徒歩通勤の楽しみ
私は赴任以来、原則として毎朝、吉田の寮から会社まで約35分間の道のりを歩いている。夏、汗が出ても、冬、雪が降っても、少々荷物があっても構わないが、雨の日だけはさぼる。ハネが上がってクリ―ニングが大変だからである。安全衛生も担当する労務課長だから歩いているという人もあるが、当たっていない。歩いた日は、朝のラジオ体操のとき骨がポキポキいわないこと、歩けば通勤旅費が浮き飲み代へまわせることなども有力な理由であるが、何よりも、もともと旅好きで、キョロキョロ自然の変化を眺めるのが好きだからである。さいわい歩く道に恵まれ、車の少ない曲りくねった細道が幾本もあり、退屈せずに会社に着いてしまう。いずれの道の脇にも見事な庭木があり、季節の移り変わりを知らせてくれる。電車で行く日でも一駅前の「善光寺下」で降り、昔からの細道を会社まで歩く。
春
4月、枯れ草のなかにフキノトウが小さく黄緑色の顔を出す。柳の枝がボ―と緑っぽく霞む。マンサクのつぼみが黄色くふくらむ。そして、中旬から下旬にかけて、ウメ、アンズ、サクラ、モモ、コブシ、プラム、リンゴなど、赤にピンクに白にと咲き競う。1年でもっとも華やかで美しい季節である。5月になると、草木の新緑が陽に映える。一口に新緑といっても、薄緑、黄緑、青緑、赤みがかった緑とが入り混じり、目を休ませてくれる。紫や白のフジの花も庭先に美しく垂れ下がっている。リンゴも小さな実を付けはじめるが、お尻をまだ上へ突き出している。お尻を天に向けたリンゴを見るのは初めてだ。尻軽と思うと気品に欠けるが、とてもういういしい。カッコウも時どき電柱に止まり、上手に鳴いている。スタイルは、声のイメ―ジよりやや「ぶカッコウ」だ。
6月にはアジサイがしっとりと咲く。なかでもガクアジサイがいい。白っぽいクリの花が、あの特有の香りとともに、あでやかに咲く。青梅もふくらみ、見ただけで思わず唾を飲み込んでしまう。
7月には、ザクロの朱い花が映える。サクランボがほんのり赤らむ。クルミの実もだいぶ大きくなってくる。クルミといえば、あの茶色の硬い実がそのままぶら下がっているものと錯覚していたので、発見が相当に遅れた。クリのイガもでき始め、さながら緑ウニが木に登ったという感じである。真夏はサルスベリ(百日紅) が、名のとおりに息長く咲き続ける。色はピンクより白が涼しくていい。
春から初夏にかけてのすばらしさには及ばないが、秋・冬もそれぞれに風情がある。
9月もなかばを過ぎると、弁天池にマガモやカルガモの第1陣が30羽ほど渡ってくる。ナナカマド、ムラサキシキブなど、赤や紫の木の実がだんだんに色を濃くし、いつしか朽ちていく。ピラカンサの木に名も知らない鳥が群がって朱い実をついばんでいる。やがて、その上に雪がかかり、色あせかかった赤と雪の白とが、過ぎゆく秋と忍びよる冬との微妙な調和を表わしている。そして、勤労感謝の日の頃、吉田の大イチョウの木が突然に降るように金色の葉を落とし、飯綱山など遠くの山々に白く雪がかかると、まもなく長い冬が始まるのである。
雪の日は足元は悪いが、美しく風流である。寒さは―7℃ぐらいになると耳などが痛くなる。弁天池の凍りぐあいが天然の寒暖計であり、全面結氷となると、やはり寒さが厳しい。この頃には、カモは150羽ぐらいになっている。
いずれにしても、同じ風物・草木を季節を変えて眺め続けると、それぞれの生きたライフサイクルを眺めることになり、家族や知人のように身近な愛着を感じるのである。