045: 年中無休



 気づけば、その人物は高い塔のてっぺんに囚われていた。

 眼下に広がっているのは、草原 ―― や、砂漠や山、森に岩山と、やたらはっきりくっきりエリア分けされた世界だった。
(なんだか、ゲームのフィールドみたい……)
 これまでモニタの中、平面世界として捉えてきたものが、今確かに存在していた。それも、プレイヤー自身すら取り込んで。
「これって、ゆめ? ちがうかなぁ」
 いきなりおかしな場所に放り出された。少なくとも主観的にはそれ以外なにものでもないだろう。
 石造りである塔の高さも、尋常ではない。金属製の扉は強固で、かけられた鍵がたやすく壊れそうな様子もない。
「うわー! これって、ぜったいあの世界だよっ」
 この状況に置かれたその人物は、大胆にも嬉しげに飛び跳ねだした。
 どうやら整合性を見出す必要は、この相手に限ってなかったらしい。
「それじゃ、おいらはなんのキャラなんだろ……」
 笑ってはいけない。あきれてもいけない。
 この相手にとって、いま一番重要なのは、自分がなにであるかだけなのだから。
 当人にさえ納得できる理論であれば、それだけでよいのも人間である。
「荷物も、別に持ってないみたいだし」
 冒険者が敵に捕らえられるなど、滅多にあるはずもないが、その例がないわけでもない。とはいえ、その場合もたいてい所持品が奪われることはない。脱出や逃亡に必須であることが多いからだ。
(ええっと。アイテムがいっさいないってことは)
 たぶんメインキャラじゃないんだな、おいらは。
 すばやい思考は立派なものだが、少々方向性がちがっていそうだ。
 しかし、このこだわりのなさは何だろうか。
「んじゃ、装備品も……っ! なんで?」
 自分の意識感覚について、その人物はなんの疑問も抱いていないのだろう。しかし、その手足、そして服装を見た瞬間。全身が、ぴたりと凍りついた。
 繊細なレースの手袋、袖口にあしらわれたフリル。なによりも、下半身をおおうドレープたっぷりのスカート。あげくそのどれもこれもが真っ白で、それを認識した目も白くなっている。
「これじゃ、お姫様じゃないかーっ!」
 しばしののち、とてつもない絶叫が、塔の中全体に響き渡った。
「せ、せめて村人でもいし、旅の商人軍団でも……」
 どうやら特定のRPGが頭をよぎっていたようだ。それはともかく、どうやらこの人物、普通に動けるキャラであることが、望みだったようだ。もしも姫だとすると、勇者が助けにくるまでここから出る見込みはないのだから、当然ともいえようが。
「ま、まだそうと決まったワケじゃないしね」
 あきらかに強がりであろう、わなわなと声が震えている。というか笑っている。けれどすぐさま、行動は開始された。
(なんも、出てこないの?)
 捜索は、あっという間もなく終わった。もともと、作りつけのベッドやタンス以外、たいして物のある部屋でもないからだ。目的としていた鍵は、発見されなかった。もしも待つだけの設定キャラクタでないならば、どこかに隠し扉などがあったりするのだが、それも見つからない。
 だがその程度であきらめては、ここで話は終わってしまう。
「こっから始まるストーリーかもしれないじゃないか!」
 救助を待つだけの人任せな生活なんて、まっぴらだ。
 ひとり気勢をあげて、その人物はふたたび奇妙な行動をはじめた。

 しばらくののち。
「こんな錠くらい、鍵なんかいるかよ」
 ゴゴゴ、という重い物体の動く音とともに、態度と目つきの非常に悪い男が、その誰も入ることの許されないであろう部屋へと、白昼から堂々としのび込んできていた。
「さて、どこにいるのかな」
 ぐるりと巡らせた視線には、何もひっかからない。あるのはただ、奇妙なほどにとっちらかった部屋の惨状だけだ。
「あれ、なんでいねぇんだ?」
「うわあ、どうしよ……」
 首をひねる男の鼓膜を、そのときかすかな声が打った。
「まさかと思うが ―― 」
 声のする方向は、青い空が広がっている。そこからは風が吹き込んできている、要するに窓だ。彼はゆっくりとそちらへと、近づいてみた。そして、そこから外を窺い ―― 深く吐息をついた。
「部屋にいないと思ったら……」
 視線は、真下を向いている。
「あ、あんた、だれ?」
 宙に浮いたその空間に、“姫”はぶらりと存在していた。ベッドシーツと天蓋から垂れる布地を裂いて、ロープを作ったまではよかったが、伝い下りようとした身体が竦んでしまったのだろう。普通ならば、そんなことに挑戦しようと思える高さではない。
「俺の姫さんは、とんだジャジャ馬だ」
「なんだとー! あんた、誰だよっ」
 ジャジャ馬という言葉に、即座に宙吊りの主は喰ってかかった。普通ならば、いかに暴言を吐かれようと、助けを求めるシーンではないだろうか。
「なんだかなぁ。まあいいか」
 あまりにも感動の薄い救出劇に、男はぶつぶつと口のなかでグチっていた。しかし、予測通りにいかないからこそ、おもしろい。そう割り切ったのだろう。彼は口の端をつり上げた。
「えーっと、やっぱここは『姫、お助けに参りました』?」
「ということは、あんたが……ゆうしゃ?」
 塔の窓の上と下、と表現するにも語弊があるこの形。出逢いとしては最悪なこれが、彼らふたりの初対面なのであった。
「ま、こんなとこにいてくれて、ありがとう」
 勇者ということを否定しなかった男は、その場には不似合いな礼を口にすると、平然とその身を窓から乗り出した。その手はロープを掴んでいたが、それが二人分の体重を支えられるとは到底思えない。
「……ちっ、ちぎれるー!」
 おてんば姫が、聞く者を殺しそうな絶叫をあげた瞬間。
 その目の前を、白っぽい羽根が飛んでいった。

「おーい、大丈夫か?」
 聞き覚えのあるような、ないような。そんな声に呼び起こされるように、姫と決められた者が、おそるおそる目を開けば。そこは小さな村の真ん前だった。
「はじめてだったんだな。悪かった」
「え、なにが?」
「コレ。屋根あるとこだと、頭打つだけだからさ」
 おかげで、ラクに脱出できたよ。白いつばさをかざしながら、悪びれることなく彼はその舌先をちらりとみせた。
 この世界がアレだとすると、この物体はやはりあれだろうか。
「それって、もしかして……」
「もち、キメラのつばさ。脱出は、やっぱこれに限るよな」
 答えは出すまでもなく、あっさりとにこやかに与えられた。その笑顔が、どことなくしたたかに映ったのは、気のせいではないだろう。
(勇者って、ゆうしゃって……)
 あらわれたその彼は、思っていたよりもはるかにノリが軽かった。
「これで城に連れ帰られて、おわりってね」
 せっかくこの世界に来たというのに、イマイチな経験だ。ばさっとドレスの裾をさばきながら、ぶすくれた表情で座り込む。自分が姫らしくないことは棚上げである。
 とはいえ、勇者にめぐり逢ってしまっては、これで終わりということだ。まったくしまらない結末も、マルチエンディングとしてはありなのだろう。
 深々と吐き出す息に、それでも救出の礼を乗せようと、その顔を上に向けたとき。
「だーれが、そんなコト言ったぁ?」
 真っ青な空を背景に陽の光をばっちりと浴びた横顔は、その流し目だけで、見あげてきた相手の背筋を凍りつかせたのだった。

「なんで、まだ終わらないのっ?」
「いや。だって俺、ドラゴン倒してないし」
 その後、あちこちとひっぱり廻され、走りまくらされるなか。遭遇したくる敵の多さに、はじめて塔からでた人物は繰り返し叫びつづけていた。
「じゃあ、どうやって来たの?」
 弾む息が問いかける。正当な疑問だろう。
 けれどそれに返されたのは、首を傾げながらのうなり声だ。
「なんとなくすりぬけて、かな。あ、砂漠の砂で、目つぶしかましたっけ」
 あれは、割と便利だったな。また作るかぁ。
 うんうんと、ひとり頷いているのは、モンスターから逃げ切った余裕のせいだろうか。
「てづくり、ですか……」
「あっ、あいつイイもん持ってるじゃん! 行くぞっ」
「え、ええっ?」
 わざわざ逃げていたというのに、次の瞬間には、背後を取りにかかる。そんな相手が同行者なのだから、呆れる暇も与えられない。
 あげく彼の手は剣を握ったりするよりも、敵の懐をさぐってばかりなのだから、その戦いっぷりはとある単語を相手の頭に浮かばせるに十分だった。
「あんた、もしかして盗賊?」
「ビンゴ!」
 楽しげに答えを返した瞬間、その足は派手な蹴りをぶちかましていた。
 その後もゲシゲシと踏みにじり、あっけないほどに敵キャラを灰と化していく。
「だが、勇者稼業してるぜ? 年中無休でな」
 地面をダンっと踏みならし、男は不敵な笑みを浮かべた。
 しかしその直後に、拾い集めたゴールドを袋へとしまいこむのは、どうだろう。
「なんか、夢が……」
「つか、勇者って職業じゃないし。称号だから、盗賊がやってたっていいんだよ」
 姫さんには、わかんねぇかな。そう舌打ちしながらも、ゴールドの重さを量っているらしい。
(いや、たぶん誰にもわかんないと思う……)
 とんでもない勇者に、救われてしまったものだ。というか、もしかして攫われただけなのだろうか。もはやひきつり笑いくらいしか、連行されてしまった身には浮かべられない。
「あのー。おいら、やっぱり塔に帰り……っ!」
 まっとうな勇者を待ちたいと、切実に願った瞬間。その肩口そばをナイフが通り抜けた。
「ほらほら、危ないぜっ」
「うぎゃっ!」
 どこに持っていたのか、投げつけられた小さなナイフは男のもののようだった。もちろん、姫さまを狙うようでは、勇者とはいえない。
 ばっちりと貫かれていたのは、姫の首もとにたどりつく前で絶命させられた、マドハンドだった。
「おら、走れっ!」
 ナイフは確実に回収してから、男は相手の手を引いてダッシュをかけた。あの敵が仲間を呼び続けることを知っているからだろう。
「そんなに、走れないってー! 足、あしっ!」
「チィっ! ったく姫さんってのは、そんなん履いてんのかよっ」
 それまで散々走らせておいて、気づいていなかったのだろうか。悲鳴とともに彼は示されたピンヒールの足に、その顔を思い切りしかめた。
 しかし現状認識、逃亡一番。
「う、うそだー!」
「うるせえ、黙ってろっ」
 巻きあがったのは、砂煙。盗賊勇者は、ひょいっとお宝の姫をその肩に担ぎ上げて、並外れた脚力をみせつけるのだった。
 そして鮮やかな逃走を演じきった後。
「逃げ切った、と」
 主役の口調は、やはりどこまでも軽かった。
「あの塔のなかは、安全だったのにー!」
 思わず泣きが入るのは、世間知らず故だろうか。元囚われの姫君は、下ろされた柔らかな草地で、バタバタと子供のように騒いでいた。舞い散る草と花びらが、その上へとふりそそぐ。
 その姿を苦笑で眺めていた男は、しばらくののち、そっと相手の頬へと掌を滑らせた。
「だが……退屈だったろ?」
 はじめて浮かべられた、優しい表情。意外に端正な面立ちであったことを、改めて認識させられる。見せられた者は、思わずその目を瞠った。そして、自身の過去をふりかえる。
 モンスターというものも、現れないあの場所。あそこにあったのは、外からではないと開けられない鍵、飛び降りられない窓、決して破れない鋼鉄の扉。ただ勇者を待つためだけに作られた場所だった。
「生きてる実感、させてやるって」
 人差し指が、額に突きつけられる。そうして、太陽を背にニヤリと嗤う姿は、ますますもって勇者らしくないと思う。思うのだけれども。
(イイ顔してるよな……)
 造形うんぬんもあるのだろうが、なにより熱く意志をはらんだ瞳。全身からにじみでる自信ともあいまって、その輝きはいっそう強い。
 やっぱり、勇者様には敵わないや。そんな想いに、心があたためられた。

―― こだわってる必要、ないよね?

 目的や方向なんて、なくたっていい。きっと旅なんて、そんなもの。壮大なテーマに合わないからって、ダメなわけじゃない。
「そうだね。あんたとなら、楽しくやってけそうだし」
「ヒマはないぜ? 冒険者に休みはないからな」
「望むところだって」
 終わらせたくは、ないから。新しく冒険を始める者は、レースの手袋をつけたままでその掌を打ち鳴らす。同行者もまた、拳を逆の手に打ちつけるて、高らかな音を鳴らした。
「ってコトで。それじゃ、こいつがお前の武器ね」
「おいらにも戦えって? しかも剣?」
「そいつ売れないんだわ、だから」
 さすが盗賊的観念というべきか。とんでもない理由で、武器を渡す男である。
「それってば、勇者の最強武器とか……」
 マジマジと見れば、そんじょそこらにはなさそうな輝きを放つ刃だ。宝珠の嵌め込まれた柄の細工もこまかく、何かの紋章までも彫りで施されている。
「かもな。高そうなんだけどなぁ」
 ため息が、妙とも言えるタイミングでこぼされる。
 しかし、渡されたほうにとっては、信じられない状況である。
「じゃあ、おいらじゃ使えないよ!」
「なんでだよ」
 ほんの少し鋭い言葉は、相手から反発の声を奪っていく。
「職業が姫で、勇者したっていいんだろ?」
 あっさりと決めつけて、勇者1号の男は荷物袋の口を閉じた。受け取る気はもはやなさそうだ。要するに、言い合ったところで無駄ということだ。
 ともかく、戦闘してみれば扱えるかどうかは、すぐわかることだ。
(信じる者は救われるってね)
 ヒョウタンから駒で、扱えたならば願ったり叶ったり。この世界に来たならば、一度くらいは戦いだってしてみたい。たとえ姫としてここにいるにしたって、同じこと。
「とりあえず、なにする?」
 声が浮かれるのも、仕方ないだろう。そうしてウキウキ反応を待てば。
「せっかく二人になったし ―― 国でも、つくるかぁ」
「はあ?」
「勇者と姫だぜ? 目的は、いつだって派手なほうがいいだろ」
 覗き込んでくる瞳は、純粋にすべてを楽しんでいる。いや楽しむ意志に満ちている。
「その意見は同感なんだけど」
「だろ。で?」
「でもさ、おいら男だよ?」
 その言葉に、勇者と言い張る男の目が、相手の上から下まで何度も往復する。ドレスにヒール、ふわふわとした茶色の髪に、コロコロ変わる表情の小作りな顔。きょとんとした瞳など、とてつもなく愛らしい。
「ぜったいに見えねぇ……」
 ひねった首は、如実に理解不能だと示していた。観察しているその目も、繰り返ししばたたかれる。
 けれど、それはすぐにウインクへと変わった。
「……ま、それも一興。フツーの姫さんより、おもしろいってな」
 行こうぜ。軽く腕で指し示した方向は、北北西。すぐにその足は動き始める。
 そうして翻ったマントだけは、勇者っぽくもあった。追いかける姫のドレスもまた、動きだけは似ている。
「一応は、ドラゴン退治もしようねー」
「気が向いたらな」
 あくまでものどかな声。それは、荒野にどこまでも響いていった。

 終わりがないから、年中無休 ―― それだからこそ人生。


おまけ



003: 荒野 ≪≪   ≫≫ 088: 髪結いの亭主


意味不明文章作品、第2弾
リクエストってことで、和真さんに贈呈




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