、市内48小中学校に配置されている。
 特に、知的障害や情緒障害、難聴を抱える生徒や家族には貴重な施策で、外国人の子息の日本語指導では学校からの期待も大きい。
 かつて、金沢市を一人で視察した際に、議長室に通され部屋の大きさにびっくりした事があるが、「金沢市でできた事は、行政規模の小さい津島市なら簡単に実施できる」と言われた事がある。逆に、びっくりする先進施策が取り入れられている町村も存在するが、導入にあたっては、大きいほど多くの財源を必要とする事から、参考にできないケースも存在する。
 さて、行政視察を『慰安会』とか『観光地巡り』と批判する人々もあり、先進地の事例をパソコンから取り出す事も可能だが、多くの議員に先進地の現実を直視させる事で、先進地事例の実践が現実化し、住民のニーズに応える結果となる事にも期待して欲しい。
                                           6月13日の一言
他人事と思っていた横井庄一記念館…
 議会の最終日が21日で、その後の日程を見回すと、7月末までスケジュール表が埋まっているため、直後の週末に四国入り(お遍路)を計画していた。
 「あんたぁー、だめですよぉー。24日には居てくれなきぁー」の一言で、四国行きは延期となった。「えっ、僕もー」、「そうですよ、あんたが居なくちゃどうなるの」、「一人くらい居なくても…」、「あんたが親族代表ですから…」と、24日までは大変な毎日が続く事を本日認識した。
 24日の午前10時には、名古屋市中川区冨田町で、横井庄一記念館が開館する。どうやら、私もテープカットする一人に入っているようである。問題は、それまでに記念館の簡単な『シオリ』や準備が残されており、カットするテープも私が調達係なのである。
 「せめて、それまでにホームページくらいと勧める人がいる」との話になり、「ちょっとしたモノで良いんだけど」にも費用が要る話に、私のホームページ『明日への道』が『横井庄一記念館』も兼用のホームページにする話となった(無料だが仕事が増えた)。
 さて、こんな事なら、我家の二階に陳列してある『横井庄一資料室』も、公開できたのではないかと自分を後悔するも時間がない。
 問題は、開館後の展開である。横井家も子孫がなく、我家でも子供達に押し付ける事は難しいが、末代まで記念館を残そうと考えると、維持管理も難題となる。「10年後には朽ち果てていた」と言われないための工夫も重要である。
                                          6月12日の一言
深林の一枝を探したい…
 次は大丈夫と思っていても、いつまでたっても心構えを変えないと、同じ事の繰り返しに終わってしまう現実は変わらない。
 『鷦鷯(
しょうりょう)、深林に巣くうも一枝に過ぎず』…中国の荘子の言葉である。鷦鷯という鳥は、林の奥深く巣をつくるが、必要とするのは一本の枝にすぎない、という意味の教えである。
 中国文学の第一人者、守屋洋氏による『中国古典・一日一話』によると、さして長くもない人生であれもこれもと欲ばると、欲望に振り回されて、自分にとっていちばん大切な「深林の一枝」に気づかないまま人生が終わってしまう。巨万の富も、見方を変えれば何の価値もないものになる。早い話が、かりに何兆円という財を築いても、あの世までもっていけるわけではないだろう。
 いま、自分が価値ありと追求しているものが、見方を変えれば取るに足りないものかもしれないのである。
 判りきった一言だが、荘子の言葉には説得力がある。自分の周りを見渡して、自分が何をすべきかをよくよく考えないと、人々の便利屋さんに終わってしまい、後々に後悔する事になりそうである。
 小さなこだわりが大きなマイナスにもなりかねない。商人は商売のために種まきをするが、政治家は何のために種まきをするのか。よくよく考えないと、10年後に振り返って後悔を残す事にもなりかねない。高齢になった時、人のお世話にならずに自立しておれるためにも、必要とする深林の一枝を探したい。
                                         6月11日の一言
偉そうには語れない…
 神守小学校区の自主防災会総会が開催された。設立にあたっては行政が主導するスタートとなったが、三年目ともなると住民が主体となった活動に進化しつつある。
 課題は、防災会の骨組みが町内会役員になっている事と、行政から完全に自立できるかどうかである。又、住民が自発的に進めるグループ単位の地域防災会との連携や、消防署や防災関係の経験を有するOBの活用が重要である。
 オレオレ詐欺や、行政の個人情報保護の影響もあり、自主防災会役員や連絡網までが個人情報として秘匿されるようでは、突然の大災害を想定すると現実的ではない。
 行政視察を行なった高知県南国市の集会所には、地域一体の地図が張り出され、災害時に支援を必要とする高齢者や障がい者の家が色分けされていた。台風の通り道となる南国市では、水害による浸水が多発する危険性から、個人情報にも配慮はあるものの、災害時への備えは実戦的でもある。
 自主防災会で個人情報が語られ、要支援者リストへの登録が進まない事は、しばらく自然災害から遠ざかっている事と、東海地震や東南海沖地震の危険性が地域住民に浸透していない事も原因である。
 そういう自分も、防災ボランティアコーディネーターや防災カレッジで学び、愛知県の防災リーダーに認定されているものの、家具の転倒防止策すら実践しておらず、災害にはまったく無防備である事から、あまり偉そうには語れない。
                                        6月10日の一言
医師が救急車に乗る余裕ぐらいは…
 津島市の救急車が平成17年に出動した件数は2,721件(1日7回から8回の出動)で、15年の出動件数2,459件より262件増加し、出動から現場まで到着するのに平均5分48秒かかっている。
 到着時間が早ければ早いほど患者の救命率を高め、後遺症を減らせる事は素人でも判る事であるが、時間短縮には限界に近づきつつある。問題は、消防本部と距離の遠い地域で、現場から医療機関への搬入時間も含めると、比較的狭い津島市でも30分を超えてしまう。
 一方で、愛知医大に常駐するドクターヘリを要請すれば、10分程度で到着し、医師と看護士が搭乗している事から、15分後には治療が始まるのである。ここにも、ヘリコプターを要請するかどうかによって運不運がつきまとう。
 愛知県の東三河の山間部には、重症患者や交通事故にもドクターヘリが飛来し、時には浜松市に常駐する静岡県のドクターヘリも飛来する。
 安心で安全な街づくりを考える時、救急病院や消防本部に近い地域に、高齢者や独り暮らしの人々が利用する施設や、公営住宅を造るべきだが、現在の街づくりには一貫性が不足する。
 医師不足が叫ばれているが、高度な診療を放棄し、市民の突然の事態に備えて、救急患者の受け入れを強化し、眼科や皮膚科は民間開業医に任せ、救急救命を担当する医師を揃え、救急車に医師を搭乗させれば市民の安全と安心をもたらす。
 医療レベルの向上も重要だが、財政状況の厳しい時だけに、ガンや脳卒中は名古屋の高度な病院に任せ、一刻を争う救急患者や、市民が安心できる24時間対応の受け入れにより、「住んで良かった」と言える安心安全の街を実現させたいものである。
                                           6月9日の一言
不足する市幹部の勇気ある発言…
 本日は8人の議員が登壇し、一般質問が繰り広げられた。議員にはそれぞれの考えと、議員になった経緯もあるとは思われるが、議員の発言の中にも間違った発言や質問が存在する。
 勿論私の発言の中にも、勝手な思い入れから発言する勝手な解釈もあると思うが、問題は、「それは間違っています」と、間違いには堂々と否定する市幹部の勇気が不足する。
 本日も、市民病院の増床が、「合併を(見越した)前提とした増床」なる、間違った発言が見過ごされている。当時の状況は国の医療圏の見直しの中で、ベッド数の増床が審議され、市民病院の存続を賭けて、議員の賛同のもとに決まっており、さも、近隣の町村との合併により、経営改善を期待していたような発言は、有線テレビを視聴する市民にも大きな誤解を与えると思われるのである。
 又、市民病院に係わってきた関係者と、小さな自治体である津島市が、自前の病院を維持してきた歴史への誇りが忘れられている。
 さて、議員は何を発言しても許される訳ではなく、他の自治体や病院の名前を、勝手な憶測で語る事にも責任があり、答弁する側にある市幹部であっても黙認する事は、相手側への侮辱を増幅し同罪となる。勇気を持った答弁が不足する事は、議会を空洞化し、セレモニーと化してしまうのである。
 こんな事を記した翌日、明日は一番手の登壇である。「大鹿議員、間違っていますよ」と言われない発言に心がけたい。「大鹿さんは現場に出向いて発言しているから」の一言は、帰り際に出会った職員の言葉である。そうでも無いとの反省をしつつも、その言葉を大切に忘れず発言を続けたい。
                                          6月8日の一言
明日が議会とは信じられない一日…
 議会の一般質問を明日に控え、本来ならば通告した質問内容をまとめて、明日の議会に備えるべき一日だったが、登壇順が最後の2人目のため、市民から依頼された項目と、市役所から議会対策で入る連絡や訪問で、何の進捗もないままに一日が過ぎ去った。
 議員にとっては議会が一番重要ではあるが、市民にとっては、議会が開催されようとあまり関係なく、自分の事が一番重要であり、認識のギャップと同時に、市民の代弁をする意識が空回りしている現実を痛感した。
 さて、昨日の一言に病気の話を記したが、我家でも、父親が末期ガンと診断され、「絶対に治る事はありません」と医師より宣告された時には、ワラをも掴む思いで多方面に問い合わせた事があった。
 ほとんどが、効果を疑わざるをえないものであったが、絶望と思われる人々が、救われた実例が紹介されてくると、あながち絶望と諦めるのは得策ではない。
 現実に多くの病院で「処置無し」と説明されても、そのほとんどは医療機関の限界や医師の技量から発せられた言葉であり、日本中の名医と呼ばれる医師や先進病院では完治はならないまでも、苦しむ事なく延命が図れる可能性が残されている。
 「どうせ、どこに行っても同んなじだわぁ」と諦めればそれまでである。新聞記者の口から、「ガンが治る観音様がある」と言われた時は、言葉を失ったが、奇跡的にも医師から見放された患者が、信仰心で治ってしまい、以後10年が経過している実例を目にすると、末期ガンでも100%告知する最近の状況から、『病は気から』の言葉どおり、奇跡を信じて挑戦してもらいたい心境になってくる。
                                           6月7日の一言
止めるのも淋しくなるし…
 今月末、名古屋市中川区に開館する、『横井庄一記念館』の玄関に飾られる看板は、愛西市(旧佐織町)に在住する、私の中学時代の恩師によって書かれたものである。
 本日は、開館後の訪問者に差し上げる色紙(佛心、和、忍の3種類・横井庄一直筆を複写)の包み紙の題字書きを依頼するために、横井夫人と自宅を訪問した。
 恩師は、4月に病気が発覚し、連休直後に手術を受けられており、病気療養中であるために、依頼を躊躇していたが、比較的元気で快諾をもらっての訪問だが、話題は書の話からどうしても病気の話になってしまったのである。
 人は病気になるまで、病気の話題があっても、他人事のために聞き流してしまい、自分が病気になって初めてびっくりするのである。
 我家の2階では、平成6年の秋から、毎週火曜日に書道教室が開かれてきた。恩師は10年程前に、無理矢理に初代の恩師(私の中学時代の教頭)から我々を預けられ、しかも、「一銭も受け取らぬ」無報酬の伝統で引き継いできたのである。
 突然の病気に驚いたのは恩師だけではなく、遊び半分で書道より『旅行先』を考えていたメンバーでもあった。今さら他の先生を探す気にもならず、「止めるのも淋しくなるし…」と、先生不在の教室で、恩師の回復と復帰を心待ちにしているのである。
 心待ちにしているのは我々ばかりではなく、暴力団の組長さんからもラブコールがあるらしい。業者経由ではあるが、恩師の書いた名刺を印刷しており、他の書家の書いた字では気にいらないとの事で、意外なところにファンがあったと驚いている。
                                         6月6日の一言
6月議会一般質問の予告…
 6月議会が本日開会されましたが、本日は私の一般質問に通告(6日午前12時まで)する質問内容を紹介いたします。
〇津島市の住環境とバリアフリーについて…
 ・市営住宅のストック総合活用計画の進捗状況について、(市営住宅の入居条件や、障がい
  者、高齢者への対応、民間住宅の借り上げなど)
 ・地域住宅交付金制度や人にやさしい街づくり事業について
 ・青塚駅周辺のバリアフリーについて
〇津島市の消防・救急について…
 ・消防団、婦人防火クラブの現状と待遇改善について
 ・救急体制の広域化(隣接市町村との協力)について
〇市民病院について…
 ・更生医療(心臓ペースメーカー埋め込み手術)について
 ・健康管理センターについて()
 ・夜間診療や救急の受け入れについて
 上記の3項目について質問を予定しています。一般質問は8日(木)と9日(金)に開催されますが、私の登壇日時は6日午後の抽選で決まります。尚、議会は公開され(予約不要)ておりますので機会があれば傍聴して下さい。
                                         6月5日の一言
愛知県のやる事はズサンすぎる…
 本日は、愛西市の木曽川左岸において、海部地方総合防災訓練が開催された。昨年の訓練は、ボランティアのために参加する住民の駐車場が、会場の一番遠い場所に設営してあり、市町村長や議員の車が会場に隣接した場所に用意されていた。
 本年は、苦言を受けた反省か、場所的な都合かは判らないが、到着順に駐車はできたが、やはり首長や議員の車は一等地に配慮がしてあった。
 又、多くの参加によって開催された訓練だが、開始前から最後まで時間いっぱい頑張ったのが、住民参加(防災ボランティアコーディネーター)による『防災ボランティア支援本部立ち上げ訓練』で、終了時には『炊き出し訓練』で用意された非常食が穴を掘って破棄された後であった。
 住民ボランティアの盛り上がりの反面で、規模や参加する市町村が多いだけで、各市町村単位の訓練と何が違うのか疑問が残る。ただし、住民による訓練は、市町村のワクを飛び越えた連携だけに、非常時を考えると今後の展開に期待したい。
 さて、予定を上回る入場者数を記録した『愛知万博』だが、万博にかかった総費用が2千132億円と発表され、そのうちの半分近い973億円が愛知県の借金でまかなっていた事も報告された。
 万博協会では129億円の余剰金を発表しているが、利益ではまかなえない大きな借金を愛知県民が背負っている事が語られてこない。利用者がなく、借金が続く『リニモ』の存続等を考える時、愛知万博は『成功』したと言えるのか疑問に思う。
 『万博の成功』を旗印に、早々と神田知事の再選支持がオール与党により打ち出されているが、社会基盤整備も伴っているとは言うものの、万博への投資額(借金)と収益を考えると、民間では考えられない倒産の危機にあり、改めて『万博反対』の意思表示が間違っていなかった事を確信し、本日の訓練にも同質の『臭い』を感じるのであった。
                                           6月4日の一言
10年経てば総てがガラクタに…
 買ってからほとんど乗らないままにされていた単車を、7年ぶりに引っ張り出してきた。エンジンはかかるものの、アクセルワイヤーが錆付いて動かない。新車のまま放置されたため、しっかりと締まったままのネジが動かず、オイルをさす隙間もなく、全くお手上げである。
 こうなると素人が無理をすると、ネジ穴が潰れ、大金がかかるのである。新しいからと言っても、使わないままに時間が経過すれば、ガラクタと化してしまう事を実感した。
 机に座り考えていると、持ち歩きできるとの理由で手に入れた、携帯テレビやハンデイコピー機、電子辞書が手に届く所に眠っていた。
 電子辞書はブリタニカが搭載され、10年前には20万円近い高額の製品だが、機能は低く、今さら開く事もなさそうである。ハンディコピー機は、20年近くたっており、ほとんど役にも立たなかったが、今となっては付属の部品すら販売されていないであろう。携帯テレビに至っては、電池が腐ってフタさえ開かなった。
 いずれもメーカー品のために、機能は健在であるが、使いこなす事もないままに、すべて時代遅れとなった事が皮肉でもある。
 さて、久し振りに訪問されたKさんより、折りたたみ式の机を頂いた。過去にも何度となく頂いていたが、人に差し上げて無くなっており、有り難い差し入れになった。
 これは家具職人としての技術が生かされており、壊れれば捨てる時代にあって、技術は永遠である事を実感させられる反面、1本の動かぬネジから、技術屋や職人が不遇とされている現代と、その事の不都合に気付かない消費者の反省も重要である。
                                           6月3日の一言
「知りません」が罷り通る社会なのに…
 阪急ホールディンクス(電鉄)と阪神電鉄株を巡って交渉中の村上ファンドに対して、東京地検特捜部が捜査していると報道されている。
 報道によれば、ライブドアの堀江貴文前社長に対して、ニッポン放送株の大量取得を勧めていた事に対し、証券取引法に違反していないかどうかを調査中との事である。
 ライブドアの事件についても、全面否認の堀江氏以外の関係者も違法性の認識は無かったと供述しており、今回も株によって大きな利益を稼ぐ村上ファンドの村上世彰氏に対する、権力側の異常なる対応に思えてならないのは無責任な一言か。
 国会議員の鈴木宗男氏も、辻本清美氏もそうだったが、近年は有名になり世間の注目を浴びるようになると、身辺の法律違反が指摘されて社会から抹殺される事が多い。
 一方では、一億円の政治献金を受け取りながら、同志に罪を着せた挙句に、「知りません」、「覚えていない」と堂々とシラをきり、野放しにされている自民党実力者達が現存している。
 さて、社会に公開されている株式は、一般投資家が投資目的で売買を繰り返しており、堀江氏や村上氏の扱う金額が大きく、社会への影響が大きいとしても、利益を目的とした株の売買が非難される事自体が、異常である事を認識する必要がある。
 自転車で一時停止を怠っても道路交通法に違反する現実を考えると、まったく法を犯していない人物は、健康で普通に生活している場合においてはほとんど存在しない。有名になり、喝采を浴びる若者が次々と抹殺されようとする社会に、一抹の不安を覚えるのは自分だけか。もっとも、小物は相手にもされないから大丈夫ではあるが。
                                           6月2日の一言
朝は元気だったのに…
 一昨日の夕方、学校から帰った息子が水をかぶって弱ったスズメのヒナを持ち帰った。箱に入れ、懸命の介護が実り、昨日は箱を飛び出して元気に回復し、エサもつついていた。
 しかし、本日の昼には動かなくなっていた。箱に入れ戻した事や、エサが悪かったか、電気式キンチョーマット等と考えてみるも原因は判らない。「昨日逃がしてやれば良かったのに」と言われても、飛べないスズメを逃せば、車に轢かれるか、ネコの餌食であったであろう。「朝は元気だったのに…」は帰宅した息子の一言。
 過去の経験から、弱った鳥を持ち帰っても、ほとんどが死んでしまうかネコの餌食になっている事を考えると、対処を考えてしまう。
 「人にやさしくする事は大切な事だが、人間の自立心まで奪ってしまってはダメだ」とは、本日の夕方のテレビドラマのセリフである。テレビドラマを馬鹿にしてきたが、教わる事もあるなと感心してしまった。
 「何とかなりませんか」の市民の一言で始まった筈の、廃止された名鉄青塚駅トイレ再建問題だが、多数の署名を集め、新聞に報道された事によって、「何で出来ないだ」と初心を忘れた言葉が聞かれるようになってきた。身障者などの存在を忘れた身勝手な要求も耳にする。
 同じ市民でも、名古屋までバスを利用する人は、「横着だ」と一言。交通渋滞で1時間以上乗車した事もあると言うが、バス利用者からトイレの話は出てこない。
 ホームを階段で渡る必要のある名鉄木田駅だが、車イス利用者が自力で電車を利用していたと聞いた。誰に聞いても「一人では車イスは渡れないだろう」としか言葉が返ってこないが、現実に名古屋に通勤していた人がある。(
現在は対策が施されてある)
 人間に出来ない事は無いが、他力本願では成就しない事と、スズメの命すら救えない現実を考えさせられる一日となった。
                                           6月1日の一言
どうせ盗作するなら…
 警察官の不祥事が相次ぎ、軽犯罪とは言うものの、常識では考えられない罪を犯して職を辞している。
 タレントと化した弁護士が脱税を犯し、反省するどころか言い逃れから自己弁護で開き直り、教員が少女買春で逮捕され、「18歳以下とは知らなかった」と、言い訳にならない弁解をする。
 むかしの人は、モラルのいい加減な人間のことを「タガがゆるんだヤツ」と表現した。そういう人間の犯すミスが度重なると「近頃は世間のタガがゆるんでいる」と警戒心をつよめた。
 実は、この2行分の文章も、正確に言えば『著作権法の侵害』の延長線上にあるが、今は亡き草柳大蔵氏による『礼儀覚え書』の、第2章に記された「タガがゆるんだ」とはの一節の巻頭の2行なのである。
 最近では、法を護るべき立場にある人物の『摩訶不思議』なる犯罪が続く。先日、芸術選奨受賞に選ばれた画家が、知人の絵画の丸写し作品との指摘をされ、「全く違う表現」として白々しく居直っているが、こんなインチキ画家が評価され、ジミ―大西氏の絵画の模写絵画が数万円で売買される事件も発覚し、中国を批判できないコピー社会を痛感させられる。
 さて、草柳氏と同じ名前である国会議員も、自分のブログに他人の本を盗作したが、どうせ盗作するのであれば、草柳氏の著作物を読んでからにしてほしかった。
 本日の『ほっこり庵の独り言』と併せて読んで欲しいが、草柳氏の『礼儀覚え書』には、「品格ある日本のために」の副題がつき、「私が24歳のときにかいた恥は、三十年間生き続けた」と記され、「ご参考になれば幸いです」と記されている。私は心から日本人の後輩を想った本として、
(例え違法と言われても)紹介し続けていきたいと思っている。
                                         5月31日の一言
ヒマそうに見えて、ヒマがない…
 6月議会の議会運営委員会を明日にひかえ、そのまま議会の日程が連続する中で、積み残したままの案件が存在する現状の上に、更なる案件が舞い込んでくる。
 議会の日程だけを見れば、「議員はヒマな高給取り」に映るかもしれない(
現実に選挙運動しかしない議員の存在が指摘されている)が、議会で新たな質問を繰り返していくためには、新たな学習や研修の機会が必要となり、頑張れば頑張っただけ必要経費も増大するジレンマに苦しむのである。
 さて、持ち込まれる案件は様々であり、明日の生活に係わる医療や介護の深刻な相談が多いが、時には土地の売買(
賃貸)や、新規事業の展開など、目の前を『お札』が通りぬけていく話にも遭遇する。
 問題はここからである。議員報酬の削減や厳しい台所を嘆き、仕事も考えざるえない環境にあっても、『ボランティア』の看板が頭をよぎり、おこぼれは廻ってこないのである。
 新規事業についても、「ボランティアだ」との前提で話を聞いていると、しっかりと利益が計算されており、『有償ボランティア』を念頭におく私の話を聞いて、薄利であっても利益目的とボランティアの違いに気付く人も存在する。
 土地柄もあるが、先進地で根をはっているボランティアの領域が空白地帯となっており、不景気で新たな商売を模索する中小事業者が進出を模索している。こんな中途半端は地域住民にとっては『ありがた迷惑』となるが、純粋な住民本位のボランティアが育ちにくく、行政がらみのボランティアばかりで占められていく。
 儲かりもしないボランティアでもストレスは大きく、人の金儲けと張り合ってまでNPOにこだわるのは得策ではないが、誰かが風穴を開ける必要性も急務である。
                                          5月30日の一言
住民より軽薄な国会議員の存在に…
 小泉チルドレンの杉浦大蔵議員が、自分の書き込んだブログに他人が出版した本の一節を盗用し、当事者へ謝罪に訪れたと報じられた。
 他人の文章を盗用する事自体が重大問題であるが、自分の過去の体験に関する記事だけに、盗用だけにとどまらず、国民を欺き虚偽の記載を発表した責任は極めて重い。
 謝罪にしても、新婚の妻を伴い、記者団のインタビューを無視して歩く姿は、国会議員の資質どころか、地方議員にも劣る軽薄な対応であり、自分から訪れた謝罪相手に食事のもてなしを受けて帰るなどとは、大人としての常識も持ち合わせていない事を証明した。
 今回のブログに記載した内容が、本当の実体験であれば、表現方法の引用になるが、体験そのものが全く無かったウソの記載であれば、国民を欺いた事となる。盗用した相手への謝罪は当然だが、本来は国民に謝罪する必要があり、報道陣の取材を無視して応じない態度は、国民を愚弄しており、民主党の偽メール事件より悪質である事を強調したい。
 さて、この件に限らず、国会審議を私用で欠席するなど、議員としての責任も持ち合わせていない国会議員が問題にもされない事が疑問でもある。
 一方で、本日届けられたメールには、知人への不当な対応に夫婦で解決しようとした体験が記されていた。短い文面から苦労のあとがうかがえ、努力しても報われない無力感も痛感させられた。
 地方議員の限界を感じると同時に、政治とて介入する事のできない他人の家庭と家族について考えさせられる一日にもなった。
                                         5月29日の一言
一枚の写真から得る感動と安心…
 机に置いてあった息子の教科書(高校の国語総合・三省堂)を開いたところ、ザトウクジラのブリーチング(海上へのジャンプ)の写真が目についた。
 アラスカのクマやトナカイなど野生動物の撮影で知られる星野道夫氏の撮影した写真で、その裏側にはオーロラと星の写真が掲載されていた。
 そして、星野氏の随想として『もう一つの時間』なる一文が、巻頭に掲載されていた。星野道夫氏は昭和27年に生まれ、平成8年にカムチャッカ半島クリル湖畔においてヒグマとの事故によって44歳の若さで亡くなっている。
 朝日新聞社との縁も深く、『アラスカ・風のような物語』が週刊朝日に連載(平成元年頃)され、嫌と言うほど眺めた写真であったが、新たな作品が見られなくなった今になって、氏の残した一枚の写真が永遠に残され、我々に感動を与える事に感きわまるものがある。
 随想の中で、「ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている。……確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる。……そのことがどうにもふしぎでならなかった」と記されている。
 星野氏がいなくなった現在も、氏と遭遇したクジラやトナカイは大自然の中で悠々と生きており、自分が生きている同じ瞬間に、自分とは全く別の時間が過ぎている事に想いを巡らすと、言葉では表せない何かを感じるものである。
 本日の夜も、上高地の河童橋の上では、星に手が届く夜景が見られるが、アラスカではオーロラが乱舞する幻想的な世界が展開されているかもしれない。そんな素晴らしい時間を共有している事を、高校で使われる一冊の教科書の、一枚の写真と一文が教えてくれた事に、感動と安心をおぼえるものである。
                                         5月29日の一言
誰を勧誘しようか思案も続く…
 7月から10月まで、毎週土曜日に愛知県の主催する『人にやさしい街づくり連続講座』が名古屋で開催される。
 3年前に受講し、昨年と一昨年は講座のサポーターとして裏方で参加した。こうして記すと簡単に思われるかもしれないが、終盤は9月議会が重なり、10月は決算審査特別委員会とかさなる事が決まっておるために覚悟しての参加となる。
 批判もある。毎週、毎週、津島を空にして、親しい知人宅の葬儀も欠席して、参加する価値があるのかとの厳しい批判である。政治に関わる者が、義理を欠く事は不本意でもある。
 しかし、昨年10月に完成した津島駅のエレベーターとバリアフリーのトイレは、この講座に関係する地域セミナーがきっかけとなり、人にやさしい街づくりの予算が充てられている。高齢者や障がい者を含むすべての人々が、地域で困ることなく生活できる環境を構築していくためには極めて重要なテーマであり、講座の意義は大きいと確信する。
 さて、問題はいくら「良い講座だから」とPRしても、津島市からの参加者が少なく、反応が少ない事である。「本年は多くの受講生とともに参加します」と、大見得をきってメールが送ってあり、本日開催された『ひとまち』の総会と交流会に参加しながらも、一番の心配が参加者の有無であった。
 幸いにして、本日2名の方から参加の意向が伝わってきた。目標は5名(本音は4名)であり、誰を勧誘しようか思案も続きそうである。
                                         5月27日の一言
収容所と化す施設の現実の前に…
 一昨日(ほっこり庵の独り言)に投稿された一文に、『この世は地獄か?希望を持ちたい』とのタイトルで、市内の施設名を挙げた指摘があった。
 新聞やテレビでもあまり報道されてこないが、老人ホーム内を自分勝手に歩き回る高齢者をベットに縛り付けて、動けないようにしている拘束はよく耳にする。
 ただし、説明を聞くと、患者が暴れて点滴の針を抜いたり、ベットから落ちてケガをする事を防ぐための処置であるとの説明が多い。現実には、普段からそのままにされているのであるが、家族の付き添いにも限度があり、泣く泣く容認されているケースも多い。
 又、本来であれば自宅で悠悠自適の生活ができると思われる高齢者が、別居する家族の強い要望で、老人ホームに入所させられているケースもある。独り暮らしでの事故を心配するのは結構だが、家族の安心のために施設に入れられる当事者はさぞ迷惑な事であろう。
 「何とかしてもらえないか」と家族に言われて出向いた事もあるが、「それなら自分で面倒をみたら」と言われると、返す言葉が出てこない。
 国の制度が変わり、高齢者に対する対応も改善はされつつあるが、地方都市の津島市まで波及するまでに時間がかかる。高齢者がそんな状態では、障害を持った人々にはもっと厳しい現実がある。
 重要な事は、痴呆になっても、障害を持っても、地域で普通に堂々と生活できる社会環境を築く事である。施設しか生活できない社会から、地域全体で受け入れる社会の構築が求められている。
 親が子供の面倒をみて、子が親の面倒をみるのが当り前と思ってきましたが、我家でも子供には期待できない現実があります。『現代の楢山の観です』は的を得ていますが、親を棄てれば自分も棄てられる先人達の教えが今こそ重要です。
                                         5月26日の一言
持病のある高齢者に体の心配をされて…
 「大鹿さんの体は大丈夫ですか?」と、私の健康状態を心配する電話を家族が受け、相手が高齢で障害を持つ人のため、出先まで連絡があった。
 平成2年から続けて実施してきた4月29日の旅行会を中止としたが、2月の『七福神巡り』も実施しておらず、「本年は毎月実施します」と話した昨年とギャップも大きいため、「病気ではないか」との心配をいただいたようである。
 最近は同様の電話が多く、当時から参加されている人々にとっては、私が議員である事に関係なく、『朝日旅行友の会』の大鹿である事を思い知らされた。
  議員になったために、当方が思ってもいない誤解や中傷も多い。「あれだれやれば、結構儲けている」とか、「選挙の武器にしている」などとの流言も耳にする。デマとは言っても、耳にするとやる気が失せる。
 朝日旅行友の会の会員募集は昭和63年から始まっており、政治とは無縁の旅行会であるが、私が平成11年に議員になった事から、色眼鏡で見る人も現存する。
 一方では、参加者が高齢化している事から、旅先での事故も昨年秋の四国遍路で起こっている。自己責任とは言うものの、責任は大きく圧し掛かってくる。
 最近では旅行会社が安い旅行をどんどん企画している事と、募集の案内や参加者への連絡にも手間がかかる事から、「中止するのは楽」と思っていたが、一般の旅行に参加できない人や、障害をもった人々には貴重な外出の機会となっており、改めて心機一転としていきたい。一日数人とは言え、HPを訪問される方々にも改めて感謝したい。
                                         5月25日の一言
政治を無力化しないために…
 本日は名古屋市役所に、車イスで活躍されている名古屋市議の斉藤亮人氏を訪問した。私の公約は、立候補した時から『市民の声を代弁する事』と、『市民が主役になる街づくり』を訴えてきました。
 一方で、団体や組織・政党に組せず、市民の皆さんの視線で、誰であっても、どんな要件でも相談を受け付けてきた。
 ただし、最近では地方議員のレベルを超えた相談や、本来弁護士や司法書士が扱うべき相談も多く、一地方議員としての限界と一家庭の危機も救えない無力感も感じています。法律や制度の狭間にある救いようのない人々の存在に頭を痛めていた数日前の夜、ふと斉藤市議の顔が脳裏をかすめました。
 昨年の違法改築事件で、名古屋駅前の東横ホテルに押しかけた車イスの人々の中に、私の知人とともに斉藤市議の姿もありました。この時の光景が未だに忘れられず、「なぜ、我々も一緒に行動できなかったのか」という後悔の念が残りました。
 昨年完成した津島駅のエレベーターとバリアフリーのトイレについては、愛知県に働きかけ、何度も議会で発言した事から、私の功績のように言われる方もあるが、一番の功労者は『ひとまち地域セミナー津島』が開催された3年前の10月に、階段のある津島駅にあえて乗降した二人の車イスユーザーのお陰である。
 昨年7月に無人化された青塚駅についても、トイレの設置が地域の関心事になっているが、それ以前に車イスの人々には乗車できない現実が語られてこない。誰もが公平で自由に生活できるため、「政治は無力」と言われないためにも、地域を越えた市民派議員の連携と協力も重要と考えている。
                 斉藤亮人市議のHPへ           5月24日の一言
秩序の崩壊した現代社会に想う…
 日本の各地から、かつての交通事故のように殺人事件が報道されてくる。子供が殺害され投棄されるばかりか、交通事故の被害者となった子供を山林に放置する。アパートには幼児の死体が隠匿され、我が子を虐待し、死に至らしめる事件も続発する。
 これでも、最近は凶悪事件が減少していると言われると末恐ろしくなってくる。『三つ子の魂百まで』、『親思う心にまさる親心』など、先人の残したことわざが活かされていない。
 かつては、家族や肉親に対する『尊属殺人』が厳罰に処されていた。これが無くなった影響かどうかは判らないが、最近では親が子を、子が親を殺すなど家庭の秩序が崩壊し、あってはならない事件が繰り返され、いつの事件か思い出す事も難しい。
 中国の老子が残した『天網恢恢、疎にして失わず』の名言は、現代社会では通用しなくなってしまった感すらするこの頃でもある。
 学校で飼育されているウサギが耳を切られたり、小動物が殺害される事件も時々耳にするが、動物とは言え、教育現場で生命を弄ぶ事件は、地域社会に対する挑戦であり、徹底的な解明が重要でもある。
 学校の教科書で学んだ、芥川龍之介の『くもの糸』を思い出し、時として虫を叩く手を休める事がある。先人達の残した格言や教えが教育現場で活かされているのか心配にもなってくる。
 孔子はもちろんの事、老子、荘子、孫子、孟子、荀子。論語、史記、三国志。隣国の思想家達の残した名言は、家庭だけでなく、国と国の関係においても活かされるべき格言が多く、今一度見直し、活かされる事を願いたい。
                                          5月23日の一言
市民公募も半分欠席では…
 本日開催された『第3回津島市巡回バス検討委員会』を傍聴した。過去2回の開催により、存続の方向性が確認されているが、委員の欠席者が6名もあり(出席は7名)、市民公募の弊害で地域エゴとしか映らない発言も多かった。
 「半分しか出席しない委員会は問題だ。欠席者は今後出席してもらえるのか」と、終了間際に議事進行役の会長より行政への真摯な苦言が飛び出した。
 さて、アドバイザー役の大学助教授は別としても、市民公募の委員に交通や財政などの専門家が不在であり、中には「一度も乗った事が無いから、何とも言いようが無い」との発言も飛び出した。
 素人でも、市民の代弁者として、発言の意義はあるものの、巡回バスの設置目的の再認識と同時に、基礎的な状況把握を前提にしないと、個人的意見の発表会と化し、「海部郡の全市町村一体で組合を作って維持すべきだ」などと、公共交通機関の存在を忘れた発言や、先進地の名前だけで中身の紹介のない発言など、市民公募の弊害ばかりが目についた。
 同じ市民公募でも、平成14年から議論を重ね、5つの部会に分かれて専門家の域に進化している、『ごみ処理基本計画』の策定委員会がある事から、数回で結論を出す公募や審議の方法を見直すべきと思われた。
 愛知県の主催する『人にやさしい街づくり連続講座』の中にも、移動をテーマとした日程が組まれているが、せめてその程度の知識は学習した上での応募を期待したい。いや、その前に、我々議員も住民が納得できる施策を示せない現実を反省しなければなるまい。
                                          5月22日の一言
高浜市長の主張に溜飲を下げる…
 昨日は名古屋市で『住生活基本法制定に際して―その今日的意義と問題点―』のテーマで、講演とシンポジウムが開催された。
 岸本幸臣大阪教育大学名誉教授の基調講演から、森貞述高浜市長、斉藤亮人名古屋市議をパネリストに加え、児玉善郎日本福祉大学教授の司会でシンポジウムが繰り広げられた。
 交通バリアフリー法やハートビル法が制定され、高齢者や障害を持った人々の移動に関する環境は明らかに改善が図られてきたが、居住に関する権利については進捗せず、障がい者だけでなく、高齢者にとっても新法の制定に期待がかかっている。
 この中で、高浜市の森市長の一言一言には、津島市にとってもキーワードとなる言葉が続き、福祉の街づくりの先駆者としてではなく、(福祉のためではなく)福祉という切り口で街づくりを推進してきた先輩として共感すべき内容が多かった。
 人口4万2千562人(津島市は6万6千429人)、面積13平方km(津島市25平方km)と多少の差はあるものの、行政規模については類似点も多い。
 「根本的に他の都市とは違う施策」として収入役の廃止と助役二人制を実施し、地域力を高めるために行政の仕掛けとして『人材育成』を実施し、「ゼネコンは外へ金が出て行くが、福祉は地域の中で金が回転する」として、地域福祉計画にも小学校一年生から81歳の高齢者まで190人を越える人々の声を反映させた。
 適切な街づくりのためには、「適正規模があり、絶対に合併しない」と宣言し、大きな単位より小さな単位が在宅福祉を考える上では重要との岸本教授からの助言もあった。
 合併のみが題目とされた当地方にあって、現実には主体となるべき住民の存在が語られなかった反省(私は合併反対論者であるが)が重要でもある。
                                          18年5月21日
後援会長の位牌に手を合わせ…
 私の後援会長が亡くなってから、本日がちょうど一年目となった。「次はどこに行くんだぁ」と、我家を訪問される度に聞かれていたが、四国八十八ヶ所巡礼の満願の御礼に高野山を一緒に訪れてから一週間目の逝去でもあった。
 今年も一週間前に四国の満願から高野山を訪れた。同じ宿に泊まり、同じ石段を登り、同じ道程を参拝するのであるが、一年の経過がまるで遠い過去のように思われてならない。
 四国を三巡し、まもなく四巡目が終わろうとしているが、13年10月から周り始め、西国、坂東、秩父の『日本百観音』も含め、5年近くが経過しようとしている。
 「次はどこに行くんだぁ」の一言が消えて一年。気にもしなかった一言だが、聞かれなくなると、聞こうとしても聞こえてこない。訪問し、仏壇の遺影に向かって手を合わせても、般若心経を唱えても、遺影は語りかけてはこない。
 「もしかしたら…」と思って四国を巡拝しても、自分の吐息と心臓の鼓動だけである。今にして思えば、頼りにはしないと思っていても、私の行く道を黙って後ろから同行していただいた一人の後援会長の存在によって、私は大きな力を貰っていた。
 「今から参ってくる」と、出向いたのは本日夜9時過ぎの事だった。この一言によって、最近親子の確執で無口になっていた母親が帰宅後に話し掛けてきた。考えてみると、今は元気な母親もいずれ物言わぬ存在となる。会長に手を合わせ、(神仏に無関心だった)物言わぬ会長から、生きている存在の大切さを教えられたのかもしれない。
                                        5月20日の一言
民間の横着も程々にしてほしい…
 この一言欄のウラ番組にあたる『ほっこり庵の独り言』に、「血の通う、お役所仕事を」なる一文が書き込まれていた。
 JR東海と名鉄の駅員の対応を比較し、JR東海には旧国鉄時代の『お役所仕事』の意識が残っているとの指摘である。私はJRを利用する機会がないので、その事には何ともコメントできないが、民間である名鉄の駅員も『無責任』な対応が多い。
 近年発行された名鉄の『百年史』と、昭和36年に発行された『社史』を読み比べてみると、時代の変化はどうしようもないが、企業の体質は近代化されたものの、地域社会との関係は明らかに希薄となり、人情を感じられぬ企業になりつつある。
 民間もお役所(行政)も一長一短があり、バリアフリーにおいてはサービスの良い名古屋市営交通は大幅な赤字が累積し、民間の名鉄はサービス以前の問題として不採算部門の切り捨てが続く。
 津島駅のエレベーターやトイレについても、名鉄のやる気は当初から皆無で、費用負担もほとんどが行政負担である事を名鉄の幹部には認識して欲しい。
 最近では駅の無人化によって無くなったトイレが地域の問題になっている。津島市長と美和町長が直接名鉄本社へ陳情に出向いたが、門前払いのような対応をされている。名鉄電車の利用客が求めるトイレ設置を、行政のトップが頭を下げて当事者の名鉄に陳情している『摩訶不思議』なる横着が知られていない。
 一方で、何でも行政との発想は無責任だが、行政も(自分の家族の問題のように)本気で取り組む意識が希薄であり、他人事のような名鉄の対応はサービス業としての意識すら持ち合わせぬ事と、かつては地域と親密な関係を築いていた名鉄創業の精神を『社史』から学び、魅力ある企業への転換を求めたい。
                                          5月19日の一言
女子として通学する男児の存在に…
 自分を幼少期から女の子と思い、男の子として生活する事を苦痛と感じていた小学校2年の男児を、兵庫県の公立小学校が女子として入学させていた事が報じられた。
 性同一性障害(GID)の診断をもとに、医師と相談した結果とは言うが、身体は完全なる男子ゆえに、成長とともに女子生徒の保護者からの反発も予想され、十分な議論の有無と同時に、軽薄な受け入れとの批判も免れない。
 現在この生徒は女子として身体測定も行い、トイレも女子便所を使用し、水泳の着替えも女子と一緒との事であるが、7才になるまでに矯正が不可能だったとは信じ難いし、思春期を迎えた時にどうするのか問題点も積み残したままである。
 医師のアドバイスを受けた結果とは言うものの、この児童の成長を考える時に、運動やスポーツの面だけでも、まともな教育環境は対外的に存在しないし、実社会での受け入れも非現実的である。
 女性思考の強い男性は存在するかもしれないが、男性は男性であり、いくら性転換を試みても男性が女性になって子供を宿す事は不可能である。
 個性の尊重は重要であるが、ここまで認める必要があるのだろうか。我々の子供時代であれば間違いなく『キチガイ』であり、そもそも存在しない存在でもある。
 一方では、「普通の学校に行きたい」と叫んでも、受け入れられずに特殊な学校に通学する、身体に障害を負った子供達も存在する。ここまで寛容な事例が存在する事から、誰もが希望する学校で義務教育を受けられる環境も急務である。
                                         5月18日の一言
今年はサクランボが無いのか…
 久々に時間の余裕が空き、「明日なら大丈夫」と約束した人を待つものの、雨の影響か『待ち人来ず』である。
 待ち人は来ないが、来て欲しくないのに執拗に訪れるのが、庭のサクランボを狙った鳥の一団である。「ギャー、ギャー」、「キー、キー」と集団でやってきては、掃除機のようにサクランボを食べ尽くし、追い払っても隙を見て飛来し、図々しくも見張りらしき鳥がこちらを見張っている。
 「今年はサクランボが無いのか」と息子が一言。無いのではなく、人間が食べ頃に気付く前の先週から鳥が飛来し、食べ尽くしてしまったのである。
 ムクドリらしき鳥のギャングは、春のサクランボに始まり、畑の農作物を食い荒らし、秋から初冬にかけては庭の柿ノ木の実がなくなるまで飛来する。
 こんな風景を見ていると、愛鳥週間なんて言葉は奇麗事であり、どうやって鳥を退治すべきか真剣な対策が必要となる。
 花火のロケット弾か、社会で問題になっているエアガン(模造拳銃)でも用意して、徹底的に退治したいが、四六時中見張っている訳にもいかず、空の事だけにお手上げである。
 観光地の軽井沢でもサルによる被害が報道されていたが、他所事ではなく自分の事となれば真剣である。「サクランボを楽しみにしているから」と言われていた人々の顔が思い浮かぶが、残り十数個になった今でも容赦ない襲撃が続いている。
                                         5月17日の一言
もっと悪くなければいけないのか…
 「どうしても本日中に連絡をしたい」との伝言が日曜日にあった。帰宅後に連絡すると、「どうしても今日中に会いたい」と言われ、「夜遅くなっても構わない」と一歩も譲る気配のない言葉から、尋常ではない気配を感じて訪問した。
 娘さんの結婚を機に家を新築し、両親と娘夫婦の4人家族であるが、傍目からは幸せとしか感じられない家族に悲劇が訪れていた。
 両親は年金生活者であるが持病があり、奥さんが入院する事になったが、同時期に娘さんの婿さんも脳卒中で倒れてしまったのである。早期に入院し手術を受けたため、後遺症は少ないものの、新たに職を探さざるをえない状況にある。
 両親に蓄えはあるものの、長期の住宅ローンは始まる前で、持病のある80歳に近い両親の年金と娘さんの収入では先々が思いやられる。
 「どうしたもんかなぁー」と言われても、健康な若者でも仕事が見つからない社会で、障害を残した体で採用してくれる企業を探す事は至難の業となる。
 当事者にならないと健常者は障がい者の生活に関心を持たない。一般に障害を持つと、障害者年金で生活できると思われているが、年金を受給する人々は極めて重度の障がい者であり、常に人の介助を必要とする人々でもある。
 「もっと悪くなければいけないのか」と言われても、本人にとっては後遺症が少ないに越した事はないが、何の保障もないとなると生活は破綻してしまう。住宅ローンも万が一の対応はしているが、契約時期の狭間にあり、銀行側の歯切れも悪い。行政の対応も障害の程度が軽いと何の対応も期待できない現状の中で、健常者と同じ働きを期待する事もできず、期待されて相談を受けた当方も『話し相手』にしかなれない現状が辛い。
                                          5月16日の一言
議員報酬の引き下げを求められ…
 午前中で終わる予定(過去の通例)の臨時市議会初日が、昼過ぎまで持ち越され、代表者会や議会運営委員会が午後1時からの再開となった。
 議長選がすんなりと済んだにもかかわらず、委員会等の所属を巡って3会派(自民系)の調整が難航したとの事だが、無所属の一匹狼(会派は2人だが)にとっては、役職やポストにこだわりがなく、自分の道を歩くのみのため、時間の浪費に思えてならなかった。
 一票しか持たぬ立場では、多勢に無勢としかなりえないが、今回の議長選の結果については、市民の厳しい視線が議員に浴びせられる事が予想され、結果には結び付かないが会派として独自の判断を示せた事を誇りに思いたい。
 午後に開催された議会運営委員会には、津島市特別職報酬等審議会から「平成19年4月の選挙後に、その職責の遂行と市民の代表としての立場を十分理解し、議員自らによる見直しの努力を強く期待する」として、議員報酬の引き下げを求める意見書が提出されていた。
 私が議員になってから、議員報酬の値上げは一度も無く、引き下げが続いているが、市民感情としては更なる引き下げを求められているとして真摯に受け止めたい。
 ただし、現状より引き下げられる事になれば、40代から50代の男性が議員を専業として務める事は事実上不可能となり、何らかの仕事を持たざるをえないため、高校生の息子を持ち、52才の私としては他人事ではなく、切実な問題にもなりつつある。
 議員と一口に言っても、息子が主力になり年金を受給できる人々も、社長業を兼務する人々も含まれており、議員の生活実態が市民に把握されていないまま、選挙違反の責任をとって報酬を半減している市長や、県下自治体との金額の比較だけで語るべき問題でもない。
 いずれにしても、「議員定数の半減」を求める市民の声が多い現実と、市民の役に立っていない議員の存在が問題ではあるが。
                                         5月15日の一言
息子達に猛省する母の日…
 本日は母の日との事であるが、いつ頃から慣習化された事かも判らず、我家には母の日を祝う習慣そのものが無かった事から無関心であった。
 しかし、バレンタインデーをはじめ、多くの記念日が創設されたり、節分に巻き寿司を食べたりと新しい慣習についていけない現実に戸惑いも感ずるものである。幸いにして、本日の母の日は、息子が県大会で3位に入り、東海大会へ出場する朗報を持ち帰ってきた。
 ただし、入学早々の息子が活躍できる甘い世界ではなく、本日の大会用に用意された車輪は40万円もする代物で、壊せば自己負担となり、転倒してケガをすれば自己責任となり、厳しいスポーツだけに傷害保険も対象外と聞くだけに、身の安全を祈るとともに、車輪よりも安い中古車に乗る自分との対比にも戸惑うばかりである。
 上の兄弟は体格も良く、高校からも誘いを受けて入学し、全国大会にも進んで入賞しているが、三男は身長が低いために陸上競技においては限界があったが、自転車という道具を駆使する事で陸上の脚力が生かされているようである。
 「下の子供ほど可愛い」と言うと、上の子供達に叱られるが、危険なスポーツだけに「大丈夫か」を連発すると、「オレ達も一緒だった」と次男の厳しい声が。
 考えてみると、相撲部に誘われた次男は、100キロを越す巨漢達と毎日ぶつかり、生傷が絶えなかったし、走り高跳びの長男も高校時代は薬物検査のために風邪をひいても薬が飲めず、大学入学後には大ケガを負っている。三男の活躍を内心喜ぶと同時に、無関心だった子供達に猛省する母の日になった。
                                         5月14日の一言
遅れた仕事に無力感が…
 四国から帰ったら会報に専念しようと思っていたが、早朝より息子のために名古屋競輪場に走る事となった。
 「不謹慎な」と思われるかもしれないが、今春高校に入学した三男が自転車部に入り、明日に開催される愛知代表選考レースを控えて、競技用の自転車を持ち込んだのである。
 帰宅後に迷惑メールを排除していると、メールの中に朝日新聞社から紙面モニター回答用のシートが送られており、内容に熟読を要する質問があった事から、四国巡拝中の3日間はゆっくりと新聞も読んでいないため、新聞の読み直しとなった。
 「明日は田んぼに肥料を」と言われ、スケジュールを見ると、高校の同窓会総会があり、明後日からは臨時議会が開催されると、会報はどうするのか。「合併号かな」と言われ、「いえ、いえ」と答えた言葉が身に凍みてくる日々が続く。
 さて、この一週間にも世間では色々な事が起こっている。亡くなった人もあれば、大ケガのスポーツ選手も存在する。そんな事を考えれば、苦痛にもならない心配であるが、受けた相談事の多くは家庭の重大な問題も多く、「役に立たない」と言われたくないと考えると、毎日が過ぎ去っていってしまうのである。
 今にして思えば、実に多くの相談を請け負っている。淋しいのは、忙しさから『美味しい話』を断らざるをえない現実である。昭和の終わり頃に、ミニコミ誌を発行していた事があったが、スポンサーの登場で再開できる環境はできたものの、これもスケジュールのやりくりから先送りどころか、お蔵入りになりそうである。
 会報、朝日旅行友の会、まちかど座談会、そろそろ中学校の同窓会報も。横井庄一記念館も開館が迫ってくる。「四国なんかに行っているからだ」と言われないためにも、しっかりとした計画が重要でもある。
                                         5月13日の一言
次は何所へ行くの…
 3日間の旅行の疲れ(睡眠不足)が直接体を直撃し、パソコンの前に座ったものの、自然に目が閉じて眠り込んでしまっていた。
 (翌日になって)見直すと、夢遊病者のような言葉が続けられていた。2泊3日とは言うものの、初日は深夜10時の出発で、仮眠はとったものの、マイクロバスの運転席に座ったままの毎日であった。
 原因は疲れではなく、余裕のための寝不足である。四国巡礼は山道や石段も多いが、一番寺周辺はほとんどなく、肉体の疲れがないために(頭が働いて)夜眠れなかったのである。
 寝不足か、旅の疲れかは判らないが、とにかく意味不明な言葉が書かれ、意味のない文章が続けられていた。
 2泊3日の巡礼を(昨年秋から)4回続けると、同行するメンバーは顔馴染を通り越して、身の上話までするようになる。そうなると満願を達成後に一抹の寂しさが漂うのである。
 初めて四国を巡拝した後には、西国から坂東、秩父と百観音まで達成してしまったのも、この気持の延長だったと思う。
 「次は何所に行くの」、「次の旅行は何時にするの」と聞かれても、最近では四国以外の気力が失せているのである。ただし、3回の巡拝で40人を超える人々が四国を巡拝した。高齢者が多いだけに同窓会的な集まりも重要である。
                                      5月12日(分)の一言
そんな事ぐらい…
 3回目の四国巡礼が満願を迎え、スタートした1番寺霊山寺に逆打ち(後ろから逆に巡拝)で到着し、鳴門の渦潮を見物後、大阪の四天王寺を経て、高野山奥の院と金剛峰寺に参拝、長谷寺に立ち寄ってから帰宅した。
 四国巡礼の中でも一番近い徳島県の巡拝は、コンビニの弁当で昼食を済ませた過去3回の巡拝と違い、レストランや食堂に立ち寄る余裕の巡拝となった。一日目も時間を早めに切り上げ宿に戻ったが、実は際どいやりとりがあったのである。
 天然温泉へのこだわりと、露天風呂のある御所温泉観光ホテルに宿泊したが、宿泊費の値上げがあり、1万円を超える料金を家内が提示されていた。会費3万円で2泊するためには、何としても1万円以下は絶対条件であり、「どうしても1万円以下で宿泊したい」と直接交渉である。
 しかし、最後の四国ぐらいは豪華な宿に泊まりたい。「四国から帰ったら減量している」との言葉は、食べきれない豪華料理で一蹴された。 (5月10日)
 余裕の満願であった。四国八十八ヶ所と別格20霊場の108寺を逆打ちで満願である。しかし、好事魔多しの諺が潜んでいた。
 「お父さんの朱印も済ませたから」の家内の一言で、「なんて事をしてくれたんだ」の怒りの大声に一同(参加者13名)はびっくりし、「そんな事ぐらい」と仲裁するお節介も。
 「そんな事ぐらい」では済まされない過ちである。自分一人で巡拝中の納経帳は、満願にはなってはおらず、これから半分くらい巡拝すべき中途の納経帳に、満願の期日を書き入れてしまったのである。おまけに、「昨年のだと思った」と、昨年の期日が期されていた。
 「一度書き入れた墨と朱印は消しようがない」との住職の厳しい一言。 (5月11日)
                                       5月10日・11日(分)の一言
家庭第一が教育に忘れられている…
 久し振りに高校時代の同級生が訪ねてくれたが、子供の教育を巡って考えに大きな相違があり、改めて議論の不足を痛感した。
 私は三男が本年高校に進学する前に、『愛工大名電』一本で、高校生活については、勉強は最低でも良いから、『クラブ活動』でクタクタになるまで汗を流して欲しいとの、親の希望を中学校に提出した。
 スポーツでは全国に名をはせる愛工大名電高で、全国レベルを見据えた厳しい練習に期待し、その後の進路は風まかせ(学校が責任を果たしてくれる)と思っている。
 同級生の息子は、地元の公立高校に進学しているが、程々にクラブをやって勉強で頑張って、大学に進ませたいとの話であったが、私とは大きく意見が分かれるところでもあった。
 スポーツも勉強も期待する事は、我が息子達には無理な注文であり、自分の高校5年生の体験と反省から、中途半端な高校生活より、体の限界に挑戦して欲しい。この後の考えも大きく違ってくる。
 私は長男の大学生活のため東京へ7年間も仕送りしたが、大手企業への就職内定を断らせて、就職のあても無いまま我家に無理矢理戻した。
 私は息子を有名大学に進学させ、一流企業に就職させたいとは思っていない。子供はいったん家に戻したいと考えている。
 この辺りが、「子供の好きな道なら何所に行っても良い」との世間の人々とは全く違い、このような世間の傾向が、最近の『老々介護』や『独居老人』の家庭を増加させており、家庭を第一に考える事の重要性を訴えていきたいと痛感した。
                                          5月9日の一言
NPO法人の再点検が必要だ…
 引きこもりなどの支援を目的とするNPO法人の代表や関係者7人が、入寮していた26歳の男性を自宅から無理に連れ出し、不法に監禁し死亡させたとして逮捕された。
 戸塚ヨットスクールの校長が釈放され、スクールの運営が話題にのぼる中で、類似の施設から事件が起こり、逮捕者まで出た事から動向に注目するとともに、NPOやNPO法人と地域の連携が叫ばれる中で、NPOの本来の主旨と、名称を隠れ蓑にした団体の精査が必要になりつつある。
 NPOは非営利組織の意味であり、政府や行政ではなく民間の団体である事から、民間非営利組織と呼ばれるべきであり、営利を目的としない団体の総称でもある。特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されてから約7年が経過する中で、多くのNPO法人が誕生し、地域の責任ある役割を担うようになってきた。
 ただし、利益をあげてもよい事から、多種多様な幅広い運用の中で、NPOとして疑問符のつく団体も誕生し、会社法の改正により、資本がなくても株式会社が設立できるようになった現状では、確固とした選別が必要となりつつある。
 最近の報道では、生活保護を受ける人々の金を主力にしたNPO法人も存在し、市民によるボランティア組織の延長上にあるため、行政も悪意を前提にした対応ができず、放置されている現状が報じられてくる。
 非営利団体だから何でも良しの世の中ではなくなった。今こそ、必要か不必要かの選別も重要な時期に直面しているのかもしれない。
                                           5月8日の一言
直接対話が重要なのに(村上×阪神)…
 本日の新聞報道によると、阪神電鉄は6日、村上ファンド側が株主として提案した取締役選任などに対して、10日までの期限をつけた質問状を郵送したと報じられている。
 3日前の一言に、『無策無能な阪神電鉄…』なる一文を記したが、阪神電鉄の株式約46パーセントを握っている村上ファンドに対する認識が甘すぎ、株主総会が間近に迫った今になっても郵送による質問状とは、経営陣の能力の限界だけでなく、自社の不利な現状すら認識されておらない事が不思議でもある。
 村上ファンドによる株取得発覚から今まで、具体的対抗策が何も示せず、村上ファンドの提案に対する質問状の郵送よりも、提案に対する阪神電鉄の経営方針を示す事と、何よりも必要な事は、村上ファンドの村上世彰氏と直接会って話す事ではなかったか。
 少なくとも、自社の株を有する株主に対しての対応とは思えない。「村上なんかに参入させない」と、読売新聞のトップに座る渡辺オーナーの無責任な発言や、「村上タイガース反対」と叫ぶファンの声も、何一つとして解決策にはならず、すべては筆頭株主にある村上ファンドとの直接対峙がなければ打開できないのである。
 村上ファンドの株取得が、投資目的か経営支配かは、村上氏の腹の中にあるが、少なくともライブドアのニッポン放送株買占めの事例からも、直接対峙を免れる事は考えられず、自社のプライドにこだわっても、泥仕合になるだけで、自社の無策無能を曝け出すのみとなる。
 既存の大企業にあっても、株式の半数近くも買い占められれば、資本と経営の分離が理想とは言え、実質経営権が移る事は当然の事でもある。「苦情をもらったら、つべこべ言わずに相手先に走れ」との、大阪商人の先人の言葉は死語になっているのか。
                                           5月7日の一言
見過ごされている現実…
 月日や季節の移り変わりの速さを、この一言欄で何度となく嘆いているが、忙しさにかまけて見過ごしている現実も多い。
 「事務局長の〇△さんは出勤されているでしょうか?」、「〇△は退職しておりますが」、「えっ、いつ退職されたのですか」、「昨年です」、「そうでしたか…」
 連休中ゆえに自宅への連絡を避けて、職場に連絡した事から一年前の退職を知った次第である。「どうしようも無い時は、遠慮なく言って」と言われていた人だけに、どの職場にもある定年制度とは言え、年齢を重ねるのは自分だけではない事を実感する事となった。
 さて、先日の事であるが、親戚同士の知人らが、「ところで我々は、どういう関係になるのかな」と話しだした。幼い頃に、双方に出向いて遊んでいた間柄でも、どういう血脈か知らないままの関係も実在する。特に次男や三男になると、双方が家元を離れ、直接の親戚としての付き合いが減るために、こんな会話となったようである。
 私と横井庄一さんの関係についても、「横井さんの母親の実家」と言うと判りやすいが、横井さんは私の祖母の従兄弟にあたり、私の子供達は祖母の名前は勿論だが、親戚の中でも知らない家が実在する。
 私の不在時の話であるが、「どちら様ですか」と家族が遠縁にあたる親類に発っした言葉である。父が亡くなり、家内だけでなく、母親も名前しか知らない親族の訪問を受け、双方がお互いの親族と思って顔を見合わせた事があった。横井さんが生前に、私の知らない我家の親戚を話した事があった。今となっては『死人に口なし』であるが、他人とでも親しく付き合う中で、遠縁とは言え親戚ぐらいは忘れないようにしたい。
                                         5月6日の一言
京都の魅力と私の勘違い…
 一言のウラ番組でもある『ほっこり庵の独り言』に、京都へ赴任中の話題が記されていたので、本日も京都の魅力と私の誤解について記したいと思う。
 嵯峨野にある化野(あだしの)念仏寺は、およそ8千体の石仏、石塔で有名な名刹だが、私の知人の親戚でもあった事から13年11月に訪問した。
 「ご住職はお見えでしょうか?」、「何ですか?」、「お見えですか?」、「だから、どんな要件ですか?」、「特別に用は無いけれど」、「だったら、ごめんなさい」…等々。
 一言一言の記憶はあいまいだが、観光客が連なる忙しさも手伝ってか、手土産まで持参していたものの、使用人に取り次いでもらえなかったのである。後々考えてみれば、当然の対応だが、人気にあぐらをかく対応として、受付の応対に不快感を持ち続けていた。
 今回は知人に連れられ嫌々訪問したのであるが、自分の愚かさも知らずに、重大な勘違いをしていた事が判り、念仏寺の悪評を伝えた分、今後は魅力を紹介する事となった。
 知人の従兄弟であった住職は、数年前から体調が悪く昨年亡くなっている。現在は、娘さんと結婚した相手が、僧侶になるために仏教大学に入って修行中との事で、家族一丸となって頑張って寺を守っている。
 京都の寺院を訪れる時、人々は観光地として、遊園地や娯楽施設に入場するかのような気分になってはいないか。観光客が殺到する事から、ゆっくりと魅力を感じる余裕もなく、人の雑踏による嫌な印象を持ち帰っている。今回の訪問で、お寺にも家族があり、本来の僧職がある事を再認識する訪問となった。
                                        5月5日の一言
お父さんに聞いてから来れば…
 昨日は京都に出かけ、嵯峨野から大原へと足を延ばして帰宅した。ゴールデンウィークで高速道路は渋滞し、京都も名所は人で溢れていたが、溢れるのは余所者の観光客ばかりで、道を一本逸れるだけで、道路は閑散としており、高速道路も渋滞をよそに余裕の帰宅となった。
 今晩になって娘が京都へ観光に出かけている事が判明した。私が昨日訪問していた大原の宝泉院に出かけている最中との話である。
 午前中に犬をつれて訪問したところ、拝観を断られたとの事で、夜のライトアップに再度出向いているとの話であった。犬の同伴は非常識と思い電話をすると、「前には住職が良いよと言ってくれた」と娘が話したが、私が連れて出向いた際に住職が犬の同伴(犬のカバンに入れての話です)も許可していたようである。
 住職に声をかけるように伝えると、「住職の姿は無かった」、「お父さんが電話するから」、「恥ずかしいから」、「せっかく出向いたのに」と押し問答後、昨日の訪問先や体験を伝えると、「お父さんに聞いてから来れば良かった」と呟いた。
 嵯峨野は渋滞で車が入れず、金閣寺は駐車場が満杯で諦めて通り過ぎたとの話であった。せっかくの京都が台無しであるが、京都の魅力は『いちげんさん』には『それなりの観光客』の体験しかできないのである。
 私と一緒に出歩いた体験から、観光客ではなく、来客として扱われていた京都の体験との違いを本日実感したようでもあるが、京都の魅力は一度や二度では判らない。何度も訪れる事で顔馴染となり、観光客には見えない風景が見え、観光客とは違うもてなしを受けると『やみつき』となるのである。
                                         5月4日の一言
無策無能な阪神電鉄経営陣の勘違い…
 阪神電鉄の株式を買い占め、筆頭株主となった村上世彰氏率いる村上ファンドが、阪神側に9人の役員の実名をあげて要求している事が明かされた。
 ただし、阪神電鉄側からは経営陣の経営責任を反省するどころか、巨額な資金を投入して筆頭株主となった村上氏の批判を繰り返し、長年のライバルでもあった阪急電鉄と身勝手な経営統合を画策している事は、株主の権利を無視するばかりか、株式会社としての企業責任も持ち合わせず、阪神タイガースファンを扇動して筆頭株主を悪役にしたてている現実には厳しい批判が必要である。
 村上氏を悪役として報道するマスコミにも反省が必要である。村上ファンドは投資ファンドであり、投資した資金をいかに大きくするかが求められており、今回の買占めが合法な手段で行なわれている事から、問われるのは株式を公開して資金運用している阪神電鉄のずさんな経営体質である。
 阪神タイガースの人気と収益にあぐらをかき、村上氏の買占めが発覚すると、「ハゲタカ」、「経営支配」と批判し、身勝手に球団を身売りした過去を持つ阪急電鉄に救いを求めるとは、言語道断であり無策無能の経営陣としか思えない。
 村上ファンドも巨額の資金をかけており、要求の結末によっては、経営参画によって大きなリスクを負う危険もはらんでいる事が忘れられている。さて、一番の問題は、筆頭株主の村上氏だけでなく、一握りの個人株主の存在も阪神電鉄には軽視されている事である。
 多くの人々の資金を提供されている企業責任に乏しく、現在被告人とされている堀江貴文氏個人でも運用できそうな資金も用意できない、虚弱な経営体質を自覚する事と、経営陣自らの反省が最重要である事が忘れられている。
                                         5月3日の一言
京都の名刹も悪質メールが占拠中…
 久々に京都に出かける(元旦以来)予定をたて、大原宝泉院のホームページを開いたところ、掲示板は卑猥な迷惑メールで埋め尽くされていた。
 『激アツ!エッチな男のアルバイト』、『セックス日記』、『人妻セフレ交際』などと掲示板が占領されており、無料動画ダウンロードし放題と書かれ、英語の文章が書き綴られている。
 こんな状態の掲示板に書き込む事もできず、直接住職に電話で伝えたところ、ホームページは人任せになっており、削除もままならぬ様子である。「簡単に消せるだろうか」と問われても、他所の管理用パスワードを聞くわけにもならず、観光名所としてイメージは悪いが、明日以降まで見苦しいままになりそうでもある。
 かつてはJR東海のキャンペーンに取り上げられ、外国への観光PRに使われた名刹まで侵入する迷惑メールの存在に、毎日の日課となった削除の苦労が思い出されてきた。
 情報化社会の中で、パソコンのメール送信が当り前とされ、ホームページの存在が個人商店や施設などの信用と格付けとなりつつある現代社会で、法の網をくぐり、情報化社会の弱みに付け込んだ悪徳メールの糾弾は、迷惑を通り越し相手に損害を与えており、司法による厳しい対応が急務でもある。
 明日は、大徳寺門前の細見酒店を基点に、嵯峨野の化野念仏寺に立ち寄り、宝泉院のライトアップで筑前琵琶を鑑賞する。ゴールデンウィークの真っ最中であるが、本日も連続する訪問者の対応で一日が過ぎ去り、平日であった事を認識したが、帰宅後には会報を完成させますのでお許しをいただきたい。
                                         5月2日の一言
事故や事件に連休は無し…
 もう5月である。日に日に日時の経過が早まり、1ヶ月はあっと言う間に過ぎ去り、家の中では一枚余分に羽織っている衣装も、外では真夏日の様相にびっくりの一日である。
 桜が咲いていたのはもう過去の出来事で、庭にはサクランボや杏の実が大きくなっている。つくしは何時の話だったのか。過ぎ去った日時を惜しんでも取り戻す事はできず、「まだかな?」と問われる会報は、予定を1ヶ月経過したにもかかわらず発行に至っていない。
 「今日こそは」と、早朝から机に座っていると来客が続き、外出すると相談の電話ベルが鳴り続ける。ゴールデンウィークとか9連休と浮かれているが、高齢者や病人をかかえた人々にとっては、行政や施設が休みとなるゴールデンウィークは迷惑な存在でしかない。
 本日も国内では悲惨な事件や事故が相次ぎ、テレビのニュースキャスターが嘆いていたが、浮かれていると大変な事故や事件に巻き込まれる。
 「何で、この真夏日に…」とキャスターが呟いたが、北アルプス針ノ木岳で雪崩が発生し、巻き込まれた5人のうち3人の死亡が確認された。先月から各地で雪崩が発生し、気温が上昇したり雨の場合は危険と警告されているが、安易な登山や山スキーも多い。
 本年は積雪が多く、穂高岳にある岳沢ヒュッテも雪に埋もれ、その所在すら不明との事で、先月27日に予定されていた小屋開けも延期となり、小屋の主人である上条岳人氏は「入山もままならない状態」として、施設を利用する登山者に山行予定の変更を求めている。
 「5月の連休に雪が降った」と言うと、「まさか」という顔をされるが、十数年前に予想しない積雪を上高地で経験した。情報化社会の中で、確実に危険のキーワードが示されているにもかかわらず、安易な事故が続く事から、我々は情報化社会の中で自然界に対する大きな勘違いを犯しているのかもしれない。
                                          5月1日の一言
続・戸塚ヨットスクールについて…
 昨日の一言について、誤解を与えないためにも、本日も戸塚ヨットスクールの続編とする事にしました。
 2人の死者と、2人の行方不明者(現実には死者)を出した事については、指導の行き過ぎがあった事は間違いがないが、この施設を頼った親達の責任は何もなかったのか。
 戸塚校長が刑を終えて出所した事について、生徒の遺族は一斉に批判するコメントを発言しているが、学校や行政が頼れず、親が無責任にも頼み込んで入校している現状をどのように理解すればよいのか。
 遺族の一人は、全身傷だらけの息子の姿は見るに耐えれなかったと発言しているが、今春高校に入学した私の三男は、「ケガをして上達し成長する」とクラブ指導の顧問から言われて入部しており、かつて相撲部に在籍した次男は、入学後1年間はケガと傷まみれの中から全国大会出場の結果が導かれた。
 戸塚校長は、「体罰は教育」の持論を展開し、今後も自己の信念に基づいた指導を続けていくと発言している。
 学校に登校できず、教師や地域のあらゆる手立てによっても救う事ができず、親として自分の子供すら説得できない現状の中では、一つの手段として『戸塚ヨットスクール』の存在も否定する事は現実的ではないと思われる。
 体罰も限度はあり、人が死ぬ事は望まないし、戸塚校長も反省の言葉だけでなく、行き過ぎた体罰の改善は図っており、今後は教育の面からも成果の検証と調査をすすめ、今までの実績が有効に生かされる事を祈っている。
                                         4月30日の一言
戸塚宏校長の経験を無にしない…
 本日は傷害致死罪で6年の実刑判決を受け、静岡刑務所に服役していた戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長が刑をおえて出所した。
 今から20数年前の事件の決着がやっと終わった今になって、戸塚校長の年齢は65才に達しており、人生の最盛期を裁判から服役に明け暮れた事は、事件の賛否は別としても、ヨットスクールの役割を必要とする人々にとっては、もったいない事でもあった。
 もっとも本人は、「人を殺そうとして起こした事件ではない」として、裁判の再審請求を検討しているようではあるが。
 さて、最近では人の生命を簡単に奪う事件が続発しており、弱者を救う立場にある福祉施設でも虐待死が起こっている。ヨットスクールの事故によって、戸塚宏校長を『殺人鬼』のように扱う報道もあったが、津島市でも本年1月現在で60数名の不登校(1ヶ月以上の長期にわたって学校を欠席している)の生徒がおり、その中でも16名は非行が原因による欠席と報告されており、行政や学校の無策が戸塚ヨットスクールの存在を必要としている現実も考える必要がある。
 東京都知事の石原慎太郎氏は、戸塚ヨットスクールを支援する会の会長をつとめ、行政の無策を批判すると同時に、ヨットスクールの培ってきた問題児矯正の教育ノウハウを学び、そこから教育荒廃を克服していきたいと語っている。
 問題は、他人事ではなく、身近な学校にあっても、問題となる児童は存在しているものの、問題を放任してあるだけで、解決に向けた努力は見られずに、保護者だけが相談もできずに困っている現状が理解されていない。
 成人となっても、ニートや引きこもりが社会問題となっているが、義務教育の段階から無気力教師の指導力不足が原因となっている場合も多く、この事件を『傷害致死罪』としての結末にせず、教育問題として再考する事が重要でもある。
                                         4月29日の一言
明らかな欠陥農道を通りながら…
 車が古い事もあるが、議員の立場にある事から、市内を走る場合には事故防止のために多少は安全運転を心がけている。
 本日は所用で出掛けた際に、すれ違いの難しい細い道路で待機していたところ、右折してきた対向車が猛スピードですり抜けていった直後に、「ガー、ガー、ゴットン、バッタン」と路肩に脱輪して傾いていた。
 ゆっくりとすれ違えば、何も問題の無い道路であるが、お互い様の気持が無く、横着な運転をするとこんな顛末も起こりうるのである。
 ただし、自己責任とは言うものの、帰路に現地を確認すると、アスファルトの外側に土止めの土は無く、まるで垂直にせりたっており、脱輪すれば間違いなく車体が道路に擦り、回復はできない欠陥道路であるが、茂る雑草により脱輪するまで判らないのである。
 周辺を見渡すと、ここだけであるが、田んぼの所有者が道路いっぱいまで耕作する事による土の崩落が原因と思われるものの、市道であれば当然市の責任も問われる問題であるのかもしれない。
 車から無造作に捨てられるゴミに農家は泣き、道路際の農家の横着によって車や歩行者が泣かされている現場もある。明らかに問題ではあるが、行政としても手のつけようもない現実が横たわっている。
 さて、ゴールデンウィークとは言うものの、農家が主体となっている町内は、農業用水の掃除や側溝の掃除などが日程に組まれており、サラリーマンの所帯には不評でもある。そういう我家も昨年に引き続き、予定を変更する事となった。かと言って、高齢化している中で、比較的若い人々が集まれる日時を決定する事も苦難となっており、農業を敬遠する傾向に歯止めをかける事の難しさを痛感するばかりである。
                                         4月28日の一言
どこかで出会った人ではあるが…
 本日は3回目となる防災ボランティアコーディネーターの訓練が海部総合庁舎で開催され、津島市は弥富市や蟹江町のボランティアと一緒に活動した。
 3回目となると、初対面の人もあるものの、顔なじみともなり、前回よりスムーズな進行になりつつあるが、参加者の素性が判らない事から、お互いが一歩引いた訓練は仕方ない事かもしれない。
 その中で、参加された中の一人は、明らかに過去に出会った事のある人物だが、名前が出てこない。かなり長く会話を交わした記憶もあるが、さて、はて、何処で出会った人なのか。2時間が過ぎ、何とか出会った確信だけから、人違いかもしれないが声をかけてみた。
 「何処かでお会いした記憶があるが」、「そうですか」、「何所からの参加ですか」、「弥富」、(じゃー、やっぱり人違いかと思っていると)、「弥富と言っても十四山だけど…」の言葉が。
 「何をしてみえたんですか?」、「昔は教員でした」、「じゃー、高校の?」、「そうです。海南で」、「校長先生ですね?Tさんですね」、「そうです」、あーやっぱりそうだった。私の機嫌が悪いと会話すら無かったと思われるが、久し振りの再会でもあった。
 「10年ほど前に、神守から小学校か中学校の講演をお願いに行った…」、「じゃー、毎日か何か新聞社の関係の方だったね?」、「そうです、朝日です」、「学校にも来てもらったね」、「ハイ、行きました」、「後からたくさんの写真や広報を送ってもらって」、と懐かしい昔話に花が咲いたが、肝心の依頼した行事が思い出せない。
 退職されて10年が経過しているが、十数年前の記憶から、当時Tさんを推薦された津島市内のKさん(人間国宝に推薦したい人)とも久しく会っていない事から、寄り道となり昔話に花を咲かせて帰宅した。いつでも会えると思っていると、そのままになってしまう人も多く、ずいぶんと多くの人々との交流が途絶えている事を実感した。
                                        4月27日の一言
「ワシよぉ、ガンだったゎ」の一言に…
 昨晩の火曜日は、毎週7時半から書道教室(神守丈友会)が開催されている。来客のために近所の喫茶店から1時間遅れで走っていくと、指導者の後藤毅先生から思いもよらぬ言葉が発せられた。
 「ワシよぉ、ガンだったゎ。そんだから、手術すると3週間は来れんで、手本はまとめて持って来たから、大鹿さん、コピーしてやっとってちょー」、「…」、「…」、…
 予想しなかった言葉に返す言葉が見つからない。胃の調子が悪く、検査中であり、昨日も病院に行かれていたが、来られた事から『異常なし』と思って走ってきたが、こんな言葉を聞かされると顔まで病人のように見えてきた。
 「本当の話ですか?」から、一同が思い思いに「最近はガンでも大丈夫だから」などと励ましているつもりが、際どい話が続き、悪い事例まで出てしまい、励ますつもりが心配させる結果になってしまったかもしれないが、「皆さんの顔が見られて良かったわ」と言って帰られた。
 連休が迫っており、連休後に手術のために入院のようでもある。最近の話題は、習字の話題よりメンバーで行く旅行の話に熱中していただけに、別れ際の先生の言葉にも不吉な予感がし、しばし病気の話で居残りとなった。
 まったく予期せぬ話であったが、平成6年から続けてきた『丈友会』存亡の危機でもある。神守中の恩師であった長谷川丈夫先生の指導で始まった事から、『丈』をとった名前になっているが、その本人も施設に入所中であり、後藤先生も合併前の佐織町最後の教育委員長であった事から、責任ある重石が無くなる事の良し悪しまで考えさせられた。
 こうなると大変である。『横井庄一記念館』の看板が先生の手で完成しているが、記念の写真を撮り忘れており、これをどうすべきか。時期が時期だけに何ともし難い。
 とにかく、無事を祈り、秋の旅行から数年後になっても懐かしい思い出話となる事を想像したい。昨晩は、家族の心配から、結局は自分の心配となり、深夜に脳卒中について放映していたテレビの感化を受け、血圧を下げる為の『酢』を探し続けたのである。
                                        4月26日の一言
微罪も許さぬでありたいが…
 無関心で他人事であった愛西市の市議会議員選挙であるが、隣接している地域だけに多くの声が届けられ、自分の参考にもしたいと考えている。
 新聞にも報道されていたが、立田と八開の旧2村の活躍が目立ち、旧立田地域から5人と旧八開地区から4人が当選した。合併前の人口を比較すると、佐屋町が3万人を上回り、佐織町も2万3千人近い人口に対して、立田は8千5百人前後、八開は5千人しか人口が無かった事を考えると、佐屋から11人と佐織から10人の当選は意外な数字でもある。
 当初の前宣伝では、一部の議員を除き旧2村は共倒れではないかと言われていた。投票率の地域格差が判らないが、当選の確率が高かった旧佐屋地区から5人が落選し、旧佐織地区からは3人が落選した。
 1人の落選のみで、5人を当選させた旧立田地区の躍進は、人口比率を考えた時に驚異的な数字でもある。国政では千葉7区の結果をマスコミが色々分析しているが、隣接する地域の結果だけに他人事とせず検証も必要と思われる。
 ただし、新しく合併したばかりの選挙だけにケチは付けたくないが、私の感覚では『選挙違反』の話(厳密には細かくても公職選挙法に抵触する)も多く、文書違反の現場を直視し、「こんな事が許されるの」と耳の痛い話をした関係者もあった。
 しかし、選挙違反はどこまで取り締まるのか。地方政治における選挙違反の多くは微罪である。個々は微罪ゆえにと放置されると、真面目に法を遵守する候補者にも影響し、「ケチっている」との誤解や選挙に対する意欲を疑われる現実がある。
 来年は総選挙の年でもあり、議員が正々堂々と政治活動をすすめる為にも、選挙違反には『微罪も許さぬ』厳しい対応が必要でもある。
                                        4月25日の一言
眠ったままのカメラを取り出し…
 津島神社に近い天王通りに、私の名前を記した政治団体用の看板が立てられている。主が亡くなって6年が経過するが、かつては老舗の『ライオン写真館』として営業されていた。
 不幸な事に、主人の長谷川さんには子供がなく、誰が相続されたのかは判らないが、御本人の生前からの遺言で私の看板が立てられているのである。亡くなってから誰も足を踏み入れた事のない家の中には、本格的な写真撮影機材から、30万円近いニコンの一眼レフ(亡くなる当時の最新式カメラ)や、ローライのコンパクトカメラも眠ったままになっている。先立たれた奥さんの位牌も、先祖の仏壇もである。
 私がここに出入りするようになったのは昭和40年代の事であるが、一時は誰も入れない暗室にも入り、葬儀用の写真が出来上がるのを眺めていた。「ここには誰も入れた事は無いんだぞ」と言われ、写真の技術を教わり、写真展を開催したのも『ライオンさん』のお陰でもあった。
 ここが営業を休止するのと平行して、私の写真撮影の機会もなくなり、最近はカメラが遊んで眠ったままになっており、カメラを持って外出してもシャッターを押す事は少ない。
 ただし、置かれたままのカメラは死んではおらず、私の一番のお気に入りである『キャノンAE-1プログラム』については、数年前にオーバーホールまで済ませ、新品の機能に回復させたものの、一年に一度だけ上高地に同行するのみである。
 中学時代に買ってもらった『ミノルタハイマチック9』もオーバーホールによって現役の筈であるが、10年以上フイルムが入っていない。
 主の居ない『ライオン写真館』に立つ自分の看板を眺め、中で眠ったままになっている写真機材を連想していると、我家に眠ったままのカメラが急に気になり帰宅後に取り出した。
 世の中がフイルムからデジタルに移行した今、我家の歴史を映してきた5台のカメラにあえてフイルムを入れ、残された歴史を映していきたい。
                                       4月24日の一言
となりの選挙に無関心への反省
 隣の愛西市では市議会議員選挙が告示され、本日が投票日となっているが、一切のかかわりを持たなかったので他人事のようでもある。
 数件の候補者の支持者から応援の依頼もあり、多少は旧知の議員もあったが、元々が町村議員のために本業を持ち、自分のように議員を専業として活動していない候補者の応援に走る事は、自分も候補者と同程度の活動内容と思われるのが嫌で、義理人情やシガラミを捨てて一切の話を断ってきた。
 ただし、こんな自分の小さなコダワリは、大きな意味においては、隣接する市の議員との情報交換や連携の上ではマイナス思考であったかも知れない。
 「いずれは津島市とも合併だろう」と言われる愛西市民も多い。しかし、同じような人口規模ではあるが、愛知県の海部事務所を頼りにしてきた町村役場と、昭和22年市制施行の津島市との行政レベルには大きな格差があり、合併により国の財政支援に依存できる愛西市と、厳しい自主運営を強いられる津島市との温度差はいかんともしがたいのである。
 津島市民の税金が年間10億円ずつ投入され続ける市民病院に、一切の支出もせずに同じ待遇で診療を受ける愛西市民に対する反発の声も大きくなっている。同じ地域の中で、対等の立場での議論ができる環境づくりは、新しく選出された愛西市議会の動向によるところが大きいと思われ、新たに選出された議員の動向にも注目していきたい。
                                         4月23日の一言
多発する地震情報に…
 昨晩から今夜の未明にかけて、伊豆半島を中心に地震が頻発して発生しており、新聞でも報道されてはいるものの、震度が低い地震については報告されておらず、深夜族ゆえにテレビから連続して流される地震情報に危機感を感じていた。
 昨晩から朝までに伊豆半島沖では9回の地震が起こっており、18日から通算すると伊豆半島周辺だけで31回の地震が発生している。恐ろしいのは、この間に和歌山県や釧路沖、宮城県、新潟県、栃木県、豊後水道と全国にまたがり、奄美大島近海でも連続した地震が発生しているのである。
 本日の午前1時21分頃には岐阜県美濃中西部でも震度2の地震が起こっている。こうなると自分の家が揺すっていないだけで、日本中で地震が発生している現実から、危険が指摘される東海地震や東南海沖地震がいつ起こっても不思議でないと思われてくる。
 「いざという時に」と、複数の人々と防災時に役立つボランティア団体の設立を目指しているが、いつ発生するか判らない災害のために日にち延ばしになっている。これではいざという時の役には立たず、早急の立上げが必要でもある。
 防災訓練についても何回も開催されてはいるが、緊迫感が希薄である事は否めず、高額の費用をかけてもらって受講した講座や訓練の経験を生かすためにも、計画した事案の消化や、やるべき仕事を早急に済ます責任も痛感するが…
                                       18年4月22日の一言
貧乏人の私を頼られても…
 一見して何事もなく、一日を消化しているが、やるべき事を棚上げしたり、先送りしているだけで、結局はやるべき事はやらなければ終わらないのである。
 一ヶ月前の忙しさは、1月から配布した会報の反響であり、会報の配布が遅れている(横着で着手していない)事から、その後の返信が止まり、何とか平穏になりつつあるが、市民の中には平穏とは言えない人々も存在する。
 「6月になれば何とかなるが、明日の生活が…」との電話があった。最近は困った連絡がなく、安心していた人からであるが、一度傾いた生活を安定させる事は非常に難しい。
 高齢の一人暮らしであるが、高齢との認識が薄く、年金も平均以上ある事から、無駄な浪費も多く、人も良い事から大船に乗った心境で借金を繰り返してきた。一度作ってしまった借金を背負いながらの生活は際どいものだが、本人にはその自覚もなく、借金が無くなれば新たな借金を生むのである。
 6月になればの一言も、新たな借金ができるメドがあるからである。人より多く受給する年金を担保にする借金で、言うなれば年金の前借にあたり、これを繰り返してきた生活から、借金との認識は皆無のようでもあり、神経を疑いたいが本人はいたって平然としているのである。
 相談された当方も、個人情報については細かい内容が判らず、行政と一緒に改善策を考えて指導してきたが、一年前からは担当者が異動したために、困窮する生活を相談できずに月日が経過したらしい。
 行政との連絡から、本人が当座の借金を希望している事が判明したが、貧乏人の私を頼られても力になれず、行政の指導にも拒否反応との話に、議員としての関わる事のできる限界と、関わるべき限界について考えさせられるとともに、離れて暮らす子供達の心境を知りたいが、とにかく大変な週明けが予想されてきた。
                                         4月21日の一言
寄り合い所帯の難しさ…
 本日は海部総合庁舎で開催された防災ボランティアコーディネーターの支援本部立ち上げ訓練に参加した。海部地域全体からの参加であるが、津島市と近隣市町村との連携の難しさについて改めて考えさせられる一日ともなった。
 13日に開催された第1回目を四国遍路のため欠席している事から、遠慮して様子見の参加となったが、津島市からの参加者が少なく、メンバーの内訳も判らない参加の中から、次第に進行役の人々が自分より経験の少ない『初心者』である事が判ってきた。
 養成講座の資料となったガイドブックを頼りにする進行に、参加した防災訓練の経験から発言を始めたが、ボランティア体験の有無や、どの程度の関わりかが判らない人々との連携の難しさだけでなく、市町村の温度差や、過去の協力関係の少なさを実感した。
 さて、津島市のほかに新しく誕生した2つの市と愛知県の関係も、今までの何事も海部事務所経由とは違った新たな関係になり、今までの町村としての関係から市としての対応が始まっている。
 日韓関係の厳しい対立が伝えられるが、隣接市町村の協調不足だけでなく、津島市内からの参加者同士すら面識の無い現状に違和感を覚える一日となった。
                                         4月20日の一言
同じ見出しに喜びたいが…
 1泊2日で夜は松坂牛を堪能し、お土産つきで招待される人の話(ほっこり庵の独り言)を読んだ後で、開けた自分のメールの受診箱にも同様の案内がありました。
 しかし、「おめでとうございます」、「無料サービス」、「選ばれました」の見出しは同じであるが、中身は風俗関係の卑猥な内容の連続である。
 日によっては20通を超える迷惑メールが届けられ、削除が定期的な仕事にされており、時には重要なメールまで削除してしまい、後日になって困る事もある。
 最近は止まったが、『朝日旅行友の会』と『明日への道』の掲示板まで、悪質な書き込みが連日続き、一時は掲示板を閉鎖しようかと思った程であったが、根気よく削除を続けた結果、約1ヶ月で書き込みが無くなったが、メールに関しては止まる事なく続いている。
 こんな迷惑を通り越した犯罪に近いメールを野放しにすれば、犯罪の底上げになる事は間違いなく、真面目な人でも反撃したい心境になるのである。相手のパソコンが壊れてしまうウイルスを入手し返信で送りつけたくなってくる。
 現在、津島市役所で私のホームページを閲覧しようとすると、旅行や市民からの手紙などは閲覧できなくなっている。迷惑メールを排除するための規制がかかっており、問題の無い公的情報まで入手できない弊害が出ているのである。
 便利な情報社会を共有していくために、悪質なメールや情報への監視強化と摘発を実現させる事は急務な社会問題でもある。
                                          4月19日の一言
ボランティアの再検討…
 世の中の考え方が多種多様になっているが、不自然な対応や道理に合わない事も多くなっており、ボランティアに関する要件には批判する事もできないため、放任された『お節介』な事例も野放しにされている。
 個人主義から身勝手主義も罷り通る中で、人の役に立つボランティア精神は重要であるが、本当に必要なボランティアかどうかの検証も必要な時期になりつつある。
 津島市民病院でも多くのボランティアの手を借りているが、必ずしも人の手助けを必要としている人ばかりではなく、苦痛でも人の手を借りたくない人も存在する。
 「はい、どうぞ」と、一見すると手際よいボランティア活動も、「止めてくれ」とは言えず、当事者には口惜しい気持ちの人も存在する。市民が市民の世話をすると、中には犬猿の仲の相手も存在する事から、後々まで口惜しい記憶が残される場合もある。
 必要な人にとっては有り難いボランティアも、受けての中には迷惑な人も存在する。人を相手にするボランティアについては、相手の気持ちが最優先されるべきである。
 最近では高校入試や大学入試にもボランティア活動を評価する学校が増えているが、親のスネをかじる子供達にボランティア活動を必須とする動きには警鐘を鳴らしたい。
 親に養育され、自立していない子供達には何が一番重要かを考えるべきで、人の役に立つボランティア精神は重要だが、活動を強いる必要はない。最近では、災害時に学校での募金活動の際に「おおよそいくら位」と言われ、親の金をせびる子供も存在する。高校にボランティア部が存在する時勢を再検証してみたい。
                                          4月18日の一言
本日も心機一転の一言…
 心機一転と思い、本日は自転車での外出を試みたが、冬と同じように寒い事に閉口するとともに、寄り道が多く帰宅が大幅に遅れた。
 昨晩は久し振りにかつての同業者からお誘いの電話があったが、わざわざ津島市まで出向いてもらっての誘いを多忙との理由で断った。本当は多忙でも何でもなかったが、深夜まで続きそうな宴席のため断ったのである。
 こんな事は珍しい事であるが、最近は不摂生な生活が続いており、心を鬼にしての断りであったが、その割には何も進捗するものがなく、市役所での残務整理のみとなってしまったのである。
 さて、この4月から9月まで朝日新聞の『紙面モニター』を引き受ける事となった。議員になって7年が経過したものの、時々かかってくる朝日関係者からの電話から、未だに朝日新聞社に未練を残している自分と、毎月通った名古屋本社の前を一読者として素通りする現実が交差している。
 3日間の四国遍路によって、溜まった仕事にバンザイし、仕事のストレスは一掃されたが、会報の発行を中断する事は過去の努力を無にする事となるため、早急の原稿書きと印刷が急務であるが、3月議会から1ヶ月も経過するとピンボケでもある。昨日の断りを無にせぬためにも本日も心機一転を一言にしたい。
                                         4月17日の一言
携帯電話とともに完全休養日…
 携帯電話が古いとからかわれる事も多いが、本日は電池切れで切れたままの画面を良い事に、一日中を完全休養日にしてしまったのである。
 四国遍路の疲れは当然あるが、昨晩は四国巡拝の整理に熱中していると、まだまだ未熟な四国通である事を実感した。そして、気が付けば朝であった。
 四国に行く直前まで遅れて溜まった仕事が山積し、四国巡りで気分一新したいと10日の一言に記していたが、完全な開き直りが本日の『完全休養日』でもあった。
 まだ楽隠居できる年齢ではないが、成り行きで始めた自営業から、自分の選択とは言え、これまた成り行きで立候補した議員生活。本当にやりたかった事は何だったのたかと、30年前の反省をしても時間は後戻りがきかないのである。
 四国巡礼中に近所の訃報が届けられた。初めて選挙に立候補した7年前、御夫婦で市内各地へ私を連れ歩き、街宣車にも乗り込んだ人であり、同級生の親でもあるが、数年前に奥さんを亡くし、本人は長期入院の身でもあった。
 葬儀にも駆けつけられず、後援会役員の代理参列となったが、悲しいのは現在の生業としている議員の根性である。故人と声を交わした事もなく、縁もない筈の議員が葬儀に来賓として参列しているのである。
 この逞しさが議員に要求されるとしたら、私は完全に議員失格であるが、見知らぬ家の葬儀に堂々と来賓席に座り、イベントでの宣伝を主力とする議員の存在が、議員の志や目標に対する気力を減退させ、議員としての職務を続けるにあたり大きな障壁になっている。本日の完全休養を明日からの源にして心機一転と行きたい。
                                          4月16日の一言
久々に情を感じさせるプロ野球…
 13日夜のプロ野球で、巨人軍の桑田真澄選手が広島を相手に通算173勝目となる勝利投手になった。
 昨年は好投しても救援投手が逆転されたり、味方打線が振るわず1勝もできないままにシーズンをおくり、心無い人々からトレードとか引退との陰口を受けながら、600日ぶりとなる1勝に心より祝福を贈りたい。
 「長かった。勝てなくなって、今まで経験したことがないほど、みんなに励まされてきた。生きてるというより、生かされてるんですよね」の言葉に実感がこもる。
 入団時に巨人軍を熱望した清原選手の敵役として、汚いイメージを植え付けられ、不動産への投資に失敗し巨額の借金を抱えたのち、右ひじの手術による休養、先発投手から救援投手への配置転換から勝ち星に恵まれぬ月日が経過した。
 しかし、桑田投手の生活は入団時から変わらぬ真面目な練習を続け、人々の中傷にも巨人軍のエースナンバーを背負う選手として、指導者達の指導を必要としない、自己に厳しい自己管理を続けてきた事はあまり知られていない。
 世間のイメージとは違い、相手を傷つけたり中傷する事なく、黙々と練習を続けてきた実直な求道者としての桑田真澄選手を改めて応援したい。
 さて、本日勝ち投手となった内海選手の背番号26番は、彼の祖父が巨人軍時代に付けていた背番号との事である。テレビの時間切れでインタビューが終わってしまったが、この話題となると最近緩くなっている涙腺が心配でもあった。
 球団やオーナーの言動の悪さから、選手のイメージまで悪くされているが、義理人情を語れる選手の活躍を心待ちにしたい。
                                        4月15日の一言
四国八十八ヵ所巡礼の旅…
 4月11日午後10時自宅発(津島市内巡回)--名神羽島IC--(西宮名塩SA・休憩)--山陽道--瀬戸大橋経由--(豊浜SA・休憩)--宇和島自動車道--愛媛県到着12日午前7時30分
 〇4月12日午前7時30分・第40番観自在寺(愛媛県南宇和群御荘町)拝観---第39番金剛福寺(高知県土佐清水市)---38番---37番---別格5番---36番---第35番清滝寺・タクシー使用---(宿泊 国民宿舎・土佐)
 〇4月13日午前7時35分出発---第34番種間寺---33番---32番---31番---31番---30番---29番---28番---27番---26番---25番---第24番最御崎寺---(宿泊 ホテル・ホワイトビーチ)
 〇4月14日午前7時30分出発---別格4番鯖大師本坊---第23番薬王寺---22番---21番大龍寺・ロープウェイ使用---20番---別格3番---19番---第18番恩山寺・午後3時終了---徳島IC---(淡路SA・休憩)---名神--(多賀SA・夕食)--羽島IC---午後9時津島到着
 4巡目にして最高の巡拝スケジュールであった。土砂降りの中を出発したが、四国到着時にはほとんど雨もあがり、順調な巡拝が続き、午後5時まで参拝した後に宿に到着した。
 2日目も室戸岬周辺の宿探しに苦労したが、翌日の寺周辺で新しいホテルを見つけたため、室戸岬や大師修行の洞くつを見学後の午後6時過ぎに宿へ到着した。早朝より午後5時まで全くムダの無い巡拝と宿泊。最終日は全員で夕食後に帰宅したが、午後9時過ぎの帰宅は深夜の帰宅が続いた前回、前々回と(過去3巡も含めて)比較すると驚異的でもある。
 次回の5月10日からの3日間で(出発は9日夜)別格20霊場と八十八ヵ所が満願となり、高野山へ巡拝の予定である。留守中は皆さんに大変な御迷惑をおかけ致しました。有難うございました。
                                          4月14日の一言
アパートに出してはダメだぞ…
 長男が27歳になり、5月には誕生日を迎える事から、将来の計画をそろそろ考える必要を感じ、昨晩さぐりを入れる意味で切り出してみた。
 「考えているが、最初は近くのアパートで暮らしたい」と言うところまでは話がはずんだが、「それはダメだ。跡取なら最初から家で生活すべきだ」と話したところで、ムードが険悪になりそうなので言いたい事を飲み込んだ。
 長男は大学時代から交際している女性があり、一時は「結婚したい」と切り出しておるものの、相手がアメリカから留学していた米国人のために、反対の気持ちが(特に家内)強かった事から、会わないままにしていた。
 昨年春に相手が中央大学を卒業し、通訳か証券会社への就職を選択する中で、わざわざ名古屋市の会社を選択し、名古屋に住むためにアメリカから来日した事から、動向を気にはしていたが、昨晩までは全く話題にもしてこなかったのである。
 「アパートに出してはダメだぞ」 本日、市役所で既にお祖父さんになっている同級生の助言である。「一度出したら上手くいかない」との言葉は、地域の例から当然と実感したものの、相手との風習の違いを考えると、大幅な大改修や増築も必要になり、息子の少ない稼ぎでは自立できるか不安にもなる。
 帰宅後の机を見ると、市役所の納付書らしき分厚い封筒が何枚も届けられていた。しかし、親以上に物知りは、お祖母さん(私の母親)である。二人の動向を何でも聞いて知っているのである。これも内緒で渡している金の力かと実感した。
                                          4月11日の一言
安易な観光気分への警鐘か…
 桜が咲き乱れて、話題も春一色になっているが、長野県の北アルプスでは大規模な雪崩が発生し、4人が行方不明となり、山スキーの遭難が相次ぎ6人の死亡が報じられている。
 長野県では白馬や松本市など各地で雪崩が起こっており、春の浮かれた気分を一掃する山の厳しさを痛感させられている。
 「雪崩に注意」の占いが、年頭の私への占いにあった。数年前からの願望に、閉鎖中の上高地に入りたいとの思いを人々に語ってきたが、安易な願望は一瞬にして生命すら奪われる現実を直視し、忙しさにより考える余裕の無かった事に感謝するとともに、ずっと頭の片隅に残っていた占いの現実に驚きである。
 「大鹿さん、坂東だけど5月に延ばした方が良いかな?」との電話が、たった今届けられた。簡単に思われている坂東三十三観音巡りでも、21番の日輪寺は坂東とは言うものの東北に近く、日光の中禅寺はいろは坂の上にあるなど都会感覚の巡礼は危険であり、延期を薦めた一方で、自身は明日の深夜から四国八十八ヵ所巡りの再開である。
 4巡目の巡礼であるが、今回も1人のリタイヤが出ている。熱い信仰心までは必要としていないが、病気や家庭事情から誰もが廻れる確約は無い厳しさも実感する。
 四国の白衣は『死に装束』とも言われるが、今まで安易に廻ってきた反省と同時に、久し振りの緊張感も漂っている。俗世の忙しさを忘れて巡拝したいが、出発の直前まで仕事が山積しており、帰宅後の仕事も考えると巡礼気分とはならないが、『般若心経』を一心に唱えて新たな気分で帰宅したいと考えている。
                                        4月10日の一言
自己嫌悪と責任を痛感した一日…
 忙しい一日が過ぎ去ったが、自己嫌悪と反省ばかりの一日でもあった。午前中の義務的なお寺での受け付け役は、寒風が吹き込む環境下にあり、ふるっての対応は自然に顔が強張ると挨拶の声も義務的になった。
 午後に約束した宗教団体への参加については、顔を出すだけの事であったが、こんな事に何の価値があるのか判らず、招待された人々の真意が図りかねた。
 午後3時からの『まちかど座談会』と『出前寄席』については、私が主催者ではあるが、熱心に応援いただける方の設営のために、『出たとこ勝負』であり、参加者の少なさに暫し考えさせられた。
 人間は、自分達の生活に困った事があれば、忙しくても挙って集まってくるが、テーマの無い催しにはわざわざ集まってこない。バス路線が廃止になるとか、施設が閉鎖されるなどの実害が無い限り、貴重な休日には集まってこないのである。
 一年目は物珍しさで人々が集まるが、二年目、三年目となると目的なくしては集まってはもらえないのである。人を集めようとすれば、私の関係者を動員する『政治報告会』になってしまい、誰もが参加できる座談会では無くなって、選挙対策用の集会になるジレンマがある。
 多く集まってもらえると、主催する立場では一見して嬉しく思われるが、私を支持していただける人々だけの集まりとなり、新たな人々の質問や発言が出ないのである。せっかく設営される機会を効果的に生かすために、テーマの設定や基礎データーの提供など新たな対策も必要と実感する一日となった。
 さて、落語を演じる『浪漫亭砂九』さんも大変である。僅かな言葉の間違いでもけっして悟られぬ修正に、30年を超える落語家の経験と、少ない人々の前であっても手抜きの無い真剣勝負の落語を聞かされ、手抜きの出来ない責任から時間は大幅に上回ったのである。
                                           4月9日の一言
もうダメだと白旗が一番か…
 体力の限界を感じるようになってきた。毎日の活動が、自分にとっては全く実利が無く、結果も好転しない事から疲れがたまってきた。
 こうなると悪循環の連鎖で、病院に行こうとすると車がなく、仕事に熱中していると電話がかかり、昼寝をすると来客がある。再び仕事に取りかかると夕食の声であった。
 「だらけているからだ」と家族に言われるが、ここ暫く歯が痛み、肩がこり、頭がフラフラし、薬を飲むとシャキッとする事から、風邪なのかもしれないが…。
 ただし、明日は隣の寺の永代経の受付に座る事が決まっており、午後は宗教団体の招待で出席し、3時からは主催する『まちかど座談会』と『出前寄席』が予定してあるのである。
 本来なら4月29日には朝日旅行友の会のバス旅行を計画しているが、家内が代理とは言うものの農業団体の水路清掃があり、体力と気力の減退と同時に、『横井庄一記念館』の開館が5月に迫っており、来週は四国巡りで3日間家を空ける事から、『中止』か『延期』を選択した方が楽に思えてきた。
 人の困っている案件の相談に乗る事に『生き甲斐』を感じていたが、そういった相談は上手くいっても普通の当り前の結果にしかならず、世情の厳しさが他人事でも自分の事のように心臓を直撃してくるのである。
 (打ちのめされていたら、膠着状態の案件に光明のさす電話が本日あったが) 固定概念に固執すると無理が続く事から、暫くの休養も念頭においた、『白紙』からの再起を期す事も考え、仕事の完結を目指したい。
                                         4月8日の一言
無力感ただよう心境…
 毎日が混乱の連続で、予定外の案件に走り回り、かと言って、何をしたかと考えると、何も手付かずで滞っているのである。
 夜は遅くまで、朝は早く、突然の案件に動いている反面で、息子達からは「寝てばかりいて」と、時間のすれ違いもあるが、ゆっくりと寝ていない為に、家では寝る事しか考えない毎日が続いており、間口を広げて対応出来ない現実の改善は急務である。
 さて、昨日の小学校の入学式で、交通安全講話のため派遣された警察官から、「行き帰りの道路では遊ばないように」との言葉が新入生にあった。
 「知らない人に声をかけられても…」が、当り前の話として受け入れられる社会に違和感を覚えるとともに、交通事故や連れ去り事件などから、現代の子供達は何も出来ない現実を痛感させられた。
 我々の子供時代には、学校の通学路は遊びの場でもあった。小川や田んぼは遊び放題で、近所の家々を当り前に走り抜け、日が暮れるまで外で遊んでいた。
 今や、道路は交通事故の危険だけでなく、犬のフンが堆積し、田んぼは除草剤で『れんげ草』も生えず、小川は生活雑排水にまみれ、小魚も虫も存在しないのである。
 決められた通学路を一列に帰り、外で遊ぼうにも遊ぶ場所もない現実から、故郷としての愛着が湧くわけがない。親と離れて生活する親を見る子供達は、大人になれば当然のように家を飛び出していくのであろう。
 絶対に間違っていると思うが、どうする事もできない無力感を感じる。
                                          4月7日の一言
不法滞在の外国人を助長する市民の存在…
 街角を通る際に、聞きなれない言語(外国語)を耳にして、ハッとする事が多くなりつつある。今年1月現在、日本に不法滞在する外国人は約19万3千人と言われ、政府は08年度までにこれを半減させる目標を掲げていると報じられている。
 法務省も摘発を強化し、地域住民からの通報システムを構築したり、摘発の強化策を発表しているが、警察との連携もなく具体策に欠ける実情にある。
 不法滞在者の摘発強化について、市民団体が反対の立場で批判し、日本弁護士会が「市民による密告を推奨する」として中止を求めているが、多発する外国人による犯罪だけでなく、そもそも日本に存在するだけで違法な不法滞在者を容認する事は、法治国家として全てを否定するものであり、地域住民の通報なくして行政の把握は不可能で、警察の摘発も不可能となる。
 そもそも、パスポートも外国人登録証もなく、不法に日本に入国する事が日本の法律を犯しており、正当にして入国した外国人とは全く違う犯罪人である認識が希薄ではないか。
 10年程前の話ではあるが、不正なテレホンカードを所有する高校生から、「何時でも手に入るよ」と言われた事があった。栄の路上で外国人から入手する方法で、実際に実演してくれたが、違法に生活する中では違法な行為も当り前となるのは当然でもある。
 「国際協調の時代だから」と、不法就労者の面倒をみている市民も実在する。法を犯した犯罪人に手を貸す認識もない市民の存在が、『ミニ外国人町内会』を形成し、地域の中で『治外法権』のようなアパートや借家が点在しつつある。
 求職中の日本人をしり目に、我がもの顔で通行する不法滞在の外国人労働者。警察官から「証拠もないと調べられない」と聞くと、地域社会の問題意識によって改善するより道はないが、正当な手続きで滞在する外国人にとっても迷惑な存在であり、真の国際交流の弊害になっている認識も市民団体には訴えたい。
                                         4月6日の一言
こんな事で、部長、市長、裁判?
 最近の一言を見直すと、行政と市民との狭間にある私の心境を記したものが多くなっている事にお気づきであろうか。
 連日のように市内に出向き、行政に対する不満を耳にして、不平等や不適切な案件を行政に届け、解決を目指すものの、完全な平行線(冷戦)や膠着状態に陥ったままの案件も存在する。
 不平等や不適切な案件は、不法なものも存在し、不法とは言えないものの『ヤリ徳』、『やった者勝ち』と思われるものも現存する。
 「行政の怠慢だ」と言われれば、その通りで弁解も通じないが、住民や業者の横着で行政の目をかすめた案件が多く、地域の不公平を生み、悪例を前例にした行政への要望も多い。
 思い通りにならず、担当者の上司や市長まで要求し、怒りが議員に届けられる。行政として絶対に出来ない案件との説明に納得し、仲介案に納得されたものの、市役所の職員の前になると怒りが蘇り、「じゃー、あそこも、あれこれも正せ」と、市内の理不尽な現場が指摘され、「市役所がやる以外は納得しない」の一点張りに逆戻りである。
 「絶対に出来ません」と行政も引くに引けない一件は、金額もかからない事ではあるし、私の知り合いでも無料でやってくれそうな目安に、苦肉の策として「何とかします」にも、「納得出来ないから部長に来させろ」から裁判も辞さずと、要望は一段とエスカレート。
 延々と続く平行線が寒風吹く夕方まで続き、一度は納得された腹案も断固拒否である。僅かな事で引かない行政を、強権的と思われているようだが、原因は市民の横着と、多少の便宜は各家々の実情に便宜を図ってきた行政サービスの歪みであり、不適切な事例を堂々と許すわけにもいかず、何とも出来ない行政の弱い立場は理解されずの散会となった。
 もっとも、同席した私はもっと辛い立場にあるが、議員として不法な要求もできず、腹案まで拒否した行政不信には打つ手なしだが、寒風が身にしみるだけではなく、やるべき仕事が全て停滞している現実に無気力感のみが続く毎日である。
                                         4月5日の一言
行政職員と市民の狭間で…
 一週間前に、4人の市議会議員に依頼しても進捗しない案件の現場に立ったが、その後の行政の対応について不満の声が今夜になって届けられた。
 「議員でダメなら市長に直訴か」の声も聞こえたが、そもそも4人の議員に声をかける方が異常である。又、議員に依頼するような重大な案件でもない。しかし、議員であっても、例え市長であっても、やって良い事と悪い事があり、それを曲げる事はあってはならない事である。
 「たったこれだけの事」と言われても、4人も議員を引っ張り出しては、行政は身動きもできなくなるのである。5人目の議員としては、出来ない事は出来ないが、行政不信と議員に対する不信感は取り去ってもらいたいために出向いているのである。
 「課長でなければ会わない」の言葉に、「何故に課長か」と問い、実務者の対応を約束したものの、訪問時に不在だった事から、「予告もなく突然来られても」となり、その後の連絡がなかった事から、「一日中待っていた」となり、「キレたら収まらんよ」、「市長に言うしかない」と、話せば話すほどエスカレートしていくのである。
 「どうせ来たって納得しない」とまで言われると、来いと言われても行く意味もない。市役所の職員も大変である。市役所に届けられる苦情や要望は千差万別であり、たとえ理不尽な事でもケンカはできず、好意的に対応すると出来ぬ事を期待させてしまう。
 「こんな事は簡単だ」と、出来ぬ事を安直に引き受けた市議会議員。結果が伴わないために次々と議員に依頼する市民。議員の関与から走らされる市役所職員。訪問する職員に喰ってかかる市民。挙句に「出るところまで出て白黒つけるぞ」の言葉が。事の発端は簡単な事であるが、大げさになるばかりで、何も進捗しないのである。
 一方では、横着な不法行為も放任されている。行政批判ばかりでなく、歩みよる事で、結果を導く気持ちになってもらいたいが…。
                                           4月4日の一言
市民とのすれ違いを実感する…
 毎日のように届けられた手紙も、差出有効期限が3月31日のために、新しく印刷した封筒を配布するまでは返信も無いと思っていたら、31日消印の手紙が本日届けられた。
 『一市民』と記され、何処の誰かは解らないが、要望した案件が改善されたとの礼状と、新たな要望として津島市が主催する『金婚夫婦を祝う会』の再考が記してあった。
 この手紙に記された礼状を読んで、私は正直な話『ハッ!』としたのであった。確かに依頼された案件を市役所の窓口に届けた覚えはあるが、はっきりと印象に残っていないのである。
 改善されたとの礼状であるが、無記名のために誰から依頼されたか判らないために、事務的な対応しかしておらず、結果は良かったものの無記名の手紙に対する熱意が不足していた事を痛感し、今後の反省材料にしたいと思っている。
 一方では、「記名したものの何の返事も無い」との電話も本日届けられた。こちらは正直な話が全く記憶に無く、「本当に読んでいるのか」と言われ、ホームページにも転記している事を伝えたが、電話でも要領が得ず、改めて電話をして出向く約束をした。
 調べてみると、住所や氏名、連絡先は記されていたが、アンケート用紙の返信で、意見が2行分しか記されておらず、連絡する必要を全く感じていなかった手紙であった。アンケートについては、内容のみに注目し、差出人が自分の名前や住所を手紙に記した事に対する配慮が不足していたのかも知れない。
 1月から百通近いアンケートや手紙の返信があったが、全てに対応してきたつもりでも、記名のあった人への配慮が欠けていた事を反省したい。
                                          4月3日の一言
悪者でも罪を問われない世襲…
 昨日の一言に、『判らぬようにやってしまえば文句は言われない』との記載に同感するメールが届けられた。
 昨日はエイプリルフールとして記してはいるが、ウソは一言も記してはいない。津島市から町内への助成金を着服している嘱託員(町内会長)の話も真実である。こんな現実が罷り通っているのである。悪いと判っていても、今後の自発的な住民活動や町内会活動の停止を回避したいために、行政も議員も苦虫を噛み締めているのである。(ただし、翌年度からの不正は許されないから念のため)
 さて、『やった者勝ち』は、日本に対する中国のやり口でもある。日本製品を堂々とコピーして市場に流し放題である。東シナ海の公海では天然ガス等を無言実行で堀削し、抗議にも聞く耳を持ち合わせてはいない。
 こんな国に、仲間に罪を着させてもシラを切る橋本龍太郎元首相が歓迎されている。おかしな話だが、靖国問題で膠着状態にある小泉首相をしり目にやりたい放題である。政界を引退したとは言え、不正な1億円を手にした悪者が、何故に笑顔で中国首脳と会談しているのか。
 微罪も許さずと言いたいが、国の責任ある立場にあった人物が、疑惑だらけであり、真実の追究は辞職すれば追及をかわせる方程式が伝統となっており、野党もこの方程式を世襲し、国民の知る権利も及ばないのである。
                                         4月2日の一言
あまりにも理不尽な仕打ちが多い…
 今日は4月1日である。エイプリルフールとして、この日はウソをついても良い日のため、その前提で書き込みたい。
 国会で偽のメールを提供され、間違った追及をしたとして現職議員が辞任を発表し、党の首脳が総辞職する事態になっているが、レベルや規模こそ違いはあれど、津島市内を見渡してみても、理不尽な事件も多く放任されている。
 市役所から地域の町内会への助成金を、個人的な報酬として着服する嘱託さん。公共の道路や用水路(暗渠の上)を自分の私有地のように占有する市民。不法建築で建てられた家屋を売買する不動産屋。
 書き上げれば限が無いほど不適切な処理が目に映る。しかも、全てに行政が関係するところに煙が昇っているのである。
 「おかしい」、「間違っている」との市民の指摘も、行政からは明確な回答は届けられず、『ヤリ徳』が罷り通っているのである。「じゃー、オレもやるぞッ」と言うと、「それは許可出来ません」の言葉が返ってくる。
 つまりは、やってはいけない不適切な事であっても、『判らぬようにやってしまえば文句は言われない』のである。
 「議員は何をやっても良いのか」、選挙が近づくと、「私がやりました」と宣伝される話に、市民の疑問が伝わってくる。本当に必要な事か、議会や委員会への出席状況や発言内容にも検証が必要である。本日は4月1日の一言であるから念のために…。
                                           4月1日の一言
リニモ(万博八草駅)の故障から思う…
 本日の話題は、何と言っても民主党の前原代表ら執行部の辞任であろうが、ここでは昨年の万博会場への貴重な足であった『リニモ』(東部丘陵線)を話題にしたい。
 本日の午前7時ごろに万博八草駅に到着した車輌が故障したため、全線で運転が止まり、8時40分に運転を再開するまでに、33本が運休し、約1千5百人の利用者が影響を受けたとの事である。
 通勤や通学に利用する人々にとっては、一番重要な時間帯での運休であるが、一日の中で一番利用者が多い時間帯であるにもかかわらず、1本あたりに45人程度の利用客しか無い現実には驚きである。
 万博反対を唱えていたために、本年2月にはじめてリニモを利用した次第だが、ホーム(長久手古戦場駅・はなみずき通駅まで乗車)には5人しかおらず、乗車したのは2名だけで車輌もほとんどが空席だった。
 おりしも、県議会や小牧市議会で『桃花台線』の廃止問題が取り上げられていたが、リニモも他人事ではないと思っていた。長久手町の人々も同様の心配を持っており、その後に開催された『まちあるきワークショップ』でも、リニモの活用と存続についての発言があった。
 さて、万博では100億円を超える驚異的な利益が報告されている。調子に乗った人々から『オリンピック誘致』の話も出されたが、浮かれた話ばかりでなく、リニモを桃花台線廃止の二の舞にせぬ計画的な対策も重要である。
                                       3月31日の一言
教員の異動に無関心な社会…
 年度末もあと僅かとなり、官公庁や行政機関では転勤や異動で慌ただしい月末を迎えようとしている。
 本日は県内の学校教職員の移動が特集として発行されて届けられたが、恩師の多くが退職した現在になると、関係する人物も限られており、特集まで組んで別刷りで発行する事が疑問に思えてきた。
 警察官に県職員、各市町村の人事異動の最後に教員の異動。当り前に掲載されてくるが、どれだけの価値があるのだろうか。
 かつて、新聞販売業を生活の糧にしていた頃は、学校教職員の異動が新聞販売競争に大きく影響していた。それは、発表がその日の夕刊に掲載されるために、夕刊を発行していない一部の新聞社の情報が翌日に遅れる事と、夕刊を購読する読者が減り続ける歯止めにも利用していたのである。
 それこそ、発表の日は特別な配達体制と、朝刊単独の読者でも教職関係者の家庭には(夕刊の宣伝を込めて)配達を手配していたのである。
 夕刊を購読するセット読者の激減により、逆に翌日の朝刊にも再度掲載する新聞社が現れ、現在では発表の翌日の朝刊へ掲載される事となった。
 しかし、新聞販売競争も様変わりしているが、世の中の関心も様相を一変しており、かつての地域社会の中で重要な情報であった、学校の校長先生の名前や教員の名前に関心を示す人々はほとんど存在しない現実を直視し、新聞社だけでなく、学校関係者にも今一度問題意識を持って再考していただきたい。
                                       3月30日の一言
家族の勘違いでは済まされない…
 富山県射水市民病院でおこった人工呼吸器取り外し事件だったが、家族への説明がなかったと主張していた家族の勘違いが発覚した。
 病院が富山県警に告発し、市長が記者会見までして大きな話題になっていたが、当初から当事者の外科部長は、家族への説明と同意を求めていたと語っており、説明が無かったと証言していた家族の存在から、尊厳死や延命治療の中止などについて各界の議論となっていたが、いささか不適切な発表と言わざるをえない。
 声を大にしていた家族の勘違いも、勘違いではすまされないが、医師から説明を受けていた事実を認めて謝罪した事は評価したい。
 しかし、患者の評判も良く人気もあった50才の外科部長の受けたダメージは極めて大きく、地方都市の射水市民病院についても、医師の確保やイメージダウンは免れない。
 病院内部の人間関係までは判らないが、行政の発表のタイミングの難しさも痛感する。報道された当初に受けた印象では、事件を当事者の外科部長だけに押し付ける形で、病院長や管理者の市長までもが発表していたが、関係する患者の家族などへの十分な調査が不足していた責任も免れない。
 回復の見込みの無い終末期を迎えた患者にとっては、患者や家族の意向を第一に考えてくれる医師の存在は心強く、評判の良い医師を失った地方病院と、退職に追いやった関係者の責任も問われなければ亡くなった患者も浮かばれない。
                                         3月29日の一言
地域慣習、住民、議員感覚の狭間で…
 1月に発行した会報配布の範囲を広めたために、足元の暗い地域からの要望や意見が届けられ、同じ津島市とは言え、慣習の違いや行政に対する認識の違いも感じている。
 津島市は昭和22年3月に市制施行されているが、旧神守村とは昭和30年1月に吸収合併し、31年4月には永和村の一部(神島田地区)が合併した。
 それから50年の歳月が経過しているが、表面的な施設や建物ばかりではなく、行政や地域に対する考え方にも大きな違いが現存し、昨日は行政を『お代官様』のように感じる人々に同行したが、本日はまったく異質の電話が届けられた。
 50年経っても、農村の因習を残す合併した地域と、旧市街地の商人感覚を伴う慣習はうめる事ができず、旧市街地においては旧家と新興住宅地の人々の大きな溝が現存する。
 そういった埋める事のできない慣習が、理不尽と思える不公平な対応や格差を生み、平等の社会とは言え、地域住民の差別意識にも発展していくのである。
 「相手が金持ちだから」と、行政の理不尽な差別は無いものの、行政との間にはいった業者の横着から不公平な『やったもの勝ち』が市内の各地に現存する。行政をお代官様のように思っている人もあれば、転入者として新参者の悲哀を感じている人など、市民感覚の大きな違いが地域格差を生んでいる。
 「私にまかせなさい」と、出来ない事まで安直に引き受け、無しのつぶてにしている議員の責任も大きい。議員と言えども、何とでも出来る時代ではなく、市民に認められていない条件を変える事は不可能である。
 旧市街地には、議員の無責任な言動が行政不信を助長している案件も多く、住民に対する議員の特権階級意識もあるのだろうかと思われてくる。明日は4人の議員が無責任な対応のまま放置されている現場に、厳しいがあえて立つ約束をした。
                                      18年3月28日の一言
悪しき慣例を前に市民の無力感…
 過去の慣例について、悪しき慣例については正す必要があり、不正を見逃す事は議員として許される事ではないが、正しいからと言って地域社会が混乱したり、摘発して犯罪人をつくって地域の憎悪を残す事より、地域の話し合いで改善を求めたい。
 本日は、町内会の不正を摘発したい市民の方々と、行政の話し合いの場に立ち会う事となった。数年前から改善の声が上がっていた『不適切』な処理に対して、改善の兆しが見受けられず、昨年からは行政に問い合わせるだけでなく、議員である当方にも訴えがあり、行政の指導があったものの無視した役員を告発する意気込みで代表の3名が行政と対座した。
 事の顛末については触れないが、住民が法的に告発すれば捜査対象になり、マスコミも放置できない問題とは思われるが、内容が町内会の中身であるだけに、地域の人間関係や家族間に直接影響し、過去にも多くの町内で問題になった事でもある。
 訴えている市民も、過去に役員を経験した際に不正とは思いながら、慣例から改善できなかった経験を持っているのである。昨年より本格的に訴える動きに呼応して、来年度からは町内規約の改正が報告されたものの、改善を求める市民を悪者にした報告と、行政の説明を都合よく利用して、不正を棚上げした反省無き説明に市民が立ち上がったのである。
 「行政から強く指導して下さい」と強い口調も、本年度の不正な中身であっても、町内会の総会を経て来年度から改善が図られる事案に行政も板挟みである。
 「どうなっても良いから訴える」との強い意見も、近所の融和を優先し、過去に目をつぶり、今後の改善を見守る事で散会となった。「オレ達の訴えは無駄だったのか」と、行政を背に市民が一言。納得ならぬ不満の表情から場所を移し、「その訴えで来年度からの改善が図られたから無駄ではなかった」との一言に、「そうだ、そうだな」とやっと目尻に笑みが蘇ってきた。
 それにしても横着な役員である。議員の私が当事者であれば、確実に『辞職問題』となる事から、訴えられたら夜も眠れぬ筈の案件ではあるが…。
                                        3月27日の一言
横井さんも御先祖様だが…
 1ヶ月程前の一言に、「先祖を粗末にすると大変な事に」なる一文を記しているが、本日は身内の先祖供養が開催された。
 偶然の事であるが、その一文の親族から「我が一族の事で…」と数日前に相談を受け、残された戸籍謄本や先祖の話をしたところ、私より年長であるにもかかわらず過去の家系について全くご存知なく、「どうしたら」とは言われたものの、本家の戸主の相談ではなく分家へ嫁いできた人の相談だけに、「先祖供養が全くされていない」事は伝えたが、一族で話ができない現実が立ちはだかっている。
 本日の先祖供養は毎年の年中行事ではあるが、肝心の親族達に先祖供養の認識が希薄になっており、数日前の一件から本日は珍しくも『経本』を持参して読経を追っていたが、話しかけられたり雑談の声の大きさに閉口した。
 さて、直接の血縁にあたる人がいなくなると、親族とは言え他人の家系まで勝手に解釈されており、『横井庄一さん』はまったく他人の面白おかしい存在で語られ、我家でも300年以上の歴史が残されている事が認知されていない会話には淋しいものがある。
 明日は(もう午前に入っているが)横井庄一記念館の看板の材料を、書き入れる恩師のもとに持ち込む約束を横井夫人としてあるが、血族ではない人の発言でも笑い話で語られる根も葉もない噂話が聞こえてくる現実には哀しいものがあった。
                                          3月26日の一言
呼吸器外し7人死亡の新聞報道が…
 富山県の射水(いみず)市民病院で、男性医師が入院患者の人工呼吸器を外し、7人が死亡したと大きく報道されている。
 射水市長が25日の記者会見で発表した事件だが、病院から富山県警に届け出もされており、詳しい内容と事の真意が待たれる事件でもある。
 見出しだけを見ると、完全な殺人事件のようにもとれるが、常識的に考えれば、患者の尊厳と苦痛に対する医師の配慮である可能性も高い。
 平成5年1月、末期がんの診断をされた父親の治療を巡って担当医師は、「治療をせず家に連れて帰りなさい」と冷たく告げた。治療をしても本人が苦しむだけだから、最後くらい本人の好きな生活を送らせた方が良いとの判断だった。
 「万が一という事もあるから、苦痛の無い程度に治療をしてくれ」との家族の強い依頼によって、父親の生命は半年ではあるが7月まで永らえた。しかし、:死を宣告された末期がんを本人に伝えず、中途半端な治療に期待をもたせただけで、父親はこの世を去った。
 「どうされますか」と亡くなる一ヶ月前に、父親への延命処置を問われた。もちろん一日でも長く生きて欲しいものの、死が迫った父親の体を更に傷つける延命処置は選択できなかった。
 最初に本人に告知していれば、積極的な治療から劇的な回復があったかもしれないし、本人の意思で納得する静かな最後がおくれたかもしれない。とにかく、本人の意思を無視した悔いが未だに残っている。
 一方では、意識の無い患者に延命措置として人工呼吸器を取り付けた事から、家族全員が地獄のような年月を送った家族も存在する。医学は日々進歩しており、センセーショナルな見出しだけでなく事実関係の正確な報道を待ちたい。
                                           3月25日の一言
摩訶不思議な人間関係…
 人と人とのつながりは摩訶不思議なものである。本日は一日中入れ替わり立ち代りの来客が続き、市役所に出向く暇もなく、市職員にはそれぞれに電話や出向いてもらい、夕方には外出して人と落ち合い、夜は午前0時を回るまで来客があった。
 これが議員の仕事と言えるかどうかは別にして、人と人との関係はどこでどう繋がっているのか判らないが、人の存在が心強く感じられる一日となった。
 さて、自分の周りを見渡すと、その道その道の達人があり、52年生きてきた年数分の人脈があり、年月を経て出来上がった信頼や付き合いを酷使すれば、出来ない事がないと思えるように何事にも対応できるようになってきた。
 しかし、一人ひとりとの関係は良好でも、皆で一緒にと思うと、一緒に同席できない敬遠の関係もあり、誰とでも良好な関係を築くには限界も存在する。
 人と人が支え合い、お互いの協力関係が築ける反面で、人の足を引っ張り、人を蹴落とす人間関係も存在する。
 本日は津島市役所でも人事異動が発表された。私は学生時代の起業のために、サラリーマンの経験がなく、人事異動や昇進の際の心境が判らないが、年月の経過は人と人とに上下関係をつける。損な性格もあり、悲哀を感じている職員も存在するが、市民の存在を忘れずに全力で職能を発揮してもらいたいものである。
                                        3月24日の一言
書くに書けない一晩が過ぎて…
 このホームページを立ち上げて2年が経過し、この一言も毎日書き込んできたが、昨晩は書く事は出来ないが、書けば話題騒然(?)の修羅場に遭遇してしまった。
 「私は口が軽いよ」とは言ったものの、人々の足を引っ張るつもりは毛頭ないため、口にはしないし、ここに記す事もしないが、と決め込むと、ここに何も記す事もできなくなって、朝を迎えてしまったのである。
 封印した記事が面白ければ面白いほど、ここに記す話題は吹き飛んでしまい、当分は何も書けないのである。私はおしゃべりの長話は得意だが、口まで軽いとは言われたくないので、昨晩の事は一切を封印するが、一点だけは昨晩の一件から記しておきたい。
 隣接する愛西市が誕生する前に、関係する町村は津島市に対して言いたい放題にイメージを低下させて、合併へのテーブルにもつかせなかった。個人的には消極的なマイナス志向の小さな合併に大反対であったので、私個人は愛西市との合併の対象にならずに良かったと思っているが、愛西市の市民が合併によってどんなメリットが出来たのかを問いたい。
 愛西市の中でも、津島市と隣接する地域の住民は、生命の危機にあるときに、津島市民病院が直視できる距離にありながら、到着する救急車の到着時間は遅く、到着しても直行できないのである。当事者が津島市民であっても、愛西市で倒れれば、愛西市の救急車が来るまで待って、「急いで市民病院に直行しろ」とも言えないのである。
 こんな事を記すと、「対応は一緒です」と行政は言うだろうが、間違いなく住民が不利益になっている事を、津島市の市議会議員として、津島市民と愛西市民ともども直視していたのである。愛西市で倒れると大変である。距離的に近く、早く到着する津島市の救急車がありながら、議員と言えども、いや市長であっても「急いで来てくれ」とは言えず、遠くから時間をかけて走ってくる救急車をひたすら待つ現実から、改めて合併の効果を問いかけたい。
                                        3月23日分の一言
激戦の選挙戦も明日は我が身…
 12月の年末も慌ただしいが、3月も年度末で気忙しい日々が続く。新聞にも警察の人事異動が掲載されてきたが、月末にかけては教職員や行政職員の異動も掲載されてくる。12月の『師走』よりも、最近では3月の年度末の方が師走らしく感じるのである。
 さて、新しいアンケートの返信用封筒を印刷している関係で、印刷所に立ち寄る機会が続いているが、印刷所は選挙選の前哨戦でポスターや後援会のパンフレット印刷でフル回転の忙しさとなっている。
 隣接する愛西市が4月に市議会議員選挙を控えているためだが、印刷所に集中する仕事とは言え、これだけのパワーが日常的に発揮されたら議員の存在と信頼回復につながると思われるが、選挙時だけに集中するパワーに、同じ議員という職業ではあるが強い違和感を覚えずにはいられなかった。
 現職議員については選挙の事前運動は廃止すべき(公職選挙法でも禁止されている)と思う。任期中の活動実績だけで評価されるべきと思い、3年前の選挙では政治活動の延長から選挙選に突入した。しかし、結果を見ると日頃の評価より、選挙直前の事前運動の量が高得票につながっている。
 議員を要領よく続けるには、4年間の任期の残り半年間に集中して、選挙活動に専念した方が効率がよい現実が、議員生活を税金の無駄遣いにさせている。「貰わんより、貰った方がうれしいでしょ」と、選挙違反のタオルを貰って当然のように言われる地域だが、3年前の選挙では逮捕者も出し、辞任に至った議員も存在する。
 隣接する市町の選挙とは言え、同じ光景が繰り広げられている現状を直視すると、選挙を避けられぬ議員としては淋しく空しい感覚が襲ってくるのである。
                                         3月22日の一言
家族の役立たずでも忙しい休日…
 久々の休日であり、次に発行する会報の原稿に専念するつもりでいたが、家族の思わぬ言葉から全く予定しない一日になってしまったのである。
 「畑を耕しに行く」と、早朝一番に発したのは、中学校を卒業したばかりの三男であった。本日は町内会の総会がある事から、「何もしないお父さんが行ってくれたら…」の発言に至り、例年には出席しない総会に出席する事となったのである。
 町内会の説明を聞いていると、我々議員が議会や委員会で議論や審議を加えた行政の内容が、捻じ曲がって発表されている事も多く、いちいち質問するのも『正論よりシキタリ』の地域性ゆえに家族が出席してきた経緯があるが、家庭では役に立たない当方の出番となったのは情けない父親そのものでもあった。
 「1時間ほどで終わるかなぁ」と座っていた総会は昼までかかり、帰宅すると家族は昼食を囲んでいる。さて、これからどうするかと思案し、箸を手にしていると電話である。「おじゃまするでぇ」、「ゆっくりと出てきて下さいょ」と席に座ると、次の電話である。「是非寄って欲しい」、「いや、先約があるので」、「どうしても相談したい事がある」、「後でも良いから」、「重要な問題だ」などと言われて結局出向く事となった。
 出先の会話中にも明日の予定の電話連絡があった。これも相手がある事ゆえに、全員を車に乗せて段取りをつけに市内を走る。帰宅後にも電話口から重要な相談があり、その後も市内の工事個所の不備と改善の電話である。
 一月には精力的に配布した会報の前途は多難である。家族には役立たずだが、これだけ忙しい休日を送る生活は報われる事があるだろうか。結局この席に座ったのは夜11時近くになり、就寝は明日になりそうでもある。
                                         3月21日の一言
忘れられている障がい者の視点…
 惨敗に終わった冬季オリンピックの直後に開催されていた、パラリンピック・トリノ大会が閉幕した。
 金メダル2個、銀メダル5個、銅メダル9個のメダルを獲得し、日本勢のメダル獲得は史上最多との事であるが、金メダル1個に終わったオリンピックと比較すると大活躍だが、伝わってくる情報は極めて少なかった。
 ただし、限られた情報であっても、報じられてくる映像や記事から、多くの日本人に元気と勇気を与える内容であった事は間違いのない事実で、障害があっても挑戦する姿から、障がい者の自立を促し、障がい者を含めた社会づくりや、今後の街づくりに寄与した功績は極めて大きかったと評価したい。
 さて、地域では名鉄青塚駅にトイレが無くなったと大騒ぎしている人々があるが、今まであっても汚くて利用もされていなかったものが、無くなると大騒ぎである。
 トイレが無いと大変な事は、駅だけでなく、車社会であっても共通の問題である。もっと重要な事は、駅の無人化によって電車を利用できなくなった人々の存在である。
 例えば『車イス』を利用する人々が利用する場合においては、駅の無人化によって電車を利用する事自体が危険を伴うと同時に、ホームと列車を渡すスロープが無い事から、現実には利用できないのである。
 世の中で問題になっている多くは、健常者の視点で語られているが、企業の身勝手な合理化によって、誰もが利用できる筈であり、出来なければならない公共交通機関でさえ、障がい者を締め出している現実を直視し、改善に頑張りたい。
                                         3月20日の一言
寄席見物を休んだ突然の機転…
 本日は一年に一回の『あかね寄席』が、西愛宕町の茜屋で開催されるため出向く用意をしていたが、市民の方からの電話に応対し、家内を代理で送り届けてきた。
 名前だけであっても、主役として出演する『浪漫亭砂九』さんのマネージャーとしては、参加して見届けたい気持ちでいっぱいであったが、市民の問題は市議会議員としては最優先するべきと思い、当日の約束ではあったものの、寄席を休んで応対する事としたのであった。
 何事もなく、平和な生活を送る人々がほとんどであるが、家族の事故や病気などによって、突然の不幸が舞い込む家庭も存在する。家を建て、子供が成長し、独立して孫もある平和な生活が、突然の事件によって崩壊する。
 こうなると悪い事の悪循環が続き、働けないために家のローンはたまり、限界となると銀行も事務的に口座を凍結し、冷酷にも担保物権の差し押さえにかかるのである。
 こんな相談や、病気の家族の入院先がない話を聞いていると、予定されていた事とは言え、落語を聞いている気持ちにもなれなかったのである。
 本日の相談は、悪しき慣習を続ける町内会の相談であったが、「正論より田舎のシキタリ」が罷り通り、不正を正そうとする意見が抹殺されようとしているのである。
 こんな日に限って、多くの『一言居士』が集まってくる。街づくり、自主防災、ボランティアと会話は続き、最後の訪問者の帰宅時に時計は9時ちかくなっていた。寄席に行けなかったが、行っていたら事務所は夕方まで不在となっており、本日の真剣な議論(訪問者同士が激論である)は無かったと思われ、突然の機転が幸いした一日となった。
                                         3月19日の一言
意地で払い戻した250円…
 今月でハイウェーカードが使用できなくなるため、本日の長久手行きに高速道路を使い、料金所でカードを出したところ使えないとの事である。
 「今月いっぱいは使えるんじゃない?」、「そうですが、このカードは使えません」、「何故?」、「?マークが…」、「高速道路で買ったカードが何故使えないんだ」とやっていると、後続の車の激しいクラクションが鳴り響いた。
 残金290円分の事だから、ダメでも構わなかったが、理解できない係員の説明と、後続の車のクラクションに意地でも白黒付けたい心境になってきた。
 帰りに料金所の事務所に立ち寄って、申請書に住所や氏名を記入して、清算すると250円が払い戻しとなって戻ってきた。カードサービス分を応分に差し引いた金額である。
 2枚の書類と領収書と現金250円の支出であるが、こんな面倒な事をしなくても3月末まではそのままカードを使用させた方が得ではなかったか。車が一台利用してもしなくても道路の維持費は変わらない。こんな面倒な手続きを雨中に行なったため、帰路は意地でも一般道を通って帰ってきた。
 考えてみると、対応の悪さから、帰りの通行料が入らず、250円の現金支出を要しており、営業としての収支はマイナスになっている。新制度への移行時ゆえ仕方ない事かもしれないが、もとはと言えば、変造カードが大幅に出回ったツケであり、悪意を持った住民が善意の住民の足を引っ張っている図式は今も続いている。
                                         3月18日の一言
議員は何をすべきか…
 3月議会も来週の23日には閉会となる。個人的な事になるが、平成11年に議員となって一番忙しい議会でもあった。
 時間の限界に近いスケジュールの中で、多くの手紙や電話によって市内を走り、人と出会い、訪問を受けた。1月から届けられた手紙の数は、市民から市長に届けられた枚数を上回り、ノートまで新設した市民からの具体的案件も26件となった。
 3月議会の委員会についても、全てを傍聴した議員は私1人であり、これは毎度の事であるが、この事を宣伝しなければ議員の活動が何も判ってもらえない現実と、議員が何をすべきかが地域で論じられない現実に淋しさを覚えた。
 「何で見えなんだの? 議員の〇△さんは来とったよ」の言葉は、地元で行なわれた葬儀に行かなかった事に対する声である。「知りませんでした」、「何で?」、「連絡が無かったので」、「役場から連絡が無いの?」、「〇△さんは何で判ったの?」と次々と言葉が続く。
 市役所から議員に対する市民の葬儀の案内や情報提供は全く無い。そもそも、議員にとっては葬儀に参列する事が主な仕事ではないし、葬儀屋から葬式の情報をもらって駆けつける議員の存在に疑問を感じるものである。
 葬儀やお祭り、イベントに顔を出すか出さないかでの議員の評価は情けない。議員は何をすべきかについて真剣な議論と、議会や委員会への出席状況や発言の内容を厳格に評価すべきオンブズマンが不足しているのである。「ところで、大鹿君、議員になって何をやった」と言われ、「さて?」と考える自分にも反省は多い。
                                         3月17日の一言
同じ郵便局の職員であるが…
 昨日の郵便局の顛末から、複数のご意見が届けられた。郵便局の柱は郵便配達であり、その配達(請求書の送付)そのものに100%の確実性がない事を職員が告げた事は問題だとの指摘だが、現実には人のやる事だけに、間違いもありうるし、双方の勘違いも存在する。
 腹をたてるような問題は他にあった。昨日の事だが、郵便局との連絡や知人とのやりとりの最中に、同じ津島郵便局から『簡易保険』の担当職員が訪問した。
 偶然とは言え、同じ郵便局の問題ゆえに顛末を話すと「知らない」と言われる。「〇△さんは知らないの」と問うと、「課が違うから知らない」との返事であり、事の顛末は「関係ない」と他人事で会話すら受け付けない。おもわず、「津島郵便局の人ですね」と訊ねたくらいである。
 息子の学資保険の一時金の支払い手続きで訪問していたのであるが、自分のペースで自分勝手な話を続けており、窓口の身元保証については全く勝手な解釈を家内に話している。
 説明では、私の替わりに家族が窓口にいくと、私の委任状だけでなく、複数の証明書と私の性別まで証明できる物が必要と話している。
 「そんなに面倒なら放っておけ」と言うと、家内が大困りの顔を見せたが、そもそも私の名前で契約されているだけで、私自身は契約書に名前を書き入れた事がないのである。郵便局の問題で困って郵便局と連絡し合っている最中に、郵便局の職員が他人面して自分の保険の説明を目前でしているのである。
 郵便配達は毎日の仕事である。これをしっかりと続けている事から、簡易保険の職員にも安心と信用がある事を忘れ、自分の仕事以外は一切聞こうとしない態度は、まるでサービス業どころか営業としての自覚、郵便局の一員としての感覚は皆無であった。
                                          3月16日の一言
話せば通じ合えた事だろうが…
 アンケート調査の返信用や会報とともに配布している受取人払い専用封筒の差出有効期限が迫り、新たな返信用封筒を印刷するための申請に郵便局を訪れたところ、料金の未払い月がある事が発覚した。
 未払いがあると、月締めの支払いではなく、手紙が届く度に料金を支払う事が必要となるそうである。こうなると受け取る側も、いつでも小銭を用意して郵便配達を待つ事となり、配達人も雨の日でも現金の授受が必要となる。又、政治活動の収支報告書を提出する際には、行政職員が毎日の領収書を一枚一枚確認する面倒もあるのである。
 そもそもそういった事情や郵便配達の苦痛から、月極めの請求と支払いに移行した経緯があり、過去数年にわたって毎月の支払いを済ませてきた。内心では怒り心頭であったが、手紙は郵便局の独占で他の方法もなく、再検討を依頼して電話を切った。
 しかし、事務所の請求書を調べたものの、未払いの請求書は発見できず、指摘された領収書も発見できなかった。こんな時に頼りは同級生である。郵便局長を務める知人に連絡すると、郵便局の不手際も判ってきた。未払いがあるのに翌月の請求書に記載されておらず、数ヶ月の間に一度も窓口で請求される事なく、翌月からの支払いを済ませてきたのである。
 当方の落ち度もある。3度にわたって督促状を発送したとの事であるが、請求書以外は開封もせずに捨てていたのである。ともあれ、同級生のお陰で引き続きの許可がおり、「ありがとうございました」と担当職員への感謝の言葉に、「請求書が確実に届いていなかった可能性もありますから」との言葉が返ってきた。最初にこんなやりとりが何故できなかったのか。
 多くの窓口がある中で、郵便や小包の窓口は一ヶ所しかなく、カウンターを挟み、後ろに多くのお客を待たせた状態では、真心のこもった会話は不可能であり、郵便配達業務が窓口の脇役にされている現状の改善も必要である。
                                        3月15日の一言
迷惑メールの削除が毎日の作業になり…
 パソコンにスイッチを入れると、真っ先に行なうのが『迷惑メール』の削除である。削除するだけでなく、一件一件の送信者を禁止する作業を行なうが、時として作業中に『登録完了しました』等との画面が登場し、慌てて画面を切り替えたり、忙しさから削除のみにしておくと件数も増加してしまうのである。
 迷惑な事は、ホームページの掲示板にも不法な書き込みがあり、最初はパスワードの確認に手間取り、最近は毎日の削除が日常の手順になりつつある。
 この上に年代物の携帯電話にも、迷惑メールが無数に送りつけられ、消耗しているバッテリーは迷惑メールの受信によって、肝心の通話中に電池切れとなってしまうのである。
 津島の新しい風、朝日旅行友の会、明日への道の掲示板を確認し、2本のメールを確認し、携帯電話の迷惑メールを削除すると、これは一仕事であり、立派な業務妨害(大げさだが)になっている。
 一方で、市役所から自分のホームページを見ようとすると、リンクする画面はウイルス対策や情報流出を防ぐため設定された規制によって見る事ができず、欲しい情報どころか公的情報まで入手できない事がある。
 こうなると社会問題で、やりたい放題のインターネットを利用した詐欺行為や、法に反する違法行為の取り締まりが必要であろうが、取り締まる為には多くの人材と予算を必要とし、相手の特定にも時間がかかり、こんな事を記していると、「いつもエッチな画面ばかり見ているから」と言われる事から、当分はこんな作業が続くのである。
                                         3月14日の一言
ほっこり庵に便乗の奥田批判…
 私の裏番組の『ほっこり庵の独り言』に、トヨタ自動車の奥田会長に対する苦言が記されているのを見て、さらに追い討ちをかける一言になりますが…
 トヨタ自動車の経営状況が良いために、奥田会長には自分の立場をわきまえない行動や発言が度々ある。
 中国との関係修復が難しい小泉首相の存在を無視したかのように、中国大陸に渡って中国首脳と極秘の抜き打ち会談。政府首脳との会談をすっぽかした中国首脳を直前まで自社工場を案内し、直後の事態にも他人顔。国益よりも自社優先である。
 愛知万博も中部国際空港も主役はトヨタ。何事もトヨタの思い通りになるところに驕りが出ているのである。企業であるから強い経営力をより強く発揮するのは構わないが、理不尽な仕打ちや礼儀に欠ける手法は問題もある。
 数十年にわたりモータースポーツを支え、F1レースを日本に普及させたのは、本田宗一郎でありホンダの功績である。そのホンダの象徴である鈴鹿サーキットに横槍を入れ、トヨタは富士スピードウェーでF1会場に名乗りをあげている。
 柔道の金メダリスト田村亮子もトヨタなら、大学に進学するスケートの安藤美姫も早々とトヨタの看板をあげている。しかし、心からスポーツに理解があるとは感じられず、がめつい企業感覚しか見えてこない。スポーツに私財も投入した西武鉄道の堤義明氏は事件により姿を消しているが、経営者として発言に責任を持ち、スポーツ界を影でも支えてきた。
 サラリーマン社長の立場を忘れ、財界総理としての発言は時として相手の存在を無視し、トヨタが販売会社である事を忘れているのではないだろうか。
                                          3月13日の一言
私物化されていたスケート連盟…
 不振に終わったトリノ冬季オリンピックに、追い討ちをかける日本スケート連盟の不祥事が発覚し報道されている。
 報じられている内容では、平成15年までの3年間に、不透明な資金管理で1億5千万円以上の赤字を出したとの事であるが、当時の会長が連盟の国際事業部門を自分の経営する会社に移すなど、連盟を私物化していた事実から、国が多額の補助金(平成16年度だけで1億6千万円)を出している連盟への厳格なる審査が必要である。
 この赤字により、連盟は余剰金まで取り崩して対応し、資金不足を補うために、それまで連盟が負担していた世界選手権への派遣費用の一部を、選手側に負担させていたと報じられている。
 短絡的にトリノの不振を結び付ける事はできないが、問題の期間だけでも21億円の支出がある事から、事件の徹底的解明と同時に、この際選手達の派遣費用の内訳にもスポットをあてて欲しいものである。
 同じ競技でも、唯一の金メダリスト荒川選手の家庭では、家族総動員で家計をやりくりしていたのに対して、地元の安藤選手にはスポンサーもつき、高校時代からアメリカを練習の場としており、それぞれの違いでは済まされない問題でもある。
                                         3月12日の一言
近くて遠い瀬戸市へ…
 先月参加した街歩きの結果をまとめるため、本日は瀬戸市を訪れた。津島市からながめると瀬戸市は遠い存在である。
 車人間のため、バスや電車でカバンを持った遠出は苦手である。営業で地理に詳しい知人に、瀬戸市までの道を訪ねると、「瀬戸は遠いぞ」との言葉が返ってきた。「ところでどうやって行くの?」と訪ねると、「さあー?」との返事である。
 瀬戸市の位置は地図で記憶しているものの、直接の道筋は説明が難しい。つまり、瀬戸市はついでに立ち寄る事のない場所に位置しているのである。ただし、バス停前の我家から栄行きのバスに乗れば、栄の地下から名鉄電車に乗り換えるだけで瀬戸市に到着する。
 遠いが近い瀬戸市である。しかし、観光地化されていない瀬戸市は魅力ある場所でもある。全国に名を売る瀬戸物の産地と同時に、幼い小学校時代に遠足で訪れた『定光寺』の記憶が蘇ってくる。
 さて、他の街を訪れて、街の魅力について地元の人々と意見交換すると、生活者としての視点からであろうが、自分達の街の魅力に気づかれていない事が多い。
 さて、そうなると津島市の魅力は何か?そんな雑談をしたいが、6時半には津島市の会合(飲み会)が待っている。慌てて電車にかけ乗ったが、近くて遠い瀬戸市である。先を急ぐ者にとっては電車やバスのスピードがひじょうに遅い。名古屋からチンチン電車で出向く雰囲気は、まさに『スローライフ』そのものであった。
                                           3月11日の一言
忙しさの連鎖につながれて…
 本日開催された厚生委員会は、熱心な質疑と議論が繰り広げられ、市役所終了間際の午後5時になってやっと終了した。
 昨日に受けた複数の案件を朝一番の手配と電話で済ませ、昼食も来客のため15分で済ませ、時計を見ると午後4時を回っていた。5時までに郵便局に出向く予定であったが、委員ではなく院外の傍聴の立場から、採決を巡ってクチバシを入れた事により、途中退席は無責任と思い最後までの傍聴となった。
 傍聴に関しては私のこだわりで全部出席する事にしており、これだけはどの議員にも負けない出席率を誇ってきた。とにかく自分以外の委員会でも、全部出席して耳にする事を議員当選以来のノルマと考えてきた。
 「結果は判っているだろう」と言われた先輩議員もあるが、判っていてもとんでもない議論もあるのである。とにかく発言の機会が限られ、一日中座っているだけの傍聴は委員より疲れるが、心配な事は私の名前を頼りに市役所を訪れる人々の待遇である。
 頼る身寄りもなく、私だけを頼りにされているプレッシャーは大きい。そういった人が、委員会室にカンヅメになっている最中も市役所を訪れている。そういった人々から「ありがとう」と届けられた留守番の家族へのメッセージが、翌日の活力になっている。
 夕方立ち寄った家で、新たな案件を引き受け、役所から依頼されていた市民との橋渡し役で来週の約束を取り付け、帰宅後も来客の難問を解決するために関係者へ連絡し終わると時計は10時を回っていた。議員になって最高潮に達している忙しさは、1月から1万5千世帯に配布した会報と、添付した封筒やハガキに対する反響である。
 ここまでやると『税金泥棒』とは誰にも言わせないが、次の会報は半月後に迫っており、印刷どころかインクや紙の手配、肝心な原稿書きの時間がとれない予定が入っており、過去最高の忙しさとの戦いは、土曜日の本日(現在既に午前0時過ぎ)の夜まで決まっている。
                                          3月10日の一言
議員の身勝手の影で…
 議会開催中であるが、多くの相談や質問が相次ぎ、議会の休憩中の15分が市役所窓口との往復となり、問い合わせと約束の電話で一日が終了した。
 さて、議会も様変わりで、最近は議会ルールに厳しい議員が減少し、無駄な質問も多く、中身の無い要望と持論の繰り返しが多い。「大鹿議員に申し上げます。議会ルールでは…」、「質問に関係ない発言は…」、などと議長に何度となく注意された記憶が蘇ってきた。
 過去に発表された事案や、市民まで広報で紹介された事案を議会で時間をかけて質問しはじめると最悪であるが、それでも一生懸命答弁する幹部職員を現場の職員はどのように見つめているのだろうか。
 帰宅後に職員と待ち合わせた喫茶店で、偶然にも引退した先輩議員と遭遇した。「大鹿君、痩せたか?おい、10キロは痩せただろう?」と嬉しい言葉であるが、「議会で何回ぐらい注意されたか覚えてますか」との問い掛けに、「忘れた。そんな事より痩せただろう」、と久し振りの再会に、待ち合わせた職員の迷惑を忘れて会話が続いた。
 しかし、引退したといっても議員経験の長い先輩の言葉には重みがある。地域の問題を語るうちに、プラス志向の妙案が出てきたのである。経験は買う事ができないを実感し会話が続いたが、迷惑なのは待ち合わせた職員である。痺れを切らして立ち上がったのを見て、「ちょっと」、「おい、待ち合わせていたのか」、「いえいえ、ごゆっくりと」、「悪い事をしたなぁ」と先輩議員に謝られ、恐縮し、その後私の長話に付き合わされたのだから、まさに「職員はたまったものじゃねーよ」の心境を味あわせてしまったのである。
                                         3月9日の一言
間違った答弁と余分な財政支出に…
 議員になって7年が経過したが、性格だけは変えられない事の溜息と、猛反省となる議会での質問となった。
 今回は代表質問のため、細かい部分には極力触れず、国の答申や報告を基に質問していたが、説明不足によって市民へ必要のない負担を強いた挙句に、津島市の余分な財政支出を招いた市民病院の不勉強な答弁に頭がキレたのである。
 心臓ペースメーカー埋め込み手術を、『更正医療認定施設』に指定された病院(中村日赤や県立尾張病院など)で行なうと、手術代は無料で、身体障害者手帳の申請も病院が済ませ、書き込み時から障がい者として認定されるのである。
 セカンドオピニオンで該当する病院を訪ねた市民が、「どこでも一緒」との津島市民病院の医師の説明によって手術を受けたが、本人が治療費(72万円)の支払いや高額療養費の還付申請、身体障害者手帳の申請段階で、隣接する病院では全額必要ない事が発覚した。おまけに申請後の医療費も手帳の交付(すぐに認定がおりない)がないため支払う事になったが、これらの負担額は戻ってこないのである。
 おまけに、国や県の負担額まで津島市の出費となっている。「津島市の支出は変わらない」との市民病院側の答弁は、間違いであり、間違いを知らずに平然とした報告に、質問する気持ちは失せ怒りに変わっていた。
 後日談となるが、間違いを知らない市民病院に対し、念のために、朝一番で健康福祉部へ、この件での津島市が支出した費用の概算を算出するよう依頼してあったが、後の祭りである。
 津島市民病院が心臓ペースメーカー埋め込み手術をしなければ、年間約800万円の財政支出が防げたのである。
 議会後に健康福祉部に立ち寄り再確認し、職員立会いのもと病院側に指摘する事となったが、「すいませんでした」と言われても、議会は終わっており、「答弁する用意をしていた」との健康福祉部の存在も忘れて、感情的に発言していた自分に溜息である。
                                          3月8日の一言
親としては最後の卒業式…
 本日は中学校の卒業式が開催された。我家では三男が本日の卒業生に含まれ、上の子供からは7年ぶりの卒業式であるが、長男はPTA会長として、長女と次男は同窓会長として、最後の息子は市議会議員として全員の卒業式に立ち会えた事になり、ある意味では幸せ者かもしれない。
 しかし、早速のクレームである。来賓紹介の際に「おめでとう」の声が聞こえなかったとの話であるが、来賓がなぜ大きな体育館で「おめでとう」と叫ぶ必要があるのか疑問を感じるものでもある。
 私だけ聞こえなかったとの事であるが、私だけ来賓紹介がながく『津島市議会議員・並びに神守中学校同窓会会長』と紹介されるために、議員の紹介で起立したものの立ち続けるもの宣伝のようでもあり、ごく自然に紹介と重複し「おめでとう」と発して座ったのである。
 この事で、「御主人は来られなかったの」との声を家内が聞いてきたのである。「ちゃんと座っていただろう」との言葉に、「誰も見えなかった」との返事が返ってきた。そもそも最近は来賓が軽視され、平成の初期には来賓も壇上に上がっていたものが、最近では保護者や卒業生の脇に座っているために目につかないのである。(私の存在を気遣っていただけた人々には感謝し、反省もいたしますが)
 一方で、卒業式そのものが簡略化される中で、保護者の教師への御礼挨拶や花束贈呈などが追加され、親の出番が増えているのである。十数年でも大きく様変わりした卒業式が今後どのように変わっていくのか、今後は親の立場で出席できない現実に、一抹の淋しさを感じた卒業式でもあった。
                                          3月7日の一言
3月議会の代表質問内容の紹介…
 本日は8日と9日にわたって開催される、津島市議会での私の質問内容(私の登壇は6番目・8日の夕方か9日の早朝予定)について記しておきます。
一件目、津島市の医療について・・・中央社会保険医療審議会(中医協)の答申を受けて
 ・(4月から)市民生活への影響について…初診料や制度の具体的違いを質問します。
 ・市民病院の診療について…具体的事例を挙げ、新しい診療科目についても質問します。
 ・訪問看護・在宅医療について…津島市の新しい医療の方向性、医療の将来像を問います。
二件目、津島市の教育について・・・中央教育審議会(中教審)の答申(17年10月)と審議経過の      報告(18年2月)を受けて
 ・国の義務教育費国庫負担金改革による津島市への影響について…8千5百億円の予算減       額によって教育現場への直接影響する事柄について
 ・津島市の方向性(独自性)について問う…国が求める地域の自主性や主体性について、2学      期制など教育長の考えを問います
 ・学校の防犯・安全対策について…多発する教育現場の凶悪犯罪や生徒の被害から、防犯ブ      ザーなどの安全対策や、職員配置、不法滞在外国人などについて質問します
三件目、指定管理者制度の運用について…すべての公共施設を対象にした指定管理者(民間      委託)について、NPOやボランティアの立場から質問します。又、地元業者の有効的       関わりについても提案したいと考えています
 以上の三件を通告していますが、3月議会では市民の皆さんから届けられた要望を柱に質問する予定を立てておりました。しかし、新年度を控えており、無所属を代表する代表質問のため大局に立った質問内容に変更致しました。
                                         3月6日の一言
横井庄一記念館の看板の話から…
 年末の事であるが、事務所二階に横井庄一関係の書や陶器を展示したものの、親の残したものの大半が見つからず、知人に記念品等として差し上げたものと思われる。
 振り返って考えると、茶碗や花瓶に金を払ってまで譲り受けている品物もある筈だが、そういった品々は残されておらず、今となっては探すすべもない。
 しかし、知人とは言え、人の価値観はまったく違い、差し上げた品物がどうなっているのかは判らないが、横井さんの生前中、「人にやった物を売る者がある」との言葉を聞いた事があった。
 横井さんは書や陶器を売っていた訳ではないが、横井さんの作品が骨董品屋にでまわって売られている事は度々目にした事がある。物珍しさから売れるのであろうが、値札を付けられて売られる遺品は、一見裏悲しく、真心込めた作品と思えば買い戻したいが、元がタダで差し上げた品物と思うと買う気にもならないのである。
 インターネットのオークションで、横井庄一の色紙が5千円で売られていた。さて、どのような経路で出回ったのか興味も湧くが、差し上げた人々の年齢を考えると、子孫にゴミとして捨てられるよりはマシかとも思うようにしている。
 「横井庄一記念館の看板を木に書いて欲しい」との電話が奥さんより入った。勿論、書くのは私の恩師だが、恩師に相談もせず勝手に快諾し、記念館の準備が進んでいる事を実感した。我家の二階もこのままでは終われず、議会終了後には横井家との往復を繰り返し、先陣を切って公開にこぎつけたい。
                                            3月5日の一言
再発した駒大苫小牧高校の不祥事…
 昨年夏の甲子園大会の覇者『駒大苫小牧高校』が、野球部の卒業生が卒業式直後に飲酒と喫煙をして警察に補導された責任を取って、春の選抜大会への出場を辞退した。
 昨年夏の優勝直後にも野球部長の暴力事件が発覚しており、度重なる不祥事の責任を取った出場辞退であるが、高校野球連盟の身勝手な判断と、あいまいな処分によって再発した不祥事と言っても過言ではない。
 昨年8月の『天聖人誤』にも記したが、夏の大会直前に自己申告した部員の喫煙等の責任を取って地方大会の優勝を取り消され、夏の甲子園に出場できず、部長と監督が辞任した『高知明徳高校』があった。
 同じ論法で言えば、優勝直後に事件が発覚した駒大苫小牧高校についても、部長による暴力事件を優勝する以前から校長までが隠匿し続けており、優勝は取り消されて当然でもあった。
 高知明徳高校は秋の大会も出場停止にされており、何事もなく部長の1年間の謹慎のみで済ませた駒大苫小牧はそのまま秋の大会にも出場でき、選抜大会出場をはたしていた。
 将来ある高校生の過ちであり、本人以外の野球部員全員に責任を負わせる事には疑問だが、明らかに高野連の対応は公平とは言えず、一貫した基準を示し、高校生の将来を考えた対処を望みたいものである。高校のスポーツは野球ばかりではないが、若者の将来への道を閉ざさないためにも、学校教育全体の問題との認識も重要である。
                                          3月4日の一言
大鹿議員に立ち会ってもらうとの一言…
 先月末まで配布した会報と、返信用ハガキの影響で、連日戻ってくる手紙とともに、市民からの電話も届けられ、忙しさの中でも話し好きのため、長電話が毎日続く。
 本日は、開催中の今議会で質問する要旨を議会事務局に通告する締め切りが正午であるにもかかわらず、来客を無視をする訳にもいかず、相手になる訳にもならず、身勝手に事務処理し、中途半端な応対の後に余裕で市役所に向かったが、一瞬ヒヤリとなる渋滞でもあった。
 市役所側から質問要旨の聞き取りが終わった時には薄暗くなり、慌てて帰宅すると来客が留守番役で私のイスに座っている。ここでも長話になり、来客を見送った時には家族の夕食は終わっていた。
 夕食中に旧市街地の市民から電話が入り、市民病院の医療に対する質問が延々と続く。ここ数日にわたり市民病院に関する問い合わせが続いている。個人的には医者嫌いであるが、毎回のように病院や医療の議会質問を繰り返しており、最近は病気の治療内容まで質問される事も多くなったが、4月からの制度改革が早々と浸透し、市民の悲鳴も実感されてくる。
 さて、問題もある。市役所ともめると「大鹿議員に立ち会ってもらう」との、本人不在での無責任な一言である。偶然にも本日だけで2件あったが、市民からの発言は『市民派』としてはうれしい限りだが、名前を出す事で市役所職員の圧力になるとの考えはやめて欲しい。
 大鹿一八のイメージが一人歩きしている。直接相談される事は大歓迎であるが、議員の名前を出して行政に訴えるのは全時代的でもあり、私の手法とは異質の展開でもある。もっとも、全時代的議員像で語られる自分にも、市民への浸透不足の責任がある事も併せて記しておかなければならないのだが…
                                           3月3日の一言
極悪人ほど極刑が先送りされる裁判に…
 一年前に市役所の住民基本台帳を閲覧して、少女が一人になる家庭を探し、留守番の少女達を暴行し続けていた春日井市の男性が逮捕された。
 誰でも閲覧できる住民基本台帳のあり方が日本中で議論されるきっかけになった事件であるが、本日2日、名古屋地裁は被告に懲役17年の判決を下した。男性は現在32歳であるが、人生の中で働き盛りの年代を刑務所の中で送る事となる。
 同じく本日2日であるが、最高裁は96年と97年に起きた連続強盗殺人事件で、二女性を殺害し死刑とされた62歳になる被告の上告を破棄し、刑が確定したと報道されている。
 罪の大きさを比較する訳ではないし、弁解の余地もない犯罪であるが、いとも簡単に判決が下りた感がした。
 一方では、凶悪な事件であって、死刑が確実の事件であっても、長々と裁判の審理が続いて刑の確定が先送りされている事件も多い。
 オウム真理教による『地下鉄サリン事件』の首謀者である麻原彰晃被告については、本人の精神鑑定を巡って東京高裁で審議が止まり、事件からまもなく11年が経過しようとしている。
 事件の検証と分析から再発防止につなげる事も重要だが、本人の精神が正常でも異常であっても犯した罪が消える訳ではなく、事件の真相を語らず、反省も皆無であり、死刑が確実の凶悪事件だけに疑問になる。連続少女殺害事件で4人を殺害した宮崎勤被告についても、事件から17年が経過しており、遺族感情への配慮だけでなく、同質の事件が次々と起きている事からも早期の厳罰をもって後続する事件を断ち切る事も重要である。
                                          3月2日の一言
家の耐震改修の前に家計の心配を…
 あっという間に3月に入ってしまった感がある。久々に高校時代の恩師(校長)のお宅を訪問すると、ポタン、ポトンと雨漏りの音がする。
 天井に横たわる3尺近い太い梁を雨がつたっている。重要文化財に指定されている堀田邸の前当主を、「こんな太い材木が使ってあるとは」と驚かせた家が悲鳴をあげている。多くの古文書を所有し、歴史研究一筋の恩師が亡くなり、現在は医者である息子さんの代になってはいるが、最近は親の性格と同じく、ガン研究で脚光をあびる研究者になっており、家の補修は後回しにされていたのである。
 比較はできないが、我家も年末の大雪で大屋根の瓦が崩れ、朽ちかけた玄関の屋根も数日前に補修したばかりであったが、由緒ある旧家だけに『リホーム業者』も寄り着かないのであろうか。
 余分なお節介だが、恩師の教え子にあたる瓦職人を呼び、雨漏りの応急処置を依頼したが、スケジュールが空くまでの晴天を祈るばかりである。
 さて、我家も親が亡くなって13年が経過するが、瓦の補修は済ませたものの、床の土台がきしみ畳が波打つようになっている。「そのうちに」の甘い考えが、取り返しのつかない結果を招いているのである。
 「他所様の家どころじゃ無いでしょう」と言われるまでもなく、我家は偽装するまでもなく耐震強度が不足しており、ここまでくると大地震で崩れるまで放っておこうかと思うような境地でもある。国が一向に進捗しない古い家々の耐震工事を心配しているが、心配されても家を建て直す事もできない家計の心配を一番にしてもらいたい境地でもある。
                                           3月1日の一言
「世話をかけたねぇー」…
 何も無い筈の平和な一日が、突如として暗転した記憶は歳を重ねた人ほど多いと思いますが、予定も計画も総てを無にするような連絡はなくして欲しいものでもある。
 本日の昼食直後の事であるが、家内の在所から緊急の一報が入った。「お爺さんが自転車で出て行ったきり帰ってこない」との内容である。「どうしよう…」などと言ってはおられず、「今すぐ110番」と言って家内が走っていった。
 普通の高齢者であれば何の心配もないが、家内の親は『認知症』、いわゆる『ボケ』があり、90才を越えても体は頑強であるが、家族の顔すら判らない事も多く、親不孝な私などは数年前から忘れられているのである。
 自転車に乗っていくと言うのも不思議だが、家の近くには木曽川が流れ、用水が取り囲んでおり、田舎とは言えども道路は車が高速で走っていくのである。
 「万が一ともなれば」と、あってはならない事を考えると、明日どころか明後日から開会する市議会への出席も心配となってくる。
 幸いにも、数時間後、木曽川にかかる県境の馬飼大橋を岐阜県に入る直前で捜索中のパトカーに発見され、無事帰宅となったものの、住まいが稲沢警察署と津島警察署、岐阜県では海津警察署と羽島警察署の境界線に近いため、長引けば広域捜査が必要な地域でもある。
 パトカーを降りた際に、「世話をかけたねぇー」と平然と答えたと聞くと、見知らぬ人には普通の老人であり、周りが注意していても限界があり、犬や猫のように縛っていく事もできない事から不安な日々が連日続くのである。
                                          2月28日の一言
「おい、たまらんなぁ」…
 議会を直前に控えているものの、1月から配布した会報に同封したハガキの返信や、電話での相談が相次ぎ、事務所はヨロズ相談所と化している。
 年末に大量処分した事務所の書類だが、完全な整理に至る前に次々と書類が山積みされており、早急の整理が必要と思われる。最近では、3種類のノートを持ち歩き、議会等での記録とは別に、住民の皆さんからの要望のみを書き記しているが、完全に議員の仕事の枠をはみ出して、弁護士や税理士、医療や老人介護の相談まで入っている。
 動けば動いた分に比例した『仕事』が舞い込んでくるが、これだけ便利な世の中になっても、相談すべき窓口すら無い事案が多い。もっとも、税理士や弁護士は料金を取って相談に乗っているのであろうが、専門家を依頼するまでもない相談の持って行き場に困る。
 「おい、たまらんなぁ」とは同行を依頼した人の一言であるが、人と人とのトラブルは警察の受け持ちであろうが、多くは警察を依頼できない場合が多く、最近は勘違いによる『精神不安定』の状態での相談もあり、本日のように同行をお願いできれば幸いだが、同行者は寒中震っての付き添いとなる。
 本日の訪問地は1軒だが、2箇所を確認で訪れ、役所への連絡も済ませた。やっと開放されたと思い同行者と入った喫茶店では新たな相談の電話が入った。来客も電話もなく、淋しく暇を持て余す日々もあるが、新たなノートに記載された案件は枚数を増やし、結果待ちや継続中の案件が増えると大きな精神的負担となり、議会の質問要件がまとまらないばかりか、毎日のHPへの記載も中途半端になる。
 「ちょっと一言」と言われても、本来語るべき津島市政の話を忘れ、的外れな会話をしている場合も多く、3日後に控えた議会と翌日の質問通告書提出に頭を切り替えたい。
                                          2月27日の一言
世の中の矛盾…
 昨日の一言は、中学3年生の三男が書き入れました。私の不在中であっても来客は『市議会議員』の家として訪問し、私の家族は議員の家族として対応している事を昨日の火事通報の一件から改めて感じました。
 火事を発見し、中学生の息子の背中を押して一緒に通報する市民との行動のアンバランスには、災害時の行動の滑稽さを実感しましたが、地域の人々と息子が一緒になって行動した事から、親としての安心感もあり、一言の代筆に至ったしだいです。
 さて、今回の火事は工場の最上階からの出火のため、消防の専門職員に任せるままで、多くのヘリコプターが飛来し、さながら祭り見物のような雰囲気で野次馬が集まったが、これだけ多くの人々が集まった火災の最中に、裏側の工場内で何事も無いように平常どおりの仕事に従事している従業員の姿にはびっくりでもあった。
 数日前ガラスの修理を依頼した際のやりとりを紹介したい。「ガラスの修理を頼みたいんだけど」、「嫌だねッ」、「何故、仕事だろゥ」、「儲からんから」、「儲ければ良いだろー」、「おまえから儲ける訳にはいかないから」etc…、電話口で冗談の後に走ってきてくれた。
 昨日我家の瓦を修理していたのも親から引き継いだ職人である。人々の生活に不可欠な職人達が、身近に存在しているにもかかわらず、その存在が知られていない現実の中で、高額な料金を請求するリホーム業者がまかり通る世の中の矛盾。自社の火災中に他人事のように仕事をする姿から、割り切れない社会も痛感した。
                                         2月26日の一言
僕にとっての本日の一番…
 親の代筆で書きます。僕の家の近くで今日火事がありました。最初は全然知りませんでしたが、知り合いの人が『あれって火事かな?』って訪ねてきました。僕は火事なら大変だと思い急いで110番にかけました。そして状況を言いその後に119番にかけました。最終的にはとても大きな火事になり、僕は早いうちに連絡できて良かったと思いました。後から思ってみたけど、こんな僕でも信用してくれたと今はとてもびっくりしています。 でも、あそこの会社は小学校の社会見学で行き、津島の中でも大きい会社だと聞いております。 すごく大変だなと思い、今思うと
電話をかける勇気を出して、それが火事で自分は少しでも世間の役に立てたのかな?って今日はずっと疑問に思っていました。
 午前中はずっとお父さんの知り合いの人が来ていました。その人は割れたガラスや瓦を一生懸命直していました。子供の思う事ですが、耐震偽造問題等を見ていると本当の職人としての、プライドを失っているのではと思います。お金を安くという考えは決して悪いわけじゃありませんが、それでも必要最低限の家として安心して住める家を作ってもらいたいです。一度作ると決めたなら最後まで責任を持ち家の天井裏等に名前を残すというくらい自信を持ち、やるならそれくらいの根性で作ってもらいたいです。
 最後はトリノオリンピックの話をさせてもらいます。トリノオリンピックではメダルは何個取れるんだろうととても気になっていました。しかし、始まってみるとあまりいい成績とは言えない結果が続いていました。しかし、選手の方は自分が日本の代表という事で、自分の為にもそして日本の為にも頑張っていました。そういった選手はやはり日本の代表として出ていき、結果はどうであれ選手を悲観するのではなく、お疲れさまと迎えてあげるといいと思います。 そして荒川選手は去年はあまりいい成績ではありませんでしたが、人間は一度挫折を味わうと強くなる、と言いますが本当にその通りで、金メダルを取ってきてくれました。僕は無理な事を頑張っても出来ない事が多いですが、今自分の目の前の事を一つ一つ確実に頑張っていけば、いつかは自分にとってかけがえのない物になる、と言う事を教えてくれた、そんな滑りをしてくれた荒川選手や日本代表の方にこれからも人に勇気や感動を与えてくれるような、そんな演技をしてもらえたらなァと思っています。                                  
                                          2月25日の一言    
疑念を吹き飛ばした金メダル…
 日本にとってはメダル無しも懸念されていたトリノ冬季五輪で、フィギュアスケートの荒川静香選手によって待望の金メダルがもたらされた。
 伊藤みどり選手以来の天才と言われ、一度は世界の頂点に輝きながら、ここしばらくは低迷していただけに、笑顔の優勝を心から祝福したい。やはり、挫折を乗り越え、人間として一回りも二回りも成長した末の金メダルは最高である。
 一度は引退を考え、復活したドラマだけでも涙を誘われるが、何よりも日本スケート連盟の敷いたレールに逆らい、自らの意思でコーチを変えプログラムを変えて手にしたメダルに、最大級の祝福と喝采を贈りたい。
 年齢制限で出場できない中学生の浅田真央選手に抑えられた日本代表であるが、地元とは言え高校生の安藤美姫選手の選出には大きな無理があった。オリンピックのテレビCMに起用されていたと言っても、転倒を続け選考会の最下位からの選出には、内心涙を流した選手もあったと推測する。
 元々、1年間のほとんどをアメリカで練習に費やし、高校の授業に出席しなくても卒業できる『中京大中京高校』にも疑問だが、今後入学する大学と同時に入社予定のトヨタ自動車とスケート連盟にも大きな疑問が残り、公開質問状を送付したい心境でもあったし、成功した事の無い4回転ジャンプに期待するマスコミの真意も理解できない『うさん臭さ』を感じていた。
 さて、そんな疑念や邪心を一気に吹き飛ばしてくれたのが、今回の荒川静香選手の金メダル獲得で、嫌な事は一切忘れて心より祝福し、安藤美姫選手の再挑戦には期待したい。
                                          2月24日の一言
国会議員の自覚も皆無では…
 昨日の続きになってしまうが、偽物の証拠(メール)に記された根も葉もない話であっても、マスコミは徹底的な検証をすべきと思っているのだろうか。疑惑の発端となった証拠品が『でっちあげた』品物であれば、疑惑そのものが身勝手な推測でしか無いのに。
 本日の朝と昼のワイドショーでも、紛い物とされるメールを巡って、現職国会議員が複数登場し、評論家も激論を展開しているが、本来の仕事はどうなっているのか。新人と言えども、杉浦大蔵議員の行動は問題ありで、国会議員どころか議員の資格もない。
 「自分は自民党の武部幹事長のお陰で議員になり、その親とも言うべき幹事長に特別任務を命令され、議会を欠席してまで任務を遂行してきた」と、自身のブログに記していた事が報道された。
 18日付けのブログと思われるが、問題となる「議会を欠席して」の部分は削除され、記事は訂正されているが、国民に選出された議員の認識も皆無で、議員にとって本会議を欠席する事は明らかな責任放棄であり、辞職に値する行為でもある。
 本日届けられたアンケートや手紙にも、議員として何をすべきかが記され(一八への手紙のジオログを参照して下さい)ていたが、我々地方議員においても反省すべき事は多く、選挙や票のみを目標と思われない行動を徹底したいものである。
                                        2月23日の一言
偽物?でも国会論議は白熱す…
 理不尽な事が多く、成金のホリエモンは徹底的に排除されつつあるが、人の命に関わる犯罪である『耐震強度偽装事件』の当事者には追求も甘く、放置されたがごとく日々が過ぎ去り、ついには自治体の責任に摩り替わった感もある。
 世の中が詐欺や悪徳業者の横行で、ついには国会までもが詐欺か偽装の情報によって、政局が混乱しているのである。
 「ホリエモンから武部幹事長側に大金が振り込まれた」と、民主党議員が証拠として差し出した『メールの着信歴』が、本物としての証拠も示せないにもかかわらず、民主党を代表する党首が『偽物』と言われているメールをたてに、銀行口座の強制的調査を迫る。
 こんな事が国会ではまかり通るのだろうか。疑えば何でも疑問になってくるが、これでは詐欺や悪徳セールスマンと同じ手法ではないか。疑わしく思えば、ウソの証拠書類を証拠物件としてでも追及して良い筈がなく、これを許せば地方議会でも『でっちあげ』の情報をもとに発言がまかり通ってしまうのである。
 マスコミに登場する評論家の中にも、「事実が無いなら口座を公表しろ」と発言している人物が複数あるが、こうなると公職にある者全員の銀行口座を公開させなければ、国民の疑惑は解消しなくなってくる。
 公職にあってもプライバシーは存在し、ましてや今回は家族の銀行口座まで公開を迫っているが、メールが偽造された偽物であった場合の責任をどのように果たすのか、厳しい視点で注目してみたい。
                                         2月22日の一言
先祖を粗末にすると大変な結果に?…
 明日は我家で念仏講があり、講組の女性軍が集まって各家々の女性達と戦没者の先祖供養が行なわれる。
 さて、座敷に張り出された大きな過去帳の中から我家の先祖の戒名を探していると、3人が対象になっているようだが、となりに記載されている俗名が違っている。戦後嫁いできた母親も、戒名は間違いないが俗名は知らず、「おばあさんがそう言っていた」と、間違った俗名を信じているようである。
 まさに『死人に口なし』のことわざ通りで、亡くなった先祖に聞く訳にもいかないが、我家に残された戸籍謄本には違う名前が記載されているのである。間違いとは思うものの、今さら大正時代に亡くなった先祖の俗名を書き直す勇気は湧いてはこない。
 戸籍謄本は意外な歴史を示してくれる。私の祖母の姉は旧佐織村に嫁いでいるが、戸籍では嫁いだ記載が無く、死亡届けも我家で戸主であった実母が届けている。嫁ぎ先では男4人と女2人の子供をもうけたが、嫁ぎ先の戸籍には名も残されていないのである。
 この話をすると、「そう言えば、亡くなった時に夫がリヤカーに乗せて、『ここの家の娘だからここで葬式をあげてくれ』と亡骸を置いていかれたと御祖母さんが言っていた」と、母の記憶が蘇ってきた。おなじ事が繰り返され、横井庄一さんの母親が亡くなった時にも、この親族からは「あんたらが在所元だから」と、姉にあたる祖々母と私の母親の二人で納棺をしたと聞いている。
 こんな事では先祖が浮かばれない。この親族の男4人の家庭では3軒が子孫に恵まれず、1軒は親子喧嘩で別居中である。先祖を粗末にしたり、亡くなった人を粗末に扱うととんでもない結果になるのかもしれない。とんでもない事実を知らされ、あわてて仏壇に走り親父の遺骨と御先祖様に手を合わせたのである。
                                         2月21日の一言
戦没者特別弔慰金の手続きで頭痛が…
 本日は『戦没者特別弔慰金』の手続に同行し、元々が複雑な手続きの上に、当事者が記載不自由なために代筆を依頼される事となった。
 しかも、戦没者が二人あるため二通りの書類が必要であるのに、『老眼鏡』を持参しておらず、市役所窓口の老眼鏡を貸してもらったものの、書類を書き上げるうちに文字が二重に見えるようになってきた。
 さて、肝心の手続きも、受給対象者の御主人が亡くなられてから、ご夫人の住所は岐阜県に移動されており、今回の受給対象者は静岡県に在住の義弟に移っているため、書類を送付し合いながらの手続きである。また、戦死された二人の本籍地は長崎県にあり、除籍謄本は長崎県から発行してもらうのである。
 しかし、借り物の『老眼鏡』では役にたたない。文字が二重に見えるだけでなく、気分が悪くなってきたのである。もっとも、私が必要とする『老眼鏡』は、極端に軽度の低いもので、度の強い老眼鏡のために頭痛も伴ってきた。
 やっとの思いで書類が完成し、御主人が亡くなった事を証明する書類を窓口で申請すると、津島市には証明できる書類が何もない事が発覚した。
 「死亡届はここに出したのに」との疑問だが、死亡届提出後にご主人の本籍地へ自動的に連絡され、現在津島市には何も籍がないため、ご主人の本籍地へ証明書を申請する事となった。
 こんな複雑で、全国各地の自治体にまたがる手続きを、電話で問い合わせしても答えようがない筈である。1月20日に記した、「金も無ければ電話もできない弁護士」の顛末であるが、元々は行政の親切な対応があれば、私の頭痛も無かった筈ではある。
                                         2月20日の一言
出演できないかもしれないの一言に…
 本日はまちかど座談会を開催したが、一緒に企画している『出前寄席』も34回目を迎える事になり、いまさらながらよく続けられたと思っている。
 さて、その寄席の主役をかざる落語家の『浪漫亭砂九』さんから、「もしかしたら、明日の出演は無理かもしれない」との一報が前日入ってきた。
 お父さんの体調がすぐれぬとの事で、いつも家庭を犠牲にして(?)好きな落語三昧の砂九さんを見てきただけに、元気なご両親の存在が落語を支えていたのかとも思い、早い回復を祈り本日の弁解を考えていた。
 幸いにして席は空けることなく落語が聞けたが、事の顛末を語る砂九さんの話を聞く人々も、砂九さんの父親と同世代の人も多く、他人事とは思えぬ話に神妙に聞き入るものの、そんな雰囲気を苦にせず古典落語に切り替える年季に芸人魂も感じさせられた。
 思えば34回というのは大変な数字である。こちらは場所の予約と案内チラシの配布だけであるが、思うように人が集まらず数人で聞いた事もあり、多く集まったものの途中から子供たちが入り雑談した挙句に会場に犬が乱入する珍事件もあった。
 これから何回続けられるのかは判らないが、貴重な一席、貴重な機会との認識を持ち、安易な場所の繰り返しではなく、未開催の地域にも挑戦していきたい。
                                          2月19日の一言
他所者、馬鹿者、若者がキーワード…
 本日も先週に引き続き『まち歩きワークショップ』で、万博が開催された長久手町を(先週は瀬戸市)訪問してきました。(主催はNPO法人ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海)
 万博反対を表明し、目の前に入場券がありながらも頑強にも一度も訪問しなかった万博会場ですが、初めて乗車したリニモへの乗降客の少なさに、小牧市の桃花台線の存廃問題が脳裏に浮かんだのは気が早すぎるのか。
 参加された地元の人々が、口々に訴える神社仏閣への観光PR化には、先週の瀬戸市や我が津島市を引き会いにだすと大きな錯覚と無理があり、むしろ個人的には、岩作(ヤザコ)地区の地下137メートルから汲み上げる水に興味がわいた。
 この井戸水を飲む岩作地区の人々は長生きが多いとの話に、愛知医大の存在から県内一の救急医療体制にある地域性を生かし、香流(カナレ)川の自然と共生する健康長寿の街づくりを考えてみたい。
 ただし、この魅力ある井戸水が、行政の手によって塩素で消毒されて供給されている事は残念の一言で、飲んだ水に「美味い」との感覚はまったくなかった。水の豊富な尾張地方に住む者の贅沢を実感する。
 さて、職業柄どうしても訪問地から参考になる趣向を見出したくなるが、街づくりは『他所者』、『馬鹿者』、『若者』の存在が重要と聞く。先祖代々住む津島市では他所者にはなれないし、若者にも戻れないため、当面は『馬鹿者』に徹して津島市の魅力を演出してみたい。えっ?元々馬鹿者じゃないかって?どうでしょうか?(ほっこり庵に伝染した転結です)
                                          2月18日の一言
日本不振のトリノに思う…
 オリンピックでメダルが取れず、原因を追求する論評も多いが、そもそも出場する選手達にメダルを目標にさせるところに無理がある。
 夏のオリンピックと違い、冬季オリンピックには世界中から参加する事は不可能であり、雪や氷とは無縁の温暖な国々は参加する事もできないのである。アフリカをはじめ赤道直下の国々には無縁のオリンピックでもある。
 限られた国々で争うオリンピックだが、地理的に雪や氷と縁の深い北欧やロシア、カナダなどが有利になるのは仕方のない現実でもあり、その中で日本人がメダルを手中にする事は至難の業だと思えば選手のプレッシャーも薄らぐのではないか。
 しかし、かつては日の丸飛行隊と言われた日本ジャンプ陣惨敗の原因を、選手や指導者だけに求める事は酷でもある。日本の独壇場であったジャンプ競技は、何度となくルール改正が繰り返されてきた。体が小さい日本人が有利である事から、複合競技のジャンプへの得点配分を減らされ、ジャンプそのものにも身長や体重による制限が加えられた。
 自動車レースのF1競技でも、過去には高出力エンジンで連戦連勝のホンダ車に不利になるルール改正がなされた事があるが、ヨーロッパ人の身勝手は目に余るものがある。それらに対抗できなかったスポーツ界の政治力不足も原因である。
 その中で、日本人と同じ顔をした中国人の活躍が報じられてくる。さすがに人口13億人を超える中国だけにメダルの確率は日本の10倍のはずである。ルーツを同じくする近隣諸国の活躍にも目を向け、一緒に応援したいものである。
                                         2月17日の一言
国際協調の足を止めるな…
 「何を言っても判らない国だから、経済制裁で交流を止めてッ」とヒステリックに訴える北朝鮮拉致被害者の母親の声がブラウン管から流されてきた。
 自分の子供が浚われ、その後の消息が判らないのであるから、当然の叫び声に聞こえるが、これも厚い国のカベの前に平行線をたどっている。もっとも、北朝鮮は拉致の事実を認めた上で病死したと発表しているのだが…。
 外交的には責任のない国民の叫びではあるが、国際化が叫ばれ、国際協調と平和を目指すべき時代に逆行する叫びだけに、日本政府の責任ある対応が求められるべきである。
 我が国も太平洋戦争では拉致被害とは比較にならない残虐な大量殺戮事件や強制労働などを近隣の国々におこなっている。未だに国を越えた裁判に訴えている被害者も多い。
 しかし、拉致問題だけで北朝鮮との平和外交の足を止め、国民の交流を制約する事は両国の関係にとってマイナスである事は間違いのない事実である。
 日中の国交正常化についても、当時は比較のできない多くの諸問題を棚上げして国交を開いており、当時の中国にも拉致被害者とは比較のできない多くの被害者があった事から、国の外交に携わる人々の長期的展開を見据えた決断を期待したい。
 北朝鮮の金正日総書記は、日本との平和条約と友好関係のために自ら関与が報じられている拉致事件の事実を認めており、この事は絶対主義の北朝鮮にとっては大きな決断でもあったし、国交回復のチャンスでもあった。
 過去の事件の清算も重要だが、相手にもより多くの言い分がある事から、政府には小事を捨てた前向きな対応を求めたい。
                                          2月16日の一言
市民の熱い想いが届けられた…
 本日3通の封書が返信されてきた。2通はアンケートの回答で、1通は6枚のA4用紙にパソコンでぎっしりと書き込まれた提言であった。
 住所と氏名を記すだけでなく、職業と経歴を示す名刺も同封されていたが、勤めこそ(公務員)津島市近隣であっても、これだけ的確に津島市を見つめ、これだけ的を得た津島市や地域の将来像が記された市民からの提言は議員生活の中で初めてであり、大きな視野に立った地域展開の重要性と同時に、情けない話だがこうした市民の存在を認識した上での議会活動がなされているか、足元を見つめ直す必要性まて感ずる内容であった。
 最近の議会や選挙ではさかんに『マニフェスト』が叫ばれ、公約の実現性が問われているが、この事が選挙公約の内容を目先の実現可能な施策に走らせ、議会での質問の制約になっている面も否定できない。
 地域住民にとっては、目先の諸問題も重要であるが、20年、30年先、もっと先の50年、100年先の地域がどうなっているか、又、どのようにしていくのかも重要であり、公約の実現の有無にかかわらない大きな規模での議論が不足している事は否めない。
 考えてみると、議員になってから多くの市民の皆さんの提言をもらっている。短文も多いが、思いは多義にわたっている筈であり、こうした提言を自己満足するだけでなく、生かしていない自分の愚かさも痛感するものである。
 一八への手紙を新たなジオログに移し変え、市民のコメントも記載できるようにした事から、こうした提言は提言として生かすためにも、『一八への提言』を新設して皆さんとの提言や意見を市政に活かす事を考えてみたい。
                                          2月15日の一言
津島市で迷子は情けないの一言…
 1月から続いている早朝の会報配布も、終盤に入り自宅からどんどん遠くなっているが、本日は津島市で迷子になったような感覚を体験した。
 今まで隣接する愛西市(旧佐織町)と思っていた地域だが、新たに住宅が立ち並び津島市の住所が記載されてあるため、次々と配布していると、何処に立っているのか解らないような妙な感覚が襲ってきた。元々が新聞販売業を生業とし、議員になってからも一度は会報を持って市内全域を廻ったつもりであったが、地図の上ではなく実際に訪れてみて味わった勉強(認識)不足であった。
 津島市で迷子になるような事では恥ずかしいかぎりだが、少なくともこの地域の人々に対しては津島市民の感覚がなかった事を反省したい。地元である旧神守地区では、全所帯のポストの位置を把握し、郵便配達は別としても誰よりも家々を熟知し、暗闇でもポストに配布できると自負していたが、同じ津島市内から手付かずの地域の出現にびっくりである。
 さて、一度も会報を配布していない地域の人々にとっては、選挙の間際に走りまわる議員と同じ存在でしかない。隣接する愛西市が選挙を間近に控えており、来年が総選挙の年にあたる事から、会報配布時に「選挙が近いからなァ」と言われた人があった。「私の会報は選挙用ではなく、日常の政治報告」と言いたかったが、本日の朝の一件から改めて市内全戸配布の実現に向けた努力の必要性を実感させられた。
                                         2月14日の一言
他の市町村を訪れての思案…
 瀬戸市の話題を続けるが、他市を訪れてしみじみと思う事は、津島市で発言されている話題の暗さと、明るい展望が不足している事である。おまけに、多発する空き巣や詐欺紛いの営業によって、素朴な人柄まで失せてしまってきた事は残念でもある。
 津島市の発展のキーワードとして、『観光』をあげる有識者(?)も多く、街づくりの柱を観光開発と思っている人もあるが、津島市の観光資源は細々としている事は、瀬戸市に限らず他市を訪れれば明らかである。
 瀬戸市の赤津地区を訪れただけで、観光資源が眠っている事が実感される。津島神社の門前町としての街並も、京都と比較した仏閣の多さも、焼物の里であるはずの瀬戸市のわずかな神社仏閣にも喰われてしまう。赤津地区にある雲興寺は盗難除けのご利益があり、遠くからお札を求め人々が寄ってくる古刹である。
 案内人の話では、万徳寺の方が立派との事であるが、瀬戸市には有名な定光寺もあり、日本一の瀬戸物の産地である。これらがほとんど手付かずで眠っているのである。豊かに残された自然環境も、瀬戸市が交通のへき地にあった事が幸いしているのかもしれない。
 我が家周辺(神守地区)も、私の少年時代には近江八万の水郷めぐりと比較しても可笑しくない、豊かな水と自然環境が横たわっていた。これらは都市化の名のもとに道路に変わり跡形も残されていない。
 津島市と言えば『川祭り』が有名だが、元々が庶民の祭りではなく、最近では地元にもたらす経済効果はほとんど無く、毎年続けて訪問する観光客はわずかである。資源を食い尽くしてしまった津島市の魅力を何に求めるか。他市を訪れての思案が必要である。
                                           2月13日の一言
瀬戸行きの帰路に痛感したバリア…
 昨日の瀬戸行きの中で、津島市からのアクセスが非常に良くなった事を記したが、これは私の自宅がバス停のまん前にある事もあり、傘を持たずとも濡れずに瀬戸まで到着する事も可能ではあるが、多くの人々には乗り継ぎや乗り場を探すのに一苦労が瀬戸行きの現状である。
 昨日の帰路は、脳梗塞によって現在は車イスを利用されているKさんと一緒に電車で栄まで帰ったが、会話の中からもまだまだ多くのバリアーがある事を痛感した。
 解っているようでも、本人の苦痛や苦労は他人には解らない事も多い。Kさんは一人で何処でも公共交通機関を利用してみえるが、便利になって利用しやすくなったものの、電車とホームのわずかな隙間には大きなバリアーがあり、駅員が用意する渡し板がたよりである。
 電車の最後尾の車輌に乗り込んだ事は良いが、電車自体に渡し板はなく、乗車時に駅員に告げた降車駅で待っている駅員が渡し板をかけなければ、電車を降りる事は不可能である。
 途中で降りたくなっても降りる事はできないのである。これだけバリアフリーが叫ばれ、自家用車でも車イス対応の車種が販売される時代だけに、列車の最後尾の車輌には列車に乗車する車掌一人で扱える車イスへの対応は可能と思われるが、現状は駅員が走ってくるのである。
 さて、栄町の地下街まで延伸した名鉄瀬戸線だが、改札口まで昇るエレベーターはなく、エスカレーターで車イスを昇降させるのである。たしかに、何もなかった時代に比べればマシであるが、車イスひとりのために混雑するホームにチェーンを張って、一般客を遮断して衆目一致の中を昇降させるのである。
 「駅員さんも大変だから、エレベーターが欲しいね」と言うと、駅員さんも「そうですね」と素直に頷いたが、誰にも気兼ねなく自由に行きたい所に行けるためにはまだまだ大きなカベが存在しているのである。
                                         2月12日の一言
瀬戸市の魅力にはまった一日…
 本日は内閣府市民活動総合支援事業により、NPO法人『人にやさしいまちづくりネットワーク東海』の主催する『まち歩きワークショップ瀬戸』に参加した。
 考えてみると、瀬戸市に行った事は生まれて数回(5回)しかないのである。ついでに通る事もないし、津島市からは電車等の乗り継ぎも悪かったためだが、あまりにも簡単な乗り継ぎと早い到着にびっくりさせられた。
 自宅前のバス停を7時45分の名古屋栄行きに乗車し、栄で名鉄電車に乗り換えると、栄からは32分で瀬戸に到着した。万博反対、無関心の私には、瀬戸が万博の会場であったことさえ忘れていたのである。
 振り返って考えてみると自然破壊に反対して、多くの人々が立ち上がっただけの魅力が瀬戸市にある事を、本日のまち歩きで実感した。
 私は瀬戸の中でも、『赤津焼きの窯の里めぐり』に参加したが、観光地としての体裁をなしてはいないものの、街角のいたる所に陶芸の里としての魅力があり、再度訪れたいリピーターになってしまったのである。
 ひとつ一つの窯元やギャラリーには、観光地になる前の素朴なモテナシがあり、手付かずの観光資源が眠っている。ただし、『やさしさ』には程遠く、歩道はなく車に轢かれそうになって歩き、車イスはほとんどのギャラリーに入れないのである。瀬戸市の魅力の前に、交通アクセスとバリアフリーの厚いカベが立ちはだかっているのが残念である。
                                           2月11日の一言
近づく足音の中での雑感…
 まだ先の話と思っていた3月議会の足音が近づき、過ぎ去ってしまった1月を含めて指を折っている自分と、日時の経過の早さに(
過去にも何回も記載しているが)驚かされた。
 本日訪れた図書館の館長も3月が定年との事であるが、他人事ではなく自分達も気がついた時はそんな歳になっているのもしれない。
 市民の皆さんからいただいた手紙専用のホームページを新設したところ、一通はタイミング良く届けられたものの、その後が続かない。ついでに横井庄一と私を『明日への道』で単独に独立させたものの、切り離すタイミング(度胸)に戸惑っている。
 議員生活の中で一番時間が空け易い1月から2月を、会報『津島の風』の配布に費やしてきたが、過去最高の1万5千部まで3千部を切ってはいるものの、明日からは公的行事と組み合わせで大変な日々になりそうである。
 市民の皆さんから手紙は届かないが、電話は毎日のように入っており、先延ばしにすると性格上溜め込んでしまうため、優先して即日即決で処理していると過去の案件の積み残しが案外忘れられている事もある。「こんな事ぐらい議員に頼むな」と昔の議員なら怒られそうな案件から学ぶ新鮮な発見も多い。慌ただしくなりかけた一日一日が過去の蓄積により達成感の多い(
自己満足)反面、どうにもならない案件もあり、議員の枠を越えた対応が必要でもある。
                                           2月10日の一言
一升の餅に五升の取粉…
 以前の一言にも記したが、新たな事件が目白押しで、事件の当事者達は黙って息をこらして時が過ぎ去るのを待っているのかもしれない。
 平成18年に入ってから次々と新たな事件が起こるものの、次々と過去の事件として忘れてしまう賑やかさである。
 国の三位一体の財政改革から厳しい経済状況が続いていたが、ライブドアショックが起こっても回復基調は本物のようで、公務員には厳しい人員削減や給与削減の嵐が続いているが、民間ではその厳しさも山場を通り越し、今年の春闘は昨年までとは違う気配が漂っている。
 さて、表面的には回復の兆しが見えているが、我々国民の生活に目を通すと年々公的負担金が増加し、逆に公的サービスは低下する事が確実でもある。
 3月の確定申告が過ぎると、そのシワ寄せが確実に生活を直撃し、税負担の増大にもかかわらず、医療費や公的負担の増加が現実のものとなってくる。
 また、次々と新たな支出も増え、将来的には下水道代も必要となるが、意外に計算されていないのが通信費などIT関連の経費である。津島市の公共施設建設による電波障害に対する保障も多数に及ぶが、無料の筈の保障対象者が有償の有線放送に切り替わっている家庭も多い。契約は個人の自由だが、明らかに事業者に手を貸す結果となっている。
 津島市でも納税の口座振替を推進しているが、今一度支出の中身を確認し、家庭内のムダを省く精査も重要である。
                                           2月9日の一言
大病院も名医でも治療費は一緒…
 議会活動の中で、議会の一般質問において救急や医療問題については誰よりも多く質問に立っているために、『まちかど座談会』や雑談の中身も自然と病院の話が増えている。
 嬉しい事は、私のような若造の話をまともに信じて、素直に助言どおりに行動される人の存在で、本日の相談者もその一人であった。
 市民病院で膀胱ガンを告知され、紹介状をもらわずに名古屋のガンセンターを受診し、治療前に弱っている心臓の回復のためガンセンターから名大付属病院を紹介され入院される人の訪問を受けた。
 普段に口では簡単に言える事だが、これがなかなか難しい。誰もが良い病院や有名な医師の治療を仰ぎたいが、日頃世話になっている医師には言い辛く、そのまま身を委ねる患者も少なくない。
 「できるだけ大きな専門病院を紹介して下さい」の言葉が出せれば、人生が大きく変わる可能性は高く、「何もできません」と言われていた人が、専門病院を受診して回復しているケースもよく耳にする。
 病院の格差は明らかであるが、意外に勘違いされている事は入院費や治療費に対する誤解である。どこへ入院しようと治療費の負担額は一緒である。ましてや高額療養費支援制度や貸付制度もあり、安心して大きな専門病院の熟練した医師を選択した方が良いに決まっている。自分の命がかかっているのである。訪問者の回復と、行政の最大限のバックアップで、古い慣習を変えていきたいものである。
                                          2月8日の一言
皇室に男子誕生の期待が…
 国会の政局を左右する難問と思われていた『女性天皇』を容認する皇室典範改正に、新しい展開がおこってきた。
 本日の新聞各紙やテレビニュースから宮内庁関係者の話として、秋篠宮妃紀子さまの懐妊が明かになったと報じられている。
 小泉首相は有識者会議の『女性天皇容認』の報告に基づき、3月の国会審議で改正案を提出し、早期の決着を図りたいと話していたが、三笠宮殿下や旧宮家からも異論の声があがり、国会内からも与党である自民党議員から「男系・男子で継承すべき」との声や、有識者会議の審議不足を指摘する声もあがっており、このまま提出できる状況とは思えず、紀子妃殿下の出産待ちとなる公算が強くなった。
 さて、こうなると男子の出産が心待ちとされ、すんなり男子誕生となれば幸いであるが、これのみは神のみぞ知る事で、出産予定とされる9月まで夢をつなぎたい。
 この件に関係して、平成15年12月に当時の宮内庁長官が「秋篠宮家に3人目の出産を期待したい」と発言し、後日陳謝するなど論議にされた事もある。まさかこの状況下においては『女系天皇』容認を柱とする改正案の提出は見送るのが当然と思われるが、小泉首相の胸中やいかにと心配にもなってくる。
 心配と言えば、岐阜県から「教育長になりたい」と町長に金品を贈って就任した元教育長と元町長が逮捕されている。定年を越える年齢になっても名誉職に就きたい魔力と、すんなり金品を受け取り世間に不名誉な汚点を残す事を忘れた人々の存在に、皇室典範とは比較ができないが、一抹の不安材料でもある。
                                          2月7日の一言
対決姿勢では何も解決できない…
 ほっこり庵の独り言(トップページ)に、「相手の言い分を研究してみては」なる一文が記載されていた。確かに、北朝鮮の偽遺骨問題についても、お互いの主張を言い合うより、公平な第三国の評価に委ねた方が説得力がある。
 東横インの偽装改造事件について、本日は愛知県内の障がい者団体の代表30人が名古屋駅口店に抗議に訪れた事が新聞やテレビで報道された。放映された画面に知り合いの顔があり、心が痛められたが、これもお互いの『本音』がかみあっていない現実がある。
 熊本のハンセン病の施設入所者の宿泊を断ったホテルは、当初の対応を批判され、全国に向けて謝罪を繰り返したあげく2年前に廃業に追い込まれた。事件が報道された直後にハンセン病の元患者の意見を求めたが、報道によって当事者が圧力団体になってしまっている事が危惧されていた。
 元々、ビジネスホテルとして展開していた東横インには、障がい者を顧客の対象とした意識も希薄で、当初の代表の会見でも正直な本音が語られていた。最近の報道では、顔を歪め陳謝を繰り返しているが、マスコミに叩かれた結果ではなく、法律ではなくバリアフリーの基本精神を理解して、障がい者が宿泊しやすいホテルへの改善を図って欲しかった。
 本日の抗議活動についても、対決姿勢ではなく、第三者を交える事で、抗議行動だけではなく、今後の良好な関係を構築していく事が可能ではなかったか。知人が参加していただけに、無関心で他人事として記していた自分を反省もしたい。
                                           2月6日の一言
ホームレスを笑えない…
 昨日記した「社長ーッ」は、随分昔の番組になってしまったが、テレビ朝日のモーニングショーでの『宮尾すすむのああ日本の社長』であった。
 全国各地に立志伝中の社長を訪ねた番組で、社長の素顔や仕事振りに合わせて豪華な邸宅が紹介され、視聴者の溜息を誘っていたが、今や昔の物語と化してしまった感がある。
 最近では逆に、『貧乏さんバトル』や『ゴミ屋敷』など、人々を揶揄しバカにしたような番組が多く、一億総中流意識のもとに優越感に浸っているのかもしれない。
 ただし、ここに紹介される『貧乏さん』は、とてもマトモに貧乏人を代表するような人々ではなく、奇人、変人の部類であることを視聴者は認識しているのか疑問になってくる。
 自分のこだわりや趣向で貧乏生活を送る人々は別として、全国の都市部に張られるブルーシートの数は年々増加して、各地で強制退去が報道されてくる。
 リストラや家庭崩壊など理由は様々なれど、それらの人々にもプライドがある事を我々は忘れてはならない。はっきり言って、国や行政の公的援助をズル賢く利用して生活する人々よりも、他人を利用せず自立する姿は立派だと私は思っている。都会のジャングルで自立する『マタギ』とは言い過ぎかもしれないが、彼等は自分の生活は自分で守る精神があり、立派とは言えないものの自立しているのである。
 さて、問題は最近話題となる『金持ち』にある。他人の弱みに付け込んだ商売や、法の網をくぐった商法で『成金』になった人々も多い。本日の報道でも違法組織を偽装して金の入金を隠して大金を手にしていた人物が逮捕されている。自立するホームレスを笑えないところに現代社会の光と影が存在する。
                                           2月5日の一言
心まで貧乏人にするな…
 東横インホテルの不法改造問題が報道される中で、ホテルの代表取締である西田憲正氏の自宅までテレビに放映された。
 過去の事件でも、経営者の豪華な自宅や資産が映し出され、あたかも金持ちが悪いようなイメージでの報道が多い事に、『貧乏人』を代表して不快感と批判を述べたい。
 西田氏の自宅の敷地280坪が大きいとの認識も、東京だけの発想であり、当地方においては『普通の敷地』であり、家も当地方では豪華とは言い難い。東京においても、生まれつき東京で生活する人も多く、出稼ぎ連中ばかりではない。
 事件の報道ゆえに、何もかもが『悪者』にしたいのかもしれないが、個人資産を持つ事まで『悪人』のようにしたいのは何故か。政治家の資産公開においても、資産を有すれば悪い事のように報じられ、借金まみれの政治家が普通で罷り通る。
 貧乏人でも頑張って金持ちになりたい。「学歴だけは」と私の父親は頭の悪い子供達を、学費が滞っても大学に通わせた。
 戦後の復興から、真面目に働き、コツコツと資産を貯めた人々が多い。最近のテレビは『貧乏人』や『変人』をもてはやしているが、テレビで『ボロ家』として放映された家を指して、「ウチと同じだ」と子供が笑う家庭の存在がある事をテレビ局も自覚してほしい。「社長ーッ」と豪華な家々を訪問していたタレントが懐かしく思い出されてくる。
                                           2月4日の一言
住民の存在が忘れられている…
 昼のワイドショーで議員の年金制度について議論がなされていた。「議員の年金はすべて廃止して国民年金だけにすべきだ」と、自民党の提出した議案に厳しい批判を繰り返す民主党地元選出河村たかし議員の鼻息は荒い。
 同調する評論家によって自民党の平沢勝栄議員の発言は押され気味であったが、河村氏のあまりにも強硬な発言に、「あんたは事業をやっているからそんな事が言えるんだ」と、個人的な本音が飛び出したのである。
 その通りである。テレビで度々議員年金廃止を発言する河村氏には、自分の会社の事業主として国民年金ではなく金額の多い厚生年金が支給されるとの話は、地元の人々のウワサ話として根強いのである。
 河村氏が議員年金を返上する事は評価したいが、テレビで発言する前に、自身の受け取る年金について国民年金だけなのか、ウワサどおり額の多い厚生年金なのかをはっきりとさせるべきである。
 年金廃止に異論を唱えると、世間の批判を浴びそうではあるが、働けなくなって受け取るべき年金が無くなるかどうかは、議員に限らず他人事では済まされない。年金の一元化を叫ぶ前に、高齢者の負担する医療費や介護保険など、無収入になった立場で全員同じ公的負担にすべきであり、この格差が増大している現状で無責任な発言は、聞く者の立場は違っても心に突き刺さるのである。
                                            2月3日の一言
大きな事件やニュースの陰で…
 事件が目白押しである。大きな事件が発覚して結末が分からないうちに、次々と事件が起こり、耐震強度偽装事件の総研は、フィーザーの小嶋は、ライブドアのホリエモンは、と思っているうちにマスコミから流される話題は変わってしまっている。
 ただし、大きな事件の背後や傍らに政治家の関与や関係が指摘され、その関係に国民の納得する結論が見出されていない事を見過ごしてはならない。
 ましてや、国民が被害者となった事件の当事者や企業と関係した政治家がある以上、その責任をあいまいにする事は許されない。
 一週間前の一言に、『堀江氏より東京地検に疑念を感ずる』なる一文を記したが、後日のテレビ番組で『ハマコー』こと浜田幸一氏が、「ホリエモンは選挙で戦った亀井静香によって東京地検に指された」なる発言をしている。
 これほど大きく報道された事件(事件とは呼びたくないが)の発端まで政治家にあったと発言され、その後何の反応も無いところから図星と言うことなのか。
 こんなレベルで国会審議が行なわれ、与野党足の引っ張り合いの泥試合をしているが、外交では北朝鮮の拉致事件や中国との摩擦は解消できず、米国産牛肉問題が再燃している。
 「消費税は値上げしない」と首相は発言しているが、細々と商売を営む個人商店が支払う消費税の納税猶予額が3千万円から1千万円に引き下げられ、3月の確定申告を前に悲鳴をあげている。介護保険や障がい者の負担も増大する。大きな事件に惑わされ、国民の弱い部分にしわ寄せが出ている事を忘れてはならない。
                                           2月2日の一言
御意見番から届いた雷おこし…
 久々に3日間も雨が続き、仕事の出鼻を挫かれているが、訪問者にとっては恰好の話相手となり、昨晩も遅くなった。
 さて、私の近くに『津島市の御意見番』とも言うべき人がある。私の少年時代から市役所に出入りし、選挙となると目の色を輝かせる人であるが、市役所の職員は目をそらせ、真面目な人は一歩引いてしまう『個性が強い』を通り越し、『唯我独尊』の人でもある。
 この人がやって来ると、「そうだ、用事を忘れていた」と都合よく帰ってしまう人もあるが、私は黙々と話相手になっているのである。「よく我慢できるなぁー」と言う人が多いが、最近では私が御意見番に苦言を呈すると言うより、御意見番が私の長話を黙って聞いている事が多くなった。
 もちろん頑固者であるから、私の話を素直に聞く訳ではないが、歳とともに人間が丸くなったとは言え、言い出したら止まらない。
 「雪が消える春まで待って、人を誘ったら」との忠告を無視して、坂東三十三観音巡りに一人で車を運転して行ってきたのである。意気込みは付け入る隙もなかったが、やはり体は正直である。目から出血し、東京で2泊して帰ってきたとの事である。本人は平常を装っていたが、雪まみれの鎌倉と出血にびっくりの旅立ちであったと推察できる。
 さて、お土産に貰った『雷おこし』を食べたところ、予想に反して意外に軟らかくなり、ビニールに小分けしてあったのである。やはり、伝統ばかりではなく買い手のニーズに配慮されている。御意見番から貰った『雷おこし』を見つめながら、歳とともに軟らかく成らざるを得ない現実には淋しさも感じるものかあった。
                                            2月1日の一言
有り難い先輩からの忠告…
 朝6時半にパソコンの前に座り、呼ばれて気がつくと昼食の時間であり、本日は新聞も目を通してない事に気付く有様だった。
 昨日に続き、本日の早朝も小雨ではあったが天候不順で会報の配布ができず、体は持て余しているものの、電話と来客の繰り返しで一日が消化してしまっている。
 パソコンの前に一日中座っている事は同じでも、株の投資で何十億も儲ける人もあれば、自分は一円にもならない旅行のホームページを書き入れている。
 本日届けられた『一八への手紙』に、「人脈と実績が併えば自然と金と信望と仕事はついて来ます。だからそれだけに心血をそそぐといいです」と(くわしくはトップページから一八への手紙を参照)毛筆で記されていた。
 有り難い忠告であるが、本日で1月も最終日となったものの、会報配布だけに専念しており、今まで市役所に出向いていた事案が電話で片付いてしまう事から、最近は人と出会う事が自分の事務所への来訪者に限られ、反省すべき事が多い文面でもあった。
 今までの人脈の多くは、外に出向いて出会った人が多く、せっかくの知人や人脈が疎かになっておる現状を反省し、明日からの貴重な一日一日を悔いなく終わらせたいと痛感した。
                                          1月31日の一言
一夫多妻も他人の勝手でしょ…
 一夫多妻の家庭が事件として報道されて何日にもなり、一部の女性に脅迫したとして夫である男性が逮捕されているが、これは具体的な被害者のある事件なのか、世の中の『妬み根性』による捜査なのか理解に苦しむものがある。
 そもそも、一夫多妻が悪いのか、法によって裁くべき事案なのかが疑問でもある。不謹慎かもしれないが、第三者として眺めると、誠に羨ましく微笑ましい家庭ではないのか。全員が合意の上で生活している家庭を捜査する必要は無いようにも思えてくる。個人的な被害者があれば、あれだけ大げさな捜査ではなく、個別の事件として処理すべきではなかったか。
 これが全く逆で、一人の女性を中心として、多くの男性が同居していたら今回のような報道になったとは思えないのである。私は最近のグループホームの延長上の特異な例として、そっとしておけば良かったと思うのだが。
 さて、問題となる一夫多妻については、今回が初めての事例ではなく、日本国内でも多く存在しており、昭和64年には兵庫県在住の高瀬実氏が、『一夫多妻のすすめ』なる本を発行し、この中で5人妻と同居して7男3女の子供の存在を書き記している。
 その後の顛末は不明だが、氏は本のまとめに一夫多妻の同志を求め、6番・7番目の妻を募集して連絡先まで記しているのである。堂々と一夫多妻を実行している人物よりも、結婚詐欺や少女買春が多発する世の中の方が異常と思えるのだが。
                                          1月30日の一言
インターネットの光と影…
 数日前からホームページの中にある『朝日旅行友の会』を別のホームページに分離させ、中身を整理し始めていたが、無料のカウンターやホームページを閲覧選択するうちに、内容がよく判らないページが表示され、切るに切れなく、静止してしまう画面に悩まされる事となった。
 このまま切ると「データが損失する」と表示されると、肝心なホームページの更新に進めず、切れない画面に「同意する」を押せば不正請求の餌食にされそうでもある。
 明らかに迷惑な『侵入者』であり、相手に苦痛と被害を与えておりながら、反発する手だてもない現実が現存する。
 インターネットの光と影、悪意と善意の両面を痛感させられる。さて、「やられたな」と記したライブドアの堀江貴文氏の今後について、4年の実刑との認識を示した識者があった。この間は、ニュースは勿論の事、パソコンもインターネットとも無縁の生活を強いられる。
 「もったいない」、彼の能力を何年も遊ばせるくらいなら、罪滅ぼしとしてインターネット上での犯罪抑止や詐欺の防止に利用させて欲しい。罪は罪、社会貢献によっての厳刑も選択肢のひとつと思うのは不謹慎か。
                                          1月29日の一言
高名な医師の言葉に光明を見る…
 今週の日曜日に「セカンドオピニオンの時代だが」と題して、低レベルの医療機関で『がん』を宣告され、「手術もできない」と宣告されながらも、高度な医療機関への受診も拒んでいる親族の話題を記した。
 「糖尿もあるから数値が良くなるまで」と、ガンに対する治療が何も施されず、冷静に考えてみると自分の父親の末期的症状と思われるが、家族も回復を信じており、本人の夢枕の言葉を信じた発言を聞くと、これこそ妄信的な『神だのみ』である。
 さて、その翌日のテレビで、ガンを宣告され医師から治療困難を宣告された人々が、秋田県の『玉川温泉』の岩盤浴でガンを克服し、数年間も生き延びている姿を放映した。
 ガン細胞が45度の温度で死滅する事と、温泉から噴出する高度なラジウムの効果と思われるが、インターネットで調べると、高名な医師が『温熱療法』の効果を示し、実際に試みている事が報告されていた。
 埼玉県の三浦病院の三浦健院長で、かつて父親のガン治療のために集めた資料に度々登場し、ガンの先進医療実践者としての権威で、ひじょうに評価の高い医師であった。
 院長の挨拶文に、「切除不能の進行ガンであっても見捨てないで…あきらめないで…著しい延命が得られるということが我々の大きな生き甲斐です」と記してあった。本人への告知が当然とされる時代だけに、あきらめず挑戦をしてもらいたい。
                                         1月28日の一言
酔うと思い出す事…
 久しぶりに一杯の帰り道であるが、暗闇の中を非常にゆっくりとこちらを意識した不審な対向車が忍び寄って来る。
 予感的中、警察のパトカーである。ちょいと一杯と言っても、フラフラと歩いている訳でもなく、明らかに当方を不審者として見定め、いつでも捕まえられる体勢で走ってきたのであろう。
 ボサボサ頭に黒のオーバー姿を、不法滞在者と思ったか、空き巣の常習犯と思ったかは定かではないが、パトカーは明らかに私をターゲットとして走ってきたのである。
 仕事とは言え、人を疑う職業は悲しいものである。しかし、「犯人かも知れない」と思われた当方は非常に気分が悪くなる。
 数年前の事だが、自転車で走る途中パトカーに止められた事があった。「無灯火だ」と言われ、「点きますよ」と答え、点灯させ走り去ろうとしたところ、大声で「止まれ」と制止された。警察官は無灯火ではなく、自転車のカギが壊れていたため自転車泥棒と勘違いして止めたのであった。無灯火と自転車泥棒とはまったく違い、不当な扱いに大喧嘩になったのである。
 理不尽な仕打ちを受けると腹がたつが、本日も「捕まえてみろ」と眺めていると、当方の顔を凝視しながらパトカーは走り去っていった。
 「職務ご苦労さん」と言えず、こんな意識を持つのも、やっぱり酔払っているのであろう。当時の理不尽な仕打ちが蘇ってきた。
                                         1月27日の一言
久しぶりの(ガンが治る)野菜スープ…
 家族それぞれが風邪をひいている中で、かろうじて医者のお世話にならずに済んでいるが、早朝の会報配布は体に堪えない筈がない。
 たかが風邪と我慢していると「大変な事になりますよー」と、他人事ではなく近所でも結核菌が検出され、遠くの病院に隔離された人が存在する。そうなれば仕事どころか、予定も約束も有無を言わさず入院となり、暖房はあるものの拘置所と同じで、一瞬にして自由が束縛されてしまうのである。
 本日の朝日新聞の主張欄に、ガンの早期発見と告知に対する医師と患者の意識の違いについて専門医が記していたが、医師は「初期に見つかって良かったですね」と告知しても、患者にとっては「ガンが見つかって良い筈があるか」と怒り心頭になる。
 平成5年の今頃は、父親が末期ガンで余命まで宣告され、ワラをも掴む気持で多くの書物を読み漁り、高価な『健康食品』を入手し、雪中の富山県まで『霊水』を汲みに走っていた。
 平穏な日々が続くと、切羽詰った時の緊張感が薄れているが、ガンの危険性が高いと自覚している人は、『ガンにかからない』日頃の努力が必要でもある。
 さて、今では忘れられてしまっているが、当時は「ガンでも治る野菜スープ」が話題になっていた。久しぶりに作ってみたが、続ける事が重要であり、その前に不摂生な生活改善が優先する事を少し元に戻った下腹部から自覚しなければならない。
                                         1月26日の一言
堀江氏より東京地検に疑念を感ずる…
 テレビのワイドショーは勿論だが、ニュース番組までライブドアと堀江氏の特集を組み、どのチャンネルも同じ内容だけに違和感を感ずるものである。
 堀江氏は東大在学中に起業して、誰もが目指す東大をいとも簡単に中途退学している。学歴よりも実利を選んだ結果とは思うが、いくら彼でも起業を決断するためには相当の覚悟と信念を要したと推察する。
 そして10年で何百億、何千億規模の資金を動かせる経営者に成長した事は、彼のスバ抜けた才覚に原因を見出すしか外に無い。
 ただし、今でこそ学生による起業も珍しくはなくなったが、学生を信じて要望どおりの資金提供をしてくれる金融機関や公的援助は皆無で、彼はこれまでの人生を自力で切り開いてきたのである。
 株式の証券取締り法には違反したとして、同じ罪で逮捕された西武鉄道の堤義明氏のような老獪な経験を積んだ経営者の犯した状況とは違い、罪の意識は希薄であったと思われ、法を犯す危険性は認識していても、これほど大きな扱いと罪人扱いを受ける事は考えていなかったと思われる。
 罪は罪だが、世間の常識や慣例を破る存在を認めない保守的な人々や、既成の経営者団体の圧力には負けず、罪を償いより大きな経営者に再起して欲しいものである。
 多くの被害者を生んでいる耐震強度偽装事件については未だに逮捕者もない。今回の捜索が始まるまで、誰一人として被害を出していなかったライブドアだが、被害者の訴えもない堀江氏を長期間に渡って内定調査をしたという東京地検の自主的な捜査に対して、「なにゆえ」と堀江氏以上に大きな疑念を感じるものである。
                                         1月25日の一言
ホリエモンは悪人なの?…
 ライブドアショックによって、拘置所に入れられたライブドアの堀江貴文社長や幹部は、吹き荒れる寒波の中で理不尽な思いに浸っているのかもしれない。
 しかし、この事態(私は事件とは思わない)を喜んでいる人々の存在があるとしたら、私は許せない気持でいっぱいである。
 冷静に考えて見ると、堀江貴文氏は現在33才の若者である。自分と比較できるレベルではないが、私も学生時代に起業し、小さくとも自営業にあり、当時は「何故、税金を払う必要があるのか」と、横着にも脱税どころか『無申告』を通し、国保税にしても「欲しければ役所が取りにこい」と、自主的に払う事は無かったのである。飲酒運転も「捕まる筈がない」と常習犯でもあった。
 今回の事態についても、33才の堀江氏に完璧を求める方が不自然であり、法を犯せば反省して罪を償えば済む事であり、彼の再起を期待すべきではないのか。
 60過ぎのいい歳をして、フジテレビの社長の豹変ぶりには反吐がでる。昨年の笑顔の握手は何だったのか。利用する時は利用して、他人面する政治家の姿はよけいに不信感を生む。
 証券取引法の違反が、これだけ大きなニュース価値となり、国民の生活に影響するものなのか。こんな事よりもっと重大で、深刻な問題が山積しているのではないか。
 国民の生命に直結する米国産牛肉BSE 問題や耐震強度偽装事件、国家を欺き高性能の無人ヘリコプターを中国軍部に不正輸出したヤマハ発動機。ライブドアショックの影に身を潜め、事件の沈静化を図ろうとしている本当の悪人達の存在を忘れ、視聴率の稼げるホリエモンに集中するマスコミ報道を批判するとともに、改めて改革児『堀江貴文』の再起を期待している。こんな主張をする自分は偏向しているのか皆さんにも問いかけたい。
                                           1月24日の一言
横綱昇進は国際基準で…
 昨日千秋楽となった大相撲で、8場所ぶりに日本人の栃東が優勝し、新聞各紙の報道や、テレビのニュースキャスターは次の場所で横綱に挑戦とはしゃいで報じていた。
 確かに、横綱の昇進は2場所続けて優勝する事が条件になっている。しかし、先場所の九州場所では2勝2敗(1敗は不戦敗)の後休場しており、その前の秋場所10勝5敗、名古屋場所の9勝6敗の記録を見るかぎり、横綱どころか大関に昇進する事もできない記録でもある。
 幕内での勝率も6割1分9厘と、横綱朝青龍の勝率7割8分2厘に大きく水をあけられ、新大関琴欧州を含む全大関の最下位に位置し、休場も多い。
 今場所栃東が優勝した一番の要因は、横綱朝青龍の稽古不足による体調不良にあり、朝青龍が万全であれば優勝は無かったかもしれないのである。
 日本の国技とは言え、国際化した大相撲の中で、本当に横綱の力が備わった昇進かどうかの見極めが必要でもあろう。
 来場所に実力ナンバーワンの朝青龍が休場する事があったとしても、栃東が優勝すれば横綱で良いのか。大関と違い、降格のない立場だけに慎重な判断も必要である。
 過去の大相撲の歴史の中で、上位陣が列強時代に涙をのんだ力士も多く、外国人ゆえに昇進が見送られた力士もあった。
 この機会に、場当たり的な昇進ではなく、国際基準で、誰が見ても納得のいく昇進方法を考える事も重要である。
                                          1月23日の一言
セカンドオピニオンの時代だが…
 親族に深刻な病気を抱えた人があり、改めて病気に対する認識の違いと、親族ゆえに薦めても受け入れられない現実を痛感した。
 手術が必要だが出来ない状況下にあって、何故に他の大きな病院や専門病院の診察を仰がないのか。このまま回復せず、悪化した場合に家族は納得できるのか。
 「私なら迷わず他所の病院を紹介してもらう」との言葉に、「津島ならそうかも知れないが、本人が主治医を信頼しているから」との返事が返ってきた。
 津島ならの言葉は、当然『津島市民病院』を指すと思われるが、現在入院している〇西病院は明らかに津島市民病院より評価は低く、住所のある稲〇市民病院についても、津島市民病院より評価は高くない。私個人は、両方とも津島より低いと認識している。
 そんな病院に何を期待しているのか、手が付けられない状況下では、より高度な病院を模索するより方法はないのに。
 セカンドオピニオンの時代にあり、大きな病院が点在する大都市と、開業医すらろくにない田舎町との患者の認識に大きな差がある事を痛感する。
 これも致し方ない。人生それぞれである。ただし、自分の命を守るためには何でも有りがまかり通る時代との認識は必要であり、同じ医療費を払うなら、より良い病院で治療を受けた方が患者の負担も軽い事から、医療に関しては鶴田浩二の義理人情を排除し、最高と思われる病院への紹介状を求めるべき時代認識を持ってもらいたい。
                                          1月22日の一言
鶴田浩二の世界が現存した…
 極寒の死闘と題して、冬の荒れた津軽海峡において、一本釣りでマグロを追う大間の漁師達をえがいた番組が本日放映された。
 心臓を患いながら独りで出航する68才の漁師と、獲物が掛かった時にそれを助けに寄って来る仲間の船。3年間一匹も獲れない52才の息子の出航を見送る両親の姿と、巨大マグロが掛かったものの1人で悪戦苦闘する時、近づき飛び乗って手助けする68才の漁師。
 命さえ危ない冬の津軽海峡の上で、仲間とは言え他人のマグロの獲得に駆けつけ、収穫後には黙って去っていく漁師仲間の年齢を超えた友情と、何年も釣り上がらぬ日々を励ます姿に感動し涙腺が緩みっぱなしであった。
 私のウラ一言欄である『ほっこり庵の独り言』に、最近では鶴田浩二の名前が連続して記されてくるが、まさに鶴田浩二の義理と人情を地で行く番組でもあった。
 対して世の中では、耐震強度偽装事件の無責任な対応と、それまでの蜜月関係を否定する政治家。株の発注ミスに乗じて何億、何十億と儲ける人々。ライブドアの失態に応じて、ホリエモンに手の平を返すフジテレビと自民党。あまりにも義理と人情が忘れられている。
 鶴田浩二の映画の世界だけでなく、本名小野栄一個人の私生活としても許す事ができない不義理と裏切りの世界がまかり通っている。苦しい時には慰めあい、共に罪を背負い、巨大な相手に独りで立ち向かっていった鶴田浩二の映像が、大間の漁師仲間の友情から懐かしく思い出されてきた。
                                           1月21日の一言
金が無ければ電話もできない弁護士…
 「本籍が津島市に無いので申し訳ありませんが…」との電話が届けられた。平成9年に御主人を亡くされた婦人の相談であるが、戦没者の遺族に支払われる『特別弔慰金』についてのご質問であった。
 本籍地の岐阜県恵那市に問い合わせても、はっきりと解る説明がなく、津島市へは援護会や遺族会の連絡先を聞いたが教えてもらえなかったとの事である。
 この人の場合、亡くなられた御主人が戦死者の弟にあたり、亡くなられた事から、弔慰金の対象者から外され、現存する弟がある事から対象はその人になっているのである。
 ただし、今回の弔慰金については、遺族会に入っていない人には何の連絡もなく、知らないままの人も多く存在しており、この弟さんにも何の連絡も無いようでもある。
 問題と思う事は、本籍地の役場の不親切な対応と、個人情報にあたったのか連絡先を教えてもらえなかった役場の対応である。対象者でないとの判断があっても、本人が納得できる説明は必要であり、やむを得ず本日の私への電話になったのである。
 もっと問題な事は、この相談をお願いした『弁護士』から、相談の時間の約束と同時に、弁護士報酬の話が出た事である。金を出さなければ弁護士には電話相談もできないのである。推測ではあるが、弁護士には簡単な『特別弔慰金』の内容が判らなかったのであろう。
 凶悪犯人や悪徳商人の弁護までするくせに、生活苦を抱えた高齢者の相談に先に報酬を要求する弁護士から、まさしく『地獄の沙汰も金しだい』のことわざを実感した。
                                          1月20日の一言
国会議員の尊厳が問われている…
 耐震強度偽装事件について、自民党衆議院議員の伊藤公介元国土庁長官や、安部官房長官の秘書などの名前が浮上して関与が問題となっている。
 政治家が有権者に物事を頼まれる事は異常な事ではなく、国会議員に限らず地方議員と言えども、むしろ何も頼まれない政治家の存在が異常である。
 ただし、有権者と政治家の間に利害関係があったり、額の大きい政治献金が流れているから複雑な問題となり、今回の事件でも自民党森派に献金が入り、伊藤元国土庁長官の三男の会社がフューザーのマンションの管理業務を請け負っていることから、政治家の関与についても徹底的な解明が必要でもある。
 迷惑なことは、政治献金とは無縁の無党派地方議員まで同じ穴のムジナのように見られる事である。「頼みたい事があるんだが、政治家に頼んではいけないものねぇ」と、一人暮らしの高齢者が呟いた。
 持病による体調不良から介護保険に関係する内容であったが、相談するあてもなく、独りで悩んでいる人々まで相談を躊躇(
ちゅうちょ)してしまう事から、身近である地方議員と住民の敷居を高くする原因になっている認識は国会議員には皆無ではないだろうか。
 「証言できません」を繰り返され、ヒューザーの小嶋社長から重要な証言を何一つ引き出せなかった国会だが、政治家の関与についてはしっかりと解明し、国民が安心して政治家に相談できる環境を構築してもらいたい。
                                          1月19日の一言
頑張れホリエモン…
 ライブドアの関連会社が粉飾決算によって株価のつり上げを図っていた疑いで東京地検の家宅捜査を受け、トップである『ホリエモン』こと堀江社長自らの関与に関心が持たれている。
 プロ野球への参入発表から話題を集め、昨年のニッポン放送株問題ではフジテレビと互角に渡り合い、一時は自民党の総裁候補にあがった亀井静香代議士に対抗し出馬するなど、時代の先駆者でもあった立場が揺らいでいる。
 挙句には、経団連の奥田会長より「(団体への)入会を認めるべきではなかった」と発言が報じられている。しかし、これはどうやって考えても、強いものには巻かれて、弱いものを排除する『弱い者イジメ』としか映らない。
 そもそも、現在の株式市場にまともな常識は当てはまらず、ボタンひとつの間違いを間違いと認識していながらも、何億、何十億と稼ぐ事が当り前に罷り通っている。
 本来なら、間違いは間違いで陳謝すれば、実態の無い株式の売買なら済みそうに思えるが、一般常識が通用する常識の世界ではなく、厳しい取引だけに、今回の問題くらいは折込済みで市場が動いていたのではないだろうか。
 犯罪は犯罪として厳しい処分も必要だが、今回の事件が我々国民にどれだけの影響がある問題と思われているのか、テレビで一転してライブドアや堀江貴文社長を批判する評論家の認識を確認したい。
 ここ数年に渡り、国政では目立つ存在になり、テレビに取り上げられるようになると、必ず何らかの弱みや事件が露見して第一線からひきずり降ろされてきた。今回の事件についても、『やられたな』と思うのは私だけであろうか。
                                         1月18日の一言
あんたは一言多いから…
 先週金曜日に開催された市民病院での学習懇談会に出席した際に、「これからは病院で最後を迎えるのではなく、出来るだけ在宅で最後を迎えられる在宅医療が主流になるべきである」との話が出席した医師から出された。
 多くの問題は現存するが、最後くらいは長年住み慣れた自分の家で迎えたいと思う人々は多い。ただし、家族の負担とか医師や看護士のバックアップが不可欠で、現実には制度的にも経済的にも厳しい現実の難問が立ち塞がっている。
 本日天上に召された同級生は、この『在宅』発言をした医師を主治医として信頼し、医師の語った発言を実証するかのように、家庭を大切にして最後までよく頑張りぬいたと改めて感服するものである。
 女性としての優しさと、人々に対する心配りから、他人には弱音も吐かずに、病魔と闘った数年間であった。
 「あんたは一言が多いから…」と、昨晩の通夜の後に立ち寄った喫茶店で、同級生の女性軍から集中砲火を浴びたが、私の気遣いのない発言を容認してくれる数少ない理解者でもあり、幼馴染とは言え随分と傷つけた発言をしていたかもしれないと反省もしたい。
 さて、病気だけは早期に発見し、早期に治療するに限り、病気を治すためには何でも有りで考えたい。ましてや、ガンなどの難病は医師の限界もあり、多くの人々の体験談は貴重であり、独りで悩まずに話される事をお勧めしたい。身勝手な話だが、施しを受けながら、私からのお返しをしないうちに逝ってしまうのはあまりにも悲しい。
                                          1月17日の一言
淋しい通夜から話題はクラス会に…
 本日は幼馴染の通夜が営まれた事から、一日中同級生から確認の電話が続き、懐かしい昔話に花を咲かせたものの、通夜の会場では悲しみに包まれ涙を堪えるのに必死であった。
 「そっくりだネ」と高校3年生の娘さんの姿を亡くなった母親にダブらせる声があがったが、大学受験を控えた時期だけに、物言わぬ母親の前で流す涙が痛々しい。子供を先に見送る御両親と御主人の姿はなおさらである。
 久しぶりに多くの同級生が集まったが、立ち去り難く、故人の真面目で優しい人柄が余計に偲ばれてきた。
 「おい、おまえが責任を持ってクラス会を開け」と、葬儀場を後にして集まった喫茶店での一言。「オレの立場では…」、「おまえしかおらんだろう」とは、有り難い言葉であるが、実は7年前の選挙直前に私のためと言ってクラス会が開かれたものの、出席者が極めて少なく、肝心の幹事まで欠席した挙句に、少ない出席者の理由まで私の責任にされた事があった。
 しかし、この数年間で亡くなった同級生も存在する事と、久しく顔を合わせていない事から気運も高まっている事は間違いなく、元気な姿で再会を果たしたいとも思う。
 さて、私の葬儀委員長(同級生)は本日東京に出張中で帰れない。「ワシの時は頼むよ」、「まだ言っとるのか」、「あんたは生徒会長なんだから」、「やめてくれよ」、でも頼もうにも「誰も連絡先を知らない葬儀委員長ではなァ」と、市外に退去してしまった同級生と、悲しい訃報から久しぶりの通話も淋しい締めくくりとなった。
                                          1月16日の一言
連日の同級生の訃報に…
 「お父さん…」と、慌てて走ってきた家内の目に涙が光るのを見て、「何事だ」と問い掛けても言葉が返せない動揺ぶりに、「まさか…」と覚悟をして訊ねると、同じ町内に住む私の同級生の訃報であった。(家内の両親かと思ったが、出ない言葉に我家の母親かとも思わされた)
 昨日の同級生につづく連日の訃報であるが、2日前に彼女の母親から厳しい病状について話を聞いたばかりで、「何とか下の娘が大学に合格するまでは生きて欲しい」、「それならなりふり構わず他の病院もあたったら」と言葉を交わしていただけに、家族の覚悟はあったものの、あまりにも突然であり早すぎる訃報でもあった。
 私が初めて選挙にたった時、迷う事なく事務所に駆けつけてくれて、毎日終日まで電話をかけ続けてくれた数少ない幼馴染でもあった。
 昨年の夏にも同級生が亡くなっており、「何故連絡をくれなかったんだ」、「これからは全員連絡してくれ」と言われていたこともあり、慌てて数人に連絡し自宅を訪問した。
 自宅で横たわる彼女に手をあわせ、痩せて変わりはてた顔を見て、子供時代から成績優秀で頑張りやで芯の強い人だった事から、「こんな顔を見られたくなかったんじゃないか」と自問自答して帰宅した。考えてみると、平成6年から始まった書道教室から彼女が姿を消して随分と年月が経過する。厳しい病気との関わりの長さも改めて思い知らされた。
 こんな時に連絡が廻りあう同級生は心強い。「連絡ありがとう」と言われ、人から人へつながり戻ってきた連絡に、悲しい訃報ではあるが悲しみを共有できる幼馴染と同級生の存在を心強く思わされた。
                                          1月15日の一言
同級生の訃報に溜息が…
 昨年11月に高校時代の同窓会(学年会)が開催されたが、地域の防災訓練が同日開催されたため欠席をした。もっとも高校に5年間も在学した私にとっては、実年齢が2才違う同級生ではあるが、同窓会の年度を代表する役員として、役員会の内容と学校の近況報告を兼ねて出席したかったが適わなかった。
 本日は同級会に出席した同級生と、同級生の経営する食堂に出向き、あれこれ話をしていると偶然にも話題にしていた同級生の訃報が届けられた。
 2才とは言え、私より若い同級生の訃報にはびっくりであり、同じ神守中学校の卒業生だけに気にもなるが、同席した同級生が過去のイサカイから「絶対に送らない」と言い張ると、「最後だから」とは言ったものの卒業以来30数年の歳月の経過を痛感した。
 本日の話では、成金にまかせて浪費する同級生や、背伸びして付き合う同級生の話に花が咲いたが、自分を飾れる人間がうらやましく感じるるものの、飾らなければならない環境にある同級生にもの悲しさも感じるものである。
 次の同級会は3年後との事である。もっとも、地元の中学校の同級会が疎かになっており、同級生の訃報もあり、「同級会を」の声もあがっているが、考えているだけで一年が経過して「もう一年か」と同窓会総会を迎えているのである。
                                        1月14日の一言
自治体病院の理解の一助になれば…
 津島市議会の厚生委員会のメンバーと参加を希望する議員13名で、市民病院の院長はじめ医師3名と看護士3名(事務職員4名も同席)で、学習懇談会が実施された。
 医師不足が深刻化する中で、地域の中核病院として、改築から増築と進み、診療科目も増強され、間違いなく施設だけでなく医療のレベルアップが図られてきたが、市税の繰り入れもある事から、財政的にも厳しい視線が市民より向けられている。
 我々議員の立場としても、機会ある度に議会で病院の問題を取り上げると、改善すべきと思われる指摘が多い事から、病院の欠点や不備ばかりが目立ってしまい、イメージを低下させてしまいがちであるが、私が議員になってから津島市民病院は建物や設備面だけでなく、医療レベルや体制も大いに改善が図られている。
 今回の学習懇談会についても、個別での医師との懇談はしてきたが、議会と集団での懇談は議員になって初めての事であり、お互いの(と言うよりも議員にとっては)理解と勉強の場となったと確信するものである。
 ただし、医療内容については議員の専門外で、ついつい財政収支や病床稼働率の方向に走りがちとなる中で、新設される緩和病棟の関係から、今後の展望として『在宅医療』の話に移行し、開業医との連携など問題点が指摘された事は個人的には評価したい。
 ただし、緩和病棟についての認識が医師ですら曖昧な現状下で、どのような方向性でスタートするかによっては病院の浮沈に関わる問題点となる可能性も高い。
                                          1月13日の一言
たかだか役人の思い上がり…
 私のウラ一言欄でもある『ほっこり庵』こと、大川孝次さんが掲示板に皇室や宮内庁に対する意見を掲載されていたので、便乗して本日の一言にしたい。
 天皇の継承について、国は女性天皇だけでなく女系天皇をも認める方針を打ち出し、学者や有識者の中にも根強い反発がある。『ヒゲの殿下』こと三笠宮寛仁殿下が、「皇室典範を改正すれば現行の男系天皇も維持できる」として、2千6百年をこえる天皇家の歴史と伝統の継続を求めて発言されており、旧皇族の竹田氏も天皇家の歴史を記した本を発行し、「男系でない天皇の誕生は、万世一系の天皇家の断絶」と発言している。
 そもそも「男女に関係なく、一番目に生まれた子供が天皇を継承する」との国の有識者会議の結論が軽薄で無責任である。
 男女平等の社会とは言え、一般家庭でも男子が家のあとを継ぐのが現実的であり、一番目の子供が跡取というのは現在の日本の流れにもなっていない。
 個人的な私見を言えば、皇太子妃は皇室の中で果たすべき役割を放棄しており、体調不良を言い訳にしているが、最高級の医療体制がひかれている皇室で、いつまでも体調不良は言い訳にならず、過去の国事行為のみならず、元日の一般参賀に途中で退席しており、あの程度の行事に出席できない事は、大病を経験された天皇皇后両陛下の姿をみれば明らかに自覚不足と言うよりも『ワガママ』が過ぎ、這いずってでも立つべきであった。
 こんな皇太子妃の血を半分継承する子供が天皇になる事も不快だが、天皇家の男系の血を継承する人々が多く存在する中では、適任な人材との縁組が可能でもあり、天皇の血を継承する皇室や皇族、旧宮家の人々の意見は重要であり、それらの声を排除し拒絶する事自体が越権行為でもある。
 比較する事ではないが、我家の後継者でも他人が口出しできないのに、天皇家の行く末を軽々に発言する『たかだか役人』の存在そのものが恐れ多く、皇室と皇族、血脈を持つ人々の決断が優先されるべきである。
                                         1月12日の一言
一滴のオイル…
 久しぶりに寒気がゆるんだ一日を迎えた。しかし、これからが例年どおりの冬を迎えると聞かされると、まだまだ数回の積雪は覚悟しなければならない。
 ただし、暖かい春の到来を期待するのも月日の経過が早まりそうで、一日の経過を遅らせたい心境でもある。
 さて、何でも使い捨ての時代であっても、使い方によっては寿命が変わってくる。早朝の会報配布に活躍する80tの単車も、3ヶ月ごとの出番で使用しているが、議員になる以前からの愛用車であり、チェーンをはじめバッテリーや各所にガタが出ていた。おまけに、家族の出入りで各部をぶつけられ破損もしている。
 「使えるだけ使って…」とは思っていたものの、調子が悪いと使い方も乱雑になる悪循環の繰り返しであった。
 これが、一滴のオイルで変わったのである。悲鳴をあげていたチェーンの音が消えた事で、チェーンを調整し、埃まみれだった車体を掃除した後、若干の整備も施した。バッテリーとタイヤは交換が必要だが、そうすれば新聞配達にも現役復帰できる状態まで回復した。
 昨晩は御主人を亡くした同級生の訪問を受け、集まっていた書道の仲間達と病気や健康についての話に花が咲いた。人間も同じである。日頃の節制を怠り、調子の悪い時に『一滴のオイル』を怠ると大変な結果を招く事を復調した単車に教えられた。
                                          1月11日の一言
あと10年の命と考えると…
 「明日の朝早いけど、3時からねぇ」と、知人より電話が入った。偶然にしてこだわりをもって、日本酒『雪紫』の盗人酒をコップに注いできたところだけに、「後にしてよぉー」の心境で電話口に出たのであるが、これまた私のこだわりを知り抜いた上での用件だったのである。
 NHKと聞いた時はムッともしたが、ラジオ深夜便で『鶴田浩二』の特集があるとの情報であり、私が無類の鶴田浩二ファンと知った知人からの有り難い連絡であった。
 ただし、これからが大変である。テレビの録画もできないのに、ラジオを録音した事はなく、あわててラジカセを持ち出したものの、ラジオの周波数すら解らない上に、肝心の録音テープが無いのである。一口とはいえ酒が入っており、息子達に頼んでも「今はテープなんて売っていない」と無視されたのである。
 家内が買いに走ったものの、店先から電話をもらっても何分テープかも判らない。60分の録音だが60分テープでは半切れになる恐れがあり、120分テープを選択。
 試験的に録音をしたものの雑音が入り、場所を移動してセットし、目覚まし時計もセットして就寝したものの寝付かれず15分前からラジオの前に座ったのである。
 これからも大変である。夜のために他局の雑音が入る事が分かり、慌てて再修正するも効果なく、不本意だが録音を開始した。本来なら、毎日3時半より会報配布に出掛けるところであるが、何かを期待して4時まで遅らせ番組を聞き入った。
 だが、新しい期待は出来ないのである。なんせ鶴田浩二は18年も前に死んでいるのだから。享年62歳。「あと10年の命か」と我が身に置き換えると空しくなるが、静寂な深夜に聞いた鶴田浩二の唄声から忘れてはならない志を意識させられた。
                                          1月10日の一言
来賓席は無の心境が必要…
 本日9日は成人の日で、津島市でも成人式が開催された。毎年同じような進行は致し方ない事ではあるが、成人式を迎える対象者みずから企画に携わっているのであれば、来賓についても今一度本音で検討してもらいたい。
 我々市議会議員をはじめ来賓が係わるのは15分程度の事だが、この僅か15分のためであっても津島市の公的行事であるために、一日の予定を空けて参加しているのであるが、肝心の新成人の中には明らかに来賓を挑発しているのか、バカにされたような光景を目にする事となる。
 最前列でビール瓶を回し飲みし、市長の挨拶にバカにしたような野次を飛ばす。たまりかねた県会議員が苦言を述べ言葉少なく降壇したが、委託されたイベント会社の司会者は来賓の名前を間違えて紹介する始末である。
 どうでも良い来賓なら無くせば良いのである。毎年の繰り返しであり、今年が特に荒れていた訳ではないが、一部の不届き者の存在から不快感をもらって帰ってきた。
 「議員にとっては大切な選挙運動だろうが」と、愚痴を聞いた市民に冷やかされると、改めて議員の使命と信頼される議員活動について考えさせられた。
 さて、帰宅後に昨年の成人式を記した一言を確認すると、『来賓席が浮いている』と記されていた。「頑張れよー」とベテラン長老議員に飛ばされた昨年の成人式の野次が昨日の事のように蘇ってきた。
                                           1月9日の一言
初期消火は重要だが…
 本日は津島市の消防出初式があり、津島市の天王川公園を会場に消防署員をはじめ関係者が結集した。
 毎年の恒例行事であるが、消防車輌の更新により一斉放水は豪快に見えるが、式典の緊張感が希薄になっているようにも(私だけかもしれないが)感じられた。
 又、地元消防団の団員の年齢が確実に上昇している事も気がかりでもある。
 愛知県では、東海沖地震や東南海地震に対する対策を重要施策として、各種の養成講座や防災訓練に力を注いでいるが、身近な問題として『防火対策』も重要である事を、本日全国各地から伝わってくる火災の報道から痛感した。
 消防署の消火能力は新たな資機材の導入により確実に向上しているものの、地元住民の力による初期消火の連携は間違いなく低下しているのではないだろうか。
 我が町内も10年に1度位の間隔で火災が起こっているが、初期消火で消防署の力を借りずに鎮火した実績はなく、ほとんどが全焼となっており、一昨年の火事では隣の家にも類焼し焼死者も出している。
 隣近所のコミュニケーションが希薄になっており、今一度市内に配備されている消火器の場所ぐらいは『自分のために』確認すべきでもある。
                                           1月8日の一言
大雪による死者の7割が高齢者…
 下関駅に71歳の男が放火し大規模の火災が起こったと、本日も大きな事件のニュースが報じられた。
 昨日の乳児の連れ去り事件も進展がなく、ひき逃げ事故が各地で相次ぐ中で、日本海側を中心に全国各地を襲う大雪の影響から、この冬になって53人の人々が亡くなっている。
 地球温暖化への僅かな抵抗かと思っていると、日本中が除雪や雪下ろしに大変な状況になっており、死亡者の7割以上が65才以上と聞くと、年々進む高齢社会が改めて問題となってくる。
 日本人の平均寿命が延びて、高齢者が増加する事は何の問題にもならないが、高齢者を支えるべき家族がなく、一人暮らしや老々介護の家庭の増加は、国の示す『少子化対策』以上に重要な課題にもなりつつある。
 この冬の大雪も、科学の発達と道具の進歩を考えると、かつての豪雪期に比較すれば道路の除雪も雪下ろしも随分と楽になっている筈である。
 しかし、家庭の構成が変わり、親子で同居する世帯が減少し、高齢者だけの世帯が増加している事が今回の死亡者数の増加につながっている。
 71歳という、人生の集大成を迎えるべき男の放火事件にも、健全な家庭生活を送っていれば起こりえなかった事件だったのかも知れない。こんな事を記すと、傍観者の無責任な発言と思われそうだが、共稼ぎ家庭を援護する対策も重要だが、親と同居する家庭や、専業主婦に対する『税の優遇』などによって、健全で合理的な家庭環境を築く施策が国や行政に不足している認識も重要である。
                                           1月7日の一言
被害者の人権が忘れられている…
 仙台で生後11日目の乳児が連れ去られる事件が起こった。「火事だ」と叫んで病室に入り込み、「助けに来てくれた」と思った母親のもとから長男を連れ去っている。
 有力な手掛かりが何もなく、生まれて間もない乳児だけに、強い冬型の気圧配置の中で安否が気にかかる。
 目的が判らず、不可解と思われるこんな事件が連続する原因を特定する事は至難の業であり、過剰で不必要と思われるような『防犯対策』も否定できなくなってくる。
 原因と対策を考える事も重要であるが、子供の教育から考え直す場合には何十年もの歳月を必要とし、凶悪な犯罪が日常的に続くのを見せつけられた子供達には説得力が伴わない。
 アメリカの州知事が死刑を断行した事から、出身地のオーストリアからも抗議行動が起こっているが、『人道的』とか『人権』を拡大解釈して凶悪犯を擁護する事は、犯罪の抑止上好ましい事とは思われない。
 ましてや、意図的、計画的に行なわれた利己的殺人事件の犯人には『極刑』をもって臨まないと、犯罪の抑止だけでなく、被害者の人権をも無視する事にもなりかねない。ここ数年、毎年のようにと言うよりも、毎月のように常識を逸した凶悪事件が起こっているが、突然にして生命を奪われた被害者と違って裁判だけでも10年以上にもおよび、死刑が確定しても執行は先延ばしとなり、被害者の家族の心痛を考えると、人殺しは即決で極刑にすべきである。
 「人を殺すと即死刑」ぐらいの厳刑と、微罪も許さない事で犯罪の抑止と世の中の秩序を取り戻す事が必要であり、防犯対策にあれこれ知恵を巡らす事より重要である。仙台の乳児の安全を祈り、一刻も早い犯人確保を期待したい。
                                           1月6日の一言
不勉強、ポリシーがない…
 どこまでが議員の仕事か解らぬ議員生活を実感している。地域の代弁者としての立場と、個人的な相談も引き受け、市民の手紙や電話の応対をしていると、「これは弁護士の仕事ではないのか」と思ったり、「なぜに議員が行政の立場で説明(市役所の弁解)をしているのか」と、自問自答する事が最近は多い。
 50才を超えてから六法全書をめくったり、医学書や行政関係の文書を読んでいると、『本来相談するべき専門家と市民の大きなカベ』を実感し、不勉強な過去を後悔する一方で、自分の本性のまま好き勝手ができた過去を懐かしく思い出している。
 世の中がおかしくなり、小学校の児童に「人に話し掛けられても無視せよ」と指導する教育が正しいとしたら、日本の将来は危ういものである。人と出会っても挨拶もしない、人を信頼できない教育を受けた子供達が大人になった時を考えると背筋が凍えてくる。
 さて、一級建築士だけでなく、教育者や弁護士が犯罪を犯す世の中にあって、世の中の信頼関係が崩壊しかかっている。一八への手紙に「ポリシーがない、不勉強」と書かれると、一地方の市議会議員で何ができるか、何をすべきかも解らなくなってくる。議員と市民のカベの大きさとコミュニケーション不足も実感する。
                                           1月5日の一言
完全休養日と決めていたが…
 本日は津島市の新春交換会も予定されていたが、私はこの4日を正月の『完全休養日』と決め込んでいる。
 年末年始を京都に出向き、3日に新年交換会を催す事から、どうしても4日ぐらいは休みにしたいが、本日より市役所は動きかけている。
 18年になって3日しか経過していないが、私の元には新たに3件の問題や要望が届けられ、前年より持ち越した案件もかかえており、明日からは平生どおりの生活が始まるが、正月早々から住民の声や要望が届けられる事は、議員冥利に尽きると言わざるをえない。
 本日も一通の『一八への手紙』が届けられ、がんばる気持をかき立てられるが、会報『津島の風』の配布がほとんど手付かずで、寒風の中での配布を考えると、正月気分の一新が必要でもある。
 1人の人間の行動力は微々たるもので、限界もあるので、計画的な企画と、確実な実行と実現に向け、結果を残せる平成18年にしたい。
 さて、完全休養日とは言ったものの、仕事が溜まりにたまっており、今から電話をかけまくり、終わりしだい岩倉までラーメンを食べに走る予定である。
                                           1月4日の一言
新年交換会無事終わる…
 新年交換会を開催し、用意したイスはすべて埋めつくされた。心配した人出であったが、当方の予定したとおりの会場となり一安心でもある。
 さて、この新年交換会には私個人のこだわりもある。その一つが役職などで上下関係を排除したい事である。勿論、私自身の事を『先生』と呼ばれる事は平生から止めてもらっているが、町内の役員とか『ご招待があったから』と言っての参加はご免被りたい。
 数年前の事だが、「町内会長には声をかけた方が良い」との忠告を受けた。しかし、逆に、招待して「声が掛からなければ来れない」ような人や、奉りたてての来場こそ2年前の『地域ぐるみの選挙違反』につながっており、我が町内会からも選挙違反で多くが逮捕された事務所に当選祝いのお酒が届けられている。(ちなみに私は固辞しております)
 そういう意味では、大鹿流が理解されてきたが、お互い『持ち寄り』のために持ち込まれた酒が多く、酒を飲む対象者には『ちょっと苦しい』一面に苦しんだ。
 酒のこだわりも私の一つであるが、この3日のために京都から4種類の日本酒と3本の大吟醸(すべて雪紫)が用意されてあった。
 まず一杯は『にごり酒』で、次に『大吟醸』、落語を演じきった浪漫亭砂九さんに『限定蔵出し』盗人酒の封を切った。
 ただし、それぞれが持ち寄った自慢の酒の封をきり、それぞれが勧めだしたから大変である。夜の会場は酔っ払いだけが残され、さらに二次会場まで出向く事になったのである。会場に残された各種の酒瓶を見ると、いっそ酒の飲み比べ会を企画したい心境になってきた。
                                            1月3日の一言
掃除と準備に徹した一日…
 本日は、正月気分にはなれず、事務所2階の掃除と、明日に予定されている『新年交換会』の準備に終始する一日となった。
 事務所2階には、近々公開予定としている『横井庄一』記念交流館の、展示が進めてあるものの中途半端になっており、とりあえずは現状で見られる状況にする必要があり、この後にも続けて準備するが、就寝は明日になりそうでもある。
 それよりも明日の新年交換会に何人の人が来ていただけるかが気にかかる。これこそ『変わり者』を自認する私の心配するところで、周辺に案内チラシを投函はしたものの、「是非とも来て下さい」とは誰にも言ってないのである。
 「声が掛からなければ行けない」とか、「地元の役員さんくらいは声をかけるべき」との周囲の声に反発し、「気持で来て欲しい」と思っているが、「〇×議員は人が寄らなくなり、新年会を取りやめてしまった」などとの雑音が耳に入ると心配にもなってくる。
 ただし、イスそのものが50席しかなく、落語を聞くスペースも考えると声を掛けるにしても限界があり、会場が何とか自然に無事うまる事を期待したい。
 本年はこの2階を会場にして、『横井庄一記念交流館』として、ミニ映画会や落語会など企画していく方針でいるが、とりあえずは明日の出足が気にかかる。
                                           1月2日の一言
謹賀新年
 明けましておめでとうございます。
              平成18年元旦
 昨日の大晦日は、大徳寺門前の山国屋・細見酒店で『雪紫』を4種手に入れた。それぞれ1本1本に思い入れのある酒であり、1本は3日の『落語会』での落語家・浪漫亭砂九さんへの御礼の酒でもあり、ここ数年続く私の年中行事でもある。
 寺町通りや新京極で食事の後、八坂神社のおけら参りを済ませ、目的とする知恩院の除夜の鐘を聞くために出向いた。
 午後10時40分、16人の僧侶が子綱を持ち、1人の僧侶が親綱に仰向けにぶらさがって「そーれ」の掛け声で108回の鐘がつかれる。この大鐘、高さが3m30cm、口径が2m80cmで厚さが30cmもあり、重さが70トンと聞かされびっくりである。
 さて、この鐘が江戸時代の寛永13年に鋳造され、この鐘を吊るした大鐘楼(重要文化財)は42年後の1千6百78年に造営されているが、戦争の武器の資源にされる事なく現代まで同じ音を伝えており、心に響く大音鐘の傍らに居れた事を感謝したい。
 元旦の第一歩は、北野天満宮。参拝後、お千代保稲荷、津島神社に参拝し、地元の氏神様に参拝し帰宅した。
                                     平成18年1月1日の一言
大臣には解らない家庭事情…
 耐震強度偽装事件が大きな問題となった平成17年最後の本日の一言は、『耐震不適切』と言われる耐震基準を満たさず大地震の発生時には倒壊する家に住む一人として書き記しておきたい。
 耐震強度の偽装は問題外だが、国内の4分の1にあたる1150万戸が81年につくられた耐震基準を満たしておらず、これらの『既存不適格住宅』のうち非木造建物は、震度7程度の地震で4割が倒壊するとの事である。
 今でさえ、大型トラックやバスの通行でも揺れる、築40年を経過した木造の我家は絶望的な数値である。
 北側国土交通大臣は「来年を耐震元年にしたい」と発表したと言うが、耐震診断や耐震への住宅改修に公的予算をかけるだけでは公平で幅広い対策には成り得ない。本当に危険な住宅の持ち主は、耐震診断をするまでもなく、危険を自覚しておるのである。古くなった家や家財を披露するような耐震診断を受ける筈も無く、診断を仰ぐ人々の多くはまだまだ余裕のある人々が多い。
 我家の基礎工事をやりなおすと500万円近くかかる見積もりだが、建築の専門家の話では改修しても絶対に大丈夫とは言い切れないと話す。「転ばぬ先の杖」ではあるが、覚悟を決めて倒れたら建て直す方が損がない方法かもしれない。
 ただし、大地震で家が倒壊しても命を守る対策だけは重要であり、我家は苦しい経済事情から必要に迫られての改修にとどめ、家具の転倒防止だけに専念していきたい。
                                  平成17年12月31日の一言
あんなに汚かったから…
 年を越しそうになっていた親族の訪問を済ませて帰宅すると夜であった。帰宅すると事務所の雰囲気が変わっており、家内が掃除した事は判ったものの、夫婦での価値観の違いの大きさを実感し、一触即発の心境であったが、明日の京都行きを控えて我慢の一言である。
 人にとっては些細な事でも、私にとっては『大きなこだわり』も多い。そのこだわりが、古くて汚いために迷惑ではあろうが、油断をするとゴミ箱行きにされてしまうのである。
 本日もエアコンに貼ってあった映画『血の絆』のポスターが捨てられていた。激怒し取りに行かせたところ、シワも無かったポスターが折られただけではなく破れて戻ってきた。
 本年にも多くの被害があり、父親が満州から持ち帰った『水筒』を洗うために置いたまま忘れてしまい、後日探していたところ捨てられ処理されていた。「あんなに汚かったから」と言われた水筒は、父親が14歳から勤めた満州鉄道で使っていたものであった。
 数年前には、祖父の形見のバァイオリンがケースごと外に出されて風雨にさらされていた。こんな事だと、趣味で集めている『鶴田浩二』の本やビデオも解ったものではない。趣味で集めた古本は勿論の事である。
 さて、来年4月には『横井庄一記念館』が会館予定で、それまでに事務所の二階も『横井庄一記念交流館?』として開放する予定であり、遺品の陶器や書、戦地から我家に送られてきた手紙やグアム島の洞窟の火種として使った火縄が展示済みだが、これとて横井夫人や私が死んだ後にはゴミ扱いかも知れない。
 「そりゃーそうですよ」と言われたが、我々が死んでも「残こるようにしていきたい」と意思統一して帰宅した。横井夫人78歳。「まだ10年くらいは大丈夫よ」との話ではあるが。
                                          12月30日の一言
先人のことわざを噛み締める…
 慌ただしい年末であるが、それなりに仕事を消化しつつ、何とか大晦日には京都へ行ける体制も整ってきた。
 平成17年もあと2日を残すのみとなったが、このまま元旦に突入し、3日に開催する『新年交換会』までに事務所の整理をすると、正月らしい余裕は見当たらず、平成18年がスタートしてしまうのである。
 しかし、本年も年末になって、先人が残した『案ずるより生むが易い』のことわざを噛み締める結末となった。『案ずるより団子汁』も同意語であるが、秋から続く旅行会も、9月には旅先の四国遍路で同行者が倒れて入院する事故に遭遇し、11月は順調だったものの、12月23日の北陸行きは大雪のため前日の中止となった。
 家族旅行の大晦日から元旦にかけての京都行きも、参加人数が超過してマイクロバスを予約したものの、家族旅行の延長では人々を誘いづらく、『暗中的を射る』心境から、『案ずるより念じろ』になり、『暗夜に燈(トモシビ)失う』の心境になっていたが、本日には何とか満席になり、正月早々からの『大赤字旅行』は避けられそうになってきた。
 ただし、天候に一抹の不安を残している。元日より緊張の日々が続くのも、一年の計として『七転び八起き』と思い感謝したいものである。
                                          12月29日の一言
雪の被害の多さを実感…
 久しぶりに天候が回復し、本日は早朝より会報配布と意気込んでいたら『朝寝坊』である。もっとも、朝寝坊と言っても午前4時30分の話であり、時間を指定された仕事ではないため、しっかりと仕事量をこなして帰宅した。
 問題はその後である。8時から暫く仮眠をとっていたものの、来客のため息子に起こされたのである。カミさんも短時間であるが送迎の仕事を依頼され不在のため、留守番は冬休みの息子一人で、容赦なく叩き起こされたのである。
 感謝すべき来客であるが、こんな時に限って来客が続き、電話も自宅と事務所が同時に鳴り響き、遠方からの来客(同級生)には土産までもらっても満足な応対もできないお粗末な午前中になった。
 時間に追われる仕事もあり、市役所と、退職する職員の最後の仕事姿を拝見するために図書館に出向く予定もキャンセルである。
 夕方に地元町内へ会報の配布に出かけたが、我家同様に屋根瓦の被害もあり、テレビアンテナの倒壊や車庫の破損など、多くの被害が目についた。
 被害があっても認識されていない家もあろうが、わざわざ呼びかけるのも『悪徳セールスマン』のようでもあり、声も掛けづらい世情が淋しく思われる。
                                         12月28日の一言
自然の猛威を回避する責任が…
 本日も雪が舞い、出鼻を挫かれているが、東北地方の豪雪に比べれば幸いと、JR東日本の列車脱線事故の報道を見て思わされた。
 正確なダイヤと安全対策について、他国より信頼される立場にあった日本の鉄道神話が崩れさった一年でもあった。
 本年4月に起こった尼崎市の列車脱線転覆事故では、死者だけで107人に上る大事故となり、本日の夕刊にはJR西日本の会長と社長が責任をとり、来年2月に辞任するとの発表があった。
 尼崎の事故でも、運行時間の遅れを取り戻すためのスピード超過が原因であったが、今回の山形の事故では運転手が、「おおむね100キロ程度に控えて走行した」と、予期せぬ自然の突発的な猛威のような供述をしている。
 マスコミや新聞報道からも、特急ゆえに当然のスピードのような扱いをして、今後の原因の解明を待つようなコメントを出しているが、天変地異の自然条件の違いはあっても、事故の原因は明らかにスピードの出し過ぎにある。
 鉄橋の上で車輌が浮いたとの報もあるが、スピードが遅ければ事故を回避できており、特急だから100キロを超えて走るのが当然と考える方が異常と思えるが、本来は自然状況を把握して安全に運行する運転士の責任が忘れられてはならない。
                                         12月27日の一言
殺伐とした年越しを迎え…
 会報が完成し、準備万端整えて久しぶりに午前3時に起床したが、僅かではあるが雨模様であった。配達が職業の新聞であれば、文句なしの出動であるが、自主的な配布ゆえに天の示した休養と考えて眠りなおした。
 実は、一昨日に会社が休みの友人に誘われ、仕事を残したままに出掛けてしまい、昨日も休みの友人が訪れた(何処にも行く所がないのか)ために、不調の印刷機と相まって予定した仕事が消化できず、本日に持ち越していたが、先週の大雪や雨など想定外の出来事もあり、限られた年末までの日程が、改めて厳しく迫ってきたのである。
 あと5日間で正月である。あれも、これも、そしてあれもと、終わっていなければならない仕事が山積しており、ゴミの山となっていた事務所の整理が途中で止まって殺伐としており、年越しの様相である。市役所の仕事収めまで2日間しか残っておらず、明日と明後日は地獄でもある。
 さて、毎年3日に開催する新年交換会だが、案内が未送付であり、これも待ったなしだが、年末の大晦日には京都で年越しを恒例にしており、今回は仲間も増えているものの、連絡すら済んでいない状況である。さて、明日の天気は。
                                        12月26日の一言
総てに老朽化の波が…
 会報が完成し、印刷も終盤に入ってきたが、印刷機の調子が今ひとつである。不調の原因はやはり老朽化であろうが、メンテナンスの事務機メーカーもリース契約が切れてからはインクや消耗品の配達のみとなり、いざ修理となれば高額の出張費が必要となる。
 これも寒波の影響であれば救われるが、昨日の屋根瓦同様に老朽化のみは防ぎようがないのである。
 さて、一週間前に腹を上に向けて瀕死の状況にあった鯉が見事に復調し、餌を求めて催促をするまでに回復した。水槽に入れたヒーターの影響で、水槽が真夏の環境になったお陰であろうが、ヒーターは一つしかなく、となりの水槽では凍えきったカメが固まっている。
 ここまで見事に回復すると、取り上げてカメの水槽に入れる訳にもいかず、新たに購入を考えるも、金魚やザリガニもおり、水槽のために電気のコンセントは満杯となる。
 今では死にかけた鯉を材料にして、一日中暖房機をまわし、一枚脱いだ生活を当り前のようにしており、こうなると節電や資源の保護などとは逆行し、限りある資源を食いつぶしている日常生活を実感することになる。
                                          12月25日の一言
何とも痛い話が…
 雪の後遺症で何もできない一日だが、こんな日に幹線道路の交差点で大工事をやるものだから道路は終日渋滞の車の列である。
 連日の大雪で渋滞にはなれているものの、下水道工事による大渋滞と判り、地域住民の怒りの声の大合唱だが、予定どおりとしても道路状況も考えない工事には疑問が多い。
 さて、この下水道工事の大きな丸い穴に、鉄の蓋が置いてあるのだが、この蓋のおかげで何人の人が痛い目をしたのか気にもなる。
 設置した時点で、通行するオートバイや自転車には非常に危険な蓋と思っていたが、再三の雪によって多くの通行人が足をとられた筈でもある。この雪によって、人知れず痛い目をしている人は多く、我家も屋根の瓦の先がぬけてぶら下っている。
 降り積もった雪の上に、後日降った雨で相当な重みになっているようである。思わぬ年末の大修理となりそうであるが、こんな時に「建物に保険がかかっている」との朗報が届く。
 何でも保険の時代でもある。ただし、いざと言う時にかけてある保険も、使われていない事が多く、今回の屋根に保険が下りるなら、かつての台風で屋根瓦が落ちた際にも保険が使えた筈ではなかったかと思うと、一抹の不安、勝手なぬか喜びになるのかもしれないが。
                                        12月24日の一言
スキーバスなら喜ぶ大雪に…
 本来であれば、北陸の寒い日本海からの寒波に吹かれていたのであるが、旅行の中止によって緊張感の抜けた一日となってしまった。
 これも本来なら、23日の旅行には完成した会報『津島の風』を持って、明日からは早朝より配布の予定もたてていたが、原稿はほぼ完成しているが、印刷する気力も湧かないのである。
 どちらにしても、今週になって二度の寒波と大雪は、私自身の予定した行動をすべてぶち壊し、余裕があってもままならない現実と、肝心な事は何もできていない現状を再認識するのみであった。
 年末にできた貴重な三連休であり、貴重な時間であったが、考えてみるとあえて大雪の北陸に出掛けて、新たな発見を期待する方が自分らしかったと、自分らしからぬ中止の決断に至った状況を振り返り、自己嫌悪と世間(家族)の勝手な常識に無気力になってくる。
 寒波と大雪に対して、「スキーバスなら喜んで走っていく」と、決行に前向きな私に、「事故でもあったら」、「ケガでもしたら世間が」などと、せがむ家族の声にあっさりと中止を決断したが、やっぱり結果を恐れずに決行し、結果良しと「あの時は」との思い出にすべきであった。
 参加者の中にも「大雪も珍しいから」との意見もあった事から、結果を勝手に予測した世間(家族)常識と、安直に流された自分に当分は自己嫌悪でもある。
                                       12月23日の一言
またしても今季一番の豪雪が…
 数日前に今季一番の寒波襲来と報じられたが、本日も今季一番と思えるような大雪が舞い、日中から道路は真っ白である。
 本日は、津島市長と来年度予算に対する懇談会があり、厳しい財政状況の中での明るい展望のために熱心に議論に花を咲かせ(私は話し好き・長話が欠点でもある)、議員控室に戻ると携帯電話にはたくさんの着信履歴が残されていた。
 明日の23日は、北陸方面へ観光バスで日帰りツアーが企画してあり、天候を心配した人々からの電話であった。本来はキャンセル料など難しい問題があるが、今回は迷うことなく中止の判断から旅行会社と連絡し、中止の連絡に慌てて帰宅した。昭和から続く『朝日旅行友の会』の旅行企画は100回に近づいてきたが、中止は初めての事でもある。迷う事なく中止を決断した事からも、本日の降雪量の多さを物語る。
 さて、現在(午後7時)の事務所前は車の渋滞が続き、その列の長さは想像もつかないが、チェーンも付けない普通タイヤの乗用車が動けず、そのための大渋滞である。
 本日は、準備万端チェーンを装備しているが、道路に出る事もできない状況の渋滞に、「この人たちは何時に帰宅できるのだろう」と考えていると、「どうやって帰ってくるかなァー」と息子の帰宅を心配する家族の声が聞こえてきた。さて、…。
                                        12月22日の一言
昨日から125通の迷惑メールが…
 埼玉県さいたま市では、来月1月10日から、市内の公立小学校100校と養護学校1校に警備員を配置し、登校時から下校時までの8時間にわたり、校内から通学路の巡回にあたらせると発表した。
 ボランティアや保護者の協力ではなく、警備会社と契約する本格的な対策で、安心と安全のためには『ここまできたか』の感すらしないでもない。
 とにかく、どこでどんな被害に遭うかも知れない物騒な世情を痛感させられている。大きな借金をして家を買えば耐震偽装の不法建築である。幼児や児童にも携帯電話を持たせて安否確認を必要とし、塾に通わせ有名大学を卒業しても就職先がない。ボタン一つの押し間違いで何百億の損失を出し、買物途中の婦人はひったくりの被害を受け、留守番の高齢者は迷惑な訪問セールスの餌食になり、振込み詐欺の被害者にもなる。
 殺人事件が交通事故のように起こってくる。こんな日本になる事を想像できただろうか。
 さて、本日のパソコンからメールを確認すると迷惑メールが大量に送られており、削除したメールと受信拒否したメールは昨日からの1日間で125通になっていた。正しく届いたメールは4通だけで、内容から明らかに人の迷惑どころか犯罪紛いのメールも存在する。
 こんなところからも犯罪に手を染める少年を育成してしまいそうだが、微罪と思って放置しておく事から、大きな犯罪を生んでおり、厳罰も必要である。
                                        12月21日の一言
今さら家宅捜査では…
 耐震強度偽装事件で、警視庁や千葉県警が関係する全国百ヶ所以上を家宅捜査したと報じられたが、その一方で、数日前に総研本社前からシュレッダーにかけられた書類がゴミとして大量に破棄されていた事も報じている。
 「何をいまさら」、「時すでに遅し」である。
 国会の証人喚問でも関係する書類を入手して質問が続けられ、マスコミも極秘とされるメモや領収書を公開して事件を報じており、家宅捜査したものの不利になる証拠の多くは既に破棄されたか隠蔽されたと考えるのが常識でもある。
 国や地方自治体の被害者に対する公的支援をめぐり、国民の平等、公平の原則から賛否両論入り混じった論議がなされているが、加害者側への対応が遅すぎる。
 国会の証人喚問でも、自分の罪を全面的に認めたのは個人事務所の姉歯設計士だけで、倒産した建設会社に至っても自らの関与を否定している。
 本来は、国会の証人喚問よりも、強制捜査による証拠書類の押収が先決で、国の対応の遅れが証拠隠滅の余裕を与えている。
 これだけ多くの被害者がありながら、結局は最高刑でも罰金50万円の建築基準法違反か詐欺罪しか適応されないのも、現代社会の矛盾でもある。
                                         12月20日の一言
親バカで狼狽させられた大雪…
 名古屋市は58年ぶりの大雪との報を目にして、昨日の帰路の大雪が改めて実感させられたのである。
 しかし、まさかこんな大雪の本日まで、『親バカ』で名古屋まで走るとは予想もしておらず、かつては何時でも用意されていたタイヤのチェーンが見つからない。見つける事が大作業で、軒先の大掃除が必要になってしまったのである。
 やっとの事で見つかったチェーンの取り付けにも一苦労である。元々規格外のチェーンの取り付けでもあり、久々の肉体仕事に手先がついていかず、打ち身と指の爪が割れてしまったのである。
 そんなダメ親父に愛想を尽かし、次男は自転車で名古屋に向かったのである。ただし、さすがは車である。取り付け後に追いかけ、名古屋まで送って帰ってきた。
 数年前までは、雪でも配達の責任があり、前日から準備万端整えて、平日よりも素早い仕事を消化していた事が嘘のような狼狽ぶりであった。
 さて、最近はタイヤの性能が良くなり、チェーンを必要としないスタッドレスタイヤの全盛であり、雪道を車が当り前のように疾走していく。恐ろしい事は、普通のタイヤで同じように後続を走る女性の車の存在である。「みんな走っていくから大丈夫と思った」と、我家のカミさんも普段どおりに買物から帰ってきた。恐ろしい光景だが、何も恐ろしいと思っていない女性達の神経はもっと恐ろしいものがある。
                                       12月19日の一言
まさかではなく、まさにの積雪…
 最近の気象予防の正確さに驚かされた一日となった。「上空には今季一番の強い寒波が流れ込み…、…18日は、山間部を中心に平野部でも大雪の恐れ」との天気予報に、「まさか、日中までは」と、タカをくくっていた。
 昨晩も、夜空を見上げると輝く月明かりに、「予報のはずれ」と思っていたが、午前3時には一面が銀世界であった。
 本日の名古屋行きも、「バスしか無理だろう」と覚悟して家を出たものの、眩しい太陽の光に「日中は大丈夫だろう」と、急きょ車での出発を選択し、早過ぎる到着に時間を持て余して余裕の会場入りとなったのである。
 しかし、「まさか」の天候である。まさか、名古屋まで雪が舞うだけでなく、降り積もるとは予想もしていなかったのである。午後には白銀の世界に一変し、最終日となった『防災カレッジ』の会場を一目散に駐車場に向かい、凍結していない主要道を安全運転での帰宅となった。
 「まさか」ではなく、「まさに」と言うべき正確な天気予報に、本日の受講科目『災害情報論』を聞きながら、災害情報に対する危機意識の欠乏を実感した。
                                        12月18日の一言
 追伸、本日は私の52回目の白銀(シルバーに近づく)の誕生日でもあった。
運を天に任せるしか…
 10年ちかく飼っている水槽の鯉が腹を上にして横たわっている。最近の寒さから動かない状態ではあったが、数日前に無理矢理餌を与えたのが原因かどうか…。
 何も言わないだけに、冷たい水槽にヒーターを入れたが、このヒーターを待つ別の水槽のカメも冷え切って身動きひとつしない状況でもある。何とか助かってほしいが、ここまでくると運を天に任せるほかに方法はない。しかし、完全に死んだと思っていた状態から、元気に復活した前歴がある事をひとつの希望にしたい。
 さて、くるいだした歯車を、元に戻す事は容易ではない。本日の朝日新聞によれば、ヒマラヤ山脈の氷河がどんどん解け出し、各地にたまった氷河湖が決壊の危機にあるとの事である。
 地球温暖化が叫ばれ、排出ガスの制限や、自然環境を守るために様々な方策がとられているが、人為的要因もあるとは言え、自然界の流れの中ではまったくの無力のようにも感じられてくる。
 国内でも、富士山の万年凍土が年々減少し、今や頂上付近だけになってしまっている。「自然環境を守れ」と登山家の野口健氏もさかんに叫んでいるが、年々向上する生活環境と引き換えにする事は難しい。
 子供のころの夏は暑く、冬は寒かった。文明の発達により、季節に関係なく快適な生活環境を維持できるようになったが、このことが地球規模での自然環境の悪化になっている事は間違いのない事実でもあるが、一人の人間としては全くの無力でもある。
                                          12月17日の一言
小学校教師の少女買春事件とは…
 児童の連れ去り殺害事件が連続し、幼児の虐待から、教え子を殺害する事件や、災害時には大量の被害者が想定される耐震偽装問題も含め、殺人がかつての交通死亡事故のように扱われて報道されてくる。
 行政が住民との協働を訴え、市民のボランティア意識が高まる一方で、平然と人の命が奪われていく現実を、我々はどのように解釈すれば良いのだろうか。
 ここまで凶悪事件が日常化してくると、小手先の対策では本質的な解決にはならないと思わざるを得ない。世論の一元化は問題ではあるが、凶悪事件への対応については毅然たる対応が必要でもある。しかし、凶悪犯への死刑判決にも反対する人々があり、被害者の親族の感情を我が身に置き換えて考えると複雑でもある。
 「死刑」についても、被害者には仕返ししたい心情は当然であり、慎重な判断は必要だが、タガが緩んでしまった現代社会においては、計画的な殺人犯には厳罰を求めたい。
 さて、本日の夕刊には、新聞記者や教師が『児童買春』の疑いで逮捕されたと実名入りで報じられている。
 児童買春については、新聞の読み方にもよるが、「18歳未満と知らなかったら許される」ようにもとれ、殺人事件などの凶悪事件ではないものの、法を遵守すべき人々の事件だけに、厳しい報道と厳罰をもって再発防止につなげてほしいものである。
                                         12月16日の一言
新聞配達の死亡報道に蘇る記憶…
 師走も半月を残し、正月の足音が近づいてきた。しばらく聞く事もなかった寒波が12月に襲来し、23日の北陸行きと、大晦日から元旦を京都で迎える予定を立てているために北の空模様が気になるところでもある。
 テレビニュースでは、新聞配達中の人が除雪車に轢かれた現場が映され、雪に残された赤い血痕が生々しく印象に残り、引退した仕事ではあるが、他人事とは思えず、残された遺族と同時に、事故後に残された新聞を配布した人や新聞販売店が気にもなった。
 新聞販売店を閉めて7年近くが経過し、本年は周りの人々には何も言わなかったが、毎年12月14日については、交通事故への注意を呼びかけてきた。
 平成1年12月14日の早朝であったが、私が創業した昭和52年より前から新聞を配達していたMさんが(牛田町にて)交通事故で亡くなっている。当時、高校3年生の娘さんがあり、私の高校の後輩でもあった事から、雇用主としてだけではなく、一軒の家庭の綻びに責任を感じ、この事故から仕事への取り組みが一変した私にとっては大事件でもあった。
 翌年の12月14日にも、同じ路線の道路(下切町)で死亡事故が起こり、更にその翌年にも死亡事故にはならなかったが、同じ道路(越津町)で重傷事故が起こっている。偶然とは言え、毎年同じ日に連続した交通事故から、毎年12月14日だけは、宇治町から百町にかけて走る『農面道路』を通らないように訴えてきた。
 その後においても、この道路での死亡事故が多発しているが、県道ではなく市道ゆえに財源不足と同時に、農業用に造られた道路のために、現在は主要道になっているものの歩道の設置もままならない状態が続いており改善が必要ではあるが。
                                         12月15日の一言
共通する私への一言…
 「最近疲れているんじゃないの」が本日の一言である。議員の仕事が、どこから何処までかが解らないが、何でもかんでも首を突っ込んでいるために、議会活動よりも人々の個人的生活面での相談も多く、弁護士や司法書士、税理士のように相談によって手数料が入る人々とは違い持ち出しが増えるだけで、働いてはいるものの苦痛も多くなってくる。
 親しい知人や同級生にはこんな愚痴が続きだすと、止まらなくなってくる。何でも市役所の事は言えばよいと考えている人や、何でもありで仁義もない人も存在する。
 生まれてから52年(あと4日ですが)間、現在地に生活し、地元で商売を続けてきた事で、自分の信頼できる人々も多くあり、相談によっては自分の人脈を酷使しているが、それらの人々が真剣に応えてくれる半面で、相談者に利用されているだけで、応えてくれる人々は『私への義理立て』によって、不利益を被っている場合も考えられる。
 一番の悲哀は、相談された案件で、頼れる人や部門を紹介しても、その後の顛末が全く伝わってこない場合も多く、ひどい場合はツナギ役にされている。もっとも総ての顛末を聞いているヒマも無いのだが、私への義理で対応する事で本来の利益を得られないばかりか、相談者がそれが当然と思っていると依頼した人々の善意も報われないものに思えてくる。
 こんな一文を記すと、世の中が荒んでみえるが、こんな事例は稀な話である。ただし、この稀な話が骨身に堪えるのである。冒頭の一言は、私の愚痴を耳にした、親しい同級生の津島市職員の一言である。考えてみると、落語家の『浪漫亭砂九』さんにも、最近会う度にこの一言を聞かされていた事が思い出されてきた。
                                        12月14日の一言
貰えるだけ儲けてやれ…
 本日は久々に『よそ者』か、『一見さん』扱いのような仕打ちを体験した。知人に依頼してあった案件であるが、地域に生活し続けている人間には理解ができないような、「貰えるだけ儲けてやれ」と思わざるを得ない見積書による請求を受けた。
 そんな案件を持ってきた知人の心中は判らないが、どうやって考えても腹の痛まないための『ぼったくり』である。
 数年前の事になるが、団地内の下水道(コミュニティプラント)への配管工事がひじょうに高額な事から、津島市の指定業者以外の業者に見積書を取ったところ、びっくりするような低額の見積もりが届けられたため、早速の依頼となった。
 しかし、完成後の書類に指定業者の名前と印鑑が必要なために、数万円の割増料金を提示され、依頼主は怒り心頭の支払いとなったのである。いわゆる談合まがいの料金設定と思われるが、『厳重な検査が必要』などと言われて現実に罷り通っているのである。
 一方で、下水工事後の側溝に溜まってはいけない生活廃水が溜まり、原因をたどると指定業者の配管ミスが発覚した家も存在する。「管が破裂したり道路が水浸しとなる水道工事と違って、下水工事は手抜きをしても判らない」と言い切った業者も存在する。
 ビルの耐震偽装が社会問題になっているが、地域にも不適当な業者は存在しており、情報化社会ゆえに住民同士の情報交換が重要でもある。
                                         12月13日の一言
知らなかったでは済まされない現実…
 市議会で市民病院の質問が多いために、市民からの問い合わせ内容に病院や診療に関する質問や要望も多く、医療内容に立ち入った質問もいただくようになり、専門家ではないものの自然と関心も高くなっている。
 議会で厳しい指摘を続ける一方で、市民から市民病院へ便宜を図る要望もあり、市民間に不公平をまねかない限り、お願いに走る事もしばしばあり、批判の矛先を鈍らせてはいけないと自問自答している事も多いのである。
 本日も、市民に同行し、市民病院の入院費の支払いと、行政には高額療養費の還付手続と身体障害者手帳の申請に立ち会った。
 こうした行動は、ともすると、議員の人気集めのように見られがちであるが、議員が職員から特別な配慮をされている事が多いために、市民の視点に立った問題点が発見できるのである。
 又、自分が以前に指摘した問題点が改善されている事も実感できるので、市民の皆さんにはどんな些細な事でも声をかけていただき、是非とも同行させていただきたいものである。
 本日の同行によって、縦割り行政の弊害であるが、医療機関と健康保険制度、身体障害者支援制度の連携の不備と、津島市民病院で手術を受けたために、他の病院では医療費が無料か減額される対象者が、70万円の費用を支払っていた事が発覚した。
 治療をする医師の責任では無いものの、無料で手術が可能な病院にセカンドオピニオンで検査に出向いていただけに、「高額療養費の還付が受けられるから」と言われても、津島市の国民保健特別会計の支出増となる事と、7万数千円とは言え、支払った市民の負担額は戻ってはこないのである。
                                         12月12日の一言
誰でも出来る四択問題だから…
 「大鹿さんも受けてみなさいよ」とは、受講中の防災カレッジ修了者に受験資格が与えられる『防災士』の試験の話である。
 「すべったら恥ずかしいから」と、受験しない旨を伝えると、「誰でも出来る四択だから」との返事が返ってきた。誰でも合格すると言われると余計に無駄な資格のように思えてくるが、受験料2000円と合格後の認証手続料5000円を必要とする立派な資格ではある。
 本日は、講座の修了を見越して『あいち防災リーダー会』への入会受付も行なわれ、半年に及んだ講座の終了を実感する一日ともなった。
 こちらにも入会を勧められたが、団体への入会や会員となる気持は全くなく、防災ボランティアとしての知識の蓄積だけを目的にしており、「素直じゃないよ」と言われても、初心を貫いていきたい。
 災害時にボランティアとして頑張る事は当然だが、一人の人間として働ける度量には限界がある。又、現職の議員の立場にあれば、議員としてのやるべき仕事があり、八方美人で何でも参加はあえて差し控え、自分の領分を確実に果たしていきたいと思う。
 防災ボランティアの多くは、災害時への対応を考えているが、本来は平常時に災害に強い街づくりを目指した活動が重要でもある。私個人は、愛知県が主催している『人にやさしい街づくり』連続講座の関係から、街づくりの一項目として防災や災害対策を考えており、防災一筋の人々との大きな温度差を感じた一日でもあった。
                                        12月11日の一言
伝わらない市民の声や要望に…
 議会中ではあるが、最終日を14日に控えて束の間の週末であるが、本日は『まちかど座談会と出前寄席』があり、明日は『あいち防災カレッジ』があり事務所は不在となる。
 貴重な週末の土・日曜日であるが、市民にとっては平日は不在となり、土・日曜日は行政機関が休日のために、意見や要望があっても訴える機会がないのである。
 住民が仕事に出かけて不在となる平日に、いくら出前講座や行政の説明会を実施しても、参加できる対象はごく一部の人々であり、ほとんど大多数の人々にとっては無用の催しとなっている。
 しかし、行政に直接伝わる意見は少ないが、市民は各所・各部門に様々な意見や苦言を持っており、本日も落語終了をもって帰る予定が、市民病院の診療や医者の選択を巡って話が続きそうになったのである。
 本日もらった電話の内容も、民間開業医から出された『市民病院』への紹介状に対する電話であり、病院や医療に関する質問や要望は市民にとっては重大な関心事でもある。
 これが直接病院当局には伝わっておらず、代弁はするものの、当事者でない伝言でどこまで伝わっているのか疑問だが、巷の世間話に耳を傾ければ、必ずや市民病院の医療体制への理解と受診する患者数にも改善が見込めると確信するのであるが。
                                          12月10日の一言
何故に名古屋の県議会議員に…
 数日前の行動記録に、名古屋市の県議会議員の事務所に津島市民とともに相談に訪問した事を記したところ、疑問を抱いたご意見をいただいた。
 津島市の市議会議員が、「何故に名古屋市の県議会議員に相談する必要があるのか」との指摘である。自分の限界があれば、「まず地元の県議会議員に相談すべき」との意見であるが、指摘を受けて改めて地域の閉鎖性を痛感させられた。
 今回名古屋まで走った背景には、弁護士に相談し何度も裁判所の調停を受けながら解決できない現状を打開するために相談を受け、相談者は津島市民でも、相手は市外在住者であり、舞台は名古屋市だった事から、名古屋市選出の寺西学県議会議員の事務所に救いを求めたのであった。
 現実に、津島市や海部郡の県議会議員では、市民が何時でも自由に訪れる事のできる事務所を開設してはおらず、寺西事務所では常時複数の職員が常駐して対応しているのである。
 個人的な事になるが、私の叔母(故人)が、中村区の稲葉地町にあった寺西家に嫁いでおり、寺西県議の本家から分家した親戚にあたる事から、「津島の大鹿は親戚」として厚遇を受けてきた事も訪問した大きな理由でもある。
 「地元の県議」との意見も一理あるが、今回の相談は弁護士が解決できない事案であり、県会議長や自民党幹事長を歴任した寺西県議ゆえに解決の糸口が見つかったのである。又、市民にとっては、市議会議員でも敷居が高く、常時訪問できる事務所すら無く、私自身は事務所を開設しているものの、出掛ければ不在となり、寺西事務所のように常時市民が訪問できる事務所体制は目標でもある。
                                         12月9日の一言
本当の戦争責任は…
 日米開戦の幕開けとなった真珠湾攻撃から64年が経過した。アメリカでは今でも真珠湾を米軍の管理化におき、自由な航行を許しておらず、戦勝国でありながらの制約に、日本の戦争被害を被った中国や韓国などの『傷跡』の大きさを実感する。
 さて、本日の報道では、アメリカの前国防副長官が、大量破壊兵器の存在が完全に否定された結果から、「戦争開始前に判っておれば、米軍の侵攻が必要なかったかもしれない」との見方を講演で語ったとある。
 世界を巻き込んで戦争を始めた理由は、大量破壊兵器の存在にあった。その存在が総て否定された現在になって、その責任は問われないものなのか。この戦争でアメリカ兵の戦死者は2千100人を超え、比較する事のできない多くのイラク人が犠牲になった。
 独裁政治と言えども、フセイン政権が続いていればこれだけの被害と犠牲者はなかった筈だが、核弾頭の存在を宣言し、長距離ミサイルなど大量破壊兵器の存在が確認されている北朝鮮は、イラク以上に独裁政治であり好戦的であるが、米軍は侵攻せず、話し合いによる解決を目指すのは身勝手としか言いようがない。
 本日の夕刊には、フセイン元大統領が裁判への出廷を拒否し、「この法廷は占領者のアメリカによって作られた、国際法に違反する不当な裁判だ」との発言も報じられている。60年前の日本を思い出される裁判であるが、米軍の侵攻が必要のないものであったならば、いくら独裁政治と言えどもアメリカの内政干渉であり、戦争責任を問われるのはフセインではなく米国のブッシュ大統領にあるのかもしれない。
                                        12月8日の一言
同姓同名と思った…
 12月議会も明日の総務委員会が最後の委員会となった。最終日が着々と近づいており、自分にとっては年末までに消化すべきスケジュールが残されている。
 しかし、一年前の5日には身近だったMさんが亡くなり、本日の7日は葬儀の日でもあった。一年は早いものである。その後に、残された御主人は『四国お遍路』を自転車で廻られ、高野山へのお礼参りも済ませられている。
 「結婚記念日はいつだったかナ」とは、昨晩の家内の一言であるが、知ってか忘れて言っているのか、昨日が我々の結婚記念日であることを思い出したが完全無視。
 「金曜日には退院の予定です」と、市民病院に入院中の知人の御主人と息子さんが尋ねてこられた。毎年のように病気が発見され手術を繰り返しておられるが、早期発見のため何とか元気に復帰される。こちらは病気によって御夫婦の相性が良くなり、家族の絆も強くなっている事が傍目でも感じられ、訪問されるたびに元気をもらえるような気がするのである。
 本日は、市民病院で展示されている書道展を知人と見に行ってきた。初公開の『横井庄一』の書を前にして、見物人から「同姓同名と思った」と言われ、グアム島の横井庄一と記す必要があった事を実感した。
 「そう言えば、あの人が入院してみえる」とは、帰宅後の妻の一言であった。「今まで居たのに」は後のまつりで、病院の敷居は高いのである。
                                          12月7日の一言
議論白熱の文教経済委員会…
 特別に審議する議案が多い訳ではなかったが、文教経済委員会は議論が白熱し予想を大幅に越える審議となり、議会事務局職員は夜遅くまで議事録の記録に追われたようでもある。
 白熱した議論は、プラスチィックの資源化に伴う回収方法についてと、津島市出身の画家から寄贈された作品と現金6千5百万円を美術館設立基金にする条例についての2点であった。
 一点目のプラスチィックの資源化については、周りの市町村がゴミとして扱っているプラスティックやペットボトルを再資源化しようとする当局に、市民の負担を強いる回収方法について疑問の声があがり、ゴミの減量と経費削減、市民に強いる受益者負担を巡って激しい議論が続けられた。
 2点目の美術館設立基金については、財政状況の厳しい中では「建設は現実的ではない」と、寄贈された6千5百万円を基金とする条例化だけが前提であったが、この基金についてあたかも美術館建設構想があると思えるような新聞報道があり、我々議員のもとに『ハコモノ行政』を批判する市民の批判も寄せられていた。
 当初から当局は建設はできないと発表していたが、美術館建設が決まったとの噂が流れている背景には、市民()の一部に噂を流している人物の存在がまことしやかに囁かれている。
 噂話は身勝手に流れて止める手立てはないが、少なくともゴミの資源化など行政の説明不足が原因と思われる市民との不協和音だけは解消に努めたい。
                                           12月6日の一言
親父の残した柿をかじり…
 岐阜の高山だけでなく、名古屋市にも雪が舞い、冬の到来が切実と感じるこの頃になると、庭の柿木になる柿の実も、鳥との競争で姿を消し去っていくのである。
 我家の庭にも、かつては多くの柿ノ木があったが、自分が選挙に出馬した際に駐車場と化し、現在に残された柿ノ木は、三代前から残され人気がなくなった古木と、親父が遺言で「切ってくれ」と言い残した、庭のど真ん中に鎮座する2本になってしまっている。
 今となっては貴重な2本の柿ノ木であるが、私が幼い頃には4本の柿ノ木があり、現在に残された古木の他に、3本の柿ノ木があり、庭の正面に美味しい柿ノ木があり、家の裏には実が小さくて熟すのが遅い大きな柿ノ木が存在した。
 こんな渋柿のような柿ノ木を目指して、村の子供達が押し寄せ、勝手に裏の屋根から登って、樹の上から柿ノ木をもぎって下の仲間に投げるのを、私の親父の祖母にあたる『おばあさん』が取られまいとして、竹の棒で突付くのであった。
 現代では想像もできない光景が、当時の子供心にも強烈に記憶されている。親父に「切ってくれ」と言われた柿ノ木も、庭のど真ん中に鎮座し、庭の荒廃の原因になっているが、災害時の2階からの脱出用との説明で、延命を図られているが、これが結構美味しくて人気があるのも季節限定にはしたくはない。庭の見た目よりも『親父の面影』を第一に考えると、親は死んでも柿ノ木が残っている事は今となっては有難いものであるが、我家の柿の実しか口にしない私の心情を理解する家族はいないようでもある。
                                           12月5日の一言
市民病院に横井庄一の書が…
 9月から旅行やイベントで撮影した写真フイルムが置いたままになっており、年内に映った人々に配布するためにカメラ屋に走った。
 「雨が降っているから、明日にしたら」との声を振り切り、プリントされた写真を取りに走って、焼き増しを頼もうとプリントされた写真を見てびっくりである。
 感度の悪い使い捨てカメラか、画素数の低いデジタルカメラで撮影したような『切れ』のない写真は、小学生時代にプラモデル屋で買ったカメラで写した写真のようで、焼き増しを頼むのが恥ずかしくなるような代物であった。
 原因が判らず次のフイルムを広げると、普段どおりの写真が現れ、よくよく考えてみると、何時貰ったか判らないコダックのフイルムで撮影していた事が判明した。コダックのフイルムは普段使わないために、何年も置かれたままになっており、期限がきれた粒子の荒れたフイルムで撮影したための罰当たりでもあった。
 またまた考えてみると、ここ数年の間にフイルムを買ったのはわずかで、旅先でフイルムが不足した以外はカメラ屋で貰ったフイルムを使っており、かつては趣味としていた写真へのこだわりが失せた証でもあった。
 それ以前に、部屋がゴミだめ状態になっておる事も大きな原因であり、本日は夕方から事務所2階で『横井庄一』ミニ記念館(横井庄一記念交流館にしようか?)の陶器類の整理を始めたが、本日より『津島市民病院』の2階に横井庄一の手による『根性』の書を、神守丈友会の書道展に混ざって展示してきたが、初公開の遺品でもある。
                                           12月4日の一言
「大鹿君も最近は丸くなったなぁ」…
 本日は、地元津島市と海部郡の県会議員と津島市議会議員との懇親会に、民主党を除く全会派から19名(津島市議会は現在23名)の議員が集まった。
 選挙区や市町を越えた懇親会(昼食会)は、私が議員になって初めての事で、津島市の三輪市長もかけつけて、市政や今後の県政に花が咲いた。
 「大鹿君も最近は丸くなったなぁ」とは、数人残った2次会で、先輩議員の発した一言であった。議員1期目の議会では、たびたび議会ルールを無視して、本当の結論(真実)を求めて、議長の注意と制止を振り切って質問を続け、「暫時休憩」となった事もあった。適当な答弁に腹をたてて、横道にそれて質問を続け、議会を混乱(私はそうは思っていないが)させた事もあった。
 激論から不適切発言(これも私自身はそうは思っていないが)で、議事録から削除された単語もあった。先に質問にたった先輩議員と違う真実の答弁を導きだしたものの、議会が混乱したため悪者にされた事もあった。
 しかし、最近は混乱させる事は皆無である。「ダメなものをいくら言ってもダメだから」と言うと、熱意のない言葉と思われるが、行政が例えやりたくても「ノー」としか答弁できない事を、何度も質問し続ける事は、余計に可能性を低下させる事にもなりかねない。そんな状況判断の経験の差を、1期目の議員の質問を聞きながら感じるようになってきた。
                                          12月3日の一言
テレビ局の取材要請に…
 議会の一般質問が終了し、来週からは各委員会が開催される事になっている。昨日と一昨日の一言に厳しい12月のスケジュールを記したが、本日は、昨日自分が質問した『市民病院』の産婦人科の医師不足について、中京テレビの報道部の記者から取材の申し込みを受けた。
 医師不足は地方や僻地の病院では深刻な問題となっており、テレビ局で特集として取材を進めており、私の質問が伝わった事から、津島市民病院もその対象になったようであるが、約束が溜まりにたまっておる事と、病院関係者や実際に医師の退職によって突然他の病院で出産する事になった当事者の方が好ましいと告げた事から、当事者の両親と嫁ぎ先の娘さんの意向を確認するために本日のスケジュールは真っ白になってしまったのである。
 さっそく日曜日からテレビカメラを持ち込んでの取材が決定したが、放映後にイメージが悪化する事なく、医師不足の改善につながればと祈るのみである。
 ただし、医師不足の深刻さが世間に伝わっても、肝心な医師の確保については津島市と病院関係者の努力しかなく、他力本願では医師の補充にはつながらない。
 我々議員にしても、議会で問題提起はできるものの、実際には病院関係者の尻を叩くだけで、具体的な戦力にはなれないジレンマもある。数年前、単身視察に訪れた東京都稲城市の市立病院はすばらしかったが、40代にして既に3期目という石川市長の公約が病院の改善であり、首長のやる気次第とも思われるが、財政改革で緊縮財政下に入っているだけに多くを望めない現状も皮肉でもある。
                                        12月2日の一言
「大鹿さん、ちょっと」…
 本日は市議会の一般質問が開催され、私は4番目で午後1時からの登壇となった。先に登壇した議員と質問内容の重複があった事から、1時間以内に終了する予定であったが、筋書きの無い再質問が長くなり、1時間15分の時間を要してしまったが、早朝のテレビ占いのコーナーでは最悪で、「余分な一言が災いを招く」とあった事から、何事もなく済んだ一日にホッとしたのである。
 考えてみると、質問の中の市民病院については、議会開会前に事務局と病院長と意見交換を済ませており、防災関係の質問については、津島市が立ち遅れている現実から、答弁の期待よりも要望を並び立てると事前に伝えてあり、限られた時間ではあるが言うべき事は言い尽くした議会でもあった。
 市役所を後にしようと1階に下りると、「大鹿さん、ちょっと…」と職員に言われてついて行くと、色紙を手渡された。御室門跡真蹟なる墨書きの中に『万古清風』の横に仁和寺門跡今宜と記されている。
 京都仁和寺の門跡による書であるが、貴重なものだけに固辞するも、四国別格霊場15番箸蔵寺の住職が仁和寺の門跡との事で、私の四国遍路に熱中している話から、箸蔵寺と縁のある母親から貰った貴重な色紙を戴く事になったのである。
 色紙を戴いた瞬間に『師走』を実感し、4日から始まる書道展が頭をよぎり、まちかど座談会、あいち防災カレッジ関係の愛知県への送付、日帰り旅行会の募集、忘年会と次々に押し寄せる行事(勿論14日までの本会議と委員会もあります)と、年内には展示予定の『横井庄一ミニ記念館』と、配布が終わったばかりの会報・津島の風の次の印刷と配布も迫って、まさに嵐のような師走に入ったのを実感した。
                                            12月1日の一言
 昨日(11月30日)の一言にリンク