ビデオ撮影の楽しみ
写真(静止画)は画質がきめ細かく、決定的瞬間の凝縮された迫力があり、いつでもどこでも他人に見せやすい手軽さも魅力であるが、ビデオ(動画)は、生々しい動きや音声が加わるので臨場感があふれ、迫力は倍増する。
最初の動画撮影は「フジカシングル-8(エイト)」で、娘が誕生するころに買ったものである。1巻が15分ほどで、はさみで切って専用のテープでつなぐ編集や、映写機、スクリーンが懐かしい。産院の様子、歩きはじめ、ひな祭り、運動会、津島祭、亡母との場面など成長の記録を2時間ほどに編集した8ミリフィルム「厚子ちゃん」をDVDにコピーし、娘の結婚時にプレゼントした。
初めてのビデオカメラは、今から20年前アメリカ東海岸の海外旅行からである。それ以前の、テープ部分がカメラと分離して肩がけになっていた分離型から、一体型で小型化されたソニーのベータマックスの発売に飛びついた。小型といっても現在の3倍ほどの大きさはあったが、三脚をつけて担ぎながらニューヨークの街を歩いたりした。このときのナイヤガラの滝の映像は思い出深い。その後、ビデオカメラはどんどん進化していった。これまでの海外旅行のビデオ約20巻を見比べると、それがよくわかる。ろうそくの光の下でも撮れるようになったり、3CCDによる高画質化、デジタル化、最近ではハイビジョンにより画質が飛躍的に改善された。
旅での失敗は自慢できるほどある。度重なる持ち運びにより三脚を取り付けたカメラの底部が壊れたり、舗装道路の上にカメラを落としてバッテリーが壊れたり、滝の水しぶきにより電源ボタンの操作が不良になったり・・・・・・。旅行中、録画テープやバッテリーの取り替えが随時必要になるが、その予備を手違いで手元に持ち合わせず撮影できないこともしばしば生じた。そもそも充電器を家から持参し忘れ、4つのバッテリーだけで絶えず残量に気を遣いながら撮ったこともある。
「カメラや三脚をいつも持ち歩くのは、重くて大変ですね」とよく言われるが、それに見合う価値があればさほど重くは感じない。「旅にビデオカメラを持参すると、自分の記憶がおろそかになったり、旅をゆったり楽しめないのではないか」とも言われる。だが、眺めを漫然と撮るのではなく、何にカメラを向けるか、何をアップして撮るのか、好奇心と注意力を集中して撮るので記憶によく残る。それに、ビデオ撮影をしながらでも、私自身はレンズを透してゆったり楽しんで見ているのである。
海外旅行のビデオは、いつも同行者に差し上げている。反応は様々であるが、一様に喜んでいただける。「2人して息もつがず見入る有様」「写真を整理するのに役立った」「写真を撮り損ねたものが見られた」「自分が現地で見れなかったものまで見れた」「友人とか孫への旅報告とした」、高齢者のかたから「死に土産にします」と言われたこともある。やや押し付けがましいが、興味がありそうな友人や親類にも旅の速報として見てもらっている。説明がないとわかりづらい場面が少なくないが、行ったことのある人には懐かしく見てもらえるし、初めての人にはその国のイメージだけでも伝わるかと思う。
先ごろ旅したオーストリアのビデオ編集をやっと仕上げた。編集といっても、パソコンではなくBDレコーダーでテレビ画面を見ながら不要部分をカットし、表題や最低限の地名などを挿入するというシンプルなものであるが、やってみると簡単ではない。最大2時間の枠内に10数日間の画像を効果的に収める必要がある。見ていただく人の視点に立ち、自分が撮影した生の映像を惜しげもなく1/3程度にカットする、心の痛む作業である。@全体としてどの部分に時間を多く割くかA似たような場面がときどき現れるときはどこをカットするかB地点ごとに、どの場面を残せば全体像が描け、流れとしてわかりやすいかC冗長にも気ぜわしくもないように、地名や料理などの1場面の基本的な長さを何秒とするかなど頭を悩ませる。編集を終えた2時間近くにわたる映像を試写して見ると、手間をかけただけにずっと目を奪われ、自己満足の世界に浸りきる。
結婚式の披露宴や各種の記念パーティーを記録することも多い。披露宴は撮影場所が制約されたり、やり直しがきかないので難しい。事前に概略と進行の情報を得ておくと失敗が少ない。結果は、おめでたいことなので等しく喜ばれたが、その後2組も離婚に至ったことが何とも心残りである。ビデオで記録して良かったのか悪かったのか。
このごろ頻度が多いのは孫たちの撮影である。同居はしていないので、わが家に滞在したり、こちらが出かけたときに撮っている。4歳の女の子と2歳の男の子なので、いまは撮りがいのある被写体であるが、動きが素早く激しすぎるのが難点である。長男の誕生をきっかけにハイビジョンカメラに買い換えた。ほどよい間隔で撮ることになるので、成長の度合いがわかりやすい。わが家のテレビ画面から2人の声がときどき聞こえてくる。見る2人も、このときばかりは休戦し、表情がやわらぐ。
5年前から再開した小学校の同級会でもボランティアとして毎年ビデオ撮影をしている。主人と一緒に毎回楽しんで見ているという感想もいただいた。初回に参加した男性が持病により翌年他界した。そのビデオを見返すたびに記録の重みを感じている。
もう1つ恒例となっているものに、ホームコンサートの撮影がある。若手音楽家を育成する目的で、知人がご自身の邸宅を提供し学生やOBの演奏者を招いて年2回ほど開催されているものである。初回から参加させていただいているが、試みにビデオ撮影をして以来ずっと続いている。カメラ位置を決めれば撮影は難しくないが、失敗が許されない緊張感がある。後日、演奏者は私が撮った映像を何度も見直して腕を磨いていると聞くとうれしくなる。
歳をとるごとに、誰かのお役に立っていると思えることが生きる支えとなる。その意味でビデオ撮影も貴重な一手段となりそうである。
2010.7.31
追記:2018.12
・2012.12 娘に第3子(女子)が誕生し、被写体が増えました。
・2013. 8 ホームコンサートを毎年主催されていた尊敬する友人が、お亡くなりになりました。
ホームコンサートのほか、「仕事より命」を出版された記念パーティーや、講演会の講師としてご活躍された様子を撮影したビデオ映像を見返して、故人の遺徳を偲んでいます。
・2014. 8 ワインの友人が、還暦を記念して60曲のシャンソンを披露するパーティーを催され、お招きを受けてビデオ撮影をし、「ステキな宝物」というお言葉をいただきました。
(2018.12 に開催されたコンサートも撮影)
・2014.11 上記の小学校の同級会が10回目を迎えました。初回以後に参加していた3名が亡くなりましたが、映像のなかでは昔の元気な姿のまま残っています。
・2016.10 Kワインサロンでのバーベキュー会の様子を撮影し、主催者や参加した若い皆さんに喜ばれました。