福島正則
 
福島正則生誕地
福島正則生誕地(愛知県あま市)

 愛知県あま市は平成22年に美和町,七宝町,甚目寺町が合併してできた市です。その美和町(昭和33年町制施行により美和村から美和町に)は明治39年に正則村,蜂須賀村,篠田村が合併してできた村です。その正則村にあったのが現在のあま市立正則小学校です。そう、福島正則は村の名前や小学校の名前になるほど地元にとっては英雄なのです。

当然のように、地元の富塚郵便局と美和篠田郵便局の風景印は福島正則誕生地碑です。

富塚郵便局風景印
富塚郵便局風景印
美和篠田郵便局風景印
美和篠田郵便局風景印

 愛知県あま市二ツ寺屋敷69に「福島正則公菩提寺 瑞祥山 菊泉禅院」があります。
塀越しに右のような記念碑が見えたら、そこが菊泉禅院です。
この菊泉禅院の案内板には、「正則公の没後、家臣の大野平内が公の位牌や護持仏の毘沙門天立像を当院に奉納し、また近村の新居屋村(現在のあま市)の土豪赤林家から享保二年(一七一七)、正則公肖像画が奉納され、現在も寺宝として大切に保管される。」と書かれています。
菊泉禅院
瑞祥山 菊泉禅院

菊泉禅院
瑞祥山 菊泉禅院

 塀の外から見えた供養塔(塀から見えた記念碑には「供養記念 没後三九〇年記念祭 西暦二〇一三年五月吉日」と書かれています)と「福島正則公記念碑」です。
 この「福島正則公記念碑」の中に「元亀3年(1572)甚目寺観音堂復旧工事の時、誤って人を危め新居屋村の郷士赤林家に匿われ後、駿府の福島伊豆守に預けられ、翌年秀吉の家臣となる。(11歳)」(年齢は「福島正則生誕地碑」の解説看板と異なる)とあるので、赤林家から奉納された肖像画はこの縁で所蔵されていたのでしょうか。
 同じ記念碑の中に「正則公の死後、郷里の菩提寺菊泉院に家臣の大野平内が従者3人とともに正則公の位牌と護持仏の毘沙門天立像及び槍一筋を奉納される。」とありますが、この槍は今は残されていないようです。また、「京都妙心寺の塔頭海福院と長野県小布施町の岩松院に霊廟あり。」とも書かれています。
 さて、その下に「ここより180m南に生誕地碑あり。」とあるのでそこに向かって歩いてみましょう。
福島正則公供養塔
供養塔
福島正則公記念碑
福島正則公記念碑

 菊泉禅寺から南に180mほど歩くと左手に伊東医院の看板が見えてきます。
 その向かい側に福島正則生誕地碑があります。

 福島正則生誕地碑に向かって右側ある説明看板には次のように書かれています。


   二ツ寺出身の戦国武将
      福 島 正 則 生 誕 地 碑

 美和町は戦国武将らの故郷である。賤ヶ岳七本槍の一番手で知られる福島正則も、永禄四年(1561)この地に生まれた。屋敷跡は碑の西方といわれている。
 父は市兵衛正信、母は秀吉の叔母に当たったという。幼名は市松、甚目寺観音の釈迦院で読み書きを学んだが、十二才の時あやまって人をあやめ、新居屋(甚目寺町)の赤林掃部(かもん)に助けられて駿河の福島某にあずけられ、福島姓を名のることになったという。その後、秀吉に従って十八才で中国攻めに初陣、山﨑合戦や賤ヶ岳で手柄をたてるなど秀吉子飼いの郎党として成長する。そして天正十三年(1585)二十五才で四国今治(11万石)の城主、さらに文禄四年(1595)には郷里清洲(24万石)の城主に任じられた。
 その後、慶長五年(1600)年の関ヶ原の合戦では、清正など秀吉恩顧の武将らとともに家康について活躍、その恩賞として安芸、備後二国(49万石)を与えられ、広島城へ移って二十年間にわたりこの地を治める。しかし、直情径行な性格のため大名取り潰し策の好餌となり、天和五年(1619)七つの大罪をおかしたかどで信州川中島(5万石)に流され、五年後の寛永元年(1624)かの地で六十四才の生涯を閉じた。
 勇猛果敢な武将であるだけでなく、土木水利事業をすすめたり備後畳表の製造を奨励するなど、戦国領主としてすぐれた民政家であったことが伝えられている。名古屋城築城の手伝普請で、堀川を開さくして名古屋発展の基礎をつくったことも有名である。神仏への崇敬の念も厚く、この地方の社寺にはそれを物語る文書が今なお数多く残されている。氏神高宮神明社(北西200メートル)も正則の修造。菩提寺菊泉院(北100メートル)には位牌や念持仏、肖像画が伝えられている。
 なお、大和宇多城主となった弟正頼、広島城の城代家老をつとめた福島丹波守も、二ツ寺出身の武将である。
中貫十文字紋堀川開さくの功をたたえ、納屋橋の欄干にこの正則の家紋、中貫十文字がうちだされている。

 さて、福島正則生誕地は屋敷跡があったといわれているこの碑の西側、つまり、この碑の裏側になります。
 そして、富塚郵便局や美和篠田郵便局の風景印にある「福島正則誕生地碑」はこのページ最初の写真の左に写っています。
 その碑は表面のおよそ半分が白くなっており、「福島正則誕生地」と彫られているあたりは、ちらほらと黄色いものがついています。
 地元の英雄の記念碑なので、もっと丁寧に保存してもらいたいと感じました。


 生誕地巡りに戻るのはこちらです。

福島正則生誕地




福島正則誕生地碑