かたらい
(北小学校PTA文集)から (2)
同級会では、きまって、薄髪だの体力の衰えだのが共通の話題となるようになった。そういえばもう厄年、運動会でも気持ちが先にゴ−ルインし、しみじみ歳を味わう。
というわけで、日頃の運動不足を補うため、休日に貴重なゴロ寝の時間をさいて、市内を速足で歩きまわることを思い立った。あまり通ったことのない道を選んで、でたらめに歩いてみた。虫の眼で見ると、見るもの一つひとつが新鮮な発見であり、驚きであった。想えば、ながらく名古屋勤務が続き、家から駅までの一本の線だけが、私の「津島」になっていた。
この時から、郷土を踏みしめる小さな旅が、私の習性となった。藤浪中学、津島高校、いずれも何年ぶりかで昔の通学路のとおりに歩いてみると、すれちがう黒い学生服にダブって、みんなのニキビづらがよみがえってくる。天王川公園も、なかなかのものである。
最近では、つれあいの古巣・八開村から約1時間、道を変えては歩いて帰ってきたりする。気力がある日に、家から葛木を経て、木曾川堤を下り、尾張大橋、弥富に至る連続3時間の旅へと足を伸ばすこともあった。
時には娘をお供にして、よそ様の果物や野菜の花などを楽しませていただく。このごろは、「厚チン、行こ!」と誘うと「勝手に」と答えることがあり、ちょっとさびしい。これまで、歩きながら見つけたカマキリの卵がお土産だとか、二人が無事帰るのが何よりのお土産だとか言って、道中、何も買ってやらなかったからかもしれない。
海外旅行もいいが、この小さな旅も、これに劣らず実りが多いと思う。さて、次の休みはどこへ行こうか。不格好で人相が悪くても、決して怪しい者ではない。多少キョロキョロしても、旅人と思って寛大にご容赦を。
1985.1
初めての単身赴任
単身赴任をめぐる悲劇が時に話題となる。赴任先でのやりきれない気持ちから酒を飲み過ぎたり、浮気をしたり、それでなくても家族の病気や子供の非行が原因で家庭が崩壊することもある。正直なところ、これまで単身赴任は他人事と思っていたが、昨年7月から長野で初体験をするはめになった。
ようやく半年が経ち、暗く厳しい冬に入ったが、不慣れな生活も人を狂わせることなく今日に至っている。私は比較的自分の世話ができるほうだと思うが、これはひとえに「男の自立」をめざして日頃からサ−ビスを控えめにしていてくれた妻のお陰である。
せっかくの機会でもあり、子供にも長野の自然を味わわせようと、夏休みには志賀高原へ、秋には軽井沢へ、冬休みにはスキ−へと連れて歩いた。厚子は、モウセンゴケなどの高山植物、浅間山の熔岩、地面近くまで垂れ下がったつららなどに眼を輝かせた。私の宿舎も、食堂、洗濯室などを案内し、私の生活ぶりを詳しく話してやった。
わが家へ帰るときは金曜日の夜10時頃になるが、着くやいなや、厚子は目をこすりながらも、妻と競争で、留守中のできごとや告げ口をけたたましく訴えてから床につく。母も加わると、この時ばかりは老若含めて3人の女性から大モテである。そして、日曜日の午後には「バイチャ」と言い、厚子の「行っていかん、まだ遊び足りん」という声を後にする。
仕事のつごうで帰れない週も多い。久しぶりに室内で厚子を見ると背が伸びたように思ったり、ちょっとした言葉づかいやしぐさで我が子の成長を感じたりする。厚子のほうも「最近、とうさん変わったネ」と言ったりする。お互いに距離を置いて生活してみると、お互いの存在と成長を確かめあうことができ、悪くはない。
それにしても、「しなの号」による往復の旅は、いつまで続くのだろうか……。
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