「何とか切り抜けられる」と思ったかどうかは定かではないが、耐震偽装マンションを販売したフューザーの小嶋社長が窮地に立たされている。 耐震強度偽装問題を国土交通省が発表する二日前に、小嶋社長は自民党の伊藤公介元国土庁長官とともにこの問題で同省建築指導課長を訪れている。 この席で、国の指定した検査確認機関が設計書の偽装を見逃した事から、国の責任に言及し、国による財政支援を迫ったと報じられている。 又、この席で、耐震偽装問題の公表を控えるように訴えている。国会での参考人招致では、居並ぶ国会議員を前にして大声を張り上げて持論を述べていたが、結局のところは欠陥マンションと判ってからも販売を続けており、被害者となる住民からすれば加害者であり、被害者振りをしたところで責任は免れない。 国会では『小泉劇場』にひけをとらぬ『主役』を演じ、同席した参考人を罵倒し、国会議員までもが怯むような熱弁をふるい、役者の格の違いを感じさせもした。 しかし、偽装問題を最初に公表しようとしたイーホームズの藤田社長にも公表しないように画策し、その一方では国会議員を使って国の財政支援を迫り、ここでも公表を控えるように要望している。 この時点では、世間に発覚しなけれ何とかできると考えていたのかもしれない。やはり、政治力を利用して、大手建設会社にも耐震補強の相談に訪れていた。 事の真偽は、当事者となりうる主役達が口を揃えて「私は知りません」の大合唱だけに、事件の発端となった人物さえ判っていないが、小嶋社長も最近では姿も見せず、雄弁な姿は消えてしまった。 耐震偽装事件の善後策にも無理があり、責任逃れを考えて事件の説明に偽装を続けるうちに、頼みの政治力が大問題に発展し、来月には国会で喚問を受ける事が決まったが、事件の関心は耐震偽装問題だけにとどまらず、自民党森派への政治献金や政権与党の公明党にも飛び火し、事件への政治家の関与までもが問題となってきた。 ただし、小嶋社長がいくら熱弁を振るっても、総ての欠陥マンションの保障ができる能力が無い事は明らかで、個人的資産で保障できる力を有するライブドアの堀江貴文社長や、村上ファンドの村上世彰氏等との大きな格の違いと、政治家との関わりにも年代の違いを痛感されられる。 平成17年12月25日 |
総合経営研究所(総研)が指導し、姉歯秀次建築士らが設計したマンションやホテルの耐震偽装事件は、木村建設やマンション販売会社の責任も含めて、国会でも取り上げられたが、その被害対象の多さと、被害額の大きさから、責任を追求はするものの、責任の果たしようがなく、最後はホテルの経営者やマンションを購入した住民の泣き寝入りになりそうでもある。 こんな無責任な結論を記すと、当事者から叱られそうだが、一つひとつの建物のコストダウンは大した額にはならないが、そのために解体して建て直す事は、2倍のコスト高となり、法を守るとか守らないの問題ではなく、人命を無視した悪質な犯罪であり、建築基準法などの裁きではなく、悪逆無道の犯罪として厳罰に処するべきでもある。 偽装を見抜けなかった行政の責任から、公的責任についての議論では、国の示した公的支援策をめぐり、地方自治体の反発も強く、石原東京都知事は「責任は国にある」と発言し論議を呼んでいる。 しかし、国の示した支援策については、地震や台風などの自然災害とは違った人的被害だけに、公平性に欠ける場当り的判断には注意が必要でもある。 阪神淡路の大地震をはじめ、各地で起こった台風や地震の被害者への支援内容の再確認も重要である。自民党の圧勝に終わった衆議院選挙によって、議席数で圧倒的優位にある自民党の世論に対する配慮から、公平性に欠ける『人気取り』的な支援や対策を発表されては適わない。 その前に、責任を問われるべき総研や、木村建設、姉歯設計士や検査機関イーホームズやマンション販売会社の資産を確認するだけでなく、経営者や関係した社員も含めた責任を明確に示し、企業の社会的責任を問わなければならない。 多くの国民には、「倒産したら保障なし」の声が多い。たとえ企業が倒産しても、その被害者が存在する以上、倒産した企業の経営者や関係社員の経営責任は永久に存続する事を明確にする事も、持ち逃げ、やり逃げが罷り通る現代社会には不可欠でもある。 パソコンのボタン一つの操作ミスが、数千億や何百億円の損失となる世の中で、明らかに意図的な犯罪について、その責任を取らせられない事はなく、この教訓から二度と同様な事件を再発させない法の整備は急務でもある。 平成17年12月18日 |
地方の医師不足が深刻化しており、医師の退職による診療部門の閉鎖が地方の離島やへき地だけでなく、都市近郊の病院にも忍び寄っている。 医師そのものの実数は、毎年約4千人ずつ増えており、その多くが都市部に集中しているが、最近では病院への勤務医が敬遠され、独立開業を選択する医師も多く、医師不足から勤務医の当直や不規則な長時間勤務がより増幅されている。 特に産婦人科と小児科の医師不足は深刻であり、希望する医学生も減少していると言う。小児科については、子供の症状は変わりやすく、緊急の対処を求められる事が多く、子供は自分の症状を説明する事ができない事と、注射や治療を嫌がり時間がかかるためにリスクも大きい。産婦人科については、出産が昼夜を問わない事や医療ミスで訴えられるリスクも大きく、病院の勤務医については、開業医の手に負えない患者が搬送されてくるケースも多く、危険をともなう治療も多くなるために医師のストレスも増幅されていく。 小児科や産婦人科、救急部門については、住民の期待も大きく、充実を求める声も多いが、現実に診察にあたる医師のストレスが大きく、医師不足により現場はさらに忙しくなる悪循環が続いている。 国の方針では、こうした実態を踏まえて、来年4月からの医療制度改革によって小児科や産婦人科の診療報酬を高める対策を検討して発表している。 しかし、医師不足が当面解消できない現実からは、民間開業医と第2次病院との連携から、病院と病院間の連携をさらに深め、病院の役割分担をすすめ、小児科や救急に24時間対応できる診療体制の確立が急務でもある。 「こらー」、治療室から大きな声が病院中に響いてきた。学校でケガをした児童が教師に連れられてきたが、泣き叫び暴れて治療できない子供に、日頃温厚な医師が浴びせた一言だが、それでも子供の治療に入れない。 軽傷でもこんな顛末を目の当たりにすると、医療現場で働く小児科医や産婦人科医、命に関わる救急医療の担当医のストレスの大きさが実感されてくる。 平成17年12月11日 |
地域住民の声を耳にすると、議員に対する厳しい意見が聞こえてくる。「議員定数を半減せよ」、「議員の報酬は高い」、「議員年金をなくせ」、「選挙の時しか顔を出さない」等など。 本年、私が実施したアンケート調査や、返信されてくる手紙の内容で、取り分けて多いのが議員定数の削減であり、半減せよとの厳しい意見が多数送られてきた。定数の半減と記した人々に確かな根拠があるわけではなく、議員に対する不信感や、議員の選挙違反や犯罪、不祥事が連続して起こっており、感情的に記された内容も多い。 しかし、住民の生活していく中で、議員の存在と必要性が低下している事も見過ごす事のできない事実でもある。 「月に2日か3日働いて一人前の高給取り」なるイメージを持つ住民も多い。真面目に活動して働いている議員にとっては、総てが的外れな言葉であるが、住民に指摘される事の一つひとつがあてはまる議員も多く存在しており、議員のモラルが問われている。(と言うよりも、既に諦められている) 議員の錯覚も多い。議員の報酬は勿論だが、議会での活動費も各種の視察も税金なら、個人的な政治活動まで税金を使う事を当り前のように思っている議員も存在する。 自治体の電話やコピーについても、個人的な活動は自費でおこなう事が当然だが、個人的な勉強や調査まで自治体職員を利用して当り前と思っている議員も存在する。 議員は来賓席なる慣例も時代錯誤になりつつあるが、田舎町では罷り通り、葬儀場には来賓席まで用意されているが、案内されなくとも当然のように座るようになると、まともな感覚は麻痺していると思われる。しかも、何の面識もない人の葬儀場にも参列するようになってくれば、もはや世間常識は通用しなくなってくる。 「議員の常識は非常識」とは、よく耳にする言葉であるが、議員活動が本当に地域社会の役に立っているか、今一度自己検証と反省もしてみたい。政治活動が政治屋を続けるための選挙運動にすり替わっている場合も多い。 人のためとは簡単に発する事ができるが、人のためではなく政治家個人の為になってはいないか。議員の活動を公平な目と、公正な評価で成績表にして一覧表にしたらどうかの意見が住民から提案されてきたが、政治に関わる者に期待するよりも、住民の自らの手で始めてほしいものでもある。 平成17年12月4日 |
議会開催を明日に控えており、今週の書き入れは休ませていただきます。連日の行事や日程を消化し、会報配布が連続する一週間でした。来週は議会活動に専念いたします。 平成17年11月27日 |
先週と先々週に(恐れ多くも)天皇制の女性・女系天皇を認めるとした小泉首相の私的諮問機関である『皇室典範に関する有識者会議』に対する異論を記した。 充分な議論と審議が不足する中での結論と、とりわけ『男女を問わず第一子が天皇陛下として優先する』判断に強い抵抗を感じるものである。 この一文を読んだ人から、「今時、男女平等の時代に」との反対のご意見をいただき、2千6百66年、125代にわたる天皇家の歴史が時流に押し流され、『万世一系』と言われる世界に類をみない歴史を現代の軽々しい判断で変えられる事に無力感を味わっていた。 三笠宮寛仁殿下の女性・女系天皇容認に異議を唱える随筆に対して、「皇族の意見は参考にしない」と切り捨てた有識者会議の古川座長や、「時代錯誤」とテレビで評論した女性評論家の声を苦々しく耳にしていた。 しかし、18日の記者会見で、民主党の鳩山由紀夫幹事長は、「男の子がいる場合は、男の子がついだ方が天皇家が安泰ではないか」と、私見ではあるが男女を問わず第一子優先とする有識者会議の答申に異論を唱え、男子優先を主張した。 19日付の朝日新聞朝刊では、『男系でない天皇、皇統断絶』と題して、戦後、皇籍を離れた旧皇族・竹田家の竹田恒泰氏が、皇位継承の歴史や宮家皇族の役割に言及した本を近々出版し、「男系でない天皇の誕生は、万世一系の天皇家の断絶」と指摘した記載がある事を紹介している。 『語られなかった皇族たちの真実』(小学館発行)として近々出版予定との事であり、発刊にあたっては一部の皇族や旧宮家当主らとも相談して記したとの事であるから、是非とも一読してから改めて記してみたい。 我家の仏壇の過去帳を見ると、12代前まで遡る事ができる。しかし、比較するまでもないが、たかだか300年の歴史しか遡る事ができないのである。125代にわたる天皇家の歴史と伝統を考えると、あまりにも軽々しい有識者会議の判断に委ねるだけでなく、広く学識者や皇族、旧宮家の意見にも耳を傾ける必要性を強く感じている。 さて、いくら記しても届かない一文も今週までとしたい。 平成17年11月20日 |
今月15日に結婚式をあげられる紀宮さまが、天皇、皇后両陛下と最後のお別れとなる『朝見の儀』が、12日に皇居の宮殿でおこなわれた。 紀宮さまは15日の挙式後に、皇族から専業主婦として『一般社会人』としての生活が始まるが、これからは選挙の投票や国民年金、健康保険にも加入することとなる。 現在、小泉首相の私的諮問機関である『皇室典範に関する有識者会議』は、女性・女系天皇を認める方向で検討が進められており、これが正式に決まると、女性皇族も結婚後も皇室にとどまる事となり、結婚による『皇族離脱』もなくなる事から、紀宮さまが結婚による最後の皇室離脱となる可能性も高い。 現在のところ、有識者会議は、女性・女系天皇を容認する方向で皇室典範の改正を示唆しているが、『長子優先』も報じられている。 これは、今後の天皇家においては、男子や女子にこだわらず、一番初めに生まれた子供が将来の『天皇』になる事を意味するのである。 現在の皇太子家に弟が誕生したり、秋篠宮家に男子が生まれる事があったとしても、天皇陛下の長子である皇太子家の長女が天皇になる事になるのである。 さて、万世一系の言葉には異論を投げる識者もあるが、神武天皇から125代目となる現天皇まで、天皇家の歴史の中においては、8人の女性天皇が誕生しているが、女系継承は一件もなく、女性天皇の系統は継続される事なく系図が途切れて、すべてが男系の天皇の系統で継承されてきた歴史と伝統の重みと価値観を有識者会議はどのように評価しているのか疑問が残る。 皇室に男子が誕生せず、男系天皇が全く不可能となる事も現実問題であり、女系天皇容認にも一応の理解は示したいが、それと『長子優先』とは全く意味が違い、皇室の歴史とは全く別の選択になっているような気がしてならない。 男女平等が憲法ではうたわれているが、日本の歴史は男系優先で連綿と築かれてきた伝統があり、特に『日本人』の中心の系統に位置する天皇家だけに、いくら首相に認められた有識者会議と言えども、国民の十分な理解と同時に、皇室の意見を聞かずして、十分な議論がなされぬままに決められる事に大きな抵抗を感じるものである。 平成17年11月13日 |
四国遍路で声高々と読み上げられる御経が『般若心経』である。心経奉讃文によると、天台経七十巻、毘沙門経六十巻、阿含経華厳経法等、般若法華経一切八万余巻の中から選び出されたる御経とあるが、大八木興文堂発行の『般若心経講話』によれば、大般若経六百巻の中の、肝要の妙文を抜粋した御経と記されている。 たかだか266文字に凝縮された御経であるが、一千二百年もの長きにわたって、真言宗だけに限らず、まったく変わる事なく読み継がれてきた事に驚嘆するものである。 弘法大師が誕生した地に、大師自ら建立した『善通寺』が創建されてから来年が一千二百年との事で、弘法大師が遣唐使として中国に渡る際に、自らお書きになった自画像も公開されるとの話である。 紀州の高野山、京都の東寺とともに大師三大霊跡である善通寺では、毎朝5時30分より御影堂で朝のお勤めが行なわれている。悠久の歴史を感じるとともに、一千二百年前の大師と同じ空間で呼吸をし、般若心経を唱えられる我々は幸運でもある。 さて、善通寺の歴史とは比較にならないのが、天皇家の歴史である。三笠宮寛仁殿下が福祉団体の機関誌に寄稿された随筆の内容が大きく報じられた。 小泉首相の私的諮問機関『皇室典範に関する有識者会議』が、女性・女系天皇を容認する方針を固めたと報じられているが、異議を唱える主旨の内容だけに注目したい。 殿下は論点を二つあげ、2千665年にわたる世界に類をみない天皇家の歴史と伝統を、簡単に変更して良いかについてと、皇室典範を改正すれば現在の男系天皇の歴史も継続できる可能性を示唆している。 この随筆に対して、有識者会議の吉川弘之座長は、皇族の意見聴取は念頭にないと表明し、「議論には影響ない」と切り捨てる発言を記者会見でおこなっている。 神話の時代の神武天皇から、125代にわたり、天皇家は一度の例外もなく、男系で万世一系の皇統が引き継がれており、この件については軽々しい判断は禁物でもある。 ましてや、『靖国参拝』にこだわり、他国の非難を浴びる小泉首相の一私的諮問機関の座長が、軽々しく発言する事には大きな疑問と嫌悪を感じるものでもある。 連綿と築かれてきた歴史と伝統を尊重し、皇室内部から漏れてきた貴重な意見だけに、時流や世論に流されずに歴史の存続を期待したい。 平成17年11月6日 |
「止めなさい、何の意味もありません」と言われた。日蓮宗の新興宗教団体の若い女性達であったが、四国八十八ヶ所遍路の旅に対する批判であった。せっかく苦労して、一生懸命四国遍路で授かってきた納経帳と朱印を押した『白衣』を、本人の希望で亡くなった時に棺桶に入れたい家族を「宗旨が違う」と拒絶する浄土真宗の僧侶。 小泉首相の言う『日本は八百万(ヤオヨロズ)の神々の国』とはいささか違ってきているのかも知れないが、宗教団体によっては他の宗教を拒絶して、持論を押し付ける押し売りまがいの説法がある。 「それは間違い、ムダです」と、葬儀の焼香の回数と作法を伝授する僧侶。宗派や宗旨が違い、間違いとまで言われる筋合いはないと思うが、最近は僧侶の講釈も多い。 しかし、講釈が多い割には、最近では早朝の梵鐘の音も減り、法要も「親族のため」と称して祭日に集中するが、僧侶の勤める仕事のためと見透かされると、神妙であるべき説法が余計なお節介に思えてくる。 観光ブームの中で、寺院を訪れる人々の考えも多様化し、受け入れる側の対応も様々であるが、お粗末な寺院ばかりではなく、早朝より規則正しく勤行を続けている寺院も多く、それが評価されない会話も耳にすると悲しくなってくる。 『善通寺』の宿坊は、温泉が引かれ、近代的な建物であり、朝の勤行も親切丁寧な説明までされ、希望者にはその日一番の高僧が記念写真までお付き合いされ、感激する人も多いが、不評の声も耳にする。 不評の理由を問うと、「テレビがなく、部屋にトイレがないし、朝も早い」と、全く旅館と比較したような返事が返ってくる。 こんな物見遊山のお遍路も存在し、階段の多さから車中で参拝を決め込む巡礼者も存在する。「ここで止めて待っている」と言い出す人もある。「ここまで来て何故」と問うと、「霊感があり登れない」の返事。体力不足に決まっているが、何とか宥めて参拝する。 多種多様、様々な四国遍路であるが、弘法大師が42歳のとき(西暦816年頃)に四国を巡り、八十八ヶ所の霊場が定められたと伝わっており、遍路道が整った室町時代までは、道なき道を巡拝していたのである。 その弘法大師が亡くなって1千2百年近くも経過している。善通寺や高野山では当時とまったく同じ『般若心経』が一日も休む事なく読まれてきた。1千2百年前と同じ空間で誰もが般若心経を読める環境を改めて感謝したい。 平成17年10月30日 |
国や行政が住民との『協働』やボランティアの存在を評価する事で、自治体と住民やNPOなどの市民団体とが一緒になって進める事業も増加している。 行政の力ではどうする事もできない大規模地震や台風による水害など、住民やボランティアの力を必要とする自然災害が全国で発生し、活躍するボランティアの存在が国や行政の評価を高めた事が背景にある。 特に昨年は、全国各地で台風による水害が連続し、中越地震が起こった新潟県ではボランティアの活躍がめざましかった。 しかし、一方では、ボランティアによる空き巣や、逃走中の犯人が避難所にまぎれているなど、ボランティアの弊害を指摘する声も存在する。 又、住民との協働についても、国の三位一体の改革の中で、地方交付税や補助金を削減された地方自治体の苦肉の策として進められている面も否定できない。 そんな中で、次々と各種のボランティアが養成され、各種のボランティア市民が誕生し、行政の把握していない団体やグループも存在している。 また、善意で参加したボランティアが大きな事故につながったり、住民との争いに至った不幸な事件も起きている。簡単に参加でき、不特定多数に呼びかけられるボランティアではあるが、受け入れ先の希望に全く応えられない『役立たず』であったり、持病のために逆に被災地で発病し迷惑をかけるボランティアも存在する。 気軽に参加できる環境づくりは重要だが、何にでも参加するボランティアとか、何所にでも出掛けるボランティアではなく、何のためのボランティアか、相手は何を必要としているかを見極めた上で、自分が役に立つボランティア活動が必要とされている。 実際に災害時になると、登録されたボランティアの半数も集まらない現実もあるが、実際に参加すれば相手のある事だけにその責任感も実感する事となる。 せっかく養成したボランティアと、行政と市民の協働を後退させないためにも、ボランティアの必要性の再確認と同時に、ボランティアの自己責任の確認など、ボランティアを志願する人々の再認識と同時に、ボランティア活動を財源不足の自治体に都合よく利用され、行政の手足に利用されるだけのボランティアには注意を促したい。 平成17年10月23日 |
世の中がおかしくなっているのではないか。村上ファンドが南海電鉄の株式を大量に保有して筆頭株主になっている事が発覚すると、阪神タイガースのファンの声を取材してまで村上氏の行動が批判されている。 村上氏は違法な手段で阪神電鉄の株を取得した訳でもなく、阪神タイガースのオーナーになろうとしている訳でもない。自分の取得した株の価値を上げるために、阪神電鉄やタイガースへの提言は当然の行為であり、本来であれば筆頭株主の意見として経営陣は神妙に聞き耳を立てるべきところでもある。 株式を上場している企業であれば、安定経営のためには安心できる株主を集めておく対策があってしかるべきであり、株を買う立場からすれば、投資に見合う利益を求める事は当然の目的でもある。 ライブドアの日本放送とフジテレビの一件にしても、株式を大量に取得したとして株主が非難される事自体が異常であり、株は『金儲け』のために買うのが常識であり、どんな意図であろうと上場された株を買って『金儲け』を考える事が非難される理由は何もない。 むしろ、世間の注目を浴び、大金を投じた株式の株価が下落すれば、村上氏の投資した資金の目減りの危険性も高く、リスクをおかして取得した事が忘れられている。 村上氏が阪神電鉄の筆頭株主として、経営に参画しようが、株を大量に売りさばいて大量に利益を得ようが、タイガースファンや世論に批判される筋合いはなく、むしろ、その目の付け所に感心するか、村上氏から学ぶべきであろう。 この問題に対して、読売巨人軍の渡辺オーナーまでもが球団経営に関係した発言ではあるが、「オレが許さん」などとマスコミのトップとしての自覚も忘れた私見を述べて批判している。批判されるのは旧態依然とした経営陣に向けられるべきであり、投資家村上氏の踏ん張りに期待したいものである。 さて、こんな騒動の後になって、今年からプロ野球に新規参入した『楽天』がTBSの筆頭株主になっている事を表明し、経営統合を提案している。ライブドアの堀江氏や村上氏が悪玉に仕立て上げられているが、利益にあぐらをかく阪神電鉄経営陣や、楽天の三木谷社長の動向にも注目したい。 平成17年10月16日 |
先週(10月9日分)の文章が送信されておらず、原稿が行方不明になっています。本日判明しましたので探して追記する予定です。申し訳ありませんでした。 |
本年1月、NHKが政治家の発言によって番組内容を改変した事に対する、朝日新聞社が第3者機関に委嘱していた審議結果が発表され、朝日新聞社社長が取材の詰めの甘さを反省するコメントを発表した。 当時の報道や、NHKの内部から実名を明かした告発もあった事から、客観的に政治圧力によって番組内容が改変された事は間違いのない事実と思われる。 今回の社長会見では、取材の資料となる聞き取りの状況や、政治家がNHK幹部を呼び出した日時を確定できる資料が不足している点で、取材の詰めの甘さを指摘され、記事そのものが不確実な情報と化した点から反省の弁があった。 しかし、現実に発表されていた番組内容が短縮され、政治家にとって不都合と思われる内容部分が削除された事は現実の事実であり、何らかの圧力があった事は確実である事から、自民党が衆議院選挙で圧勝し、単独過半数を握った今こそ報道や放送への政治的圧力を排除すべき重大な時期になっていると思われる。 市民の立場として、行政との約束を文書で求める場面をよく耳にするが、ここには約束がしっかりと守られない現実が存在する。 名前を公表して政治家の番組への政治的圧力をNHK内部から告発されていた事件にも関わらず、否定する議員と呼応してNHKまで政治的圧力が無かったとの豹変ぶりには、国会議員とグルになったNHKの体質を感じてならない。 取材した記者や内部告発と番組改変の事実から、取材した内容は間違い無いと思われるが、取材した相手がすべて口裏を合わせてしまったら、真実を否定する事も可能となってしまう恐れもある。 我が身に置き換えて考える時、議会で発言する資料となる聞き取った内容を、後になってから全員に否定されたらどうなるのか。情報化社会の中にあっても、相手のある事だけに情報の入手や引用方法を間違えると、大変な責任問題に発展する事を今回の発表から痛感させられた。 平成17年10月2日 |
小泉改革の影響は地方自治体に交付されていた補助金が削減された事から、住民の生命に関わる医療体制や各種の福祉施策にも実際の影響が出始めている。 津島市においても、休日や夜間の当直当番医制度が大幅に縮小され、平日夜間や土曜日の診療が無くなった直接の原因は、国からの補助金が廃止された事が大きい。 また、地方交付税や各種補助金が削減されることで、地方自治体の財政運営は最小限必要不可欠な施策のみに限定され、住民サービスの低下は決定的になりつつある。 住民各組織や団体に支給されていた補助金は、本年度は一律1割カットされ、来年度にはさらに3割の削減が予定されており、来年度は5件の廃止と、19年度は18件の補助金廃止が発表されている。 この中には、津島地区医療センター運営事業補助金や、扶助費としては老人医療費扶助費や母子家庭等医療費扶助なども2年間で9件の廃止が含まれており、住民の命に直結する部門だけに新たな対策が急務とも思われる。 津島市がこのような厳しい内容を含んだ、『財政改革行動計画』を発表した背景には、現状のままで推移すると、平成19年度には赤字に転落し、21年度には財政再建団体に転落する恐れがあるためであり、市職員の削減と人件費の削減を図るだけでなく、住民サービスの低下を招いても厳しい財政改革に取り組む必要性が生じているからである。 財政再建団体は、赤字団体の事で、一般企業では倒産にあたる事態で、実質収支の赤字が標準財政規模の20パーセント(津島市の場合は約23億円)を超えると、予算編成や諸施策が国の監督下に置かれ、全ての事業が国によって指導される事になり、住民サービスの低下は免れない事態となるのである。 「すべてを国の指導のもとに、やりなおした方が良い」という意見もあるが、行政や市政の失敗を住民に転化する事は我々議員にとっては情けないの一言である。 こんな中で、9月議会に市長より『助役登用』を目指した議案が提出されようとした。勿論、議員の大多数の反対で議会への提案は見送られたが、「財政の厳しい現状から当分置かない」と議会で答弁があった事が、いとも簡単に忘れられているのである。政治家の変節には住民の厳しい視線を必要としている事を痛感している。 平成17年9月26日 |
参議院の存在感を形骸化しないために、衆議院で可決された『郵政民営化法案』にあえて異論を示し、反対者多数をもって法案を否決したのではなかったのか。 衆議院の再考の場として、独自の議論と判断を示し、『議会制民主主義』の危機を訴えながら郵政民営化法案が否決され、結果として、郵政民営化法案を可決した衆議院が『理不尽』とも思われる解散総選挙に至ったのである。 結果として郵政民営化に反対した衆議院議員は、自民党の公認をえられず新党や無所属で戦い、当選しても党を除名されるに至っている。 そんな中で、参議院での否決の先導役となった中曽根弘文議員は、国民の民意を理由にして『郵政民営化賛成』の記者会見をおこない、他の参議院議員も反対を撤回して賛成する意向を発表している。 国民の民意を『変節』の理由に挙げるとするならば、参議院で法案に反対した当時の判断理由は国民の民意ではなかったのか。圧倒的に小泉改革を支持した国民の民意に反する判断ミスの責任はどのように取るつもりであろうか。そもそも、参議院で反対した議員たちに国民の民意は全く届いていなかったのである。 巨額の選挙に要する財源に対する批判をしていた『郵政民営化反対派』の参議院議員も存在する。結果論だが、自民党の党議党則に違反して、本会議で反対した自民党参議院議員のおかげで、多くの元自民党代議士が落選や除名処分となり、社民党の土井たか子元委員長や民主党の多くの現職が国政から姿を消す事にもなったのである。 国民の民意によって国会審議の判断を示す事ができた点では選挙を評価できるものの、結果的には空白の1ヶ月を国政にもたらした点では責任は重大でもある。 国民を小ばかにした中曽根をはじめとする参議院議員の責任は重大である。こんな情けない国会議員をそのまま放置する事は、政治家の信頼を損なうばかりか、衆議院での厳しい処分を断行した小泉首相の片手落ちともなりかねない。 良識の府として、二院制として参議院の存在価値を維持するためにも、厳しい責任追求と処分をおこない、国政の老人ホームと化した参議院の改革にも厳しい対処がとられるべきではないだろうか 平成17年9月18日 |
衆議院選挙の結果は自民党の大勝利に終わった。自民党というよりも小泉首相の改革路線の支持と言うべきかもしれないが、国民にとっては厳しい現実が続く中で、民主党などの甘い誘惑にも惑わされる事なく、国民の指示によって小泉首相の続投が決定した。 国の借金は、国民一人一人に換算すると600万円と言われている。我家に当てはめると8人家族であるから4千8百万円の借金ということになる。この金額は、私や家族の所得から考えると返済不可能な数字であり、倒産か宅地を売却するしか解決できない事態でもある。 「郵便局一つが民営化できずして、何で改革ができますか」との小泉首相の主張を、小泉流マジックとかマスコミを扇動していると批判する人もあるが、国民のほとんどが郵便局の民営化などを反対に固執してまで、改革を後退させるべきではないと判断した事は賢明な判断だったと改めて国民を見直した。 小泉首相が衆議院を解散し、結果的には自身の首相の座をかけて臨んだ選挙選の焦点は、間違いなく自身の公約である『郵政民営化』であり、国民に年金や少子高齢化などの甘い囁きを送り、選挙戦の争点を変えようとした民主党の戦略は完全に失敗し、岡田代表の辞任まで発展しそうになってきた。 年金の減額や、各種公的負担の上昇により、国民の不満も多く、必ずしも小泉首相の手法が国民に歓迎されているとは思われないが、行政のムダを省き、平成の大合併を断行し、続々と改革をすすめる国の方針が国民に浸透しているのは確実で、道路公団の談合や天下りが次々と明るみにされたのは、摘発し続けた作家の猪瀬氏らの背後にある小泉首相の存在が大きい事を忘れてはならない。 少なくとも、小泉流は国民の支持をえて、当面は苦しい国民生活への不満も封印して改革の続行となりそうである。 ただし、およそ1年あまりの総裁任期で退く事を小泉首相は表明しており、小泉改革の継続をめぐっては早い段階での政治的混乱に陥らないとも限らないが、しばしは小泉首相の舵取りに期待したいものである。 平成17年9月12日 |
選挙期間中につき、公職選挙法に抵触する可能性がありますので、今週の天聖人誤は休みます。「関係ない文章を書けば良いだろう」と言われると、もっともな話ですが、実際には、愛知県に未提出のレポート(8月末締め切り分)を2題かかえ、明日から本会議が開会するため、一般質問などにあてる時間の余裕がなくなる事から休ませていただきます。身勝手な休刊をお許しくださり、次週にご期待下さい。申し訳ありませんでした。 平成17年9月4日 |
夏の高校野球で甲子園を制して優勝した北海道『駒大苫小牧高校』にも、指導する野球部長による選手への暴力事件が発覚した。 しかし、大会直前に選手間の暴力や喫煙が発覚して、出場を辞退した『明徳義塾高校』のような大問題にはされず、来年春の甲子園大会に直結する秋季大会にもそのまま出場できるような情勢が報じられている。 一部選手の喫煙を選手が自己申告し、選手間の暴力についても指導する監督が直接指導したにもかかわらず、世間の厳しい批判から『出場辞退』するばかりか、監督と部長が辞任までした挙句、選手達にも今後の出場を禁止されている『明徳義塾高校』とのあまりにも大きな格差を『高校野球連盟』の幹部はどのように判断しているのか疑問が残る。 『駒大苫小牧』については、選手を指導する立場にある野球部長が直接バットで突付き、数十発のパンチを見舞ったのである。しかも、教頭や校長も甲子園初戦前にその事実を把握しており、優勝後に事件が表面化するまで隠していたのである 生徒の犯した事件を指導した明徳義塾の監督が辞任しているのに対して、部長自身が起こした暴力事件に対する駒大苫小牧の処分は、辞任どころか謹慎処分で済ませている。 一方で、弁護士まで立て、病院の診断書まで用意された事件でありながら、内輪で問題が解決していた明徳義塾が高知大会の優勝を取り消された結果と比較すれば、駒大苫小牧の甲子園大会の優勝は取り消されて当然ではないだろうか。 高校野球は連帯責任と言うが、たとえ一人の選手や選手にも選ばれていない部員が犯した罪や事件を、真面目に生活し、練習に精一杯努力していた選手達に負わせる必要があるのだろうか。今回の駒大苫小牧の場合は、生徒を指導する立場にある指導者の犯した事件だけに、責任はより重大ではなかろうか。 今回の事件を通して、はっきりとしておかなければならない事は、事件と事故、教育的指導と暴力の違いである。 さて、優勝を取り消され、甲子園を出場辞退した明徳義塾も、出場していたら優勝していた可能性も残っている。真の実力校が優勝したとは言えない優勝旗だが、明徳義塾の事例に倣えば駒大苫小牧の優勝も確実に取り消しである。色褪せた優勝旗だが、身勝手な大人の判断への反省と、問題にもされない野球以外のスポーツについても、同じ高校生として共通する指導を徹底してほしい。 平成17年8月28日 |
「あの世界は自分の住める社会ではなかった」と、中学時代の恩師は私に会う度に、そうやってつぶやくのである。 『あの世界』とは、政治の世界の話である。私の恩師は、私と同じ平成11年の地方選挙に立候補して地方議員として活躍が期待されていたものの、1期限り4年間であっさりと議員の職を辞してしまったのである。 「白か黒か、解答を求められた教員には政治の世界は向かない」との主張である。しかし、教員の経験者でも多くの議員や政治家が存在している事から、教員ではなく「正直者は議員や政治家には向かない」と言い換えた方が正しいのかもしれない。 「自分の意見や態度は堂々と主張すれば良いでしょう」と、出来の特に悪かった教え子の意見に、「会派の意見には反対でも賛成と言わなきゃならんし…」と、政治の世界にはうんざりの言葉が続く。 「会派なんか抜けちゃえば良かったでしょう」との出来の悪い教え子の意見に、「そりゃーそうだが」との返事があったが、後に続く言葉は何もなかった。 現実には、会派に属さぬ無会派の『一匹狼』には、発言の自由があり、何の束縛も無いものの、大きな会派にある決定権がなく、何もできない『狼の遠吠え』に過ぎず存在感は薄いと思われているのかもしれない。 地方の議員ですら、会派で一度決まった事には反旗を翻せない現実がある。会派で決定した事に反対の意思を表明でもしようものなら、会派に留まるどころか喧嘩別れが一般的であろう。 そんな常識を破るような出来事が、国会を舞台にして繰り広げられた。郵政民営化法案に反対した議員達には、自分達が自民党という組織の一員としての自覚が希薄だったと言われても致し方ない。大物政治家と思われていた人物でも、党の公認が無ければ当選も際どい現実を曝け出した。 政治家の常識は、今まででも市民からは非常識と揶揄されてきたが、今回の選挙をめぐるお粗末な公認問題や地域と無縁の『落下傘候補者』の出現からは、出来の悪いと言われる子供たちの意見に耳を傾けてもらいたい心境になってくる。 平成17年8月21日 |
参議院本会議で郵政民営化法案が否決され、小泉首相は躊躇することなく予告していたとおりに衆議院を解散した。 そして、郵政民営化に議席で反対した自民党衆議院議員には、自民党の公認を与えないばかりか、その選挙区に自民党の公認候補を擁立すると宣言し、着々と発表がはじまっている。 反対派議員にとっては、自民党の公認どころか、自民党を敵にまわして立候補する事が確実となり、議席の獲得が危ぶまれ、既に立候補を取りやめた候補者も出た。 参議院の本会議の採決を前にして、声高々に小泉批判と郵政民営化法案反対を叫んで大合唱していた反対派議員も、このような事態を予測していた者はおらず、党議党則に反した結末の厳しさを噛み締めているのかもしれない。 国民の中にも、「小泉はヒットラーだ」とか、「人の意見を聞かない独裁者」と表現する人の声も存在するが、小泉首相くらい自分の発言に正直で、公約を着々と具現化してきた政治家は少なく、過去の政治家の常識や、目先のアメ球やニンジンに惑わされる事なく小泉改革の評価をしてもらいたい。 国の抱える借金は、国民一人当たり約600万円と言われている。我家は8人家族だから4千800万円の借金額となる計算だが、我家の借金返済能力を上回っており、我家に当てはめて考えれば宅地の売却か、自己破産、夜逃げの危機である。 小泉首相が誕生してから、年金改革や医療改革など、行財政改革を繰り返すたびに、年金や介護保険の負担増や医療費の増額など、公的負担が増大している事から、国民の評価には厳しいものがある。 しかし、ムダな経費削減のために『平成の大合併』を断行し、地方自治体の大反対の中でも地方交付税や補助金の削減を実施し、官庁のウミを隠す事なくさらけ出してきた。道路公団の天下りや談合事件では逮捕者まで出しているが、追求する公団民営化委員会の猪瀬直樹氏があそこまで頑張れるのも小泉首相の後ろ盾あっての事である。 問題となった『郵政民営化』についても、小泉首相の総裁就任時からの公約であり、このまま政権安定のために継続審査を選択すれば、民営化が遅れるばかりか、なきものにされる自民党の政治体質を知った上での決断と思われる。 国の借金を減らすための改革は急務である。郵政民営化のための解散は筋違いとの意見もあるが、この事一つが国の行財政改革の流れや進捗を左右する重要案件と位置付け、小泉改革の結末をまだしばらくは見守っていきたいと願う。 平成17年8月14日 |
国会は参議院に提出された『郵政民営化法案』をめぐって、与党である自民党が大混乱を招き、明日の本会議での採決結果によっては、衆議院の解散から分裂選挙の様相もささやかれている。 たかだか一地方議員である自分が何を言ってみても、政局どころか声も届かない国政レベルの話であるが、与党も野党も含めて、国会には国民の声が届かず、国会議員には国民の税金を使って国会での議会活動をしていると言う自覚も失せていると言わざるを得ない。 郵政の民営化に対しては、小泉首相の永年の公約でもあり、賛成する意見にも、反対する議員の主張にもそれぞれ納得できるものはあるが、あまりにも議会運営が大人げない。 「自民党をぶっ壊す」は、小泉首相の総裁就任時からの決り文句でもあったが、このままではぶっ壊すではなく、ぶっ壊れる事態にも陥りそうな気配が濃厚でもある。 自民党を一つの会社に例えるなら、分裂どころか倒産の危機であり、社長にあたる総裁の小泉首相は経営者としては失格どころか、役員会か株主総会で追放してでも倒産を回避するのが組織ではないだろうか。 ましてや小泉首相には、自民党だけではなく、日本の国のトップであり、日本の経営者として国民の利益や国益を考える立場にある。簡単に「解散」の意向を発言しているが、解散になれば多額な選挙費用と財源が必要となるばかりか、その費用も国民の税金である認識がまるで感じられてこない。 国民の圧倒的支持を得て、政界よりも国民の人気に支えられて総理総裁の地位に上り詰めた首相だけに、最近の『靖国参拝問題』に続いて、郵政民営化につていも『唯我独尊』を貫く本意を国民に語りかけてほしいものである。 最近の道路公団の天下りや談合事件などから、国民も国の負担を減らすための郵政民営化については理解を示すのではないか。ただし、国民どころか国会でも十分な説明や議論を尽くさず、強行突破ではあまりにも策が無さ過ぎる。 このまま明日の本会議で否決され、解散選挙になれば、漁夫の利を得るのは民主党になる可能性が高い。しかし、主義主張の違う議員の集合体である民主党が沈黙を守り、全国会議員が郵政民営化に反対する事は、目先の党利党略に過ぎず、過去の言動から矛盾する議員も多数存在する。 自民党がぶっ壊れるのは構わないが、信用できない民主党や野党が政権政党に座る事になれば、益々国政は混乱する。 今となっては無理な話ではあるが、国民に語りかけて総理総裁になった小泉首相には、国民の声に耳をすませ、今一度断腸の想いで解散を回避し、安定した国政を継続させる事を一途の望みとしたい。 平成17年8月7日 |
パソコンの危機的状況下(パンク)につき今週は休みました。 平成17年8月1日 |
本日千秋楽を迎えた大相撲名古屋場所も、最後は横綱朝青龍が5場所連続となる13回目の優勝を飾って幕を閉じた。 予想通りと言えば、一番最高位の横綱だけに当然の結果とも言えるが、最近の朝青龍の相撲と比較すれば決して絶好調の体調とは思えず、苦労した意地の優勝でもあった。 最近の大相撲の不人気については、若貴兄弟の引退をあげる評論家もあるが、貴乃花親方の改革案についても厳しい批判や協会の厳重注意のオマケまで付いてしまった。かつての満員御礼が連続した盛況ぶりは微塵も感じられなくなってしまっている。 評論家などは(相撲関係者は黙して語らず)人それぞれに勝手な事を述べているが、大相撲が不人気な原因ははっきりとしている。原因は単純に『面白くない』からである。その面白くない原因は力士の太り過ぎにある。 テレビの解説や評論家は、力士の大型化という言葉を使うが、明らかに現代の相撲取りは太りすぎた肥満体質であり、医学的に健康体かどうかも怪しい力士が多く、太り過ぎによって『技』が出せない力士も多い。 最終日の千秋楽までに10人の幕内力士が休場した。14日目の相撲で足首を骨折した海鵬は、休場から再出場した岩木山との対戦で負傷したが、167キロの岩木山の全体重が足首に乗しかかったのである。 伝統の『国技』とか、都合が悪くなると『神儀』などとの言葉が使われるが、大正時代は勿論だが戦後でもこれだけ多くの重量(肥満)力士はいなかった。相撲がスポーツとして扱われるようになっにもかかわらず、技より体重が武器にされており、スリリングな展開は望めなくなっている。 入門の規定が、175センチ以上で67キロ以上とあるが、スポーツとして考えるのであれば当然体重制限があってもよいし、健康審査で異常値のある力士は欠場させるべきでもある。 若者に大人気の『KTグランプリ』も、一日に3試合も連続して闘うために、勝者が負傷して敗者や代理の選手が勝ちあがって観客をしらけさせる事が多くなった。大相撲も終盤になると大量の休場者がでて取り組みをしらけさせているが、ケガの原因は肉の塊と化した力士の体重にある。また、大型化といっても、かつての『力道山』のような力はなく、他のスポーツに参戦した『横綱曙』が、大きいだけの肥満と虚弱体質を証明している。 けが人や、肥満したデブ、健康診断で引っかかりそうな力士で溢れる相撲界の力士自身を改善できなければ、人気回復も掛け声だけになりそうである。 平成17年7月24日 |
議会活動の中で市民病院の質問を繰り返している事から住民の問い合せも多い。しかし、病院の対応や制度的な問題についての問い合せは議員としても対応が可能であるが、病気や治療方法について質問されると医者ではないので返答に困る。 現実に自分の体の状態が把握されていないのである。相手が真剣であればあるほど適当な返事もままならず、あれこれと思いを巡らすものの、結局は医療関係者に電話する事となる。 誰もが良い病院や医師を求めるものの、医師が不足している中で、突然に発症した病気に最高の条件で対応できる余裕はない。 最近は良い病院や医師、先進的医療や漢方治療などの著作物も多く出版されている。何もない余裕のある時には読む気にもなれないが、買い求める気持だけはあっても良いのではないだろうか。 数週間にわたり思い当たる事を適当に(申し訳ない)記してきたが、数点挙げるとすれば@近くに信頼できる開業医をつくるA重要な病気は紹介状をもらって専門医へB医者とは喧嘩せず賢く付き合うC重症の治療法は複数の病院や医師の意見を聞く等である。 それ以前に重要な事は、健康診断をや定期検診を受けて、病気を早期に発見して早期に治療する事と、病気にならないように心掛ける事である。 現代人に共通する問題は『肥満対策』でもある。肥満対策と言えば『食事』が問題になり、日常の生活が問題ともなってくる。糖尿病と言いながら毎日の『酒が止められない』人や、入院中にタバコを口にする病人は問題外だが、日頃の節制は極めて重要でもある。 「倒れた後からでは、しまったと思っても遅いよ」とは、1月に指導を受けた『管理栄養士』の言葉である。良い病院や医師を求める前に、保健士や管理栄養士の話(行政で各種実施)を聞く事から始めたい。 平成17年7月17日 |
「病院のカルテや検査結果の資料を求めても貸してもらえない」と言う声が今でも多い。多くはセカンドオピニオンや再診断を求めて、他の病院に持っていくための請求であるが、医師によっては患者に十分な病気の説明もせず、患者の不信感から起きているトラブルも多い。 本年4月から施行された『個人情報保護法』では、患者の求めに応じて診療記録(診療録、処方箋、手術記録、看護記録、検査所見記録、X線写真、患者に関する保管中の全記録)を提供する事は、病院や医療施設、介護機関への『法的義務』となった。 個人情報保護法を間違って解釈する人も多く、「個人情報だから教えられません」の言葉に納得してしまう人もあるが、自分自身に関する情報は自分自身のものであり、行政と言えども住民の情報を預かっているだけなので、本人の求めに対しては開示する事が当然の義務であり、権利でもある。 病院の保管する患者の情報についても全く同じであるが、病院の医師の中には、十分な説明が不足するだけでなく、患者の診療情報の求めに「見せてあげる」という意識で渋々提供している事例も多い。こんな医師にあたると、インホームドコンセントとかセカンドオピニオンという現代の常識には程遠く、患者が「二度と戻れない」覚悟で他の病院の診断を仰ぐ事となる。 厚生労働省では、個人情報保護法が施行される以前の平成15年と昨年12月に、カルテ等の個人情報を開示する事を前提とした具体的な運用指針を各都道府県に通達しており、その指針には「患者等の自由な申し立てを阻害しないため、申し立て理由の記載を要求することは不適切である」と明記されているのである。 患者の求めに、「何のために必要か」などと尋ねる事自体がナンセンスな話であるが、医師の中には医療技術は高度でも、世間知らずで日常会話ができない非常識な人物も存在する事から、患者も医師を見極めて賢く付き合っていく事も重要である。 平成17年7月10日 |
数年前の話になるが、大先輩にあたる知人から、「どうしても知多の観音様に連れてってほしい」と頼まれて、山海にある『洗い観音様』の宝珠寺を訪れた事があった。 複数の病院に通ったものの、結果が思わしくないための『神頼み』ならぬ『観音様』参拝であった。 相談を受けた住職が、「先生お願いします、どうか私の体を治して下さい」と医者にすがり、いつまでも治らなければ、「先生助けて下さい。何とか治せるお医者さんを紹介して下さい」と頼んでみなさいと助言したところ、その人は「私の先生は愛知県で一番良い先生だから、紹介してもらう医者はない」とはっきりと言い放ったのである。 それなら観音様に参拝する必要もなく、住職に助言を求める必要もないと思われるのだが、医者を全面的に信用できない本当の本音を隠し、素直に住職の助言を聞けないのであれば、観音様の霊験も届く筈がないのである。 月刊ヘルシートーク6月号の中に、『患者力をつける』として患者力アップの7カ条が記されていた。@医者とハサミは使いようとして、冷静な頭で、医者と病院に何をしてもらうかを考え、A自分の直感・感性を大切にする、B手段を講じて医者と病院を選べには、自分の病気と治療法を調べ、適切な病院と医師を選択する事が記されている。 さらに、C説明をしっかり求めよう、Dセカンドオピニオンも利用、E気がねや遠慮はしない、F「今、このとき」を大切に生きるの7項目が記されている。 自分の体を治すためには、医者に遠慮する事なく説明を求め、最善の治療法を選択するためには、病院や医者の紹介を求める事や、効果が出なければ他の医者や病院の判断を仰ぐ『セカンドオピニオン』が当り前の時代になってきている。 自分の病気や治療法も判らず、「嫌らしいから」などと思い、経験の少ない未熟な医者に自分の命を預けるのは愚の滑稽である。良い医者と良い病院を選ぶためには、目前の医者と賢くつきあっていく事も必要である。 平成17年7月3日 |
津島市民病院の投薬ミスが大きく報道された。しかし、ミスを繰り返す病院の体質を改善する事は重要だが、投薬ミスは患者に服用される前に発覚しておる事と、患者に実害が全くないにもかかわらず、手術ミスによる死亡事故より大きい報道の扱いに疑問があったが、患者が保健所やマスコミに強く訴えた事が判り、大々的な報道の疑問も解けたのである。 ここで、もっと疑問になる事は、何故に一度目の投薬で疑問があったら二度目は当然としても、三度までもわざわざ美和町から津島市の病院まで通院したかである。このあたりの理由と原因を考えると、地域医療を考える上では、津島市民病院だけではなく、地域住民にとっては大きなダメージを残した事件となったのである。 又、この事件では報道されなかったが、本来は美和町の救急医療や夜間診療などの医療体制の不備にも言及される問題点がある事を忘れてはならない。 さて、現実には投薬ミスはもちろんだが、医師の判断によっては適正な投薬がなされていない事は、どの病院でも十分考えられる事である。そのために現在は薬の『院外処方』が制度化され、今回の事件についても『院外処方』が間違いを発見したのである。 そういう意味では、医療体制の安全は機能しており、実害のない事件で、病院の体質改善につながれば幸いと思うべきかもしれない。 ここで、今一度考えたい事は、こういった事態をさけるためにはどうしたら良いかについてである。健康な時には何も必要のない事かもしれないが、病気になった緊急時や、重大な病気に遭遇した時のためには参考になる。 簡単に記すれば、まず第一に、緊急時の地域の体制や制度を知っておく必要がある。夜間診療や往診をおこなっている医療機関を知り、救急体制についても十分な知識は有効となる。今や救急車だけでなく、ドクターヘリが出動する体制がとられており、重度な熱傷や脳卒中には有効となる。 次は、やはり、良い医者と良い病院をあらかじめ知っておく事である。これは、医療レベルだけでなく、日頃から相談できる親しい医師(かかりつけ医)をつくっておく事と、緊急時に搬入される病院に健康時のデータを残す事も有効となる。 最後は、患者として、自分の体を直すためには手段を選ばず、最高の治療を受けるための方法を考える事である。医師に十分な説明を求め、別の病院の意見も求め(セカンドオピニオン)てでも、最高の治療方法を選択する事である。 簡単すぎるので、来週以降にも補足していきます。 平成17年6月26日 |
病院の良し悪しを言える人は、病人ではなく健康な人達ではないだろうか。現実に病気になった時に、目の前の医者を否定して、他の病院に移る勇気が病人にあるだろうか。ましてや、突然の発熱や下痢が続いたり、救急車で搬送される患者には、自分の事とは言え医師を選択する余裕はないのが現実的である。 しかし、病院の選択によって救われる人もあれば、ひっそりと息を引き取ってしまう(ように見える)人もあり、医師から見放された病人が奇跡的に回復している例もある。 医学的に限界とされ、治療する事が不可能と医師から宣告された人が、何故に病気を克服できるのか、人間の体の不思議なところである。一方で、原因がはっきりと判った上で手術を受けたり、治療中の患者が簡単に死んでいってしまうのである。 この差は、いったい何と説明ができようか。医師から見放された人が死の淵から生還している事実を知る時に、病院で治療中に亡くなった患者に「安らかな最後でした」とは言い難い。 平成5年1月の事だが、私の父親は「長くても3ヶ月、早ければ1ヶ月」と医師より死の宣告を受けた。病名は胃ガンで、既に肝臓へ転移していた。 周りの人々から知恵を授かる中で、一人から信じられない答えが返ってきた。ほとんどの人が良い病院や治療薬の話をしたり、抗ガン食品や、ガンが治る霊水(湧水)の話をする中で、「ガンが治る観音様がある」という前時代的な話であった。 この言葉を発した人物が現役の『新聞記者』だっただけに、一瞬耳を疑ったのであった。また、非現実的な話と思った。 ところが、父親が亡くなって半年後に家族で『観音様』を訪れて、医師から見放されたガン患者が奇跡的に治癒してしまった話を聞いたのである。それから12年の歳月が経過しているが、その話の主人公は、現在も元気で生活を続け、毎月の『観音様参り』が続けられているのである。 信じられない話であるが、事実である事から、「やすらかな最後」とか「家族に看取られて幸せだった」と父親の最後を語られる時に、自問自答を繰り返してきた。 病名を隠し(悟ってはいたと思うが)、100パーセント病気と闘わずして亡くなった父親の最後は『不戦敗』だったのかもしれない。生き続ける人と、簡単に亡くなった人との差はいったいどこにあるのか。 少なくとも、「もっと長く生きたい」という気持の差があったと思われる。生きるためにはどうするか。当時でも、告知して本人が納得する治療をすべきだったのかもしれないと思う。「よく判らないから先生にお任せします」では患者が可哀想である。 平成17年6月19日 |
隣の中国から、卓球の天才少女と言われた、日本のアイドルでもある『福原愛』選手(愛ちゃんと言ってしまうが)の活躍したニュースが伝えられた。 偉いものである。日中関係が険悪にこじれる環境の中にも、自分の卓球技術の上達のために単身中国に渡って頑張っている姿には感動させられた。インタビューにも日本語ではなく、流暢な中国語で答えていた。 自分の好きな事を続けて、その道で大成するのは簡単そうではあるが、現実は至難の業である。いくら好きな事であっても、努力には限界もある。特に、スポーツは体力や筋力とともに、素質が伴わないと一流にはなれないのである。 又、いくら素質があって運動神経が良くても、継続した練習を休まず続ける事は、最近の世情の中では一段と難しく感じられる。 「そりゃー、卓球だけやっておれば上手くもなるわ」という声を耳にした事もあるが、我々と同じ人間のやる事であるから、風邪をひく事もあれば、怪我をする事もあり、幼少の頃から卓球一筋に続けて頑張っている姿は『国民栄誉賞』を贈ってやりたい(あくまで私の気分ですが)心境にさせられる。 私の長男も陸上の高跳び選手だったが、中学2年時に高校教師から声をかけられ、高校にも引き抜かれ、インターハイや国体では『優勝候補』とアナウンスもされ、優勝こそ叶わなかったが表彰台に立ったのである。大学選択時に、東京行きに反対する私に向って、「子供の成長を見守ってほしい。オリンピック選手に育てる覚悟で誘っている」と監督に言われ、多大な評価にびっくりして承諾したのである。 しかし、現実は入学早々のケガによって、まったくの夢物語に終わってしまった。続けて欲しい親の気持は強くとも、本人に『やる気』が失せれば、なんともしようがなく、とにかく卒業して家に帰らす事だけとなってしまったのである。 スポーツに国境はないと言われ、過去の日中関係も『ピンポン外交』から関係改善が始まったのである。多くの批判にも耳をかさず、『靖国参拝』にこだわる小泉首相よりも、卓球一筋に頑張る『愛ちゃん』のほうが日中関係の親善に適任かと思うと、あの幼く可愛かった少女『愛ちゃん』が急に大人に見えてきたのである。 平成17年6月12日 |
厚生労働省は、太平洋戦争中にパラオ諸島沖で沈没した旧日本軍の輸送艦『石廊』の乗組員の遺骨引き上げに向け潜水調査を開始した。 『石廊いろう』は約1万5千トンの輸送船で、昭和19年3月に米軍機の攻撃を受け、五十数隻の僚船とともに沈没した。乗組員222人のうち、少なくとも39人が眠ったままになっていると言われている。 新聞報道によれば、元乗組員も同行しており、調査に先立ち慰霊式も実施されたとの事であるが、国は年内の収集を目指すと発表している。パラオ諸島では、撃沈された五十数隻だけでなく、上陸した米軍との陸上戦も含めると、1万6千2百人が戦死しており、収集された遺骨は8千8百6人のみと報告されている。 「60年間、海底で眠っている仲間を迎えに来た」と、戦友は語っているが、太平洋の海底に眠ったままの遺骨はほとんどが手付かずの状態であり、陸地に残された遺骨も含めると、家族の待つ家に還っていない英霊の遺骨を、厚生労働省や国はどのように考えているのか聞きたいところでもある。 高野山奥の院の入り口、一の橋のたもとに『ああ同期の桜』の慰霊碑がある。鶴田浩二は、生前には毎年、9月の第2日曜日の慰霊祭に欠かさず出席していた。この慰霊祭に、鶴田浩二はバンドを引き連れて歌をはなむけていた。勿論、すべての費用は鶴田浩二の志であった。 鶴田浩二は、年に5、6回チャリティショーを開催し、その収益を『遺骨収集の基金に』と、日本遺族会に寄付を続けた。昭和46年から亡くなるまでの15年間に、その額は5千万円を超えている。 また、硫黄島やサイパン島、マリアナ島、テニアン島、フィリピンの島々へ自費で出かけ、塹壕の中から自らの手によって、戦友の御霊を祖国に帰還させている。 鶴田浩二が亡くなった昭和62年から18年の歳月が経過している。国による戦争で沈没した艦船の遺骨調査は10年ぶりという。パラオ諸島での遺骨収集は約半世紀ぶりとの事である。 戦争被害国の心情を逆なでし、靖国神社の参拝にこだわり続ける小泉首相には、祖国に帰還できないままの御霊のためにも、参拝をする前に本格的な『遺骨収集』の宣言と、自らの手による御霊の帰還を実践してもらいたい。 平成17年6月5日 |
平成の大合併は、この春3月から4月にかけて、全国36道府県で396市町村が再編され、新たに61市21町1村が誕生し、23市で編入合併が行われた。 平成の大合併が始まる直前の11年3月末で、全国に3千255団体あった市町村が、本年4月1日までに837団体減少した。さらに、来年3月末までに164団体減り、2千254団体となる見通しが報告されている。 内訳を見ると、町村が1.517団体減り1千045団体となり、市は107団体増えて777市となる見込みである。(本年4月現在の市数は762市) 又、本年3月末を期限としていた合併特例法は、3月末までに都道府県に合併が申請を済ませ来年3月末までに合併する自治体にも適応され、財政優遇措置等が適用される。 平成の大合併により、来年3月末には、日本の人口のうち約1億483万人が市の住民となり、全体の約88パーセントを市部が占める事になる。 一方で、面積は全体の約44パーセントを町村が占める見込みで、広い面積を有する町村と都市部の格差が新たな問題になりそうでもある。ましてや、合併と無縁で合併特例法による財政支援が望めない僻地の村の運営をどうするのか、国の動向が気になるところでもある。 市部の人口が全国民の9割近くなる見通しであるが、同じ市とは言えども、かつての都市の延長である市のイメージとは形態も異質なものになりつつある。 4月10日に誕生した高知県『四万十市』は、人口3万8千513人に対して、面積は632・34平方メートルである。津島市の5月1日の人口は6万6千608人であるが、面積は25・08平方メートルで、四万十市の約1割なのである。 ちなみに、隣に誕生した愛西市も、人口こそ津島市とほぼ同数ながら面積は66・6平方メートルあり、隣接している事から生活環境も同じように見えるものの、救急や消防など今までとは全く違う条件下での市制運営が展開されなければならない。 問題は、市政運営にあたる職員の意識改革と、町村会議員から市議会議員に格上げされた議員の意識改革が重要でもある。合併特例法によって適応される財政優遇措置と並んで、議員在任特例も実施されているが、議員が町村会議員の意識のままでは市民の税金の無駄使いになってしまうのである。 平成17年5月29日 |
パソコンを使い、インターネットを当り前に利用し、各種商品や著作物を次々と検索し続けている中で、時々びっくりする事がある。 「ご入会ありがとうございます」との表示が突然と画面に現れ、何にも入会した意識は無いが、勝手に『入会手続きが終了しました』と表示され、あわてて画面を終了させた事が数回あった。 幸いにして、今までは何も請求が届いていないが、パソコンだけを頼りにした物品の注文は、安心できない領域でもある。 もっとも、こんな事を記す事は、パソコン音痴の前時代の人間である事を証明しているようなものかもしれないが、個人情報が流用される心配や、騙されないための工夫も必要と思われる。 つい先日も、1500円の商品を注文したが、安心して商品を受け取るために郵便小包の受取人払いを希望したところ、結果的には2160円の代金が必要となった。これでは、便利なインターネットが十分に生かされてはいないが、間違って多額の代金を請求された事例を聞く限りは安易な利用には踏み切れない。 一番の問題点は、人をだます『悪意』を前提にした人間の存在がある。 「宣伝のため無料で屋根瓦をやります」と言われ、新築から10年も経たない立派な日本瓦を外されてしまった同級生があった。我々の追及にも「タダでやります」と業者は言っていたが、結果的には約五百万円の契約書が作られており、銀行口座から引き落とす手筈が組まれていた。 明らかな詐欺行為だが、外されてしまった屋根瓦は元に戻らないために、泣き寝入りで実費を取られる人も多いのである。こんな悪徳業者が堂々とテレビコマーシャルまで流して、タレントまで起用しており、トラブルになれば弁護士まで登場するために、ほとんどの人が泣き寝入りとなってしまうのである。(実際には騙された契約は支払う必要がありません) 公共料金の支払いも『自動振替』が当り前になりつつあるが、これも安心は出来ません。間違った請求書もそのまま振込みされてしまっている可能性は高い。水道料金や電気、ガス料金を正確に計算できる人は少ない。複雑な電話体系と料金は正確だろうか。 人を信用できないのも悲しいが、人と人との会話のない取引が主流となりつつある社会を信用する事にも一抹の不安を感じるものである。 平成15年5月22日 |
自然環境を守るため、マイカー規制に観光バスの出入りまで規制された『上高地』で、日常的に見られるのが『愛犬』と歩く観光客の姿である。自家用車が入れない上高地へ、どうやって愛犬を持ち込むのかは不明であり、我家の犬も連れて行きたい気持は十分にあるが、上高地への犬やペットの持ち込みは環境省によって禁止されているのである。 世界文化遺産に指定された『高野山』でも、愛犬を連れた老夫婦を見かけた。以前にも何度か見かけてきたが、今回は『奥の院』に続く墓標を囲む石碑や燈篭に放尿させながら歩く姿を見かけて、いたたまれない気持になった。 墓標の囲いとは言え、墓苑の石柱を電信柱のように犬に放尿させ、何も感じないまま歩く老夫婦の異常性と同時に、直接注意が出来ない優柔不断な自分にも腹がたっているが、最近のペットブームの中での常識を超えた行動には注意を促したい。 5月14日付けの朝日新聞の『私の視点』に、北大名誉教授の金川弘司氏が『狂犬病・国政調査で犬の実数把握を』なる一文が掲載されていた。 日本では昭和32年以来発生していない狂犬病であるが、隣の中国では昨年一年間で1千3百人以上が死亡しており、世界では毎年5万人以上の死亡者が出ている現状と、最近のペットブームの中で、毎年1万頭以上の犬が輸入されており、寄港するロシア船などから検疫を受けないまま上陸する犬の例が記されている。 驚く事は、「犬の狂犬病は、発病すると治療法がなく、ほぼ100パーセント死亡する危険な法定伝染病である」とのくだりである。 日本では『狂犬病予防法』ができて、ほぼ半世紀ちかく発生していない現状から、狂犬病に対する認識が低く、発病の可能性が無いものと勘違いしている人が多く、行政や国が把握している犬の登録数とペットフード工業会の抽出調査の数とは大きな差がある事から、正確な実態調査の必要性を痛感させられた。 さて、巻頭の二例は、現代人の常識を疑う例として記したが、狂犬病に限らずとも、犬や猫に噛まれた際の雑菌によって、手足の指を切断する事例も身近にある事を耳にしている。ペットブームの中で社会生活にも多くの問題点が指摘されている。道路や公園への犬や猫の糞尿も大きな社会問題になっており、地域の中での議論と同時に、行政の実態把握も急務である。 平成17年5月15日 |
中国や韓国の反日デモは、小泉首相や閣僚の靖国神社参拝問題や、歴史を歪曲した学校教科用『歴史教科書』問題などが大きな原因と思われるが、最近では国連の安保理事会の常任理事国入りを目指す日本の動きも大きな一因になっている。 この問題について朝日新聞社の実施したアンケート調査では、58パーセントの日本人が日本の常任理事国入りを支持し、48パーセントが反対の意志を示している。 支持する人の理由は、日本が国連分担金を2割払うなど財政面での実績が大きい事や、ODAなどで国際的な援助大国になっている事を挙げ、日本が国際社会で果たしてきた実績から常任理事国入りに理解を示している。 逆に、反対する人々の理由の第一番目は、日本が国連でリーダーシップを発揮する能力が無いと答えている。次に、経済・援助大国としての影響力で十分との意見が続く。 賛否を見ると過半数を賛成の意見が上回っているが、国内に42パーセントの反対があり、しかも近隣諸国の反発が起きている現状から、説得や対外交渉を続けてまで常任理事国を目指す必要があるのだろうか。 最近の中国や韓国の反日デモや、近隣諸国の反発に対して、3割近い人々が「小泉首相の靖国神社への参拝をやめるべき」と答え、次いで「戦後、平和憲法のもとで核兵器を持たず国際貢献している事実を伝える」、「教科書検定を含め、歴史認識を改める」などの意見が多数を占めている。 また、日本の常任理事国入りに反発する中国や韓国の反日デモをどう思うかとの質問に、まったく理解できないと答えた人は34パーセントにとどまり、58パーセントの人が心情を理解できると答え、8パーセントの人が当然だと答えている。 まさに国民の方が日本と近隣諸国の関係を冷静に分析し、改善策まで的を得た指摘をしており、小泉首相や閣僚は国民の声に素直に耳を傾ける必要を感じるものである。 賛否はさておき、経済大国とか援助大国については、最近の厳しい財政状況によって、国内の各地各所に予想もしない倒産や、国民生活に直接影響する巨大な債務を抱えており、海外よりも国内に待ったが許されない諸問題が山積しているのである。 突然に浮上した国連の常任理事国問題であるが、近隣諸国からも支持されない状況を改善する事がもっとも重要であり、アメリカに追随する現状から脱皮した独自外交によって、経済力だけに頼らない国際的信用を得る事が先決である。 平成17年5月8日 |
昨年は自然災害が多発し、本年に入っても凶悪事件が日常化する殺伐とした世情の中で、107人の人命を一瞬にして奪った兵庫県の列車脱線事故が発生しました。この天聖人誤も振り返って読み直すと、世情と同じように暗く淋しい内容が多い為、今週は、京都・鞍馬山本殿金堂で手にした『光に向って』を紹介する事にします。 光に向かって 天を覆う雲は厚くとも、太陽は常に大空に在(あ)る。 風が来て雲を払えば、黄金の光が燦然(さんぜん)と輝く。 人の心に吹きすさぶ八風を、苦悩の雲を吹き払う風として、 真実を観(み)る智慧の光を迎えよう。 智慧の光が輝くとき、宇宙生命《尊天・そんてん》に生かされている万象を観る。 あなたも私も、花も鳥も、 みな共に生かされているこの世界。 万象が織りなすいのちの相(すがた)、 宇宙に懸(かか)る金色(こんじき)のいのちの羅網(らもう)、 遠い昔から受け継いで来たいのちの絆(きずな)、私もその中の一つのいのち、 たがいに手をつなぎ響き合ういのち、 あなたも私も、樹(き)も水も、みな共に厳然と生かされている。 慈愛の温(ぬく)もりに抱かれ、智慧の光に照らされ、豊かな活力に満たされて、 今ここに生かされていることの嬉しさと有難さ、 この歓びと感謝の輪を拡げよう。 あなたも私も、あの人もこの人も、たがいに光り合い照らし合う、 明るい未来を信じ希(ねが)いながら、一日々々を宝石のように大切に生きよう。 すべては尊天にてまします 私に雑念が多く、パソコンが雑言ばかり印字する現実の中で、謹んで読み返し、列車事故で尊い命を亡くされた方々のご冥福を祈りたいと思います。 平成17年5月1日 |
インドネシアを訪問中の小泉首相が、23日夜に中国の胡錦涛国家主席と会談した。中国各地で相次ぐ『反日デモ』をめぐっては、中国当局も容認の体制から、厳しい取り締まりと、無許可デモの禁止を呼びかけているが、日本国内でも中国関係機関に銃弾が送られるなど、両国関係は冷え切っており、アジアの安定のためにも一刻も早い関係改善が求められている。 しかし、領土問題を巡る資源開発は勿論だが、韓国も含めて日本の過去の歴史認識は修正しようがなく、小泉首相の靖国神社参拝や教科書問題を棚上げにしたままでは、根本的な解決が図られる可能性は低い。 小泉首相が誕生した当初においては、隣の韓国や中国との関係は決して悪い状態ではなく、むしろ友好的な関係が続いてきた。最近では歴史上においても例がないほど、隣の韓国との交流と友好関係が進み、日本国内でも韓国ドラマが連日放映され、『韓流ブーム』にまで発展していた。 これが一瞬にして反日デモと抗議の嵐になった理由を、我々は何処に見いだせばよいのだろうか。 尖閣諸島や竹島問題については、相手国の実力行使に問題ありと思われるが、日本においても首脳発言やその対応のまずさは否定できないものがあり、ここまで関係が悪化するまでに何故に素早い対応を取らなかったのか疑問が残る。 小泉首相に至っては、日本国民の中にも異論が残る『靖国参拝』に何故固執するのか解からないが、毎年同じ反発を招いている事からも再考と、相手国だけでなく日本国民も納得する道筋を考えるべきと主張したい。 反日デモの大きな理由に挙げられる『教科書問題』は、本来は変わらない事実関係が優先する歴史観が、年々変化していく事に問題が無い筈がない。過去の事実を相手国と一緒に検証した歴史教科書があっても不思議ではない。又、表現の自由から多種多様な歴史観があっても良いとは思うが、複数の隣国からの非難に対して、『内政干渉』と言うならば、堂々と時間をかけた説明をすべきでもある。 反日デモでは、日本の大使館や日系企業が破壊され、日本の国旗が堂々と燃やされる事に対する中国側の謝罪はなく、小泉首相が『過去の植民地支配に対する反省と謝罪』をしてまで、日中関係を改善しようとしている同時刻に、国内の大臣をはじめ国会議員の多くが靖国神社を堂々と参拝している現実を見るとき、今回の日中首脳会談がまったく本質の改善になっておらず、早急な抜本解決を目指す交渉が急務でもある。 平成17年4月24日 |
介護保険制度が導入され、行政によって多少のサービスの違いはあっても、十分に制度が定着してきたと思っていたが、町村の農村部にはどれだけ周知徹底されているのか疑問を感じている。 介護保険の申請は、申請書に名前と住所、生年月日を記入して、現在かかっている病院や医師があれば書き込むだけで、難しい事は何もない。 しかし、農村部では『生活保護』のような印象を拭いされぬ人も多く、病人でないとサービスが受けられないとの間違った認識を持つ人や、医師の診断書が必要と思っていたり、肝心のサービスを受けられる人々が『対象者』としての認識もなく、「病気になって動けなくなったら頼んでみる」などと、介護保険と医療保険を混同した無知な高齢者が多い。多いと言うより、ほとんどなのかその実態が気になるところでもある。 都市部の市民や住宅団地などでは多くの人々に制度の認識がされていると思われるが、農村部の高齢者達にとっては、土地が広く住居も大きい事による錯覚で、介護保険のサービスを受けられるべき人々が見過ごされている。 子供が親元を離れて生活し、高齢者だけになった家は、分譲住宅だけの問題ではなく、農村部もまったく同じで、我が町内では5軒に1軒の割合で高齢者夫婦や独り暮らしの独居老人の家となっている。 しかも、最近では『若い民生委員』も増加して、対象者の身近な存在になりつつある中で、依然として農村部では『名誉職』としての民生委員も多く、都市部のような機能的な活動を期待する事は難しい現状でもある。 また、民生委員は町内会や地方自治体の任命ではなく、引退後の後任探しは前任者に委ねられており、名誉職では役に立たず、判らなければ相談にも行けないのである。 ましてや、公共交通機関のまったく無い農村部の高齢者は、行政の相談窓口に行く事も難しい現実を考える時、介護保険や福祉サービスの十分な説明と同時に、対象者の家庭に出向く行政サービスの徹底と、行動的な民生委員などの選出は急務でもある。 平成17年4月17日 |
中国や韓国で日本に対する強硬な『反日運動』が起こっている。韓国とは芸術文化の自由交流によって、韓国映画による『韓流ブーム』が起こり、韓国俳優の訪日が相次ぎ、その都度多くの日本人ファンが空港に殺到しているが、島根県議会の竹島決議案によって韓国国内の状況は一変し、各地で反日デモが起こされ日本の国旗や小泉首相の人形が燃やされるなど、日本の『平和ボケ』のご婦人たちとは対照的な情勢となっている。 一方の中国では、国連のアナン事務総長の『日本を常任理事国入り』発言以来、各地で反日デモが繰り返され、その規模の拡大に中国当局の統制もきかない状況になっており、混乱を収める立場の中国公安当局も、混乱の拡大を防ぐためにデモ隊の破壊行為を容認せざるをえない状況になっているとの報である。 韓国の場合は竹島との領有問題だけであるが、中国は尖閣諸島の領有問題と、東シナ海の資源開発問題も絡んでおり、最近の日本の歴史教科書問題に対する反発と、今後に予想される小泉首相の靖国神社参拝も考えると、さらに激しい反日デモの拡大と反日運動に発展する可能性が危惧されるものである。 報道されている記事だけで判断はできないものの、日本の平和的なデモ行進とは違い、両国ともに投石や破壊行為に至っており、日本の国旗が燃やされる事も日本人は第三者的に思っているが、立場が逆になった場合の反応は日本人の常識を超えたものがある。 日本よりも国家の統制が強いと思われる中国であるが、所詮は多くの人数に勝るものではなく、『多勢に無勢』のことわざのように自然の理を覆す事は難しい現実を見せつけられた。 しかし、日本も反省すべき事は、島根県議会の動向などは明らかに韓国政府をさげすんだと思われても当然の対応である。同じく『日本固有の領土』と返還運動まで展開している北方領土問題において、今回のような事態が想定されるものではなく、ロシアと韓国に対する日本の対応には一貫性がなく、『多勢に無勢』で泣き寝入りを繰り返している。 拡大する反日デモを我々日本国民も他人事とせず、場当たり的な外交でなく、一貫した平和主義を押し通し、アジアのリーダーシップを発揮するためにも、民族の誇りは参考にしたいものである。 平成17年4月10日 |
東京都の石原都知事が、ディーゼル車の排ガス規制によって都内で使用できなくなった都営バス239台を、地方に売却する予定だった交通局の計画にストップをかけた。 石原都知事は、今までにも大手運送会社が東京都や8都府県で使用できなくなったディーゼル車を地方で使っていると再三批判してきた。 今回の問題は、都営バスを地方に売却する事が今までの『石原発言』と矛盾するとの新聞記事から始まった対応であるが、環境問題や交通問題に詳しい専門家からは、地方のバス経営の厳しさから地方への払い下げは、東京都の中古バスでも地方のバス車輌の改善と環境面でも向上が図れると反論している。 「東京のおさがりを地方に押し付けるのは失礼であり、それは東京都の公害の地方移転である」との石原都知事の発言は、もっともな言葉として受け取れるが、地方のバスは東京都で破棄されるバスより古くて有害ガスの排出も多いのが現状でもある。 つまり、東京都のバスを予算を投じてスクラップとして破棄するよりは、地方で有効利用した方が地方のバス会社のバス車輌も新しくなり、地方で排出される有害ガスも削減され、東京都にも売却益が入ってくるのである。 新聞記事によって石原都知事の持論とメンツが一人歩きをしているが、まだ十分に使える車を廃車している8都府県の車輌所有者の事情と、地方の公共交通の事情など幅広い議論が必要と思われてならない。 津島市も所有するマイクロバスやトラックを次々と廃車してきた。3月に廃車されたバスは新しいため300万円ほどかかるが粒子状物質除去装置(DPF)を付けて再利用される予定である。 しかし、廃車された車輌は他県においては使用が可能であり、県内でも隣接する愛西市の立田や八開ではそのままでの使用が可能なため、事務所や支店を置いて使い続けている事業者も存在する。 今回の石原発言を、東京都のレベルから地方にも広げた議論とともに、マスコミにも高齢社会の中で移動手段を持たない交通困難地区の公共交通体制などの問題提起として議論を深めてもらいたい。 平成17年4月3日 |
「こんな筈じゃー無かった」とは、本日の津島市民病院竣工式に来賓で出席された、ある町長さんの一言である。 隣接する市と4月に合併が決まっているが、当初は『対等合併』として和やかに進んだ話し合いが、一旦合併が決まったとたんに手の平を返したような横暴な態度に豹変し、吸収合併と化してしまったようである。 「今からでも止めたい」とまで言われたが、職員の処遇も軒並み格下げとなる人事異動が発表されている。 それでもその隣で隣接する町は合併を巡って反対運動があったり、町の独自制度の維持を主張したりしたため『報復人事』で職員がもっとひどい待遇となっているようでもある。 国の財政破綻のツケで、市町村合併が進められているとしたら、『痒いところまで手が届くべき』地方行政のサービス低下により、国民に大きな不利益を強いる事にもなってくる。 行政の本当の姿が住民に伝わっておらず、議員も日頃の活動がなされずに選挙の時だけ住民に接するために、自分の本音も隠して、住民受けする『合併推進』を旗印とした結果、住民にも合併する事が自然の流れと勘違いさせてしまったのではないだろうか。 地方自治は財政の効率だけではなく、住民が安心して生活できる事が重要でもある。誰もが東京や名古屋市のような生活に便利な都会に住んでいる訳ではなく、日頃の交通手段となるバスや電車の無い地域では、高齢者は病院に通院するのも一苦労となるばかりか、合併によって今まで確保されていた住民の足が廃止されるとなれば泣くに泣けない事態でもある。 人口の多い市町と言えども、財政状況が豊かで税収が余って困っている自治体であれば合併のために吸収されても住民サービスの向上も見込めるが、現実にはほとんど大部分の合併が苦しい財政状況を共有する合併ばかりで、今後の超高齢社会を控えて、地域内格差がより一段と表面化する心配も現実となりつつある。 肝心な経費節減も、合併によって市役所の改築や新築が計画されたり、議員定数の削減も市民の強力な反対が起きない限り特例として全員が任期を継続する例が多く、合併によって自治体の経費や借金を増大させる可能性が極めて高い。 一方で合併しない(できない)自治体には、国からの地方交付税(補助金)の削減により、益々苦しい財政運営が求められており、行政の自立と住民サービスを天秤にかけたギリギリの死闘が続けられていくのである。 平成17年3月27日 |
アメリカから来日中のライス国務長官が、BSE問題で輸入を停止している牛肉の輸入再開を強く迫り、早期再開が実現されなければ「日米関係に悪影響を及ぼす」と強硬な発言を繰り返している。 小泉首相とブッシュ大統領の信頼関係から、政府は国民に十分な説明と議論もなく、法律をねじ曲げ、戦争放棄を謳った平和憲法を無視してまで、自衛隊を戦闘地『イラク』に派遣してしまった。 しかし、アメリカ産牛肉の輸入再開については、日本人の『食の安全』にかかわる全国民の問題だけに、単に自衛隊員の派遣となったイラク問題とは違い、アメリカの圧力に屈せず信念を持った対応を望みたい。 今回の牛肉問題については、輸入する日本側の求める安全対策を実施すれば、簡単に済む問題でもあるが、かたくなに日本側の要求を認めず、自国の主張を繰り返した挙句に『圧力』をちらつかせるアメリカの身勝手な素顔を見せつつある。 小泉首相も期日を示した早期再開には応じていないものの、「日米関係を壊さないようにしたい」と答えており、消費者無視の批判から設立された『食品安全委員会』の見解に関係なく、政治的判断で安全が確認できないままの輸入再開にならぬ事を祈りたい。 肝心なアメリカにおいては、BSE発生国から牛肉の輸入を禁止しており、日本産の牛肉も輸入が禁止されたままになっている。あまりにも身勝手な要求を強硬に繰り返すライス国務長官が女性だけに信じられない思いだが、日本の政治家が『あいまいな』発言を繰り返して、はっきりと『NO』と言わない事も大きな原因である。 小泉首相が対等なパートナーと発言しても、アメリカのブッシュ大統領に追随しているだけで、イラク問題で自国の信念を貫いたフランスやドイツの指導者のような国際的存在感が感じられてこない。 食の安全は国民の生命に関わる問題だけに、国民も『牛丼』の販売や安い牛肉に惑わされず、国の対応を厳しく監視していくとともに、無責任な政治家の発言を注視していかなければならない。 平成17年3月20日 |
病院の評価や選択の基準となる各種の本が出版され、多くの人々に読まれている。朝日新聞社でも専門書の出版だけではなく、週刊朝日の臨時増刊によって90年から毎年『漢方』を発行し、10年程前から『先進医療』が加わり、数年前からは『いい病院・全国ランキング』が毎年発行されている。 漢方と先進医療の本を読み、それぞれの病気に対する優秀な病院を選択すれば最善と思われる。実際に先進医療の本によって新しい治療を受け、元気に社会復帰した人があり、知識として読む事は有効でもありそれらの熟読をお勧めしたい。 しかし、最善の治療法や優秀な病院が判っても、誰もが治療を受けられる訳ではない。新しい治療には保険が適用されず莫大な治療費がかかったり、遠距離で通院が不可能だったり、優秀であればあるほど患者が集中することで患者の苦痛が増し、入院したくともあての無い順番待ちになる例が多い。 又、最近の事例では優秀な病院で手術を受けた人々の中から、患者だけでなく家族からも悲鳴が聞こえてくる。いくら優秀な病院でも治療には限界がある事と、病気の発見が遅い末期症状では手の打ちようもない。 脳血管障害や心臓疾患の場合には、今までは死亡していた患者が医療技術の発達から命を救われるものの、身体に重症の後遺症が残り、障がい者として生活していくための援助が伴わない。 絶望の淵から生存したものの、医療施設でしか命を維持できない人の入れる施設や居場所がなく、行き場を巡って必死に奔走する姿を度々見掛けるようになった。 地元の開業医を『ヤブ医者』とバカにして、市民病院を『死人病院』と敬遠し、遠くの大学病院や総合病院を選択したものの、治療結果が伴わなかったり、自立できない状態で退院しても地元には帰ってくる居場所もない。 病院にはそれぞれの役割があり、風邪や下痢程度の症状は信頼できる『開業医』に行き、それ以上の治療を市民病院などの第2次病院へ紹介してもらい、ガンや心臓、脳血管障害はより優れた高度な第3次病院に委ねるのである。 誰でも一番高度な病院にかかりたいが、その前に身近な存在として信頼できる『かかりつけ医』を見つけ、主治医としての認識を持ってもらう事も超高齢社会の中では重要である。 平成17年3月13日 |
西武鉄道の株式を巡って、名義の偽装やインサイダー取引によってコクド前会長の堤義明氏が逮捕された。 ニッポン放送株に続く株式を巡る事件が世間を騒がす事となった。株の偽装や事情説明もなく株を大量売却し、多くの企業や一般投資家に多大の損害を与えた責任は大きく、既に退陣しているものの企業家として信頼を取り戻し立ち直る事は難しい。 しかし、マスコミは事件に関係ない堤家のプライバシーに至るまで、全てを悪者としてさらけ出そうとしている。堤義明は悪者と決め付け、スポーツや財界での過去の活躍や栄光を全て消し去ろうとしているが、本当にそれで良いのだろうか。 今回の事件についても、堤家の莫大な資産があった事が原因でもある。一般家庭でも親の残した遺産の相続税対策は借りられる全ての知恵を結集し、少しでも支払いをへらす節税対策は当り前の事である。 事件が発覚し、全役職を退き、逮捕されるにつれて、マスコミだけでなく企業内からも批判の声が上がりだしたが、元々コクドも西武鉄道も堤家の財産と思えば見方も変わってくる。逮捕された堤義明氏は、引き継いだ遺産を守ろうとしていただけで、政治力や経済力を利用して世間から搾取しようとしていた訳ではない。 堤氏が退陣後の経営改革委員会は、グループから堤氏の影響力を排除するとともに、堤氏の資産であるはずの株を名前を借りた名義人のものとして、企業の再建には「みずほ銀行」から派遣した代表を当てようとしている。まさに火事場泥棒である。 あまりにも巨額の遺産ゆえに現代の法律に適応が遅れた結果でもあった。何事にも批判的な私が何故に堤義明氏を擁護するのか。ダイエーの中内功氏の時も同じだが、個人商店から大企業に成長させた功績は無視され、経営不振から全資産を銀行に身ぐるみ奪い取られていったのである。 西武の経営不振の原因に、地方に点在するスキー場やゴルフ場などのリゾート施設があげられ、経営再建によって切り捨てられる心配がされているが、堤氏は地方の関係者に配慮して切り捨てはしなかった。経営者としては失格かもしれないが、人の力をあてにせず巨大な人脈を利用もしていない。 一つの事件で、退くにはあまりにも惜しい人材であるとともに、企業の不祥事に乗じて日本中に侵食していく銀行のやり口を許したくはない。 平成17年3月6日 |
ニッポン放送株を巡って対立していたライブドアとフジテレビの問題は、株の争奪戦から連日のワイドショーやマスコミでの舌戦から裁判闘争に発展し、司法の判断を仰ぐ長期戦に突入した。 ニッポン放送の株を買占め、ニッポン放送の筆頭株主として、フジテレビや産経新聞などへの影響力を発揮しようとしたライブドア社に対して、フジテレビと連携するニッポン放送は自社株の増資(3千280万株から8千万株へ)を発表し、増資分の新株をフジテレビに割り当てる事を発表した。 連日マスコミを騒がせていたニッポン放送株の争奪戦も、こんな奇策を用いられては市場にある株をいくら買い集めても及ばない。ライブドアの株保有比率は41%から17%に低下するとともに、買い集めた株券の価格の低下から、800億円という買収資金の返済まで考えるとライブドアの損失は会社の存続に関わるものになってくる。 これはライブドアだけの問題ではなく、ニッポン放送の株を保有する一般株主にも関わるだけでなく、「資本と経営の分離」である株式会社全般の問題にもなり、資本主義経済の原則を揺るがす事件でもある。 こんな奇策が許されるならば、株式の筆頭株主や大口保有者の影響力は全く気にする事もなく、注目される株主総会も形式上のセレモニーと化し、株主はまったくないがしろにされてしまうのである。 ライブドアの買収方法も問題である。法には触れないとは言うが、証券取引所の時間外取引によって公共放送のニッポン放送株を大量に買い付けたやり口は、「フジ・産経グループと連携したい」と言うライブドア堀江社長の言葉とは裏腹に全くの企業買収でしかない。 昨年のプロ野球の新規参入発言から、「楽天」と新球団を争奪したライブドア堀江社長は、テレビやマスコミでは時の人気者になったが、完全に経済界のアウトローとして時流に乗れず、唯我独尊の経営者が定着しそうである。 専門家の意見も二分するこの問題は、司法判断に委ねられているが、両社から完全に無視された形の一般株主の意見に注目してもらいたい。公正な公共放送を旗印にするのであれば、ニッポン放送だけでなく、フジ・産経グループは一般株主の意見を聞くとともに、一般株主に与える損害は回避させるべきである。 NHKには受信料不払いという手法も通用する。民間放送の不祥事にはテレビやラジオを聞かない事も考えられるが、まったく現実的では無く、肝心の株主さえ無視される現状においては、我々は野次馬としてテレビのワイドショーの行方を見守るしかないのである。 平成17年2月27日 |
西武鉄道の小柳皓正全社長(64才)が19日に寝室で首をつって死亡した。小柳前社長は93年旧運輸省から請われて西武鉄道に入り、4年4月から総会屋への利益供与事件の責任を取って辞任した戸田元社長の後任として社長に就いていた。 小柳前社長は、東京地検特捜部から参考人として「大株主保有比率の虚偽記載問題」について事情聴取を受けていた。 西武鉄道株については、昨年8月に堤義明前会長(70才)がコクドや関連企業幹部らに、具体的目標をあげて4千万株の売却を指示していた事が関係者の話から確認されており、堤前会長との関係が薄い小柳前社長の自殺は関係者にも意外な展開ではなかったか。 西武鉄道グループは責任を取って全ての要職を辞任した堤義明前会長に権限が集中していた経営体制を刷新する方向で「経営改革委員会」(委員長・諸井太平洋セメント相談役)を設立している。 同委員会では、コクドを通じた堤氏による個人商店的な経営が不祥事につながったとみて、堤氏の影響力を弱め、新しい持ち株会社の設立や西武鉄道とコクドの合併など新しいグループ運営案を検討してきた。 又、堤氏の所有するコクド株式の保有率を下げ、創業家堤義明氏との完全離別の方向性も示している。 しかし、経営改革委員会による西武鉄道の再建策は全く無責任なもので、西武鉄道の歴史や堤家の親子二代によって築かれてきた西武グループの体質を理解せず、堤一族の権限を剥奪するばかりか、結局はみずほコーポレート銀行の副頭取を最高経営責任者に起用する方向で進められている。 現在の西武グループは堤家のリーダーシップによって築かれた企業である。個人商店的であっても創業家の個人資産を放出する必要はなく、経営体質の改善だけで良いはずである。今回の一連の不祥事も、堤前会長に全ての権限が集中する経営体質が問題であっても、問題だから堤義明氏が辞任する必要もなく、堂々と真実を話して、自ら陣頭指揮で再建を図るべきだったと思う。 企業には創業の理念と創業者の愛社精神が源になっている。あまりにも巨額の資産を所有する個人商店がそのまま日本有数の大企業になり、条件整備が伴わないまま、後追いの結果が今回の不祥事につながったとの見方ができる。 今一度、創業家堤一族の再起を願うものである。人の金で繁栄する銀行は、赤字の補てんにも国の税金を我が物顔で使い、企業の経営にも口を出し利益を持っていく「ハイエナ」のような存在である。『ライオン』をシンボルにする西武鉄道の再建に「ハイエナ」は不要である。 平成17年2月20日 |
家の前にバス停がありながら、バスを利用する事がほとんど無く、久しぶりにバスに乗って名古屋栄まで出掛けてきた。 しかし、最近の若者のマナーの悪さと言うのか、他の客や人々への迷惑は何も感じない行動を見せつけられ、改めて礼儀作法の不足を痛感する乗車となった。 「細かいお金を持たずに乗ってしまったから」と、一万円札の両替を申し出た高齢のお爺さんがあった。持ち合わせの無かった運転手から「お客さんで一万円を両替できる方がありましたら」とマイクで協力を呼びかけ、持ち合わせた女性が名乗りをあげ、「有難うございました」と無事解決してお爺さんは安心して座り直した。 ところが、その後にバスが止まってから降りる若者が、運転手に料金を聞いてから千円札を取り出し、両替機で両替してから料金を出している姿をイライラして見ていると、後続の若者も両替機に千円札を入れたのである。しかも、その若者はカードを出して両替した硬貨は使わないまま降りていったのである。 観察していると、どうも高齢者は降りる前から料金を用意する人が多く、若者は前記の如くが多いように見受けられた。 極めつけは、その後のバス停で降りる若者がバスが止まってから運転手に一万円札を出したのであった。両替ができず両替を乗客に依頼する運転手の声を聞いていた筈である。どうして事前に申し出なかったのか。恥ずかしさからの行動かもしれないが、結果的に多くの乗客に多大な迷惑をかける事となったが、何とも感じていないようで不快感を残して降りていった。 さて、目的地の大学公開セミナーの会場でも非常識な行為が多く目についた。ただし、今度は高齢者である。座席の入り口に夫婦で陣取り、隣りの座席には防寒衣とカバンが置いてあり、座れないと思った人は開始直前まで立ち往生(人数把握の企画)である。 又、遅れて入場し「すいません」と座席の面前を通り、「あれは誰だ」と発表者を訪ねる老夫婦。ガサガサした挙句途中で退席していった。ひどいのは、3時間のセミナーの終わる直前に入ってきた高齢者。何のために座ったのか分からない。(人の迷惑を考え入り口で立って聞いていた良識ある人もあった) 最後は携帯電話の着信音。テレビ録画(4月2日放映)のため、主催者から何度も携帯電話の電源を切るように案内が流れていたが、参加者の気が抜けるような音楽の着信音が長々と鳴り響いた。挙句は切った携帯電話に再度同じ着信音が鳴ったのである。 「人の荒さがし」をしていた訳ではないが、故草柳大蔵氏の言う、人を思いやる心とスムーズに生きるための礼節がまったく感じられず、荒んだ現代社会の一面を見せつけられる一日となった。 平成17年2月13日 |
病気の早期発見に力をいれる事で、個人の病気を早期発見するだけでなく、個人の負担する医療費と地方自治体の負担する医療費も削減が可能となる。市町村の各種検診も充実されてきたが、最近では早期発見から「病気の予防」に力点が変わり、病気にならない健康推進に工夫が凝らされつつある。 青少年や若い人々には関心もなく見過ごせる事であるが、中年と言われる年代層にとっては無関心ではいられない問題でもある。ただし、肥満や高血圧などで病院は簡単に受診するものの、糖尿病や高脂血症、肝臓病などの生活習慣病の予備軍を自覚しても、食生活や生活習慣の改善は難しく厳しい道程となる。 国や教育機関が、学校教育の中で児童生徒のビタミン不足を発信するのを大げさに思った人も多いのではないだろうか。戦後の貧弱な食生活を考えれば、現代社会におけるビタミン不足は説得力が無いように思っていた。小泉首相が「サプリメント」の摂取の必要性やビタミンの不足を国会答弁の中で語った事にも意外性を感じていた。むしろ、過食の時代にあって食事の減らし方を考えるべきかと思っていた。 この疑問に貴重な資料を閲覧できる機会を得て、今までの認識不足と今後の(個人的な政治活動も含み)生活の見直しも考えさせられた。 現代人の食生活について野菜不足がたびたび指摘され、最近では野菜不足を補う飲料水やサプリメントがテレビや新聞広告などでも宣伝されてくる。商魂たくましい宣伝程度にしか考えてこなかったが、最近の農産物の内容について多くの人々は認識不足ではないだろうか。 最近の農産物は外国からの輸入に頼る部分も多いが、国内でも水耕栽培や工場内で野菜を生産する先進的農業が確立されつつある。 しかし、輸入野菜に使われる農薬はもちろんの事であるが、国内の水耕栽培や太陽光に当たらない工場内で生産された野菜は、姿形は同じ野菜であるが、野菜の成分は野菜本来の成分内容を満たしておらず、50年前の野菜と比較すると3倍の野菜を食しても、当時の野菜のビタミンや栄養を摂取する事が不可能なのである。 自然の畑の土に根をはり、太陽光と有機肥料による有機野菜や無添加食品が高価でも求められる理由がここにある。現実問題として、流通する野菜に不足する栄養やビタミンは「サプリメント」やビタミン剤に頼らざるを得ない現代社会の現実は悲しいものの、新たな認識を持たざるを得ないのが現実でもある。 平成17年2月6日 |
エスカレーターのマナーが社会問題になっている。戦後から高度成長期にかけてのエスカレーターは足が挟まれると危険とあって、注意するだけでなく設置者も危険防止のために専門の案内係を配置したり、ベルトにつかまって乗るように館内放送まで流していた。 最近では片側を空けて、空いた方を急ぐ人が追い越していくのがルールとして定着し、右か左かどちら側を空けるかを議論されてきたが、名古屋市の地下鉄などがエスカレーターの追い越しを禁止する看板を設置した事から、利用者からの苦情だけでなく、利用者間のトラブルも発生する問題にも発展している。 メーカーの担当者も、歩いて追い越す事を想定してエスカレーターが作られていないと話すが、東京では駅の平面床を進むエスカレーターもあり、利用者には歩いても大丈夫と自然に定着してきたものと考えられる。勝手なマナーであっても、東京だけでなく全国に普及したマナーだけに、当面は論議を呼ぶ問題でもある。 さて、エレベーターの耐久力や性能ばかりに目がいってしまうが、バリアフリーが法的に義務付けされた現代社会にあって、障害を負った人や高齢者の側にたったエスカレーターの利用マナーが問題にされなかった事が残念であり、問題意識すら無かった事に自責の念がつのる。 追い越す人の通路を右にすれば、左半身に障害を持つ人々はエスカレーター右のベルトを手にする事が不可能となる。左にしてもその逆となり、追い越す事を当り前とする人々の邪魔者扱いを受ける事になってしまうのである。 様々な人が利用する都市部のエスカレーターであるが、利用する人々にも色々な事情がある事を考えると、自分だけ良ければ他人の事はお構いなしの現代社会の問題まで掘り下げた議論も必要になってくる。 数年前であるが、草柳大蔵氏の記した「礼儀覚え書」なる著書を購入した。以来、事務所の机か手に届く場所に置かれているが、日本には古来から利に適った礼儀作法や、人が守るべき道があった。 堅苦しく考えるのではなく、相手を思いやる心で自分をみがき、美しく食べてスマートに生きるための「礼節」として、再度読み直す心境になった。 平成17年1月30日 |
NHKの旧日本軍慰安婦に関する特別番組で、番組の担当デスクが「政治介入を許した」と内部告発した事から、報道した朝日新聞社とNHKが対立した報道を繰り返している。 真意は定かではないが、現実に中川昭一経済産業相と安部晋三幹事長代理に対して、NHK幹部が番組放送前に内容の説明に行った結果、当初放送予定の番組の内容を変えて放送した事は事実であり、「圧力を感じなかった」との発言や、政治介入がなかったとの報告を信じる事はできない。 この問題では、19日の記者会見でNHK幹部から注目すべき発言があった。NHKの宮下理事は、番組放送前に内容を説明した理由を問われ、「両氏がこの番組について議論がある事を知っていたため」と話している。 又、関根放送総局長は、番組内容を政治家に事前説明をすることについて、「放送法上、NHK予算は国会の承認を得なくてはならず、議員に事業計画や個別の番組について正確に理解してもらう必要がある」と話し、番組内容を議員に事前説明する事を「当然」の事として説明している。 この事をニュースの受け手としての我々はどのように解釈すれば良いのか。つまり、NHKのニュースや番組は国会議員によって事前に異議が出された場合には変更されている可能性もあると思って見る必要があると言う事なのか。 予算を認めてもらうため、議員に放送内容を事前説明するという事は、民放に置き換えれば、番組のスポンサーである企業に事前に番組内容の説明と確認をするようなものである。民放がスポンサー企業の影響で番組内容を変えたとしたら大問題となる。 又、議員への事前説明も自民党の特定議員に限られており、野党である民主党や社民党、共産党には説明もなく、公明党にもしていない事から、NHKと自民党の癒着も考えられ、報道や放送する立場としては強い疑問を感じさせられる。仮に民主党が政権を獲った場合には民主党の幹部に事前に説明し、自民党には説明しないのか気になるところでもある。 報道やテレビ番組に議員が介入したとしたら、すべての情報が影響されていると偏見を持って視聴しなければならない。自民党有力者だけに事前説明しているNHKには反省と同時に、政治家への事前説明の撤回を求めたい。 改善がなければ「NHK受信料」の未払いを宣言したい。受信料の未払いは法律違反との声もあるが、NHKでも衛生放送については受信料の未払い者には電波を止めている。NHKが未払い者への電波を止めれば済む問題であり、議員の圧力で偏向した番組を一方的に流される国民はもっと迷惑である。 平成17年1月23日 |
阪神淡路大震災から10年の歳月が経過した。昨年の新潟中越地震からスマトラ沖地震で甚大な被害が報告される中、明日の17日で10年目を迎える。 阪神大震災によって災害に対する対策が整備され、被災地に全国からボランティアが駆けつける体制が確立されてきた。昨年全国各地を襲った台風や新潟中越地震によって、ボランティアの質の向上や有効活用にも議論が進められてきた。 10年前の映像と現在の神戸の姿を比較すると、完全に復興したように見えるが、被災した人々については詳しい状況が伝わってこない。被災地には16兆円を超える財源が投じられ、道路や鉄道などは迅速に復旧した。被災者についてはとりあえずは仮設住宅が用意されるものの、倒壊した自宅を再建する事には何の保障もない。 本日の朝日新聞によれば、復興に地域格差があると報じられている。全体では回復した神戸市の人口も、大規模な火災に見舞われた長田区では2割減っており、被災率が9割を超えた御菅東地区では被災前の4割の人口にとどまっているという。 個人差はあるが、新築したばかりの家が隣りからの類焼によって全焼した人もある。家の再建には燃えた家の住宅ローンの返済をしながら新たな借金が必要になる。定年退職の退職金を元手に家を新築直後に被災した人もある。高齢者には再建意欲も湧かず、銀行から借金する事もままならず、住み慣れた土地を離れた人々も多く存在している。 被災者生活再建支援法が制定され、多くの募金や税金は投入されるようになったが、個人の財産である住宅の建て直しには使う事ができないため、自宅の建て直しには被災者個人の力に委ねられている。 昨年相次いだ豪雨や台風によって、被災した住宅の再建に公費を使う制度が13都府県に広がった。被災した住民が住み慣れた土地や地域に住み続けられるような助成制度を確立し、被災者の孤独死や自殺だけは絶対に防止していかなければならない。 平成17年1月16日 |
昨年は10個もの台風が日本に上陸し、全国各地に大きな被害をもたらした。又、浅間山の噴火や新潟中越地震でも甚大な被害となった。 地震と風水害とを比較すると、明らかに風水害の方が被災する可能性が高く、被害の累計からはも風水害の方が対象となる人的被害も住家被害も圧倒的に大きい。 特に我々の住む地域は海抜も低いために、台風でなくとも水に浸かる危険性が高く、毎年のように床下浸水の被害が報告され、風水害に対する対策は欠くことのできない問題でもある。 しかし、台風や風水害については、気象の観測態勢の整備と、予報技術の進歩によって、ほぼ確実に進路や数日先までの天候が予測できるようになり、あらかじめ避難や対策が可能になってきた。又、風水害については、損害保険などによる保障制度も充実し、被災しても回復も比較的楽になってきた。 一方で、国が東海地震については8都県229市町村を強化地域に指定して、地震に対する防災対策と住民の防災意識を高め、自主防災組織の確立から地域ぐるみで災害に強い街づくりを目指しているが、現実には予知技術は上がってはいるものの、まったく起きるまで判らないのが実情で、我が身と思った真剣な取り組みに乏しく、行政の対応も義務的対応や形式的対策しかなされていない。 年末のインドネシア・スマトラ沖地震では、死者行方不明者が15万人以上と報告され、負傷した人50万人、家を失った人100万人、子供の被災者150万人、支援を必要とする人は500万人と言われている。 地震や津波に対する観測条件等を考えると、単純に日本と比較はできないが、東海地震と東南海地震が同時に起こると阪神淡路大震災が128個分のエネルギーと言われ、今回の地震と同規模の地震が近い将来発生すると予測されている。 京都大学教授で京都大学防災研究所の林春男先生は、2035年の前後10年までには確実に大地震が発生すると発表されている。これも過去のデーターからの確立であり、何時起こるか判らない危険な状況にある事は把握しておきたい。 ちなみに阪神淡路大震災では6千436名の死者がでているが、そのエネルギーの128個分の地震が発生するとの予測を我々はどのように受け止めれば良いのか。せめて、自分が寝ている部屋だけでもタンスなどの下敷きになって圧死しないだけの準備は心掛けたいものである。 平成17年1月10日 |
本日の新聞に、正月三が日の初詣について、尾張、知多地方の神社仏閣について掲載されていた。津島神社については、次のように報じられている。 津島市の津島神社には昨年より5千人多い約23万5千人(社務所調べ)が参拝した。元日の午前11時―午後4時が人出のピークで、駐車場も満車状態になったという。(中日新聞4日付朝刊) この記事に公表されている参拝客は、津島神社の社務所の調べとあるが、本当に23万5千人の参拝客が訪れたと納得できる根拠を示してもらいたい。 私自身は、平成12年以降の年末から年始にかけて京都に出掛けている。しかし、それまでの毎年大晦日と元日には津島神社を参拝してきた。昨年は、京都の帰り道ではあったが、元日の午前4時に津島神社に到着した時には、全ての屋台が店じまいをしており、京都とのあまりにも大きい落差にびっくりした。 本年は、大晦日の荒天から京都行きを断念し、お千代保稲荷に参った後で津島神社に参拝した。ところが、警備にあたる人員は多いものの、参拝客は非常に少なく、元日を示す大太鼓の音が鳴り響いても参拝客が本殿に殺到する事もなくゆっくりと参拝できた。 8人で入った屋台は人も寄り付かず、暫しは貸切状態で、お千代保稲荷との人出の格差にびっくりした初詣となった。 昨日も知人から、津島神社の参拝客の少なさを耳にした。皆が口を揃えて「人出の少なさにびっくりした」と話をするものの、新聞報道は「昨年より5千人多い」となる。勿論、昨年の人出が少ない事は自分も証言できる事実ではあるが。 昨年夏の川祭りでも、21万人の人出があったと報道された。これについても、この欄で疑念を述べたが、津島神社は何が何でも「20ウン万人」と発表したいらしい。しかし、天王通りの商店街の現状は、津島神社にも共通する大問題である。今一度、真剣な議論と対策を講じないと、津島神社だけが「裸の王様」と化す。 初詣の人出については、境内で屋台を開く店主に聞くのが一番正直な答えであろう。一年間の参拝客についても、稲沢市の矢合観音にすら負けていると思われる。こんな低レベルな議論は神様には失礼な話であるが、矢合観音は地元の商店を潤わせている。神社の格式は知らないが、津島神社の門前として栄えてきた町だけに、神社の神主にも地域と一体になった真剣な再興を考える必要を感じるものである。 平成17年1月4日 |
昨年の天聖人誤へ |