今春の年賀状で、雄鶏が腕時計とネクタイを放り出すイラストとともに「リタイアの年、ブロイラ−から地鶏になって羽ばたきます」と宣言したが、あっという間にその時が来た。この6月末で、40年余りにわたるサラリーマン生活に終止符を打った。私にとって少なくとも人生の3/4を越える大きな節目の一つを通過したので、その変わり目の実感を記しておこうと思う。退職後にお会いした方は「その後どうしてる?」と決まって尋ねられるので、これまでお世話になった皆様への近況報告の意味も込めて……。
あれほど毎朝悩まされた目覚まし時計と無縁の生活、連日首を締め付けられることのない生活が始まった。それでも7月前半は、退職挨拶状の発送、健康保険や企業年金の手続き、それに夏休み前に梅雨時の合間を縫うようにして愛知万博に数回通い、妻の長年の労をねぎらうためにそのハイライトを案内するなど、追われるように日々を過ごした。
中旬頃、元勤務先の上司や同僚、ワインフレンド、旅の友人、親類などから退職挨拶状に対する労いと励ましと助言の混じった葉書や封書が20通ほど、メールも10数通が舞い込んだ。私はこれまで退職挨拶状をいただいても「もうその時期か、お疲れさまでした、楽しんで長生きしてください」と内心思うだけで返信したことがなかった。それだけに、いただけると感激もひとしおである。毎年の年賀状のやりとりだけの方から思いがけず戴くのもうれしかった。
お便りのなかに「これからが人生の本番です。退職によって生活リズムが変化し体調を崩されるケースをまま聞きます。ご留意ください」というのがあった。他にも、退職後3年以内が危ないとか、私も知る二人の死亡例を挙げて警告された方もいた。突然大勢の方からお便りをいただいたり、これから3年以内が危ないとか言われると、このリタイアは大変な節目なのだと、今更ながら驚いた。
あわてて何か運動を習慣化しようと思ったが、その頃にはすでに真夏日と熱帯夜が続く猛暑になっていた。これまでどおりの宵っぱりと朝寝、食後に小泉政権の行方や地域情報など朝日新聞と日経をていねいに読むと昼食の時間になる。少しくつろぐと昼寝。やっと暑さがやわらいだ夕方にウオ−キングかサイクリングをするぐらいで、これまでの通勤時の運動量と大差がない。夜は日頃録画しておいた映画やテレビ番組をダラダラ見ていると夜遅くなる。折り悪くNHKの衛星放送で寅さんシリ−ズ「男はつらいよ」48作の放映が開始された。サラリーマンになって4年、結婚した頃にスタートしたものだ。山田洋次監督のファンでもあり、バラではかなり観ているが、時系列で見ていくと発見が多くて新鮮だ。失われつつある自然な風景、家族の団欒や思いやりなど、日本の本来の良さを笑いのなかで自覚させてくれる。同時代のシリーズとして、朝日新聞に連載されたサトウサンペイ「フジ三太郎」とともに、私の長いサラリーマン生活を折々支えてくれたものである。
2、3日に1回は早起きして菜園で野菜やハーブやベリ−などの収穫をするが、7時を過ぎるともう直射がきつく、雑草との格闘まではあきらめる。妻が、熱中症予防のために長年の冷房生活で退化した発汗機能を復活させる必要があると言うので、今夏は昼夜ともにできるだけクーラーを控えることにした。そうなると真夏に読書がはかどらない。毎日早寝をして夜明けともに活動するのが理想的ではあるが……。
これまで足を運べなかった長期療養の叔母のお見舞いも、やっと果たせた。今後は親類とのおつきあいも、もう少し濃くできそうだ。小学校の同級生とも再会し、何十年ぶりかのクラス会を企画することになり、住所録を復元した。その地元での打ち合わせで、ランチの店を求めて街をさまよったとき、長年津島市に住みながら地元の外食店など店舗の移り変わりの情報にまったく疎いことがわかり愕然とした。羽ばたくどころか本物の地鶏になるだけでも、まだまだ時間がかかる。
もう一つ、外出するごとに、背広をやめたとき着るものが不足していることに気付いた。何事もパターンから外れるともろい。突然ク−ルビズと言われても急には付いていけない。せいぜい土日を過ごすのに必要な程度の衣服しか持ち合わせていないが、毎日が日曜日となった今、カジュアルな衣服や靴などの補充が今後の課題となった。
フリ−で2か月を家で過ごしたわけだが、このような生活は主婦に学ぶことが多い。じっと妻の生態を観察していると、朝のドラマや昼時のテレビをボ〜と見ていたり、自然体で巧みに休息しながら炊事・洗濯・ごみ出し・母親の介護・地域行事などを確実にこなしている。私が会社に勤務していた頃は、妻の仕事ぶりが非効率だとか、暇な1日だとか、やや軽んじた見方をしていたが、リタイア後の長生きをする暮らし方のモデルとして見ると、再評価をしなくてはならない。私はまだ家事見習を申し出ていないが、私の在宅が妻にそれほど嫌がられているわけでもなさそうである。そばにいるので何でもすぐ聞けるし、少しエサをやっておけば外出時の番犬として役立つと思っているのかもしれない。いずれにしても、余生のかけがえのないパ−トナ−とは共存の道を探っていくしかない。
退職の挨拶状に「しばらくは骨休めをしつつ、家事見習、健康づくり、晴耕雨読、社会貢献、趣味の写真撮影や旅など、バランスのとれた新しいライフスタイルを徐々に築いていきたい」と今後の指針を記した。「派手にいろいろ書いたなあ」と漏らした友人もいたが、いま総括してみると、家事見習は×、◎印が付くのは骨休めだけである。
年金生活者として名刺のない生活も定着した。来年4月から就任する予定の労働審判員の事前セミナ−も8月上旬に大阪で修了した。退職時期の選択は正解だったが、変わり目の気候条件が誤算であった。これから過ごしやすい時季になるので、焦らず模索しながら、徐々に私なりの「新しい暮らしのかたち」を作っていきたいと思っている。
2005.9.5
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