闘牛の伝統美

単なる牛殺しの儀式ではなく、スペイン各地の民衆に支えられた伝統、熱気、様式美が観衆を魅了します。


ピカドールの場

銛(もり)の場

真実の瞬間

  (2001.5.27) 18:30 発、バスでマドリッドのラス・ベンタス闘牛場へ。ここでは3月上旬から10月下旬まで毎週日曜日に闘牛が行われる。地方の町の例大祭では一定期間、連日興行されるが、都市や地中海沿岸の保養地では日曜ごとに行われるそうだ。バスの運転手さんが、苦心しながら道路わきに停車した。人でいっぱいだ。様々な人がやってくる。顔立ちはもちろん、服装も気まま、サングラスをかけた人も多い。チケットとクッションを渡され、入場する。2万2千人を収容できる円形競技場で、野球場に似ている。席はソル(日向)の1階席で、日当たりのいい席だ。相撲なら裏正面、野球でいえばセンタ−付近の外野席だ。庶民の席で、もちろんソンブラ(日陰)席より料金が安い(2,075ペセタ=1,370円) 。帽子と長袖シャツでガードはするが、サマータイム19時前の日差しは首筋を射るように降り注ぐ。隣りが現地ガイドさんで心強い。開始時刻は、会場が日当たりと日陰にほぼ二等分される時刻に定められている。

 振り返って場内の大時計を見つめる。スペインでは何かと時間にルーズだが、闘牛の開始時刻だけは正確といわれている。19:00、3階席の音楽隊によるファンファーレとともに儀式が始まった。右側の「闘牛士の門」から3人のマタドール(闘牛士)をはじめ出場者全員が正面席に向けて行進する。ビゼーの『闘牛士の歌』が流れるわけではなかった。1回の興行で、3人の闘牛士が6頭の牡牛と闘うのだが、私たちは前半の3回を見て帰ることになる。

 牡牛の出 中央に一人の男性が進み出て、プラカードをゆっくりと1回転させた。そのしぐさが洗練されている。牡牛の体重 508sはわかったが、ほかに出身地や飼主などが書かれているという。突然1頭の牡牛が右側の出入口から飛び出してきた。だが、あまりにも広々とした場所へ追い出されて、キョロキョロしている。3人の闘牛士は散って、それぞれにピンクの布(カポ−テ)をちらつかせて牡牛をおびき寄せる。

 ピカドールの場 それぞれの闘牛士はピンクの布を操り、牡牛の突進を何度もかわす。牡牛は休みながらも挑発にのって突っこんでくる。その間に牡牛のスピード、力、性癖などを知るのだそうだ。槍を持ったピカドール(騎馬の闘牛士)が登場した。馬の胴体の両側が鎧のようにガードされ、馬はおびえたり興奮しないよう目隠しされている。馬の向きを変えながらタイミングを待つ。槍の動きに挑発され、牡牛が猛然と突っ込むところ、その肩甲骨の隆起部を突いた。牡牛は肩に槍を刺されたまま、馬の胴を角で突き上げる。別の闘牛士がピンクの布で誘い、ピカドールから遠ざけた。ここでは牡牛の体力やスピードを減殺し、首を下げさせて、次の闘技の準備をするとのことだ。

 (もり)の場 銛撃ちが3人登場した。長さ70pほどという飾りのついた銛(2つ1組)を持ち、向かってくる牡牛の背に一気に撃ち込む。突進する牡牛に絶妙のタイミングで力強く撃ち込んで牡牛をかわす瞬間は、見る者まで緊張させる。タイミングが遅れたり、撃ち込まれてからでも牡牛が追っかけて復讐したらと心配する。だが3人とも失敗がない。

 ムレータの場 マタドール(闘牛士)が剣と例の赤い布(ムレータ)を持って登場した。初めは剣を持たずに向き合う。赤い布で巧みに牡牛を誘う。静寂のなか、ときどき発する闘牛士のかけ声が観客席に響いてくる。右に左に誘ってはかわし、また誘ってはかわす。一度でも赤い布に向かわず闘牛士に直接向かってきたら危ない。誘ってかわすとき、軸足が不動か、小刻みに動くかが大きな見どころだが、この闘牛士は動かない。かなりの勇気が必要だろう。6本の飾り銛が揺れ、背に血が流れている。うまく牡牛をかわしたとき、闘牛士は背筋を伸ばして見得を切り、牡牛に背を向けてゆっくり歩く。闘牛士の衣装が輝いて見え、舞台の歌舞伎役者のようだ。

 真実の瞬間 場が変わる合図にトランペットが鳴り響く。いよいよ最後の場面だ。闘牛士は真剣と取り替えた。左手の赤い布を揺らし、右手の剣を上に構え、牡牛とにらみあう。牡牛の肩甲骨の間5pほどを狙うのだ。観客席は静まりかえっている。牡牛が突っ込んでくるところを刺した。だが、その後も牡牛の勢いは衰えない。どうやら失敗のようだ。もう一度、向かい合い、今度はひと突きで剣が心臓まで達したようだ。牡牛はすぐによたよたとして倒れ込んだ。拍手と歓声がいっせいに沸きあがった。係員がすばやく短刀でとどめを刺した。牡牛は待機していたラバに引きずられて「運搬門」から退場した。すべて、よどみのない儀式だった。ビデオカメラをのぞきながらドキドキしどおしだった。なお、通常は5分後には解体され、肉は翌日市場に並ぶそうだが、いまは狂牛病の問題があり、肉は販売しないようだ。

 2回目の牡牛は、1回目の牡牛より勢いがある。だが、騎馬の闘牛士に槍を突かれてから様子がおかしい。観客席からブーイングが出た。私はよくわからなかったが、現地ガイドさんによると、牡牛が少しびっこを引いているらしい。競技は停止され、牡牛だけは中央に取り残されている。右側の「闘牛士の門」から乳牛が10頭ほどゆっくり出てきた。そして、中央にいる牡牛を囲むようにして退場した。その間、何が行われたかわからない間に進行した。残された牡牛を追うでもなく、引っ張るでもなく、仲間とともに自然に退場させるやり方を見て、ますます闘牛が好きになった。いつもこのような乳牛を待機させているのだ。

 3回目も見たが、闘牛士の足が動かないことでは、最初の人がいちばん見事だった。いずれにしても、牡牛は体力、闘争心などそれぞれに違うので、毎回同じ闘いはない。これも闘牛の魅力なのだ。もともと闘牛は、牧畜農業の豊穣を祈願して神に牡牛の死を捧げるという起源をもつそうだ。牛殺しの側面を強調したり、古代ローマ時代のライオンと奴隷との格闘などを想像したりすると心穏やかではないが、ここまで伝統美と様式が確立されていると、一つの文化として引きつけられる。とにかく美しい。日焼けもそんなに苦にはならない。20時に退場。まだ30℃ある。


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