本能<2> …MONDAY NOON…
月曜午前の講義ほど気怠いものはない。
しかし今時珍しくもバイトを禁止し勉学集中こそ願う両親を持つ自分の午前中の予定は必須以外の講座で埋まっている。
月曜は午後に必須単位の講義が固めてあるため、同じ学科生の姿は疎らだ。
一限が始まりすでにこの時間、学食裏の自販機の前にたむろう学生は希だ。
“ピッ………カタ”
聞き慣れた電子音の後、落下音は期待はずれな程軽い。
小箱を拾い上げるためわずかに身を屈ませれば、夏の日差しが目を灼いた。
手に馴染まない百円ライターで火を灯す仕草は、呼吸をするように自然にその動作をするあの男の模倣だ。
平然を装いつつも一連の仕草をなぞる自分を認識すれば、ちりりと日差しに灼かれた首筋が痛む気がした。
ほんの少しの背徳感が安定剤になることを知らない訳じゃない。
彼の知らない自分を作ることで、少しの安心を得る。(彼はそんなもの知りたいとも思わないだろう)
自分は全て見透かされている気がするから。(ただの被害妄想で、彼にはどうでもよいことだ)
あの灰色に見えた薄紅の視界に 、突然飛び込んできたビビットイエロー。
桜色はそうとわからぬままモノクロのあの世界に存在していたが、鮮やかなあの色彩は、モノクロの視界をたやすく破っていった。
この場所は高校時代を思い出す……坊っちゃん嬢ちゃん学校。刺激のない世界で、他人ごとと外の世界を羨んでいた。
結局、昔となにもかわらない。抜け出していない空間。閉じこもらないようにとサークルにもはいったが、他人との関わりを深く持とうとすれば、いかに自分が慣れていないかを思い知らされた。
無関心のこの世界は、箱に入っていないと安心できなかった自分を思い知らされ、足下がたよりなくなるばかり。
むしろこの人の目をくぐり抜けやすい空間は、変な風に息が詰まってしまう。それでも息継ぎを求めるように、こうして講義を抜け出す時間が最近増えてきた気がする。多少の危ない橋を渡らないと、安心していられない。
こんなこと、父親のタバコをくすねて吸ってみる子供の強がりと同レベルで、普段自分を見くびっている周りに対する、密かな意趣返しのつもりか……。
過去に並には背伸びを味わってみるつもり手を伸ばしたことがあるが、「誰も知らない自分が居る」という安心感が欲しかっただけで、それ以来とんと喫煙には興味がない。
AVもほんの一時期借りてよく有り余る関心に学校に持ち込みたがる友人に見ただけでそれ以来やはりたいして興味がない。猥談も実は結構好きだし、性的なことに対する関心も高いのだが、正直自身の身体に関わることだという実感がなくて、心理的関心の方が重要らしい。
欲望を精神世界でとらえることは重要なことだが、それが肉体的にはとらえまいと言う理性が働く幼稚で潔癖なところを見透かされたくないのだ。
それに引き替えあの男は、あんなに欲望そのものの姿を見せ付けておきながら、自分はとんと肉欲に飢えない視線の高さにいるのだ。曝されていくのは自分ばかり。
(彼と関わっていると、自分の中の眼をそらしていた欲望を見せ付けられる)
嫉妬、独善性、強欲、稚拙な依存、臆病さ………肉欲。
欲まみれの自分。
「こんな風じゃなかったんだけどな……」
やはり自分は、恋などしてなかったということだろうか? 単に幼かっただけか、相手が違うからだと考えたい。
いや、これは肉欲と考えた方がいいのではないだろうか。
彼のことをあんまり知りたいと、深くのぞき込もうとするあまり、自分の中のモノをひきずり出してしまっただけなのだと。
『buru……』
「っ!」
ズボンのポケットに入れっぱなしだった携帯がマナーモードだったため、場所が悪く振動を直接的に腰骨に伝えてきた。
傍目にはぼんやりと外を眺めているように見えただろうが、その実全く外界に意識を向けていなかったため、痛みにタバコを取り落としそうなほど驚いた。
慌てて火を消し携帯を取り出せばメール着信だったようで、何とも言えない脱力感が襲った。
『空き時間合ったら、いつでも来てくれ。俺は今日ずっと居る。マサトもいる』
開いてみればよく知る友人からで、なおさらため息を誘うのは何故だろう。
昼からは必須単位の専門が入っている。一年から専門が入るのが自分の学部の特徴とはいえ、気ままに見える他学部の友人が羨ましいと思わずには居られない。
時間の無駄遣いと思いつつ、駅を乗り継いでまで本学キャンパスへと向かう気になったのは何故か。
(月曜なんかに会うはずないんだけどね。……部室まで行く気ないし)
数少ない部活に行ける水曜の午後の時間を潰したくはない。
そう思いつつも、水曜も今から向かうであろう場所に居る気がするのは臆病さか。
まだ正直、彼の前に立つのが怖い。
「張り上げすぎだ。喉つぶすぞ」
四人の中では一際低く大人びたその声は、そのくせ演奏中でも手を止めてしまうほどよく響くのだ。
声の主に視線を向けた後、皆促されるように自分を注視してきた。
なんともばつの悪い。いやむしろ、ざわりと不快な感覚が勝った。
「歌い方なんて知らないよ。勉強したことも指導うけたこともないんだってば」
普段無口な相手の指摘だけに、目に余ると言うことか。しかも相手は自分が歌っていなかった間に歌っていた相手だ。
ベースの腕の方が買われているが、ハッキリ言って自分よりよほど歌うことに長けている気がするのは卑屈な感情からか?
「おいらには無理なんだよ。政人の方が音程ずれないし、聞きやすいよ」
当たり前のことのように笑って促せば、冗談ではすまない眼光が向けられた。
「…ごめん」
さすがに笑って誤魔化すことではないと思い、小さく頭を下げで謝罪を呟いた。
相手は謝罪を受け入れたのか、受け入れるつもりがないという意思表示か、もう合わせる気はないというように単独パートをかき鳴らし始めている。
「かずまさ」
気まずくなった空気を緩めるためか、達彦はギターを置きこちらへと歩いてきた。
自分と政人では単身会話をつなげることは難しいため、いつも達彦が間を取り持とうとしてくれる。それが相手にどんな感情を覚えさせるか、考えたことがあるだろうか。
「口からだけで叫んでないか?」
「……どういう意味?」
訝しげな問い返しに棘を感じたのか、慌てたように達彦は伸ばしかけていた手を引いた。
「いや、俺にはよくわからないけど、おまえって、前じゃなくて上に向かって叫んでいる感じだから……」
気配で部屋の外へと促されれば、間が持たないのか相手は顎の下を小さく掻き続ける。
それを見るほど、心が冷めていくのは何故だろう。
「……おれさっ」
思い切るような前置きに合わせ、ぐっと間合いを詰めてきた相手に思わず利き足が後へと下がった。
息すら届きそうな距離というわけではない。しかし匂いがするのではないかとドキリとした。結局友人にまで、作ったクリーンなイメージを残したいのか。
自嘲の笑みが雰囲気を和らげたのか、ふと相手の気配が活気づくのを感じた。
「大学入ってからちょっと変わっただろ? なんか明るくなったって言うか……でも正直俺、前よりおまえが内心でどうおもってるとかわからなくなったんだよな」
「そんなにかわったわけでもないよ」
向けられる関心に、自然と口元に笑みが浮かんだ。それでも向けられた活気が自分には強すぎで、逃れるように続きを促すようについ地面を見つめた。
「おまえって、歌っているときすごくかわるじゃん!」
和んだ空気に昔に還ったように、『親友』は屈託のない笑みを惜しげもなく向けてくれる。
「なんか、本心さらしてくれてるみたいで嬉しくってさ」
(窒息しそうだ…)
昔の自分を期待する相手のまえほど、笑いがつくりものになってしまう。
「ごめんな。今更だけどまた引っ張り込んで」
「いや、歌うのは好きだし。高校の時中途半端で気になってたから」
ほっとしたのだろう。達彦も少し離れた場所で同じように砂利を弄り始めた。
「小説書くのの邪魔になってないか?」
「かけない鬱憤ぶつけさせてもらってるよ」
再びその視線が横顔に向けられるのを感じたが、とても視線を合わせる気になれず、口元ばかりが笑みを形作る。
「おいらがしてるのは結局作詞じゃなくて、台詞あてでしかないから……」
「…俺には、よくわからないけど」
「歌詞はその時の感情をそのままでぶつけられる気がして、納得する答えを出さなくてもいいかなと思ってて。…どれも息抜きさせて貰ってるよ」
自嘲ではなく、友人の好意に甘やかせる状況を確かに自分は頼っている。
歌詞だけでもと。小説に集中できないというより、言葉に向かい合えば感情が無秩序に並べられ書き殴られているようなもので、見せられる物にならない。
それでも吐き出したくて歌に乗せ、声を張り上げ。
きっと仲間達にも気づかれている。
自分の歌は、感情の吐き出し口でしかないと。
結局、午後の講義を受ける気になれず、出来る範囲で友人に代返を頼み込み、黄昏時のキャンパスをあてなく歩いた。
自分のことなど知らないであろう他学部の学生の気配が、今は不思議と心を落ち着かせる。
友人との会話で誘発されるように思い出される高校時代。
と言っても、ほんの半年ほど前のこと。それがこんなにも遠く感じるのは、この半年の自分の生活が充実していたためか、単に足が着かず引きつられていたためか。
いつからか、約束事は自分からはけしてせず、逆もまた曖昧に頷くだけに勤めてきた。 裏切られるのは誰だって怖くて、それくらいならば期待などしないで、そのとき刹那的でも思うまま追いかけたい。
自分以外の相手の「この先」を期待すれば、傷つけられるのは自分。
だからって人を排除するには、淋しすぎて。見返りさえ期待しなければ、傷つかずにすむ。
一方で犠牲愛を嗤う自分が、見返りを期待しない大人びたふりを必死に演じているのを強く意識する。
淋しいのはお互い様で。一時の安穏ために、口約束を求めることも仕方ないとは思う。
だけど本当は自分だって、もっと求めたいし、いつまでも求められ続けたい。
裏切られることを恐れずに本能のままに独り占めしたいし、裏切られれば罵りたい。
(誰のことをいっているのか……)
深く友愛関係を結べないことはコンプレックスだが、そんな強い結びつきを、自分が友人に求めてるとは到底思えない。
束縛という安穏が欲しくて、それを上回る、それを突き崩す様な強い力を向けられてみたい。それを期待しないのは、自分がそれを向けられるに見合う存在ではないと、いいきかせているからだ。
自分の自虐性は臆病さから来ているのだろう。
媚びなくて、潔い眼をした君が好きだった。
その強かさや、偽ってでも、誰かを見返したいと思う素直さまで。
だから君が、本当は僕より他の誰かを好きであったって、その誰かを見返したくて、僕を笑ってみたくて僕のそばにいたのだとしたって、それは少しも君を好きじゃなくなる理由にならないんだ。
ただ、それに気づかずに君に好かれているなんて思い上がった自分が許せないだけで。
自惚れていると笑われることが怖くて、少しも君を非難することが出来ない自分が嫌いなだけで。
自分を嗤う声が黙るぐらいの強さで。求められればそれでいいのだ、今は。
No-number コヨーテ前夜〜087:コヨーテの間の、
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