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02,06,05
いつか必ず誰にでも死はおとずれる。だけどそれは誰にとっても、悲しいしさみしいこと。ましてや、その訃報が突然ならなおのこと。
中川さんの病状がよくないってことで、先週火曜日、いつもの顔ぶれが、くれよんに揃った。小林さんから詳しい状況を聞き、個々でお見舞いに行くことになった。ところがたいてい、みんな週末に行こうと決めていて、小林さんだけが翌日行かれたのだった。そしてその翌日木曜日の夜、いくらよくないとはいえ、あまりにも早い、予期せぬ訃報だった。みんなに、通夜のこと、告別式のこと、連絡いれると誰もが、とても驚いている。当然のことだった。あまりにも早すぎる。
お通夜の後、中川さんとのお別れと、いつものテーブルをみんなで囲み、いつも中川さんが座っていた位置に空きボトルを置き、思い出話をした。“いつ頃かなぁ 中川さんと出会ったの・・・”“ダンスのステップすごかったねぇ・・・”中川さんが大好きだった焼酎をみんなで飲み、中川さんしめっぽいのきらいだからと、“特に女の子にはまめに声かけてたよねぇ、チョコレート配ったりして・・・”“あの小刻みなステップがたまらん”“踊ってる時のおしりがステキ・・・”なんてワイワイ賑やかにやってたけど、やっぱり心の中はさみしさと悲しみでいっぱいだった。それはきっとあの場にいた人達全員が同じ気持ちだったのだろう。
中川さんが、くれよんに来てくださるようになったのは、いつ頃かなぁ。6,7年くらい前だろうか。ライブじゃないのに“ママさん 踊ろう踊ろう”と初めて声をかけられた時は“いやだ このおじさん酔っぱらってる”なんて思いつつ、ちょっとひいちゃったけど、社交ダンスを習っていらっしゃっただけあって、そのステップは筋金入り、いつだったか、サンバのお店に行った時にも、なにせあのステップだから、中川さんだけ注目の的だった。
くれよんダンシングチームの中では、最年長だったけど、いつもいちばん元気で、いちばんダンス上手で、私たちを楽しませてくれた。還暦には、みんなでカーディガンをプレゼントし、オールディーズの店で、飲んで食べて、めいっぱい踊って盛大にお祝いした。
うちの車庫完成記念パーティーの時も、忘年会の時も、いつだってお酒もいちばん強いし、20代の人達と同じようにはしゃいで、そのパワーは、私たちを驚かせた。ホントに尽きない思い出。
お葬式の日、最後の言葉で、息子さんが棺をぽんぽんとたたいて“元気でな、むこうに行ってもすぐ友達できるから・・・”と話かけられたように、中川さんの人柄で、とってもたくさんの人に見送られて。
それにしても、ほんとうにあっけない、人間なんて。私もいつか灰になる日がくるんだなぁ・・・さよなら 中川さん
なので今週は、Goodbye
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池田 篤 Everybody’s Music
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