年賀状の幕引き


 元日の朝、年賀状が届くのが待ち遠しい。配達が遅いと何度も郵便受けを見返す。届くと束が輝いて見え、テーブルに広げると急に室内が華やかになる。最近は写真やイラストのカラフルなものが多いから、なおさらだ。

 

 大別すると親類、勤めていた会社の同僚、海外旅行の同行者やワインの友人たちからいただく。その若い方々の成長や躍動ぶり、同世代の方々の老後の精進ぶり、骨折やがんなどの闘病や克服ぶりに、いつも励まされている。賀状はいろいろだが、私だけへのメッセージが記されているのがうれしい。趣味の世界とか、仕事のこと、家族の近況を文字や写真で表して印刷したものも、その人らしさがよく伝わってきて心に残る。記述はなくても1枚の家族写真からいくつもの情報が読み取れることがある。版画や絵画なども見応えがある。それらに比べて謹賀新年、明けまして…、本年もよろしく…など定番の文言だけを印刷したものには、自ずとめくる手が速くなる。それでも、何年も会っていない方々とは、年1回の賀状交換を通じて生存を確認し合え、それなりの意味がある。

 

 年賀状に力を注ぐようになったのは娘が誕生してからだ。指人形、竹馬、書き初め、スキーなど娘の成長ぶりをテーマにして、エトを絡めた私らしいユーモラスなイラストを考えた。いつも娘が主人公で両親が振り回されるという展開が、やがて娘の猛反対を生み、その後は夫婦2人がモデルを務めることになった。エトはもちろん、その時代における夫婦の状況や関心をテーマに描いたイラストに、「禁菓新年」などのキャッチフレーズを添えるパターンが確立し、現在に至っている。

 

 近年の年賀状は、そのテーマやコメント(見どころ)を添えて「私の年賀状展」に掲げてあるが、改めて見ると私の歴史とその時代が蘇ってくる。25年目の連立政権:イヌ年の自社連立政権時の銀婚式、帰巣新年:トリ年の定年退職、役辰新年:タツ年のホテルとワイン、馬齢還暦:ウマ年の還暦、脱皮新年:ヘビ年の家事やる変身、注注新年:ネズミ年の転倒防止と東京五輪、妄想新年:ウシ年のコロナ禍の東京五輪など、それぞれに思い出が尽きない。

 

 毎年11月初め、年賀はがきが売り出される頃から、追われるように知恵を絞る。まずテーマとキャッチフレーズから。妄想新年の時には、ウシ年とコロナから牛密の造語が浮かんだが展開できず、最後は妄想に落ち着いた。五輪・コロナ・牛(夫婦)をどう繋げるか。五輪はどの競技のどの場面を描くと纏まるか、牛はゴールインか表彰台か。悩み抜いたすえ月末のウォーキング途上で、聖火によってコロナを退散させるという妄想の流れがイメージできた。後は聖火の形をオオカミのようにしたり、五輪マークを5脚のワイングラスに替えたりして完成にこぎつけた。

 

 印刷は、昔は小型の謄写版でローラーによる手刷りだった。25年ほど前にプリントゴッコが登場して手軽になり、その改訂版が出てからは画質が格段に良くなり、パソコンが普及して勧められても、手刷りの素朴さと温もりに拘ってきた。10年以上前、製品が発売中止になってからも、備蓄した製版器具やインクなどを使いながら継続してきたが、ゆがみが生じたり、インクが固まったりして苦闘を強いられてきた。そんなとき、年賀状を終えるあいさつを時々見かけるようになった。傘寿、喜寿、終活、定年、突然など、きっかけは様々だ。私もついに踏み切った。愛着のあるプリントゴッコの不調もあるが、近ごろ脳力とエネルギーが著しく減退してアイデアに行き詰まったことが大きく、傘寿を機に、惜しみつつ幕引きを決断した。

 

 差し出す年賀状は、前述の印刷後にも何らかのメッセージを書き加えるので、合わせてかなりの時間と手間を要するが、見返りは十分ある。おかげで、ほぼ同数の皆さんの年賀状を楽しめるし、少数ながら「気に入っている」「ほっこりする」「考えさせられる」「毎年一番楽しみにしている」との喜ばしい言葉にも出会えた。私自身にとっても、夫婦で現在の立ち位置を客観的に眺めたり、翌年の行動テーマを一緒に考えたりする貴重な機会であった。私のおやじギャグ力と、妻のいたずらお絵描き力を自由に発揮できる舞台でもあった。毎回、クリスマスソングを聴きながら刷り終えたときの達成感は忘れられない。今年の年末と来年の元日は、確かに時間と手間に余裕はできそうだが、ポッカリと心に穴があいたような気分に浸るかもしれない。

 

   2022.1.27

 

 

私の年賀状展  私の年賀状展(昔)  わが家の年賀状(「かたらい」(北小学校PTA文集)から)

 

 

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