方言の味わい
標準語がいいとは限らない。方言にはそれぞれ味があり、なるほどと感心させられるものも少なくない。
おやすみなさい 退社時などのお別れに使われるが、いい言葉である。「さよなら」が二度と会えない冷たい感じがするのに対し、相手を思いやるソフトで温かい響きがある。
いただきました 食後のあいさつとして使われるが、これは「ごちそうさまでした」の方がいい。完了したことを示すより、内容が良かったと言う方が丁寧だと思う。
なから 「半ら」と書くのだろうか、日常よく使われる。「大体」とか「ほぼ」とかいう言葉に相当するが、半分を越えた感じが伝わり、このほうがわかりやすい。ただ、あまり多用すると、いいかげんな仕事になりやすい。
ときに おつまみを注文するとき、「ときに、これだけ」などと言う。「今は」とか「とりあえず」という意味だが重宝な言葉である。もとは「このときには」からだろうか。
とぶ 走るという意味であるが、走るより速そうでいい。
きり 百恵ちゃんが「横須賀スト―リ―」で「これっきり、これっきり……」と歌うほど、そんなに特別な言葉ではないが、多用が気になる。もとは「限り」か「切り」かは知らないが、「……だけ」「……ばかり」という言葉に比べ、私には穴をあけるキリを連想させるのか、きつく感ずる。
雪が舞う 「雪が降ってきた」と言ったら、すぐさま訂正された。「降る」というのは積もるぐらいに降るときだ、という。「降る」と「舞う」の使い分けの見事さに脱帽する。それに「舞う」は美しい。
おな 花といえば桜、お菜といえば誰もが野沢菜とわかる。それほど、昔からみんなの生活に深くかかわっていることがわかる。「お」という一文字に信州の人々の心を感ずる。
行きあう 「6時に行きあう」などと使う。「あう」は、「合う」か「会う」か知らない。「行って会う」というのか「お互いに行く」というのか、語源を知りたいものだ。普通はただ「会う」と言うところだが、この言葉も感情がこもって良い。
やむ 「やんじゃって……」などと使う。語源は「病む」なのだろうが「なやむ」かもしれない。いかにも困り果て、病気になってしまうほど苦にしている感じが良く伝わり、好きな言葉の一つだ。