本 日 の 一 言
 次のページ5月8日へリンク
何に使うんですか…
 議員活動の中で各町内との連携が必要な場合が多々ある。遅ればせながら今年度の町内嘱託員・世帯班数一覧表を市役所総務課から頂いてきた。その窓口での顛末。
 「何に使うんですか」、「議員活動上必要だから」、「例えば…」、「〇×△…▲×〇」、「何かの商売に使いませんか」、「使わないに決まってる」、「あくまで議員としての公務上ですよね」等との会話が長々繰り替えされた。
 私は議員専業であり、この名簿を商売に利用したり、他人に見せたりした事はないが、毎年窓口で確認はあるものの、ここまでしつこく聞かれた事はなかった。昨年は公務以外には利用しない旨の条例の添付はあった。
 「何故必要か」の質問は議員活動に対する認識不足であり、議員を信用しないだけでなく馬鹿にした質問でもある。現実に地域の人々から陳情をうけたり要望を寄せられた際に、町内会長に確認せず無視して進めた場合に町内会が困る事も出てくる。
 市役所職員の住所録も数年前から廃止になったが、職員の配置表「職員録」が代わりに発行されている。これも毎年貰っているが、昨年だけは全議員に配布されたため確認すると「昨年は新人議員のために配布したが今年は配布しない」との事。4月に所望した際「何に使うんですか」と質問された。市職員は随時異動しており、担当職員への的確な質問をするためには絶対必要であり、これらを必要とする議員がいない事も淋しい現実だが、見方を変えれば「議員は管理職だけ知っていれば良い」と思われているのか。
 背景には最近の悪徳電話セールス等の被害や防衛策でもあろうが、議員が必要とする書類も一度は断れとの内示でもあったのかと不快に思った。

                             5月7日の一言
新聞休刊日…
 早朝の会報配布は新聞配達との競争となるが、本日は新聞休刊日のために余裕の配布となった。
 しかし、月1回の休刊日を新聞社はどのように考えているのだろうか。自分自身も23年にわたり新聞販売店を営んできた立場にあるが、休みの無い毎日の仕事は大変そうに見えるが、現実はそうでも無い。
 たしかに新聞は月1回の休刊日以外は毎日配達されてくるが、配達する従業員やアルバイトは都合で休む事も可能である。また、労働基準法では労働時間や休日も定められており、週休制を唱って求人募集もしており、交代制によって休日の確保も可能である。
 休刊日と言っても午後には夕刊の配達があり、現実の完全休日は一年間で年始の1日だけである事から、私自身は新聞休刊日は廃止して「年中無休」でも良いと思っていた。また、駅売りのスポーツ紙は休刊日が無い。
 テレビだけでなくインタへネット等が普及して情報には事欠かなくなった。その半面で新聞を読まなくなった若者も増えている。活字文化の存続のため、あえて休刊日廃止を提案したい。
 せっかくの休みが減らされる事に抵抗はあるだろうが、ヤクザ紛いの悪徳新聞拡張員の実態は酷く、苦情もよく耳にする。新規読者獲得に多額の景品とセールス料が支払われている資金を運用すれば、休日どころかまともな従業員確保にもつながるのである。
 「インテリが作ってヤクザが売る」新聞の慣例を破って、世間から特殊な仕事と思われない労働条件を確立してもらいたい。

                             5月6日の一言
雪紫が買えなかった…
 ゴールデンウィークも一瞬のように終わってしまった。昨日は京都大原まで足を延ばしたが、「渋滞が大変だっただろう」と人に言われて、テレビや新聞の報道について考えさせられた。
 本日の新聞によれば、「名神高速道路下り線、関が原インターから八日市インター間が35キロの渋滞」と記されていた。この記事をそのまま読めば、大変な交通渋滞であるが、現実はそうではなかった。
 ゴールデンウィークのUターンラッシュとして、空港や新幹線を記した情報と一緒に記されているための錯覚がある。現実は車は多かったものの、車は流れており、渋滞の原因は定かではないが、Uターンラッシュでは無く、車の追突事故が原因のようであるが、事故渋滞の表示もない軽微な事故が原因と思われる。又、帰路も渋滞はまったく無かった。
 新聞記事の一部分的、一場面だけを見て報道する事により、読者の受ける印象には大きな隔たりができる事を感じた。
 雨のため人出は少なく、京都に着いた夕方には雨もあがり、「宝泉院」のライトアップも最高の情景になったが、多くのアルバイトを使い、多くのポスターや案内チラシを印刷して臨んだイベントの収支が気がかりになった。また、個人的な事だが、わざわざ寄り道した大徳寺門前の細見酒店が夜閉まっており、日本酒「雪紫」が買えなかった事も残念の一言。しかし、かつて小学校の修学旅行で行った京都は遠かったが、「ちょっと行ってこようか」と行ける時代を予測できた人が当時あっただろうか。

  宝泉院へリンク   雪紫へリンク
                             5月5日の一言
生え抜きの選手…
 巨人の桑田真澄投手が頑張っているが、同僚選手に足を引っ張られ勝利を逃がし続けている。昨日も走者は出したものの、6回を2点に抑えて降板した。問題は後の救援投手だが、次々と打たれ続けて勝利投手の権利を失った。前回も同様に勝利を逃がしている。
 入団時のイメージが悪かった事から損をしているが、エースナンバーを付けて巨人一筋に頑張ってきた。マウンドに向かう時も、ベンチに戻る時も高校時代と同じく走っていく。バッターとしても走者としても全力でプレーし手を抜かないプレー。
 指導してきたコーチも入団時から指導を必要としない完成された投手と評している。しかし、プロの世界では結果がすべてである。不運を払拭し、結果を出してほしいと願う。
 ところで、巨人を希望して一浪までして入団した元木選手にもトレードの噂が報じられていた。不運な試合中のケガで試合に出ていないが、生え抜きの選手だけに大切にしてほしい。勝つためとは言え、寄せ集めの集団には魅力がない。監督だけ古手のOBを配しても、建設現場にある飯場のようで好きになれない。
 桑田が投げて阿部が受け、仁志が打って清水が続き、高橋が走者を返して元木が勝利を導く。生え抜きの活躍する試合が見てみたいものである。

                             5月4日の一言
苦難への道…
 せっかくの連休だが雨天が続いている。この雨を恨めしく思う人々がある反面、農家の人々は惠の雨と喜んでいる。
 今年の天気予報は全くあてにならず、連休前の予報では高気圧に覆われ晴天が続くと発表されていた。天気予報の精度が高まり、我々も予報をあてにした予定をたてる事が多いため、予報の間違いによっては大変な事となる。
 私も5日間で2千部の会報を配布予定で印刷してあったので、連休後は大変なスケジュールを覚悟する事になる。
 しかし、観光地やイベントは大打撃になっている。本日の「藤まつり」は雨のため中止となったようだが、観光地では生活に関わる打撃をうけている人もあると思われる。
 結局は自然まかせに空を見上げながら行動するしかないのである。会報配布(本日は少し配布できました)は諦めて、明日は京都大原まで足を延ばす予定であるが、これは雨天の予報と同時に交通渋滞も想定した苦難への道でもある。

                            5月3日の一言
盆踊りが中止に…
 町内の夏の盆踊りが中止になったと回覧版が回ってきた。主役となってきた子供会の負担が大きく、昨年から町内会の主催に変わっていたが、本年は中止する事が役員会で決まったとの事である。
 残念ではあるが、当事者の子供会の役員はホッとした事であろう。少子化と言うが、子供の数が少なくなってきた訳ではない。問題は今までの伝統や仕来たりのお仕着せにもある事を認識すべきである。
 我々の子供時代のように何でも一緒と言う時代では無くなってきた。現実に廃品回収にしても、その趣旨は大切にすべきだが、何でも安く手に入る時代にあって、集まる金額は小額で苦痛を伴うばかりである。
 盆踊りについても、今までの仕来たりを維持しようとするから無理がある。気のある人が数人寄れば実現は可能と思われる。「じゃーお前に出来るか」と言われると困る。困る原因は議員という立場に縛られているからである。
 私は議員になる前に「水郷釣り大会」を主催してきた。しかし、主催するにあたり1回に10万円を越えるお金を要していた。この事が政治資金規正法に引っかかる事から中止せざるをえなくなった経験がある。
 要は、町内会が十分に機能していない事と、「オレがやってやる」と言える人々が町内会から無視されてきた歴史がある。
 歴史は人間がつくり、変える事も可能である。楽しい地域行事を議員の立場で模索していきたい。

                             5月2日の一言
ゴールデンウィークに入ったものの…
 ゴールデンウィークに入ったものの、次男は仕事に行き、中学生の三男は部活があると言う。私は暇で仕様が無い同級生がやって来て、「毎日会報を配るから、どんどん印刷せよ」とケツを叩かれている。本当は喜ぶべき事だが、辛くもあり、「京都の大原へ行ってこようか」と言い出せないでいる。
 ゴールデンウィークでも普段と変わらず働いている人々もある。今日も早朝から救急車が走っていったが、普段市民の皆さんから叩かれている公務員でも一部では働く人々がある。
 天王川公園では「藤まつり」が開催されているが、裏方では津島市の職員が出勤して頑張って(?)いる。しかし、大部分の職員は長期休暇を満悦している。このあたりの協力と連携が自発的には無理でも、市長の強い指導力によって実現できれば、津島市役所は365日休まず開庁する事も可能となる。(現実は全く不可能ですが)
 今、また救急車が走っていった。ゴールデンウィークは連続5日間市役所が休みとなる。正月休みと同じである。こんな事で良い筈が無い。市役所に用がある市民は、休み明けに会社の休暇を取って出向く事となる。
 と言う私も、この5日間は休みなしだが、市民の皆さんから連絡されても連休明けの対処になってしまうのである。鉄道やバス会社は今日も普段どおり動いている。住民のために行政はどうあるべきか考えてみたい。

                             5月1日の一言
忙しいと言う言葉を封印…
 本日で4月も最終日を迎えた。数えれば1年の3分の1が終わった計算となる。しかし、この4ヶ月間は今までに無い忙しさであった。1月に発行した会報「津島の風19号」は印刷を増刷した。増刷すれば忙しくなるのは当然の事だが、2月半ばにホームページを開設し毎日一言を書き入れる課題を課した後に3月議会を迎えた。
 家族や知人はパソコンの前に座る時間を忙しさの原因にしているが、忙しい原因は自分自身にあるので周りから苦言を頂かないようにしたいと思っている。
 平成11年2月末をもって私は朝日新聞販売店を廃業した。この年の4月より市議会議員として活動しているが、津島市は議員を専業にする者も無く、副業ですませるレベルなので、本業として議員を考えれば暇そのものである。平成5年には仕事をこなしながらPAT活動に連日参加していた事を考えれば、自分のスケジュールをしっかりとすれば大丈夫のはずである。そう思い込み頑張っていきます。
 昨年メールを始め、僅かでも交流が増え、ホームページの開設でも交流が増えました。昨日の旅行にもホームページから1名、メールでの申し込み1名、ファックスでの申し込み1名と全体からは少数ながら確実に変わりつつあります。
 世の中に取り残されない事と、24時間公開できるホームページを生かす1年の中盤にしたいと、忙しいと言う言葉を当分封印します。

                           平成16年4月最終日
昼食だから早く…
 本日は朝日旅行友の会で奈良県の吉野山へ行ってきました。案内が遅れて大変迷惑をかけましたが、38名の方々の参加をいただき次につなげる事ができました。
 今回参拝した金峯山寺蔵王堂では、人々が祈願した護摩木を燃やして僧侶と行者らが読経される場面に遭遇した。後ろに正座して繰り返し般若心経を読んでいると、一瞬頭の中が真っ白になって般若心経を唱えていた。無の境地とはこんな事だろうかと思っていると背中に人差し指が。
 「時間、時間…」、カミさんの声。「時間はまだ充分あるだろうが」と心で叫んで心経を唱え続けるものの、「昼食だから早く…」、「まだ30分はあるだろうが」と心で叫んでいるうちに読経が終わった。
 女にはロマンが無いのか。せっかく一瞬でも体験した事のない心境に入っていたのにぶち壊しである。そもそも、人が真剣に手を合わせている時に、突付いたり話し掛ける非常識な行動によって経験した事のない領域に入り切れなかった事が残念であった。
 あのまま続いて般若心経を唱え続けていたら、どんな世界があったのだろうか。残念だが分からないままとなった。しかし、何か目に見えない法力が僧侶と行者の呪文と手法にあった事は間違いない。経験した事の無い体験だが、説明は難しい。今日は観光旅行のはずだったが、不思議な体験によって修験道の聖地を実感する旅となった。

                            4月29日の一言
成るようになる…
 物事が思うように進まないと、つい愚痴が出るようになる。私自身は「成るようになる」と開き直って今までの人生を生きてきたが、仕事を溜め込んでしまうと成るようには成らなくなり、家族の心配の声(多くはカミさん)から益々ストレスが溜まる。
 会報「津島の風」の配布も遅れに遅れ、紙一重の日程で配布しているところに、昨日は台風並みの風雨で完全にお手上げ。本日は午前3時から配布を始めたところ、予報に反して雨。早朝の配布は一週間前からだが、やむなく雨中を走り廻った。
 考えてみれば、新聞販売店時代には従業員やアルバイトが積雪の日に重複して休み、4人分配達した事もあった。台風で本社から配達を見合わせる指示が出ている中を、他社に負けじと一人配達に出た事もあった。
 そんな事を思い出しながら新聞配達に負けじと会報を配布していると雨もあがった。驚異的な量を配布した自分自身を誉めてやりたい。一週間前に歩くのも辛かった配布が今は走っている。新聞配達のような時間の制約も無く、雨の日は休める会報配布だから考えようによっては楽であり、自分の政治活動と健康の為にもなる。
 とにかく頑張っていると道は開けて来る。議員になって鈍った体だが、まだまだやれる気分が戻って来た。単細胞かも知れないが、頑張った分は自分の為に成ると信じ、苦しみは少年時代の5年越しの闘病生活に比べれば楽なものである。
 悪循環が重なり、仕事も溜まり、周りからパソコンの前に座るなとも言われていた。しかし、僅かでもホームページを見ていただく人々から励ましの返信もいただいてきた。当分は皆さんに元気が出るよう発信していきたい。

                          4月28日早朝の一言
 ヒステリーの女性達…
 トヨタ自動車、中部電力、JR東海の3社が蒲郡市で開校を目指している中高一貫の男子校「海陽学園」に対して、市民グループが男女共学を求めて愛知県に申出書を提出したと報じられた。
 女子の入学を認めない同校は、県の「男女共同参加推進条例」に反すると主張している。しかし、男子校の設立が男女差別とは思えないし、女性を卑下した男子校設立ではない。むしろ、すべての学校が男女共学に進む中では、男子だけの全寮制教育は注目に値するものと支援したい。
 多くの高校が共学化する背景には多分に安定した学校経営を目指した結果が多く、男子だけで全寮制の学校からは、利益を度外視した3社の人材発掘と育成に対する熱い理想が感じられる。
 なんでもかんでも男女一緒を求めるのはヒステリーの女性達の勝手な言い分も多く、我家は我家のルールがあり、男女平等では無いが、そんな事まで介入していく女性達の市民グループはもっと訴えるべき事があるはずである。
 学校側に無視され、県に申し入れをしたとの事だが、むしろ県に強い指導力を期待する事は、民間主導や市民が主役となりうるべき社会の中で、行政の権力に期待した行動であり説得力が無い。
 しかし、最近は何故私学まで男女共学になってしまったのか。どう考えても理念よりも経営が影響しているとしか思えないのだが。市民グループには宝塚歌劇団に男性が入れるよう働きかけてもらいたいものである。

                            4月27日の一言
ひったくり事件…
 津島市から久々のテレビニュースはひったくり事件であった。自転車の手提げバックには500万円が入っていたとの事であるが、金額の大きさはもちろんだが、被害者の女性がいつも500万円を持ち歩いていた事から大きく報じられたようである。
 この日も、手持ち金が498万円になり心配になったため、銀行の自動支払機で2万円を下ろして補充した直後に被害に遭ってしまったと言う。場所が天王川公園の北側だったため、「イ〇タさんじゃないか」の冗談も聞こえてきたが、浮世離れした話であり「津島市民は貯金好き」を実証した事件となった。
 犯人は茶髪のバイクの若者2人組との事だが、数日前にも同様の事件が連続しており、同一犯の可能性が高いと思われる。過去のひったくり事件はほとんどが解決しておらず、被害者もほとんど全てが泣き寝入りとなっている。
 問題は、ひったくりの犯人達がひったくりの犯行だけに収まらず、将来凶悪化する可能性を秘めている点である。また、白昼堂々の犯行であるのに犯人の情報が少ないのは何故だろうか。
 地域を歩けばナンバーの無い不審なバイクや、明らかに暴走族と思われるオートバイを目にする事がある。地域の少年達を通報するのは忍びないが、犯罪は小さいうちに摘み取る必要がある。小さな犯罪の放任が大きな事件につながっている。被害者の心中を察すると目撃者や地域からの通報によって解決する事を祈るものである。

                            4月26日の一言
手遅れは致命的…
 病気にしても手遅れだけはどうする事も出来ない。間もなく迫ってきた29日の日帰りバス旅行も、案内の手遅れは致命的だった。
 今回の企画は早々と企画案は決まっていたものの、実際に案内したのは今月13日になってからで、しかも旅行独自の案内ではなく、会報「津島の風」を約50名に送付しただけだった。又、会報の戸別配布も遅れに遅れており、本格的に配布を始めたのが19日になってからという状況の中では取り返しのつかない顛末を招いてしまった。
 数年前には申し込みを断るほど盛況だったのが、何故か厳しい現実を私は世の中の不況のせいにはしたくない。会報の発行だけでなく、毎日のホームページの管理も増え、仕事が忙しいのも言い訳がましいが、問題は自分自身が旅行に身が入っていなかった事にも原因がある。
 5月には秩父三十四観音めぐり、6月は浜名湖花博、7月は4善光寺参り、8月は大文字送り火と宝塚鑑賞ツアーと次から次へと続くが、旅行友の会発足当時の初心を思い起して今一度頑張りたい。
 まちかど座談会では、一切のサクラをなくし、たとえ五人でも開催している。ここで落語を演じる「浪漫亭砂九」さんの心境を想えば、30人集まった今回の旅行に愚痴を言ってはならないのだが、運勢が下り坂になっているのか、やる事全てが損につながる毎日をここらで断ち切りたいとトップページに運勢も挿入してしまったが…

                             4月25日の一言
1人に2通のハガキ…
 国民年金保険料の口座振替額通知書が4通届いた。夫婦に2通ずつ届いたのだが、今まで中身を見た事もなかった。しかし、国会で年金が問題となり、現職大臣3人が年金に未加入で保険料も払っていなかった事件も起きている事から、初めて中身を確認した。
 1通は先月の保険料の領収済通知書で、もう1通は今年度の保険料の説明書であるが、ほとんど外観は同じもので、3枚開きのハガキは現代の知恵かもしれないが、裏3面は全く同じ文面であり、お役所仕事の典型である。
 日付は1日違っているものの、同日発送で1人に2通も送る必要があるだろうか。内容が違うと言えばそれまでだが、民間企業では1通に集約するとか、1通の封書にするとか経費削減を考えそうなものである。
 国民の4割が滞納し、現職大臣が「うっかりして、忘れていた」とか「知らなかった」と済ませてしまうのも許せないが、真面目に支払っているいる保険料が無駄に使われている事にも腹が立つ。
 国民年金が国民の義務であるなら、希望者には毎月の郵送料も節約してその分を年金支給時に加算するとか、目に見える工夫が欲しいし、滞納者に対する罰則もはっきりとすべきである。

                            4月24日の一言
畳の上で死にたい…
 「畳の上で死にたい」と、71歳の女スリが引退宣言をしたと報じられていた。この女スリは、脳梗塞で2度倒れ、手足がしびれていても、手押し車を押しながら犯行に及んでいたという。人生の中で30年が拘置所暮らしというプロのスリ師も、人生の最後が拘置所となる可能性も出てきた。
 馴れというのは恐ろしい。3日前から午前3時に起きて会報「津島の風」を配布している。初日こそ苦しかったが、2日目には体が順応してきた。3日目となる本日は、すっかり元通りとなり小走りで配布が可能となった。
 午前3時からと言うと、一般人の寝ている時間だが、私にとっては長年続けてきた新聞配達の起床時間である。私は大学3年次に新聞販売店を開業し、23年間続けてきた当り前の時間でもある。販売店を閉めて5年経つが、年4回の会報配布ではその経験が役立っている。
 午前3時は真っ暗である。真っ暗な家々のポストを体が覚えている。不思議に勝手に体がポストに走る。3ヶ月ごとの会報配布を、最近は鈍った体のトレーニングと思うようにしているが、議員を続けるうちは3時起きを続けるが、確実に年齢の積み重ねが体に実感するようになってきた。71歳のスリ師のようにはならないようにしたい。

                           4月23日の一言
銀行に返還命令…
 本日の夕刊に、誤って倒産会社に振り込んだ送金を返さないUFJ銀行に、名古屋地裁が返還命令を出したという記事が掲載された。
 誤って倒産した会社の口座に67万円を振り込んだ経営者が、翌日気付いて振込先のUFJ銀行に返還を求めたところ、「振込金は同銀行が倒産会社へ貸し付けた金と相殺する」として返還に応じなかった事から裁判になっていた。
 経営者が倒産した会社に誤って振り込んだ金額であるが、倒産した会社には預金口座が銀行によって強制解約されて存在していなかった事と、そのお金を銀行の貸付金と相殺して自分の金と主張する銀行の身勝手な横暴さは許されてはならない。間違って送金したとしても、そもそも銀行から強制解約した口座に入金させた銀行のデタラメな処理が間違いの元である。
 今回は経営者が訴訟を起したから良かったものの、一般市民では銀行を相手に訴訟を起す事も出来ずに泣き寝入りの人もあると思われる。
 自動振り替えや送金を巡って、悪徳業者とのトラブルを耳にする事もあったが、ほとんどは一般市民が犠牲にされてきた。しかし、銀行だけは手数料を取りながら無関係で知らぬ顔がまかり通ってきた。
 私も何度か理不尽な被害にあった事があるが、給与や年金の振込みがすべて銀行口座に入り、支払いも口座振込みが主流の社会にあって、今まで泣き寝入りだった人々のためにも一石を投じる裁判になってほしい。

                           4月22日の一言
      
いらん、ゴミになるから…
 現在必死に会報「津島の風」を配布している。仕事を溜め込んだのも自分の責任だが、天候だけは自由にならないし、人間のこなせる仕事の量は限られている。
 さて、会報を配布していると地域で起こっている問題や、行政に対する苦言、指摘等も拝聴する事となる。半面において淋しい現実にも遭遇する。
 「暇な時にお読み下さい」と声をかけると、「いらん」と渋い顔。「私の会報ですが、お暇な時にでも…」、「いらん、ゴミになるからいらん、いらん」と今にも怒られそうな御主人の顔。
 自分の会報はゴミか、と淋しい気分になるが、「有難う」とか「いつも読んでいる」との声があるから続いて配布もしているが。
 何故だろうなと時々考えさせられるが、最近では悪徳セールスや詐欺紛いの商法が多く、突然知らない人物の訪問に警戒している人も多い。いったん断ってから当方が議員と分かり、手の平をかえしたように受け取る人もあるが、後味が悪いものである。
 本日も3人ほどのセールスと遭遇したが、その後に会報を配布する場合は間違いなく怪訝な視線を浴びる事となる。「金にもならないのに馬鹿だなぁ」と自問自答しつつ、遅れを挽回するのに必死の一日だった。

                         4月21日の一言
小さな町内のその後…
 今月の10日付けの一言に、「大きいのに小さな町内」として宇治町小切の町内会の事を記した。宇治町の中にありながら、通学する小学校は宇治町が蛭間小学校であるのに、小切地区は神守小学校に分かれ、神守小学校では宇治分として半端な扱いを受けてきた。  現在では小切地区が98世帯、地区内にあるナビシティマンションが189世帯もあるにもかかわらず、宇治町の小字として、民生委員の割り当て等では行政すら身勝手な扱いが多くみられる。
 世帯数が大きくなっているのに、扱いは「宇治分かれ」そのままで、明らかに不利益を被っていたと思われる。地区内には外出もままならない高齢者や障害者もあるのに、そういった人々の不都合すら問題にされず、自分達の不利益や不便さも「仕方が無い」と我慢してきたと推察される。
 昨年3月に続き、今月10日に「まちかど座談会」を実施したものの、参加者は5名と少なかった。これには私の不人気もあるだろうが、個人的に寄せられる相談などからして、明らかに声を上げられない人々の存在がある。
 しかし、座談会で寄せられた意見の中で、とりあえず一つだけであるが実現が可能となった。交通安全対策としてカーブミラーの設置である。この地区には自動車学校やゴルフセンター、大衆銭湯があり、多くの車が通行しているにもかかわらず、全く安全対策が図られていなかった。「議員に言うだけでなく、町内からも行政に直接訴えてください」との当方の意見を忠実に町内会長さんが実践され、地権者の協力を取り付けられた結果である。
 まさに議員に言われたからやるのでは無く、地域社会にとって必要だから住民の声によって実現した一例として今後の議員活動の励みにしていきたい。

                     4月20日の一言 (10日の一言へ)
まだ正式には…
 本日久しぶりに出会った人から質問された。質問されても何も情報が無く、答える事もできない質問であった。それは、愛知県の所轄する事業についての質問だったためである。
 しかし、県の事業と言っても津島市民に関わる問題だけに、市議会議員と言えども事前に情報ぐらいはあっても然るべき事であり、市民の方より質問されて答えられない自分に腹立たしいものの、指摘をされなければ分からない事でもあった。問題なのは、「県の事だから聞いても分からんわな」と言う市民の声である。
 当然といえばその通りであるが、市民は愛知県の情報や問題を何処に求めればよいのか、その答えに窮する。「県だから県会議員か」と言われても、当地方の県会議員がそれほど市民と身近な存在にはなっていない。
 個人的には親しい県会議員も複数あるが、本来はそこまで考えなくても、市民生活に関わる問題については、もっと身近な窓口があって然るべきであろう。
 愛知県と津島市の風通しの悪さは時々感ずる事がある。また、県の計画を津島市が聞いていても、まったく市民の所までは伝わってこない。時々指摘する事もあるが、「まだ正式には決まっていない事だから」と逃げてしまう。
 しかし、「まだ正式に…」と言っているが、正式に決まってしまった事項に対して、市民は一方的に説明を聞くだけで反対どころか、異論は挟めない。将来の事業や計画について現状報告や途中経過の説明は皆無に等しいのである。
 市民が主役であるために、津島市の枠を超えて、県会議員の領域にも踏み込んで情報収集に励みたいと思う。

                           4月19日の一言
伯父の最後の地を訪れてみたい…
 1943年4月18日、太平洋戦争で連合艦隊の山本五十六司令長官が米軍機の攻撃で戦死されている。その前年の同日、米機が日本本土を初空襲した。61年前の事件であるが、その2年後に戦争が終わった。
 私は戦後8年目に生れ、今や50歳になって、まもなくお爺さんと呼ばれる年代になろうとしているが、国のために自らの生命を捧げた先人達とは違い、自分の事しか考えていない事を当り前に生きてきた。
 すべての軍人が志願では無く、強制的な徴用であっても、日本の国のために生命を犠牲にされた事を我々は忘れてはならないと思う。
 ちなみに、私は鶴田浩二の大ファンでもある。鶴田浩二も学徒出陣で海軍に籍をおいた事と、軍歌を歌い続けた事から一部に間違った認識を持つ人々があるが、鶴田浩二は軍歌を唄って貰ったギャラを南方の戦地に残された戦友の遺骨収集に寄付し続けていた。死んでいった戦友を偲んではいるが、戦争には反対であり、現代の右翼の街宣車に流すために軍歌を唄っていたのでは無い。
 鶴田浩二が死んで16年が経った。戦争を他国の事件として、国の渡航禁止令を無視して戦地に出向くノー天気な若者が出現するようになった。未だに家に還れず、異国の土や海に沈んだままの日本人がある事を今こそ再認識し、過去の先人達への敬意を払いたい。私の伯父も昭和20年に沖縄本島小渡で戦死しているが、遺骨どころか戦死した場所や状況は不明である。一度も会った事のない伯父であるが、一度は最後の地を訪れてみたいと思っている。
                          4月18日の一言
録音テープの宣伝…
 3日間も家を空けると、机の上は手紙と資料で山積みとなる。溜まった仕事の多さに倦むとともに、何から手をつけて良いかも分からない。無駄に時間が過ぎ、いざ出掛けようとする処に知人の来客。普段ならタイミングが悪い処だが、体は正直なもので話が長くなり足が上がったのは3時過ぎになってからだった。本日は資料整理と電話対応の他は約2時間の会報配布のみとなってしまった。
 ホームページを開設して2ヶ月となるが、やはり仕事は外出しなければ駄目な事を会報配布中に出会った人々から感じた。昨日の一言に迷惑メールについて記したが、直接出会う人々からは正直な反応が帰ってくる。
 本日かかってきた電話に、録音テープによる宣伝があった。テープなので当方から話しても伝わらず、散々聞かされた挙句に、「関心が無い方は電話を切って下さい」のアナウンスであった。「その電話はソーラー発電じゃない」とは来客中のTさん。軒並みテープを聞かされてお馴染みの宣伝のようである。
 人間には口と目と耳があるので、自分の体で直接聴いて、見て、話す事の重要性を感じた一日となった。

                          4月17日の一言 
電話では失礼だから…
 本日夜11時に帰りました。四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所に続いて坂東三十三ヶ所巡礼の旅が終わり、後は5月に予定している秩父三十四ヶ所が終わると100観音が終了し、秋から2回目の四国が始まります。
 便利な世の中になった事を実感しました。3日間の留守中でも、旅先で自分のホームページを見て掲示板に書き込む事ができます。事務所の電話は自分の携帯電話に転送しており、市民の皆さんの相談や用件を旅先でも聞く事ができます。本日は「電話では失礼だから今から行くわー」との会話があり、自分が旅先(ちょうど東京湾のアクアラインの海ほたるSAにいました)であると説明しても、事務所の固定電話からの転送であるため説明に時間を要しました。
 元々、宿泊地の予約は無く、現地で飛び込みの宿泊をしていますが、最近のホテルや旅館、民宿でもインターネットがあり情報の入手も簡単で、車もカーナビにより安心して運転に集中できますが、やはり事前の準備と地図を広げる事の重要性を痛感した旅でした。
 半面において、宝の持ち腐れも目にしました。2日目の宿泊地「国民宿舎白子荘」は、千葉県の房総半島九十九里浜にあり、隣りに近代的なクアハウスまでありながらインターネットが使えません。これこそお役所仕事の典型で、ロビーのパソコンは白子町のインターネットにつながっているものの、肝心のキーボードが無いのです。
 留守中は留守番の家族意外でも、電話ファックスが活躍していました。さて、困った事は迷惑と言うより悪徳メールの存在である。3日間て゜58通の迷惑メールが届いており、対策も急務である。

                        4月16日の一言
掲示板に書き込みました…
                        4月15日つくば市より一言
ただいまより出発します…
 現在午前五時です。本日から坂東三十三ヶ所巡礼の旅に出発します。三年前に四国八十八ヶ所巡りを始めたメンバーが一緒ですが、今回は私の後援会長が病気のため欠席となりました。一人欠ける事は淋しい事ですが、会長には今秋から実施する2回目の四国巡りに復活して参加してほしいと願っています。
 四国八十八ヶ所巡りと比較して、西国は物見遊山で継続し、坂東は観光気分で始めましたが、いざ参拝してみると比較する事が間違いであったと反省しています。私は中途半端な年齢のためか、後から後悔する事が多く、先々で体験する親切や神秘的な体験に感動して出掛けています。
 坂東も本日から3日間で終了できる予定ですが、最後の千葉県は出掛ける機会が少ないため、秩父三十四霊場巡りを挟んで、ゆっくりと廻りたい想いもあり、参加者と検討しながらの出発となります。あと12の寺で満願の「行き当たりバッタリの旅」に今から出発です。
 2日前に弟の家に泥棒が入った事から、「旅立ちをホームページに書かない方が良いのでは」との忠告もいただきました。本当に物騒な世の中になったものです。
 しかし、我家は家族が多く、母親や三人の息子がおりますので留守にはなりません。また留守番志願の方や、電位治療器に座る方々がお見えですので安心して出掛けてきますが、後日談に期待していて下さい。尚、明日の一言は掲示板に書き込めたら書き込みたいと思っていますが…。
                           4月14日の一言
役所はめんどくさい…
 東京都の八王子市では、街角の電柱に貼られた宣伝ビラを剥がしたり、不法に置かれた看板を撤収して廻る人々がある。津島市の電柱やガードレールには、不法な看板やビラが堂々と貼られているが、八王子市では迷惑な看板や不法に張られたビラなどを防止する条例まで制定し、繁華街は市職員が廻り、郊外はボランティアの協力員が廻っているとの事である。
 しかし、私は先進的な取り組みと思うし、全国から注目される条例て゜視察もあるようだが、八王子市では当り前の事と思っているのか、担当部所に問い合わせても何一つ資料となるものは無く、当方のために資料を作ってもらう事となった。
 そんな関係からか、当方の説明も悪かったかもしれないが、電話の案内が悪く、直接担当部所にはつながらず関わりのありそうな部所をたらい回しにされた。最後は議会事務局に救いを求め用件は伝わったものの、せっかくの先進的事例がもったいないような電話応対だった。
 「役所はめんどくさいから嫌だ」と言う声をよく耳にする。そう言う人達は、損をしている事が多い。「じゃー代わりに」と簡単に引き受けるものの、我々議員は行政に丸投げをする事が多い。市民の代わりであるから、普通に受付へ行って手続きをしようとしたら、「健康保険証は」と言われた。手続きの案内書を読み直すと、保険証を持って窓口へと記してあった。結局、議員への特別配慮で済んでしまったが、自分の勉強不足を棚に上げて申し訳ないが、役所で調べて分かるものまで持参させる役所の煩わしさが「役所はめんどくさい」の言葉になっているのではないだろうか。
 1通の申込書を届けるために感じた煩わしさは、市民の実感として今後の議員活動で生かしていきたい。

                          4月13日の一言
今、家に泥棒が入っている…
 本日は忙しい旨の一言を、昨日書き込んだ。忙しいところへ、朝一番の電話。「おい、まだ寝とったんか」とは青塚の原さんの元気な一声。用件を聞いて朝一番で市役所に連絡し結果を待っていると、突然の電話が入った。
 「おい、家に泥棒が入っている。娘がいるからすぐ行ってくれ」との緊急電話を名古屋の職場から弟がかけてきた。あわてて弟の家に急行すると、泣きじゃくる娘と隣人と逃げた犯人の目撃者が立っていた。
 窓から侵入し、物色しながら2階まで上がってきたとの事で、娘は2階から飛び降りて隣りに助けを求めた。時間はかかったものの、大勢の警察が駆けつけて事情聴取をし、目撃情報から捜査にはいった。
 犯人は30代の男性で、髪は短髪で身長は170センチ以上の細身。黒っぱいジャンパーのような上着を着て、自転車で逃げ去った。1階の玄関には犬もいる中で堂々の犯行である。
 弟が帰ってきたので自宅に戻ったが、朝一番で連絡した市役所の各課職員をはじめ、市議会議長には大変迷惑をかけてしまった。時計は11時を回っていた。午前中の予定は午後に回す事として、パソコンの前に座り、本日の一言を開いた時に弟からの電話。
 「どこかガラス屋を知らんか。窓ではなく縁側のガラスを割って侵入していた」との事。パッと朝一番の原さんの顔が浮かんだ。原さんはガラス屋が本業であり、どういう巡り合わせかこんな奇縁な一日もあると実感した。「ところで、弟の家はどこだ」と言われ、つい「自分が付いて行くから」と言ってしまったが後のまつり。午後の予定は3時頃からかなぁ。本日中に会報を届けられるだろうか。市役所にも行かないと…。

                            4月12日の一言

 追伸  本日は余程「原さん」と縁があったのだろうか。空き巣被害のガラスは手際よく直してもらえたが、帰り際に「 I さんから相談したい事があると言われてきた」との一言。時間オーバーどころではないところへ、Nさんからは「金柳まで来てほしいんだけど」との電話。多くの方々に迷惑もかけたが、収まる気がしない一日がまだ続きそうであるが…。
立ち上がる時間は明日…
 予定表に書き入れてあっても、出掛けた先で意気投合し予定を忘れてしまう悪い癖が私にはある。知人は心得たもので大鹿時間で対応してくれるが、私自身はとんでもない忙しさと、不可能を可能にはできずに苦しむ事となる。
 遅れている会報配布に旅行友の会の案内送付、資料が山積みされた事務所の整頓、頼まれてきた仕事の整理と次週への段取りと、久しぶりの日曜日に期待していたが、本日は身内の法要が営まれる日であった。
 この一日分の挽回は難しい。水曜日から3日間坂東三十三ヶ所巡礼の旅がある事から、月曜日と火曜日の2日間で仕事をこなす事となる。行き当たりばったりの旅たが、全くの行き当たりは苦しいものがある。それ以前の2日間すら綱渡りである。
 帰って1週間後には場所未定のまちかど座談会があり、29日の日帰りバス旅行は今だ案内もしていないので、全席空席の現状である。
 地に足をつけた行動を心がけたいと思う。地に足をつけると言えば、この1週間好評をいただいている高電位治療器にも座っていない。これだけは効くか効かないか分からないが、その付けは自分の体にかえってくる。早々と切り上げて本日は座ろうと決めたが、立ち上がる時間は明日になる事が確実となった。

                           4月11日の一言
大きいのに小さな町内…
 本日は名古屋市内の「人にやさしい街づくり連続講座」の企画検討委員会と、津島市内での「まちかど座談会」が重なったため、名古屋から中途退場して来ましたが肝心の中身への参加ができず残念であった。
 まちかど座談会は、宇治町小切の集会所を借りて実施しましたが、昨年同様参加者が少なかった。小切は宇治町から町内分離してできた町内であるが、狭い面積の中に98世帯が建ち、別町内となっているナビシティマンション189世帯と合わせると地域の中では決して小さな町内ではないものの、住民の意識の中に「一人前」の町内としての意識が低く、行事への参加者も少ないとの事である。
 従がって、町内として行政に要望する事も控えめで、他の町内に比較しても単独での事業や対策はほとんど無いと思われる。しかし、現在進められている「日光橋」の架け替えについても当事者となる町内でありながら、行政から何一つ説明も無く、架け替え後がどうなるのかも知らされていない事は、住民意識の問題ではなく行政の説明責任が欠落している事を痛感した。
 橋の架け替えによって地域住民の生活にも支障が出る事は間違いないが、地域住民への説明は実施されていない。問題なのは、住民が「説明があったかも知れない」と思っている事である。工事に関わる地権者への説明は当然の事だが、生活に影響する住民への説明不足は依然多い。市長の施政方針である「市民が主役、市民が主人公」の街づくりが本物なら、住民への説明や住民の声が無視される事はないはずだが…。

                           4月10日深夜の一言
 
他所から学ぶ…
 会報「津島の風」が完成しました。本日より配布を始めますが、その前に昼休みを利用して稲沢市の矢合観音と祖父江町の善光寺に行ってきました。
 以前にも会報「津島の風」に記した事がありますが、矢合観音は津島市の津島神社よりも参拝客が多く、平日にも関わらず人出が多く、地元の食堂や植木屋なども潤っていました。
 人々は歴史とか伝統だけで集まるのではなく、現時点での魅力が有るか無いかが一番重要である事を痛感しました。
 善光寺も以前は身売り話も聞こえていましたが、数年前から頑張って宣伝するだけでなく、寺本来の中身も充実してきたのか、境内には遠方からの参拝客の姿だけでなく、新しい茶店も出店されていました。
 津島市も旧市街地の天王通りの復興をめざした議論が時々なされるが、肝心の津島神社が伝統行事の継続だけで、全く新しい魅力を感じさせない事や、神社の事だけしか考えていない事から復興どころか、天王祭りなどの文化財保護や維持のためにかかる市民の負担の方が大きくなりつつある。
 情けない話だが、津島神社の神官は矢合観音や善光寺を訪ねて勉強してくる必要があると思う。たかだか市議会議員が叫んでも、いや、たとえ市長が宣言しても津島市の天王通りの復興は難しい。それよりも、由緒ある津島神社の神官の「やる気」に期待したいのは市議会議員の立場にあっては無責任だろうか。

                             4月9日の一言
セールスマンには、くたびれ損…
 最近は訪問販売に対する規制が厳しくなった事と、企業の販売方法が変わったためか、電話でのセールスは増えたものの、自宅を訪問してくる飛び込みセールスは殆ど無くなってきた。
 本日は久々に「電話関係」のセールスの訪問を受けた。暫らく相手をしていたが、忙しい当方を察して、午後5時以降に出直すとの事だったが、5時以降も来客が続いたため来客と一緒に話を聞いた。
 私自身は、セールスには弱い方だが、電話による営業や年配のセールスマンには絶対に応じないかわりに、直接飛び込みでやってくる若いセールスマンの話は絶対に聞いてやる事にしている。若いセールスだけと言うと、年配の営業マンには申し訳ないが、将来のある若い人の話は聞いてやりたいと思っている。
 話が長くなった挙句、鬼の奥方まで引っ張りだしたので家族からは、「また悪い癖が…」と思われたが、話を聞いて大変勉強になった。今回は電話回線や電話機の関係だったが、大量販売や消費社会に惑わされ随分損をしてきた事を実感した。
 我家は事務所も含めて固定電話3台(ファックスも含む)、携帯電話が5台もあり、家族一丸になって節約すれば…。という事を改めて実感した。家族それぞれがそれぞれの便利さを追いかけると限がない。量販店や安い宣伝に乗せられ、手軽に品物が手に入るが、意外に家族全体では大損をしているのかもしれない。親の面倒を見ない子供や、幼い子供を殺す親もあるが、本日はセールスマンから「家族一丸になれれば」と教えられた気がする。長く付き合わせたセールスマンには「くたびれ損」をさせてしまったが。

                            4月8日の一言 
今夜も徹夜かなァ…
 仕事に追われてと言うよりも、仕事を貯めすぎたためにダブルパンチを受けている。4月は年度がわりもあるが、テレビ局も3月末から特別番組を編成しているために捨て難く、ここ暫らくは昼も夜もなく不規則な生活を送っている。昨日の仕事(会報津島の風の編集)は深夜からスタートし、気がつけば新聞配達の音。床に入ったのは本日の午前6時半になってしまった。
 来客があり、午前10時に起きたがこの歳になるとさすがに徹夜は堪える。午後にはボランティアで同級生が10日の「まちかど座談会」のチラシ配布に来てくれた。ゆっくりと昼寝でもしたい心境だが、チラシ配布に出ていった同級生「将軍様」が帰ってくる前に会報の印刷を始めないと何を言われるか判らない。しかし、印刷のスタートは「本日も徹夜」の序章でもある。
 今回の会報は8ページである。A3の用紙に裏表印刷。目標全戸配布とすると2万部以上だが、とりあえず1万部印刷する。この1万部の印刷でも裏表で4万回転印刷機を回す必要がある。印刷後に2枚に折って組み合わせると会報の完成だが、完成後の会報を各家庭に届けると5月半ばまでかかってしまう。今回は全戸配布を目標としているが、そうすると6月いっぱいかかる計算になってくる。5月には臨時議会があり、6月には定例議会が開催される事から、全戸配布は計算上「夢の夢物語」となる可能性は大だが。こんな事を書いている間にも「将軍様」の足音が迫ってくるので…。

                         4月7日の印刷前の一言
あっ、便乗値上げだっ!…
 本日は小学校の入学式でした。自分の子供が成長し、同級生の中には孫のいるような年齢になったためか、小学校の入学式に招かれても、何故か自分とは縁のない世界に思えるのと、我々の子供の頃に比べて入学式が簡素化されたことで、厳粛な旅立ちのイメージは全く湧いてきませんでした。簡素化ついでに、来賓の招待についても一考がほしい。
 さて、四月から消費税が総額表示に変わったが、私は一度も買い物に行かないためか、その実感どころか全く忘れていましたが、昼休みに自宅に戻った時に初めて消費税の総額表示について話題になりました。
 「あっ、便乗値上げだっ」と、テレビを見ていた妻の声。コマーシャルのレンタカーの値段が9000円から9500円になったのを見て、「本当なら9450円のはず」とは妻の計算。
 たかだか50円の事かと思ったが、妻の主張は「細かくなって宣伝しづらかったら9400円でも良いはず」との事である。小売店も値段の表示には苦労しているようだが、消費税の総額表示に便乗した値上げには主婦の目が光っている事を業者は認識すべきである。

                        4月6日久々に短い一言
楽しみは夏まで…
 愛工大名電高校は準優勝に終わったが、昨年より非力と言われながらも、強打のイメージを転換しバント作戦によって、昨秋の明治神宮大会で優勝した力をそのまま発揮しての決勝戦進出は見事としか言いようがない。
 私事になるが、私の長男と次男は愛工大名電高の卒業生である。平成5年の秋、長男は高校の陸上部の監督から勧誘を受けたが、大反対だった私は「うちの子供は公立高校にやりたい」と断った。しかし、監督から「お父さんの物差しで子供の可能性を潰さないで下さい」と言われた。そして「日本一の選手に育てる覚悟できている」との言葉を半信半疑で聞いていたが、その言葉の意味を子供の入学後に感じる事となった。
 短い一言では語り尽くせないし、当時は非常識とも思えたが指導する先生から「他人とは思えない」愛情を注がれ、息子は「日本一」を目標にした。結果は全国5位に終わったが、広島国体では優勝候補として紹介され、十分親孝行を果たしてくれた。以来、面倒見の良い愛工大名電高のファンになった。奇遇にも次男も陸上部ではなかったが、相撲部から勧誘を受けお世話になった。生徒を大切にする校風を昨日の高校野球からも垣間見た。
 昨日は優勝したら、名電高OBの私の知人が盛大な宴席に招いてくれる約束だったが、楽しみは夏まで取っておく事となった。永久の約束にならない事を祈る。

                           4月5日の一言
お寺の受付に座り…
 高校野球は愛工大名電高校の決勝戦進出で盛り上がり、桜の花が満開を迎えて各地から花見の声や準備風景を見ながら、ただ一人無関心を装っていたのは、本日隣のお寺の永代経が営まれ、私は受付の係りを依頼されていた事による。
 本日は(昨日から)幸い、いえいえ、不幸にも雨模様の一日となってしまった。これで花見も終わり、高校野球も結果は不明ながら終わり、もうすぐゴールデンウィークがやって来るのである。ゴールデンウィークが終われば、梅雨がやってきて夏が来る。こんな文章を書くと人生が空しくなってしまうので話題を変えよう。
 永代経は春と秋に実施され、隣りは本日117名の参拝者があった。平成5年から受付に座っていると、参拝される人々の顔が分かってくる。本来ならゆっくりと話がしたいものだが、ほとんどの参拝者がまとまって一斉に来られるものだから、受付は大混乱で一時は地獄と化す。こんな機会でしか顔を会わせない参拝客はさかんに声をかけてくるが、話は他の2人の受付に任せ、必死に名前と蝋燭料を記帳する。
 こんな時には自分の地も出る。受付で他の2人と話す自分の母親に「じゃまだから、早よーいきゃぁー」とつい怒鳴ってしまった。幸いにして、本日の会計は簡単に集計が合い、神経を使う事無く放免となった。
 年に2回の永代経であるが、これが意外に他の行事と重複するのである。たかが受付とは言え、田舎の受付は難しい。誰もが自分の事は判っていると思って参拝されて来る。最初は年寄りの顔を覚えるのに必死だったが、最近はせっかく覚えた人々が亡くなってしまい、その子息が参拝される事が多くなってきた。
 10年前に比べれば、香典袋に入った蝋燭料が増えたため、受付もずいぶんと楽になったものの、受付の代わりが出てこない事から非常に辛く感じるようになってきた。結局暗い話題になってしまったが、明日は高校野球の結果次第か。

                            4月4日の一言
市職員の訪問を受けて…
 本日は、国の条例改正に伴う津島市の条例改正について、2課4名の市職員の訪問と説明をうけた。国の条例改正が個人市民税の負担増と、消防団員遺族補償年金の減額となる市民にとっては厳しい内容の報告であった。
 市民にとって厳しい話を聞くと、つい市民の立場としての愚痴と、議員としての質問や意見も言いたくなる。説明内容とは関係ない話にも飛び火して遅らせてしまった。
 市職員が帰った後で思った。彼らはすべての市議会議員の自宅を廻り、同じ内容を繰り返し説明して歩く。現在、選挙違反で2名の欠員となっているが、23人の自宅を廻るのにどれくらいの時間を要するのであろうか。市側からは言えないであろうが、我々議員も一人前の報酬を貰う身であり、市役所に召集して一度の説明会で済ませば無駄な時間が省けるはずである。
 説明に時間も掛かり、途中で事故でもあれば大変だし、市職員が議員の自宅を訪問する事は非常に緊張するという話も耳にした事がある。議員になった当初は、市役所の人事異動がある度に退任と新任の挨拶に職員が大挙して訪問していたが、時間も大量の名刺も無駄になる事から、現在は異動の挨拶回りはしない事になっている。
 今や議員が職員に説明に来させる時代では無く、むしろ議員が出向くのが先進地の常識である。市民にとって議員の存在感が軽くなっている中で、行政での議員の待遇は未だ前時代的なままである。議員の体質改善と意識改革も急務てある。

                            4月3日朝一番 
ウチの生徒に限って…
 学校教育の現状に対する不満と批判を聞いた。議員という立場で何が出来て、何をすべきか自分自身でも答えが出せないでいる。
 中学校の生徒の非行問題についても、警察や地域の人々から直接耳にしたり、タバコの喫煙については直接目にもした事がある。しかし、教育委員会に発言しても教育現場に届いているとは思えないし、直接学校に直言しても、「ウチの生徒に限って、そういう事はありません」などと自己弁護の繰り返し。事件が表沙汰にならなければそれまでである。
 おまけに、PTA役員までが学校の弁護をする。本来は学校と地域の連携を図るべくして設置された学校評議員も、地域代表として学校に言うべき事を言わず、学校に囲われた存在でしかない。元々、何も言わない人を人選しているのだ。こんな点数稼ぎの大人達が取り囲んでいる学校に、一人で声を大にして何になるのか。
 昨日は市民の方から「抜き打ちで学校を視察せよ」とも言われたが、キチガイと思われるのが関の山である。
 しかし、である。一部の生徒かもしれないが、現状は捨て置けないものがある。教師が把握していない事件もあるだろうが、万引き、薬物、売春と少年犯罪は間違いなく裾野を広げている。ほとんどの人が他人事として無関心を装い、教員社会の体質で学校の良い事例だけが報告されて来る。
 非行歴のある自分だけに、善良面した無関心の教員達に切り込んで行きたい反骨精神だけは保持しているものの…。

                          4月2日の自問自答
政治を見透かす主婦の声…
 本日から買い物の商品価格に消費税を合算した総額表示に切り替わった。私はほとんど買い物に出掛けないので実感は何もないが、消費税そのものの不公平な制度を改める点には賛成である。
 同じ商品を買っても、ある店では「消費税はサービスします」と言われ、他の店ではしっかりと消費税を取られる。逆に販売店でも3パーセントから5パーセントに上がった消費税を、普通の販売店ではしっかりと納付しているのに、「うちは売上がないから」と消費税が免除され納付しない販売店もある。消費税については導入された時から不公平と矛盾が同居するとともに、消費者が支払った消費税が本当に税金として回収されているかどうかも怪しい税金だった。

 しかし、今度の改正の裏に政治家の思惑があるとすれば、国民はしっかりとした視点を持って監視しなければならない。「消費税の総額表示は、消費税を値上げをするための作戦だ」とはごく普通の主婦から聞こえた一言。
 今までのように、商品価格とは別に消費税をとると消費税の値上げの反発があるが、商品価格の中に消費税を含める事で、消費税値上げが実施し易い事は確かである。
 消費者にとっては関係のない事かもしれないが、今回の消費税総額表示は全国の販売店に切り替えのため多額の経費を出費させるだけでなく、混乱させ、挙句には我々の税金が吸い上げられていくのである。

                            四月一日の一言
馬の耳に念仏…
 毎日の新聞記事に必ず悲惨な事故や事件が掲載されてくる。今回の六本木ヒルズの回転ドア事件のような新手の事故もあるが、最近は自分の子供や家族、親などまで意図的に殺す事件が連日のように報道される。
 暴力団の抗争による殺人事件では無く、ごく普通の人々による冷酷な殺人が起こり続ける処に現代社会の恐ろしさを感ずる。
 原因は色々あろう。テレビの殺人事件を題材にしたドラマ。スピード時代の分業社会の影響。警察官不足による微罪の放置。死刑制度などの厳罰化など等、考えると限がない。
 しかし、あってはならない事件には量刑を上乗せした厳罰を下す事が必要である。警察官や裁判官、弁護士や教員、政治家などあってはならない人々の事件は厳しい対応を要する。意図的に人を殺した場合は、すべて「死刑」にすべきである。微罪も意図的な事件は量刑を加算する。意図的、計画的犯罪は問答無用が大鹿流裁判である。
 微罪を徹底的に取り締まる必要を痛感しているが、警察署の留置所が満杯の現状と、警察官の人員不足は簡単に解消できない。地域の問題意識も重要となってくるが、津島市の唯一のスーパー、ヨシヅヤでは万引きの処置をすべて警察に通報して済ませている。万引きも犯罪だから警察の仕事と言えばそれまでだが、地域の青少年の健全育成を考える時には地元企業としての責任感ある対応も必要であるが、ヨシヅヤには「馬の耳に念仏」としか思えず、店内では開業後から事件が頻発している。

                            3月31日年度末
続・本日も迷惑メールについて…
 昨日の一言に携帯電話に対する迷惑メールを記した事に反応するかのように、本日は朝からパソコンのインターネットへ迷惑メールが次々と届けられてきた。
 慣れないパソコンを操作して、1件1件削除していたが、途中から画面が消えなくなり雑音が流れ出した。いったんパソコンを強制終了させて、再起動させたものの雑音は消えず、操作もままならず、ついに知人の応援をたのむ事となった。
 知人いわく「ウィルスの感染」との事だが、その後にサーバーから「ウィルス感染について」の情報が流されてきたものの、サーバーの責任も曖昧であり、ウィルスかサーバーの機器の不調かも判断ができないでいる。
 本日は、知人から読み取れないメールが私から届いたとの連絡もあったが、他人まで拡大させ、人の迷惑を考えない迷惑メールには厳罰をもって社会的制裁と責任を取らせないと、経済的損失も大きく時間も浪費させる。
 「メールが送れないんだけど」とは、本日の鬼の奥方の声。私の携帯電話にメールが届かないとの事で、少し時間的ピントは、ずれた話ですが、昨日の一言に記したように半年前の迷惑メールでアドレスが変わっています。
 問題なのは、迷惑メール対策で複雑にした自分のアドレスが解からない事です。携帯の操作も不慣れなために、当分メールは使用不可能と自分に言い聞かせました。昨日の繰り返しになりますが、家族間でも使用出来ないメールに、何故悪質な迷惑メールが送りつけられるのか。本日は昨日以上に悪質メールに頭をかかえた一日となった。

                           3月30日の悲鳴
迷惑メールについて…
 本日の話題は、勝手に携帯電話に届く、迷惑メールについて語りたい。出会い系サイトと言うのか、18歳未満厳禁としながらも、卑猥な内容の文字が携帯電話に送られてくる。最初こそ「やっと自分にも届いたか」と思ったものの、次々とメールが送り届けられると迷惑を通り越して、犯罪ではないかと訴えたい心境になってくる。
 半年ほど前になるが、それまで1件ずつ消去していた迷惑な卑猥な内容のメールが、午前中だけで30件ほど届けられてきた。さすがに1件ずつ消す事もできずに携帯電話の営業所に駆け込んだ。結局、自分のメールアドレスを変える事しか対策が無く、長く難しいアドレスに変更した。
 その後、しばらくは迷惑メールが届かなかったが、最近は1日に数件の割合で届くようになってきた。いずれ我慢の限界を超える事態は容易に予測がつく。届く事に関して、料金の問題も重大であるが、それよりも電池切れ寸前での迷惑メールは、電池切れで通信不通となる場合もあり、非常に迷惑なものである。
 通信の自由かどうかは知らないが、迷惑メールは受信拒否が自由に選択できる機能は勿論だが、犯罪防止のためにも発信元を厳しく処罰する事も、今や検討から実施すべき時期にきているのではないだろうか。

                           3月29日の一言
プロ以上の落語家?…
 本日は西愛宕にある「喫茶茜屋」にて、第7回あかね寄席が開かれ友人を誘って鑑賞しました。
 私が日頃一緒に津島市内を廻っている、落語家の「浪漫亭砂九」さんの仲間の落語家4名出演による落語会である。出演は、浪漫亭砂九、切磋亭琢磨、南遊亭栄歌、竜宮亭無眠で、それぞれが本業を持つセミプロとは言え、その芸暦は永く、私はプロをも凌ぐと思っている。
 ちなみに、浪漫亭砂九さんは名古屋の魚屋の跡取息子である。落語家をめざして大阪の落語大学・関西大学に進みプロを目標にしたものの、親の家業を継ぐために名古屋に戻った経歴を持つ。彼の1日は落語に始まり、落語で終わる生活。勿論、仕事は休まずに勤めながらも、出勤や帰宅の車中での一人語り、事務処理中には落語のテープを聞くなど生活がすべて落語と結びついている。しかも、休日となる水曜日と土、日曜日は何処かの落語会に出演しているのだ。
 趣味が落語とは言え、落語三昧の生活を許してくれる家族の事を考えると頭が上がらないであろう。プロになっていたら、今ごろは真打か。しかし、自分の親の家業を継ぐために名古屋に戻った砂九さんには、子を持つ立場にある親として尊敬してやまない。
 「子供の好きな事をさせてやりたい」という親心は理解もできるが、それでは日本中の家庭は崩壊して、家は絶えてしまう。親の家業を引き継ぎ、貴重な休日を全て落語に当てている「浪漫亭砂九」という落語家は、プロ以上の咄家でもある。

                           3月28日の一言
人にやさしい街づくりとは…
 本日は、名古屋市の市政資料館で開かれた「2004年度愛知県人にやさしい街づくり連続講座」の企画検討委員会に参加しました。
 昨年は受講生として参加していましたが、本年はお誘いをいただき、講座の準備段階から関わっています。現実には、自分自身がはっきりとしたテーマを描けないものの、自身の政治目標である「人にやさしい街づくり」にとって、少しでも役に立ちたいと思って参加しています。
 人にやさしいと言っても抽象的でありますが、私は「誰にでもやさしい街づくり」と思っています。これは、高齢者や障害者だけでなく、すべての人が苦痛を感じない街づくりを目指すものです。すべての人ですから、誰一人として苦痛を感じない事です。
 まだまだ社会の中では人にやさしく無い現実が多くあります。ハンセン病を患った人々とか、人権侵害を受けている人々だけでなく、もっと身近な処にも考えるべき問題が山積しています。
 糖尿病で入院している人々が「食事がまずい」と主張しても、病院側は「病気だから仕様がない」と答えます。結局、食が進まず栄養確保のため胃に穴をあけチューブから流し込んでいる人があります。「健康な人間が食べられない食事が、病人に食べられる訳が無い」との家族の主張も聞かず、本来は食事の工夫をすべき事も忘れ、「病人だから…」と対応されている事も、「人にやさしく無い」一例と思います。
 愚痴っぽくなりますので、本日はこのあたりで…。

                            3月27日の一言
三重県産の那須高原特選豚…
 昨日の夕方から、長男の引越しのため妻と東京へ向かった。息子は卒業式を終えて中央自動車道から戻ったが、私は東名高速から厚木インターを経由して八王子市へ向った。
 途中の出来事だが、焼津あたりで工事渋滞から8キロの渋滞にあい、通過に約1時間を要した。この間、隣りの車線を走るトラックには豚が乗せられていた。よく見ると2階建てで積み込まれていた。
 ほとんど動かない車中から豚を眺めて、豚の運命について妻と話していた。「この豚たちは間もなく殺される運命を知っているのだろうか」、「運命を悟り、トラックに乗せられる時に泣いて乗らないらしい」、「こっちを見ているが、逃がしてやりたいなぁ」等とたわいの無い会話が暫し続いた。しかし、暫くして、もっとびっくりする事を発見する事となった。
 三重県ナンバーのトラックの車体に書かれていた宣伝の文字である。
 トラックには、「那須高原、特選豚・ロイヤルポーク」と書かれてあった。三重県で生れ育ったと思われる豚たちは、栃木県の那須高原に運ばれて、特選のロイヤルポークとして食される運命にあるのだ。
 人間の馬鹿な商魂を知ることもなく、運ばれて行く豚が哀れにも映った。トラックには「緑の牧場から食卓まで・神明牧場」とも記されていた。1日経った現在も、トラックの隙間から覗いていた豚の目を忘れられないでいる。

                            3月26日の深夜
心配が尽きない…
 本日は、平成16年第1回津島市議会定例会・3月議会の最終日となった。16年度の予算を審議する重要な議会であるが、私にはそれ以上に、3月の年度末としての忙しさと慌しい予定表を消化する事の心配と綱渡りの怖さを噛み締めている。
 また本日は、長男の大学卒業式でもある。息子は東京の中央大学に7年前期待されて入学した。と言っても、学業では無く陸上部の高跳び選手としてであった。高校時代のインターハイや国体、ジュニアオリンピック等での活躍からの特待生であった。地元志向の私は大反対であったが、声が掛かるのは東京の大学ばかりであった。そんな私が中央大学を認めたのは監督から「オリンピックを狙える素材として育てたい」という一言だった。
 しかし、入学直後に絶好調だった息子は試合で足を負傷した。スポーツ選手としてはプロ並みの医療機関で手術して治癒したが、息子の気持ちは失せてしまっていた。何度も再起を呼びかけたが「もうトップには立てない」と引退宣言。
 愚息ゆえに学業に切り替えての大学生活は一年間の休学も含めて7年間。私の高校5年生も及ばない記録であるが、私の心配はまだまだ尽きない。この歳になるまでアルバイトを一切禁止してきた事と、東京で内定していた就職も無理やり止めさせて家に戻す事である。仕事よりも家庭第一。大鹿家の存続のため、自分勝手な選択を迫った父親の責任は重大だが、自分の道を見つけられない息子には、まだまだ心配が尽きない。

                        3月25日になったばかり
市職員が花札賭博だって…
 津島市職員の不祥事が新聞で報じられた。清掃事務所の職員が、勤務中に事務所の2階で花札賭博を開いていたとの事である。
 花札という前時代的な道具に、津島市のイメージを重ねると余計に悲しくなってくる。問題は、以前からその事実を上司も知っていて、放置されていた可能性もある点であるが、清掃という仕事の仕組み上、起きるべくして起きたとも考えられる。
 今から15年以上前の事になるが、清掃事務所を担当した職員と激論を交わした事があった。当時の津島市は全国に先駆けてゴミの分別を実践し、「ゴミの先進地」と呼ばれており、担当者も自信を持って話していた。
 しかし、現場で働く職員の意識は低く、「適当に怠けてサボってばかりいる」との、当方の話にその職員は声高に怒った。「じゃー、昼過ぎに勤労福祉会館の周りに行ってみろ。毎日、津島市の清掃車が2、3台は昼寝しているから」と説明してその日は別れた。
 しばらくした後日、「あんたの話は本当だった、申し訳ない。見に行ったら4台サボっていた」との話であったが、その対策は収集が早く終わったらそのまま事務所に帰れとの対応であったが、毎日のゴミの量が一定てはないため、どうしても時間を持て余す実態は当時から変わっていない。
 賭博は問題外として、津島市には時間を持て余す部署が他にも存在する。以前の議会で質問したが、学校給食調理場についても学校の夏休みや冬、春の休み期間の仕事は曖昧である。再度の調査と質問を要する問題である。

                             3月24日の一言
やるだけやったけどネ…
 パソコンの不調が昨夜から続いて手の施しようがなかった。メニューバーが全て表示されなくなったために不都合な操作が夕方まで続いた。従がって、極度の睡眠不足。予定していた仕事にも支障がでたのは勿論だが、近所のコーヒー屋で待ち合わせた知人も待たせ、たまたま事務所に寄られたKさんに聞くものだから、Kさんの貴重な1日も奪ってしまった。
 パソコンに詳しい知人多数には大変な迷惑をかけてしまった。専門家に聞いても原因は解からず、「やるだけやったけどネ…」と、自宅に帰られたKさんからの電話で、「F11を押してみて」との一言によって昨夜からの苦労が嘘のように直ってしまった。Kさんには感謝の一言では済まないご苦労をかけてしまった。
 これも個人のホームページだから、こんな横着が許されるが、役所とか金融機関のコンピューターだったら市民の皆さんの迷惑だけでなく、損害賠償とか新聞沙汰になるような重大事件だったかも知れない。「コンピューターくらい自前でやれないか」と市役所で発言した事があるが、軽率だったかなと少し反省した。
 仕事の遅れを取り戻す体力が無くなっている中で、これから会報「津島の風」の原稿を書き始める。会報は、昔ながらのワープロ打ちである。現在1ページしか済んでおらないので、悪友の誘惑を絶って計画的な行動が求められる。しかし、「何故ワープロ」とは聞かないで下さい。

                        3月23日疲れ果てた1日
酔っ払いの一言…
 12月の師走は忙しいイメージがあるが、本当に忙しいのは年度末の3月ではないだろうか。とにかく1日が慌しいが、こんな時に仲間で酒を飲んで、言いたい事を言って世情を忘れるのも良いものだ。昨日は久々のお誘いがあり、寿司屋でたらふく飲んでから、酔った勢いで岩倉市で開業している仲間の店にまで遠征した。
 ここの店主とはもう25年の付き合いである。始めは毎晩のように出向いて、変わった酒のつまみに箸を付けていたが、店主はある日突然姿を消した。
 数年経った夜、道路の横を見ると見慣れた背中。鶴田浩二のドラマのようなかっこ良い再会ではなかったが、「黙って消えた手前、来てくれとは言えんかった」と新しい店で頑張って再出発していた。そんな縁で仲間から「岩倉までもー」と言われながらも走っていく。
 岩倉の酔っ払いと意気投合して酒の飲み方談議。とどまるところを知らないが、頭にチラッと鬼の奥方の顔が…。津島への帰宅は午後と午前の微妙な時間。普段は明るい事務所もこの時は真っ黒で施錠までしてあった。(ちなみに運転手は1滴も飲めない人ですので念のため) 午後に帰った事にして、本日の一言を書き入れた。昨日? の一言は酔っ払いの一言でした。すいません。本日は夜まできっちりと議員活動に励みます。

                           3月22日の一言
津島市でライブを聴いて…
 津島市西愛宕町にある珈琲店「茜屋」で、カントリーミュージックライブが開催された。空席があり、料金も1000円でコーヒー付きと格安のため暇つぶし(実際には忙しい中)の鑑賞だったが、メンバー7人の熱の入った演奏に若き青春時代が甦ってきた。
 最近結成されたとは思えないチームワークのよさで、リーダーのチャーリーさんはじめメンバーそれぞれの個性が発散された演奏会であった。なによりも嬉しいのが、津島市を本拠地とするバンドである事である。又、最後の最後までメンバーのサービス精神が発揮され、アンコールで演奏が続けられた事も体に充分伝わってきた。
 昨日の落語会に続き、生のライブが手の届く場所で聞かれた事に感謝したい。若き青春時代が甦ったと記したが、メンバーの平均年齢は50代との事である。自分もまだ若いと思う反面、メンバーの10年後に想いを馳せた。
 津島市も捨てたもんじゃない。チャーリーさんが「今日の60人を基に津島市長をめざす」と語った言葉を、私は真剣に受け止めた。本人は冗談のつもりだろうが、こんな盛り上がった会場の雰囲気が津島全体に浸透すれば最高である。一攫千金を狙わず、コツコツと積み上げてきた技術と、本当の仲間の存在が羨ましくも思えた。

                            3月21日の深夜 
原点を忘れない…
 本日は春分の日であるが、せっかくの祝日が土曜日のために、損をした気分の方も多いのではないだろうか。
 学校も職場も週五日制が浸透してきた中で、忘れ去られていく言葉も多い。本日は彼岸の中日との事であるが、「お彼岸」という言葉も昔からよく耳にしていたものの、お彼岸と春分の日が一緒と言う事は、恥ずかしい話かもしれないが最近まで知らなかった。
 17日が彼岸の入りで、23日が彼岸明けとの事である。(詳しい事は、リンク集の中にある私の叔父のホームページを参照して下さい)
 さて、本日は葉苅町の長福寺の本堂をお借りして「浪漫亭砂九」の出前寄席で古典落語を聞いた。小雨が降りかけ、人出を心配したが20人をこえる来客がありホッとした。案内チラシは配布したものの、私の座談会は人寄せを一切していないため、参加者の予測がまったく出来ない事から開演前には一抹の心配となる。。
 終了後は砂九さんと今後の予定や、落語家として目指すものなど、私の私見も交えて談笑した中で、「原点は忘れてならない」事を確認しあった。「たとえ三人や五人でも、希望があれば何処なりと出向く」が、二人の共通の出発点でもある。

                          3月20日彼岸の中日
そういえば、今日は…
 忙しい時に限って来客があったり、約束が連なり、時間の経過を忘れてハッとさせられる事が多い。
 議会開催中ながら、委員会審議が昨日終了して一息つけるかと思いきや、3日分を1日で消化するような慌しい1日となった。市役所からの帰宅後には来客が続き、午前中にあった小学校の卒業式が昨日の事と錯覚してしまいそうだ。
 休憩中に携帯電話が入り、あわてて市役所に走る。遠方からの久々の来訪に時間を忘れて話す。別れ際、市役所窓口に大先輩の姿を見かけて話し込む事1時間。約束のあった事例は遅れる事の断りは入れてあるものの、2時間遅れとなる。市民の生活に関わる事だけに時間を忘れて頭を抱える。「そういえば、今日は…」と午後3時以降の約束を思い出した時、時計は4時半を指していた。
 慌てて連絡して帰宅し、待ち人を待つ。「おい、何やっとるのー」、こんな時に時間を考えない暇人が登場する。無視する事もできず応対していると、待ち人現る。待ち人は夢のある話だった事が救いである。(個人的には責任重大であるが)
 こんな中に、明日の出前落語の打ち合わせ等が消化できたのも、携帯電話やファックスなど文明の利器のおかげである。待ち人を見送った夜空を見上げると、頭上には杏の花が咲き誇っている。1年ぶりの開花とは思えないほど時間の経過が早い。

                           3月19日の心境
市役所内の銀行窓口…
 本日開催された、市議会総務委員会の中で、市役所内に開設されている銀行窓口について質疑と議論が交わされた。
 前年度予算では26万円だった会計管理費中の役務費が、16年度予算案では116万円になっている事についての質問に、市役所内にある銀行窓口業務への補助金との説明があった。市役所の1階にある銀行窓口には、2名の銀行員が常駐しているが、銀行側からは一人あたり260万円の補助金を要求している事も説明された。
 議員から「他所の銀行と交渉した事があるのか」とか「他の市役所の状況は把握しているのか」などの質疑が交わされたが、今まで当り前と思われていた市役所の銀行窓口すら無料では存続できない現状に、改めて厳しい現実を垣間見た。
 ちなみに、現在、市役所内の銀行窓口を利用する人は1日約60人との事。利用者にとっては便利に違いないが、今後は利用者の内訳まで調査していく必要と同時に、経費負担の少ない存続を考えていく必要も感じる。
 津島市から多くの銀行が撤退している現状を考えると、前途は厳しいが、コンビニ等でも公共料金が振り込める時代だけに、複数の銀行の自動支払機設置など時流を見据えた対応も可能では無いだろうか。

                            3月18日木曜日
変な悪徳業者と間違われるから…
 最近は訪問販売や子供の学習、りホーム等の電話が引っ切り無しにかかってくる。真面目に応対すると何度もしつこいアプローチを受ける羽目に合う。議員という身分を知ってかかってくる電話だけに適当な受け答えも出来ないし、迷惑とも言えない為、無駄な時間だけが刻々と過ぎていく。この手の電話には、電話を受ける消費者だけでなく、親の代から技術を受け継いだ本物の職人さん達も泣かされている。
 「最近まったく仕事が無い」と嘆く職人さんに、「暇ならビラでも配ってきたら」と言うと、「変な悪徳業者と間違われるから」という言葉が返ってきた。確かに突然知らない人物が宣伝に来ても、まともには応対してくれないであろう。変な詐欺まがいの業者が多く、被害にあった人々も多く存在している。
 しかし、宣伝もしなければ仕事は舞い込んでは来ない。宣伝しようにも前記の如くである。消費者の迷惑を考えない悪徳業者の存在が、真面目な職人や業者まで苦しめている現実を聞いて帰った直後に、教育関係の業界紙から勧誘の電話がかかってきた。
 その気にはなるが、引っかかる物がある。「半年契約」という言葉である。何故、契約が必要になるのだろうか。その気になった人物に「契約」の言葉は理解し難い。
 多分に、その人の営業成績、セールス料の関係とは思うが、ちょっと買ってみようかと思う真面目な消費者の気は引かないであろう「契約」という言葉である。

                            3月17日の一言
お粗末な交通安全…
 本日開催された経済委員会では、複数の委員から各種団体に歳出される補助金に対する質疑が多く出された。財政状況の厳しい中、団体への補助金や負担金の中には、使徒のはっきりしない物も現存する。
 数日前の事だが、地元小学校区の交通安全協会の慰労会が開かれた。例年行事のようだが、座敷を借り切っての行事で、飲酒運転を避けるため用意されたマイクロバスには小学校の先生を含めて五人のみの乗車。校区長から「飲める人はお酒を…」の挨拶に、ある町内代表から、「車の人もあるし、何か事故があって詮索されるのも嫌だから、お酒は止めませんか」の提案。「皆さん、よろしいですか。例年は…」と校区長。結局酒は無かったものの、まったく交通安全の意識も感じられないやりとりである。
 津島市は交通安全対策推進事業補助金を603万9千円、交通安全協会津島支部に年間266万8千円の補助金を予算化しているが、善意のボランティアであるべき団体の中身を詮索するのは本位では無いが、この日の料理は「3千円はしただろうなぁ」との話から「そのお金を子供達の安全対策に使えば良かったのに」との会話となった。
 私は経済委員会の委員ではありませんが、員外発言を求めてこの顛末を話し、補助金の使徒を報告するように求めました。慣例とはいえ、見直すものは見直していかないと、こんなお粗末な交通安全が展開されている。
 
                         3月16日の一言二言。
うさん臭い話…
 行政に対するお役所仕事の批判や、政治関連のうさん臭い話を街角で耳にする事がある。しかし、行政も政治家も市民の税金が柱になっている事から、その話が現実であったならば、重大な問題にもなりうる。
 12日の議会で、私の一般質問をテレビて視聴した方から電話をいただいた。どう見ても役所の答弁は正直さに欠け、問題をごまかしている事は明らかなのに、どうしてあんな結末になるのだ、とのご指摘であった。私の議会経験の不足もあるが、私自身不完全燃焼とストレスを残す質問と答弁だったが、私は、そのありのままを市民の方が視聴していて激励をいただいた事で非常に救われました。
 また、行政から、議会答弁の後、「申し訳ない」と言われると、行政の表現の限界も理解はできるものの、納得する私にも市民感情として疑念が残る事であろう。
 100パーセント間違いの無い事と思われる事でも、立場は違っても全ての議員が、100パーセントの活動と調査、議論した結果の議決や結論なら、どんな結末になろうと納得ができる。25人の議席は2人が選挙違反で辞任。私の一般質問の議場には、18人の議員しかいなかった事も、行政のお役所仕事を批判する前に問題とされるべきである。黙ったまま早退していても欠席とされない議会の現状から、市民の期待とは相反するお粗末な現状と、議員としての情けなさも痛感している。

                           3月15日の一言
一杯のコーヒー…
 個人経営のコーヒー屋が無くなり、大手チェーン店のコーヒー屋が盛況のようである。我家の周辺でも2軒のチェーン店が進出し、4軒のコーヒー店が閉店した。チェーン店の進出が閉店の原因ではないが、かつてコーヒー通であった営業マンが利用しなくなったり、店主の高齢化、後継者難など理由は色々あろうが、とにかく個人経営のコーヒー屋の灯が消えつつある。
 どうでも良い事のように思われるが、この事はかつての旧市内の天王通りや津島駅前の衰退と共通する事でもあり、私は気になっている。人を雇用すれば人件費がかかり、家族経営で休まず営業する事は大変な事である。「病気になったらお終いだわ」が実感として聞こえてくる。
 コーヒー屋に限らず、大手のレストランや外食チェーンが軒を連ねて進出しているが、そのほとんどの売上が津島市外の本部の所在地で税務処理される事から、津島市に降りてくる税金の還流も減少する事になる。
 1日のコーヒー1杯分が地球を救う。外国への寄付金を募るコピーである。政府は発展途上国に桁違いの無償援助をしているが、せめて国民は一杯のコーヒーにも気をつかい、街角の貴重な憩いの場所を消さないように努めたいものだ。

                           3月14日のお節介
孫に「どちら様でしたか」…
 長男が妻の実家に立ち寄ったところ、祖父母から「どちら様でしたか」と言われたと、帰宅後の笑い話である。
 1年ほど前に次男も同じ事があり、家族で、「存在感がない」とか「嫌われ者」などと、からかっていたが。妻には姉妹が多く、孫の数も多く、ひ孫までいる。義父は大正3年生れで90近い年齢で、しかも耳が遠くなっている。今まで親に連れられて来ていた孫たちが、親より大きくなって一人で車を運転してやって来るのである。ちなみに、長男は陸上の高跳び選手で、次男は相撲選手。共に高校にスカウトされてインターハイや国体、全国大会に出場したような長身、大柄の体型である。成長期に殆ど顔を出さなかった孫が、突然やって来ても判る筈が無いのである。しかし、長男はショックだったようである。原因は服装と思われるが、次男は「オレだけじゃなかった」と笑い顔。中学生の三男だけは大丈夫なので、自分だけの祖父母のように得意顔。
 しかし、説明して判るからまだしも、長男は小遣い銭を貰って帰ってきた。新聞やテレビで時々報道される「オレオレ詐欺」も、まったく他人事のように思っていたが、耳が遠く、話し声すら聞き辛い高齢者になれば、詐欺師の格好の餌食にされるのも無理は無いなと実感した。
                            3月13日の一言
ストレスか溜まる…
 本日の議会で一般質問に立った。市民病院に対して、C型肝炎ウィルスに感染した疑いのある、血液製剤フィブリノゲンの使用の有無を確認したが、厚生労働省の発表を待ってから考えるとの答弁。フィブリノゲンについては、止血などに使用されており、厚生労働省が4月に使用した全国約7000の医療機関のうち、500の医療機関を公表するとしているが、名前が出なければそのままの対応には腹が立った。メーカーに問い合わせもしないし、古い事はカルテを破棄しているのでわからないとの事。まったく患者の存在が忘れられている。
 給食センターの建設予定地が、議会に発表する前から不動産会社に漏れていた事についても、漏れていた事実は知りながらも、行政は知らないの繰り返し。しつこい質問の繰り返しに、議会はストップ。議会運営委員会が開かれたものの、答弁そのままで質問は終了との結論。建設予定地の地主の証言からも、公表前に予定地の情報漏れがあり、市外の不動産屋が土地の先行取得に動いていた事は確実であるが、その原因すら調査しないまま終わってしまった事と、胡散臭い行政の対応にストレスは溜まりに溜まった。
 今回は、事実は事実として警鐘になれば良しと思っていたのだが。しかし、実際に土地が売買されていれば、法の判断が必要となる事例である。「証拠をたてに引き下がらなければ良かったのに」とも言われたが。とにかく地方の政治もストレスが溜まる。
                         16年3月12日の一言
無言………
 本日は津島市議会の代表質問と一般質問があった。14名の質問議員のうち、6名が2日目の明日の質問になった。13番目の私は、明日の5番目となり、昼前後の質問になりそうである。今回は津島市の医療について、市民病院、脳ドック・人間ドック、C型肝炎フィブリノゲン、保健予防など4点。教育については、少人数学級、小学生の安全対策、学校給食調理場の3点について質問します。
 市民の皆さんに比較してほしい事は、質問に対してどれだけ研究し資料を揃えたかと云う事である。質問であるから何を聞いても良いのである。聞くだけなら何でも質問が続けられます。しかし、質問に対する答弁が予測でき、自分の理想とする主張が訴えられるかどうかが、重要と思っています。
 今回は、資料がありすぎて整理が付かずに困っています。限られた時間ですので、効率よく質問するために、整理は重要です。しかし、今回は昨日まで津島市民の方々の諸問題に自ら出向いており、整理する事なく質問に入ります。雑な質問にならないように、今から整理に入りたいと思います。
 従がって、本日の一言は「無言」とし、今から雑音をシャットアウトします。
                              3月11日
行政のたらい回し…
 鳥インフルエンザについて、市民の方より電話をいただいた。「津島市の対応はどうなっているんだ」と、鶏を飼育している方からの問い合わせである。
 数日前に、津島保健所に問い合わせたところ、「うちは関係ない」と言われ、県の海部事務所に問い合わせ、担当する春日井市の尾張家畜保健衛生所を紹介され、連絡をして説明を聞いたが、実質的な予防に対する具体策は示されなかったとの事である。現実には、マニュアルはあるものの、市民に伝わってはこない。津島市も、現実に鳥インフルエンザに感染した場合には、県や国の指導のもとでの対応にならざるを得ない。
 早速、津島市の担当職員と現地に出向いたが、鶏を全く外部と遮断する事は現実的には不可能である。今回の山口県や京都の感染も、具体的には原因が確認されていない。しかし、京都では鶏からカラスへの感染が確認されており、今後の拡大については予想もつかない事態が起こる可能性も考えられる。
 大変な時代になったものだが、肝心な事は、行政も市民も一緒になって問題に立ち向かう事である。行政がいくら立派な対策やマニュアルを持っていても、市民からの通報や協力がなければ役に立たないどころか、取り返しのつかない事態を招く事を、京都の事件が示している。
 この問題について、津島市は窓口のたらい回しをしないと約束しているが、せっかくの市民の問い合わせや通報を、行政の怠慢なお役所仕事によって無にしてはならない。
                            3月10日の一言
                           
往生際の悪いサトカン…
 鳥インフルエンザへの対応が遅れ、全国から批判に晒されていた京都の養鶏業者が夫婦で首吊り自殺をはかった。一代で30億円という売上を誇り、業界の主要ポストにありながら、人間の持つ僅かな欲のために、命を捨てる悲惨な結末を選んだ。
 しかし、元々はこの養鶏業者も被害者であった。対応の遅れが取り返しのつかない予想外の被害に拡大した。責任は免れないものの、奥さんまで道連れにしての死への旅立ちに対して冥福を祈るとともに、事態の早期解決を願う。
 その一方で、民主党の「佐藤観樹」の汚さと醜さには、ウィルスに感染した京都の鶏と卵をぶつけてやりたい心境である。
 引き合いに出される「辻元清美」さんが可哀想に思える往生際の悪さである。夫婦で身柄を逮捕されるに至っても、謝罪どころか、説明すら行わず、挙句は罪を認めた元秘書を、支援者を使って呼び出して口裏合わせを強要したとの報道には、救われる素材は何一つ無い。
 地域や人々のために働いて当り前の政治。しかも、国を背負うべき国会議員が、国民の税金を着服していた事は、言い逃れの出来ない犯罪行為である。
 罪を認めぬまま、夫婦で逮捕され護送される姿からは、死を選んだ京都の養鶏業者夫婦が哀れに思えてならなかった。
                             3月9日の夕方

事務所は完全禁煙に…
 本日から3月定例議会が開催された。議員の昼食は議会事務局で注文を取りまとめ、1階の食堂から5階の議員控え室まで運んでくれるのだが、私は四年前から1階の食堂へ直接出向く事に決めている。議会中は議員を優先して食事を運ぶため、毎日の常連の市職員が後回しにされる事があるためだ。以前この話をしたM議員だけは、その後食堂に顔を見せていたが、昨年春に引退され現在は一人だけの昼食となった。もっとも同席してくれる職員もあり、議会開催中の自分勝手なこだわりだが。
 本日はその食堂に迷惑な珍客が同席となった。誰でも利用できる食堂であるから文句は言えないが、食事中の私に、こんもりとしたタバコの煙が襲ってきた。市役所は禁煙ではないが、タバコ愛好家は分煙所で肩身を狭くして喫煙している現状の中で、これに対しても批判がある昨今の事である。
 それよりも、食事中の初対面の相手に構うことなく相席し、しかもタバコの煙を撒き散らすという非常識さに不快の念を持った。待ち合わせた職員も、この不快の主が私の知り合いと思ったのか珍客が立ち去るまで遠慮しての会話となった。
 私の事務所でも、私が嫌煙家と知りながら、わざとタバコを吹かす人物もある。しかし、周りの人々の迷惑も考えない愛煙家の登場に、「事務所は完全禁煙に…」と決意はしたものの、その前途はかなり暗い。
                          3月8日深夜の一言
 
活躍するOB…
 昨年8月に発行された「神守中同窓会報」に掲載をお願いしている広告の未収になっていた一軒が本日終了した。卒業式を9日に控えての駆け込みで、広告主には当方の怠慢で申し訳ないと思っている。
 数日前、この同窓会報に「活躍するOB」として紹介した、宝塚歌劇団で活躍している「和田美鈴」さんのお母さんより電話をいただいていた。淋しい現実だが、昨年夏掲載した際に、学校に出身町名を尋ねたが判らなかった。電話をいただいて、びっくりしたのは我が家から200メートルしか離れていない漫画喫茶「デェズニー」の娘さんであった。会報に紹介しておきながら、こんな近所の事にびっくりすると同時に、議員として足元の情報不足を恥ずかしく思った次第である。
 さて、一緒に訪問を誘った役員との珍問答。「漫画喫茶はコーヒーが600円する」とか「うるさいから一言も言葉を発してはならない」、「一時間しか座れない」など等。まったく自分勝手に行きたく無い理由を想像していたものだ。実際に訪問してみると、まったく普通の喫茶店と変わらない。むしろモーニングサービスやランチサービスは豊富。会話もOKとの事で、お母さんと宝塚の話で盛り上がった。新しい後援会を募り、本年8月の公演へ出向くため、後日連絡をもらう約束をして帰った。
 しかし、一年の経過は早い。卒業式が終われば入学式。8月の同窓会総会が終わるとすぐに正月がやってくる。こんなに駆け足で大丈夫だろうか。

                              3月7日深夜
「かわいそうだなぁ」…
 家族では久しぶりに蟹江町まで昼食のため外出した。家族と言っても全員ではないが、私としては珍しい事でもある。
 店の主と客の会話が聞こえてきた。「サトカンはもう駄目だなぁ」、「かわいそうだなぁ」との内容であった。秘書給与の不正取得で辞任した、民主党の国会議員「佐藤観樹」についての会話であった。
 やはり、地元の有難さか。法を犯して、しかも、国民の税金を搾取して辞任した議員にも地元では「かわいそう」との同情の声が聞こえてきた。
 しかし、考えて見ると「佐藤観樹」は、地元の蟹江町や選挙区を捨てて、一宮市へ国代えした時点で、我々国民のためでは無く、政治屋として生活していたのではないか。今回の事件は、「誰でもやっていた事」と言われるが、明らかに税金を搾取した詐欺事件であり、同情の余地は無い。
 本人は議員を辞職して責任を取ったつもりかもしれないが、ふるさとを捨てて、新しい選挙区で一票を投じた有権者や、国民に対して堂々と謝罪と説明をすべきである。
 国政は二大政党の様相を見せているが、党への説明だけで辞任した今回の事件からは、明らかに国民の存在が忘れられており、民主党の対応にも重大な責任がある。
 問題は、この事件が、民主党の前尾西市議会議長(辞職)が、業者と結託して市職員に圧力をかけ賄賂を受け取った事件の捜査から発覚している事である。組織ぐるみの事件としてだけでは無く、地域で起こった事件として我々地方議員も襟を正していかなければならない。

                  3月6日、長島さんと選択を迷った一言
キャベツのおかげで…
 定期的に通っている彦坂外科で、血圧の測定値が「140-80」を示した。「おっ、良いねえ」、「こんな数字は初めてじゃないかな」、「いやー、ちょっと前に138があるよ」、「最近キャベツを食べているからかなぁ」との明るい会話で帰った。
 私が心配な病気は、ガンとか脳卒中とかがあるが、基本検診やガン検診の中で、唯一引っかかるのが高血圧である。原因は不明。愛知医科大学の公開講座を受けたりしているので、一度しっかりとした検査を受けたいとは思っているが、元々医者嫌い、注射嫌いなため、安心して対座できる彦坂先生をかかりつけ医にしている。
 キャベツを食べる事は、テレビによる感化。食事前にキャベツを一杯食べると満腹感によって食事の量が減り、簡単に痩せられるとの事だった。約二ヶ月ほどになるが、外食も多く減量の効果は出ていないが。とにかく運動不足と減量する事が課題でもある。
 帰宅後に、「キャベツのおかげで…」と言うと、「電気のせいじゃないか」との家族の一言。たしかに三ヶ月前から高圧電位治療器に毎日座っている。100円のキャベツと40万円の電気を比べては家族に申し訳ないが、原因は不明である。とにかく正常な血圧が維持される事を望みたい。
                            3月5日の独り言
死んだ鶏なんか嫌だ…
 鳥インフルエンザは治まらず、京都から愛知県の業者まで飛び火してきた。京都の養鶏業者の「腸炎と思って…」との言い訳は信じられないが、ウィルスに感染した事実 (疑い) を隠したまま大量に駆け込み出荷した罪は重い。テレビのインタビューから、人間の性、業と言うか、懐かしさを感じたのは自分だけか。
 実は、我が家でもかつては鶏を飼っており、卵を出荷していた。昭和30年代の事だが、現代では信じられない事に、我が家では死んだばかりの鶏を父がさばいて食していたのである。「死んだ鶏なんか嫌だ」と言う子供の声に、一度だけ生きた鶏が犠牲になった事があった。生きた鶏をさばいた事の無い父によって殺された鶏は、木にぶら下げられ、首を切られ失血死したが、残酷な光景はいまだに忘れられない。その後、しばらくして鶏はいなくなったが、その時の様子がつい最近の事のように脳裏に浮かんでくる。ちなみに私は鶏肉が大嫌いであるが、こんな体験が影響しているのかもしれません。
 「弱った鶏から出荷するのは業界の常識」との業者の声に、評論家はびっくりして怒っていたが、現実は我が家の30年代当時と変わっていなかっただけの事である。しかし、昭和30年代には現代のような流通も無く、被害が全国には拡大しなかった。現代社会において食の安全が叫ばれる中で、今回の養鶏業者の対応や会見は厳しく罰せられなければならないが、私には何故か懐かしい光景にも思えるのである。
                             3月4日の一言

「親戚の者ですが…」
 今日は夕方まで外出の一日であったが、午後には市役所の財政担当職員を講師にした勉強会があり、厳しい中での予算執行に対しての苦労は理解できるものの、津島市の将来に対する危機感がどの程度認識されているのかが問題と思われた。
 市町村合併の行き詰まりを心配する方々の意見もよく耳にしますが、厳しい中でも自主改善こそが重要で、「市になったら…」と色々夢を見ている、津島市より財政力指数の低い、西部2町2村(佐屋・佐織・立田・八開)を忘れて津島市自身の行政改革と財政再建を議論したい。
 留守中に限って来訪者が多い。卓上に置かれた「ヨシヅヤ」の名刺に、営業の訪問かと思いきや「代表取締役社長」の肩書き。先代の逝去による若い新社長の登場も、一番厳しい社会情勢の中での船出である。個人的には、嫌いな会社だったが、わざわざ貧乏な我が家まで足を延ばされた新社長には、津島市のためにも頑張っていただき、共に繁栄するための議論が出来れば幸いである。
 先々代かどうかは定かではないが、昭和30年頃の義津屋社長は堅実な方だったと、亡くなった父より聞かされた。仕入れの為に利用する「名鉄電車」の運賃を浮かすために、津島駅の若い職員に頭を下げて、職員の「家族乗車券」を貰っては利用されていたが、話し易い気さくな人物だったという。
 しかし、やっぱり縁のある人の来訪は懐かしい。「親戚の者ですが…」に、居合わせた母親は、嫁の縁者と思い込み呼んだものの分からない。「安松の…」と言われ「なーんだ」の会話。以前私も同じように訪問した事がある。七宝町で新しく自動車会社を興すとの事。一週間前のトヨタのお粗末な一件を話してから、皆さんにも宣伝させていただきたい。

                               3月3日の夕方の長い一言
病院のお見舞い談議…
 病院のお見舞いについて話が盛り上がった。入院患者のお見舞いには、それぞれの地域のしきたり (慣例) があるだろうが、最近はお見舞いに金銭を持っていく例が多いようである。
 私はこの金銭のお見舞いに抵抗感があるが、「お父さん(私の父親)の時貰ってあるから…」と言われれば、致し方ないとなる。見舞いを受けた側になって、もし自分だったらと思うと、できれば金銭のお見舞いは止めてほしいと思うが。
 しかし、見舞う側にしても、患者の様態が分からないために、金銭のお見舞いの方が無難との意見も理解できる。食事制限のある人に果物も迷惑ではある。
 以前のことになるが、恩師のお見舞いに「原稿用紙と筆記具」を持参した事があった。頭髪の無い恩師に「ヘアークリームとブラシ」を持っていって「これから生えてくるから」と言ったものの洒落が理解されず「からかいに来たのか」と叱られた事もあったが、全快した後の笑い話と良き思い出になった。
 やはり、「隣りだから」とか、「早く行かないと退院しちゃうから…」等のお見舞いは勘弁してほしいものである。金銭推薦の人に、「次に行く時はどうするの」と聞くと、「いっぺん行ったらもう何度もは行かないでしょう」との返事。これも淋しい話。
 本日、掲示板を新設しました。こんなやりとりを私の掲示板で展開していただきたいし、皆さんの知恵と参考になる掲示板に育てて下さい。
                            3月2日の一言
 
死人に薬は効かない…
 本日は、津島市の市制施行57周年記念表彰式と、金婚夫婦を祝う記念式が文化会館でひらかれた。
 金婚夫婦を祝う式に参加されたのは79組のご夫婦。昭和29年に結婚された方々が対象となるが、二人とも健康で50年の金婚式を迎える事は大変な事と思われる。50年前の津島市は、繊維産業の隆盛もあり、尾張地方有数の市街であった。
 人が寄ってこれば街は栄え、人が離れていけば街が衰退する。繊維産業の隆盛により全国各地より人が集まり、飲食店も潤い、複数の映画館が市外の人々まで呼び込み天王通りも人で賑わっていた。勿論の事、津島市の財政も潤っていた。
 50年の年月は、当時の社会情勢とはガラリと変わり、かつて人々を集めていた繊維産業や工場の跡地にマンションが建ったり、更地になったまま放置されている。淋しい事は、人手に渡った工場の経営者の動向や顛末が、街角で囁かれるのを耳にする時である。
 企業は10年後、20年先を見越した経営感覚を必要とされる。津島市議会でも時々、「津島天王祭り」や津島神社を中心とした観光行政や、天王通りの復興や空き店舗対策が議論される事がある。しかし、企業でも薬の効くうちはまだしも、死んだものまでは薬が効かない。津島市の現状を考える時、死にかけのものを救うのはまだしも、死んでしまったものの議論よりも、10年先、20年後、いや50年先を見越した議論や研究が不足している。
 「貧乏人は麦を食え」と言った政治家もあるが、家庭は個人の工夫や苦労でやり繰りも可能だが、企業や津島市は工夫だけでは生き残れない。

                           3月1日の思いつき 
体調不良の克服なるかどうか…
 数日前から体調が不良である。寒気が戻った事も原因かもしれませんが、パソコン嫌いの知人からは、「ホームページなんかでパソコンの前に座る余分な仕事が原因」と言われてしまった。従がって本日は珍しくモーニングコーヒーに付き合ったが、元来が外向きの性格なため、午後も美和町公民館の集会に出向いたのが運のつき。人も誘い市外から県外まで足を延ばす事となった。朝から夕方まで付き合わせた知人各位にはここで御礼を申し上げておきます。
 しかし、1人になってパソコンの前に座った時に、今までの疲れがいっぺんに襲ってきた。今年は風邪もひかず体調が良かっただけに、風邪の前触れなのか原因はわからないが久々の体調不良である。
 病院の話や病気の予防など、人前では好き勝手に話しているが、明日からは公的行事や日程が続き、3月議会を控える時期だけに体力回復に努めたい。
 とっておきの方法がある。生姜をみじん切りにして、生卵を入れて、麺つゆを少し入れて熱湯をそそいで飲む。日本酒を一杯飲んで温かいふろに入る。胃腸の事も考えて百草と正露丸を飲んでから、もう一度生姜のみじん切りに蜂蜜を入れた熱湯を飲む。この後に鼻の周りと中までベポラップを塗りたくり、首にタオルをまいて寝ればOK。問題はこのとおりになるかどうかである。「お父さん、お客さん」と言われない事と、テレビの誘惑に負けない事を祈りながら、本日はこれでパソコンの灯を消します。

                        2月の最終日、29日
                               
呑み屋で真面目な政治談義?…
 本日は、午前中は複数の来訪者があり、午後は名古屋市公会堂にて昨年参加した、「人にやさしい街づくり連続講座」の記録集の報告会と座談会が開かれ、なおかつ午後3時半からは地元の喜多神団地集会所にて座談会と出前寄席があった。座談会では、津島市民病院の話や下水道、市長の公約である「市町村合併」の現状などについて、時間を超えた質問や議論で盛り上がった。本日は同級生を運転手にして、国会議員並みのスケジュールが夜まで続いた。
 しかし、やっぱり盛り上がるのは夜の一杯の時間である。たまたま同席した顔なじみの青森から出稼ぎの「お兄さん」とのふるさと談義に始まり、青森から送ってきた「ボラの寿司」をいただいた。「いつ帰るの」、「来月末には…」、「それにしても、月日の経つのがはやくなったなぁ」とお互いの年齢に納得して別れた。

 結局は政治談義となる。「決まったから従えの市役所のやり口はおかしい」との市民の声は日光川流域下水道の話。2年前に新築したばかりで、合併浄化槽も当分使えるのに、何故、下水道につなぐ必要があるのか。高額の費用がかかる事を何故分っているなら事前に説明してくれなかったか等など、もっともな話である。

 他人事ではありません。私自身の家も同じ立場なんです。議員ですから事前の説明はありました。問題なのは、地域の嘱託、町内会長にもあります。議員だけでは無く、一般住民への事前説明を求めても、肝心の町内会での説明を行政では無く、嘱託や町内会長が必要と思わずに住民への説明を求めない事にあります。
 結果的に決定事項を説明(発表)するのみで、住民は反対する事もできないのです。行政よりも封建的な町内会では住民の意思は反映されません。住民の総意をくみ上げる事なく、自分の個人的意見を町内会の意見と勘違いしている役員を一掃する事から始めなければ、市民が主人公の社会は実現できないのかも知れません。

                           2月28日の独り言 
お互い様の精神で助け合い…
 日頃の生活で困った時に、地域の自分達同士で助け合う組織が、全国各地で活動している。昨年から海部津島地域でも開設に向けて話はしていたものの、忙しさを理由に実現が先延ばしになっている。
 本日は、名古屋市にある愛知県県民生活部のNO交流プラザへ出向いてきた。話だけではまったく進まない現実と、間違った知恵や心配が耳に入ってくるが、直接担当窓口に出向いた事で、何とかスタートが切れそうな気持ちになって帰ってきた。
 NO法人は、民間非営利組織の事をさす。とにかく金儲けを目的にするのでは無く、お互いが助かる便利な仕組みを考えて活動できる団体を実現したいと思っている。
 とりあえず、気のある人に集まってもらう事からがスタート。難しい事を考えても、とにかく自分達で出来る事しか出来ないのです。外出が出来ない人のために、買い物にいってくる。電球の交換が出来ない人の手助けをする。留守中の犬の餌やりとか散歩。病院への付き添いとか、運転手。子供の面倒から洗濯など等。
 非営利とは言え、名古屋市で活動している「たすけあい名古屋」は設立から半年間は全く仕事の依頼がなかったと聞く。NO法人化は目標だが、とにかく暇を持て余してボランティア精神のある方と、困っている人があれば実現する。「親切の押し売りでは無く、金儲けでも無く、ただ働きでも無い」、お互い様の精神を大切に早期の実現を目指したい。
                            2月27日の抱負
自主防災組織設立に向けて…
 津島市には、8少学校区ある。現在、その内の西小学校区と蛭間小学校区に自主防災組織が設置されている。今後、神守小学校区と高台寺小学校区にも自主防災組織を設置するため、防災対策室の職員から説明をもらった。
 我々の住む旧神守地区には旧態以前の封建的体質が残っており、消防団や交通安全等についても、旧市街地と比較すると機能的になっていない。役職を各町内会長の中から当て込んだり、大きい町内で持ち廻りにしており、予定された計画的な行事は良いが、いざという緊急時には機能しない事が多い。
 かつて神守校区の交通安全校区長を勤められた「大鹿銀之丞」さんは、30年にわたり毎朝、現在のノリタケ交差点に立って、少中学生の通学を見守られた。誰に頼まれた訳でもないが、当初は陰口も聞かれたものの、雨の日も雪の日も続けられる姿を見て、校区長に推薦された。体を張って貢献する銀之丞さんに、市役所の交通担当職員も連携してよく働く姿をよく目撃した。
 自主防災組織も、建前では無く、現実に機能する組織でなければならない。若い者に期待しても、会社勤めではあてにはならない。いざと言う時に動ける体制は、高齢者であってもご婦人でも動ける立場の人々の参加が不可欠である。役所から町内会長を通して進める組織に多少の不満はあるものの、自分たちの地域は自分たちで守るために、機能的で良い自主防災組織の構築に期待をしている。                            
                          2月26日午後の一言

                          
ただし、わしは昭和だよ…
 半年ぶりにゲートボール場に顔を出したと言うお婆ちゃんに出会った。80代とは聞いたが、「どう、久しぶりにやってみる」と言われて、「半年やってないから…」とは言いながら当たる事、当たる事。見事としか言いようがない。
 「私の母は6年生れですが、おいくつになられますか」と聞いたところ、「一緒だわァ、わしも6年」との返事が返ってきた。「いやいや、うちは昭和ですよ」、「そうかァ、わしは大正だわァ」との会話。
 いやはや元気、元気。87歳とは思えない。走ってボールを追われた姿は、ひとまわり若いうちの母よりずっと元気である。昭和も大正も元気な人は一緒かも知れないナ。
 その後出会ったOさんと、長話の後の別れ際、「足腰が弱ってきたでいかんわ」の一言。「ところでおいくつに」の言葉に、「わしは5年、ただし昭和だよ」の一言が加わった。
                            2月25日の一言
車の故障で難儀な一日から世界のトヨタに苦言…
 車のファンベルトが回している部品の不調で、ベルトが摩擦で煙を出した。昨日の事である。さっそく近所のガソリンスタンドに走ったが、半月前に車検でファンベルトが交換してあり、不調な部品も触ってある事から「これはクレームだよ、トヨタに言えば無料だよ」と言われて帰った。
 しかし、電話したところ月曜日は定休日とのアナウンスが流れた。車も古いし、無料とか銭金では無く、車が必要なため、ガソリンスタンドに戻り修理を依頼して帰った。ところが、しばらくして車が戻ってきた。「トヨタが休みで部品が入手できない」との事だった。
 したがって本日開催された市議会の市町村合併特別委員会への出席は、鬼の奥方の送迎となった。癖と言うのは恐ろしい。委員会が終わり、関係各課も周り、個人的な依頼も済ませて帰る午後になって車の無い事に気づいた。迎えは長男だが、日頃ブツブツ言っている立場だけに肩身を狭くして帰った。
 ところが朝1番に電話した車はそのままになっていた。「嫌らしいから自分で電話して」と鬼の奥方に言われたが、車も古い事だし、もう来るだろうと待ってみたもののさっぱり。あげくに、もう1台の車は長男が使ってしまい、予定していた外出はすべてキャンセルとなった。しびれを切らして電話をすると「車が渋滞していまして…」の返事。「そば屋じゃないぞー」とは、たまたま訪問中の同級生の声。
 結局、車は引き取られていったが、しばらくは戻ってこない。素人目にも、部品があれば1時間もかからない修理。世界のトヨタと言われる地元にあって、月曜日は休み、半日遅れの訪問。市役所にも土、日曜日の住民サービスを求める時代にあって、せめて休日の部品の供給体制や、すばやい対応を当り前と思うのは、自分だけではないと思うが…。
                            2月24日の夕方
感謝、感謝のピアノリサイタル…
 昨日の22日、市内西愛宕町の茜屋で開催された「佐藤由美ピアノリサイタル」は会場が満席となる盛況で、関わった一人としはホッとしたのが正直な心境である。
 佐藤由美さんは、尾西市の出身。5才からピアノを始め、中学時代に全日本学生音楽コンクールで全国1位となり、高校から東京芸大の付属高校に進み、東京芸大から同大学院音楽研究科修士課程を終了したピアニストである。その間、各種大会に入賞し、97年の全日本モーツワルト音楽コンクールで第1位となり、99年にはザルツブルクで開かれたモーツワルト国際音楽コンクールに派遣されるなど活躍している。
 しかし、ピアニストとして活躍し続ける事は大変である。ピアノを子供に教えたり、生活のために生かす道はいくらでも考えられる。だが、演奏家として生活していく事は非常に厳しい現実がある。
 佐藤さんの父親は祖父江町出身で、広告のデザイナーとしても、私の良き相談相手として私の選挙にも関わってもらっている。そんな縁で、1年前にグランドピアノを置いてあった茜屋のマスターの薦めでリサイタルを開いた。身近な所で本物のピアノを聴くのは言葉ではかっこ良いが、今回はマスターの汗と涙の営業努力に任せていただけに、茜屋のマスターと本物の音楽愛好家の皆さんに、ただただ感謝の一言である。
            2月23日の一言(公開を忘れていました24日の午後)
地域医療の連携を壊す開業医に一石…
 昨日の患者さんは脳梗塞だったが、手際よい救急隊員や早い処置のため、ほとんど後遺症も無く、近々退院の予定でホッとした。 しかし、地域医療の連携の悪さもあり、私は心から憤慨している。
 実は、半年ほど前に「頭が心配だから…」と相談され、私は信頼できるC病院の院長先生を紹介した。検査機器の整った津島市民病院と連携した検査の結果、脳梗塞の危険があるとして投薬による治療が始まった。それだけに、今回の脳梗塞による救急搬送には他人事と思えない自分自身の責任も痛感していた。
 ところが、家人から事情を聞き、びっくりした。C病院の院長の診断後にかかった以前から通院していたK医院の院長が「この薬は強い。症状も治まっているので薬を変えた方が良い」と言って、当初と違う薬を処方していたと言うのだ。
 医師の良し悪しは判断が難しい。しかし、専門外の医師が検査もせずに、検査の結果投薬された薬を変えた事は「判断の甘さ」を通り越して「医療ミス」に匹敵すると私は思う。
 せっかくのC病院長と津島市民病院の連携プレーを、開業医の町医者が無駄にしただけでなく、患者を危険な目に合わせた責任は重い。しかも、その事実を開業医は知らないまま過ぎて行く事も腹立たしい。
 最終的には我々患者の医師や病院の選択となるが、病気だけは「昔から顔なじみ」とか「近所だから」では無く、最高の医療と関わる事の重要性を、私自身の他山の石としたい。
                       2月22日夜に帰宅して一筆
救急車のサイレンに感謝した時…
 長年にわたり津島市の市議会議員を努められた佐藤久満さんが、19日に亡くなられ本日葬儀が執り行われた。享年77歳。
 佐藤さんは昭和46年から市議会議員を6期努められ、昭和60年には議長も努められた重鎮であるが、引退後の佐藤さんは、ごく普通の市民生活を送っておられ、「元市会議員」として地域の行事に特別扱いで顔を見せて存在感を鼓舞する人が多い中にあって庶民的な存在であり、自分も見習いたいと思っている。できれば6期もあやかりたいが。
 途中で退席する議員が多い中で、共産党の杉山議員が最後の出棺まで送っておられたが、長年にわたり議場で活躍された姿を議員として見ておられるだけに、心中察するものがある。
 帰ったと同時に、「爺さんが倒れちゃったが、どうしよう」と近所からの電話。早速、救急車を手配したが「サイレンを止めてほしい」の声に、道路へ走ったが「一刻を争って走って来る救急車のサイレンは止めてはいけない」と無駄に走ってから戻った。こんな時こそ救急隊員のありがたみが身にしみる。軽症であってほしいと願い病院に走った。
                            2月21日の午後
越津ネギ発祥の地から栽培の里へ…
 本日の朝日新聞に、伝統野菜の人気じわりのタイトルで、「越津ネギ」が大きく活字化され紹介されていた。昨日の一言に記した翌日だけに、興味深く切り抜きコピーした。
 実は、昨日、市役所の文化振興の職員や、越津町内の一部の人にも話をした結果、発祥の地と言われるだけでなく実際に栽培する事を決め、種や苗の段取りを進めていた。
 現実には、私自身はネギを栽培した経験が全く無い。しかし、今年は挑戦する事となった。「越津ネギ」発祥の地に実際に栽培する話は、2年前から進めていた話でもあったが、議員に再選された後の話となっていた。
 越津ネギは、やわらかくて白根と青葉も食せるため人気が高いが、やわらかいため傷みやすく、遠くへの流通には適さない事から、近場しか流通していない。戦後まもない頃は、「越津から来た」と市場で言うと、他のネギより高く買ってくれたそうだ。
 夏から秋には、越津ネギ栽培中の看板が越津町だけでなく、津島市に立ち並ぶのが理想だが、正月のすき焼きに入った「越津ネギ」を一緒に…は、まだ先の話としたい。
                           2月20日の一筆
伝統文化もパソコンも難しい…
 昨日も、所用で名古屋まで走ったついでに、中村公園へ寄った。中村公園には、豊臣秀吉公が奉られている豊国神社があり、参拝した後、散策するわけでもなく車を出した。
 50メートルも走った時、加藤清正公の出生地の石塔を見つけ車を止めた。豊国神社も豊臣秀吉の出生地と伝えられているが、それでは、秀吉と清正は隣り近所だったのかと同乗者(政治関係者)と話しながらの帰宅となったが、真相は定かではない。
 最近は観光ブームの中で、地域起しやPR、こじ付けや創られた名所旧跡も多い。私の住む越津町も、「越津ネギ」の発祥の地でありながら、最近では栽培産地のPRや宣伝の中で忘れ去られようとしている。歴史の正しい継承と、伝統文化保存の難しさを考えながら、「越津ネギ」への対応を出来る事からはじめてみたい。

       不慣れなパソコン操作で全画面が消えた半日後、2月19日の夕方
田舎者の二人
 市役所に勤める同級生のH君へ「仕事が終わったら役所の向えの喫茶店で
と落ち合う約束をした。ちなみに津島市役所の勤務時間は、5時15分まで。
 先に入って待つつもりでいたが、携帯電話が鳴った。市役所の玄関先での会話は職員に迷惑だろうと、外に出て話すが、昨日は特別に寒かった。たまらず駐車場の車中へ。
 5時15分は車中。そんな頃、また携帯のベル。目を凝らしながらH君を確認しつつ、メモを執りながら通話終了。時間は刻々と過ぎていく。しばし職員の帰宅風景の観察となった。市役所の人間模様の観察も意外に面白いが、肝心のH君が出て来ない。「まぁ、仕事で遅れる事もあるわなぁ」とか「上司より先には帰りづらいわなぁ」などと考えながら待つものの、時間はどんどん過ぎていく。
 すでに喫茶店で待っているのかなぁ、いやいや、入っていないはずだと思案しつつ、H君の性格からしてと、小さな脳みそで考える事は馬鹿な事ばかり。約束がしてあるんだから喫茶店に行けば良いのである。しびれを切らし、おもむろに喫茶店に向う背後に人の気配。
 「おかしいなと思った」と。彼も4階の職場から喫茶店に入って行かない私を観察していたのである。お互い田舎者を実感した。
                           2月18日朝の一筆
名古屋へ向かう渋滞の車中での会話…
 本日は朝7時半から所用で名古屋に向かった。途中から交通渋滞に合い、同乗者(政治関係者)と道路や、公共交通機関について議論となる。
 渋滞緩和には早期のバイパス道路着工が必要と言う話になるが、はたして渋滞の緩和になるだろうか。私は車が増えるだけで渋滞緩和にはならないと思う。それよりも電車やバスの交通機関の充実を図る事が必要と思っている。持論を述べ合ううちに、渋滞はおさまり「これなら大した事もないな」となった。
 しかし、考えてみると自分は渋滞時に車を走らせた事がほとんど無い。毎日の通勤を考えて議論した事が無い。また、同じ津島市でも一番東に住んでいる私と、一番西に住んでいる人とは全く感覚も違ってくる。色々な立場を想定した議論や考察が必要と思われる。
                       2月17日の午後のひととき
文化会館で、議員がダメとは聞き捨てならぬ…
 昨日の文化会館の講座終了後の事。市の職員に熱心に問い合わせる人があり、気になるので聞いていたが、だんだんとフラストレーションがたまってきた。「市会議員に頼んでもダメなので、市役所に直接行ってきたが何の進展もない」とまくしたてる市民。
 「議員がダメとか当てにならない」とは聞き捨てならん。「あなたが頼んだ議員は誰ですか」、「〇×議員」、「〇×議員は本当に骨折ったんですか」、「市役所に出向いてその後何も無いのに何故問い合わせないのですか」…。
 何もしない議員も存在している。しかし、市会議員を総称してダメとは許せない。「〇×議員はダメでも私は違う」とキツイ発言をして別れた。市民の声に答えない議員が問題であるのは間違いないが、議員に言いっぱなしの市民にも問題がある。
 市民が議員の発言を記録してチェックすれば議員にも緊張感がある。いや、議員が自分の発言や指摘した事例のチェックをするべきでしたね。
                             2月16日の一言
文化会館で、公務員は仕事より出世か…
 今日は文化会館において「第32回津島市民くらしの講座」が開催されたが、残念な事に同じ時間に大ホールにて津島市の主催する防災講演会も開かれた。
 私自身は、さらに市内葉苅町の長福寺で毎年招かれるお参りも重なり、遅れての参加となった。
 信州大学教授の中本信忠先生による「生でおいしい水道水」がテーマであったが、会場から市民が溢れるほどの盛況で廊下からの覗き見。改めて飲み水に対する市民の関心の高さを確信した。長福寺の挨拶で「昔は家の井戸の水を飲んで、田んぼの水も川の水で、生活廃水も川が自然浄化した」と話してきた後だけに、貴重な講演内容だった。
 残念な事は、行政の関心のなさである。講師が「公務員はあてにならない。市民の皆さんが声を上げて下さい」と話しているところへ、大ホールの防災講演会が終わり、市役所の部課長はじめ多くの職員が揃って退出し、帰っていった。その中には津島市の水道企業局の担当課長の姿もあった。水道の課長は防災より水道水だろうが。無関心か、ノー天気か。貴重な日曜日。あぁ、自分の身がかわいいのかぁ。
                            2月15日の叫び
まちかど座談会で古典落語を聞いて…
 本日は、東愛宕住宅の一軒をお借りして「まちかど座談会と出前寄席」を開催しました。出前寄席は、落語家の浪漫亭砂九(ろまんていすなっく)さん出演で、約1時間の古典落語を聞きましたが、落語から「なるほど」と学ぶ事も多い事を感じました。
 子ほめと言う演目でしたが、ちょっとした言葉の使い分けで人は気分を害したり、逆に喜びを覚える。そのちょっとした使い分けが微妙なところで、古典落語はその対比を面白く表現しているが、現代人にとっては忘れられてしまったかつての言葉の美しさや奥深さを教えてくれる。
 顔の色が黒い人に対して、「健康的ですね」と表現するのと、「酒焼けじゃないですか」と言うのでは全く相手の反応は逆になる。最近は詐欺まがいの営業が多いせいか、誉められると逆に疑心暗鬼となってしまうが、言葉一つでもって人を不快にさせる反面、愉快にさせる事もできる。おしゃべり好きの自分には考えさせられる落語だった。
                            2月14日の独り言
祖父江町会議員選挙個人演説会場で…
  愛知県祖父江町では、現在、町議会議員選挙が開かれており、私も仲間の応援のために連日出かけている。
 昨夜の個人演説会で1人の町民の方から質問がでた。「合併したら、祖父江町の名前はどうなってしまうのか」と言う質問に、候補者から「祖父江町の名前は無くなり、稲沢市〇X町になる事になっています」と説明したところ、「それでは祖父江の名産品のギンナン等の名前はどうなるのか」と具体的な質問が出された。自分達の町の名前が消える事に対して、町民からは納得しづらい声があがった。
 私の住んでいる旧神守村の名前は、昭和30年に津島市との合併によって無くなった。以来、50年近く経過しているが、未だにその名前の呪縛から解かれてはいない。未だに旧市内との施設等の格差が問題にされたり、現住所の説明には「旧の神守村の・・・」が自然に使われる。大きな市町に吸収される町の動向に注目したい。
                      平成16年2月13日のつぶやき
このページのトップに戻る