【あ】


餐場喜四郎
(あいば・きしろう)

皇都でも指折りの宝飾品店の主人。態度はどこか小さな将家の当主といっても通りそうなほどの落ち着きがある。(5−161)
卓という名の息子がいたが、龍口湾での戦傷によって亡くしている。息子から、帰ってこれたのは六芒郭の近衛衆兵のおかげだと聞いていたため、新城に対し好意を見せる。(5−166)


餐場卓
(あいば・すぐる)

龍洲銃兵第9聯隊第2大隊所属の二等兵。餐場喜四郎の息子。
父親が幼年学校入校の繋ぎをつけたところで家を飛び出し、ただの少年兵として入隊する。龍口湾の戦いで歩けないほどの重傷を負い、家まで帰り着くものの、母親の胸に抱かれながら世を去る。自分と戦友が帰り着けたのは、六芒郭の近衛衆兵のおかげだと父親に話していた。(5−166)


赤座
(あかざ)

近衛衆兵龍火第1旅団(独立)指揮官。皇紀568年夏時。(3−69)


赤杉
(あかすぎ)

新城の特志幼年学校時代の上級生。宮野木家の家臣団。
新城に難癖をつけたが、逆に挑発され殴りつける。その結果、放校処分となった。(2−235)


赤松
(あかまつ)

<皇国>近衛中尉。近衛衆兵鉄虎第501大隊の駐屯地で、衛兵司令を務めていた。
軍人というよりは、商家の手伝いでもしているほうが似合うような顔をしている。(3−99)
その他大勢の将校の一人として配属されてきた近衛衆兵の生え抜き。
考課表の内容は芳しいものではないが、演習時の手の抜き具合が的確であることから、将校としての見所はあると新城は見ていた。(3−142)
龍口湾の戦いでは、戦死した秋本大尉に代わり、第2中隊の指揮をとった。(3−199)


秋本
(あきもと)

近衛衆兵鉄虎第501大隊第2中隊指揮官。(3−136)
大尉。龍口湾の戦いにおいて戦死。(3−199)


浅木
(あさぎ)

北領転進戦の際、東海洋艦隊から抽出した転進支援艦隊を率いる。(1−73)
<皇国>水軍中将。東海洋艦隊司令長官。
浅木家は宮野木家につらなる小将家で、宮野木家現当主の夫人を出している。(3−57)


朝凪
(あさなぎ)

<皇国>陸軍軍監本部勤務。特志幼年学校の卒業生。(2−239)


浅根
(あさね)

<皇国>陸軍大尉。独立銃兵第365大隊首席幕僚。
虎城防御戦にて負傷する。
普段は生まれたてのひな鳥のようにふっくらしてる顔は、傷のおかげで痩け、時々辛そうに顔をしかめる。肩に負った傷は後遺症が残る惧れがあった。(6−143)


アシュウィック

<帝国>陸軍中佐。第15東方辺境領猟兵師団砲兵参謀。(6−169)


阿多兵衛
(あた・ひょうえ)

<皇国>近衛中尉。近衛衆兵鉄虎第501大隊に配属されて間も無い青年士官。端正な顔をしている。(7−111)
実際は新城の大隊を探るために、守原英康によって送り込まれた間諜。(7−157)
英康が外の女に産ませた息子である。(7−185)


熱田
(あつた)

<皇国>陸軍大尉。龍洲軍次席作戦参謀。(4−45)
衆民出身者であり、これまで将家出身将校たちを相手にずいぶん苦労を重ねてきた。(4−46)


天霧清香
(あまぎり・きよか)

実仁親王の個人副官。天霧冴香の姉(あに)。(5−179)
兵部省中佐相当官。髪が肩にかかるぎりぎりのところで切りそろえられていることをのぞけば、冴香に良く似ている。(5−180)

「わたくしはただの女ではありません」(8−203)
「……少佐のようなお好みの方は滅多におられません」(8−204)


天霧冴香
(あまぎり・さえか)

新城の個人副官。両性具有者。美形揃いの両性具有者の中でも格段の容姿を具える。情人として、護衛として、新城に忠節を尽くす。

個人副官になる前、兵部省陸軍局の人務部長副官室で新城と対面している。(3−29)
額高く、短い髪と緩やかな眉は翠に栄え、鼻筋は高く通っている。唇は薄めだが、そのささやかな紅が好ましい。もっとも素晴らしいのはその瞳で、まさに紅瞼明珠と評するよりない。淡い緑地に複雑な縞を散らせたほっそりとした仕立ての娘袴に覆われた肢体については言うまでもない。
それほどの魅力に溢れていながら、傾城の臭いはなく、むしろ凛としたものがある。すべては新城の好みとまったく合致していた。(3−76)
実仁親王との連絡を容易にするため、新城につけられた。兵部省中尉相当官。(3−77)
真柴流剣芸を修めている。(6−106)
皇紀568年13月4日付で、大尉相当官に昇進の予定。(7−24)


天霧澄香
(あまぎり・すみか)

清香、冴香の母。その美貌を謳われた両性具有者。二人の子を残し、事故で世を去っている。(7−86)
冴香を孕んだのちは、邑里に戻されていた。(7−204)


荒木
(あらき)

近衛衆兵鉄虎第501大隊食糧小隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−137)


アラノック,アイヴァン・ルドガー・ド

<帝国>陸軍中将。<アレクサンドロス>作戦後、<帝国>本領軍の増援部隊よりなる鎮定第2軍団を率い、追撃戦を展開する。(4−26)
すでに齢60近く、常道の将として円熟の域に達した男。<帝国>軍において珍しいほどに政治がらみの動きを嫌う将軍でもある。人並みの出世欲はあり、せめて大将、出来れば元帥位を得たいと思っていた。(4−58)
六芒郭攻囲戦において、南突角堡の攻略間際、第2軍団指揮所を狙った突角堡最後の砲撃が直撃、戦死する。(4−163)


有坂
(ありさか)

<皇国>大尉。龍洲軍次席兵站参謀。
きわめて面白味のない男だが、軍務についての姿勢が率直だという評判がある。(4−45)


アルター,ハンス

<帝国>陸軍中佐。シュヴェーリンの参謀長を務める。(1−217)
第21東方辺境領猟兵師団参謀長。北領での戦功により大佐に昇進。
西方諸侯領の貴族で、青年将校時代、アスローンを相手とした戦いで渡洋侵攻戦を経験している(3−149)
第21師団長がカミンスキィに変わっても、アルターら師団首脳部の異動は無かった。(4−115)


アレクサンドル一世

アレクサンドロス一世の、<帝国>公用語での表記。ロッシナ家のアレクサンドル一世。(1−172)


アレクサンドロス一世

ロッシニウス家のアレクサンドロス。
皇紀118年に勃発した東西諸侯乱により、ハルトラント家が支配力を失った<聯合帝国>内において、東西諸侯を手玉にとることによって権力を掌握し、皇紀143年、<帝国>を建国する。アレクサンドロス一世を名乗った。
<帝国>公用語の開発普及につとめ、みずからをロッシナ家のアレクサンドル一世と改めている。(1−172)


淡口
(あわぐち)

近衛衆兵鉄虎第501大隊療兵小隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−137)


按田忠則
(あんだ・ただのり)

<皇国>陸軍中佐。陸軍軍監本部戦務参謀。
痩身で実に剣呑な目つきで周囲を睥睨する。安東家との関わりを持つ。(7−96)


安東明貞
(あんどう・あきさだ)

安東家先代。
駒城篤胤、西原信英と一時的な同盟を組み、宮野木和麿を強制的に引退させている。(7−60)


安東光貞
(あんどう・みつさだ)

五将家のひとつ、安東家の当主。
保胤の三年ほど年上。特志幼年学校の先輩にあたり、いまだに親しくつきあう機会がある。(2−162)
守原蹶起の際、守原と駒城の双方へ書状を送っている。が、当主が中立を決め込むつもりでも下は守原に与していた。(8−83)


安東光貞の妻
(あんどう・みつさだのつま)

安東家当主、光貞卿の妻。気弱な夫を引きずりまわし、安東家を切り回していた。
この10年、安東家が家格を維持できたのは、計数に強いこの奥方のおかげとされている。(2−162)


安東吉光
(あんどう・よしみつ)

東州伯。
<皇国>陸軍大臣。(1−19)


安東
(あんどう)

陸軍軍監本部総長。(1−25)


安東
(あんどう)

近衛禁士騎兵第1聯隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−69)


幾畝
(いくうね)

<皇国>陸軍准将。皇域兵站部司令。(7−70)
背洲出身。宮野木の閥らしいが、なにか問題があったらしく後備編入に間がない60近くになっても准将でいる。
社交的な人物ではなく、業務を終えると司令官舎へ真っ直ぐ戻っている。
娘たちは末娘を除き主に商家へ嫁ぎ、唯一の男子は北領で名誉の戦死を遂げていた。
式典参加を希望する丸枝に、あからさまなほどの好意に満ちた書状を持たせ、新城の元へ伺わせている。(7−198)


囲関
(いぜき)

<皇国>陸軍少佐。独立銃兵第365大隊指揮官。
野太い声の持ち主だが、外見は声ほど荒々しくはない。太り肉だが、顔色のよくない男で、顔面にはなにもかも小ぶりにつくられた道具立てがそろっている。暴れる佐脇を取り押えさせた。(6−132)
龍洲出身で、龍口湾の戦いで最も敵に肉薄した新城に、敬意と恩義を抱いていた。(6−216)


市原欣司
(いちはら・きんじ)

<皇国>陸軍剣虎兵二等兵。
苗川防衛を続ける独立捜索剣虎兵第11大隊で一番若い少年兵。18歳。
同い年の兵二人とともに、転進支援隊本部へ伝令に出る。そのまま笹嶋の指揮下へ入るよう命じられた。(1−240)


斎仲正
(いつき・なかまさ)

50年ほど前に名を知られたひどく評判の悪い男。出自は定かではないが、いつのまにか皇都の実力者と親しくなり、執政府の実権を掌握しかけるほどだった。
寵愛していた二人の愛人から恨まれ閨で刺されることがなければ、<皇国>は今と違った国になっていたと言われている。(5−165)


伊藤
(いとう)

<皇国>陸軍剣虎兵少佐。
独立捜索剣虎兵第11大隊指揮官。北領転進の後衛戦闘を受け持つ。(1−57)
いまは亡びた将家の、家臣団の出身。
数年前までは騎兵科で、剣虎兵に転科を命じられて以来、世のすべてを恨んでいるという噂であった。(1−88)
戦場では、普段とはことなる精気にあふれた表情を見せた。
皇紀568年2月11日、撤退援護戦として行った伏撃夜襲において、大隊本部は全滅、戦死する。(1−115)


猪口
(いのぐち)

新城の率いる部隊の最先任下士官として、常に戦場に付き従う。元は特志幼年学校時代の担当助教であり、新城と息の合ったところを見せる。

<皇国>陸軍剣虎兵曹長。
独立捜索剣虎兵第11大隊第2中隊最先任下士官。(1−49)
山師に徒弟に出された過去がある。(1−70)
殴り倒した憲兵の数は敵より多い。(1−130)
新城の特志幼年学校時代の助教。助教とは、幼年学校生徒を指導する下士官教官の呼び名。(2−30)
南嶼の出身。東洲乱には新兵として従軍している。(2−233)
新城の引きで近衛へ転属、近衛衆兵鉄虎第501大隊最先任下士官となる。特務曹長に昇進。(3−99)
新城と共に近衛嚮導聯隊に転任、聯隊最先任曹長となる。(7−151)

「兵隊は走るのが商売」(1−111)
「少なくとも、公明正大明朗闊達な大莫迦野郎に指揮されて玉砕するより、ずいぶんとましだ」(2−68)
「軍隊における動作とは才能ではなく号令に対する絶対服従の産物であります。聯隊長殿と藤森大隊長殿に欠けておられるのは少なくとも行進の技量というだけではありません」(8−181)


伊里通孝
(いり・みちたか)

諸将時代中頃に勢威を誇っていた人物で、当代一流の軍師として知られていた灰場政忠を迎え入れた際、主従の信頼の証としてもっとも幸していた側妾、美津の方を好きにさせたという。美津の方は両性具有者であった。(8−199)


伊里島忠敬
(いりじま・ただたか)

執政公邸に突入した蹶起軍、背洲後備銃兵第58聯隊第3大隊第3中隊約200名を率いる大尉。安東家陪臣。(8−63)
実戦経験があり、そこそこ優秀な指揮官と評価されていた。(8−65)

「なんであんなに頼もしい奴等と戦わねばならんのだ」(8−65)


イリシャ

ラスティニアンの妻。(4−189)


ウィテリウス二世

信仰帝と呼ばれた<帝国>皇帝。
在位中の皇紀364年頃、<帝国>全土で宗教純化運動が猖獗を極めている。(3−130)


ヴェルキィ

<帝国>の史家。
ヒルデルップ新帝乱についての論考を書いている。それは帝家に配慮した部分をのぞけば、最も良くまとまっているものであった。(5−67)


羽倉典子
(うくら・のりこ)

佐脇俊兼の婚約者。整ってはいるが印象の弱い、後になって思い出せない類の顔をしている。
新城から、自身についての無自覚さが顔に現われていると評される。(3−86)
佐脇俊兼の廃嫡と同時に婚約は破棄された。一言の挨拶もなしに彼との関係を解消している。新たな婚約者を見つけ出したのはそれから10日後のことである。(8−160)


氏川
(うじかわ)

<皇国>陸軍中佐。駒洲騎兵第9聯隊首席幕僚。(6−219)


鵜灘
(うなだ)

<皇国>剣虎兵少佐。独立捜索剣虎兵第12大隊指揮官。新城とは剣虎兵学校の研究会で何度か顔をあわせている。(6−135)


右堂友通
(うどう・ともみち)

皇主侍従長。上品な中年男。駒城篤胤の企みに賛同し、守原英康追放の勅諚を用意する。
駒城の係累ではないが、篤胤とは若い時分からの付き合いがあった。(8−162)


乳母
(うば)

駒城家の初姫、麗子の乳母。猫嫌いで通っている。(2−181)


裏蔵
(うらくら)

<皇国>陸軍導術伍長。神秘的な印象を抱かれがちな術者の現実を教える存在で、額に銀盤をはめるより山中で追いはぎでもしていた方が似合いそうな、道を塞ぐ落石のような顔立ちを備えている。(6−146)。


ヴラソフスキィ

提督。<帝国>水軍大将。<帝国>東方辺境鎮定軍総司令部直轄のヴァランティ辺境艦隊司令長官。(2−109)
辺境第1戦列艦隊を直率する。(3−147)


ヴラフト

<帝国>陸軍曹長。威力騎兵斥候隊を率いるティッキネン大尉の倍にもなる軍歴を持つ。
蛮地鎮定戦の前は、東方辺境領軍騎兵司令部教練班にいた。実戦経験は掃いて捨てるほど。(6−137)


浦辺昌樹
(うらべ・まさき)

<皇国>水軍大尉。
転進支援隊戦務参謀。(1−36)
北領紛争後、その能力を買った笹嶋によって統帥部員に転属、副官役を務める。(2−182)
水軍統帥部戦務課乙課員。(8−82)


漆原
(うるしばら)

<皇国>陸軍剣虎兵少尉。
新城の特志幼年学校5年後輩。皇都にある大きな読本屋の三男。父親は衆民院の議員だったことがある。
新城が指揮を掌握した全滅状態の独立捜索剣虎兵第11大隊に残された4人の少尉の内のひとり。
いささか真面目すぎるところがあるが、愛嬌があり、経験が加わればよい将校になった可能性があった。(1−130)
偽装襲撃を命じた新城に反感を覚える。(1−189)
少女を誤殺してから後、腑抜けた様になっていた。(1−203)
小苗防御線では予備隊を指揮する。(1−229)
敵輜重段列襲撃ののち、攻囲された頃には立ち直りを見せるが、銃撃を受け死亡する。(2−62)

「総員、大隊長殿を救え!突撃!」(2−54)


衛兵司令
(えいへいしれい)

兵部省の営門で、陸軍側の衛兵司令を務める大尉。新城に好意的。(3−28)


エーベルト

ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルンの叔父。その領地は隣接している。
バルクホルンにいくらかでも<帝国>騎士らしさを教えこむため、自分の率いていた槍騎兵(ランツァー)聯隊に、子弟枠の少尉候補生として入隊させた。
また、一度でも実戦を経験させようと、東方辺境領胸甲騎兵への配属もこの叔父が決めている。
どちらも全くの善意からの行為であった。(2−37)


皇子
(おうじ)

現<帝国>皇帝ゲオルギィ三世の末弟。
カルパート僭帝乱の後半、ロイター軍の奇襲を受け死亡する。(5−67)


大賀繁忠
(おおが・しげただ)

特志幼年学校における新城の教官。当時大尉。
背丈は1間5尺も無く、小さな男だが引き締まった肉体を持ち、顔には独特な気迫がある。(2−230)
南嶼の出身。(2−233)
のち、大佐にまで昇進。特幼会記事で新城を誉めている。(2−240)
近衛衆兵鉄虎第501大隊編成にあたり、新城から将校の推薦を頼まれた。(3−101)
銃兵大佐。虎城防衛戦の始まる直前、近衛へ転属、総監部首席幕僚として着任する。(5−181)
新城の卒業後間もなく、思ってもみなかった昇進と大隊長職への配属辞令が下り、それを契機に迷っていた幼馴染みとの結婚に踏み切る。その後の軍歴も叛徒を親に持つ軍人としてはまず異例といってよい順調さであった。
しばらくして、それは新城を少尉へと任官させたことへの、(新城の働きかけによる)駒城からの褒賞であると気づく。(5−183)
軍制の研究についても一廉のもので、新城の新たな部隊として近衛嚮導聯隊(ガーズ・リーダー)を提案する。(5−191)
離れた場所から見た場合、実に堂々たるものだという印象のかれが近づくにつれ、子供のような体格の小男だとわかるため、行き違う者たちを驚かせる。(8−217)


大咲
(おおさき)

<皇国>水軍統帥部総長。(1−25)
水軍大将。衆民出身。(3−57)


大塚
(おおつか)

近衛衆兵鉄虎第501大隊騎兵砲中隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−137)


小鼎銀蔵
(おがなえ・ぎんぞう)

三代目小鼎銀蔵。
当代一流の庭師で、駒城家上屋敷の造園を手がけている。(3−80)


おかね

樋高惣六が婿におさまった料亭の仲居。樋高の知る限り、女の魅力に溢れていたのは25年以上昔。(7−117)


荻名
(おぎな)

<皇国>陸軍中佐。軍監本部勤務の将校。特志幼年学校の卒業生。
新城の以前の上官。特幼会記事で、北領での新城のやり口を批判している。(2−239)


小口
(おぐち)

<皇国>陸軍独立捜索剣虎兵第11大隊第3(鉄虎兵)中隊指揮官。(1−57)
皇紀568年2月11日の夜襲において戦死したものと思われる。(1−116)


押木吉介
(おしき・きちすけ)

武具卸商埋鐘屋の丁稚。皇都上空を飛ぶ<帝国>龍兵を発見する。(7−15)


オステルマイヤー

<帝国>陸軍元帥。門閥意識に凝り固まった俗物どもの一人。(3−96)
ユーリア除籍後の東方辺境領へ、ユーリネンと共に名代として赴任する。(5−54)


男1
(おとこ)

商家の手代風の若い男。羽鳥に馬商いの手代と名乗り、しばらく会話を交す。(2−93)


男2
(おとこ)

皇都有数の大商人の寄合、それが開かれる屋敷の門前に立つ。
年は50がらみ。一見勤め人風の見かけだが、目は尋常ではない。殺人の経験があるらしい。(5−118)


帯家一門
(おびや・いちもん)

<皇国>の芸人一門。戦陣に慰問に訪れることがあった。(5−96)


遠賀寺房松
(おんがじ・ふさまつ)

七代目遠賀寺房松。
駒洲の名匠で、晩年に鍛えた八本のうち一本が、新城の少尉任官にあたり駒城家から与えられた。(2−20)


御馬浩三
(おんま・こうぞう)

<皇国>陸軍少佐。
いかにも秀才型という見かけの参謀将校。駒城家の有する牧場に仕える馬飼の息子だが、幼い頃、利発さを見込まれて特志幼年学校へ送られる。
駒洲軍兵站次席参謀を務めている。(5−201)
駒洲軍導術参謀。新城に職務怠慢と罵倒される。(5−233)



安東家

家格:五将家
称号:東洲公
領地:東洲

五将家の中でも伝統的に女性が強い。長期的な視野に立って判断するよりも、目先のことに熱心になる家風。
現当主光貞は駒城保胤の三歳ほど上で、親しく付き合う機会もあるが、奥方に引っ張られ駒城家とは対立している。

<人物/一族>
安東明貞 安東家先代。
安東光貞 現当主。
安東光貞の妻 海良家の出身。
安東吉光 東洲伯。陸軍大臣。
安東 近衛禁士騎兵第1聯隊指揮官。
海良末美 現当主光貞の義弟にあたる。陸軍大佐。姉の懐刀。
神沢惟長 分家出身。陸軍中将。近衛総軍司令長官。
<人物/派閥>
按田忠則 陸軍中佐。陸軍軍監本部戦務参謀。



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