津島市蛭間町
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全席禁煙に致しましたので、
 喫煙はデッキ席のみとさせていただきます。
 毎木曜日第2,第4水曜日を定休日とさせていただきます*
 2004.01.30

 今年も、1ヶ月が早過ぎようとしている。月日の経つのは、本当に早い。この時の流れ、自分の年と重ね合わせ、そんなに長い年月生きてきたこと自体、どうもピンとこなくて、もうほとんど記憶もない遠い昔に思いを馳せる。


 ほんの少しだけ、断片的に思い出す子供の頃。祖父母、両親、姉、兄、そして私。高校の時、祖父が亡くなるまでの十数年は、7人家族で過ごした日々。


 酒癖の悪い父親。けんかになっても、ぜったいゆずらない祖父。家の中では、ふたりともすごくわがままで、がんこだった。でも、信じられない程、外面はよく、人には頼られ、うけは、すこぶるよかった。


 さらに超ノーテンキな祖母。考えもせずに、いつもずばずば、言いたい放題しゃべっていた。


 いつものケースは、夕食の時、きげんの悪い父親に対して、みんなあたらずさわらずで、何とかこの険悪ムードを逃れようとしている時、決まって祖母が口を出す。正に、一発触発状態のところに、そのひと言で火がついて、収拾がつかなくなる。わかっていても繰り返す。それが常だった。


 当時ホームドラマで、家族団らんの場面なんか見た日にゃあ”ありえないだろ、これ”っていつも思っていた。それとも、よその家は、いつもこんなふうに和気あいあい?とまじで考え込むことも。


 何せ、そんな自分勝手なわがまま放題の3人の中に入り、母親は、いつも気を使い、父にしたがい働いていた・・・と、そんな気がする。


 でも、さすがに突然父親が亡くなった時は、しばらく仕事をする気にもなれなかった。”何も言わずに逝っちゃうなんて”何度思ったことか。そんな時、父親の兄夫婦に、”あいつは、お前をいちばんかわいがっとった・・・”と、昔話を聞かされ、胸が熱くなったけど、その時、”ありがとう”のひと言さえ、言うべき相手はそこには、もういなかった。


 特別何の楽しみもなく(私にはそうみえた)子供のために、子供のために、そうやって働いてきた両親。昔の人はみんなそうだった(かな?)


 姉と同じだけと、私の時にも揃えてくれた嫁入り道具。和だんす2棹の中には、一度も袖を通していない着物がほとんど。


 ”よく揃えてくれたよねぇ”、今になってそう言う私に今度は、このまま娘に持っていかせればいいと言った母。


 私が今の娘くらいの年の頃、母親はもっと母親らしかったっていうか、どんなことも何をとってもそう思える。私には、そんな重みがない。


 だいたい飲んだくれて、ライブハウスで、”イエ〜〜イ”なんて、やってたり、娘や息子とクラブで盛り上がってたり、そんなとこ母が見たら卒倒しかねない。当時の、母の姿からは、想像もできないことだろうから。


 近々実家の法事に一度も袖を通したことのない、いちまいを着て出かけよう。


今週は「Segment」
セッション’95 パーカーメモリアルセッションでの穣さんの演奏にすっかりはまり、大好きになった曲。
CHARLIE PARKER 「Jazz Perennial」
DAVE HOLLAND 「Triplicate」

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