本日の一言
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一般質問登壇は一番手に…
 本日は、9日と10日に開催される津島市議会一般質問の質問通告書の提出日のため、提出後には市職員からの質問要旨の聞き取り調査(ヒヤリング)があった。
 現実には、この聞き取り調査でのやりとりで、当方の質問だけでなく、要望も悟られるわけであるが、市役所の担当部署の考えや方針など答弁内容の予測もできてしまうのである。
 最近では、議会開催まで待たずに、直接担当部署に持ち込む事案も多く、議会での『隠し球』は何もないつもりだが、過去の前歴からか、当方が考えてもいない些細な問題を、重大な事案と勘違いした聞き取りも多いように感じるのである。
 議会での質問や発言が、議員活動で一番重要な事は言うまでもないが、質問や発言の土台が重要である事を痛感する。
 厳しい財政状況を考えると、市民に夢を与えるような発言は難しいが、意外に知られていないのが、議会や『市長への手紙』などで改善された事例が、市民まで届いていない現実である。
 借金とか赤字とか、まんざら嘘とも言えないが、改善された事が伝わらず、旧態依然の噂話がいつまでも語られている事例も多い。今回質問に入れている『市民病院』についても、満足はしていないものの、建物だけでなく医療レベルも確実に前進している事を前提に質問しているが、市民との温度差は拭えないものがある。
 私の一般質問は、初日の一番目の登壇と決まった。質問内容は多種にわたって通告したものの、市民生活に直結する重要な問題も重複して相談されており、質問書のまとめを考えると徹夜覚悟の登壇となりそうでもある。
                              6月7日の一言
津島市議会もノーネクタイへ…
 6月議会が開会し、議事終了後(本日予定分)に各派代表者会が開催された。議題は、国会や県会でも話題になっている、ネクタイを外し、背広を脱いだ議会運営についてであった。
 夏の暑い時に、ダブルの背広を着こなし、汗を拭って会議をすすめ、冷房は最高にかける不効率な議会環境には以前から改善の話が出ていた。
 市民の中からも、省資源のため市役所の冷暖房が切られていても、5階の議場や議員控え室には冷暖房が最高に入っているとの批判が『市長への手紙』にも投函されていたようである。
 議場には窓がなく、温度の調整が冷暖房しかできないと市民への説明はあったようだが、暑ければ一枚脱ぐのは自然ではないだろうか。
 さて、背広を脱ぐのはいいが、シャツは何でも良いのか。議員の品位も問われそうだが、昨日の私の掲示板には、「ネクタイなどとケチな事は言わず、いっそ褌(ふんどし)に団扇でやったらどうだ」との書き込み(冗談だが)があった。
 本来は、議員の日頃の行動が重要な問題であり、月に2、3回しか市役所に登庁せず、報酬が高すぎると批判されているようでは、品位も体裁も何もない。
 とにかく、津島市議会も他市の動向や行政の動きと連動し、僅かでも節約となる『ノーネクタイ』と上着なしでの議会運営への方向性を申し合せた。これが夏だけでなく、平常の議員活動や議会活動の意識改革となり、服装や風体ではなく、政治活動を通して議員として評価されるようにしていきたい。
                            17年6月6日の一言
市民として訓練に参加して…
 本日は愛西市の木曽川堤にて海部地方総合防災訓練が実施され、ボランティア支援本部立ち上げ訓練に『愛知県防災ボランティアコーディネーター』の一員として参加した。
 海部郡や津島市を含む地域全体の訓練だけに、関わる行政や関係機関の規模も大きく、津島市では体験できない訓練を期待して参加したものの、参加対象と会場の面積は大きいが、訓練そのものは津島市の防災訓練の延長にすぎず、東海地震や東南海地震の危険性が指摘されている中での緊迫感が希薄な訓練でもあった。
 ただし、各市町村の消防本部や関係者が役務的に参加しているのとは違い、ボランティアは住民の自発的参加だけに、(手前味噌とは思わないが)遊びの無い真剣な訓練が展開され、訓練終了後から解散までの時間に、参加団体で唯一反省会も実施された。
 さて、各種訓練に参加してきたが、市民の立場となって参加してみると、例え訓練とは言え、いかに市民が軽んじられているかを実感する。
 会場到着後の車の駐車についても、市民ボランティアには一番遠い場所が配置されている。勿論、訓練に関係が深い車輌は当然であろうが、運転手付きの首長や議員の駐車場が一番優遇されているのである。
 自分も今まで議員として、テントの下に座る参加を当り前としてきたが、炎天下で整列し、欠席した知事の代読や、儀礼的挨拶を延々と聞きながら、テント下で飲料水を口にする議員の姿を見るにつけ、議員と市民の大きなカベと同時に、議員の思い違いを危惧した次第でもある。
 もっとも、ボランティアとして、市民と一緒に整列した議員が私以外にもいた事を、一筆つけ加えて本日の一言としたい。
                               6月5日の一言
村で決まった事だから…
 「会費を集めに来ました」と、町内のご婦人3人が突然訪問された。訪問された方々から町内の事とは解るものの、何に対する会費かが判らずに問うと、町内の寺に対する会費であった。
 「宗派もお寺も違うのに、何の会費ですか?」と問うと、「役員会で決まった事だから」との返答が返ってきた。「役員会と言うと?」、「村で決まった事だから」と、同じ宗派の名簿を見せられ、皆が支払った旨の説明があった。
 「村で決まった事」とか「役員会で決まった」との言葉は、住民にとっては一種の脅迫とまでは言えないものの、強い圧迫感を感じさせるものである。
 「村とか役員会と言われると町内全部ですね?」と問うと、「そうです」との返事に、「じゃー、向えも総てですか?」と問うと、「昔から(昭和30年)住んでいる家は全部」との説明に、「初めての事だから相談してみます」と言うと、「あんたは若いから…」とか、宗派のお寺にも納得してもらっている説明である。
 「我家のお寺は〇△町ですよ」と言うと、同じ宗派の「講組」にも納得してもらっているとの説明だが、実際には何の相談もなかったのである。金額も2千円と無理な金額ではないものの、これから毎年の事になるのである。会の会則を求め、後日の事にして引き取ってもらったものの、既に不満の電話がかかっていたのである。
 会則には、主旨に賛同いただけた方と記され、あくまで寺院に対する善意の会費であるが、何故に「申し訳ありませんが」とか、「お寺に協力を」との言葉が出なかったのであろうか。「村で決まった事」とか「役員会で決まった事」を盾にする説明に、前時代的な響きを感じるとともに、不快な夕暮れを
(訪問者も不快な思いで帰られたであろうが)迎える事となった。
                               6月4日の一言
貴乃花部屋は前途多難…
 一昨日の一言に、家族円満な花田家(元大関貴乃花)の再来を期待すると記した。しかし、昨日の葬儀を放映するマスコミからは、兄弟や家族の深刻な関係が伝えられ、兄弟から不仲を裏付けるインタビューまで用意されていた。
 報道された葬儀を見るかぎり、弟の貴乃花部屋の前途は多難である。真意はマスコミから流される情報だけで解らないが、親や兄弟との関係がこじれ、家庭崩壊した貴乃花部屋に、大切な息子の一生を賭けて送り出す親は皆無ではないだろうか。
 本来なら、親を亡くした悲しみと、同情に包まれて心機一転したいところだが、有名人の宿命と言えば仕方も無いが、マスコミによって家族関係を複雑にされているようで、余計に気の毒でもある。
 親方と言っても貴乃花は32歳で、兄も34歳の若さである。角界の名門の家に生まれ、子供の頃から注目され、物心がついた時には親を師匠にして相撲だけに邁進し、角界のトップである横綱に君臨したのである。
 角界を離れた兄は別としても、弟の貴乃花は相撲だけの人生経験しかない32歳の青年なのである。マスコミは32歳の青年に何を望んでいるのか。両親の離婚を経験し、55歳の若き父親を亡くした悲しみを素直に表現する事もなく、逆風にさらされている。
 自分の30代を回想し、今だから言える(解る)事もあるが、人の不幸を題材としたスキャンダラスな報道だけでなく、自分の息子に接するように、温かく人を育てる報道を期待したい。もっとも貴乃花親方の心が救いようもない男なら、「馬の耳に念仏」、「豚に真珠」、「犬に論語」、「猫に小判」としかならないが…。
                              6月3日の一言
やはり、美味しい話はない…
 議員になる前は生業としていた『朝日新聞』を、現在は一読者として『お客さん』の立場で待っている。
 その朝日新聞社からイベントモニターとして、絵画展の招待券が2枚送られてきた。会員になっている『アスパラクラブ』に応募していた結果選ばれたのである。かつては招待券を配布する立場であったが、いただける立場になると、やはり嬉しいものである。
 昨日は妻のもとに、特選日帰り旅行への招待状が届いた。スーパーの店頭で応募した結果、当選したらしい。こんな嬉しい事が続くのも珍しい。ところが、招待状には同伴者の参加案内が添付されており、金額は1万円を超える内容である。
 行程を見ると、一人での参加は極めて淋しい内容から、「美味い話はない」と話すと、「一人でも行って来る」と話していたものの、結局は妹を誘って参加となったようである。まさに、美味しい話はありません。
 しかし、判っていても、ついその気になってしまうのである。本日のインターネットの掲示板に、「週末社長で年収3千万円」なるホームページを見つけ、「今の生活で満足ですか」とか、「何も資金はいらない」との誘い文句に、欲の皮から入り込み、どんな内容かを知るためにメールまで送ってしまったのである。
 調べてみると、化粧品や健康食品の販売会社であったが、何もしないで儲かる筈がないし、健康食品やサプリメントは既に会員になって購入しているのである。
 『藪をつついて蛇を出す』のことわざがある。情報社会の中で、まさに、先人の残した言葉を噛みしめたい一日となった。
                              6月2日の一言
名大関貴乃花逝く…
 相撲界で活躍された二子山親方(元大関貴乃花)が亡くなった。テレビやマスコミもこの話題一色で、改めて貴乃花人気を知らされるとともに、55才の年齢からは他人事とは思えない緊張感が走った。早すぎる死に冥福を祈りたい。
 残念な事は、早すぎる死だけではなく、それ以上にマスコミを通じて伝わってくる、家族の散々たる状況である。
 告別式の喪主は長男の花田勝氏(三代目横綱若乃花)と発表されたが、次男の元横綱貴乃花が激怒し、兄や伯父の元二子山理事長(初代横綱若乃花)を大声で罵倒したと言う。
 日本の国技とか、女人禁制の神技と言われ、伝統や格式を重んじる相撲界にあって、あってはならない秩序の崩壊である。
 水泳でオリンピックを期待される中で、「水泳ではメシが喰えない」の名台詞で角界入りした弟を、兄は師匠として鍛え上げた。苦しい家庭環境を共有した兄弟は一代で相撲界の名門としての地位に上り詰めたが、そこには親しい兄弟愛と家族愛が存在した。
 兄は協会のトップとなり、兄の二子山部屋と、弟の藤島部屋は一緒になり、二子山部屋は息子の貴乃花部屋へと継承された。
 しかし、隆盛を極めるのと比例して、家族の不況和音が報じられ、無視から対立、離縁と、注目は家族のスキャンダルに移ってしまった。
 現在の一族隆盛の源は、初代横綱若乃花の花田勝治氏にある。その伯父を甥の貴乃花は罵倒したと言う。私の父親は、「若乃花と生年月日が一緒」を口癖(自慢)にしていた。弟に先立たれ、傷心の初代若乃花の一日も長い長寿を祈るとともに、10年前の親子円満な花田家の再来を期待するものである。
                              6月1日の一言
犬にリハビリやマッサージを?…
 名古屋市に犬のフィットネスクラブがあり、運動不足の街の犬たちが連れてこられ、水泳や水中歩行をしている姿がテレビで報道されていた。
 信じられないような光景だが、人間同様にリハビリやマッサージを受ける犬の姿にびっくりである。ちなみに、料金は一カ月の会費が1万8千900円するとの事であるが、名古屋市の官庁街には浮浪者のブルーシートが建ち並び、1個2円のアルミ缶を拾って満載で走る自転車や、駅やデパートのゴミ箱を日常的にあさる人間の姿を考える時には、日本は『異常』な社会と思わざるを得ない。
 本年4月19日に町内でシェパードに噛み付かれて病院に走ったが、傷口は早々に治ったものの、未だに傷口の腫れが収まらず、押さえると痛むのである。
 まさに『犬畜生』の思いだが、現代社会の二面性を痛感するとともに、『人間らしい生活』とはいったい何かを考えさせられるのである。
 本年3月末の本欄に、米や食料が何もなく、5百円しか手持ちの無い高齢者宅を訪れたヘルパー研修中の妻の体験から、『犬のほうがぜいたくじゃないか』なる一言を記しているが、人間より犬やペットの方が大切にされているようで、物悲しい一面を垣間見た一日となった。
 愛知県には41万匹(厚生労働省発表)の犬が飼われていると言われている。しかし、その実態は正確ではなく、市町村に無届けの犬も多いため、その実態把握を急務と訴える専門家の声も決して忘れてはならない。
                             5月31日の一言
(本当の親に)会って話がしたい…
 東京都立墨田産院で生まれて、46年後に両親と血のつながりがないと判明し、生みの親を捜している47歳の男性が存在する。
 東京地裁では、「産院で入れ替わったと判断」したものの、20年の除訴期間が経過した事で東京都への賠償責任を破棄し、『個人情報』にかかわる事と、東京都の法的責任が問えない事から調査する事はできないと調査を求める申請を認めなかった。
 こんな形で『個人情報の保護』がカベにされるのは皮肉でもある。生みの親に会いたい子供の気持だけでなく、本当の子供に会いたい両親の気持も複雑である。
 「会ったところでどうするのか」、「かえって不幸を招く」などと発言する人もあるが、自分の事として考えると、20年の除訴期間とか個人情報保護に関係なく、本人と両親の希望を絶対にかなえてやりたいと願う。
 幸いにして、訴えられた側となる東京都の石原都知事が、地裁の判決とは相反する意思を示し、本当の両親を捜す事に積極的に協力する発言を繰り返している。
 戦争によって中国大陸に残された残留孤児は、何の資料もなくとも『日本人の家族』を捜しに来日する。「今さら」と思うのは、日本人の『平和ボケ』であり、今回の事件も、20年とか46年の歳月の経過を理由にして過去の時効として片付ける事は重大な禍根を残す。
 我家の愛犬でも実の母親が判っており、生き別れの兄弟と再会させたいと26日の一言に記した。現代の日本で、本当の親子が探せない筈がない。ましてや、何も知らずに生活している『他人同士の親子』が存在する事は明らかであり、文化的な法治国家として早期の再会が実現する事を願うのみである。
                            5月30日の一言
あれは嘘だったのかな…
 昨日は、名古屋市栄で本年度『人にやさしい街づくり』連続講座の第1回運営会議が開催されたが、名古屋まつりが開催されており、乗ったバスは迂回運転し、遠くに降ろされたあげく、道路も横断できず地下街にも入れないため、会場に到着するまでに随分な距離と時間を要したのであった。
 愛知県の主催する『人にやさしい街づくり連続講座』にあわせ、津島市では過去に受講した人々と連携していく事になっており、講座への参加は決めていたものの、7月から10月までの土曜日が対象となるため、多くの重複する日程を調整(断る)する必要性が出て来たのである。
 しかし、参加する人々は多種多様な人材が集まり、新たな出会いがある事から、当面は覚悟の週末になりそうでもある。
 インターネットの津島総合チャンネルに、「津島駅にエスカレーターができると聞いたが、あれは嘘だったのかな」との書き込みを見てから1ヶ月近くなるが、誰も書き込まれないままになっている。
 知らない人が見れば、「やっぱり嘘か」となってしまうが、現実には今年度中には『エレベーター』が設置される事になっており、早ければ『秋祭り』に間に合わせたい予定で進行している。
 これも、『人にやさしい街づくり』連続講座を受講した恩恵と思っている。昨年度は地元や有権者に数件の『ご無礼』があっただけに、本年の連続講座とのバッティングが無いように祈りながら講座への参加を名乗り上げたのであった。
                              5月29日の一言
この時計あっているー…
 昨晩は久々に会食に出かけたが、日頃のストレスが溜まっていたのか酒量が増え、ついには岩倉市の知人の店まで出向いたのである(運転手は飲んでいません、念のため)。
 人と人の出会いとは不思議なものがあり、この店の主とは25年もの付き合いとなっており、今でも酔っ払うと思い出して出向くのである。
 店のカウンターに並び、しばらくして先客と話しているうち、「ところで、あんたは何処の人」となり、「津島、津島ぁ」、と合唱していると、「僕の出身地は高山なんですよ」との相手の言葉に、私と知人のNさんは「高山ー」と興味深々の話題になっていこうとした時の一言にびっくりである。
 「どこかで会ったような気がしていたんですが」、との一言であった。
 まさか―と思うような話であるが、Nさんが勤めていた高山市の家具製造会社専属の運転手をしていた人で、現在は閉鎖されている津島営業所にも出入りしていた人物であった。
 こんな奇遇な事も珍しい。いや、こんな事もあったのだろうが、酔っ払っているから驚きが増幅され、意気投合した酔っ払い一同は次の店に移動する事となり、岩倉の街に消えていった。
 慌しく消えていった一同を見送り、ゆっくりと昔話に花を咲かせていると、「早く来い」との電話が連続し、わざわざ迎えの車が走ってきた。ボトルまで入れて盛り上がり、久々のカラオケを楽しんでいるとどうも閉店の気配である。
 「この時計あっているー」が帰りの車中で連発する。延々と7時間以上も飲んでいた事になり、まもなく明るくなりそうな時間である。ここには『管理栄養士』さんの存在は忘れられ、1月からの食生活改善が総て吹き飛んでしまう一日を消化してしまった反省が本日になって切実に感じられたのである。
                             5月28日の一言
コーヒー屋でも(まぁ、いいかぁ)…
 忙しい一週間だったが、特別と言って何をしたという印象もなく過ぎ去ってしまった感がある。省みると、車での移動が運動不足となり、予定外の行動につながっているため、本日は徒歩による移動と決め、やるべき事に集中する事を決めたのであった。
 しかし、市役所からの帰り路で、友人の市職員の車が止まり、「コーヒー屋でも…」となってしまったのである(ちなみに、午後5時15分以降の市役所終了後の話ですので念のため)。
 意志の弱さと言うのか、こんな行動が予定したスケジュールを消化できない原因となり、やるぺき仕事を後回しにして次の約束事に移行していってしまうのである。
 6月議会を来週に控え、一般質問の資料収集にあたりたいと思っていたが、この一週間は出だしこそ委員会への出席があったが、後は場当り的な相談や雑用に追われてしまい、中身の薄い時間を消化している。
 これが6月に入ると一変し、議会は勿論の事だが各種行事やボランティア関係などが日程の空白を埋め尽くしている。そんな中から会報『津島の風』と同時進行で『神守中同窓会報』も発行していかなければならないのである。
 自分だけの時間を持ちたい。京都の街角を一人で歩き、上高地の残雪をバックに一人でたたずんでいたい。
 「こんにちわ―」と昼寝もままならず、約束した時間を気にしてパソコンの前に座っていると、何か身が入らないのである。
                              5月27日の一言
生き別れた兄弟の再会(犬の話ですが)…
 最近になって、町内に我家の愛犬の兄弟がいる事が確認された。息子の同級生の家で飼われている犬が、我家の犬とそっくりである事は以前から家族で話題にしていた。
 同じ町内といっても一番遠くに家があり、散歩で遭遇する事もない。しかし、2ヶ月ほど前にその家の近くに住む弟より、「モモがひとりで走っていった」とびっくりして電話があったくらい『瓜二つ』なのである。
 私は見た事がないが、大きさから色と柄までまったく同一で、見分けがつかないくらいそっくりとの事である。我家の愛犬は、平成13年に貰ってすぐに交通事故で死なせたため、一年後に同じ親から生まれたそっくり(まったく同一)の妹を貰っているが、黒色で胸や脚にに白い模様があるものの決して見た目が良い犬ではない。
 そんな犬を共有する事は珍しいと思うが、偶然に出会った妻が直接聞いたところ、人を介して貰われておるものの、一緒に生まれた兄弟である事が判明した。
 私にとっては感動の物語で、できれば連れていって逢わせたいが、そんな事で感動しているのは人間ばかりで、肝心の愛犬はきっと無関心で迷惑な事であるだろう。
 2年ほど前の事だが、犬の母親に再会させようと連れていったが、自分の親どころか、自分の生まれた家もすっかり忘れていたのである。犬は臭いに敏感で、何かを感じると思っていただけに拍子抜けしたのであった。
 おまけに、我家の愛犬は兄弟を交通事故で死なせた後にきているため、人間と同じくらい過保護に育てられてあり、自分を人間と勘違いしているようでもあり、虫を怖がり、人一倍な『ヤキモチ焼き』で小心者でもある。生後まもなく別れた兄弟(犬)が、突然の再会にどのような反応を示すか、今から楽しみで仕方がない。
                             5月26日の一言
NHK受信料の支払いで大声…
 NHKのテレビ受信料の支払いを巡って、大声での抗議となってしまった。2日前の話である。もとはと言えば、銀行口座から受信料の自動振替ができなかった事が原因である。
 伏線はあった。自民党国会議員からの抗議で、NHKの番組が改ざんされた問題と、放送内容を事前に自民党関係者に見せてから放送する、慣例に対する反対の意志表示でもあった。
 支払い拒否が増えている中で、『支払い停止』を呼びかける団体も発足している。事前に放送内容を政治家に見せない事などを要求し、実現するまで支払いを停止するとの宣言である。
 NHKの番組も見ているので、そこまではしないものの、『当り前』には支払うにも不満が残るために放ってあったのである。絶対に入金しないと決めているJA(農協)の口座振替のため、何時かは集金人が訪問する筈でもあった。
 「お父さん、どうするの?」、「支払ってやれ」、と支払った後で、集金人が妻に発した言葉から頭に火がついた。
「今、何と言ったんだ
 「テレビを買った時点で支払い義務がある」、「払わなければ滞納として残り、最後には払わなければならない」と、言いたい放題の集金人に反論の嵐である。
 「じゃー、NHKが映らないように電波を止めてくれ」、「電波が止められなければ、意地でも見ないぞ」などとやりあっていると、「受信契約書がある」と集金人が話した。「そこまで言うならその契約書を持ってこい」と怒鳴ったが、ありもしない『契約書』を「ある」と主張する集金人に、「無ければ今後払わんぞ」と、NHKへの確認を求めて帰らしたのである。
 早速に名古屋から電話があった。「昔から受信いただいているので、受信契約書はありません」と、集金人とは全く違う対応で平謝りであった。いくらアルバイトとは言え、払って当り前、「法律で決まっている」との乱暴な対応に、反逆児の血が騒ぎ『言いたい放題』の主張を繰り返したが、数ヵ月後にも同じ集金人が来るのか私は心待ちにしている。
                              5月25日の一言
中国副首相帰国に喝采…
 中国の副首相が小泉首相との会談を突然中止し帰国した理由は、靖国神社を巡る小泉発言が原因と報じられている。
 中国当局も外交の常識から外れているものの、『靖国問題』に対する反発のメッセージと語り、小泉首相の靖国参拝問題に対する不満を改めて示した。
 愛知万博を訪問し、日本の経済界要人と精力的に会談を続け、日中の友好関係修復が期待されていただけに、突然の帰国は残念であるが、当面は厳しい両国関係が続き、日中友好の光を見出す機会は小泉退陣まで続くのかもしれない。
 政府や内閣閣僚からは、中国の対応に厳しい批判が相次ぎ、武部幹事長は靖国神社参拝への反発は『内政干渉』と発言しているが、靖国神社へA級戦犯を合祀した事に対しては、日本国民の中にも異論が多く、国民の幅広い理解を得た合祀ではないと思われる。
 むしろ、戦争終結から60年が経過した今になっても、同朋の受けた被害を忘れず一丸となって抗議する中国政府に喝采を送りたい心境である。
 それに引き換え、日本政府や経済界の対応には一貫性がなく、過去の戦争責任を忘れ、自国の利益が優先されているようで不快でもある。
 歴史に忠実であれば、太平洋戦争は軍部の強硬派の意見によって被害が拡大し、終結も遅れたのである。A級戦犯の中には、敗戦が確実になった最後まで『一億総玉砕』を叫び、降伏にも反対を続け、多くの日本人兵士や国民の犠牲者を増やし続けたのである。
 すべてのA級戦犯では無いとしても、戦争末期にすべての日本人を道連れにしようと主張した戦犯と一緒に祀られる事に納得する犠牲者や遺族はいない。過去には戻れないだけに、過去の反省と責任を忘れ、中国を批判するだけの政府首脳や閣僚にも強い自制を求め、一刻も早い両国の友好関係実現を求めたい。
                              5月24日の一言
公職選挙法の矛盾から…
 「会長が亡くなったら盛大に送ってほしい」と言ってきた人があった。私個人の後援会とは言え、住民の当然の感覚として、多くの会員をかかえる団体の『長』が亡くなれば、最後の葬儀ぐらいは花輪や枕飾りを盛大にして送りたいと考えるのは当然の事でもある。
 ところが、公職選挙法では私個人だけでなく、私の家族名によるそれらの行為を『選挙違反』として厳しく禁止しているのである。
 「後援会はお前に関係なく、我々の団体だから団体としてやる事は勝手だろう」と食い下がる知人の声に、判っている事ではあったが選挙管理委員会に問い合せた。結果は勿論『ダメ』であるが、この法律にも矛盾はあるし、このままでは議員は地域の中で当り前のお付き合いが出来ないのである。
 『冠婚葬祭を利用した選挙の事前運動は厳しく制限される』べき法律の主旨は当然の事として理解できるが、我々議員にも先祖から引き継いだ親族もあり、近所付き合いもあり、お寺などとの家としての付き合いがあるのである。
 私が父親を亡くした時、私は議員ではなかったが、後援会長から香典と果物を贈られていた。議員となった今でも、その返礼をする事は当然の責任と思われるが、公職選挙法はそれを制限しているのである。
 考え方によっては、寄付行為の禁止された議員は余計な出費が必要なく、有難い様に映るかもしれないが、地域社会の常識では非常識として説明がつかない時もある。「選挙の時に物を配った議員も捕まっていないだろう」と言われると、問題だが妙に説得力がある。
 議員も地域の中では、一軒の家の住民であり、一人の住民として普通にお付き合いを果たすためにも、公職選挙法の厳守と改善にも期待したい。
                              5月23日の一言
終生後援会長に…
 『死人に口なし』という『ことわざ』がある。死んだ人は無実の罪を着せられても言い訳をする事ができない等の意味で使われる『ことわざ』である。
 こんな極端な意味は無くとも、一旦息を引き取れば、何も言う事は出来ず、人々の勝手な思い出や思い込みによる会話が交わされるのである。
 本日葬儀で見送った後援会長『大鹿景孝』は、私の親の代以前からのお付き合いで、息子が私の同級生でもあり、引退し隠居を決め込んでいたところを無理矢理お願いした会長でもあった。
 「ほっとけ会長」と冗談を言われても、会長としてタテ社会の後援会ではなく、上下関係のない『私の身勝手』に理解ある役割を果たしていただいた。
 平成10年の初冬に訪問した家で苦言を聞いた。私のお願いした『後援会長』では応援する事は出来ない。会長を代えれば聞けない話でもないがという内容であった。
 選挙を翌年に控えた12月の事であった。会長の選択を理由に『町内で推す事は出来ない』とその人物は厳しく断言した。私の出馬を聞いてから、何かと引き止める対応策がその後目に見えるようになった。
 要は私の出馬を阻止したかったのである。そんな逆風をものともせず、我が道をいく政治活動を身勝手に展開できたのも理解ある会長の存在が大きかったのである。
 本日の葬儀には、その時の発言の人物も見送る姿があった。その心中は伺い知る事ができないが、送られる後援会長は何も語らない。しかし、亡くなった後援会長のためにも『法を犯さず』、正しい政治活動を続け、亡くなったこれからも、私が議員であるうちは『終生後援会長』であり続けてほしいと思っている。
                              5月22日の一言
今度は何処にした?…
 昨晩は後援会長の訃報をもらいながら、町内有志の『飲み会』も約束してあり、我を忘れるほど飲んで帰宅した。完全な午前様である。
 本来なら旅行に備えて体を休める筈が、行けない事から開き直っていたが、早朝の人の見送りまではとハンドルを握る体の体調は最悪でもあった。
 「あんたが行くから参加したのに…」と言う人に謝りながら、明日までの安全を祈りながら運転を交代し、東海大橋近くから淋しく見送った。
 昨晩はひどかったらしい。「こんな酒飲みには付き合ってられない」と、私がトイレに入った隙に帰った酒豪で鳴らす知人があったそうだが、帰った姿が記憶に無いために、自分でも知人と何時別れたのかが判らず真剣に考えていた。しかも、2件目の店は自分が誘っておきながら料金を支払おうとすると、「既にいただいています」と言われ、後から入ってきた知人の足らず分を払っていたり、とにかく酷い飲み方をしたらしい。
 体が正常に戻ったのは午後になってからである。通夜と明日の葬儀の準備で汗を流すうちに正常に戻った次第である。
 2日前までこの家の主であった会長は、祭壇の棺桶に安置されて何も言わずに横たわっている。親の代からの付き合いで、跡取が同級生であるため、子供時代からの思い出があるが、最近は自分の主催する旅行を楽しみにされ、「今度は何処にした?」と事務所を覗くのが通例となっていた。
 よくよく考えてみると、最近は仏様のようになっておられ、何事にも腹をたてる事もなく、おだやかだったような気がする。四国霊場巡りの満願から一週間。「四国を廻れて良かった」と言って一週間での旅立ちである。通夜から帰る四国巡礼の仲間の姿を見かけた時、深い悲しみが襲ってきた。できれば悲しい涙ではなく、笑顔で旅立ちを見送りたい。
                              5月21日の一言
突然の訃報に…
 玄関のインターホンが鳴り続ける。我家と親しい人や、内情が判っている人は玄関ではなく事務所に廻るため、玄関のインターホンの音は最近多い『訪問販売』が多い。
 しかし、早朝のインターホンは改まった相談事か、良くない出来事が多いため考えていると、戻った妻の口からびっくりの事態が発せられた。
 「会長さんが亡くなった」との一言から、小さな頭の中でアレコレ考え寡黙になっていた。「とにかく行ってきたら」と急かされるものの、行く前に解決しておかなければならない大きな問題が横たわっていた。
 マイクロバスを借り、明日から富山方面へ出掛ける予定が立ててあり、ハンドルを握る運転手は私自身なのである。突然の事態に大騒動となり、慌てて代わりの運転手を捜すものの、簡単には見つからない。
 旅館も予約してあり、マイクロバスなどの解約も考えると多額のキャンセル料がかかり、延期したところで全員の都合が合う事は難しい。旅館を予約した知人は「頭が真っ白になった」そうである。
 強行すれば、JR西日本のボーリングや宴会問題の再現で、「大鹿は後援会長の葬式に出ずに旅行に行っていた」と批判を浴びる事は確実である。
 運転手も見つからず、キャンセルの決断も出来ないままに会長宅へ行く。四国巡礼の旅で満願を果たして一緒に高野山から帰って一週間の事である。信じられない現実がここにある。
 幸いにして代わりの運転手も見つかり、事なきを得たが、何事が起こるか判らない世の中と、自分の責任を痛感した一日になった。
                              5月20日の一言
来客も郵便物も多種多様…
 本日は久々の『空白の一日』であったが、午前中から来客が続き夕方を迎えてしまった。また、遠方から嬉しい便りも届けられ、眠られぬ夜となりそうでもある。
 一昨日の一言に、鶴田浩二の記事について記したが、本日は東京の書店に依頼してあった『鶴田浩二』そのものが題名となった本が届けられた。この本は生前から鶴田浩二と親交が厚く、家族とも付き合いのあった『杉井輝応』氏が記し、没後10年に発行されたもので著者より『恵存』のサインが添えられた貴重なものであった。
 一通は京都からの便りである。7月3日に同志社大学で開催される日本とミャンマーの合作映画『血の絆』の特別完成披露試写会と、ミャンマー写真展への誘いであった。
 この映画は、第二次世界大戦末期のインパール作戦に赴いた父親とビルマ人女性との間に生まれた『異母弟』を、日本人の姉が捜し歩き、めぐり逢う愛と感動の物語で、企画から14年という長い歳月を費やし、多くの支援者により文化庁『日本ASEAN交流年2003記念事業』として完成したドキュメンタリー映画である。
 関係者から誘われており、自身の予定は空けてあったものの、届けられた大きなポスターと大量の宣伝パンフを眺めていると、関係者や実行委員会の並々ならぬ意欲が推察され、3時間21分の超大作を津島市からも鑑賞に出向く決断をせざるを得ない心境になってきた。
 しかし、8月16日にも京都大文字行きが決まっており、愛知万博の影響でバス代も高騰しておる中で、今まで企画した事のない写真展や映画試写会への遠出でもあり、満足してもらえる味付けが必要とされる決断でもある。
                              5月19日の一言
映画『血の絆』にリンクします。
不謹慎な発言…
 17年度の津島市議会の役割を決める臨時議会が、2日間の会期で本日終了した。議会の裏側で繰り広げられる役職の配分を巡って、目の色を変えている議員もあるようだが、私は個人主義を尊重する二人会派であり、議員になって以来、文教委員会に所属を定め、すべての委員会に出席する前提で行動しているために単なる『セレモニー』の感もある。
 大所帯の会派が主導権を握るのは当然の結果だが、決算審査特別委員会の長を選出する会議場で、多く質問する議員を委員長にまつりあげ、発言の機会を減らして委員会を早く終わらせたいという主旨の不謹慎な発言があった。
 市民の代表として行政に対する疑問を問い、財政状況の厳しい瀬戸際施政の中での健全運営に目を光らせるべき議員の責任は大きいが、議員に対する市民の厳しい不信感も増幅されつつあり、市民に直接聞こえない席とは言え、議員感覚の大きな違いと、議員活動に専念する立場としては迷惑な存在に感じられた。
 ただし、最近の議会運営は、多数決の結果とは言え、行政の提出した議案がそのまま通過している感もある。又、学校教育については、教育現場の現状が十分に伝わってこないまま変革され、議会の存在がかすんでいる現実も感じるものである。
 市民の話題にもされつつある『赤字再建団体』(いわゆる倒産)の噂をかき消すためにも、議会と議員の存在を示す議会運営に努めたい。
                              5月18日の一言
忘れまじ愛国的反戦主義者…
 数年前に草柳大蔵氏(故人)の記された『礼儀覚え書』を購入して以来、読みたいと思う本との出会いが無かったが、久々に書店に申し込んでまで入手する事になった。
 月刊誌の中に『鶴田浩二』の名前を発見し、書店に注文して入手したものだが、久々に一字一句まで確認して読むと同時に、記した『酒井 信(まこと)』なる20代の若き文芸批評家の記事に感銘するとともに、改めて『鶴田浩二』の生き様をファンとして無にしない事を誓った。
 何よりも、記した酒井氏の年齢にびっくりさせられた。昭和52年生まれと言えば、私の息子と変わらぬ世代である。私でさえ、「何故に鶴田浩二」と言われる年代であり、彼が小学生の昭和62年に鶴田浩二は亡くなっているのである。
 『傷だらけの戦後日本と鶴田浩二』と題して、三島由紀夫と意気投合し、英霊の影を背負って生きた鶴田浩二から戦後日本を逆噴射するとして13ページにわたって記された内容であるが、人物像を記す事だけでも大変な時間と労力を要したと推察され、昭和の元号とともに生まれて没した鶴田浩二をとおして『戦後日本』をものの見事に書き記している。
 軍服姿で唄う軍歌や、任侠映画のイメージによって『鶴田浩二』のイメージが勝手に創作され、右翼の街宣カーから唄声も流されるが、鶴田浩二は亡くなるまで愛国的反戦主義者であり、戦死した仲間の遺骨収集などに多額の蓄財を提供した。
 昭和天皇から招待のあった『園遊会』を断った際に、「俺は行かない。たった一言でいいから『すまなかった』と先に死んだ戦友に言ってやってほしい。その一言がない限り、俺は園遊会には行かない」と友人に語ったという。
 20代の若い文芸批評家が、『鶴田浩二』の人生を再評価し、ものの見事に戦後の日本を記した事に、心強く感じた瞬間でもあった。
                             5月17日の一言
中途半端な不戦敗…
 町村合併によって新しく誕生した愛西市の初めての市長選挙が終わり、初代市長に旧佐織町長の八木氏が当選を果たした。
 選挙に当落はつきものだが、僅差で落選した大島氏は54才と若く、引退する歳ではないだけに今後の去就が気になるところでもある。
 選挙には地縁、血縁と言われるが、親族ではないものの『親戚廻り』に近い縁者として大島氏に期待をしていたものの、世間の風評とは違い、選挙戦は当初から積極的な八木陣営に対して、受身の態勢となり、旧佐織町より人口の多い旧佐屋町の前町長でありながら苦杯を味わう事となってしまったのである。
 完全な選挙対策の失敗であり、負ける筈のない選挙を落としてしまったのである。新聞に報道されるイメージも悪く、『行政一筋』とか『真面目』では浮動票もつかめず、自民党の推薦もまったく力にはならなかった。
 「大丈夫」の意識が選挙前の対策を遅らせ、陣営の動きも極めて悪く、最後に自民党県議や元総理大臣の登場で間口を狭めてしまったのである。危機感から精一杯頑張った八木陣営に対して、中途半端な不戦敗のような気がしてならない。
 しかし、住民も政党や大物政治家に流される事なく、初めての市長に誰が一番相応しいかを真剣に考えた結果が68・28パーセントの投票率になって表われている。津島市への行政批判と平行して始まった合併で誕生した愛西市であるが、財政状況は津島市と同じく厳しい状況で、借金残高の多さも津島市を批判できる立場ではない。新市長の抱負が市民生活に生かされる事を期待したい。
                              5月16日の一言
親戚の親戚廻り…
 本日は父親の13回忌の法要を営み、忙しい中で親族に集まってもらった。こんな事しか親族が集まれない現状の反省もあるが、淋しいのは集まる人々の顔ぶれが変わっていく事にもある。
 「お前から間口を狭めてはだめだぞッ」と言って、親戚を減らすなと口癖にしていた親族も6年前に亡くなり、残された親族は法要もしない事から欠席となった。同様に法要の案内も無くなった遠縁も一軒減った。
 それでも多い親族の存在は心強くもあり、近所では新家や分家と言った古い付き合いが続く。心配は自分の子供達が、この関係を継続していってくれるかどうかだが、東京から引き戻した長男と名古屋に住む長女が手を合わせていた姿に少しは安心した法要でもあった。
 議員には『親戚廻り』が多くある。親戚の親戚まで縁をつなげば、津島市内でもびっくりの数となる。まったく他人として同席していた人が親戚の親戚だった事も多くあり、我家の親戚の親戚までぐらいは家系図にして残しておくのも必要かもしれない。
 親戚と言って訪ねられても、私が不在で誰も判らなかった遠縁が昨年現実にあったのである。子供や妻には判らない遠縁も存在する事から、今一度記しておく必要もありそうである。
                              5月15日の一言
大人げないぞッ…
 「四国参りに行った後にしては、大人げないぞ」との指摘があった。昨日の一言に対する言葉であるが、確かに『大人げない』行動との反省はあったが、一緒に同行する人々の中にも『ただならぬ雰囲気』を感じていた人もあり、「きっとそうなる」と確信をもって私を眺めていたようでもある。
 私は偏屈な性格かも知れないが、旅行先の店や宿泊場所に不備があっても大抵は我慢しているが、規模が大きいかわりに横柄で無責任な相手や、客によって態度が違う相手は大嫌いである。
 特に、昨日記したドライブインのように、ミスをミスとも思わず、後で包み金や粗品を渡して済まそうとする例は大嫌いである。
 ただし、反省すべきは同行者の一部に心配をかけた点と、夫婦とは言え『余分な喧嘩』(いつもの事ではあるが)をした事にある。
 「好き嫌いはいけない」と言う人もあるが、それ故に『ひいき』やファンもあり、私にも旅先で親しくなった人々や、何気ない親切に感謝する事も多いのである。
 丹生川村(現高山市)の釣り堀屋のオヤジさんには「今度はいつ来るンやな」と声をかけられ、京都からは定期便のように案内が届き、大徳寺門前の酒屋からは買った以上に酒を貰っては帰っている。四国からも50番札所の門前でアイスを売るオヤジさんからは温かい年賀状をいただいた。
 昨日は、事後の包み金や『土産物』で人のプライドを余計に傷つけられた気がする。「二度と行かないなら貰っておけば良かったのに」との妻の声には、『鶴田浩二』の悲哀の世界は到底理解されない『こだわり』の違いを感じるのである。
                              5月14日の一言
二度とこの店には来ないから…
 昨日に四国八十八ヵ所巡りは満願となり、本日は高野山・奥の院と金剛峯寺へ御礼参りに参拝した。
 巡り合わせとは微妙なものがある。私は全国各地に『なじみ』の店や親しくなった人々がある。しかし、まったくの逆で、二度と行きたく無い店や、絶対に行かないと思った店もある。
 このあたりの呼吸は夫婦でもまったく違い、微妙な事でも相譲れないのが私である。言葉を変えれば『へそまわり』なのである。
 本日の昼食場所を巡って、夫婦の意見が分かれ、高野山に参拝後に妻の進めるドライブインに入る事になった。とにかく22人の客が一度に入って来たのだから忙しいのは理解できる。しかし、多くの従業員(オバサン)が身勝手に働き、料金もけっして安くないのに地の利で人が入る店である。
 全く当方を無視して注文をとり、何度も確認したにもかかわらず、皆が食事を終えて代金を支払いだしたにもかかわらず一向に注文した食事が届かず、後から注文して食事中の人の指摘から、我々夫婦の注文が忘れられていた事が判ったのである。
 「今からすぐ作るわぁ」との返事を「もういい」と断ったが、昼食抜きになる妻は慰留したが、店の対応が悪く、誰のミスかも判らず悪い事をしたとの認識もなく、「もう帰る」と食事中の仲間を置いて店を後にした。
 「申し訳ない、運転手さん。乗務員室へいって何でも食べて下さい」と従業員が追いかけてきたが、今さら「運転手」待遇は余計に腹が立ち、そのまま車の運転席に座り込んだ。
 しばらくして、「運転手さん」と、今度は「店の女将さんから」と言って、紙に包んだお金らしきものを差し出したのである。「いらんそんなもん余計に腹が立つ」と怒ると、「女将さんが渡せと言ってるから」、「モーいらん」、「じゃー、柿の葉寿司を二つ持っていって」、「俺は二度とこの店には来ないから」と以後は会話も断固拒否であった。
 悲しいのは、私達を見ていた同行者が『柿の葉寿司』を二つ買ってきて、「食べて」と差し出した事である。「私は食べません」の言葉に、妻が困って「有難う」とは言ったものの、以後は妻の険悪な視線を感じながらの運転になったのである。(ちなみに、同行者からいただいた柿の葉寿司は夕食時全員に配布し我々は口にしませんでした)
                             5月13日の一言
 四国巡礼中につき、『ほっこり庵エド』こと大川幸次さんに掲示板への代理書き込みを依頼いたしました。
                             5月12日の一言
摩訶不思議な数珠との再会…
 本日から3日間は、私にとっては2廻り目の四国霊場八十八ヵ所満願と高野山の『御礼参り』である。参加された22名全員揃っての満願への旅は嬉しいかぎりである。
 さて、何でも神憑り的に思うのは問題だが、昨晩は不思議な再会となった。
 前回の四国巡りから帰った後に『行方不明』になっていた私の『数珠』が1ヶ月ぶりに見つかったのである。1回目の四国巡りは勿論だが、それ以前から愛用していた数珠だったが、前回の四国から帰って2日目の親族の法要に持っていこうとした時から行方が判らず、毎日のように探していたが全く発見できず、半ば諦めていたのである。
 いくら探しても見つかる筈がない。見つかったのは、今回の旅行に借りたレンタカーのマイクロバスの運転席の下からであった。偶然にして、多くのバスの中から同じバスが配車されてきた事から、「もしや」と真っ暗な深夜の車中で手を入れたところ、当然のように私の手に戻ってきたのである。
 あれから1ヶ月間、バスは毎日のように借り出されていた中で、誰にも触られる事なく発見されずにいたのである。よくぞ誰にも見つからなかったものである。
 「数珠も四国に行くために戻ってきたのかなァ」と妻に言われ、「まさかァ」とは言ったものの、あながち的外れではないのかも知れない。
 2年前の四国巡礼中に突然切れた事があり、暗い寺の境内で拾い集めてから修理した事もあり、まさに四国の土を踏んだ数珠でもある。2廻り目の四国巡礼も終盤になって『摩訶不思議』な再会と、一緒に巡礼してきた数珠の発見で、もやもやした気持が晴れての旅立ちとなりそうである。
                              5月11日の一言
苦情だけは共有する住民同士…
 地域内では様々な出来事が起こり、時には隣接する家や地域住民に迷惑をかける出来事や、迷惑はかけないものの余分な心配を与える状態の案件もある。
 地域住民は直接市役所や関係自治体に訴える人もあるが、多くは我慢に我慢を重ねてから町内会役員や地域関係者に救いや妙案を求めるのである。
 問題は、その後の対応である。町内会役員に伝えても、一向に解決しないとか、市役所に電話しても無しのつぶてとか言った声が当方の耳にも入ってくる。
 「町内会ではダメだ」とか「市役所は怠慢だ」との苦情だけは住民同士で共通し、すべてが一緒に語られると、何が何だかさっぱり判らなくなってくる。
 本来は一つ一つの対応が違い、担当や処理の方法も違うのであるが、町内会によって相談する市役所窓口まで違って後任者に引き継がれている現状の中で、行政のたらい回しも当然のように起きてくるのである。
 又、市民の行政不信によって、「市役所なんかあてには出来ない」と信用されず、職員が対応していても理解されない面も多いのである。行政と市民のカベを取り払い、何も判らない住民同士で相談しているくらいなら市役所に直接電話される事をお勧めしたい。
 明日からは四国八十八ヵ所巡りに出向くため、連休中に市民から受けた相談や苦言を(すべて処理したつもりだが)行政に届けたが、御礼の電話も集中し、嬉しい反面、仕事が止まったり遅れる副作用も大きい一日となった。
                              5月10日の一言
何時まで良いですか…
 忙しさも人間(私)の限界に達する一日となった。昨晩会食後に帰ってきて残した仕事を処理し終わったのが午前一時で、起床の時間が午前3時15分だった。
 3時半から会報を配布に走り、帰宅後に仮眠の後、連休中に受けた相談の処理に走り、個人的な事だが歯医者に寄って、市役所に戻り、仕事を終えた後に印刷所に立ち寄って帰宅した。
 『一八への手紙』に目を通し、今後のホームページに公表しようとしていると、電話の連続である。再度、パソコンの前に座ると知人夫婦の訪問である。奥さんは私の選挙の出陣式でマイクで激励をいただいたPTA活動時代からの知人で、久し振りに話に花を咲かせていると、遠方の知人から印刷の依頼(無償ボランティア)である。
 6千枚の印刷依頼に、1時間遅らせて約束し、印刷を始めると訃報の連絡があった。印刷の終了が8時を回る枚数のため、通夜は断ったものの、明日の葬儀も出向く余裕が全くないのである。
 「申し訳ありません」としか言う言葉がなかったが、弔電で済ませてもらう事になった。印刷が終わる間際に再び電話である。「どうしても相談したい事がある」との事であるが、出向く余裕も無く事務所への訪問を依頼すると、「何時まで良いですか」と問われ、「夜10時までは事務所を開けています」と答えた。結局、帰られる時には時計が11時を指し、外へ出ると自転車での訪問であった。
 「一杯飲んでから車はいかんでしょー」と言われ、深夜の自転車を恐縮して見送る事になったのである。明日も3時15分の起床であるが、会報配布の最終日にしたいと思っている。(今になって気がついたが、晩飯はどうなったのか)
                               5月9日の一言
犬の乱入に大混乱の落語会…
 自己満足かも知れないが、本日開催した『まちかど座談会』は参加者の数(18名)の大小はさておき、しっかりとした事前案内の結果だけに、参加された方々に何かを持って帰ってもらえたと思っている。
 最近の座談会は、厳しいスケジュールの中で、通り一遍のチラシを配布しただけで開催しており、「せっかく開催するのだから何とか」との気持を忙しさがさえぎってきた。市民の皆さんの声を聞かせてもらいたいと言う目的が、地域に伝わらないまま回数を重ねてきた反省から、今回は事前案内にも力を入れた開催でもあった。
 さて、予測出来ない事は参加者の顔ぶれであるが、浪漫亭砂九さんによる『出前寄席』には、途中から公園で遊んでいた子供達が飛び入りで入ってきた。
 当初は静かにしていた子供達だが、突然笑ったり、トイレに行ったり戻ってきたりと、落語を聞く限界を超えて古典落語が続いていた。小さな子供の事ゆえに怒る訳にもいかず、追い出す事も出来ずに困っていると、会場内に突然と犬が走り出したのである。
 外から子供達が迷子の犬を連れてきたのである。会場を走り回る犬と子供達で、落語どころではなくなってしまったのである。「さすがに犬には聞いてもらった事がない」と、犬と子供達を連れ出しての再開となったが、とんだハプニングにびっくりの落語会になった。
 何人の参加があるか判らない座談会だが、企画して実施する以上は「一人でも多くの人に会場に来てもらいたい」という熱意を持った案内と必要性を痛感した座談会となった。
                              5月8日の一言
厳しい財政状況の共有…
 何もせずに一日を過ごしてしまったのではなく、何も出来ないままに一日が終わってしまった感がある。午前中は隣の愛西市の市長選立候補予定者の後援会事務所を訪問し、立候補予定者の親族と話して帰ってきたが、同席した市民の声を聞く限り、津島市民に比較して市政の報告が行き届いておらず、新設の市政とは言え、今までの町制と市制の違いを実感したものである。
 さて、昨日の市役所で、幹部職員と津島市の厳しい財政状況が話題となった。間違い無く数年後に予測される厳しい収支の財政状況は一致するものの、担当職員も厳しい財政状況を改善するために骨折っており、巷で噂される『赤字再建団体(倒産)に陥る』との発言は、勝手なデマで終わらせたいと思う。
 市町村合併をしない市町村には、国の交付税の減額があり、新たな事業展開も望めないが、少なくとも数年後に厳しい財政状況を迎える事が判っておれば、市民への情報提供も積極的に行い、各種団体への補助金などへの減額にも理解をもらわないとならない。
 今年度も各種補助金は一律一割減額されているが、十分な説明がないために津島市の対応に対する不満の声も耳にする事がある。
 本来は、国の(借金のつけによる)政策転換によって厳しい財政状況に陥る面もあり不満も呈したいが、津島市の過去の箱物行政のつけも大きく、行政や政治に関わる我々議員の責任も重大であるが、箱物行政の恩恵に市民も預かっている面もあり、隣接する市町村より恵まれた各種制度もある事は認識して欲しいものである。とにかく厳しい現実は動かし難く、行政も住民にも厳しさを共有する事が重要でもある。
                               5月7日の一言
取材側の横着に…
 4月25日に発生したJR宝塚線の脱線事故は、その後の調べで亡くなった運転手の技術的な問題も指摘され、JR西日本の安全対策と危機管理意識の低さが問われている。
 戦後有数の列車事故となったので、JR西日本の企業責任は当然と言えば当然の事だが、事故の大小に関わらず、事故防止の為には小さな危険にも目を光らせて欲しい。事故後に全国各地で起こっている線路への置石事件は、現在被害は報告されていないものの、今回の事故以上に『悪意に満ちた確信犯』で、厳しい断罪が必要である。
 本日の一言は、事件に対して正義面して徹底的に批判するマスコミや、評論家にも苦言を呈したい。
 記者会見の様子がテレビに映された際、公平で中立的な報道を求められる取材に、まるで自分が被害者や遺族に成り代わったような言動で追求する場面が報道されてきた。「おまえが被害者じゃないだろうが」と言いたくなるような、取材側の質問と批判の嵐に疑念を感じつつ、一方的に流される情報を受けざるを得ない現状はいかんともし難いのである。
 これはマスコミだけの問題ではなく、ローカルな有線放送『クローバーテレビ』でも同じような勘違いをしているので機会があれば苦言を呈したい。
 「大鹿先生、ばっちり映っていましたよ」と言われて、何かと思えば、元旦の津島神社への参拝風景であった。まったく非常識な事に、クローバーテレビは参拝客(私)が手を合わせる参拝風景を、拝殿の前から映して放映していたのである。人が真剣に祈る顔を勝手に大きく放映してほしい人間はいない。
 クローバーテレビは放送の基本すら理解しておらず、映りたい『出たがり屋』の存在を良い事に、津島市の藤祭りや『まちあるき』でもムードをぶち壊す撮影を続けたのである。レベルの低いローカル放送と言えども、何でも許される訳ではなく、公共放送としての認識ぐらいは持ち合わせ、テレビやインターネットの配信に支障を出さない企業責任だけでも果たして欲しい。
                               5月6日の一言
忙しいスピード社会の見直し…
 慢性的な忙しさは、余裕の無さでもあり、世間の情報も偏ってしまう可能性が高い。「忙しい」事を理由にした行事への断りや、「忙しい」と言う事が当然と思う風潮は改めて(自戒も込めて)いきたいと思う。
 さて、107人の死者を出した兵庫県の列車脱線事故では、JR西日本の管理体制の甘さと、ずさんな安全対策などに批判が集中している。高速で走る新幹線でも死亡事故が起きない事から、間違って作られた『安全神話』の勘違いを、鉄道会社だけでなく我々も考え直す必要があると痛感している。
 忙しいスピード社会の中で、見過ごされている危険は身近な所にも存在し、列車事故の後に企画実行した『日帰りバス旅行』でも、渋滞して遅れる行程の中で、食事やイベントの約束から急いでも消化していく。個人的には企画主催する立場から、無言ではあるが「もっと早く走れ」と運転手を急かしているのである。
 鉄道もバスも相手のある道路や交差点、踏み切りなど事故の危険性はどこにでも存在し、安全運転のためには今一度スピードの見直しが必要なのである。時間に正確な日本の鉄道とは言え、通勤ラッシュの遅れは乗客の無理な乗車にも原因がある。
 企業が利益を第一に考えるのは当然な事だが、利益よりも磐石な安全対策が必要な事を今回の事故が物語っている。運転手が不要な無人バスが万博会場に走っているが、現代の科学力を考えると企業の安全対策だけでなく、大量輸送が可能な都市部の恩恵も考える時には、多少の遅れには目をつぶり、安全対策を第一にするために乗客の理解も重要である。
                              5月5日の一言
何もしないと非常に疲れる…
 ゴールデンウィークの真っ只中にあり、一日を市内のイベントへの参加に費やしたが、ここ数年間にこんなのんびりとした日は無かった。
 天王川公園周辺は車の大渋滞となっていたが、こんな風景も久し振りに見たような気がする。考えてみると、この時期に市内を観光気分で歩いたのは初めての事で、昨年の一言を読み直すと、昨年のゴールデンウィークは雨に泣かされており、私は京都に出向いていた事が記されている。
 一年の経過の速さと、年々減退する体力を実感するゴールデンウィークになった。旅行を企画したり、座談会を開催したりしているが、行事に参加する『受けての苦痛』は、企画側以上に疲れる事も感じ、今後の参考にもしたいと思う。
 さて、私にとってのゴールデンウィークは本日で終わりで、明日からは会報の増刷と配布や座談会の主催となり、来週の四国巡りから臨時議会に至るのである。もっとも、昨日に少し書いた隣の愛西市の市長選も、限られた日時の中ではあるが責任は果たしたいと思っている。
 浮かれた気分を一新し、明日からのスケジュールを見直すためにも、本日の一言はここまでにして明日からに備えたい。
                              5月4日の一言
デマに心揺さぶられた祝日…
 本日は憲法記念日であるが、新たな祝日が追加された事から、ゴールデンウィークの中の一日に埋没してしまった感がある。
 早朝から残されていた約束に走り、会報の追加印刷をしていたが、来客が続いたため津島市の『まちあるき』に参加したが、久々に津島市内の渋滞を経験した。
 しかし、隣の愛西市では、近々合併後初めての市長選があり、関係者は忙しいゴールデンウィークを送っている事を伝え聞き、忙しさを共有する点ではホッとした気持にもなった。
 ただし、隣の街の市長選とは言え、立候補予定者に地縁のある候補者があり、選挙戦につきもののデマを津島市民から耳にした為に、デマとは言え一瞬にして熱が入り、後援会事務所に連絡するに至ったのである。
 デマは真意が伝わらないどころか、間違った認識を与えるとともに、場合によってはマイナスの結果を与える事を、本日は自分の体験として実感する事となったのである。
 さて、本日の訪問先で紹介されたご婦人に、「はじめまして」と挨拶したところ、「はじめてではないでしょ」と言われてびっくりする一幕もあった。大変に失礼な事だが、1ヶ月前の会合で一緒になり、しかも隣に座っていたとの事だが、隣のご婦人の顔を覗き込む事はしないために全く認識しておらず、肩書きのある人だっただけに今後の反省としたい。
 もっとも、相手は議員として当方を見て認識されるが、多くの市民の顔を記憶する事には限界があり、特に女性の顔を覚えるのが苦手なだけに、真剣な対応を考えないと「何様のつもり」とデマが飛ばされるのかもしれない。
                               5月3日の一言
地域住民の勘違い…
 ゴールデンウィークの谷間となる平日である。市役所関係の仕事は28日以来で、本日を逃すと6日まで遅れる事から、慌てて連絡するも「担当者が休みを取っており…」との返答では、行政も1週間は休みと同じ結果となり、市民サービスの面では検討も必要である。
 考えてみると、本日と6日に2日間の有給休暇を取れば、10日間の長期休暇が可能となり、海外旅行も出来るまさしくゴールデンウィークを認識した。四国八十八ヵ所巡りも一度に一巡できるチャンスであるが、私にとっては雑用で終わりそうである。
 さて、昨日の一言の終わりに行政の説明不足を記した事に、早速反応をいただいた。言葉足らずであったが、行政の説明不足と同時に、地域の閉鎖的伝統や、勉強不足も存在しているのである。
 我が町内には、隣の許可がもらえないと水洗便所に出来ないと思っている人や、法的に何の根拠も無い条件をのんで浄化槽を設置している人も存在する。
 昨日の水路清掃の際にもそんな会話が交わされたのである。いつまでも昔の条件とは違い、今や単独浄化槽の新設が禁止され、新築には生活廃水も浄化する合併浄化槽の設置が義務付けられ、我が町内は4年後には『日光川流域下水道』への配管が求められ、町内説明会が開催された後になっても、こんな間違った会話が交わされているのである。
 住民が行政に依存する体質は良くないが、時代の流れに反した『勝手な決め事』はもっと問題がある。先に記した天国のようなゴールデンウィークの中で、2日間も水路清掃(農業と街路)を実施する事にも一部住民の反発(特に若い人々達)があるが、そういった声が町内会に挙がらない体質改善も、円滑な町内行事を運営していく中では急務でもある。
                              5月2日の一言
若い者に任せるわ…
 本日は町内会での側溝の清掃が実施された。町内の清掃作業を、理由もなく欠席する人が増えてきたと問題点を指摘される町内会もあるようだが、我が班は真面目に参加されており、ここには新旧住民のカベは存在しない(ように思う)。
 しかし、市民の要望として市内各地から届けられる『側溝の上にフタを』の結果が、側溝の清掃の大きなカベになっているのも皮肉な現実である。
 参加者の多くが高齢化していく中で、側溝に次々とフタがされており、これらを上げて清掃する事は年ごとに大変な作業となっていく。
 「若い者に任せるわ」と言われて、私が作業を始めると、「一八さんが若い人なのォ」と言う囁き(ひやかし)が聞こえてきた。一瞬、廻りを見渡したが、若くはないが、町内ではこれでも『若いもん』なのである。
 「市役所にやってもらわな、いかんわなぁ」とは、田んぼが無くなって生活廃水の溜まり場と化した水路の清掃に対する声である。私が議員のために出た言葉であろうが、人々の意に反してはっきりと否定した。
 使われていないとは言え、農業団体の所管する水路で、津島市は農協をはじめ、土地改良区や町内の実行組合にも農協を通じて補助金を出しているのである。本来充てられるべき予算を使ってやるべき清掃を、何でも津島市と言う言葉と、発した人物が農協職員だっただけに無責任な発言と、それに同調する市民にははっきりと説明しておきたかったのである。
 高齢化が進むと同時に、宅地化も進み、抜本的に考え直す必要のある事案が数多く存在する事と、住民に対する行政の説明不足を再認識させられる一日となった。
                               5月1日の一言
これもご縁と言うもので…
 昨日の京都は一日が歩き旅となった。新緑の京都に義経を偲んで、のサブタイトルをつけた日帰りバス旅行であったが、義経が生まれた牛若町は完全な街歩きのコースであり、終点にした大徳寺だけでも結構な広さである。
 鞍馬寺はケーブルによる上り下りであったが、それでも高齢者には大変な道程である。混んでいた事もあり、私達夫婦はあえて徒歩で挑戦したが、最近の減量のお陰で足が軽く、息切れも無かった事が以前との違いであった。
 大原も目的地が一番奥の『宝泉院』のため、大変な上り坂の道行きとなり、帰りはライトアップされても暗い夜道を歩いたのである。しかし、静寂な新緑の大原でピアノとヴァイオリンの演奏を聞くという機会は極めて稀で、こんな体験を多くの津島人と共有できた事が嬉しかった。
 大徳寺の門前には、私がひいきにしている日本酒『雪紫』の山国屋・細見酒店があり、『吟醸あらばしり』を車内用に買い求めたところ、2本分もする『純米大吟醸』を頂いてしまった。昨年8月にも同様な事があり、こんな事を繰り返してはいけないと固辞すると、「これもご縁というもので」と袋に入れられて貰ってきた。
 宝泉院では旧友の住職と再会(と言っても昨年11月から)し、今回の『夢コンサート』を企画されたプロデューサーO氏から7月に同志社大学内で開催されるイベントへの参加を勧められ、私の大好きな京都を満悦した長い一日となった。
 自己満足は結構だが、鞍馬には大型バスの乗り入れ許可証が必要であり、本来は入れなかった事や、参加費の高騰をさけるため紹介された夕食会場に難点があり、旅行会社の調査不足として片付けず、今後の反省点としていきたい。参加者の多くは大変疲れて、本日は完全休養の人もあると思われるが、旅の楽しさを体で体験できた一日になったものと勝手に思い込んで記してもいる。
                             4月30日の一言
市役所で配布される一言… 本日は朝日旅行友の会の京都行きで、帰宅が深夜になるために朝一番の書き込みです。
 以前にも記しましたし、23日の『いつも見ている?』にも記しましたが、市役所の職員が多数このホームページを見ている(?)との話の顛末です。
 市役所からいくら多く訪問してもらっても、メールアドレスが同一のために、当方の訪問者数は一人分しかカウントされず、実際の訪問者数は判らないが、今まで市役所職員の視聴は全く眼中に無く、市民の皆さんを対象にして記してきたため、この一言に反応する市職員の存在によって、改めて『一言の重大さ』を感じ始めた次第である。
 市職員は見ているだけでは無かったのである。わざわざ、行政に関するこの一言欄はコピーされて関係職員に回し読みや配布までされていたのである。その時、その場の雰囲気と、自分の精神状態によって身勝手に記された、極めて思いつきの一文がコピーされ、綴じられて配布された現物を見せられ、恥ずかしさと同時に、後戻りは出来ない過去の一言集に記した内容が気になってしようがない。
 ただし、だからと言って「やんわりと抽象的に」との市職員の(善意とは言っても)声には耳を貸せるものではない。私が議員であるうちは『市民の声の代弁』が一番の公約であり、今後も市民感覚で発信を続けたい。
 しかし、実際には反省すべき事も多いのである。教員や市職員は議員だけでなく、市民に対して公平な対応が求められており、私の一言によって職員が特定され『色眼鏡』で見られたり、市民に対して出来ない期待を与えてはまずいので今後は配慮したいとは思っている。
 さて、せっかく見ていただけるのならば、掲示板に内部告発や上司の悪口でも記してもらいたいものである。発信者が特定できない事から、私への反論や異議申し立ても自由に書き込んで欲しいし、市民の皆さんにも、行政に伝わるホームページとして「辛辣な意見を寄せて下さい」と身勝手に記して出掛けます。
                             4月29日の一言
『ただいま留守です』…
 保険制度や医療制度が整った世の中でも、治療の効果が見込めない為に病院にも置いてもらえず、在宅での介護が不可能で家にも帰れず、病院や施設を転々とする津島市民も存在する。
 良い病院のランキングが雑誌になり、高度な治療を求めるのは当然の流れであるが、希望する医療機関や病院での治療が絶対に効果をあげるとは限らない。
 高度の治療や難しい手術は成功すれば良いが、失敗ではなくとも人間の体は最先端の治療を施しても効果がなかったり、逆に副作用を併発して悪化する危険度も高いのである。
 手術後の弊害で、脳梗塞、腎疾患、肝臓障害を併発して寝たきりとなり、喉に穴を開けて呼吸し、胃に穴を開けて栄養補給をする患者の家族から相談を受けている。以前は元気に旅行会に参加された方である。
 行き場が無いのである。何とか在宅への一途の希望を持って、治療(リハビリ)先を探すが、施設からの受け入れは絶望的で、病院も治療効果が望めないために受け入れが難しい。
 やっと何とかめどが立ち、連休明けの入院先が見つかったが、肝心の家族に何度連絡しても反応がない。昨日の事である。
 午前中から電話をかけ続けたが、夜になっても「ただいま留守です…」の繰り返しに、段々と一抹の不安が募ってきた。容体が悪化して付き添っているのか。もしかして…、ゾッ、と考えると責任感から心配が増幅されてきた。
 夜11時近い電話にも反応がなく、このまま明日を迎える気持になれず、直接訪問すると灯りが点いており、ひとまず安心して要件を伝えたが、眠れぬ夜となり一睡もできない事から2時半から会報配布に出たが、相手より自分の体が絶不調となり、本日は『頭痛薬』のお陰で立っているような状態となった。
                             4月28日の一言
「大鹿さん、最近痩せた?」…
 折角ご案内をいただいても、忙しさから訪問する事ができずに閉幕してしまう行事も存在する。関心が無い訳ではないが、欠席が許されない行事や、期限に迫られた仕事を優先していくとそのまま過ぎ去ってしまうのである。
 「何でそんなに忙しいのだ」と、疑問の声までいただく事もあるが、とにかく忙しいのである。議員専業のため、スケジュール表では余裕があるが、突然の相談や訪問が続き、出掛けた先でも『おしゃべり好き』なため時間を忘れて帰宅の繰り返しである。
 「大鹿さん、最近痩せた?」とは、本日の防災ボランティアの会合で出会ったご婦人の声であった。「本当ですか?」と白々しく聞き直すと、「病気かと思った」との返事である。2月に一緒に講座を受講した人の言葉だけに、つい嬉しくなって津島市保健センターで開催される『管理栄養士さんの栄養相談』の効果をPRしていると、「私も受けたい」との話になり、ちょうど保健センターに出向くため申し込みの代行を引き受けた。
 本日の体重は76キロである。一年前に保健センターを訪れた時の体重が82キロであったが、本年1月から管理栄養士さんの指導によって、食事量を減らすとか我慢して痩せるのではなく、美味しく食べて痩せる方法を聞き、最初は食習慣の改善が苦しかったものの、どうやら定着してきたようである。
 半年後の目標を75キロと管理栄養士さんと約束したが、結果は難しそうだが「倒れてからでは遅いよ」の言葉を噛み締めてみたい。もっとも、多くの人に保健センターの栄養相談をPRし続けているので、元に戻ってしまうと『保健センター』や『管理栄養士』の信用まで傷つけてしまう事から、責任も重大ではある。
                           4月27日の一言
千客萬来から天罰を免れる…
 人間のできる仕事量には限界がある。予定表をいっぱいにうめて、突然の来客や相談に走り回り、出会った相手と納得いくまで話していると最後は予定を消化できなくなる。
 昨日も、蛭間小学校の後で立ち寄った市役所で、教育長から声をかけられた。宇佐美教育長は15年ほど前に神守中学校の教頭を務めておられ、亡くなられた父親も蛭間小学校の元校長で、私の父親とも行き来があった事から、個人的には話しやすい事もあり、教育論議から外れた世間話に花を咲かせたものの、帰宅後の事務所に残された仕事を処理した時、時計は午前1時を廻っていた。
 列車事故の特集を見てから寝たものの、起床時間の午前3時には起きられる筈もなく、目覚めたのは午前5時近かったのである。
 2時間の遅れを何とか日中に埋めようとした頃には、突然の雷雨によって外出もままならず、旅行の準備を進めておれば、来客が続いて夜の書道会に突入してしまった。
 昨日の再来である。明日も予定はぎっしりと入っている。予定は同じく3時起きであるが、昨日よりは間違い無く仕事が増大している事と、予定ははっきりしている事から、明日は妻の協力を仰ぐ事になったが、妻にもボランティアの予定が入っており、完全な挫折を覚悟する事になった。
 幸いにして、一昨日『天罰が下る』と綱渡りの人生に記したが、29日挙行の京都行きは満席となって天罰を免れる事となった。満席のために断りを入れた人のためにも、十分な準備によって参加者の満足を得たいと思う。
                             4月26日の一言
校長と教頭のコンビネーション…
 地元消防団の依頼を受け、グランドを借りる事から久々に蛭間小学校を訪問し、学校長や教頭先生と暫しの教育談議(?)に花を咲かせた。
 途中から元PTA会長も加わり、かつてのPTA活動にも話が広がったが、津島市を相手に裁判を繰り返す教員の存在から、負のイメージも拭い切れないが、自分より若い40代の校長の存在に期待するとともに、教頭とのコンビネーションの良さから、蛭間小学校に対する認識を変えて応援したい気持で校舎を後にした。
 こんな気分で学校から帰ったのは久し振りの事である。こんな気分にさせた教頭や学校長の能力やコンビネーションには期待だけでなく、短絡的だが『合格点』を与えておきたい。
 学校の話題は悪い話が多く、現在同窓会長を務めている神守中学校に対しても苦言が多く、嫌がられて(?)いる私が合格点を付けるのは(自分で言うのもおかしいが)珍しい事である。
 久し振りと記したが、20年前に神守小学校の教頭を務められた森孝太郎先生(前佐屋町教育長・故人)に初めて会った時にも同じような気持を持った。「この先生なら」と感じさせるものが共通し、地域の信頼を得て良い学校環境を実現させて欲しいと願うものである。
 もっとも、良い先生ばかりを選りすぐって集める事は不可能だが、少なくとも『やる気』のある先生をその気にさせる教育委員会の人員配置と、議員の立場としては悪評の批判ばかりでなく、地域社会と一緒になって『良い学校』を実現させるための責任も感じさせられる久々の学校訪問となった。
                             4月25日の一言
綱渡りの人生…
 行事が近づくと、あいも変わらず『綱渡りの人生』がやってきて、泡をくう事となる。解かっていてもこれが治らないのである。
 「次は早目に企画して」と、口癖になっている旅行の企画であるが、旅行会社は早く企画してきたものの、まったく違う企画に変えた上に、料金の高い夜のイベントまで加えてしまい、旅行会社は大慌てで行程を組み直す事となった。
 29日の旅行の案内が、1週間前に出来上がった『会報津島の風』頼りなのである。「本当に大丈夫」と担当社員は心配でしようがないと思うのだが、今までは『奇跡的』に済ませてきたものの、今回こそは奇跡が通用するか疑問になってきた。
 28日まで必死に会報を配布しても普段の半分しか配布できず、残りはゴールデンウィークを予定しているため、タイムリミットは過ぎているのである。
 「今年は毎月旅行を企画する」と宣言しているが、大型バスの定員を満たす会員募集は、趣味の限界を超えているのかも知れない。
 『綱渡りの人生』を救っていただける人々のお陰で無事に日程をこなしているが、そろそろ天罰が下るのが自然であろう。朝3時に起きて会報を配布し、日中の約束や行事を消化していくと、まるで機械仕掛けのようになり、ゆっくりと考える余裕が無くなっていく。
 鶴田浩二の『傷だらけの人生』に対抗して、『綱渡りの人生』をキャッチフレーズになんて冗談が言えるだけはまだ幸せで、命を賭けた深刻な相談もいただいている。こんな事を書いている余裕が無いほど睡眠時間のタイムリミットも迫ってきた。
                              4月24日の一言
いつも見ている?…
 「大鹿先生(先生とは呼ばないでと宣言していますが)、足は大丈夫ですか」と、複数の津島市職員から声をかけられた。20日の事である。びっくりして「誰に聞いたの」と問うと、「いつもホームページを見ていますから」との返事が返ってきた。
 たまたま見たのだろうと質問すると、「いつも見ていますよ」との返事である。話し半分に聞いていたが、21日には前日の一言を読んだ職員が、勤務終了後に慌てて訪ねてきた。
 前日に記した『行政のやる気の無さ』を読んだ防災担当職員であった。うっかりミスによる欠席との事であったが、津島市だけの問題では無く、召集した愛知県の担当職員自体の熱意が足りず、管内の市町村職員も同様にお粗末な会議だったのだが、反応の早さに改めてびっくりして問うと、「いつもホームページを見ています」との返事であった。
 「いつも?」と疑念を感じて、「いつも見ている」と言ってくれる職員の指を折っていくと、かなりの数になってくる。
 それにしては一日のホームページ訪問者の数が合わないので、お世辞半分と思ってもおかしいのである。しかし、度々市の職員からホームページの感想を聞かされる事から、間違い無く見ていただいている事は確かではある。
 ホームページを開設して一年以上経過して、「誰が訪問しているのか」の謎を解くカギが一つ発見できた。市役所内からいくら多く訪問されても、カウントは一日に一人分しか記録していないのである。不特定多数、誰が見ているのか判らない事から、今一度発信者としての責任を痛感した瞬間でもあった。
                             4月23日の一言
スズメを見殺死に…
 気まぐれな天候が続き、午前3時にはどしゃ降りの天候が、6時には快晴となっており、「しまった」と思ったものの過ぎた時間は取り戻せない。昨晩は友人に誘われ、帰宅が遅くなったため「体を休めよ」との天の声と勝手に解釈する事になった。
 毎日のように殺人や自殺などが起こり、凶悪事件が当り前のように新聞やテレビから流されているが、本日は会報配布中に『自然界の凶悪事件』に遭遇したが、まったく無力な自分を思い知らされた。
 「チュン、チュン」と、にぎやかなスズメの鳴き声に春を感じていたが、あまりにも悲痛な泣き声に住宅の屋根を見上げると、大きなカラスがとまっていた。スズメの声は、カラスから巣を守るための泣き声で、大きなカラスに必死に泣き声をあげていたものの、ついに卵かヒナが犠牲になり、カラスのクチバシにくわえられ食べられてしまったのである。
 手を叩いてカラスを威嚇するとか、石を投げたい心境だったが、静寂な住宅地で他人の家に対しては何もできず、結局はスズメを見殺死にしてしまったのである。
 たかだか、スズメとは言え、カラスなら何とか出来たかも知れないと思うと、これが人間の場合には自分の命にも関わる事から、スズメが救えない事は人も救えない可能性は高い。「スズメがカラスに食われた」と同行の友人に話しても、「あっ、そう」と平然と済まされそうな顔を見て、自分の胸に納めて現場を後にした。
                              4月22日の一言
我家のトイレ辛抱記…
 最近では、トイレや風呂の水道などが故障すると、水道業者に頼まずホームセンターに走り、自分で直す人が多くなった。
 ホームセンターでほとんどの部品が揃い、簡単に直せる事が原因と思われるが、水道業者の料金の高さと、サービス精神の低さが大きな原因かもしれない。
 我家のトイレは水洗にする時、『最先端の装置』を売り物にタンク一体型で、ウォシュレットや温風乾燥が付き、便座の保温から脱臭まで付いている物を業者に薦められ設置した。
 しかし、数年後に保温が不安定になり、その後に電気関係がすべて故障してしまった。設置業者に修理を依頼したところ、「電気関係は直せない」と言われ、電気屋に見てもらっても「部品が入らない」と言われ辛抱していたところ、最後はウォシュレットの洗浄まで故障してしまった。
 他の水道業者に聞いても、取替えに高額な費用がかかり、メーカーが違うと断られ、ホームセンターで安く販売されている最新式の便座を横目に我慢を続けてきたが、便座そのものが破損し、我慢の限界を超えたため妻がメーカーに電話した。
 「近くの代理店で」と言われて、高額な費用を提示された経験から、メーカーに確認して依頼したところ直接メーカーから出向いてくれ、しかも、3万円弱の値段で部品交換と修理が済んでしまったのである。
 十数万の話は何だったのか、今までの辛抱が馬鹿らしくなるような顛末だが、改めて地元業者の技術不足と、サービス精神の欠如を痛感させられた。
                             4月21日の一言
住民と行政の温度差を見た防災会議…
 本日は、海部・津島地方で6月5日に実施される総合防災訓練の中で、ボランティア支援本部設置訓練打ち合せ会に出席した。
 私が昨年度受講した『愛知県防災ボランティアコーディネーター』は、海部地区には120名いるとの事であるが、本日はその中の約40名と行政関係者20名ほどが集まった。
 女性や高齢者が多い中で、若い人材の参加もあり、住民の熱気を感じたものの、半面においては、行政のやる気の無さだけが目につき、津島市も防災担当職員の参加は無く、社会福祉協議会の職員が参加しただけであった。
 もっとも、平日の午後に開催しても参加できる人は、高齢者や女性に限定され、自分達の住んでいる自治体の地域防災計画も知らない人が多いため、行政がやるべき仕事を発言してみたり、行政も防災計画を熟知したベテラン職員とは違って、不勉強で恥ずかしい発表を聞かされる事となった。
 災害時に行政をあてには出来ない現実はあっても、災害時の役割分担はしっかりと論議(されていなくとも計画書には記載され) されて、ボランティアコーディネーターの役割分担もはっはりと位置付けがされて明記されている。
 本来は、地域防災計画の予備知識を頭に入れたうえでの議論が必要だが、参加したボランティアコーディネーターの多くにはその資料さえ手渡されていないであろう。会議の目的である『支援本部設置訓練打ち合せ会』には程遠く、コーディネーター同士の再確認とコミュニケーションに終わってしまったが、行政のボランティア軽視を改めさせ、災害時に動けるボランティア活動まで高めていく道程としては、本日を抜きにする事は出来ず、次回の会議には向上した結果を望んでいきたい。
                              4月20日の一言
シェパードに噛みつかれて病院へ…
 本日は、私にとって『犬の記念日』になってしまった。我家の愛犬の狂犬病の予防接種のために、会場まで夫婦同伴で出向き、大きくなって手のかからなくなった子供達にかわり、犬の保護者にさせてもらい、愛犬を抱かえて車での送迎である。
 ここまでは『ほのぼの』とした犬の話題であるが、悪夢は夕方にやってきた。
 会報を配布するために町内を歩いていると、飼い主を振りほどき突進してくる大型シェパード犬があった。危険は感じたものの、犬によっては飛びつくだけの犬もあり、その犬が噛みつく事までも想定して飼い主の前で蹴飛ばす事もできずに、困っていると太ももに激痛が走った。
 私を噛むために突進してきたのである。食い千切れそうな痛みから口を外す事もできず、持っていた手提げ袋を振り回すと、一度は離したものの、再び膝関節に噛みついてきたのである。
 飼い主の静止も聞かない大型犬に噛まれた激痛は、ズボンに穴が開き、太ももをくわえるほど大きな傷が数ヶ所残ったものの、近所に体裁も悪く、会報の配布も残していたため、足を引きずっての帰宅となった。
 さて、これからが大変である。犬の噛み傷は大変な結果を招くとの話から、医者嫌いではあるものの、妻同伴で病院行きとなった。
 しかし、自分が噛まれて傷を負ったから言う訳ではないが、買い主の制御が利かぬ大型犬は凶器でもある。ましてや、相手が子供だったら生死にもかかわる事から、近所の動向にも耳をすませてみたい。
 余談だが、我家の愛犬の予防接種にかかった費用が3.300円で、犬に噛まれた私の治療費が2.072円であった事も淋しい現実である。飼い主から何の問い合せも無い現実は、何も要求するつもりは無いものの、もっと淋しさが募ってきた。
                              4月19日の一言
怠慢な代行業者…
 週明けの月曜日は、週末に届けられた案件の処理に、市役所の各課を飛び回る事が恒例となっている。
 期限に迫られた案件もあり、神経を使う事も多いが、意外に多いのが、市役所の怠慢ではなく、業者(建築関係とか書類代行業者など)の怠慢とか経験不足が原因で各種の許可や認可が遅れている事である。
 依頼した住民には、事の経緯が解からないために『お役所の怠慢』で片付けられている事も結構多いと思われる。
 勿論、市役所の怠慢やミスによって遅れる事例もあるが、手数料まで取って市民の書類を代行する業者の怠慢は厳しい指摘が必要とも思われる。
 ただし、解かっている事でも、行政が業者に知恵を貸す事は難しく、市民のためとは思いながら、通らない書類や申請を見守るのみの事もありうるのである。
 迷惑なのは住民であるが、書類の届け出や申請書には『悪知恵』をはたらかせた良からぬものも存在する事から、住民と行政の信頼関係が一番重要な事となってくる。通らぬ申請書に悪知恵を働かせているうちに、余計に事を複雑にしてしまう事例も多い。
 『市民が主役』であるならば、行政は市民の意向を第一に考えるべきであり、仲介する業者が壁となって、市民の姿が行政に見えてこない現実も再考すべきかもしれない。
                             4月18日の一言
娘婿が認識できない義父の言葉…
 「先生は何処ですか?」、
「はァー?」、「何処ですか?」、「エーと、何と言えばいいのか…」、「長岡(祖父江町の旧長岡村地区・現在は稲沢市)以外ですかぁー?」、「ウーン…」、「?…」、「…」
 本日は妻の実家の法要に出掛けた昼食時に、妻の父親が私に発した言葉である。「何?判らんのか」、「ウン、まァ」と隣席の親族に問い掛けられたが、義父は『痴呆』になっており、時々おかしいとは聞いていたが、まさか自分の事が判らないとは思わなかった。
 日頃から妻の実家に足を運んでいなかった事が原因かどうかは判らないが、自分の娘が嫁いだ婿とも判らずに話しかけられた事はショックで、以後は話す事もできなくなった。
 痴呆になった人と話した事はあるが、親族の痴呆ははじめての経験で、何処まで判っているのか判らないし、全く自分が認知されていないのか判らず、親とは言え血を分けた肉親でもなく、何を話して良いのか判らず、私の事を『議員』と認知できたのは何故なのか、私を他人の議員と思っているのか、考えれば考えるほど言葉が出なくなった。
 実際に何が判っていて、何処までが判っているのか判断がつかず、親族ゆえに事情は判っているものの、身の入った話は何もなく、法要そのものまでもが摩訶不思議な光景になってしまっていた。
 超高齢社会となりつつあるが、百歳になっても現役の人もあるが、病気と付き合う生活や、体に後遺症を残して生活する高齢者も多い。90才を超えた義父の長寿は魅力があるが、旧制中学を出て村会議員を務めた過去の姿は微塵もなく、周りの人々の心配だけを垣間見た一日となった。
                             4月17日の一言
善通寺で般若心経を声高々…
 同じ事を繰り返しても何の進展もない事も多い。四国八十八ヵ所巡りも2回目のお礼参りを廻っているが、多くの人から「2度も行く価値があるの」と問われる事が多い。価値観の相違もあるが、「行く意味がない」とまで言われると、話す事すら無意味に感じ、その人とのお付き合い自体も考えたくなってくる。
 「じゃー、何があるんか」と問われると言葉に窮するが、間違い無く1回目と2回目は違うのである。自分自身の変化も確実にあるが、半月前の一言に『般若心経を声高々に読み上げる事の難しさ』を記した。
 2日前の事だが、弘法大師誕生の地『善通寺』の御影堂に案内された際に、僧侶から「ここでお参り下さい」と薦められた。「私がですか…」、「どうぞ」、「皆さん、私で良いんですか」とやりとりする中で、宿泊者の先導役で般若心経を読みあげる事になった。
 高野山や東寺より古い真言宗の根本道場であり、弘法大師ご生誕の地『善通寺』の中心にあり、お大師様をまつる御影堂で『声高々』に般若心経を唱える事になったのである。
 多くの先輩諸氏の中で、偶然とは言え、一番若い私に、自然の成り行きでこうした機会が与えられた事は不思議な巡り合わせでもある。
 今ではほとんどの人が知らない過去の事になるが、私が一度も会った事のない私の父親の生き別れの父親、つまり私の祖父は『弘法様』の加持祈祷をしていたと聞いている。時空を越え、同じ『般若心経』をお大師様生誕の地で読みながら、1千2百年前の弘法大師と同じ御経を善通寺で『声高々』に読めた事に感動した。感動は翌朝にも持ち越され、真言宗善通寺派宗務総長樫原禅澄師が我々の記念写真に加わって下さったのである。
                             4月16日の一言
代役を頼みました…
 本日4月13日より15日まで、『本日の一言』は『ほっこり庵エド』さんに代役を依頼致しました。15日の夜には四国から戻り、3日分の報告を記したいと思っておりますが、3日間はエドさんの一言を熟読いただければ幸いです。
 尚、電話は携帯電話に直通で転送しますので、0567−24−0018までかけて下さい。又、留守中も家族が在宅ですので御用があれば宜しくお願い致します。
 エドさんの一言はトップページの掲示板になります。併せてリンク集の中から『ほっこり庵』のホームページもご覧下されば幸いです。
                     
エドさんの掲示板へリンク
四国巡礼旅立ちの日に…
 会報の印刷が終了した。出来れば出来たで「こんな簡単なものが何故」とも思うが、完成直前の足踏みがもどかしくも思われ、印刷は完了しても2枚に折って重ねないと配布できないため、本日出発の『四国巡り』のせめて前日に終わらなかった事を悔やんでも、過ぎた日は戻ってはこないのである。
 ガチガチに詰まったスケジュールの中で、多くの四国巡り参加者の動きが伝わってくるものの、満足な応対も出来ない忙しさがつらい。
 本当は、仮眠を取る時間であったが、会報の印刷に欲を出したためにお預けである。しかし、欠席予定だった人も体調の不安はあるものの、「行きたい」と本音の電話をいただき、『物見遊山』の参加ではなく、「我々への気配り」からの不参加表明だった事が嬉しかった。
 本日は夜10時に出発し、広島『しまなみ海道』経由で、明日の朝7時には55番寺『別宮山南光坊』から巡礼が始まる予定である。明日中に『菩提の道場』愛媛県から、香川県に入り、明後日には弘法大師誕生の地『善通寺』に立っている予定であるが、予定どおりに行くかどうかは私の体調と頭の中の『ひらめき』次第でもある。
 こうやって記していると、さも簡単な巡礼に思われるかもしれないが、行った人でないとその苦しみは話せないほど苦しい旅でもある。明日からの3日間は、忙しいスケジュールを忘れて蝶が孵化したような気持で帰ってきたい。
                              4月12日の一言
忙しいから暇が出来たら…
 会報が完成寸前になっているものの、出掛ける所用が続き、事務所に待機すれば電話や来客で印刷まで着手できずにいる。
 明日の夜からは『四国八十八ヵ所巡り』に出発するため、会報は週末の完成となり、ゴールデンウイークは配布に汗する日々が続きそうである。
 四国八十八ヵ所巡りは、私の生活の中で大きな支柱になりつつあり、現在二廻り目ではあるが、4回以上巡拝して四国霊場会から『公認先達』の認定を受けたいと思っている。
 四国巡りは、民主党の管直人元代表が徒歩で廻り始めた姿が放映されたが、思い付きでは簡単に廻り切る事が難しく、「定年になったら夫婦で」との話が、定年になると「忙しいから暇が出来たら」となり、結局は「あの時行っておけば良かった」と行けないままの人が多い。
 実際に夫婦二人で円満に廻り切る事が難しく、どちらかが亡くなり一人になると心配で廻れず、誰かの誘いがあっても旅行会社のツアーは意外に料金が割高で二の足を踏む事が多いようである。
 不思議な事だが、突然に参加者の一人から体調不良による不参加の電話があった。本日の夜の話だが、その電話を切って10分もしないうちに、「連れてってくれ」との電話があったのである。2年前に参加した人だが、体調不良で半分が残されており、偶然にも残された寺が一致するため突然の参加が『大助かり』の仏様に見えてきた。これを偶然と考えるか、弘法大師のお導きと考えるかは人それぞれでもある。
                             4月11日の一言
縁起の良い越津町の鯉の顛末…
 今から6年ほど前の事になるが、町内の氏神様の元旦の神前に供えられた鯉があった。神事が終わり、引き取り手がなかった鯉を私が貰い受ける事となったが、生きた鯉を絞めて食する事も出来ないし、家で買うには大きすぎて困っていた。
 川に逃がす事も考えたが、神前に供えた鯉ゆえに思案していると、身近に大きな池のある庭園を思いつき、「縁起の良い越津町の鯉だから」と言って放させてもらった。
 暫らくは鯉の消息を耳にしていなかったが、本日「元気で生きている」との嬉しい報告をいただいたのである。まったく無責任なもので、放流後に餌を持って行く事もなく、迷惑物を押し付けただけで忘れていたが、鯉は自然の中で生存していたのである。
 鯉を押し付けたのは、井桁家(元市長)の池で、ゴールデンウィークに開催される『津島・まちあるき』のイベントで、『絵手紙展とお抹茶』が5月3日と4日に井桁家で開かれる事から、庭園を見学中に鯉の話となった次第である。
 しかし、鯉は意外にデリケートな神経を持った魚であり、昨年の夏に2匹飼っていたうちの1匹が死んだ時には、残された1匹が1ヶ月ほど調子を悪くしたままとなった。それまで餌の奪い合いはあっても、それほど仲が良いとは思えなかった鯉であるが、10年も一緒にいると情も通っていたのであろう。
 井桁家の鯉も広い庭の池に1匹だけでは、見た目も淋しく、数匹群れをなした方が見栄えが良い(私の勝手な思い込み)ため、越津町の鯉をイベント前に追加しようと勝手に決めて思案している。
 越津町の鯉だけでなく、『茶人が現したこの世の極楽浄土』と評される井桁家楼閣山水の茶庭をご覧いただき、津島市のいにしえを懐古していただきたい。
                              4月10日の一言
通夜の長居に反省の帰宅…
 本日は帰宅が午前0時を廻ってしまった。決して居酒屋に居座っていた訳ではないが、午後のまちかど座談会の後、市内で所用を済ませて帰った後、夜9時を廻ってから通夜に出向いていたのである。
 津島市議会で同じ会派の先輩議員で、古野暁議員のご母堂が亡くなられた通夜であったが、古野議員の弟さんで岐阜県議会議員を務める『高橋昌夫』氏と、政治談議に花を咲かせてしまい、深夜の帰宅になってしまった次第である。
 親族にとって悲しみと疲れた体の通夜で、意気投合(私の身勝手な思い)したとしても政治談議や、世間話を延々としてしまった非常識を帰宅後に反省しても遅いが、これも私の悪い癖でもある。
 さて、同じ議員でも年齢の違いから、戦中の中国から引き上げてきた頃の苦労話を耳にして、市民から時々耳にする『議員定年制』の声に反し、時代の生き証人として高齢の議員にも一踏ん張りしてもらう必要性を痛感した。
 自衛隊のイラク派兵問題も、戦争を身をもって体験した人の意見は貴重でもある。我家も戦死した伯父があり、グアム島から28年ぶりに帰還した『横井庄一』の母の在所でもあるが、幼少の頃に両親を亡くした私の父親や一族の苦労と、古野議員の幼少の頃の苦労が重なるものがあり、家族の不幸で政治意欲が減退する事なく、この悲しみをバネにして、一日も長い政治活動を続けて欲しいと思った次第でもある。
                               4月9日の一言
万博より『津島・まちあそび』だ…
 愛知万博が開催され、津島市も天王祭り、屋台や太鼓など出展もあるが、議員としての参加はすべて断る事を議会事務局には通告した。
 万博が愛知県や各市町村の出費を回収できず、先々では愛知県民の財政に影響する事は間違いないと私は思っている。
 津島市が総費用1億1千万円もの予算をかけて万博に出展・参加するのは何故か。市町村合併も進展せず、国の補助金や地方交付税の減額が確実に予想される中では、県への協力も不可欠との判断もあったのではないか。
 しかし、万博への出展参加によって、投資した予算が観光PRだけで戻ってくる事は考えられない。県との連携の必要性も不透明な財政状況に対する保険とも考えるのは自然な考えかもしれないが、状況は極めて苦しいものがある。
 愛知県民の財政をひっぱくさせる万博には、一国民として入場料を支払って参加するべきと思い、議員としての無料での入場を断った次第である。
 万博ばかりに目を奪われているが、ゴールデンウィークには津島市でも『津島・まちあそび』として多くのイベントが企画されている。
 東洋一の藤棚と併せ、すべてのイベントを堪能されれば、万博とは比較はできないものの、それなりの満足はいただけると確信する内容でもある。問題は、その内容やスケジュールを多くの市民までPRされていない事にある。内容の濃さから万博の裏番組として津島の街歩きを推奨したいものである。
                              4月8日の一言
政務調査費をめぐって…
 昨年度16年度(平成16年4月から17年3月)政務調査費の収支報告書の提出期限が本日のため、報告書を提出に議会事務局に出向いた。
 しかし、銀行の通帳残高と報告書の数字がまったく違っており、職員を煩わせて領収書一枚ずつ確認したしたところ、3件の請求漏れが発覚した。本来は3月末までに請求して引き落としてなければならない金額が忘れられており、報告書に添付する資料をしっかりと記入してあっただけにびっくりの一日となった。
 政務調査費については、津島市は議員1人あたり年額30万円が認められている。金額だけを見ると高いと批判されるかもしれないが、津島市議会は日当や手当等は一切無く、政務調査費は貰いっ放しではなく、収支残額は返却となっている事から、問題は使途の内容と思っている。
 政務調査費をめぐっては、名古屋市民オンブズマンが調査して、不法と思われる議員や会派には返還要求を求めたり、個別に再調査を求めている。内容を確認すると、政務調査費を議員に与えられた経費と勘違いして、物見遊山の観光旅行や親睦旅行に充てている疑惑である。
 幸いにして、私の政務調査費にはそういった疑惑は何もなく、オンブズマンの発表する資料からも明白であるが、議員の多くに政務調査費についての勘違いも多い。
 視察についても、「なぜ集団で行く必要性があるのか」、「なぜに近くの市町でなく、遠くの市町に行くのか」、「資料請求ではなく調査に出向く必要があるのか」と言うオンブズマンの指摘は、市民の声の代弁であり、不必要な視察や政務調査費の支出は市民の血税の税金泥棒にもなる事から、議員の一員でありながら、改めて議員の体質改善の必要性と、市民への説明不足を感じる一日ともなった。
                              4月7日の一言
入学式での雑感…
 全国各地から殺人事件の報が次々と寄せられてくる。今年になっていったい何件の殺人事件があったのか判らないほどの数である。
 加害者の年齢層もバラエティーに富み、小学生から高齢者までが殺人事件を犯し、かつての交通事故死と同じように被害者が増えているのが怖い。
 津島市でも本年に入って殺人事件が起こり、全国にテレビ放映されたが、身近な所では『首吊り自殺』が起きたりもしている。病気や事故で命を亡くす人々もあるが、人によって自分の命を絶たれた人の無念さは計り知れないものがある。
 さて、本日は小学校の入学式が行われたが、入学式に参加される保護者も父親の参加が年々増え、来賓も並んで廻されるビデオカメラやデジカメの視線を気にしての入場となった。
 入学式を見るかぎり、我々の子供時代の厳粛なイメージとは違い、明るい世の中を感じずにはいられないが、こんなかわいい子供達も、交通事故や凶悪になった世の中を考えると、心中穏やかではいられない。
 地域で起きている事件だけでなく、遠くの事件も他人事とせず、地域社会から事故や事件を減らしていく事の重要性を、入学したばかりの子供達の小さな手や顔を見ながら感じた一日でもあった。
                              4月6日の一言
町内会の嘱託は無報酬…
 気力が出ない日々が続いていたが、日程が迫ってくると自然に体が動き出してくる。知らぬ間に『つくし』が終わり『桜』の開花が始まった。
 本日は、ある町内会長さんに同行して市役所を訪ねたが、毎年変わる町内役員さんに行政の仕組みを理解してもらう事は難しいため、行政の対応の仕方を考える必要を感じた。
 町内の要望を伝えるにしても、道路一つにしても、歩道の補修は市役所の土木課の担当であるが、車道は県道で県の管轄となり、信号や道路標識は警察か市の交通防犯係の担当となる。
 道路に放置してある自動車はナンバーが付いているかどうかで行政の対応も違い、私有地に捨てられたゴミは土地の所有者の責任で処理してくれと言われる。県道か市道の違いで処理した部署さえ市民には解からない。
 水道の消火栓にしても、消防署か水道課か判断もつかず、昔から存在している簡易水道の消火栓は消防署も関知していない。
 それらを担当する窓口を市民に理解してもらうには限界があり、窓口を転々とする事や、窓口を行ったり来たりする苦痛を避けるために書面で要望すれば、書く町内役員も大変なら、答える行政にも負担となり、回答も遅れて的外れになったりしがちでもある。
 町内の嘱託(会長)は無報酬と津島市の例規集には記されている。無報酬で地域の声を代弁している嘱託さんの立場を考えた気遣いが行政には不足しているのである。
                               4月5日の一言
愛工大名電高の選抜優勝から…
 春の甲子園大会決勝戦はあまりにも一方的な試合展開で、試合前の予想どおり『愛工大名電高』が圧勝して優勝を飾った。
 一昨年秋の明治神宮杯に優勝を飾り、昨年春には決勝まで進んだものの1点差に泣き準優勝に終わった。夏の大会では苦杯をなめたものの、優勝候補に挙げられながらの『全国制覇』は見事と言うほかに言葉がない。
 本日の決勝戦は、走攻守すべてが完璧で、先発したエースが抑え、序盤からバント、盗塁、長打、ホームランで圧勝したが、8回に失策がらみで2点を失った直後に2点を奪い返す力強さも披露した。
 しかし、愛工大名電高のスポーツ環境は決して恵まれたものではなく、野球部のグランドも遠く離れた春日井市にあるなど、他のクラブ活動も練習するグランドさえない環境から全国大会に出場をはたしている。
 私学4強などと言われるが、スポーツ環境は県下の公立高校の方が恵まれているのである。それでも愛工大名電高が強いのは何故か。私は指導する教員の指導力と熱意の差と思っている。特に熱意の差は大きい。私学の指導者の熱意を見習い、地元の公立高校でも生徒の素質を最大限に開花させて欲しいものである。
                              4月4日の一言
昨年からの悲願の優勝を祈る…
 甲子園球場で開催されている高校野球春の選抜大会で、昨年に引き続き『愛工大名電』が決勝まで勝ち進んできた。
 「東邦が勝って決勝で名電とやらせたい」とは、昨日出向いた食堂の客が発した言葉である。
 「とんでもない、愛知県同士で闘う試合を見るなんて」と思わず叫んでいたが、今にして思うと相手はびっくりしていたと思う。
 本日の中日新聞でも「県勢で決勝夢ならず」と記してあったが、中部国際空港と愛知万博によって、愛知県は全国から注目されており、甲子園でも県勢で決勝戦となれば盛り上がった事は間違いないであろう。
 ただし、私個人にとっては二人の息子がスポーツで愛工大名電に誘われて、二人とも全国大会に出場するまで育ててもらった縁のある学校であり、来年高校を受験する三男もスポーツによる(無理そうだが)入学を願っている。そんな訳で、目標としている全国優勝のため決勝戦に勝ち進んだ事は素直に喜びたい。
 しかし、身近な同級生に名電高のOBがおり、数年前なら突然に甲子園にでも出向くか祝杯を上げていたと思うが、50歳を越してリストラの気配から休みも自由に取れず、翌日の体調を心配してか『お祭り』に参加できない事が一抹の淋しさでもある。
 ちょうど一年前の一言に、「楽しみは夏まで」と記したが、本年は明日の一言に「優勝おめでとう」と記したいと願っている。
                              4月3日の一言
人を人と思わぬ万博の対応…
 当面の仕事は会報『津島の風』の発行であるが、雑用が多くまったく身が入らない反面、お誘いの電話や新たな所用が入って思うように捗らない毎日である。
 年度始めより仕事に追われるようでは先が心配となってくるが、来週の『まちかど座談会』や再来週の『四国八十八ヵ所巡り』が迫り、その次の週にも『まちかど座談会』を予定し、月末には『京都への会員募集』も入ってくる。
 常識で考えてみると、不可能と思わざるをえない強行軍のスケジュールの中に会報の発行があり、発行した会報を配布していくと5月の臨時議会や6月議会が迫ってくる。先の見えた苦しいスケジュールをこなすのは辛いものがある。
 さて、万博の不評が多く耳に入ってくるが、津島市も4月23日と24日の愛知ウィークに祭りの山車を出展し、29日には天王まつりの宵まつりのまきわら船5艘、30日にはだんじり船5艘が出展される。
 また6月21日が『つしまの日』にあたり、津島市からは石採祭車や太鼓長唄の演奏などとともに物産の展示販売や観光のPRが予定されている。
 我々議員の出欠は7日までと連絡があった。しかし、元々『万博反対』の声を上げていた事もあるが、小泉首相によって弁当の持ち込みは緩和されたが、今までに参加した知人から「弁当や飲み物を入り口で没収され、当り前のようにゴミ袋に捨てられた」との乱暴な話を聞かされ、環境万博とは裏腹の対応と『トヨタ万博』と揶揄される汚い商魂に不快感が増幅されてきた。持ち込み禁止と知りながら持ち込んだ行動には非もあるが、人を人と思わぬやり口を聞かされると許し難い怒りが込み上げてきた。
                               4月2日の一言
新任には厳しい挨拶廻り…
 地元の小中学校でも管理職の異動があり、本日は校長と教頭揃っての訪問を受けた。ただし、受け手は同じでも対応は対照的になった。
 私は現在、神守中学校の同窓会長を務めているが、会報発行による広告収入での自主運営を続けており、学校にも役立つ同窓会活動を目指している。
 しかし、神守小学校の同窓会では卒業生の家を各町内役員が廻って1件500円の会費を徴収している。この500円の会費を巡っては以前から問題が指摘されてきた。『同窓会』の会費として集めているものの、支払う家と支払わない家があり、1件も集められていない住宅や町内会も存在している。
 また、同窓会活動が会費徴収だけで、その会費も本来は教育委員会や保護者が負担すべき経費に流用されているのである。
 会費の苦情が学校や教育委員会まで殺到し、「このままでは同窓会は解散するしかない」と言って当時の教頭の訪問を受けた。今から17年前の事である。会長を引き受ける条件として、会費は卒業生の全世帯を廻って協力を仰ぐ事と、同窓会費を学校運営の経費には使わない申し合せをした。出席者が会長一人となっていた総会兼物故者法要は、各町内からの同窓会費徴収日として参加者を増やした。
 年月が経過し、当時の問題が繰り返されている。「何故に会費を集める家と集めない家があるんだ」とか「同窓会を脱退したい」との苦情が毎年数件届けられる。中学校で全世帯に発行している『同窓会報』を見て、勘違いでかかってくる電話である。「脱退したい」と言われる同窓会は異常である。新任の教頭には厳しい挨拶廻りと思われたかもしれないが、昨年の教員の体罰事件による退職や校舎の地主からおこされた裁判など、原因の追求や問題点の改善が急務でもある。
                              4月1日の一言
得票につながらない政治活動…
 3月議会が終ってから日時が経過したものの、予定していない人々からの依頼が多く、会報の原稿すらほとんど手付かずの状態である。
 本日も市役所から市内各地を転々として、帰宅したのは夜9時を廻っていた。昨日まで2日間家を空けていた事も原因であるが、ありがたく思わなければならない事であろうが、市民病院に入院中の市民に『風邪薬』をもらって飲み、消灯の声を聞いてエレベーターまで見送られて帰ってきた。
 偶然にも本日をもって退職される神守中学校の校長先生には自宅事務所でお会いできたものの、不在のままお別れする人も多く、明日以降も事務所不在が続きそうである。約束した事柄が日にち遅れとなり、突然の電話による約束が割り込んでくると、貯まっている先約を忘れてしまいそうでハッとさせられる。特に口約束は要注意でもある。
 本年になって問題になっているのが、選挙の票にならない人々との約束である。応援していただく人々から、「支持者の選別も必要」との声が上がり心を痛めている。確かに自分の得票に関わる事ではあるが、「票にならないから切り捨てる」とか「票になる人を優先する」のでは自分の心情に反する。
 原因は定期的に発行している会報により、読んだ市民からの相談や指摘が集中し、先着順の約束が消化不良をおこし、明らかに自分の選挙対策上では優先したい人を逃している現実がある。議員としては選挙対策も重要な現実問題であり、活動量と得票が比例していけば問題ないが、第三者から「明らかなマイナス」と断言されるようでは考えざるを得ない問題でもあり、心を痛めても乗り越えるべき壁でもあるが、たとえ1人の市民の声でも無視する事もできない事から皆さんの意見を寄せていただきたい。
                             3月31日の一言
空海の十善戒とモーゼの十戒…
 桜の開花が昨年より10日程遅れており、本日宿泊した和歌山県橋本市では、3月15日から『さくらまつり』が始まっているもののツボミの状態のままであった。
 「コーヒーでも飲んでいようか」と言っていた無信心な人々が、「せめて入り口まで」との私の言葉にだまされて『高野山奥の院』まで歩き、燈籠(とうろう)堂の拝殿まで上がって僧侶のもとで焼香までして手を合わせていた。
 高野山には不思議な魅力がある。今から千二百年前(816年)、空海(弘法大師)によって拓かれた高野山では空海の死後も毎日同じ光景が繰り返されてきた。
 空海によって残された『般若心経』は、『声高々に読み上げれば、上は梵天帝釈、下は堅牢地神に至るまで感応する事疑いなし』とある。
 『声高々…』とあっても、これが難しいのである。ましてや、弘法大師が眠られる奥の院では、毎日の修行に励む修行僧の真言宗の読経が聞こえ、御廟の前では熱心な信者や『四国八十八ヵ所』を廻るお遍路さんの『般若心経』が唱えられている。
 『声高々』では、周りの信者に迷惑だろうし、かと言って『声高々』でないと、自分のペースで般若心経は唱えられない。そんな事を考えながら、『十善戒』を読む。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見。
 弘法大師の残した『十善戒』は、約3千年前の『モーゼの十戒』と共通するものであり、人類共通の教えとして考えると、高野山の空にのびる千年杉の遥か先までつながっているようで神妙な気持となるのである。
                              3月30日の一言
修験道と密教の聖地へ…
 昨年4月に訪問し、僧侶や行者達と一心不乱に『般若心経』を唱えていると、摩訶不思議な心境を経験した吉野山の『蔵王堂』と『高野山』に出掛けてきます。
 昨年11月にも同じ行程で出掛けましたが、蔵王堂の護摩たきと時間が合わず、4月の再現はできませんでしたが、巡礼を続けているうちの自分は大丈夫と信じての旅立ちです。
 有り難い事に、ある町内の有志の方々から定期的に旅行の声がかかり、今回で3回目の一泊旅行となりました。物見遊山の旅行ですが、出掛ける先が『修験道と密教の聖地』だけに、人生の軌道修正になるかと期待もしています。
 何度も旅行に出掛けていると、『商売か』とか『遊びすぎ』との批判も聞こえそうですが、20人前後で時間を気にせず語る事で、地域の意識を共有できる機会になっておりますので温かいご理解を賜りたいと願っています。
 事務所には留守番が頼んであり、家族も息子達が残してあります。電話も直接私まで転送いたしますので、遠慮なく連絡をしていただくとともに、明日の帰宅後の一報に期待していただければ幸いです。
 まもなくバスで出発いたします。
                             3月29日の一言
犬の方がぜいたくじゃないか…
 妻がホームヘルパーの養成講座を受講しているが、最終段階の実地研修に出向き、厳しい社会の現実を目のあたりにして帰宅した。
 自分は議員という立場で、高齢者の独り暮らしや老々介護の実態や、医療と福祉のハザマで苦しむ現実を眼にしてきたが、我家に訪れる『高齢者』は元気な人々が多く、議員の妻と言ってもそのような相談内容までは何も耳にしていないため、厳しい現実にびっくりの体験となったようである。
 詳しい事は守秘義務から聞けなかったが、80歳前後の市外の独り暮らしの女性で少し痴呆がはじまっているとの事で、昼食時に訪問したものの一粒の米も残っておらず、冷蔵庫には刻んだネギしか入っていなかったと言う。所持金も500円程度しか無く、おにぎりでも買ってこようと問うと、「自分で買う」との返事のため、カツオだしにネギだけの味噌汁を作って与えてきたと言う。
 米も無く、500円程度の所持金では明日の生活が危うく思われるが、同情していても仕方がないし、家族関係も不明なため何とも言えないが、こんな母親を独りにしておく子供達がいるとしたら悲しくなってくる。
 「家の犬の方がぜいたくじゃないか」と思わず叫んだが、最近のペットブームの中で犬や猫の健康食品のコマーシャルまで流される時代にあって、粗末に扱われる高齢者の現実を妻と共有した一日となった。
                              3月28日の一言
愛西市関係首長は代理出席…
 本日は津島市民病院の竣工式が挙行され、近隣市町村の首長や地元医師会や県内医療関係者など多くの人々が集まった。
 赤字体質からの脱却を目指し、経営の安定を図りながら平成9年から改築工事に着手し、今回の増築で本年秋からは440床の中核病院として本格稼動を目指している。
 さて、今回の増築により、総合リハビリテーションや透析センターなど、間違い無く患者にとっては朗報であるが、経営収支の向上から安定経営に移行するかと言うと前途多難な厳しい予測をせざるを得ない。
 中部地方で唯一となるサイバーナイフによる深部放射線治療も、治療効果は高まるものの、医師の医療技術の裏付けがあってのもので、数年前に導入された腎結石破砕装置も現在は操作する医師の転出で眠ったままになっている。
 むしろ現在の市民病院に不足しているものは、地元医師会との連携や大学病院や高度医療機関とのネットワークの構築でもある。
 また、現在の患者の過半数を市外の人々が占めている現状を、津島市の議員としてはどのように考えれば良いのだろうか。住民の要望に応えれば応えるほど、病院経営を圧迫させる可能性も高いが、津島市民の税金が投入されていく事から、市町村合併の際の隣接町村の対応には不快感を感じていたが、本日の竣工式に全員顔を出さなかった(立田村閉村式のため)愛西市の関係町村首長の心境を聞いてみたいものでもある。
                             3月27日の一言
「毎日寄りゃーあょ」…
 昨晩は同級生二人と誘い合って、久しぶりに大酒を飲み帰宅したのは午前2時頃になっていた。大酒と言っても、1月から『管理栄養士』さんの指導を受け、減量に挑戦中のために『ムチャ飲み』をしないためビールだけにしたり、肴を最小限にして手をつけない等、気をつけて飲んでいるとまったく酔いが回らず、結局2軒で10本前後のビールを口にしたものの、まったく『素面』の帰宅となってしまった。
 若かりし頃は2人でビールを40本ぐらい飲んで、平然と車を運転して帰った事もあるし、10年ほど前には日本酒を1升5合以上飲んで素面(のつもり)で帰った事もあるが、7時間に及ぶ飲酒は久し振りの外出でもある。
 幸いにして、本日の体重に変化はなく、『ビールはいくら飲んでも太らない』のか『話しながらの飲酒は太らない』のか、世間常識に反する疑問が湧いた。
 しかし、どうせ飲むなら『美味しい肴』で酒の味を噛み締めて飲みたかった。「食事は人に良いと書く事から、餌にしてはダメ」と言われた管理栄養士さんの言葉を実感する外出でもあった。
 本日は、私の父親の同級生が嫁いでみえる名古屋では老舗となる喫茶店に立ち寄った。先週に町内の後輩が単身この喫茶店の近所に引っ越しており、紹介を兼ねての訪問であったが、久し振りの訪問に喜んでもらえ、町内の昔話や父親の思い出に花を咲かせた。
 半世紀前には町内(村)の人々が何処に転出しているかが分っており、お互いが助け合った様子を聞かされ、「明日から毎日寄りゃーあょ」と言われた後輩は心強く頷いていたが、まったく他人事となった近所の風景を反省させられる訪問ともなった。
                              3月26日の一言
恐れ多くもの一言…
 万国博覧会が開催され、小泉首相をはじめ多くの著名人が名古屋を訪問され、開会式が昨日開催された。
 しかし、天皇皇后両陛下や、万博名誉総裁を務める皇太子殿下が参加される中で、皇太子妃殿下が同伴されなかった事は、国の象徴とされたものの、天皇家にとっては非常に残念な結果になったと言いたい。
 そもそも、天皇家の次期皇位継承者である皇太子殿下に嫁いだ責任感が欠如しているのではないだろうか。外務省のキャリアとか学歴は言うまでもないが、象徴となった天皇家とは言え、国の外交にも影響する立場だけに、皇太子殿下が名誉総裁を務めた万博には無理をしても出席すべきだったと思うものである。
 一般の国民としては、皇室内の事情はマスコミを通じてしか判らないが、日本の国事である万博に参加できない体調であれば、昨年来からの休養の中で、我が子を抱えて楽しそうにスキーを楽しんだ姿は何だったのか。
 新潟中越大地震の被災地には、天皇皇后両陛下が避難生活をおくる国民を激励に訪れ、多くの被災者が涙を流して喜んだ姿が報道された。天皇皇后両陛下も病気の報が流れた事もあるが、若い皇太子の妃殿下だけに参加する方法がなかったとは思えないし、万系一系と言われる天皇家のためにも関係者の一計が欲しかったと思うのは、自分だけではないと思われる。
 勿論、『恐れ多くも』こんな文句が言えるのは『世が世』だけの一言でもあるが。
                              3月25日の一言
久々の『洗い観音』様と住職…
 本日は常滑市の『セントレア』と『やきもの散歩道』を歩き、南知多の『洗い観音』様のある宝珠寺、『もくれん茶屋』大宝寺、岩屋寺・奥の院を訪れてきました。
 開港直後の人波が消え、離発着する飛行機をゆっくりと鑑賞し、食事や買物も余裕で廻る事ができた。久しぶりに訪れた山海の宝珠寺では、お茶をよばれて住職の話をじっくりと聞く事で、生臭い政治や忙しさを忘れさせていただいた。
 それも津島に帰るまでの事で、マイクロバスから急いでマイカーに乗り換え、参加予定の『人にやさしい街づくり連続講座』の企画会議に出席するため名古屋まで走った。
 2年前に受講生として参加してから、2年がかりで議会に訴え、17年度中に名鉄津島駅にエレベーターとバリアフリー対応トイレの設置が決まったが、本年も受講する人々の裏方として『人にやさしい街づくり』を推進したいと思って参加している。
 企画会議には県内各地から有志が集まっているが、1円にもならないどころか、人のために交通費を出して集まってくる人々と接する事で、すかすがしい気持をもらって帰っている。
 南知多の『洗い観音様』を後にする際に、住職が合掌して我々を見送って下さったが、車の車窓から住職の姿が消えた後も、住職と『観音様』が我々を見守っていて下さるような心強さと安心感を土産にした一日でもあった。
                              3月24日の一言
大鹿ってやつは何て男だぁ…
 3月議会が本日閉会した。議会開催中に依頼された困難な要件も多く、議会以上に忙しい日々が終わった事でホッとした一日でもあった。
 議会中に訪問する約束のお宅があり、初対面で突然の訪問ながら午後から夜の9時半までもあがり込み、話し込んでしまった。「大鹿ってやつは何て男だぁ」とは思わないで下さい。
 こんな鉄砲玉のような行動から、本日事務所を訪問下さった人々には、大変な迷惑もかけたのかもしれないと反省もした一日であった。
 さて、朝刊には愛知県職員の人事異動が掲載されていた。知り合いの部署に新任の名前があった事から、どこかに移動されているはずだが、新聞の細かい文字が苦痛で探すのも困難な年齢になった事を自覚した。
 津島市も職員の移動の内示があり、ファックスが流されてきたが、移動の引継ぎがまずいと一から説明のし直しとなる事から、忙しいスケジュールがより忙しくなりそうである。
 津島市に今一番必要な事は何だろうか。自分なりの考えは持っているものの、市民にとって明るく夢のある話が出来るように、頭の回路を方向転換して考え直す必要性を訪問先で痛感した一日でもあった。
                             3月23日の一言
何でもやるかぁー…
 市役所に相談しても『たらい回し』にされた挙句、結局何もやってもらえないと言う意見を耳にする事は多い。
 先週の『まちかど座談会』では、3年来要望している水路の清掃が、農業団体の所轄のために市役所も処理できないままの現状について、「私と一緒にやりましょう」と今年中の実現を目標に公言してきた。
 表向きは町内会や自治会で側溝や水路の清掃を実施しているが、住宅地に入り込んだ農業用水路で田畑に利用されなくなった水路は放置され、ヘドロが溜まりっぱなしとなって悪臭を放っている。
 何でもやる課を市役所にも置いて欲しいが、一人では出来ない事も、二人、三人となれば市民でも『何でもやるかぁー』となりそうでもある。
 排水路の清掃については、行政や農業団体に訴えるだけでなく、住民が自発的に動けば市役所も道具の貸し出しや、廃土の処理は責任を持って対応するとの約束を取り付けた。今年は体を張った行動で、自分の想いを体現し、住民主導の街づくりを具体的に進めていきたいと思っているがその一歩としたい。
                              3月22日の一言
万博内覧会に招待された市民…
 議会が開会中である事を忘れさせてしまう連休である。万博の開幕をひかえて、内覧会には11万人を超える人々が訪れて、開幕後の交通体系の不備や飲食の心配など多くの課題と対策に追われている。
 しかし、この内覧会にはいったいどのような人々が招待されているのであろうか。全国各地から人々が訪れているが、開幕前の内覧会に出掛けた事を『特権階級』として優越感を漂わせて話す津島市民の登場に、「絶対に万博には行かない」と強く主張したい嫌悪感を感じた。
 実は、市議会議員には内覧会への招待があったのである。個人的には『万博反対』を主張していた事と、『まちかど座談会』を企画していたために、開幕後に市民と同じ立場で入場しようと思い、内覧会への参加を断ったのである。
 しかし、内覧会へ参加した一般市民の口から、『我々は招待された』と自慢げに語られるのを聞くと、一般市民は『ないがしろ』にされているような不快感を味わった。
 こんな名古屋地区特有の感覚が、閉鎖的で保守的な『大いなか』と評されるのではないだろうか。私の事情(招待を断った)も知らず、万博の様子を得意げに話す人物と、それを聞かされる人物の間で、こんな万博に行列を作って待たされる『お人好し』にはなりたくないと思った。
 万博の開幕を控えて、満員だった『中部国際空港』セントレアは落ち着いてきたようである。『熱しやすく冷めやすい』の後に、心配された大赤字のツケを県民に廻さない事を祈るばかりである。
                              3月21日の一言
砂九さんの落語CD販売開始…
 本日は、津島市西愛宕町にある喫茶・茜屋で開催された『あかね寄席』を聞きに行ってきました。
 今年で8回目(8年)となる落語会で、出演は『竜宮亭無眠』、『若鯱亭夢輔』、『南遊亭栄歌』と、私の主催する『まちかど座談会』に出前寄席として出演していただく『浪漫亭砂九』の4人が出演する落語会で、座る場所も無いくらい満席の盛況であった。
 それぞれが本業を持つセミプロとは言え、芸歴は長く、副業か本業か判らない位の高座出演実績と人気のある落語家ばかりで、観客も大満足(?)の一日となった。
 浪漫亭砂九の出前寄席を開催した2月の会場で、「砂九さんのCDを出したらどうか」と言う声があがった。とっくに現役を退いたはずの方々の提案にびっくりしたが、とにかく「やってみよう」と制作が始まり、録音状況は悪いものの試作品をつくり、本日『20名様限定』で販売したところ完売となり、「どうしても欲しい」と追加1本に司会者に渡した1本も混ざって売れた様子で、22本が販売された。
 これから録音状況の良い作品を第2弾として販売したいと思うものの、制作は昭和一桁生れが頼りだけに、製作者の健康と制作意欲が継続される事を祈るばかりである。CDを希望される方は、当方主催の『出前寄席』か、西愛宕の喫茶店『茜屋』で限定販売中ですので、是非お買い求め下さる事を切望する次第である。
                              3月20日の一言
何で配布しないのか…
 以前の一言に、近所の先生に家具の注文を受けて取り寄せたが、先生の母親から断られた受難の家具屋の話を記した事がある。
 3月いっぱいで閉店する事になり、現在閉店セール中であるが、亡くなった先代社長からの信頼を裏切りたくないと、販売した家具の品質保証を約束したり、顧客の都合で閉店後の家具の納入を引き受けていると何時まで経っても閉店とはならない。
 昨日訪問すると、閉店セールのチラシ広告が積まれたままになっており、「何で配布しないのか」と尋ねると、「閉店間近で商品が少なくなったから、来られたお客さんに失礼」との返事が返ってきた。
 昨今では、知らぬ間に廃業したり、家賃や借金を踏み倒して閉店する店も多い。チラシを配布する余裕はないものの持ち帰り、週休2日の同級生に「配布する暇がないから頼む」と依頼したら、近所の知人を伴い配布してくれた。
 有り難い事に「チラシを見た」と言う顧客が早速あったそうだが、チラシを配布してくれた同級生に付き合わされた知人は、明日名古屋に引っ越す予定だったようである。淋しい現実だが、これも縁と考え明日の引越しに協力(迷惑な手伝い)する約束で家路についた。
 本日開催した『まちかど座談会』では、話がありすぎる超高齢の先輩達とじっくり時間をかけた議論をする約束で別れた。議会終了後の旅行や、体を張った『公約』など、どんどん約束が拡がるが、時間には限界があり『動けば動くだけ約束が倍増する』現象に、充実感と比例した大きな山を感じる一日にもなった。
                             3月19日の一言
勝手な思い込みは禁物…
 本日は地元の小学校の卒業式に出席しました。10年一昔と言いますが、小学校のPTA役員や同窓会役員を辞任してから15年が経過し、保護者との年齢の格差にびっくりですが、来月の入学式はもっと若い保護者ばかりで『気恥ずかしい』ほどになってしまった。
 今日は高校の終業式の日でもあり、本年で退職となる恩師(教頭)を訪ねて地元の東高校にも足を延ばした。近くに居ても敷居が高い存在だったが、昭和53年に創立された当時は、初代校長が私の恩師であった事から頻繁に訪問しており、案内された校長室では懐かしい思い出話に花が咲き、恩師とは退職後に一席持つ約束をして帰った。
 しかし、勝手な先入観や思い込みは禁物と感じた一日となった。10年程前の東高校は、大学受験のために熱心な指導をしていても、まともな大学には合格できず、就職希望者も中途半端な行先しか無かった。スポーツ選手も中途半端な成績しか残せないし、不良で名を売る無骨な生徒もいない、まったく中途半端な高校であった。
 本日いただいた資料では、名古屋大学をはじめとする国公立大学に18名合格し、大学合格者ランキングの上位にランクされる有力進学校に様変わりしていた。
 過去の一場面、その場だけの記憶を持ち続けて、現状認識とは程遠い発言をしてしまう危険性を感じながら、議員という責任ある立場だけに今後の良き戒めとなる訪問にもなった。
                              3月18日の一言
今でも絶対にある…
 昨日の話になるが、事務所を訪問された複数のお客さんどうしで、『交通違反のもみ消しの有無』で会話が盛り上がっていた。
 津島市の柔道会の役員が警察に顔が利き、「違反しても助けられた人がある」との話から、今でも絶対にもみ消しはあるはずだとの発言があった。
 たしかに一昔前には『もみ消し』が存在し、一緒にオートバイで遠出をした際に、全く一緒のスピード違反で捕まった友人が免許停止の講習に現れず、問いただしたら「免停になっていない」事が発覚した。関係者に聞くと「教職員の違反には〇×県議が介在する」との話だったが、子供に教える立場の『もみ消し』には腹がたった記憶がある。
 もっとも、私自身も新聞社の関係で違反を免れた事や、駐車違反をもみ消してもらった事もあった。
 「今でも絶対にある」と市民に言われると、「絶対に無い」と言っても説得力がないが、数年前に新潟県で政治家の交通違反もみ消し事件が報道されてから、『違反もみ消し』によって議員は辞職となり、警察幹部にとっては『年収1千万円以上』と言われる給料を投げ打つ覚悟をしてまで『違反もみ消し』をするとは考えにくい。
 しかし、「あんたが知らないだけだ」と言われ、「今でも続いている」と確信を持ったように市民に言われると、「絶対に無い」と言うだけでなく、警察幹部や政治家は普段の行動や活動で身をもって示す必要を痛感した。
                             3月17日の一言
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