【さ】


西原信置
(さいはら・のぶおき)

どこか茫洋とした顔つきの男で、年齢は新城より10ほど上。(5−195)
西原家長子。陸軍大佐。(5−197)
父と同様、腹違いの弟を処刑した新城を恨んでいる。(5−200)
これまでただの一度も熱心に軍務を果たしたことがないという噂がある。聯隊長時代、娼妓のところに入り浸りどおしだったとの噂もあるが、それでいて人としての評判は悪くない。けして腹を見せぬ男だという話もある。(6−83)
守原蹶起の際は、御府内の情報をしつこく集めていた。(8−83)


西原信英
(さいはら・のぶひで)

五将家のひとつ、西原家の当主。(2−161)
陸軍大将。虎城西背の縦川で行われた協議にて、皇都防衛について駒城家に賛同する。(4−129)
夏川孝憲の実父。<皇国>遍学院で新城と面会し、夏川の最期を尋ねる。(5−198)
守原蹶起の際は、まったく動きをみせなかった。(8−83)


西原
(さいはら)

<皇国>陸軍軍監本部勤務の将校。特志幼年学校の卒業生。(2−239)


栖原
(さいばら)

守原蹶起の際、窪岡淳和少将の身柄拘束のため自宅へ部下を引き連れて乗り込んできた小柄な大尉。
拘束に際して済まなさそうな顔を見せたが、実のところ宮野木家の陪臣出身で、それも、宮野木宗家からあまりよい扱いを受けたことがなかった。(8−61)


作戦参謀
(さくせんさんぼう)

<帝国>第21東方辺境領猟兵師団作戦参謀。(5−240)


笹嶋香代
(ささじま・かよ)

笹嶋定信の娘。未だ5歳前と思われる。(3−81)


笹嶋定信
(ささじま・さだのぶ)

<皇国>水軍中佐。
新城の水軍においての知己となる。
西領(さいりょう)の奥府でそこそこの廻船問屋を営む兄がいる。(1−38)
北領鎮台転進支援隊司令。転進支援隊司令として、転進作業全般を監督する権限を与えられていた。
新城に北領撤退のための後衛戦闘を依頼する。(1−136)
水軍兵学校の席次は、87人中9番。(2−15)
父親は小さな回船の船主兼船頭で、遭難し莫大な借財を残した。(2−156)
北領紛争後、統帥部戦務課甲課員――統帥部参謀の配置となる。(2−182)
龍口湾奇襲作戦では、統帥部戦務(オペレーション)科の派遣参謀として第五駆逐隊に同乗する。(5−70)

(何が転進だ、莫迦野郎)(1−39)
「なぜかは知らねど、兄貴の次ぐらいには信頼してはいる。それは確かだし、男にとってはそれで充分なのだよ、おまえ」(3−90)


笹嶋武雄
(ささじま・たけお)

笹嶋定信の息子。妹と同じく未だ5歳前と思われる。(3−81)


笹嶋松恵
(ささじま・まつえ)

笹嶋定信の妻。控えめな印象の女性。(3−81)


定岡
(さだおか)

近衛衆兵鉄虎第501大隊鋭兵中隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−137)


郷原教三郎
(さとはら・きょうざぶろう)

秀道とも名乗る。生家は諸将時代に落剥した将家の、金のある陪臣。
30年前、家を継いだ途端書物や古物の収集に狂奔し、ほんの五年ほどで家を傾けさせ隠居させられる。
その後、史学好きで知られた当時の長仁親王に訴えかけ、収集品を元にして遍学院が設けられた。
亡くなる14年前まで、生涯を遍学院の付役として過ごし、国費と浄財を湯水のように投じて拡張を図った。(5−199)


実仁親王
(さねひとしんのう)

今上皇主正仁の次男。
<皇国>近衛少将。近衛衆兵第五旅団指揮官。(1−27)
勇敢で戦上手で兵に慕われる術をこころえた出来物だという評判がある。
北領転進完了間際まで海岸に残り、指揮を執る。
皇位継承第二位の皇族。(2−17)
幼いころから武張ったことを好む豪放な人物で、礼節を―皇族としての立場をわきまえ、女子供に優しいという面がなければ、五将家から危険視されていたほど。
駒城保胤、窪岡淳和とは特志幼年学校同期。(2−98)
北領で自分の兵を救った新城に、借りを返さねばならぬと考える。(2−105)
近衛衆兵隊司令長官の任に就く。(3−46)
中将。近衛総監兼総軍司令官。(5−177)
部下の扱いが巧みで、将校の前では活発に、兵の前では慈父のように振る舞う。(5−181)
政治的な理由から、新城に自分の個人副官を差し出した。(8−198)

「ああ確かに、新城大尉が俺を救ってくれたことは忘れるかもしれない。俺はひとから尽くされて当然の身分だからな。しかし、俺の兵を救ってくれたことは絶対に忘れない。どうだ、満足か?」(2−105)
「俺は近衛総監で新王だ。少しは偉そうでもいい。違うか、新城少佐」(7−24)
「よろしい、許可する。傘に着ろ。可及的速やかに戦闘に投入できる状態に持っていけ。最優先の命令だ」「これは命令だ。命令とは発令者が全責任を負うのだ」(7−25)
「新城については―少なくとも、戦場で隣の部隊を率いていて欲しい男だと思っている。いや、信じている。北領での経験からな。軍人に対する評価としてはそれで充分ではないか」(8−80)
「護洲には拵えのよい懐刀がいるな。どうにもならん」(8−81)
「だから、楽しみだな。ああ、実に楽しみだ」(8−81)


讃良寛蔵
(さらら・かんぞう)

<皇国>水軍<神瀬>級熱水駆逐艦<灘浜>艦長。水軍少佐。衆民の出身であるにも関わらず、うまれながらの水軍士官とでもいうべき洗練された態度を苦もなく示すことのできる男。(8−122)
士官候補生時代に保浦から教育を受けた事がある。(8−123)

「なんというか、俺は熱水機関を積んだフネになにができるか、もう少しばかり試してみたくもあるのだ。」(8−135)
「砲弾は貴賎など気にかけない」(8−137)


佐脇兼元
(さわき・かねもと)

佐脇家当主。佐脇俊兼の父。駒城家の陪臣格でありながら長男を通じて守原とも誼を通じようと画策していたが、内王道上の戦いですべてが水泡に帰したと判断し、裏切りの責任を長男・俊兼に押し付けようとする。
長男の戦場での失敗と主家育預新城直衛への涼天寺での振る舞いを詫び、長男の廃嫡、次男・秀兼の佐脇家相続を届出て許されていた。(8−160)


佐脇俊兼
(さわき・としかね)

駒城家重臣団の名門、佐脇家の跡継ぎ。新城を妬んでいる。(2−201)
新城とは同い年。(2−215)
<皇国>陸軍大尉。陸軍局庁舎で少佐となった新城と再会する。
特志幼年学校には入らず、貴族の子弟枠として設けている員数の一人として軍に入り、半年の見習士官生活で任官している。
十年前、新任の少尉として配属されたときは、新城と同じ配属先であった。(3−37)
位階授与者の美しい娘を許嫁に持ち、この上なく魅力的な愛人もいる。(3−40)
守原家の謀略によって、少佐へ昇進、再編中の独立捜索剣虎兵第11大隊の指揮官に任ぜられた。(3−72)
虎城防衛戦では、<帝国>の猛攻を受け大隊は玉砕、彼を含む15名のみ生き残った。(6−76)
涼天寺で行われた各級指揮官との顔合わせの場に現われ、新城に襲いかかるが取り押えられた。(6−127)
虎城から皇都へ傷病兵後送隊の馬車で送り返され、陸軍都護衛戍療兵院でより専門的な診断を受ける。療兵院心神科部長は自宅における療養を認める判断を下す。(8−158)
屋敷にもどったかれに、家族の出迎えはなく、屈強な男たちによって屋敷の奥に監禁され、守原とも誼を通じようとした責を俊兼一人に被せ廃嫡、羽倉典子との婚約も破棄され、兵部省人務局からは待命の通知を受ける。(8−159)
佐脇家の手配した心神療医によって前時代的な治療を受け、新城への憎悪は、天下全てに拡大していった。(8−161)


佐脇秀兼
(さわき・ひでかね)

佐脇家当主・佐脇兼元の次男。佐脇俊兼の弟。兄の廃嫡に伴い、佐脇家の相続権がまわってくる。(8−160)


佐和野
(さわの)

近衛衆兵鉄虎第501大隊導術小隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−137)


塩野正経
(しおの・まさつね)

近衛衆兵鉄虎第501大隊騎兵中隊指揮官。(3−137)
<皇国>近衛大尉。元近衛禁士騎兵第7大隊第3中隊長。
生家は守原家に属する弱小将家で、守原家の代わりに子供の一人と一個中隊分の兵を提供していたが、父の死の前後、身内の騒動で叔父が守原家に取り入り塩野家正統の地位を手に入れたため、近衛禁士隊から追われることになった。
新城が捜索任務に使える人間を探しているとの噂を聞き、売り込みに来る。(3−144)
新城に私兵としての気分で付き従う。六芒郭南突角堡の指揮を任された。(4−80)
南突角堡を放棄する際、残っていた砲座に敵指揮所の砲撃を命ずる。これはアラノック中将を戦死させる砲撃となった。(4−162)
六芒郭脱出、<帝国>軍本営奇襲では尖兵隊長を志願した。(4−214)
新城と似た年格好の男。凱旋式開始直前、街路斥候をこなす。(8−220)


志倉久正
(しくら・ひさまさ)

<皇国>陸軍大将。軍監本部総長。宮野木家一門の出。その主家の退嬰的な姿勢の影響を受けてか、<帝国>軍をいかにして倒すべきか、という方針を示せないでいる。(5−205)


侍従長
(じじゅうちょう)

<皇国>北領鎮台司令部最先任下士官。
守原英康が15歳で軍人になって以来仕えている。
もとは都南公爵家の家令の三男。(1−23)


侍従武官
(じじゅうぶかん)

奏上に参上した新城を、式部官とともに扉の前で待ち受ける。(3−13)


市長
(しちょう)

北領南端にある美名津の市長。
<大協約>にもとづいて軍役拒否を決定する。(1−39)
実は侵攻前より、<帝国>軍の事前工作が行われていた。(1−154)


志村長柄
(しむら・ながえ)

皇室魔導院第4代院長。皇紀537年、新英帝に皇室魔導院を養成機関以上の存在として貢献させるべき、と献策する。(2−208)


シュヴェーリン,ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール

<帝国>陸軍少将。第21東方辺境領猟兵師団を率いる。
容貌魁偉という表現が似つかわしい大兵肥満の将軍。
東方辺境領軍随一の闘将として知られ、北領鎮台追撃の先鋒集団の指揮を執る。
人間一般についての愛情は深く、外見、態度と裏腹に兵を愛する将軍であった。(1−217)
カミンスキィが功を上げることに危機感を覚えていた。(1−219)
第2旅団への視察の途、浸透突破中の近衛衆兵鉄虎第501大隊と遭遇、天霧冴香に討ち果たされる。(3−182)


従兵1
(じゅうへい)

メレンティンの従兵。
メレンティンと新城との会談において、酒を用意する。新城のきわめて自然な動作に、なんの抵抗感も持たずに酒を注ぎ、その後で、そこらの<帝国>貴族よりも偉そうな態度に、いったい何者なのかと訝った。(2−88)


従兵2
(じゅうへい)

西原信英の従兵。駒城篤胤との狩りに従う。(7−167)


ジュガヴィリヌス,レオニス

帝都出身の学問僧。宗教純化運動を指導した。皇紀369年、破門を宣告される。(3−130)


主后
(しゅごう)

今上皇主正仁の妻。(3−14)


主人
(しゅじん)

もとは駒城保胤の祖父の妾宅であった屋敷の主。妾はすでに亡くなっているが、その甥子たちが管理している。駒城家に恩義を感じていて、保胤へ密議の場として貸し出している。(2−96)


首席幕僚
(しゅせきばくりょう)

独立捜索剣虎兵第11大隊所属。佐脇に導術情報を報告する。(5−41)
虎城防衛戦にて、第21師団の突撃により深手を負い戦死。(6−64)


主任教官
(しゅにんきょうかん)

<皇国>陸軍特志幼年学校の教官。(2−229)


シュレヒト,ワルト・デ・ラヴァル

臨時任命の准将。前任師団長が不審な戦死を遂げた、第15東方辺境領猟兵師団を率いる。(5−174)
応召とはいえ東方辺境領軍生え抜きの猟兵将校であり、騎士身分。
年齢はすでに60。現役時代、有力者の後ろ盾などなく、軍歴も華々しさは無く苦労のみ多かった。予備役編入間際になって大佐へ昇進、一種の名誉階級であった。
第15猟兵師団を預けられるまで、蛮地鎮定にあたって応召した予備役大佐にすぎず、配置も鎮定軍補充部で、どこまでも予備の人員として扱われていた。(5−212)
しなびた果実のような外見の男だが、その表情はひどく男性的。(5−213)
苦労人だけあり、温情家の側面を多分に持ち合わせている。(6−141)
冬季攻勢失敗の責任を負わされ、師団長職は解任、銃殺刑に処された。(7−46)


少尉1
(しょうい)

陸軍局庁舎を出た新城を呼び止める。窪岡少将の命であった。(3−44)


少尉2
(しょうい)

佐脇率いる独立捜索剣虎兵第11大隊所属。前衛小隊を率いていた。将家出身者ではないため、佐脇俊兼より年上だが階級は低い。(3−201)


少尉候補生
(しょういこうほせい)

東方辺境鎮定軍司令部付。本営に集合した各指揮官に、ラスティニアンの入室を告げる。(5−137)


将校
(しょうこう)

<帝国>本領軍の将校。ユーリアの本営を襲撃したうちの一人。帝都訛の<帝国>公用語を話す。メレンティンに斬り捨てられた。(4−215)


少佐
(しょうさ)

<帝国>軍少佐。
六芒郭攻略目前、ユーリアが新城との会談を画していることをラスティニアンに報告する。
ラスティニアンと同じ怒り、ユーリアへの不信を抱いていた。(4−204)


少年水兵
(しょうねんすいへい)

<皇国>水軍熱水駆逐艦<灘浜>乗り組み。伝声管にとりつき伝令を務める。(8−129)


掌帆長
(しょうはんちょう)

<皇国>水軍乙型巡洋艦<大瀬>の掌帆長。
掌帆長とは、檣楼員と甲板員の上に立つ先任の兵曹長のこと。(1−209)


尚武康敬
(しょうぶ・やすたか)

水軍中佐。水軍統帥部兵站課参謀。
実家は守原家の陪臣格で、康の一字は父親の代に守原長康から戴いたもの。守原英康ではなく、護洲公守原長康に恩義を感じ、守原派ではなく統帥部に協力する。手入れされた口髭をたくわえている。(8−87)

「それに―どうも俺は、このような時はあくまで水軍士官でありたいようなのだ。まあ、今朝になってようよう気づいたのだが。遅ればせすぎたか」(8−89)


哨兵1
(しょうへい)

虎城防御線、駒洲軍に配された独立捜索剣虎兵第11大隊所属。
<帝国>軍の燭燐弾投下に、警告を発する。(5−39)


哨兵2
(しょうへい)

凱旋式の順番を待つ新城支隊の隊列、その哨兵。新城を訪ねてきた大賀を誰何する。(8−219)


掌砲長
(しょうほうちょう)

<皇国>水軍乙型巡洋艦<大瀬>の掌砲長。兵曹長。
負傷した森本砲術長に代わり、復旧指揮を代行する。
掌砲長とは砲術科の先任兵曹長に与えられる一種の名誉称号。(1−209)


情報幕僚
(じょうほうばくりょう)

近衛衆兵鉄虎第501大隊の情報幕僚。本部付導術兵からの報告を新城に伝える。(3−199)


職人
(しょくにん)

軍を退いて工房を開いた下士官あがりの男。傾いている。新構造の銃を考案し、守原長康の援助で試作する。
実直そうだが、目は狂っていた。芸人であれば大成している質の男、とは長康の評。(5−98)


司令部附喇叭手
(しれいぶつきらっぱしゅ)

<帝国>陸軍第21東方辺境領猟兵師団司令部附喇叭手。見事な八の字髯を蓄え、司令部用長管喇叭を吹き上げる。(6−22)


新英帝
(しんえいてい)

皇紀530年代頃の皇主。志村長柄から皇室魔導院の用途についての献策を受ける。(2−208)


信号兵
(しんごうへい)

<帝国>陸軍第1教導戦闘竜兵団所属。(3−170)


新城直衛
(しんじょう・なおえ)

本作品の主人公。全くの凶相。背丈は一間六尺ほど。東洲の生まれ。<皇国>陸軍剣虎兵中尉。
独立捜索剣虎兵第11大隊第2中隊中隊本部付幕僚(中隊兵站幕僚)。(1-45)
五将家の雄、駒城家の育預(はぐくみ)。(1-49)
身長は一間六尺ほど。(1-53)
皇紀544年の東洲乱の時、孤児となり、蓮乃共々駒城家に引き取られる。(1-125)
中隊長若菜大尉の戦死に伴い、第2中隊の指揮を引き継ぐ。(1-68)
皇紀568年2月11日の夜襲のあと、生き残った最上位の将校として大隊の指揮を引き継ぐ。夜戦昇進が認可され大尉。転進支援隊司令笹嶋中佐から、北領鎮台の撤退援護を要請される。(1−137)
夜戦築城と導術を組み合わせて活用した史上初の指揮官。(1−215)
判断の際に感情を徹底的に排除する習慣を持ち、己が愚物であり、邪悪な側面を有していることを自覚し、それに基づいて行動することを怖れない。自虐性を加虐性へと転換し、その無理を全く論理的に了解していた。(1−243)
<帝国>軍からは、「猛獣使い」と呼ばれていた。(2−66)
24年前東洲の戦野を共に彷徨った蓮乃を、深く想っていた。(2−75)
俘虜解放期限の3日前、ユーリアと面会し、幕下へ加わることを求められるが、拒否する。(2−134)
俘虜交換で<皇国>へ戻る艦上、少佐昇進を知らされる。同時に水軍少佐の名誉階級も授けられている。(2−155)
15歳の時に元服。駒城の一字をとり、新城の姓を与えられる。誕生日から一ヶ月後、故府にある<皇国>陸軍特志幼年学校へ入校する。(2−225)
乗馬は不得手で、5歳で初めて馬に乗ってから、いまだにまともな乗馬姿勢をとることが出来ないでいる。(2−226)
皇主陛下への軍状報告奏上後、近衛へ転属、近衛衆兵隊司令部付となる(3−33)
桜契社にて実仁親王らと面会し、新編の大隊――近衛衆兵鉄虎第501大隊を与えられる。(3−66)
六芒郭臨時防御司令。(4−19)
六芒郭を拠点に、<帝国>軍の行動を遅滞せよとの命令が下り、六芒郭臨時防備部隊司令の地位と、手持ちの兵力を新城支隊と呼称することを許される。だが当の新城には、ただ守原家に嵌められた、報復されたとの思いがあった。(4−34)
槇曰く、完全な野戦主義の徒。普段は歩くことすら厭うくせに、戦に限っては、運動戦を好む。
羽鳥曰く、あいつは火力戦の信者でもある。(4−54)
<帝国>軍本営の奇襲を計画するが、<帝国>本領軍の襲撃を受けたユーリアを救うことになる。(4−222)
皇紀五六八年十三月四日付けで中佐に昇進。(5−26)
敵が自分と同じように筋を通す人間であると考えたがる。(5−118)
幼年学校時代、自分を他の誰とも分け隔てしなかった大賀に対し、なによりも感謝していた。(5−187)
軍監本部公用使として、駒洲軍司令部に翼竜にて赴く。(5−229)
なにごとにつけ、一度原点へ立ち返って考えねば気が済まない。(5−232)
体調を崩し倒れた保胤から、駒洲軍の指揮権を委ねられる。(5−258)
保胤が回復し、駒洲軍予備隊の指揮を任せられる。臨時部隊名は別動新城戦隊。(6−198)
虎城から帰還後、近衛衆兵鉄虎第501大隊を返納し、新編の近衛嚮導聯隊を与えられる。(7−24)
遅い昇進をした中尉当時、剣虎兵学校付きの将校として配属されたことがある。(8−13)
皇紀567年10月を過ぎたあたりに、校長の命令により古戦史の補助教官職に任ぜられる。(8−15)
酔狂人をひどく丁寧に扱うところがある。(8−194)
皇族の前であろうと怖じけることも卑屈になることもなく、冷酷なようでありながら自分に関わる者への気遣いは忘れない。
個人副官手製のとても他人様にはお見せできない、素人臭い編み具合の毛織物の上着を、堂々と身に着けている。(8−197)
未だに諸将時代の感覚で力の繋がりをつくりあげようとする実仁親王の発想に憤りを感じる。(8−202)

「まったく、真面目な莫迦は死んでも面倒を残す」(1−72)
「現状はどう控えめにみても地獄だ」「僕は平気だ。地獄は故郷のようなもの、なんとも心休まる。それに、僕が稼がねばならぬ時間もいま少し残っているしね。しかし、君たちに僕の故郷へつきあえとは言えない」(2−47)
「殺す!まだ殺す!!」(2−56)
「かもしれません、大佐殿。他者への敬意は人を人たらしめる唯一の基準です。そしてそれは実績と信頼に依拠します」(2−86)
「覚悟しろ畜生どもめ。僕は決めたぞ。もう決めてしまった。たとえこの先なにがあろうと、この思いこみだけは変えやしない」(3−72)
「それにこの先、どんな陰謀にも意味はなくなる。戦争に勝る無意味などこの世に存在しないからだ。そう、戦争だ。素晴らしい。戦争。戦争。戦争だ。」(3−146)
「しかし、これだけは約束できる。僕は何につけ無駄遣いはしない。どんなものでも、いつも固めて使うことにしているのだ。第501大隊についても同じように考えている。以上だ」(3−177)
「僕には理解できない」「どうしていざとなると、誰も彼もが地獄へ望んで進撃したがるのだ?」(3−178)
「時たま、僕ら二人だけで戦ったほうが楽に勝てるとは思わないか?よそから持ちこまれるのは、ろくでもないことばかりだ」(3−185)
「自身の正しさを確信するなど、まさに狂気以外のなにものでもない。僕は良く知っている。たまに、僕は正しいと思うことがあるからね。だからこそ自分自身が信用ならない」(3−207)
「好きで軍隊に入るような莫迦はそう扱われて当然だ」(4−23)
「忠君愛国にもおのずと限度があってしかるべきとは思う、僕も」(4−81)
「しかし僕は違う。兵を見捨てるような男に将校としての名誉を与えられるほど心の広い男ではないのだ。命令に従え。二度は言わない」(4−177)
「光帯の向こうにいったあとで、僕だけを恨め。いいな。僕だけを。命令だ」(4−180)
「義務と名誉になどなんの意味も価値もない。夏川はそれをまったく理解していなかった」「それこそが重要なのだ。いかなる強制力もなしに人を個人として動かすもの。僕はそれを信義と呼ぶ。義務や名誉などという御題目に頼るなど、決して許せるものではない。人は、いまここにあるが故に、そうするだけなのだ」(4−182)
「過ちが罪になりうるのは、それを犯している意味に気づかない場合だけなのだ」「人は過誤からけして逃れられない。過てば義務の不履行を糾弾され、名誉にもとると非難される。しかし信義は汚れない。他のなにものからも傷つけられない場所にただある。だからこそ明日なにをすべきかがわかる。同じことを二度繰り返して悪いという法はない」(4−182)
「どうだ、参謀長?兵は怖れているか?敵ではなく、僕のことを」(4−195)
「莫迦なことをいうな。すべての刑罰は、体制を維持するための道具なのだ。軍も娑婆も違いはない。」(4−195)
「よろしくないわけがない」(4−197)
「忘れてはならない。勝利をもたらすものは意志でも、血でもない。ただ、鉄量のみなのだ」(6−191)
「龍は好きだ。好きだな」(6−199)
「弱いものを苛め抜くのが戦争だ。兵理とは弱者を痛めつける技術に他ならない。苛め抜いてこそ勝利が得られるのだ。覚えておけ、所詮、軍人などというものは卑怯者にすぎない。そうでなければならない。ただ時たま、勇気などというくだらないものを求められるだけだ。なにか質問は」(6−224)
「莫迦だ。莫迦ばかりだ」(8−115)
「僕らは、近衛なのだ」(8−149)
「瞼を閉じたまま景勝地にでかける趣味でもあるのか、君には」(8−203)
「僕にできることはしている。できないことについては諦めてもらうしかない」(8−204)
「――政に関わるくらいならばあいまい宿の帳場でもあずかった方がよほど男らしい。そういう場所であれば、少なくともだれもが率直だからな」(8−206)
「問題は戦争だ。戦争なのだ。いまはそれだけだ。帰ったら殿下にお伝えしてくれ。新城直衛は戦争以外のなにものにも興味はない、と。理由?平和は退屈だからだ。戦争を好むのにはそれで充分だろう。わかったか」(8−210)


水兵1
(すいへい)

<皇国>水軍熱水乙巡<畝浜>乗り組み。まだ20歳になっていないと思われる水兵。
新城に天龍の接近を教える。(2−168)


水兵2
(すいへい)

<皇国>水軍熱水乙巡<畝浜>乗り組みの水兵。
故国への接近と、艦長よりの誘いを新城に伝えに来る。(2−173)


須ヶ川
(すかがわ)

龍洲軍司令官。虎城防衛戦時。(6−87)


洲方
(すがた)

<皇国>水軍熱水駆逐艦<灘浜>の先任将校。水軍大尉。つるりとした顔の持ち主。(8−121)
女房のほかにも金を渡さなければならない女がいるかれは、敵艦を捕獲する機会、すなわち大金を得る機会を目にすると艦内のもっとも貧しい家の出身者に負けないほどの情熱を示す。(8−127)
捕獲賞金でもって、年の離れた妹に何人もの家庭教師を雇ってやっている。(8−128)
敵艦制圧の際に怪我をするが、捕獲賞金で出来の良い妹に最高の家庭教師をつけてやれるだろうことを喜んでいる。(8−136)

「艦長、ただいま本艦は熱水機関のみにて航進中」(8−131)


洲方の妹
(すがたのいもうと)

洲方水軍大尉の年の離れた妹で、幼いころから兄のことをただの一度も疑ったことのない愛らしい娘。学問を欲し、兄に何人もの家庭教師を雇ってもらっている。導術の才がある。(8−128)


須ヶ原三郎太
(すかはら・さぶろうた)

好事家として知られた大富豪。
皇紀549年、<皇国>で初めて熱水機関を実用化した。<帝国>では543年、アスローンでは547年で、世界レベルでは最も遅い。
すべての研究を全くの道楽として行い、研究結果を公にし、<皇国>における熱水機関の利用拡大に寄与する。(1−97)


杉代
(すぎしろ)

近衛兵站部司令。皇紀568年夏時。(3−69)


杉原
(すぎはら)

<皇国>水軍中将。皇海艦隊司令長官。衆民の出身。(3−57)
度胸のある人物。(8−85)


筋麻
(すじま)

<皇国>療兵軍曹。暴れる佐脇俊兼を気絶させ運び出す。壊滅した独立捜索剣虎兵第11大隊に同期入営の戦友がいた。(6−130)


鈴木
(すずき)

龍族政界の有力者。坂東に協力を約束する。(5−144)


スタイニッツ,リウリス

先帝パーヴェル3世が即位した数年後におこった政争、西方諸侯の持ち出した領地監督権改正要求問題がこじれた時の<帝国>宰相。(8−48)

「神々を動かせぬのであれば冥界を解き放てばよい。」(8−48)


角沢宗之進
(すみさわ・そうのしん)

<皇国>陸軍少尉。18歳。
生家は滅びた小さな将家の陪臣あがり。子供の頃から軍人になりたいと願い、その希望を押し通し特志幼年学校に入校。
近衛嚮導聯隊が受け入れた数少ない新品少尉。(7−235)


瀬川
(せがわ)

たった一人の人間からなる新城家の家令。
初老の男ではあるが、いまだ筋骨逞しい。片足をわずかに引きずっている。(2−178)
上背のある、60手前の男で、駒城篤胤の元従兵。新城が元服して以来のつきあい。
駒城家から渡される新城家の賄金をすべて預けられ、その運用をまかされていた。
若い頃、流行病で妻子を失っている。(2−186)
現役の時は陸軍曹長。駒城篤胤の従兵を命じられるまでは騎兵で、軍歴は20年を越える。(2−226)
かつて、あまりにも無自覚な中隊長を戦場で見捨てたことがあり、彼は戦死したが、周囲のすべてからは感謝された。(2−228)

「軍隊ってのは、無理と理不尽が徒党を組んで進撃しているようなところですから」(2−229)


背坂
(せざか)

<皇国>遍学院を訪れていた学童の一人。引率の教師の質問に返答する。(5−195)


妹尾
(せのお)

<皇国>陸軍剣虎兵少尉。
新城指揮継承後の、独立捜索剣虎兵第11大隊集成第2中隊指揮官。(1−126)
剣虎兵中隊の将校でただひとりの生き残り。(1−181)
小苗橋渡河点において戦死。(2−69)


尖兵小隊長
(せんぺいしょうたいちょう)

<皇国>陸軍独立捜索剣虎兵第11大隊第2中隊に付けられた尖兵小隊の小隊長。(1−76)


戦務参謀
(せんむさんぼう)

近衛総軍戦務参謀。(3−153)


戦務幕僚
(せんむばくりょう)

<皇国>陸軍独立捜索剣虎兵第11大隊戦務幕僚。
捜索任務から帰還した第2中隊を出迎える。(1−87)
皇紀568年2月11日、撤退援護戦として行った伏撃夜襲において大隊本部が全滅した時、戦死したものと思われる。(1−115)


宗賀・アイリア・樹理
(そうが・あいりあ・じゅり)

<皇国>陸軍都護衛戍療兵院(ミリタリィ・ホスピタル)に勤める。
<帝国>公用語が巧みなため、メレンティンの専属のようなかたちになっていた。
父は廻船の船頭だが、母は東方辺境領出身のため、目鼻立ちが<皇国>人とは思えぬほどくっきりしている。(5−85)
退院後も、新城の手配りでメレンティンの世話を続ける。(7−173)


早田
(そうだ)

近衛禁士後備騎兵第6聯隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−69)


操舵員長
(そうだいんちょう)

<皇国>水軍熱水駆逐艦<灘浜>操舵員長。(8−132)


曹長
(そうちょう)

六芒郭糧秣班の曹長。丸枝の部下。(4−141)


ゾダーハイム,メシナス

<帝国>陸軍大佐。東方辺境鎮定軍砲兵参謀。
角張った顔に沈痛な色を浮かべ、砲兵戦力の危機的状況を説明する。(7−42)



西原家

家格:五将家
称号:西洲公
領地:西原(西洲)

現当主信英と駒城家当主篤胤とは、遥かな以前中隊を並んで指揮したこともあり、親しい間柄にある。
今回の政変にあたり、駒城にも守原にも組せず、無傷の将家を維持することで御国の危機に備えようと画策している。

<人物/一族>
西原信英 現当主。陸軍大将。
西原信置 信英の長子。陸軍大佐。
夏川孝憲 信英の妾腹の子。近衛禁士隊中尉。敵前逃亡により六芒郭にて刑死される。
西原 軍監本部勤務。



】【】【】【】【】【】【】【】【】【