09: 誰に祝福されなくても
「おいっ、なんか言うことはないのかよっ!」
「なにもないな」
聞かせる気はない。俺はただ一言だけ発すると、互いに塞ぐためにその唇を重ねていた。
いつもどおり駅で拾った彼を助手席に収め、車を走り出させた夕刻。速度を欲して高速をひたすら通ってたどり着いたのは、名前すら知らないようなインターチェンジだった。そこを滑り降りたのは、けばけばしい夜のネオンに誘われたからでしかない。
いったい何が狂ってしまったというのか。理性が灼き切れれば残るのは本能か、それとも感情か。
(どちらにせよ、これが俺の本音か ―― )
ずっと見守りつづけ、ただそれだけであろうと思っていた相手を、いま俺はベッドの上で組み敷いている。意外なほど小綺麗だったモーテルの部屋へ入るやいなや、ベッドへと叩き込んで服を剥ぎ取った。背徳も忌避もない、あるのは弱者を手折る哀惜だけだ。
「八つ当たりかよっ! それとも同情だって?」
突然の行動に抵抗すらできなかった彼は、そう叫ぶのがようやくのことのようだった。的の外れた質問だ。だが一声でれば堰を切ったというのか、急速に身体が拒絶をはじめていく。
「おいっ、なんか言うことはないのかよっ!」
「なにもないな」
バタバタと動く手足は、それでも攻撃を加えようとするものではない。緩やかに押しとどめてその手首にまずはひとつ痕を残した。そのまま肘へとのぼり、二の腕には軽く歯を立てて何度めかの執着を刻みつけた。
唯一愛されたいと願った相手。それが叶えてならない夢であるというなら、せめて同じ強さで憎んでほしい。
誰よりも激しく彼に思われるのならば。
(それでいい ―― )
叫びそうになるこの心と同じくらいに強くののしってくれ。
強まる反発を乗せた体重で押しつぶせば、望みどおり痛々しい声音だけが鼓膜を打つ。ただどうして疑問ばかりを吐きつづけるのか。
「……なにも答える気はないんだ」
裏切りだと思うなら思え。ただ狂ったように抱き寄せるこの腕が、本当の想いを伝えなければいい。同情がいらないのは自分も同じだ。
だからおまえはただ奪われて嘆けばいい。
自分も相手も騙してしまえば誰も気づきはしない、薄笑いの仮面ですべてを覆い尽くしてしまおう。
「せ、んせ……」
「もう何も聞くな」
知ってしまえば受け入れる責任が生じる。拒絶は認めない。ならば聞かせなくても同じことだろう。これ以上の否定はそれ自体が力だ。
(聞かないでくれ……)
全身を使って相手を押さえ込めば片手くらいは自由になる。その手を彼の口元に当て言葉を塞いだ。噛みつくならばそれもいいだろう。痕が残っている間だけはこの瞬間が現実だったと認識できる。
だがそんな暴挙に出られることはなかった。ただ静かに彼は横たわり、愛撫と称されるだろうどんな不気味な仕打ちにも耐えていた。非難の代わりにあがるのは、苦しげな息づかいと時おり漏れる苦悶ばかりだ。
もはや退くことはできない。
強張る身体を知りつつ最後の鉄槌を下した。ほとばしった絶叫。その顔は見ることなどできなかった。ざらつくシーツの安っぽさが空々しい雰囲気を増長する。
絡め合った掌だけが確かなものだった。
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