キッチンガーデンの楽しみ
キッチンガ−デン、家庭菜園とか呼ぶと少しシャレて聞こえもするが、つまりは畑仕事、土いじりである。私は今でも畑仕事が好きとまではいえない。だが、徐々におもしろさがわかってきた。
一昨年の10月、妻の実家の前にある小さな畑を残して義父が急逝した。ネギ、大根、サトイモ、大豆、ホウレンソウ、ブロッコリー、ナバナなどが形見となった。義母は病床にあったので、とにかく私たち夫婦で畑を守ることにした。とはいえ、二人とも菜園についての知識も経験もまるでなく、種をまいたり、苗を植えるだけで何でも収穫できると思うほどであった。妻に「義父の生前に教えを乞えば親孝行にもなったのに……」と嘆いても手遅れである。
翌年、没後の諸手続きや義母の介護などに忙殺されていたこともあり、形見を収穫し尽くしてからの畑は雑草の猛威にさらされた。その時期に、草と格闘をしながら何を植えるべきかを考えた。多品種少量生産が原則であるが、栽培に手間が少なくてすむこと、長期間収穫でき一時に収穫が多すぎないことなどを考慮して、土地の半分程度にアスパラを植え付けた。その他にはオクラ、ジャガイモ、カボチャ、ミニトマト、バジルなどのハ−ブ、翌年収穫用にダイコン、ナバナ、タマネギ、エシャレット(ラッキョウ)、ニンニク、ジャンボニンニクなどを追加した。
今年の4月初めに、アスパラの頭が土を持ち上げてきた。実はホワイトアスパラにするために、秋に土を盛っておいたものである。注意深く盛り土を取り除くと、あのホワイトアスパラが無垢の姿を現し、目が釘付けになった。その日15cm前後の数本を初収穫できた。「収穫後30分以内なら生で美味しく食べられる」と本に書いてあったので試してみた。とても歯応えがいい。品のよい自然の甘みも感じられる。次にシャブシャブのようにサッとゆがいて、すぐマヨネ−ズソ−スで食べてみた。これがスタンダ−ドの味だ。ちょっとほろ苦く、歯応えがあって、「青春」のような味わいがある。欧州の春に現地の人たちが特別の感慨をもって食べる気持ちがわかる気がする。ホワイトアスパラを採取せず放置しておけばグリーンアスパラになる。これも採りたての味わいを覚えてしまうと、自分で作るしかないと思えてくる。「7月以降は採らないように」と本に書いてあるが、夏場に出た新芽をこっそり食べてみると、味わいが濃く、穂先はピーナッツのような風味がした。
花をめでる楽しみもある。最初に喜ばせてくれたのはエシャレットの赤紫っぽい花である。11月の無味乾燥な畑の片隅で貴重な彩りを添えていた。冬を越したア−ティチョ−クはぐんぐん伸び、6月にはとげのある大きな蕾を付け、どんな色の花がいつ咲くか気を持たせた。結局、別名「朝鮮アザミ」といわれるように紫色をした高貴で華麗な花が開いた。ジャンボニンニクの花も珍しい。大きなネギ坊主の薄皮がはがれると何がでてくるか……。少し紫っぽい色もついた黄緑色の小さな花が密集していて、先を光にかざすと想像を超える美しさであった。ブラックベリ−の花も初めて見た。小さな貴婦人の趣がある。アスパラの淡いベ−ジュ色で小さく釣り鐘状の花も清楚で気品があり、私にとって新たな発見であった。8月に咲く綿の花にも驚かされた。朝は白く気高く咲いていたが、夕方見るとピンクに色づいてつぼんでいる。念のため翌朝確かめたら、それが赤く変化していた。みごとな「花の生涯」である。
菜園の才媛たちのデジカメ写真は、おりおり私のHPを飾ってくれた。撮影にあたっては、それぞれの才媛の最も輝いて見える時間に、最も美しく見えるアングルから、最もバランスの良い構図で切り取ることを心がけているが、うまくはいかない。写真の出来栄えは別にして、撮影時にぜひ美しく撮りたいと思いながら、レンズを通して自分の娘と同じように才媛たちに愛情を注いでいる瞬間が心地よいのである。
妻は、自分の土地でもあるし、日に日に身が入ってきた。図書館で家庭菜園やハーブガーデンなどの書物をあさったり、園芸のセミナ−に参加したり、生ゴミから有機肥料を作って土壌改良にチャレンジしたり……。最近は調子に乗りすぎて、苗屋さんで変わったものを見つけるとすぐ買ってきてしまい、後で植える場所に悩んでいる。そのエネルギーの一部を料理の工夫に向けてもよさそうに思うのだが、食卓は昔ながらにシンプルな「素材屋」なのである。
妻は「土を耕す人」「種をまく人」「苗を植える人」、私は「才媛を撮る人」「実りを採る人」「才媛を食する人」と微妙に楽しみは異なるが、週末の菜園への通勤は、まだ飽きずに続きそうである。
2002.8.20