世界に一つだけの結婚式
2003.12.7 「全日空ホテルズ ホテルグランコート名古屋」 ローズルーム にて
娘が家を離れて10年も経つ。近頃「お見合い話は要らないから」と言うようになってはいたが、29歳近くになり相手の男性から求婚されたわけでもなく、親として気になっていた。
昨年1月末に「4月から彼と同居したいが……」と娘からメールで打診があったので、それならば、まず私たち夫婦が彼ともご両親とも顔合わせをしたうえ、みんなで「婚約」に合意することが望ましいと手紙で伝えておいた。そして3月10日、突然「彼と帰るのでお食事会をしたい」とのメールが入り、事態は急転する。3月20日に彼と初顔合わせをしたら、想像以上の好青年であることがわかり一安心した。2週間ほど経た4月4日にはご両親を交えて会食。その場でもご両親と旧知のようにスムーズに打ち解け、@本日をもって婚約成立とし、別に結納の儀式は行わない
A4月中に入籍する B挙式は行わず結婚披露宴は12月頃に行う、ことまで取り決めた。
私たち夫婦から見れば変則的な「電撃婚」に思え、あまりにあっけなく感じた。一人娘が今後ずっと遠隔地で暮らすことが突如確定した衝撃もある。だが、最も大切なことは「本人たちが自分の意思と責任で伴侶を決め、末永く幸せな道を二人で切り開いていくこと」であって、形式を整えるのが最優先ではないと考え、素直に喜びを噛み締めた。
披露宴は本人たちが主催し、会場は来賓や双方からのアクセスの良さなどから、名古屋・金山の「全日空ホテルズ ホテルグランコ−ト名古屋」と決め、12月7日(日)ローズルームを予約した。日頃は二人と離れているため、どのような披露宴になるか、どのように進行するのか、よくわからないままに当日を迎えた。
受付で席次付きの小冊子を受け取った。パソコンで手作りしたものである。パラパラとめくってみると、大昔の私たちの結婚披露宴での写真が目に飛び込んできた。前月帰郷した折りに、冊子に載せるので小さい頃のアルバムを見たいと言われたことがあり、この時に結婚アルバムからこっそりコピーされたのだ。してやられて悔しいが、黒髪がふさふさしている頃があったことを証明してくれた。別のページには、親から見てもあまり可愛くない写真も選んで「男の子みたいですね。成長してもそれは変わらず……」とコメントを添えていて、この洒落っ気は明らかに親を超えている。
席に付くと、テーブルの上にウイスキーのミニボトルの形をした小さい瓶が、厚紙で手作りされた台に載っている。会場の皆さんが、高齢の方々から子供たちに至るまで、このセッケン液を使って一斉にシャボン玉を吹き出しはじめた。そこへ新郎・新婦がSMAPの人気曲「世界に一つだけの花」の曲に合わせて入場し、祝福のバブルシャワーのなかを進んでいった。純白のウエディングドレスを着た新婦が手にしているのは、オレンジ・ピンク・イエロー・ホワイト4色の風船を組み立てて飾り付けたブーケ。メインテーブルにも、緑色の風船で作られたクリスマスツリ−、風船に白い粉がかかって雪のように見せてある。いずれも友人たちが考えて当日準備したオリジナル作品なのだ。メインテーブルは楕円の形で、二人は十数名の主賓に囲まれている。バックにはモネ「睡蓮」のレプリカが二人を引き立て、雰囲気を和らげている。
いわゆる人前式と指輪交換の儀式もあった。半年前には、これもしないと言っていたのだが……。ウエディングケ−キの入刀は、会場から抽選で選ばれた男の子と一緒に行われた。司会やマイク運びは二人の後輩が行う。会場で指名された人は、主賓も含めて自席でスピーチをする。両親それぞれにも、生い立ちなど発言の機会が与えられる。合間にはラ−ト競技の世界大会での演技や、海外の友人からの祝福メッセ−ジなども上映された。巧みにも、その間に二人は料理を素早く食べている。恩師が二人を題材にして、ビデオ画面をもとに分析した研究発表「愛の発生とその成熟についての形態学的一考察」は大いに受けた。また、男子学生二人による、いま世界に広めつつある「Gボール」を使った楽しい創作パフォーマンスや、新郎・新婦のエピソ−ドを織り込んで先生や友人たちが替わる替わる歌う「世界に一つだけの結婚式」もユニークな試みだ。
列席者のうち子供たちが10名近くもいる。サンタさんが子供たちにプレゼントを配る。席を立ってお酒をつぎ歩く人も少ない。誰も涙を流さない。よく見る結婚披露宴とはだいぶ様子が違う。派手さや豪華さや厳粛さには欠けるかもしれないが、多くの仲間に支えられた、フレンドリーで、個性的で、自然体で、エネルギッシュで、ユ−モアと温かみのある素晴らしいパ−ティとなり、列席者の心にも深く残るものであった。
娘のスピーチは「式をすると決めてからずっと、昨日は夜中の3時過ぎまで、みんなで準備を手伝ってくれて、とても感謝しています。私の小さいときからの夢は、結婚式をしないことでした。両親も多分あきらめていたと思いますが、お婆ちゃんがとても楽しみにしていたので、やることにしました。おかげで新しいことを経験でき、勉強することができました」である。このビッグイベントの体験と、自分たちを支えてくれた人たちのことを、いつまでも忘れないでほしいと願っている。
娘から私たちへのプレゼントは、生まれた時の身長、体重に合わせたテディベアであった。多忙ななか、すべて自分で作ったという。当日撮影されたDVDとともに、私たち夫婦の余生の宝物としたい。
2004.1.25
長女「絢(しゅん)」誕生 2005.10.7 年賀状 2006
長男「弦(げん)」誕生 2008.7.16