私の命日


 2月15日 62歳の誕生日を迎えた。最近では、若い頃の年々大人に近づいていくときのような「ときめき」はなく、よくここまで生き延びてこられたという感慨と、余生がまた短くなったかという不安を感じる。それでも、お祝いメールを受け取ったり、プレゼントをいただいてみると、何歳になってもうれしいものである。その誕生日の頃、必ず思い出すことがある。2001年2月にあった交通事故のことであり、そのとき命を落とせばその後の誕生日はなかったからである。事故から3年経った今、事故の恐ろしさや煩わしさを忘れず自分自身の今後の戒めとするため、当時のメモをもとに事故の顛末を以下にまとめてみた。

 2月12日 16:50に事故は発生した。この日は建国記念日の振替休日で、誕生日を3日後に控えた3連休の最終日であった。車を運転して帰宅する途中、近くの佐屋町内において青信号の交差点を直進中に、右方向から走ってきた車が、当車の右側面後部座席に衝突した。次の瞬間、当車は衝撃で右回転し前方の横断歩道上で右向きに停止して、道路の片側車線をふさいでいた。私も助手席の妻も、シートベルトに助けられ、体は痛いが頭や手足は大丈夫のようだった。エンジンはかからない。車を降りて見ると、後部のトランク部分がクシャクシャになっている。回転中に後部が交差点のガードレールに強く擦れたためだが、そのおかげで回転が減速されて、遠くへはね飛ばされることは免れた。早速相手車に駆け寄った。乗っているのは30歳代の男性一人だった。怪我について尋ねると同じ程度の軽症であった。ひとまず、住所と電話番号だけは交換した。

 まずは相手方に警察署へ連絡してもらった。レッカ−車は警察が手配してくれるそうだ。次に損害保険会社に連絡をした。近くの工事現場で作業していた人たちに事故時の様子を尋ねたが、人によってまちまちで、当車が青信号のときに衝突されたことを証明できる確かな発言は得られなかった。警察官は30分ほどして到着した。現場撮影、測量、事情聴取などが行われたが、どうやら相手方は「信号が何色だったか覚えていない」と言ったようである。当方は4つの目で青を確認しているのだから、十分勝ち目はある。レッカー車がなかなか来ない。2月の夕暮れ時は底冷えがする。ちょっとした車での外出なので油断して、防寒着の備えが不十分だった。駆け付けた相手方の上司の車のなかで寒さをしのぎ、すべての処理が終わってから家まで送り届けてもらった。

 家の鏡で見ると、舌の一部が黒ずんでいる。首と肩と背に痛みが残っている。休日のため病院は明日にせざるをえない。当車の販売店に電話をして、レッカー車が運んだ先の車が修理可能か見てもらうようにお願いした。それから近所の保険代理店の方に尋ねて、今後の事故処理の流れを頭に入れた。私にとって初めての大事故で、日頃の抽象的な知識では実務に役立たない。とにかく必要なことや心配ごとは相手方の保険会社に遠慮なく言うことである。妻の母は入院中で、しばしば見舞いに行く必要があるので、同じ車種の代車の請求は欠かせられない。

 2月13日 会社を休み市民病院で診察を受けた。私は首のレントゲン写真に異常はなく「首、肩、背の打撲症(約2週間湿布)、舌内出血」、妻は「頭部打撲と首捻挫(約2週間)」と診断書に記載された。共にむち打ち症の可能性はほとんどなさそうで一安心した。車の販売店から「事故車は修理不能」との連絡が入った。それならば少しでも早く新車を注文しようと販売店に出向いた。不運にも同じ車種は生産中止となっていて、類似の車のパンフレットをいくつかいただいてきた。この日、事故車と同車種の代車が届けられた。夜、私が運転して二人で試乗した。事故の精神的後遺症で、交差点が青信号でも必要以上に左右を注意深く確認してしまう。結局、妻は衝突の記憶があまりにも生々しく、交差点が怖くて乗りたくないと言いだした。車内はタバコ臭いし……。義母が入院している病院へは、しばらく車を利用しないことにした。この日、相手方の保険会社から、治療費は病院から保険会社へ直接請求してもらうようにしたとの連絡があった。

 2月14日 車の販売店で、やむなく上位車種を発注した。思いがけない出費だ。しかも納車は3月上旬になるという。それまで代車のレンタル料が保険で支払われるとは思えないのだが……。この日、加害者は勤務する会社の役員とともに自宅を訪れ、妻に菓子箱を差し出し謝罪をしたという。加害者本人の出番は、この日が最後であった。

 2月21日 事故調書作成のため二人が警察署へ出頭した。まだ痛みは残っている。事故の過失責任は 100%先方にあることが認められていたので、事情聴取は手短だった。ただ、当方には事故を未然に防ぐ余地がなかったにもかかわらず、反省の弁を求められた点は不満であった。

 2月26日 この日が最後の通院で、痛みはわずかであったが、湿布を続け、その後は順調に快復した。

 3月1日 届けられた新車を試運転した。私も妻も、交差点ではまだ異常なまでの緊張感が残る。

 4月7日 相手方の保険会社から、損害賠償額の内容と免責証書(承諾書)用紙が届いた。賠償額は、私が60,230(慰謝料24,600円を含む)、妻が 50,590(主婦休業補償11,000円、慰謝料16,400円を含む)。免責証書に押印して返送すれば、保険会社は直ちに送金し、当方は本件についての損害賠償請求権をすべて放棄するという内容である。金額が妥当かどうか判断がつかないので、もう少し時間をかけて考えてみることにした。

 4月15日 次のように複雑な思いを整理したうえ、免責証書(承諾書)に押印し返送した。
@ 当方に何の落ち度もないのに痛い目にあったうえ、事故後の処理、新車手配、警察出頭、通院など手間、暇がかかり、事故の恐怖感も消えず、今も不満が残っている。
A 保険会社の事務的な対応だけでなく、解決に当たって加害者から直接お詫びの言葉がほしい。
B 妻と二人とも後遺症なく快復した。また、加害者に過失はあるが悪意はなく、交通事故が多い昨今、誰もが加害者になりうることを思うと、あまり無理押しできない。
C 多くの人から事故処理の体験談を聞いたが、世間一般では、多少の不満があっても保険会社によって算出された賠償額で、事務的に処理されている。
D 事故から2ヵ月経ち、早々に過去の出来事にケリをつけたい。

 この事故は、まさに「不幸中の幸い」であり、「九死に一生を得た」ともいえる。
@ 衝突がコンマ何秒だけ早く、相手車が当車の運転席に当たっていたら A 当車がはね飛ばされて、交差点にある電柱に激突したら B 当車が反対車線に飛ばされて、走ってきた車に衝突されたら C 当車が横断歩道上に停止したとき後続車に追突されたら……
いずれのケースも、命を落としたり、後遺症に悩まされたりしたと想うと、今更ながらゾッとする。当時まだ他人事のように思っていた死が隣り合わせであることを、身をもって教えられた。

 バースデープレゼントのフラワーバスケットに灯された蝋燭の炎拡大写真を見つめながら、今年も「私の命日」を思い出し、生きている幸せを味わっている。

  2004.2.25


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