前田利家

前田利家公初陣之像
荒子駅西「前田利家公初陣之像」

 尾張国海東郡荒子村(現名古屋市中川区荒子)の荒子城主前田利春の四男として生まれた前田利家の像は荒子城にほど近いあおなみ線荒子駅西の駅前ロータリーにあります。(生誕地は荒子城と前田城の2説があるようです)

 「槍の又左」との異名を持つだけあって、この像も長い槍を持っています。裏から見た利家もいいですよ。また、前田利家を見送るおまつの方の像もあります。(戦地に赴く武将を見送る像としては清洲公園にある濃姫の像があります)

 この石像には「前田利家公初陣之像」とあり、1551年(天文20年)に織田信長に小姓として仕えた利家が翌1552年(天文21年)に尾張下四郡を支配する織田大和守家(清洲織田氏)の清洲城主・織田信友(実質的には坂井大膳?)と信長の間に起こった萱津の戦いに出陣するときのものと思われます。
 この像の「前田利家公年表」には
    1537(天文 6年)  荒子城で生まれる。
    1551(天文20年)  織田信長の小姓となる。
                  萱津の戦いで初陣を飾る。
    1558(元禄元年)  まつと結婚する。

とあり、「おまつの方略年表」には
    1547(天文16年)  海東郡沖ノ島(現あま市)に生まれる。
とあるので、前田利家初陣の時はおまつの方はわずか4歳。
 まつは1550年(天文19年)に父を亡くし、母の妹が嫁いでいる尾張荒子城主・前田利昌に養育されることになったため、2人は出会っている可能性はありますが、この像のように見送ったかどうかは分かりません。





前田利家公初陣之像
裏から見た「前田利家初陣之像」

前田利家公年表
前田利家公年表

萱津古戦場跡碑
萱津古戦場跡の碑
前田利家公之像
金沢城「前田利家公之像」

 前田利家といえば加賀百万石の藩主前田氏の祖。ということで金沢に行ってきました。

 金沢城石川門の下から大手堀へと続く樹間の路は、かつては白鳥が泳ぐ濠の跡で、現在は白鳥路と呼ばれているそうです。「金沢旅物語」によると、この白鳥路に立つ「前田利家公之像」は、有名な金の鯰尾の兜を着けた末森城の戦い(豊臣秀吉と徳川家康が対立していた1584年(天正12年)、家康方の佐々成政が秀吉方の前田利家家臣、奥村永福が守る末森城を攻めましたが、金沢から利家の援軍が駆け付け、成政軍を撃退した戦い)時代のもので、円熟の内にも勇猛な武将の姿を表しています。

 この「利家公金鯰尾兜」の像(?)が金沢城西にある尾山神社にあります。

 尾山神社で「勝兜」の置物を購入したのですが、その説明書には次のように書かれていました。

  『 勝 兜 』
 当神社には御神宝として」「大鯰尾兜」「小鯰尾兜」を収蔵しております。この兜は、御祭神前田利家公が戦国の昔二十三歳にして桶狭間の戦に臨まれたとき以来、幾度の合戦に着用されたものです。利家公は文武に長け刀槍剣鉾を友として、初め織田信長公に仕え後に豊臣秀吉公と共にその覇業を成し遂げました。この間利家公は戦に臨まれるときは必ずこの兜を身に付け、戦えば勝ち一戦ごとにその功績は高く評価されたそうです。百万石の雄藩として三百年の永きに渡り栄華を窮めた基は、この兜より与えられた力も少なくないと思われます。
 この縁起の良い「大鯰尾兜」「小鯰尾兜」の徳を仰ぎこれを『勝兜』と名付けて、広く崇敬者各位が何事にも打ち勝って進まれますようご祈念申し上げる次第です。
                             尾 山 神 社

 この尾山神社にも「前田利家公像」と「お松の方之像」があります。
 この像の利家も「槍の又左」にふさわしく長い槍を持ち、背中に母衣(ほろ)をつけています。利家は信長軍の赤母衣衆の筆頭に抜擢されていたそうですから、その頃の姿でしょうか。

 この母衣についてはこの像の横に説明の看板があります。そこには次のように書かれています。
前田利家公金鯰尾兜
尾山神社「利家公金鯰尾兜」

前田利家公像
尾山神社「前田利家公像」

     母衣「ほろ」について
流れ矢を防ぐために、鎧(よろい)の背にかけた布のことを言います。
その後時代の推移により風にふくらんだ形を示すために、竹串、鯨の骨類、ひげ等を骨組みに入れるようになり、これを母衣と呼びました。
戦国時代(西暦一五六〇年頃)に騎馬武者は、これを背に戦場を駆け巡り連絡の役をつとめました。このような騎馬武者を母衣衆と呼びました。
織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とした十人の黒母衣衆と、前田利家を筆頭に九人の赤母衣衆とで合計十九人でした。
そして、戦闘となれば、諸隊のガイド的役割もあり、敵にとって目に付きやすく、大変危険でもありました。

 この看板の左上の図には「槍又左ヱ門 赤母衣朝 𣑥(?)図(?)」と書いてあります。この像の元図なのでしょうか。
    母衣について
「母衣について」
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