2004.01.14
12日成人の日に、くれよんには、それらしいお客さんは、なかった。”昔はなあ・・・”と、open当時の頃を、なつかしく思い出していた私達だったけど、当時と変わったことといえば、2人とも確実に年をとったということ(確実にお客さんが減ったのも事実だけど)当時式を終えた新成人達が、どっとここに来て晴れ姿を見せてくれたのは、ふだんからうちに来てくれていた子達が、”成人になったよ””今日、成人式だったよ”と、報告に来てくれていたから。今いかに、その年代のお客さんが、くれよんには、いないかって、ただそれだけのこと、答えは簡単、はっきりしている。
華やかな振袖姿、ピシっと、カッコいいスーツ姿、そんな新成人達を、新聞やテレビのニュースで見て、そういえば、今日は成人式かあと思うくらいだった。テレビの画面には、またかって言いたくなる、あちこちでのひと騒動が、映し出されていて、係員がその騒ぎの収拾にあたふたしているのを見ると、なんだか、なさけないっていうか、さみしい気さえする。
騒いでいる彼らにしてみれば、この日だから、この時だからこその自己表現なのかもしれないけど、そのパワー、もっと他のところで使ったらいいのにね。
最近読んだ和田 啓さんの”「叩く」であそぶ”という本の中で、啓さんは、「最近中学生が暴力をふるったり、殺人事件を起こしたりするニュースを聞くと、叩くという素朴な行為の持つ意味を、今一度見直すときにきているのではないかと感じます」と、書いていらっしゃる。そして、「手を叩くことは、手応えを感じることの根源、生きる証を感じる根源」「今の子どもたちは、手応えを感じることが少ない、社会自体が、手応えがうすい」とも。
去年年の瀬”今年も終わるねえ・・・”って、なべを囲んでる時、いっしょに飲んでた知人が、”最近の若いもんは”っていう話から、”うちの孫が心配”だという話へと展開。”娘にもっときびしいしつけをと、言うのだけれど、どうも甘やかしているようで、心配でたまらん”と。私は、”そんなおじいちゃんがいるから、お孫さんは大丈夫”と、言った。それでも本人は”そうかなあ”と、納得いかないって顔だったけど、そういう存在がそばにいてくれるのと、いないのとでは、ずいぶんちがう気がするから。
そして、その人はすかさず付け加えた。”おれの母親なんか、おれが中学生にもなっとるっていうのに、足で蹴ったら足が痛い、手でたたいたら手が痛いと言って、ほうきでようたたかれたもんだ”と。さすがだねぇ、それでこそ母親ってえもんだ。それでこそ、真に母と子が向き合えるのだ。子は、それで母の大きさを思い知るのだ。
そんな時代、今のようにいとも簡単に子が親を殺すなんてなかっただろうし、ただむしゃくしゃするだけで、犯罪にはしる若者もそうそういなかったにちがいない。この状況この風潮、もうそろそろなんとかしなきゃね。
暴走族のつっぱったお兄ちゃんも、友達はパソコンなんてこと言ってる若者も・・・みんなみんな実は、人間大好き、おしゃべり大好き、そして案外ロマンチストだったりするのかも。
成人式の会場で、ひと騒動起こした若者自身が、後に何かを感じ、手応えのうすい社会を自らの手で少しづつでも変えていってくれたら・・・
今週はLEE MORGAN 「The Sidewinder」
'04.01.21 ☜
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'04.01.04