余るハーブ&生野菜の悩み

 

 

 毎食新鮮なハーブや生野菜を食べたいという思いで、無農薬の菜園生活を十数年も続けている。年中欠かさず食べられるように、春はサラダ玉葱・エシャレット、ハーブはオレガノ・レモンバーム・セージ・ステビア、夏は水ナス・白ピーマン・キュウリや各種バジル、秋冬はルッコラ・わさび菜・コリアンダーなどの葉物、チコリ系のラディッキオ・プンタレッラなどを定番にしている。長期にわたる冬の葉物は、時期を3回ずらす。一般に作物の収穫量は放物線のように推移する。老夫婦2人分の量はわずかだが、欠かさず食べるため収穫量が少なめの初期や末期に合わせて用意するので、ピーク時には大幅に余剰が生じる。

 

 問題は過剰に育ったものの扱いだ。ビジネスなら採算さえ合えばクールに廃棄してもいいが、そうはいかない。余りものでも、それぞれピカピカの子なので、歓迎される養子先や嫁ぎ先を何とか探したい。ところがこのハーブ&生野菜は、大根や白菜とは違って好き嫌いが激しく、近隣や親類の方々には難しい。幸い長年のワイン仲間たちに好評なので、時々宅配便で送っている。だが内容物より高価な配送料や荷造りの手間が煩わしく、いつも通うワインサロンに毎回持参し、メンバーに差し上げたりしている。収穫前の作物たちを眺めながら、この子は誰に向くのか、誰なら大切にしていただけそうかと思いめぐらすのは、育て親の密かな楽しみでもある。

 

 こうして差し上げた方からの後日の反応は様々だ。メールなどで、その人らしい心のこもったお礼の言葉が届くとうれしい。料理法とか料理写真を添えたキッチンレポートも実感がわき、何かと発見があって参考になる。差し上げたものを見事に手描きした絵葉書絵手紙は宝物だ。他にも旅先の土産品や、バレンタインの頃にチョコをいただいたりしている。余りものを貰ってくださったのに返礼品まで頂戴するとは心苦しい。以前、野菜をお送りしようと声を掛けたとき「いくらですか?」と即座に尋ねられたことがある。確かにコストはかかるが、この歳になって金銭のため余生を捧げているわけでなく、皆さんに少しでも喜んでいただきたいだけなのだ。

 

 逆の立場を思う。いきなり知人から何かが送られてきたら、感謝の気持ちもそこそこに、いくらぐらいの品か、いつか何かお返ししなければと反射的に考えてしまう。それから冷静に双方にとって最善と思われる対応を探る。一昨年の秋、塩尻在住の元同僚から新鮮なマツタケが届いた。所有する山で採れたものだが高価すぎる。マツタケはワイン仲間と格別美味しくいただいたが、後の対応が難しい。悩んだ末、日帰りで松本へ出向き、他の飲み仲間をまじえて懇親し当日の飲み代を負担して、私の喜びと感謝の気持ちを伝えた。

 

 海外旅行中に撮影したビデオを、同行のツアー仲間に勝手にお送りすることがよくあった。通常は2度とご一緒することはない間柄であり、その場合の反応も様々だ。返礼をするかしないか、どのようにするかはご自身が自由に決めること。葉書や手紙の礼状、それに写真が添えられていたりする。長文の手紙もある。ご当地の特産品とかGWの後では新茶が多い。切手の同封も時々ある。無反応もある。皆その人らしい判断だ。何よりも言葉が好きな私には、感想を付した長文の手紙が最も心にしみた。

 

 前述の野菜の場合も、お好きかどうかは日ごろの会話や食べっぷりなどから推察するばかりで、本当に喜んでくださったかは、どんな言葉をいただいても不安が残る。それに、相手が欲しいものを欲しいときにお渡しできるわけではなく、受け取る側を煩わせてしまうことにもなる。でも懲りずに、今年もまた余りもので選りすぐりのものを皆さんにお贈りしたい。野菜栽培の楽しみは、栽培したすべてのものが美味しく食べられてこそ完結するので、ただ栽培者の自己満足のために。

 

  2021.1.20

   *上掲の写真はワイン仲間TさんとSさんから送られたもの、右端の絵手紙は友人の奥様の作品です。

 

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