かたらい(北小学校PTA文集)から (1)

 

1982.1 わが家の年賀状


 年賀状で、その人の人柄や家庭の近況がしのばれたりするのは楽しい。わが家でも厚子が生まれてから何か工夫したものをと思い立つようになった。方法は手刷りとして、正月らしく、心温まり、ユ−モアがあふれ、さりげなく子供の成長を表わし、少し考えさせるものをといつも欲ばる。思いつきは言うが絵のかけない夫と、表現はできるがアイデアの貧しい妻との連夜の口げんかを経て1点1画を決めていく。

 近頃は一人前に娘も加わる。ちなみに本年は、竹馬を両親として擬画し、娘が歩むたびに親の頭が交互に地面にぶつかり悲鳴をあげ、老眼鏡をかけてモグラに扮した祖母が目を細めるという図となった。

 心の温かさ、ユ−モア、さりげなさ、みな娘にも願うことなのである。成人して見直してくれると想う娘のために、そして、何より自分たち夫婦のためにも、この儀式を続けるつもりである。結婚のあいさつ状に「一つひとつ話しあい……」と宣言して、実行するのはこの時ばかりだからである。

 
   
私の年賀状展  私の年賀状展(昔)

 

1983.1「とうさんへのおてがみ」


 「どうしてかあさんと手をつながないのですか」「なんでそうじをかあさんにまかせるんですか」「きょうはどういうしごとをやってきましたか」……。ほろ酔い加減の午前さまでも、眼をこすりながらこの返事を書かなければ私の1日は終わらない。この3月から始めた厚子との「筆談」である。

 私はなぜか遅く帰る日が多い。そんな日に娘は広告紙の裏などに私あてのお便りを書き置くことがあった。そこで、ある日1冊の落書帳を手渡し、帰りの遅い日に限り、これを書くよう約束した。娘はこれを「とうさんへのおてがみ」と名付け、おはなしコ−ナ−、しつもんコ−ナ−、おねがいコ−ナ−などと自由に書きまくった。また、朝起きるや飢えた小犬のように落書帳にとびつき、私のふざけた返事をむさぼり読んだ。最近では「今日は帰りが遅い?」と期待することさえある。私の作戦はまんまと成功し、娘のためにもと遅帰りをすることになるのである。

 1冊の余白がわずかになった今、ひそかに心配することが一つある。この落書帳は私の帰宅の遅い日数の記録でもあるので、いつか妻に悪用されるのではないかということである。

 

かたらい(北小学校PTA文集)から(2)  

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