■あま市の暴れん坊将軍・松下あきのり web site
松下あきのりからのお知らせ
溜飲さがる 〜「松下あきのり訴えられる」〜
3月14日に、伊藤建築株式会社(伊藤議長の父親の会社)と伊藤議長の父親からおこされていた裁判の判決が出た。原告の請求は棄却。私の主張が正しいと認められた。さらに、裁判所は、伊藤建築株式会社は違法に営業をしていたとの見解を示した。宅地建物業法に違反していたのである。すなわち、伊藤建築株式会社の取締役営業部長でもある伊藤議長は、その片棒をかついでいたことになる。(2012/3/18)
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物議か、それとも。。「人権行政ってなんだ」 〜3月議会〜
あま市では、旧同和対象地域限定で、幼稚園入園、小・中学校入学への支度金制度、保育園の被服費支給や減額制度、かつ出産祝い金制度がある。さらに、1ヶ月5,000円〜15,000円という家賃の安い市営住宅(改良住宅)に入居ができるのは、同和地区およびその親族に限られている。これは一種の逆差別ではないかと、議会で質問をした。
入園、入学の支度金制度は、即刻廃止か、もしくは、全世帯に支給すべきだし、市営住宅(改良住宅)の入居対象者は、生活保護家庭や母子家庭へも広げるべきではないかと考えている。
これに対する市長の答弁は、いろんな面で研究をして、議論をしてゆくの一点張りであった。確かに、市営住宅(改良住宅)については、複雑な歴史的事実があるにしても、支度金のような不平等な制度は、県内でもあま市だけだと聞く。今すぐにでも、やめることができるはずだ。早く(旧)同和地区・人権行政などの言葉が死語となるよう、あま市の迅速な対応を求める。(2012/3/25)
同窓会・その2
昨年11月、旧交をあたために、京都へと足を運んだ。中学校野球部を中心とした同級生会だ。お互いに還暦をすぎ、少し余裕ができたのであろう、一昨年に続き、2回目の開催となる。
当時は、グランドを暗くなるまで白球を追いかけた仲間たちと、時には恋愛談義に花を咲かせ、将来の夢を語り合ったものだった。それから48年をすっ飛ばした私たちの一昨年のメインテーマは年金、そして、昨年は薬であった。年金をいつからもらおうか、血圧に良いのはこの薬だ、血液さらさらは
こちら、挙句の果てには、インシュリン注射を打っている仲間までいる始末だ。きっと、それぞれが歩んできた苦くて甘い人生は、すでに遠い出来事に変わってしまったのだろう。胸の中にある甘酸っぱい思い出を酒の肴に、その昔は、あどけない少年だったおじさんたちの年金と薬の話は、夜半過ぎまで続いた。(2011/1/5)
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自己紹介を少々
1987年、39才で美和町町議会議員に初当選。その後、4期16年、町議として手腕を発揮するが、2003年の町長選挙に敗れ、肩書きのないただのおじさんを4年。2007年4月に再度、美和町議会議員に返り咲いた。そして、あま市誕生とともに、あま市議会議員及び1代目議長に。その後、一度の選挙を経て、あま市議会議員の一員として、
行政の矛盾およびまとまりのない議会に対して徹底抗戦中である。
内緒の話
生まれてこのかた、ファーストフードの代表格であるハンバーガーを食べたことはない。だが、肉は大好きである。魚と同じく、美味しいものを安く食べたいときは、高台寺の市場へと出向くことにしている。特に、そこの肉屋が勧めてくれる肉は最高だ。昔は、おいしいと思って通っていた焼肉屋の肉が、最近はそれほどではないとさえ思える。
その肉屋が、とっておきの焼肉店をオープンする。肉の卸をしているのだから、値段と質は言わずもがなだ。現在、4月11日のオープンに向けて準備中。人気店になると私が困るので、場所は内緒。どうしても行ってみたい方は、こっそりと私に聞いてください。(2012/4/1)
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ふるさとへ
人は、どこを自分のふるさとと言うのだろう。生れたところか、育ったところか、はたまた、結婚をして家族とともに住みついたところだろうか。
私の母が亡くなって3ヶ月が過ぎようとしている。昨年、12月30日の夜、家族とともに食事をし、これなら来年も元気で過ごせるねと話をした。それが最後の会話となった。その夜、家族が知らないうちに、寝床でくも膜下出血を発症。3日後に帰らぬ人となった。
愛媛県松山市出身の母は、地元で結婚をし、私を産み、24才のときに、家族で京都府舞鶴市へと移り住んだ。それから31年を舞鶴で過ごし、老齢にさしかかる頃、私が住むあま市に来て29年のときを生きた。
その母が亡くなる少し前、母のタンスを覗くと、値札がついたままの服がいっぱい詰め込まれている。あきれた私が「どうして、こんなにたくさんの服がいるんや?」と聞くと、「いつか、松山に着て帰るんや」と言っていた。体も弱っており、あんなにたくさんの服を、着て帰れるはずなどなかっただろうに…。
それでも、やっと母の願いをかなえてやることができた。先日、松山で納骨をすませた。今は、あの碧い瀬戸内海が見える墓地で、父と母のふるさとで、私の両親は静かに眠っている。(2012/3/28)
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