【ま】


舞潟章一郎
(まいがた・しょういちろう)

衆民あがりだが、<皇国>執政代の地位にある。二年前、現執政利賀元正と執政位を争うが、衆民院の支持基盤が弱体だったため、二番手に甘んじている。現実政治家にふさわしい徹底した機会主義者だが、行動に利己的な臭いがある点が嫌われていた。
最近は<帝国>との講和が可能であるとして利賀との対決を再燃させている。(7−60)


真岡長麻呂
(まおか・ながまろ)

諸将時代の一時期、政務大輔であった人物。
<皇国>の旧都、故府に導術士の養成学校、魔導師範校を創設する。それは、干上がっていた皇庫に金を流れこませる策のひとつであった。(2−206)


槇氏政
(まき・うじまさ)

新城の特志幼年学校同期生。(2−222)
太り気味の福々しい見かけで、軍にいた頃は、その見かけどうりの人格で部下をまとめていた。
現在は実家である<皇国>有数の造酒屋(実体は総合商社)、大周屋を手伝っている。(2−223)
龍洲出身。父親は下戸。(2−232)
えらく遣り手だとの噂があった。(2−236)
ただの造酒屋ではない大周屋を、自分の代で真っ当な商売のみに切り替えたいと考えている。(4−52)
幼い頃、蓬羽に預けられていたことがあり、田崎千豊とは親しい間柄である。千豊が寡婦となってからは、男女の仲になっている。(5−126)
守原蹶起の際、田崎千豊に後事を託し近衛衆兵へ現役復帰する。(8−71)

「なら、面倒が貴様を好いているんだ」(2−242)
「あなたを道楽息子の嫁にしそこねたことをまだ後悔していやがるんだ、あの爺ぃは」(8−69)


牧嶋正信
(まきしま・まさのぶ)

時間を持て余した古賀が、<皇国>遍学院で出会った学生の一人。背は低い。衆民出身。
あちこち掛継されているらしい書生袴は丁寧に洗い張りされており、紐で縛って下げている本や帳面も真新しくはないが、そのぶん活用していることを教えるように手垢で汚れていた。(8−191)
古賀が史学寮の研究員だと知って、挑むように質問をする。(8−192)


牧嶋真美子
(まきしま・まみこ)

牧嶋光信の妻。新城の娘であろうか。(1−12)


牧嶋光信
(まきしま・みつのぶ)

<皇国>龍軍龍兵中将。
巻頭に載せられた手紙の受取人。差出人は麗子か。
妻に真美子、曾孫に保和がいる。(1−15)


牧嶋保和
(まきしま・やすかず)

牧嶋光信の曾孫。(1−12)


正仁
(まさひと)

<皇国>今上皇主。
息子たちをなるべく苦労させて育てる方針の人物。(2−98)
皇紀554年、御年17歳で即位する。(2−114)
40代後半。優しげに見える顔立ちで、5尺ほどしかない小柄な男。なにもかもつくりは小振りで、目はこの国の人間に多い切れ長ではなく、丸みが強い(3−15)
御控御所の離れでは、縦五間、横八間の台一杯に皇都を模した精密な模型を製作中である。それは益々拡大されるようであった。
15の頃、駒城篤胤に世情を知ることの意味を説かれ、毎夜連れ出されていた。(6−48)
凱旋式典に人として大きな感銘をうけたかれは、皇主の義務であり権利でありながら長きにわたってとりおこなわれることのなかった宮内巡幸の準備を凱旋式直後に命じる。近衛こそをことに親しく謁することを望んでいた。本来のかれは軍事に関わることなど怖気をふるうほどに好まない温厚な人物であったが、眼前を行進した無数の将兵はかれの精神に大きな影響を与えていた。(8−31)
おおもとでいまの体制を深く信頼している人物である。(8−163)


増谷
(ますたに)

<皇国>陸軍導術科の軍曹。(1−72)
独立捜索剣虎兵第11大隊第2中隊導術分隊長。(1−54)
皇紀568年2月11日の夜襲において戦死。(1−215)


益満敦紀
(ますみつ・あつのり)

駒城家重臣団名門の出身。益満家は、かつて諸将家のひとつに数えられたこともあり、家格は主家に次ぐほど。
東洲乱には、騎兵中隊を率いる大尉として参加。
駒城保胤に乗馬の手ほどきをした。(1−122)
少将。駒洲軍参謀長。堅太りの体躯を持った騎兵将校あがりで、駒城累代の重臣出身。この種の人物にしては珍しく豪放かつ実直で、軍人としての経歴も誰恥じるものがない。(5−201)
新城が5歳の時、乗馬の手ほどきをしている。新城の特志幼年学校進学の際には、駒城重臣の中で唯一反対意見を述べなかった。(5−237)


松永
(まつなが)

<皇国>陸軍剣虎兵軍曹。
独立捜索剣虎兵第11大隊第2中隊第1小隊指揮官代理。
天狼会戦で行方不明になった小隊長のかわりを務める。
兵隊の素質があり、まだ20代前半で軍曹としては若い。(1−75)
皇紀568年2月11日、撤退援護戦として行った伏撃夜襲の際行方不明に。(1−110)


松良
(まつよし)

<皇国>陸軍少佐。独立銃兵第316大隊指揮官。(6−135)


真那
(まな)

樋高惣六の従妹で許婚。料亭の一人娘。従妹だけあって樋高に良く似ている。(2−223)(7−118)


真御田
(まみた)

皇室御文庫図書頭。古賀の御文庫への立ち入りを断る。(7−92)


マランツォフ

<帝国>皇帝の弟。帝弟。
一代の遊蕩児として帝都に知らぬものはなく、衆道趣味においても豪の者であった。
カミンスキィを稚児として抱えるが、寝台で頓死する。(1−232)


マランツォフ,ロタール・イセク・ド・ジラル

<帝国>陸軍元帥。ユーリアのことを嫌っている。(3−96)
常日頃からユーリア(というより東方辺境領を)危険視していた。蛮族討伐を帝都が直接抑えるべきだと主張し、ユーリア除籍後、鎮定軍総司令官に任じられた。(5−52)
62歳。痩身。口髭をたくわえている。(5−171)


丸枝敬一郎
(まるえだ・けいいちろう)

<皇国>陸軍中尉。六芒郭要塞兵站部糧食班、戦闘配食担当第三席当番将校補。(4−69)
ひょろひょろとした体格で、肌の色は戦塵にまみれてさえ生白く、横まわりが開いた頭ばかりが目立つ。顎は小さく、目はおどおどしている。衆民あがりにふさわしく26才でいまだ中尉。
<帝国>軍の砲撃のさなか、危険を顧みず配食を続け、全ての配食が終わったとたん、目をまわして倒れる。(4−70)(4−85)
糧食班にも負傷者が続出したため、いつのまにか南突角堡全域への配食を指揮せねばならなくなっていた。(4−117)
<帝国>軍の総攻撃二日目は、新城の配慮で東南突角堡に異動となる。(4−141)
二日目の総攻撃の後、夏川を連行してくる。(4−173)
臨編執行分隊を指揮し、夏川の銃殺を遂行する。(4−178)
六芒郭から帰還後、兵部省兵站局に配属され、新城に当惑を覚えさせるほどの敬意に満ちた挨拶状を送る。(5−146)
父は霊洲で問屋を営み、彼より弟に期待していた。父の伝手を頼って、亡命するかのように特志幼年学校に入りったが、入校後まもなく戦闘兵科に向かぬと烙印を押され、卒業後一年銃兵部隊で苛められた後で陸軍兵站学校へ送り込まれた。龍口湾防衛戦がはじめての実戦。
新城支隊が解散された後、故郷で賜暇を過ごした後に皇域兵站部食糧課へ配属される。新城が申請した陸軍野戦銃兵章の恩恵で、兵站部司令から将校、下士官、兵に至るまで好意を受けていた。(7−71)
新城に凱旋式への参加を申し出、許可される。(7−200)
軍隊にはいい加減慣れていたから、どこかそこそこの大店に勤めてこなせばいずれは家の一軒も手に入るだろう知識と技量を必要とする仕事を決して高いとはいえない中尉の俸給こなしていることにも疑問はない。(8−178)
藤森にいい印象を抱いておらず、ひどくぞんざいに扱われた記憶がある。(8−179)
丸枝にとっての式典とは群衆の前でいかにも歴戦の将校として振る舞うことではなく、新城直衛に自分を記憶される方便であった。たとえどれほど行進が下手でも、新城ならば毫ほども気にしないだろう点について、確信を抱いていた。(8−180)
丸枝にとって人生の最も壮大な目標とは、新城に自分を売り込むことで昇進の階段をのぼり、いつの日か自分にとっての天霧冴香を手に入れることであった。(8−185)

「それが必要だと信じるかぎり」(4−182)


美倉
(みくら)

近衛衆兵第5旅団指揮官。実仁親王の後任。(3−69)
准将。50を過ぎたかと思われる眠たげな顔つきの男で、覇気のない喋り方をする。無能という評判はないが、有能という噂も聞かない。それゆえ准将になれている。(3−174)
<帝国>東方辺境鎮定軍司令部の応急防御隊の集中射撃を受けて戦死。(3−216)

「なるほど貴官は生命の価値と意味を知っているというわけだ、少佐」「実はわたしも、その奥義を学びたいと思っていたのだ」(3−195)


三津木拓次郎
(みづき・たくじろう)

金座筋上手にある大店、政国屋の大番頭。政国屋は合資商会であるから実際は旦那に等しい。
質屋も営み、守原家の特産品取次をしていた。(3−51)
政国屋は護洲公御用として知られる。守原家の信頼を得ているだけあって、見かけは堂々たるもの。厳つい顔に太い眉と唇、獲物を射抜くような目をしている。商人にしては武張りすぎていた。(5−123)


美津の方
(みつのかた)

諸将時代中頃に勢威を誇っていた伊里通孝が、もっとも幸していた側妾。両性具有者。
伊里通孝が、当代一流の軍師として知られていた灰場政忠を迎え入れた際、主従の信頼の証として灰場政忠に好きにさせたという。(8−199)


見習士官
(みならいしかん)

兵部省陸軍局庁舎を訪れた新城を、人務部次長室へ案内する。(3−29)


見張員1
(みはりいん)

<皇国>水軍第二尖撃戦隊第五駆逐隊旗艦<真風>乗組み。戦列艦の艦影を発見、報告する。(5−75)


見張員2
(みはりいん)

<皇国>水軍熱水駆逐艦<灘浜>の見張員。たとえ砲撃のさなかでさえ報告の声を朗々と上甲板へ響かせることを男子の栄えある一芸として叩き込まれている故、新発明の伝声管と折り合いがよろしくない。(8−120)


見張員長
(みはりいんちょう)

<皇国>水軍熱水駆逐艦<灘浜>の見張員長。伝声管が気に入っているわけではないのだが、見張員たちの上に座る最高位の下士官という立場上、好き嫌いで仕事をこなすわけにはいかなかった。(8−120)
水軍に入って20年近い。(8−126)


宮西
(みやにし)

<皇国>近衛中尉。近衛衆兵鉄虎第501大隊訓練幕僚。(3−116)
龍口湾の戦いで戦死。(4−85)


宮野木
(みやのぎ)

近衛禁士騎兵第2聯隊指揮官。皇紀568年夏時。(3−69)


宮野木和麿
(みやのぎ・かずまろ)

みたところ典雅そのものの老人。10年以上前に大将で現役を退いている。軍司令官として無能ではなかったが、人務の面で専横が過ぎ、西原、安東と一時的に手を組んだ駒城篤胤によって引退させられていた。
以来、自分に引退を強要した者達、特に駒城篤胤を恨み続けていた。(7−60)


宮野木清麿
(みやのぎ・きよまろ)

宮野木和麿の息子。和麿引退後、駒城篤胤の引きによって、将家の跡取りとしても早すぎると思われる時期に中将位を得ている。(7−60)


(むすめ)

鉦町でもかなりの場末、堀端にある土間だけの店に勤める給仕。そこは昼間から呑ませる店であったが、いささか不自然に思われるほどの健全さがあった。
働き始めて半月程だが、手慣れた勤めぶりをみせていた。父親は呑み助。(7−217)


務原
(むはら)

凱旋式の練習をする丸枝の隊列の曹長。丸枝の千倍ほども威厳に満ちた顔つきをしている。(8−178)

「娑婆じゃ新城支隊はとんでもないあつまりだと噂されています。国じゅうから精兵を選りすぐった部隊で、弱兵など一人もいないと。このままじゃあ、恥をさらすことになりますよ、中尉殿」(8−178)


村賀
(むらが)

<皇国>龍兵中尉。軍監本部公用使を駒洲軍司令部まで運ぶ。(5−229)
その後、新城とともに駒洲軍に留まり、新城の移動手段として活躍する。(6−121)
いかにも龍士らしい、隙のない目つきをしている。(6−147)
予備隊集合地へ新城を運ぶ途中、遭遇した<帝国>龍兵との戦闘になり命を落とす。(6−204)


室岡
(むろおか)

<皇国>陸軍軍曹。皇域兵站部勤務。北領の野戦で昇進した、つかみどころのない顔つきをしている。軍曹にしては若く、丸枝より五つほど年上。(7−73)
孤児であるかれは、15歳から18歳まで、皇室魔導院が地方で密かに運営している施設で育てられていた。(7−77)
龍洲戦凱旋式参加部隊の兵站状況の奇妙な点を調べていたが、淳川で死体となって発見された。(7−99)


室津平蔵
(むろつ・へいぞう)

羽鳥の部下。新城への伝令を命じられる。(8−42)
瞳には戦場でも日常でもかわらずに高値をつけられる輝き、日々織りなされる無数の幻滅に風化させられることのない職業意識という鎧を持っている。
勅任二等魔導官補。羽鳥の託を新城に伝える。(8−108)
東洲の産まれ。両親は戦で荒れ果てた田畑をどうこしらえ直したか、それだけを自慢にしている。(8−109)

「もう瓶に半分しか残っていない、と」(8−109)


明英帝
(めいえいてい)

<皇国>初代皇主。(1−140)
軍勢を油洲へ進めた時、『油洲の棒涙』というエピソードを残している。(8−16)


メーニン

<帝国>軍中尉。第21東方辺境領猟兵師団司令部護衛中隊所属。
師団長に対して悔しさを示すことが出来る、見所のある中尉。本営へ向かう道中、カミンスキィから宿題を与えられる。(5−128)


目加田英直
(めかた・ひでなお)

東洲公。<皇国>でも有数の豊かさを誇る東洲を治めていた。
だがその豊かさ故に<皇国>からの独立を図り、<皇国>最後の大乱、東洲乱を引き起こす。(1−118)


メレンティン,ギュンター・フォン

マルデン子爵。<帝国>政府高等外務官。クラウス・フォン・メレンティンの兄。(1−150)
こじれてしまった<皇国>鎮定の打開案として、確保した領域を保持するという線で講和に持ち込むべきだという領土割譲案を熱心に説いている。
弟クラウスについて、「ユーリア様に従って敵へ降ったことはマルデン子爵家の律儀によるものなれど、なればこそいまや弟は亡きものと考える」と述べている。(8−50)


メレンティン,クラウス・フォン

<帝国>陸軍大佐。<帝国>東方辺境鎮定軍作戦参謀。
48歳。細長い頭の持ち主で、短く刈り込まれた金髪は半ば白い。常にほとんど泣き顔に近い、哀しげな表情をしている。鼻の下には薄い髯を生やしている。
激務で倒れたケレンスキィ少将に代わり、軍参謀長を代行していた。
生地は西方諸侯領マルデン子爵領。兄の現マルデン子爵ギュンター・フォン・メレンティンは、<帝国>政府高等外務官を務めている。(1−150)
カルパート僭帝乱に若き騎兵聯隊長として活躍、その軍功により東方辺境領男爵位と副帝家筆頭継嗣御付武官長の地位を授けられている。
<帝国>陸軍省を牛耳る連中と折り合いが悪く、大佐にとどまっていた。(1−164)
東方辺境鎮定軍参謀長として、俘虜となった新城と面会する。(2−83)
鎮定軍参謀長への正式な発令を受けたことにより、ユーリアの配慮で准将に昇進。(3−93)
いつのまにか少将。(4−17)
<帝国>本領軍の本営襲撃の際負傷、ユーリアと共に新城に救われる。(4−219)
<皇国>陸軍都護衛戍療兵院(ミリタリィ・ホスピタル)に入院。順調な快復を見せる。(5−85)
退院し、駒城家下屋敷に移る。ユーリアより、新城の相談役を命じられた。(7−173)

「互いに忠誠の対象は異なっているが、だからと言って、貴官に対する軍人としての敬意がいささかでも薄れることはない。そうしたものだ。それが我々の守るべき最後の一線ではないか?」(2−86)


モータイネン,ロッター・ラドゥノフ

<帝国>陸軍准将。第27東方辺境領砲兵旅団を率いる。(3−113)


餅田
(もちだ)

水軍中佐。水軍統帥部兵技(訓練)課参謀。
一応将家の出だが、屋敷ですら三代前、人手に渡ってしまったという家のため、むしろ現在の五将家体制を恨んでいるところがある。乾いた表情の持ち主。(8−86)


護田
(もりた)

<皇国>水軍中佐。最新鋭熱水乙巡<畝浜>の艦長。
北領転進支援の為に、30艘もの運荷艇をくくりつけてくる。
評判の良い人物で、愛妻家。(2−13)
機転の利く人物だが、いささか真面目すぎるきらいもある。(2−169)


守原定康
(もりはら・さだやす)

守原家現当主長康の長男。28歳。<皇国>陸軍少将。
実戦経験はなく、女どもを参らせる甘さを持つ整った顔にそれが表れている。(3−23)
なにもかもかぎ分けてしまうような整った高い鼻。名のある書家が適度な力で描いたはねのように太く濃い眉。精神性そのものを表現するように張り出した顎。薄く、かすかに歪んだ唇。それらは、父親よりも叔父の若い頃に似ていた。(5−105)
本当の父は叔父英康で、その事に気づいている。(6−93)
守原英康の蹶起を新城は気づいていると確信し、新城が先手を打つことを期待していた。
性格はねじれ、怠惰が習い性であったとしても、どこかに知性を残している。個人副官に手をあげたことはただの一度もなく、身を飾るあれこれに金を惜しんだこともない。(8−175)

「新城だぞ。戦場では敵の後手にまわることのなかった男だ。叔父上がなにを企んでいるか、気づいていないはずがあるまい」(8−175)


守原時康
(もりはら・ときやす)

守原家先代当主。長康を女のような奴と疎んじ、廃嫡し英康に跡目を継がせようと考えた。(5−96)


守原長康
(もりはら・ながやす)

守原家現当主。長く病で臥せがちで、実質的な当主は弟の英康であった。(3−24)
ことし56歳で、弟とさして年齢は離れていないが、見かけは老人そのもの。温厚で病弱。
一時、父時康によって、廃嫡されかかるが、長康の学友であった今上皇主正仁が不快の念示したことで沙汰止みとなった。
芸事を好み、忍びで小屋通いをしている。それは病に冒されてからも止めないほどであった。(5−95)


守原英康
(もりはら・ひでやす)

<皇国>陸軍大将。北領鎮台司令長官。
五将家のひとつ、都南公爵家の次子。(1−23)
北領での敗退後、いち早く撤退し、洋上より全般指揮行う。(1−36)
50代後半だが、見た目には40代の頭でも通りそうな精気とたくましさがある。(3−23)
若い頃こそ勇敢な騎兵将校として鳴らしたが、論理的な思考は得意ではない。(3−26)
将軍たちの絵や彫像のような一種の説得力あったが、人をして運命に立ち向かわせる説得力ではなく、恐れさせ、あるいは従わせることはできても、けしてそれ以上ではなかった。(5−105)


森本
(もりもと)

<皇国>水軍大尉。乙型巡洋艦<大瀬>砲術長。(1−197)
荒天による事故で負傷する。(1−209)
<大瀬>と運命を共にしたと思われる。(1−211)



守原家

家格:五将家
称号:護洲公
領地:上護・下護(護洲)

現当主長康が病弱で臥せがちなため、弟英康が実質的な当主となっている。
北領失陥により、それまで独占的に有していた権益を失い、経済的な損失を被っている。
家風なのか、他家を妨害する時にそれを隠そうとしない。
安東家、宮野木家と組み、駒城家を潰し<皇国>の主導権を握ろうと画策している。

<人物/一族>
守原時康 守原家先代。
守原長康 現当主。
守原英康 長康の弟。陸軍大将。
守原定康 長康の長男。陸軍少将。実父は叔父英康。
阿多兵衛 英康の妾腹の子。近衛中尉。
<人物/家臣>
草浪道鉦 陸軍中佐。
塩野家 守原家の代わりに近衛禁士隊に兵を提供。
豊地 陸軍大佐。背洲後備銃兵第61聯隊長。



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