遺跡巡り


旅行に行くとそこにある城や神社・仏閣に行きます。遺跡に行くこともあります。
むしろ、それが旅行の目的であることもよくあります。
振り返ってみると、私の旅行の目的は、自然・歴史・文化がキーワードになっているような気がします。
そのなかで、ここでは遺跡・史跡にスポットを当ててみたいと思います。


福井 一乗谷
朝倉氏遺跡
一乗谷は朝倉孝景,氏景,貞景,孝景,義景の5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄しました。この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。しかし義景が1573年8月に刀禰坂の戦いで織田信長に敗れ大野に逃れると、城下町も焼き尽くされました。

関ヶ原合戦 関ヶ原合戦陣跡などいわゆる「関ヶ原の戦い」関連の遺跡はこちらにまとめました。
桔梗塚 明智光秀が山崎の戦いで死んでいなかったという伝承は南光坊天海説が有名ですが、岐阜県山県市には死んだのは光秀の影武者で、光秀は「荒深小五郎」と名乗り生きていたという伝承があります。その明智光秀の墓が桔梗塚です。

聖徳寺跡 聖徳寺は1553年(天文22年)4月下旬に美濃の斎藤道三と尾張の織田信長が会見した寺として知られています。「信長公記」によると、道三は、娘の帰蝶(濃姫)を嫁がせた信長が「大だわけ」かどうか、真偽を確かめるために会見を申し込みました。

尼子氏発祥の地 1347年頃に本家京極家の勝楽寺の前衛城として、京極家五代婆娑羅大名として天下にその名を馳せた佐々木佐渡判官人道道誉の孫六代高秀の四男高久が甲良荘尼子郷を領有し、尼子に築城し居城しました。高久は地名を姓として尼子氏の始祖となり、嫡男詮久が近江尼子氏、次男持久が出雲国の守護代として、月山富田城に拠り雲州尼子氏の祖となりました。



高松塚古墳 奈良県高市郡明日香村の国営飛鳥歴史公園にある古墳です。2005年の発掘調査により、藤原京期694年~710年の間に造られたと確定されたそうです。壁には色鮮やかな男女群像や青龍,白虎,玄武,日・月像が、天井には星宿が描かれていました。1972年にこれらの壁画が発見されたことで一躍注目されるようになりました。
吉備姫王墓 吉備姫王(吉備嶋皇祖母命)は孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたります。
墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側の字イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石と称されています。
島根 荒神谷遺跡 島根県出雲市斐川町神庭の本当に小さな谷間にある史跡です。「荒神谷遺跡」が正式名ですが、地名を冠して「神庭荒神谷遺跡」と呼ばれることもあります。
1984年~1985年の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土しました。
佐賀 吉野ヶ里遺跡 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある広大な遺跡です。弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、一部、体験することもできます。環濠,竪穴住居,高床住居,物見櫓,柵,逆茂木,高床式倉庫,墳丘墓などが「きちんと」復元されており、教科書を読んだだけでは分からないことが実感できます。