桃配山・徳川家康 最初陣跡

桃配山・徳川家康最初の陣跡
桃配山・徳川家康最初の陣跡


 慶長5年(1600年)9月15日午前2時頃、石田三成率いる西軍が関ヶ原へ向かったという報告を受けた徳川家康は、赤坂岡山の本陣を出陣し、関ヶ原へ向かい、ここ「桃配山」に到着、本陣をおきました。

  「桃配山(ももくばりやま)?」「いつ、誰が、誰に桃を配ったの?」という疑問を持ったあなたは正解です。

 実はこの関ヶ原は壬申の乱の舞台でもあるのです。そして桃配山という名前は、壬申の乱の際に大海人皇子(後の天武天皇)が兵を励ますために桃を配ったという逸話から付いたものです。しかし、「日本書紀」等にはその記述はありません。では何に載っているのかといえば、私が知る限りでは、『新撰美濃志』(岡田啓著 江戸後期成立)が1番古いものです。

 いつものように、国立国会図書館デジタルコレクションで探してみるとありました。、『新撰美濃志』の71ページです。

   「桃くばりとは天武天皇御軍の兵どもに桃を配分し給ひしより起れる地名也ともいへり」

 これですね。この前には、家康がここに本陣をおいたことが書いてあります。
 家康は、この故事にならい、桃配山に最初の陣をおいたのかも知れませんね。